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真・恋姫無双二次創作~蒼穹の御遣い~第2部『Heart』第2話


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真・恋姫無双魏ルートアフター、第2部の続編です。

”このSSを読む上での注意ィィィィィィ!!”

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2013-04-26 17:44:50 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:7735   閲覧ユーザー数:6298

 

 

川遊びは、小さい頃からの数少ない楽しみの一つだった。

町に出るには許可が必要だった。時と場合によっては同行者をつけられた。物を買うにしても、食べるにしても、何に対しても誰かを仰ぎ、誰かを挟み、誰かを経なければならなかった。仕方のないことだと解ってはいても、当時の私にとって”孫”の一文字は自らの誇りであると同時に、

自分を縛り付ける枷のように思えてならなかった。こんな話をしたなら皆から、特に蓮華姉様はもの凄く怒るだろうけれど、そう思ってしまっていたという事実は今更どうしようもない。それに、今は殆ど過去形で表記して差し支えないくらいには思えているのだし。

兎に角、そんな私が気兼ねなく思うままに遊び回れる場所となると非常に限られていた。遊びたい盛りの子供を机に縫いつけてひたすら読み書きの繰り返しなど、一種の拷問にも等しい。ただでさえ小言を何度も何度も、それこそ耳にたこが出来るほど畳みかけてくる皆がいる城は論外。町中は主に先述の理由で除外。となれば、自ずとこの裏手の森に限られた。気にしなければならない人目もないし、領内であるこの森なら自分に手を出そうとするような不貞の輩が出る心配も、まぁ完全にとは言い切れないが、そうはない。それに、何よりも、

 

「あなた達を街には連れていけないものね、周々、善々」

 

春先の昼下がり。視線の先、川の畔で日光浴に耽っている虎の周々と、のそのそと笹を食べている大熊猫(パンダ)の善々を見る。この子達は私にとって家族であり、兄弟であり、親友だ。お父様とは私が赤ちゃんの頃に死に別れ、お母様やお姉様達は政務に軍事にと奔走していたために、昔の私は”自分なんていてもいなくても変わらない”なんて馬鹿げた考えを割と本気で信じていたりもした。そんな私の寂しさを紛らわせてくれたのがこの子達だ。まだ抱きかかえられるほどの大きさでしかなかったこの子達を保護してから、もう何年になるだろう。親とはぐれたのか、死に別れたのか、どちらにせよ衰弱しきって倒れていたこの子達を、当時からお目付け役だった祭と一緒に連れて帰って医者に診せて、私が面倒を見るんだって言い張って、

 

「懐かしいなぁ」

 

私の腕の中にすっぽりと収まっていたはずのその身体は、今や私を優に上回り、上に跨ってもなんともないほどに成長した。動物の成長は人間のそれよりも遙かに早いとはいえ、ここまで立派に育つと護衛としても頼もしく、また単純に嬉しくもある。でも、その反面で、

 

「……」

 

沐浴を楽しんでいた自分の裸身を見下ろす。成長期の一年間にしては期待以上の成果を得るには至らなかった。微かに膨らみはしたものの、やはり足下を容易に見下ろせてしまう、貧乳党離党の日はほど遠い胸元。手入れを欠かさない自慢の肌は褐色ながら瑞々しく細やかな肌理を保っているし、身体の均整にも自信はある。しかし、乳房は女性の最大の特徴である。母性、包容力、寛容さ、その他諸々、俗に”魅力”と言われるものがこれでもかと詰め込まれているものであると、少なくとも彼女は考えていた。

身長こそ順当に伸びてはいる。明命や亞沙と競い合っては一喜一憂の日々。先日はほんのちょっぴりではあるけど、遂に明命を見下ろすことが出来てひとしおの感慨を覚えた事は未だ記憶に新しい。でも、やはり、一番欲しいものはそう簡単には手に入らないのが世の常で、

 

「はぁ……」

 

身体を沈め、全身を余すところなく流れに浸す。丁度、大の字に寝転がって天を眺めているような、そんな体勢。はしたない、と諫められても文句の言えない、あられもない姿。普段なら絶対にしない、できない、そんなありのままをさらけ出した、本当の自分。

 

「見せる相手もいないんだけどね~」

 

考えた事はある。いつか自分の前にも素敵な異性が現れて、手に手を取り合って幸せな家庭を築いて、というありきたりな未来予想図。女の子なら一度は通る道だろう。ましてや、恋や愛に多感なお年頃なら尚の事。蓮華姉様は”尻軽”だとか”不謹慎”だなんてよく言うけれど、

 

「お姉様達の方がおかしいんだよ」

 

来る日も来る日も仕事、仕事、仕事。忙しいのは確かに解るし、それを疎かにしろ、なんて言うつもりは当然ないけれど、それにしたってうちの家系は余りにも”そういった物事”に疎すぎる。そもそも、自分への投資を全然しない。素材はいいのだから、少しは自分磨きを覚えればいいのだ。そういった点では、本という趣味のある穏の方が、難点こそあるけれどまだ健全というものだ。明命は言わずもがな猫好きだし、最近の亞莎は胡麻団子だけでなく、他の甘味にも興味が沸き初めているようだし。

 

「お酒も悪くないけど、お仕事を恋人にするのはねぇ」

 

誰に問いかけるでもなく、半眼でつまらなさそうに虚空へと呟く。自分に正直に生きている雪蓮姉様ならまだしも、蓮華姉様は少し融通が効かなさすぎると思うのは私だけじゃなく、多分孫呉全員に共通の見解だ。それは決して悪いことではないけれど、同時にいいことばかりでもない。少なくとも、あのままでは。

 

「下地はいいのになぁ。勿体なぁい」

 

その気になれば、女としての悦びを簡単に手に入れられるのに、それをしない。私からすれば、その方がよっぽど罪だ。世の中にはそうなりたくてもなれない人が大勢いる。いかに上等な原石だとしても、磨かなければ輝きは宿らない。

 

「はぁ~あ、華琳達が羨ましいなぁ」

 

魏国の娘達は、一人残らず皆、恋をしている。同世代の女の子達にとっての当たり前を、他ならぬ青い春の真っ盛りを、謳歌している。遠距離恋愛は悲恋に終わる事が多いらしいけれど、あの娘達に辛そうな様子には見られない。まぁ、皆の場合、正確には遠距離どころじゃないんだけど。

 

「あの春蘭でさえ、女の子してるっていうのに」

 

最近”あの”夏候惇が料理に執心らしい。最初は余りにも独創的がすぎて最早”毒葬”の領域に至っていたのだが、近頃の彼女の料理はなんともはや、ちゃんと食べられるものになりつつあるらしい。未だに味付けが濃すぎたり、素材の切り方が大きすぎたり、火の通りが強すぎたりといった失敗はあるようだが、当初に比べれば些末な、実に微笑ましい類である。

なんでも本人曰く”今度こそ、アイツの舌を満足させてやる”だそうだ。

 

「アイツ、かぁ」

 

魏国に行けば必ず一度は耳にする名前。それは城のみならず、街の末端に至るまで、幼い子供達の間ですらも常識然と知れ渡っている”とある男性”を指す呼称。魏国で知らないものは”モグリ”とまで言われるその男の名は、

 

「北郷、一刀さん」

 

天の御遣い。警備隊隊長。曹操の愛人。魏国の種馬。数々の二つ名を持つその人こそ、うら若き乙女達の愛を一身に受ける果報者である。

約一年前。赤壁の戦い、その結末にて史実、私達でいうところの”未来”をねじ曲げ、その代償として存在そのものを赦されず”この世界”から姿を消した男。それが全て、愛する彼女達を守るためだというのだから、それほど自分を想ってくれる異性に出会えるなんて、女冥利に尽きるというものだ。

 

「どんな人、なのかなぁ」

 

軟派と言う人もいれば、硬派と言う人もいる。軟弱と言う人もいれば、頑強と言う人もいる。しかし、誰もが共通して”彼に出会えてよかった”と言うのだ。自信、目標、強さ、誇り。彼が自分達にくれたものは、それこそ数え切れないほどだ、と。

 

「会えるなら、会ってみたいかなぁ」

 

微笑み、思いを馳せる。彼がもし、孫呉の元へ訪れていたなら、今頃どうなっていただろう。

近くにそんなに凄い異性がいたなら、意識しないはずがない。きっと、蓮華姉様だけじゃなく、雪蓮姉様も少しはお酒を控えたりし始めるに違いない。穏が本以上に、明命が猫以上に夢中になったりするかもしれない。祭や思春なんかも、可愛い服や香水なんかに手を出したりして、

 

「あははっ」

 

そんな姿を想像して、思わず吹き出してしまう。そして、

 

「……私って、どう思われるのかな?」

 

華琳だけじゃなく桂花や季衣、琉流も抱いた人だ、私が射程範囲外という事は、多分ないと思う。自惚れる積もりじゃないけど不細工じゃないし、髪や肌だって綺麗な自信はある。

 

「まぁ、お姉様達ほど、胸やお尻はないけど……」

 

自分の身体を見下ろして、再び嘆息。

どうして一向に成長の兆しを見せないのだろう。確かに身長は伸びているけど、時折本当にお姉様達と同じ血が流れているのか疑いたくなる。髪や瞳の色は全くもって同じなのだから、本当に疑う余地はないのだけれど。

 

「毎日”まっさぁじ”だってしてるし、牛のお乳だって飲むようにしてるのに」

 

これは華琳に聞いた方法だ。何でも”天”で胸を大きくするのはこうするといいらしい、というものが幾つかあり、その中から簡単にできるものを教えてもらった。少なくとも季衣と琉流はこれで、ほんの少しだけど成長したらしい。

 

「むぅ……」

 

唇を尖らせ、膨らみかけの胸を掌で包み込む。すっぽりと完全に覆い尽くせてしまう小ささ。正直、少し空しい。

 

「やっぱり、恋しなきゃ駄目なのかなぁ」

 

私と季衣達に差があるとしたらそこだ。想い人がいるか否か。女は恋をすると綺麗になる、とはよく聞くし、あの娘達が会う度にどこか可愛らしく見えてきているのは錯覚ではないと思う。

強い想いは人を変える。その変化は、得てして劇的だ。なにも恋愛に限ったことではないが、恋愛が最も代表的であることは間違いない。そして、やはり女として生まれた以上は、身を焦がすほどに燃え上がる恋心に全てを委ねてみたい。

と、その時だった。

 

「―――え?」

 

それは、あまりに鮮烈で美麗な閃光の道標だった。真昼の空にあって尚、それは太陽にも負けず劣らずに恒々と輝いていた。

瞼と鼓膜に強烈な余韻を刻み込みながら視界を横断したその帚星は数瞬後、地震のような大地の揺らめきと、噴火のような衝撃を帯びた爆音を鳴らして、青緑の木々の中へと吸い込まれていった。舞い上がる鳥達の影と羽音。ここからさして、遠くはなかった。

 

「っ、周々っ!! 善々っ!!」

 

既にそれぞれ目を覚まし、食事を終えていた二匹に声をかけると、周々が跨りやすいように身を屈めてくれる。川面から跳ねるように上がり、水分を拭うのも忘れて掴みあげた服を着ると、その背に飛び乗って、

 

「行ってっ!!」

 

ごちゃごちゃした説明はいらない。以心伝心。竹馬の友、人馬一体なんて言うけれど、騎乗するのが虎の場合は適用されるのだろうか、なんて馬鹿げた考えが一瞬頭に浮かぶけれど、今はそんなことはどうでもいい。

私の意志を汲み取って、周々はしなやかな四肢を最大限に使って、足場と視界の悪い草木の隙間を縫うように駆け抜ける。その道筋を辿るように、善々が力強い体格を利用して邪魔な枝葉を吹き飛ばしながら後をついてくる。

 

(嘘、まさか、そんな)

 

逆接ばかりで埋め尽くされていく脳内で、彼女は思いだしていた。最も付き合いの長い華琳、春蘭、秋蘭の三人によれば、”彼”と初めて出会った日も、やはり流星を見たという。日中に見るというだけでも希少なそれが、これほど近くに炸裂する。そして同時に、最近になって耳にした”とある噂”を反芻していた。

 

曰く、”天の御遣いは再臨する”

 

自然と、気は急いていた。周々がこれ以上速くは走れないことを知りながら、それでも尚、更に速くと考える自分がいることを、他ならぬ彼女自身が自覚していなかった。

何かが始まる。何かが変わる。明確な展望もないままに、しかし彼女の心の臓は、少なからずの期待からくる高鳴りを隠しきれずにいるのだった。

 

 

大分、茂みの密集具合が増してきた。入り組むどころでなく、詰め込まれたように隙間一つなく生える木々。見晴らしも悪く、泥濘や段差、凹凸の激しさで足を掬われそうになることも多くなり、流石の周々も思うように進めず、足取りは明らかに鈍っている。

 

(あぁもう、邪魔っ!!)

 

苛立ちが募る。無理もないと分かっていながら、無理だと分かっていながら、この煩わしい現状の打破を試みようとしてしまう。下手をすれば怪我どころか遭難の可能性もあるということが解らない歳でもないのに、今の彼女の頭はそれを考えることを止めていた。それよりも遙かに”あの流星の正体を確かめる”という行動が、他の何をさしおいても最優先事項とされていた。

いつしか自然と、隊列は入れ替わっていた。周々は後ろへと下がり、善々が逞しい前脚で生い茂る深緑をかき分け道を切り拓く。それほどまでに、彼女はあの流星に引かれていた。物理的にも、精神的にも。それが何故かも、解らないというのに。

 

(どうして、こんなに気になるんだろう……?)

 

ふと、思った。仮に流星の正体が件の御遣いだったとして、自分はどうするつもりなのだろうか。さっさと魏国に帰ってやれ、と背中を押すのだろうか。それとも滞在していってくれ、と頼むのだろうか。それは何故か。何の為か。

今の彼女の姿は滅茶苦茶になっていた。水気を拭おうともせずに身につけた服は肌にぴっちりと張り付き、泥や木の葉がまとわりついて、まるで年端もいかない少年達が泥遊びを終えた後のようだった。髪も随分と汚れてしまっている。直ぐにでも清潔な水で洗い流してしまいたい。風呂に浸かれるならそれが最も望ましい。

 

「御免ね周々、善々。思いつきでこんなことに付き合わせちゃって」

 

労いの言葉が自然と漏れ出ていた。毛並みを撫でながらのそれに、二匹は”気にするな”と言わんばかりに小さく吠える。それを、彼女はとても嬉しく思った。

と、

 

「・・・・・・?」

 

草むらからがさがさと何かの蠢く音。断続的に続くそれは少しずつ大きくなり、それにつれて何かの気配がこちらに近づいてくるのが解った。

やがてそれが傍らを通り過ぎて行った時、擦れ違いざまにその正体が見えて、

 

「兎?」

 

はたと気づく。近づいてくる気配は一つではなかった。自分達には目もくれず通り過ぎていくのは兎だけでなく、鼠や栗鼠(リス)などの小動物達。見上げれば、やはり多くの鳥達が真上を滑っていくのが見えた。

 

「さっきの音にびっくりして逃げてきたのかしら?」

 

と、

 

―――ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!

 

「っ!?」

 

轟く咆哮。それなりの体格がなくては出せない重低音。腹の底を震わせるような、威嚇などとうに通り越して闘争心を剥き出しにした示威行為。

そして、

 

「っ、周々っ!! 善々っ!! 逃げるよっ!!」

 

視界の奥に巨大な影を見つけた次の瞬間に即座にそう告げられる辺り、彼女もまた孫家の娘である何よりの証明である。影の正体は、大猪であった。この時期は冬眠から目覚めて間もない為、そこまで気性を荒ぶらせるような時期ではないのだが、十中八九先ほどの衝撃で何か激昂させてしまうような事態が起こってしまったのだろう。大人一人分は優に越えた巨躯を猛らせ、唸り声を上げながら真っ直ぐにこちらへと向かってくる。その進路から逃れようと、周々と善々に指示を出した声に気づいたのか、

 

「嘘でしょ!? なんでこっちに来るのよぉ!!」

 

最早高ぶりを鎮められるならどうでもいいのか、既に理性すら吹き飛んでいるのか、向ける先のない矛先が何故かこちらを捉えていた。

正に読んで字の如く猪突猛進。障害物を避けて蛇行しなければならないこちらと違い、圧倒的な馬力でものともせずに直進できる向こうの方が、速度の軍配は上がるに決まっている。じわじわと縮む距離に比例して加速する焦燥感。得物である月下美人は置いてきてしまっているし、持っていたとしてあんな野獣とまともに戦えるような腕は、少なくとも今はまだ、ない。

 

(あぁもう!! もう少しまともに訓練受けておくんだったぁ!!)

 

脳裏に浮かぶ、小覇王とまで謳われた長女の背中が、今ほど眩しく思えたことはない。ここで終わってしまうのだろうか。ふと思い浮かべてしまう悲運にかぶりを振って、

 

その、次の瞬間だった。

 

 

 

―――――バサッ

 

 

 

「……え?」

 

振り返った視界に、宙を舞う大きな布。外套だと、数瞬遅れて気がつく。誰かが、そこにいた。

 

バオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!

 

雄叫びを上げて突っ込む猪、その進路上。正に自分達を庇うようにその人影はそこにいたのである。

 

「あ、危ないって!!」

 

とっさにそう声をかけるのは当たり前のことだろう。その人物に見覚えはないし、端から見ても屈強とは言い難い体格。恐らく、藁屑も同然に弾き飛ばされるか、粘土細工のように踏みつぶされるか、だろう。姉様達のように腕に覚えがあるならまだ解るが、この一瞬で相手の実力を測り知れるほど、私自身に経験はない。何より、自分の失態に見知らぬ人間を巻き込みたくなかった。自分でこんな場所に踏み込んでしまった結果なのだ、自分でなんとかできるならそうしたいし、それで他人に怪我されるのは非常に目覚めが悪い。

そう、思っていたのだが、

 

チャキッ

 

外套の人物が取り出したのは、なにやら黒光りする鉄製らしき棒状の得物だった。見たことのない形状だったが、持ち手の部分には円盤状の板が付けられていることから、恐らく剣の類であろうと推察できた。そして瞬時にそれを抜き放つと、

 

「っ」

 

息を呑んだ。それほどまでに、その刃は美麗であった。曇り一つない怜悧な白銀の刀身。僅かに歪曲したそれは、鋭く尖った三日月のようでもあった。

その柄を両手で握りしめ、外套の人物は大猪へと突撃する。まさか、あんな細身の剣で受け止める気だろうか。だとしたなら、正気の沙汰ではない。得物ごと全身の骨を粉々に砕かれるのが落ちだ。あまりに危険すぎる。

しかし、止めようにもその人物は止まらない。身を屈め、走狗のように地を這うほどに低い体勢。そのまま、引き絞った弓から放たれる矢のような疾走。やがて、その刀身はくるりと上下を翻され、

 

「―――えっ!?」

 

その刀身―――正確にはその峰が捉えたのは猪の側頭部。そのまま擦れ違うように外套の人物は大猪の傍らを駆け抜け、対して大猪の巨躯は大岩にぶつかった流水のように横へと逸れ、そのまま轟音を響かせながら地を滑ったのである。

 

(受け流した!? あんな一瞬で!?)

 

信じられないが、そうとしか考えられない。今、目の前で起きた現象を説明するには、そうと言う他に全く以て適切な言葉が思い浮かばないのである。風に揺れる柳や綿毛のように、それはあまりに流麗だった。下手に力を加えては絶対に成し得ない、言うなればそれは弱者故の技術。地に根を張りどっしりと山のように構えるのでなく、何度踏み締められても頭を垂れずに生い茂るしなやかな雑草のような”柔”の逞しさ。今の一瞬だけで、外套の人物が卓越した技術の持ち主であることは、素人目にも明らかだったのである。あれだけ細く薄い、いかにも脆そうな刃を折るどころか罅割れすらさせずにあの巨体を捌いてみせたのが、何よりの証明である。

 

「……」

 

微動だにしない巨体を見下ろしながら、外套の人物はその刀剣を鞘にしまう。刃を立てていなかったから、十中八九致命傷は負わせていないと思うが、あれだけの勢いのままに前のめりに転倒したのだ、脳髄への衝撃は相当なものだっただろう。四肢どころか目や耳、鼻さえぴくりとも動かさない大猪を見て呆然としている私に、

 

「大丈夫ですか?」

 

それは、思っていた以上に穏やかな男性の声だった。呼吸一つ乱していないそれは、余りに自然に鼓膜を柔らかく擽り、心にじんわりと浸透した。雨上がりの澄んだ空気のように、朝露の一滴のように、その言葉は彼女の焦燥と火照りを鎮め、この短時間で疲労しきっていた心を緩やかに静めてくれるものだった。

 

「どうやら、無事のようですね。よかった」

 

そう言って、その男性は外套の頭巾を外した。

歳は自分より一回りほど上だろうか、と彼女は思った。顔立ちや声色、所作や佇まいから大凡で割り出したものだが、概ね間違っていないだろう。外套の隙間から見える衣服には見覚えがなかった。上着は白雲のように真っ白な、染み一つない衣で、本来は襟元をきっちりと締めるためのものなのだろう紺色の細長い布地を今は撓ませ、首元に余裕を持たせている。対して下半身、履いているのは上着と相対するように真っ黒な下履きだった。飲み込まれそうなほどの、夜空のような黒。履いている靴は動物の革で作られているのだろうか、これまた光沢を放つ綺麗な黒。言動と相まって、非常に落ち着いた印象を受ける。先ほどの大立ち回りをやってのけた人物と同一とは、普通なら到底思いつかないだろう。

そして、何よりも、

 

「…………」

「どうかしましたか?」

「えっ!? あ、えと、なんでも」

 

目を奪われた。放つことができなかった。こちらが無事だと解るや否や見せた、まるで幼子のように無邪気な微笑みに。人とは、こんなにも綺麗に笑えるものなのか、と一種の感心さえ覚えた。それほどまでに、彼の笑顔は不釣り合いで、でありながら何の違和感も感じさせなかった。

そして、

ファサッ

 

「へ?」

 

男性は外套をおもむろに脱ぎ、彼女に被せた。首から下を覆い隠すように着せられたそれの、若干の残り香と体温がほんのりと彼女を包み込む。

 

(っ!?)

 

そして、思い出す。今の自分の格好を。

髪は乱れて埃まみれ。水気を吸った衣服は肌に張り付き、身体の輪郭を浮き彫りにしている上、枝葉や泥がまとわりついていて、お世辞にも清潔とは言い難かった。彼は、気遣ってくれたのだ。それが嬉しくもあり、同時に非常に恥ずかしくもあった。

自分の身体を抱きしめて縮こまろうとするものの、今も彼女は愛馬ならぬ愛虎に跨っている状態である。身を屈めたところで、相対的な視線の位置はさして変わらないし、彼の視界から逃れ切れようはずもない。

そんな彼女の跨る周々を、初対面でありながら全く恐れていないのか、彼は視線を合わせるように顔の前にしゃがみ込んで、

 

「二匹とも随分大人しいですね。貴女が飼ってらっしゃるんですか?」

「あ、えと、家族です、私の」

「っと、それは失礼しました。名前は何と言うんですか?」

「しゅ、周々です。この子は、善々」

 

普段滅多に使わない敬語が、とっさに口をついて出てしまう。いつぶりに使っただろうか。そりゃあ一年前に比べればその機会は増えたし、体面も気にするようにはなったけれど、やっぱり未だに慣れないままでいる。城内ではくだけた言葉遣いになるし”慎みを覚えなさい”と蓮華姉様や祭にも時折指摘を受ける。

だというのに、今の私はどういうことだろう?

大抵の人間は初対面で恐れ慄き、中には腰を抜かして失禁してしまう者すらいる周々を、まるで子猫でもあやしているかのように優しい眼差しで首元を撫で、ごろごろと喉を鳴らせていたかと思うと、今度は善々の掌をじっと見つめては毛並みを確かめるように指でそっと梳いたりしている、この男性。なんとも不思議な気分だ。凪いでいるはずの心の中に、何処か高揚感を覚えている。血流が上昇し、頬が赤くなっていると自覚する。先ほどから微かに鼻孔を擽る彼の匂いが、思考回路を麻痺させる。

これは一体、どういうことなのだろう?

 

「―――ぉ~ぃ!!」

「っと。鎧さんっ、こっちです!!」

 

遠くから聞こえる呼び声に男性が振り向き、大きく手を振った。視線の先を追うと、この一年ですっかり顔なじみになった男の姿が見えた。

 

「華陀?」

「っと、孫尚香じゃないか。久しぶりだな。ってことは、襲われてたのは彼女だったのか」

「どうやらそのようです。申し訳ありませんでした、その、ソンショウコウさん……あれ、ソンショウコウ?まさか、孫尚香?」

 

どうして彼が謝るのだろう。目の前で小声で何やらぶつぶつと呟きだす彼にも気付かないまま、訳も分からず、何から問えばいいのかも覚束ず、取りあえず口をついて出たのは、

 

「華陀、彼と知り合いなの?」

「あ~……あぁ、まぁな。旅の途中で出来た親友だ」

 

一瞬言い淀んだ理由が気にはなったが、それ以上に彼への興味が圧倒的に凌駕していた。故に、次いで真っ先に尋ねた疑問は、

 

「貴方、名前はなんて言うの?」

 

彼は暫く逡巡するように視線を少し虚空で巡らせた後、ゆっくりとこう答えた。

 

 

 

 

 

「私の名前は―――」

 

これが、私と彼の初めての出会いだった。

 

 

 

(続)

 

後書きです、ハイ

 

皆様、いかがお過ごしあそばせられていやがられますでしょうか? もう4月も終わるというのに三寒四温でフリースやコートが手放せない蝦夷は当に公式キャッチフレーズのごとく「試される大地」と化しております。熱帯雨林育ちの西ローランドゴリラ(学名ゴリラゴリラゴリラ)には少々きつい環境……誰か”ひでり”キュウコンを私にくれないか。代わりに私の6Vドーブルやるから(ォィ

大学院生活も始まり、実験も本格化。遺伝子なんていう七面倒くさい物質の研究に勤しんでおりまして、連日引きこもりのような日々。時折仲間内でやるTRPGやカラオケが心のオアシス。休日に鋼・岩・地面統一パでオンラインに潜るのもまた一興(勝率はほぼ5分)。無論、TINAMIの皆様のSSも、ですが。

 

はてさて、

 

久々の更新はこっちでした。”盲目”は恐らく次になります。最近の創作活動はTRPGのシナリオ作成だったり、サークル新人歓迎の部誌作りだったりとアナログなことが多かったのでこっちは実に久々。どうです? 更に「 」少なくなっているでしょうwwもういっそこのまま突っ切ってやろうと思っております昨今です。無論、脳内で恋姫SSのプロットもじゃんじゃん練っておりますDEATH。

いよいよもってこのSSでも恋姫と絡み始める訳ですが、暫く巍の皆は直接絡むことはないでせう(予測)。出てきても同時系列で別の場所だったり回想だったりだろうなぁ……まぁ、その分出番はちゃんと作りますのでご安心を。

ちなみに現時点の一刀ですが、描写で概ね解ったと思いますが、スーツスタイル@カーディガンという典型的な司書です。ハイ、この格好で爺ちゃんとの真剣勝負してましたww ネクタイは紺色。所有物は今のところ薩摩刀と思い出のジッポライターのみ。二人が呉を訪れた理由の詳細は次回。……まぁお手数かも知れませぬが、過去の更新を再確認して下されば大体見当はつくと思います。

さて、新たな”一刀”が歩むのはやはり同じ道なのか、それとも……

次の更新はいつになるかなぁ、とか不確定の未来に思いを馳せながら、今回はこの辺で。

でわでわノシ

 

 

 

 

…………アタタタタタタタタタタタタめますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あぁ、そうそう。

実は今、TINAMIでのちょっとしたSS企画を考案中。来月半ばにはお知らせできると思います。

今回はちと規制多めでガチの書き物をしていただこうと思っております。

お楽しみに。

それでは、今度こそ。

アディオス・アミーゴ(▼盆▼)b<URYYYYY!!

 


 
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