桃香SIDE
皆の思いが届いたのでしょうか。
雨は洛陽を火の海に変えていた炎を見る見るうちに消し去っていました。
これから一刀さんを探すための探索隊を作って、一刀さんと曹操さんを探すことができればこの戦も終わる。
そう思っていました。
だけど、私たちの前は思わぬ伏兵が立ち塞がっていました。
「補給隊が付いてきていない!?」
「はい、姫が無理をして進軍を続けていたせいで無視されましたけど、私たちの軍の補給隊は今虎牢関に残っています」
「じゃあ、ここにはここに居る数万の袁紹軍を養えるための兵糧がまったくないということですね」
「…はい」
仮に私たちが持ってきた兵糧を分けるとしても、ここに降伏した袁紹軍の兵士の数だけでも私たちの十倍ほどです。
三日も経たずに兵糧が尽きるでしょう。
「それに、いつの間に姫もどっか行っちゃったっぽくて見えないんだよ
「もしかすると曹操さんが洛陽に入った後その後を追ったのかもしれません」
「貴様、例えワガママな君主とは言え、それが仕える者が口にする言葉か!主の行方が分からぬなど、直ぐ側に居たではないか!」
愛紗ちゃんが袁紹さんの将、顔良さん、文醜さんに向けて怒鳴りました。
「斗詩は悪くない。元をいうと、斗詩はまだ戦場に立っていい体でもない!それにその後何もないところから変なモノが現れたりするし、アタイたちも姫よりもそっちに目が行ってたんだよ!」
「減らず口を…」
「もう良いよ、愛紗ちゃん」
「しかし桃香さま」
「この二人は最後まで袁紹さんの側に居た人たちだよ。最後まで側で袁紹さんのことを説得しようとした。それでも変わらなかったのは袁紹さんのせいであって、この人たちのせいじゃないよ」
部下が幾ら優秀で忠臣であっても、それを使う君主がその能力を扱えるほどの器でなければ意味がない。
この戦でそれを誰よりも知らされた私です。
一刀さんが居なければ、私だって袁紹さんみたいに破滅の道を歩んだかもしれません。
「袁紹さんが生きているとしたら、きっと一刀さんと曹操さんと一緒に居るはずだよ。一緒に探そう」
「……」
私が二人にそう言ったけど、二人の顔は暗いままでした。
そしてそう言っている私も大きな不安を抱いていました。
例え袁紹さんが曹操さんの後を追って一刀さんの居場所に辿り着いたとしても、最後に見せていた袁紹さんの姿を思い返せば、三人とも無事に居られるとはとても思えなかったのです。
「朱里ちゃん、典韋ちゃんは目が覚めたの?」
「まだ李典さんから報告は来ていません。目を覚ます次第で教えてくれるといっていました」
今の私たちは、一刀さんが一体にどこに居たのか判りません。
それを知っているのは恐らく典韋ちゃんだろうと思い、私たちは典韋さんが目覚めることを待って居るのでした。
だけど、時間は私たちにそう優しくありませんでした。
「そもそもあの炎の中で生きていられるのですか」
「信じがたいが、曹操殿は現に燃えている洛陽城に単身で乗り込んだ。北郷殿があそこに居たとしか思えん」
「曹操さんは覇王と呼ばれる人ですし、北郷さんを長い間知り合った人でもあります。曹操さんは恐らく洛陽に北郷さんが居ると確信しただけでなく、その居場所まで確定できたのだと思います」
雛里ちゃんが話を整理しました。
曹操さんは一刀さんの居場所を知ってそのまま洛陽に入った。
火の海だった洛陽に飛び込むことを覚悟しているとしても、場所を確定指定なければ犬死でしかない行動でした。逆に考えれば、曹操さんはそれほど確信があったのです。
「しかし一体どうやって」
「…曹操さんがあの典韋ちゃんが乗ってきた機械の中である紙切れを読んでいたよ」
「そこに居場所が書いてあったのでしょうか」
「ううん、内容は見れなかったけど、そんなに長い内容じゃなかった。せいぜい2,3文字ぐらい…それに居場所が書いてあるものだったら、曹操さんが私にも見せてくれたはずだし」
「……」
手詰まり…か。
やっぱり典韋ちゃんが起きるのを待つしかないのかな。
「まだ、一刀さんの居場所を知っている人が居るかもしれません」
その時、雛里ちゃんが言いました。
私たちの視線は皆雛里ちゃんに向きました。
「誰なの、雛里ちゃん?」
「北郷さんが洛陽に居る間ずっと一緒に居たはずの人。董卓軍の人たちです」
「董卓……」
「しかし、董卓はおろか洛陽の中には一人も居なかったぞ」
「既に避難していたでしょう。恐らく董卓も…そしてここに居ただろう皇帝陛下もです」
そう。
そういえば、ここは都。
そしてそもそも陛下を探して保護することは、この連合軍の最も大きな目標の一つでもありました。
「でも、董卓さんたちがどこに行ったかなんてわからないよ」
「董卓と陛下が向かう場所は一つしかありません。董卓の元の本拠地長安。そこに向かったはずです」
「桃香さま、私が行きましょう」
「戦っちゃだめだよ、愛紗ちゃん。あくまでここの状況を説明して、陛下にも董卓さんにも礼を以って接して」
「心得ました」
「余を探す必要はない」
「「「「!!」」」」
その時、その場に居た皆は私を含めて私たちが居た天幕に入ってくる人たちの姿を見ました。
「へ、陛下?」
「うむ、余が漢の皇帝だ」
「…はっ!」
一瞬対応が遅れましたけど、私は直ぐに立ち上がって陛下の前に礼をしました。
続いてそこに居た皆もその場に跪きました。
「劉玄徳は顔を上げるが良い」
陛下の許しを得て、私は顔を上げました。
「話は外から既に聞いておる。一刻を争う状況だが、先ず汝には礼を言わねばなるまい」
「!」
そして陛下の頭が徐々に下がるのを見て私はまた顔を下げました。
「陛下!顔を上げてください!私は何もしたことがありません」
「否、汝は余の願いを聞いてくれた。余と月のワガママを聞いてくれた。戦いをせず袁紹軍を制圧し、洛陽を業火の炎からも救い出した。汝の行った事の数々、天が汝を選んでいるとしか思えないことだった。余に残ったものは何もいない。だからこうして何時を礼を言おう。ありがとう、劉玄徳。ご苦労であった」
「陛下…!」
私はどうすればいいのか分からなくて、ただ、頭を上げず陛下と呼び続けました。
「陛下、もうその辺にしてください。劉備さんも困っています。それに急がなければ一刀さんが…」
その時、優しい声で陛下に気兼ねなくそう話す人が居ました。
「うむ、そうだな。劉玄徳、顔を上げろ」
顔を上げると、陛下の以外の人、侍女の服を着た女の子の姿が移りました。
「初めまして、劉備さま」
「あなたは…」
「私が…皆さんがそれほど探していた董卓です」
「!!」
董卓…!
こんな娘が…。
こんな小さい女の子を私たちは魔王呼ばわりしながら倒そうとしていたなんて……。
「…すみません、董卓さん」
「いいえ、謝らなければならないのは私です。私のせいで一刀さんは自ら危険に身を投じました。そして私たちは一刀さんを助けるためにこうして帰ってきたのです」
「それじゃ…陛下と董卓さんはやっぱり一刀さんの居場所を…」
「うむ、しかし、そこへの入り口は既に炎で崩れなくなってしまっただろう」
その話を聞いて私は顔を青くしました。
「心配するな。他にもあそこに行ける道がある。今からその場所を教える。張文遠」
「はっ」
汜水関の関門の上で見た張遼さんが前に出ました。
「一番はやい連中で用意しぃ。こうしてるうちにもアイツに何が起きてるか分からへんからな」
「…愛紗ちゃん、張遼さんと一緒に捜索隊の編成を」
「はっ!」
立ち上がった愛紗ちゃんは張遼と一緒に天幕を出ました。
「…玄徳、余が北郷一刀より授けた勅書を持っているか」
「は、はい」
「出すが良い」
私が勅書を陛下の前に挙げると、陛下はそれを受け取って火を持ってくるが良いと仰りました。
持ってきた蝋燭に勅書の玉璽の印があるべき空白を煎ると何もないところから玉璽の印章が浮かび上がりました。
「あ」
「北郷一刀が余に渡した、熱に反応して色を表す特殊な顔料を使ったものだ」
最初から…
「今思うと、火で反応するという仕掛けは、汝らにこうなることを未然に知らせるためのものだったのかも知れぬな」
「……気づけませんでした」
「良い。こんなもの誰でも分からぬ。ただの嫌がらせだ。だが、これで勅書は正式なものとなった。彼は汝にそれほどの資格があると言っていた。そして余もそう思っている」
この勅書には、私に河北のうち3州を任せるとの内容が書かれています。
ただの県令だった私が、一気に3州を治めるの群雄の一人になったのです。
「しかし勅書一つで汝に握っているものを渡すほど袁家は甘くない。そして、余には汝を手伝う力はない。その勅書の中にある汝の権利は、あくまで汝の力で手にしなければならない」
「…判っています」
一刀さんは私にその資格があると言いました。
それはつまり、この内容を実現させることこそが、一刀さんが私に与える新しい宿題であって、一刀さんの期待に私が応える唯一の道でもあるんです。
「陛下と一刀さんの期待に背かないように精一杯頑張ります」
「うむ」
一刀さん、私はまだ前に進みます。
だから、見ていてください。
私の姿を……。
凪SIDE
虎牢関の前。
今私たちは、袁紹軍の残兵たちの動きを警戒しながら兵たちに戦闘準備をさせていました。
「一体どういうつもりなのでしょう」
袁紹は既にここには居ません。
それでも軍は乱れることなく列を保ったまま、我々と同じくこちらを警戒しつつ、いえ、自分たち以外の連合軍の諸侯たちの軍を警戒しながら居ました。
「逃げる隙を見ているのよ」
「逃げる?」
桂花さまがそう仰るのを聞いて私は聞き返しました。
「今袁紹軍の位置は連合軍の中央。もし戦線を離脱しようとしたら、他の軍が逃げようとする自分たちを包囲して打つだろうから隙を見て弱いところを突破して逃げようとしているのよ」
「しかし、何故今更逃げようとしているのですか」
「既に袁紹の軍は壊滅したも同然だったはずよ。でもこの軍を見ると、袁紹が失った兵は本当にただの烏合の衆で過ぎない。こっちは恐らく袁家の元老たちの私兵ね。こっちはそれでも袁家にしては練度が高い方よ。もしこの軍勢が無事に南皮に戻ったら、袁家元老たちは袁紹を失ってもなんとか被害を最小限にしながら次の乱世に備えることが出来るわけ」
「こちらが袁家の本名の部隊というわけですか」
「それでも練度が比較的いいってだけで私たちに比するものではないわ。ただ鎧を金ピカにしてる黄巾党の上位観念よりはマシってだけ」
そうは言いつつも、桂花さまの顔には憂いが消えることはありませんでした。
「しかし、判らないわね。何故直ぐに行動に移らないのかしら」
「どういうことですか?」
「この連合軍の包囲網を突破するなら、突破口はひとつしかないわ。自分たちのように隙が多い袁術の兵よ」
「袁術…しかし、袁術には孫策が付いているのでは…」
「袁術が孫策を前に出して袁紹を受け止めようとするならそれこそ袁術にとっては詰みよ。孫策と周瑜がこの機を利用して袁術の軍を乱戦に巻き込んで袁術軍に更なる被害を負わせようをするに決まってるもの。もちろん、これは袁術の事情だし、やっぱり袁紹軍にしては孫策が気になりはするでしょうね」
「じゃあ…」
「でも対処は簡単よ。袁紹軍に頭が切れる奴が居るなら、袁術に賄賂を入れて通してもらうことが上策でしょう。まだ協商が続いているのかもしれないわね。袁術はそういうところ子供だからね。気分次第でどこに転ぶかわからないわ…いや待って、アレは何?」
「あれは…」
袁紹軍の陣の中から大きな火が上がっていることが判りました。
飯を炊いているとかそういうものではありませんでした。
アレは……
「兵糧を焼いてる……あ!」
桂花さまは何か気づいたみたいに私を振り向きました。
「袁紹軍の前衛には補給隊がないはずよ。奴らを犬死にするつもりよ」
「え?」
「洛陽に居る袁紹軍には兵糧がない。ついていった劉備軍にはもちろん数万の兵を養えるほどの兵糧がない。洛陽から奪うってのも…無理ね」
「それじゃあ…」
洛陽に居る袁紹軍の兵たちは全部飢え死です。
「どこまでも袁紹と前の兵たちを河北に戻らせないつもりね。河北袁家は既に袁紹を諦めているわ」
「しかし、何故兵糧を燃やす必要があるのですか。全部持って行った方が…」
「兵糧が少ないとその分速度が上がるからね。できるだけ早く戻って、あわよくばここにまだここに残ってる諸侯たちの領地に攻め入ることも考えてるでしょう」
「どうしますか?このままだと奴らは逃げてしまうでしょう」
しかし、それで曹操軍に何か害があるかと言えば、
そんなものはありません。
被害を受けるのはせいぜい袁紹軍の残った兵たちと、優しさのあまりに兵糧を分けるであろう劉備軍ぐらいです。他の利を考える連合軍の諸侯たちがそんなことをするとも思えません。
「……しかし、気に入らないわね」
「はい?」
「やり方が…汚いわ。そう思わない?」
「……」
「もし、華琳さまがここにいらしたなら、なんと仰ったでしょうね。もし……アイツが居たら、あいつらを放っておいたかしらね……」
桂花さまがそう呟いてる時、兵士が一人私たちが居るところに来ました。
「報告します。軍師さまに出会いたいと孫策軍の軍師が来ています」
「…来たわね。案内しなさい。あと私にそれ以上近づくんじゃないわよ。去勢するわよ」
「……?」
私は何も分からぬまま、兵士に案内させる桂花さまの後を追いました。
・・・
・・
・
「周公瑾だ。知っていると思うが、今袁紹軍の残党どもが自軍の兵糧を焼いている」
「見たわ。で、やるつもりね?」
「…お見通しだったのか」
「侮られるなんて心外ね。これでも先読みでは一人除いて負けない自信があるつもりよ」
孫策軍の軍師、周喩を軍議場に案内したところで桂花さまがまるで事前に話を合わせている人同士の会話のように話し合ってましたが、私には話が全く判りませんでした。
「では、長く説明する必要はないとして、代わりに何を望む?」
「袁紹軍に残った兵糧の七割」
「……判った。それぐらいなら飲もう」
「あの、伺っても宜しいでしょうか。私には何がなんだか…」
疑問を抑えられず、話の間を割って入ると、桂花さまが私に言いました。
「さっき袁紹軍の残兵が袁術と取引しているだろうと言ったでしょう?そこで袁紹軍の残兵は、残った自分たちのための兵糧以外を焼き払っている。これを機に孫策軍は思ったのよ。これで袁術を煽れば袁術はきっと袁紹の残党を打つ、ってね」
「そっちの軍師殿は既に知っているようだから説明しよう。我々は袁術の兵の数をこれ以上に減らしたい。そこで袁紹の残党が袁術に道を譲る代わりに多額の財宝を後日渡すという取引をしたことが判った。今孫策が袁術に兵糧を燃やしている袁紹軍の姿を見ながら袁術を煽っている。今持っている兵糧も燃やす奴らが後々の約束なんて守るはずがない。寧ろここで逃せば連合軍での失態の責任があなたに向くかもしれないと」
「それじゃ…袁術が袁紹軍の残党を攻めるというのですか?」
「無論、我々の軍が先鋒に立たされるだろう。だがあくまでも袁術が責任から逃れるために自分の手で袁紹軍を打たなければならない。実際連合軍で何の功も上げていない袁術だから更に焦るだろう。そこで我々は他の策を提示する」
「つまり、私たちと同盟を組んで、3つの軍で袁紹軍を包囲して袋叩きにする。そうすれば袁紹軍は三面から叩かれ、後ろには虎牢関が残されてるけど、今虎牢関を制圧しているのもまた私たちの軍。関門を閉じれば、そのまま袁紹軍は跡形もなく連合軍から消え去るわ」
まるで流れる水のように詰まるところもなく説明する桂花さまを見ながら私はこんな風に話していたもう一人の方の顔を思い浮かべました。
「説明はこれぐらいで良いかしら。凪、春蘭と張飛に袁術と孫策軍と同盟を組んだと伝えなさい。袁紹軍の残党を打つってね。私は残った話を済ませてからいくわ」
「わ、判りました」
私は急いで春蘭さまが居るところへ向かいました。
桂花SIDE
凪が行った後、私は周喩と話を続けた。
「私たちの軍は歩兵が主力よ。被害を抑えるには騎兵隊が必要になる」
「判って入るが、西涼の馬超とはあいにく接点がないし、公孫賛軍は袁紹の軍を打つことに罪悪感を持っている様子だったな」
「説得の仕方が間違っていたのではないの?」
「というと?」
「私やあなた達と違って彼らは利より義で動く連中よ。だから例え袁紹とは言っても、志を共にして戦った相手を打つことはしないでしょうね」
しかし、公孫賛は袁紹とは悪友の関係、動かすには劉備が居ないと駄目だけど……。
「あの二軍はこちらから説得しましょう。時間を頂戴」
「あまりに長引いてしまうと我らの得る利が薄くなる」
「判ってるわ。だけど、目の前の利に目が眩んでしまって兵に損害を受けてしまっては元も子もないからね」
周喩の言う通り長引いてしまったら得るものが少なくなる。
「準備が出来たらこちらから動くわ。あなたたちは袁術の方をお願い」
「了解した。では…」
周喩はそう言って場を後にした。
流石に必死なだけあって行動が早かったわね。
こちらは華琳さまが居ない分動くに戸惑いがあったとしても、相手の企みを気づくのが遅かった。
私もまだまだね……。
と
「こう時間を無駄にしてる暇はないわ」
私は直ぐに筆に墨を吸わせて西涼軍に送る手紙を書いた。
さっき周喩に言ったように、西涼軍は義で動く。
馬騰の娘馬超は君主としての実力は期待できないけれど、袁紹が軍議場で行った行動などを考えると袁紹に義がないことは一目瞭然。馬超があの馬騰の娘ならきっと動いてくれるはず。
後は公孫賛だけど…
「期待は薄いけど、あの娘に頼むしかないわね」
私は墨が乾いた紙を折って伝令に渡した。
「西涼軍の馬超にこの書信を。大至急よ」
「ははっ!」
伝令が急いでその場を去った後、私は凪の後が行ったであろう春蘭のところへ行った。
今春蘭の側には季衣と、そして凪と一緒に来ている、劉備軍のあのチビッ子猛将、張飛が居た。
・・・
・・
・
「桂花!」
軍の先鋒の方へ行くと春蘭が私のところに来た。
「凪から聞いた。主君を裏切った下郎どもだ。情けは無用だな」
「好きにしなさい。だけどこちらの被害は抑えて」
「ふん!我らが華琳さまの兵たちがあんな奴らに遅れを取るものか」
「まあ、そうだけどね。ところで、何なのこの修羅場は…」
私と春蘭が立っている場所は地面がまるで流琉と季衣が喧嘩している時のようにあっちこっちに地面が抉られた跡があった。
「手合わせするのは構わないけど、こんなに陣内を乱してどうするのよ」
「う、うるさい!ちょっと油断していただけだ!」
「は!?まさかあなた…!」
「な、何だその目は!」
まさか…こいつあの小娘に負けたわけじゃないでしょうね。
「言っておくが、私は我慢したんだぞ!戦ったのは季衣だ!」
「ああ、何だ。そういうこと。残念だったわね。あなたが見苦しくもあんな子供に負けてたら大声で笑ってやったのに」
「何だと貴様!」
「それはともかく!あのチビは今どこよ」
「鈴々を呼んだのだ?」
その時、張飛が向こうからぴょんぴょんと跳んできた。
「丁度良いわよ。あなたには悪いけど、今から公孫瓚のところにこれを渡してちょうだい」
「うにゃ?これは何なのだ」
「今から連合軍の皆が力を合わせて袁紹軍の残りを打つわ。だから公孫賛にも参加してもらうわよ」
「にゃ…それはあまり乗り気ではないのだ」
「何言ってるのよ。あいつらがあのまま帰ってしまったら一番困るのはあなたの姉よ」
「それはそうだけどお兄ちゃんが多分良しとしないのだ」
「……」
アイツね……。
何を企んでるのかは判らない。
前に華琳さまは自分のせいでアイツが死ぬかもしれないと焦っていらっしゃった。
そして今、アイツのことを華琳さまは自分の覇道と天秤に並べていらっしゃる。
もし後でアイツが華琳さまを一緒に帰ってくるとしたら私を責めるのかしら……。
知ったことじゃないわ。
「良いから行ってちょうだい。アイツなら今ここに居ないし、こっちにはこっちの都合があるのよ」
「にゃー、わかったのだ。あ、渡したら、公孫賛と一緒にあっちで戦ってもいいのだ?」
「あなたが楽なようにしなさい。こっちも将の数は少ないけど、どうせ他の軍の将に指揮を任せても従ってくれるかあやしいしね」
「わかったのだ。じゃあ、鈴々は行くのだ。馬は借りていくのだ」
張飛はそう言って適当にあそこにあった馬一頭に乗って行ってしまった。
「…なあ」
「何?」
ふと春蘭が不安そうな声を出した。
これから戦いだと言うのに先鋒に立つ奴がこれじゃ困るのだけどね。
「もし華琳さまがアイツを連れて帰って来られると…秋蘭はどうなるんだ」
「…判ってるでしょう?」
アイツが帰ってくるか否かと秋蘭の罰とはもはや関係のないものになっていた。秋蘭の罪はアイツがどうのこうの問題を越えて華琳さまの覇道を侮辱したことにあるのだから寧ろアイツが無事に帰ってきた方がまだ秋蘭が軽い懲罰で終わる可能性が高い。
でも、春蘭としては華琳さまの覇道を守ることが優先であるとしても、妹が心配にならないわけでもないってところね。
「私だってはっきりとは言えないわよ。だけど、華琳さまは罪を犯した者にはそれ相応の罰を与える。例えそれが秋蘭でも、そして私やあなたでもそれは同じよ」
「……そうだな」
「…本当に秋蘭のことを心配しているなら、あなたが彼女の分だけ暴れて来なさい。それで秋蘭の罰を軽くしてもらえるかもしれないからね」
「…判った。…ありがとう」
一瞬鳥肌が立った。
「ちょっ、やめなさいよね。あなたにそんなこと云われると夢に出てきそうで怖いわよ」
「なんだと!人がせっかく相談に乗ってくれた礼を言ってやったというのにその態度は何だ!やっぱり貴様のこともアイツと同じぐらい気に入らん!」
「アイツと比較しないでよ!最低な気分になっちゃうから!」
……
はぁ、もう。
早く華琳さまに会いたいわ。
そして……
華琳SIDE
どれだけ歩き続けたのかしら。
無視できない量の血を流した体はうまく動かないし、クラクラしてもう前が良く見えなかった。
もうそのうち出口が見えないと流石に駄目ね。
助けなんて来てくれるはずもないこの中で力尽きて倒れでもしたらこのまま白骨になるまで誰にも見つかることもなく忘れ去られるでしょう。
「……華琳」
「……」
「華琳」
「何よ…聞こえてるわよ」
「風を感じる」
「…そう」
「一度外に出たら、周りに何もなくても最悪服を燃やしてでも煙を上げたら、こっちに気づくはずだ」
「…そう」
力なく答えた私も弱いけれど外からの風を肌に感じた。
出口が直ぐそこだった。
「…一刀」
「何だ…」
「…いつから私は、あなたの『背中』に居たのかしら」
「…時間の感覚が曖昧だ。判らない」
「…一人で行かなかったのね」
途中で倒れたとしても、一人で最後までたどり着いて助けを呼んだ方が、確率的には両方とも無事に助かる可能性が高かったはず。
だけど彼は途中で倒れた私を見捨てず連れてきた。
「ありがとう。また私の前から消えたりしなくて」
彼は何も言わなかった。
杖が地面をつく音だけが規則的に聞こえてきた。
しばらくすると彼の脚が止まった。
「……華琳」
「…何?」
「今後俺がまたお前の前から消えるかもしれない」
「……」
「だけどどんな形ででも、俺は必ず帰ってくる。だからお前も俺の前から居なくなったりするな」
「…どこにも行かないわよ。私は……あなたこそ…」
また起きた時居なかったりしたら…
ゆるさ……から……
・・・
・・
・
……!
どれだけ目を閉じていた…!
「かずと…一刀!」
「おお、目ぇ覚めたんか?」
再び目が覚めた時、そこは臨時に建てられたような天幕の中で私の叫び声を聞いた入ってきた張遼が健気な声で私に応えた。
「気分はどうや?ここで出来る治療は一応やったらしいがな」
「…一刀はどこ?」
「……何や、目見えないんか?そんともただの節穴になっちまったん?」
「なんですって?」
だけど、直ぐに張遼がそう言うのも無理もないと知った。
一刀は私が寝ている寝床の横に近くくっつけた隣の寝床で眠っていた。
「ウチらがアンタら見つけた時にはアンタら二人とも入り口…アンタらにとっては出口やな、その洞窟のところで二人仲良く気絶してたで」
くっついている寝床の布団から出てきた彼のアザだらけの手が私の手を強く握っていた。
「ちょっ、何よ、これ」
「ああ、それな?何か気絶した後でも全然離れんでな。寝床二つをくっつけて寝かせたんや。そんとも何や、一緒の布団が良かったん?」
「ば、バカ言わないで頂戴!」
私が気絶している一刀の手を放つと、彼の腕は力無く下に落ちた。
「一刀!」
「安心しいな。死んでへん。ただ気力が底付きみたいでな。アンタも一緒やったんやけどな。何日様子見るしかないらしいで」
「……」
私は張遼の説明を聞いて一刀の顔を見た。
地下の暗闇の中では見えなかった血気を失った蒼白な彼の顔がはっきりと見えた。
知らない人が見たら屍だと言ってもそのまま信じてしまうほど、彼は弱っていた。
「…馬鹿」
最後まで…強がって……
私は地に落ちた一刀の手をこちらからぎゅっと握った。
「一刀……」
いつの間にか張遼も消えていて、しばらく私はそうやって一刀の手を握ったまま弱々しい吐息をはく彼の顔を見つめ続けた。
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この戦で彼女らは何を得たか、何を失ったか。
得たものは失ったものより大きいか、小さいか。
これだけは言える。
彼は、ついに欲しいものを再び手にしたのだと。
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