No.569578

北郷一刀の奮闘記 第十三話

y-skさん

第十三話でございます。
そろそろ恋姫落語もやりたいところ。

今更ですが、向朗の真名を考えて頂いた比良坂様、ありがとうございます。

2013-04-24 23:55:25 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:2893   閲覧ユーザー数:2516

吹き抜ける風は爽やかな夏の香りを帯びている。高く高く、どこまでも突き抜けていく空は、その果てを感じさせることがない。

空の青を泳ぐ白い雲は、ふわふわと形を変えながら気ままに自由を謳歌しているように思えた。

踏みしめる大地には新緑の光を放つ草木が茂り、もっと、もっとと、太陽へ向けて背を伸ばしている。

一面に広がる緑の絨毯の上を彼女たちは跳ね回り、転がるように駆けていく。行く先から少女特有のからからとした笑い声が響いていた。

隣を歩く先生は目を細めて空を見る。

 

「天気が良いと気持ちがいいですね。」

 

そうですね、と俺は丈の長いスカートを、風に捲られないようにと抑えながら返した。

 

 

思い返すは今朝のことである。

いつものように朝食を終えて教室へと向かうと、室内は既に夏の日差しよりも熱気に包まれていた。

 

今日は早いんだねと、出入り口付近にいる少女へと声をかける。

 

「はい。今日は制服が渡される日ですから。」

 

そう、楽しそうに笑う彼女が姿を見せるのは、普段ならば始業時刻間近になってからである。

頑張って早起きしたんです、と鼻高々に言う少女に、いつも頑張って欲しいと思ってしまったのは仕方のないことであろう。

 

「もう、知っていたの?」

 

「昨日友だちが教えてくれたんですよ。」

 

まぁ、その子は、運んで来た男の子が格好良かったって、そっちにばかり騒いでましたけど。

 

思いもよらぬ言葉を続けた少女に、苦笑いで応じる羽目となった。

 

 

制服を単福が運び入れたのは昨日のことである。

友人というのはあの場に居た誰かなのだろうが、余りに情報が早い。

見れば既にクラスメイト全員が揃っていた。楽隊も尻尾を巻いて逃げ出すような賑やかさである。

その友人たちは、真っ直ぐに家路を辿らずに知り合いの家を片っ端から尋ね回ったのではないだろうか。

 

「何とも元気なことで。」

 

自分の頰を撫でながら独り言つ。

 

熱気に当てられ、席へと向かうのを躊躇していると、一人の少女がぱたぱたと駆け寄ってきた。

駆け寄って駆け寄って、充分に速度がついたままに止まる気配もなく。

向巨達は勢いをそのまま飛びかかってきた。

 

 

いくら小柄な彼女とはいえ、その衝撃は決して軽いものではない。

さらさらと、青い髪を靡かせた頭が直撃した胸部に、鈍い痛みを覚えながらも何とか倒れずに踏み留まる。

腹部の辺りに、何か、とてつもなく柔らかなモノが押し付けられたような気もしたが、正直それどころではない。

胸骨を突き抜け、肺にまでも達した衝撃に、思わずごほごほと咽返る。

綺麗な髪を汚さないように、と口元へ手を向かわせることにはどうにか成功した。

勢いに任せた右手の、親指の骨で鼻を痛打したこと除けば、の話である。

 

 

「ああ、済みません! 大丈夫ですか?」

 

はっとしたように離れた彼女へ、軽く左手を上げて答える。

涙目で、咽ながらである。

全く大丈夫では無かったが、そうする他になかった。

 

 

「だから危ないって言ったじゃないですか!」

 

少し離れた所から声が上がる。丁度、向朗が駆け始めた辺りであった。

諸葛孔明である。

彼女もまた、こちらへと駆け出そうとしていた。側に居た鳳士元も続く。

 

 

さて、良くない出来事というものは、得てして重なるものである。

これまでの人生経験――とは言え、古くは人間五十年とされたその半分、四半世紀にも遠く及ばないが――から学んだことである。

 

まさに今、咽た挙句鼻を打った男がいるのだから、それなりに信憑性はあろう。

嫌な予感が犇犇と。

背筋から、心臓を通り、喉を伝って口を衝く。気を付けてと、言葉にすれどももう遅い。

 

 

二歩三歩。四歩五歩。

 

六歩目出したら躓いて、びたんと孔明倒れ伏す。

続く士元は驚いて、倒れた孔明躱せずに。

あわわと縺れて転がった。

 

 

やっぱりと言うか、思った通りと言うか、大惨事である。

 

それでも。

だいじょうぶですか、と涙声でこちらを気遣う二人は、よく出来た子で優しい子であった。

 

 

「とりあえず、こんな狭い所で走ったらあぶないよ。」

 

ちびっ子三人組に声をかける。

今日は偶々です、そう孔明ちゃんは言うと視線を巨達ちゃんへと向けた。

 

「それより、礼里ちゃんこそ飛びついちゃ駄目じゃないですか。私、危ないって言いましたよね?」

 

腰に手を当て凄んで見せるも、その背丈のせいで、幼子が精一杯背伸びをしているように思えて仕方がない。その光景といったら大変微笑ましいものであった。

とはいえ彼女の言い分は最もであり、礼里と呼ばれた少女、巨達ちゃんは後ろめたさもあってか肩を落としている。

 

「まぁ、その辺に、ね? こっちは何とも無かったし。巨達ちゃんは平気だった?」

 

「はい。私は大丈夫ですが……。済みませんでした。お姉さまも、本当にお怪我はありませんか?」

 

項垂れたままに言う彼女へ、平気だから心配しないでと返す。それでもその表情は晴れることはない。

仕方ないなと彼女の髪を左手で柔らかく撫でてやる。

「わっわっ」と声を漏らす向朗に、今は徐庶だからと、半ば言い訳じみた、気休めの言葉を言い聞かせる。

女の子が女の子に触れても何ら問題はないと。

 

 

「も、もう大丈夫ですからっ!」

 

暫し、無心で撫でることに集中していると、酷く慌てた様子で巨達ちゃんは離れていった。

その顔は羞恥の余りか真っ赤に染まっており、仕草もわたわたと忙しない。

 

やっぱり、さらさらなんだなぁ……。

 

心地の良い感触を名残惜しく思い左手を見つめる。

男のそれと違い、細く柔らかな毛髪は絹糸のように流れ、指先に引っ掛かりを覚えることなく抜けていくのである。

 

「……もう。恥ずかしいから言わないで下さい。」

 

「あれ、今声に出てた?」

 

「出ていました。」

 

先程よりも一層と顔を熱くした彼女は、口元へと手をやり、視線をこちらから外して横へと向けた。

 

「なんだか、すごいことになってるね。」

 

士元は呟く。

彼女の言葉を受けて、呆れたように孔明は零した。

 

「完全に忘れられていますよね。」

 

 

騒動の原因は、制服が出来たと聞き、思わず衝動を抑え切れなくなったからだと、向朗は語った。

それ程のものかね、と視線を彼女へと向ける。自身から見て、左斜め前方に巨達は座していた。その隣には士元。

前方には孔明が行儀よく座っている。孔明の席はちょうど教壇の正面に当たり、先程入ってきた先生が話を始めようとしている。

先生の声が響き渡る中、向朗は何やらそわそわと落ち着かない様子であった。首を左右に振り、時折士元に何事かを囁いているように見える。

周囲の女生徒たちもまた似たようなものであった。

 

「まだ、連絡ごとはあるんですけどねぇ。」

 

憂いを帯びた様子でそう零すと、ぱんぱんと手を打つ。

すると、見事に打って変わって、室内は水を打ったかのように静けさを取り戻した。

生徒たちの視線は音の主である水鏡先生へと注がれる。

 

「元直さん。」

 

彼女はそう言うと手招きをした。

教壇へと辿り着くと、葛籠を一つ渡される。

 

「今から配りますから、そちらの白い方をお願いします。」

 

彼女が言葉を発すると、たちまち室内はざわめきかえる。

後方の生徒など、一目でも早く見ようと席を立っている者が出る始末である。

 

「本当に、仕方ないんですから。」

 

ぽつりと呟く先生の顔は、どこか嬉しそうであった。

 

 

制服の譲渡は恙無く行われていく。

サイズや色の好みはどうするのかと不思議に思っていたのだが、事前に下調べをしてあったのであろう。

蓋を開けた葛籠の中には、名前の書かれた布が収められていた。丁度十四名。中には孔明や巨達の名もあった。どうやら名簿のようである。

名前を呼んであげて下さい、と水鏡先生は言った。

 

上から順に名前を呼び手渡していく。

大事そうに抱える者や、まだ名の呼ばれていない女生徒へと広げて見せる子など反応は様々である。

 

 

「やっと実物を見られますよ!」

 

手にした制服から、一切目を離さずに言ったのは、朝に話した遅刻ぎりぎりの少女である。

 

「それは、良かった。」

 

そう答えてやると、はい、と元気に駆け戻っていく。直ぐさま彼女の周りには人だかりが出来ていった。

次に呼んだのは孔明の名であった。

少し裏返った声で返事をすると、ぱたぱたと駆け寄って来る。今朝が今朝なだけに不安になるなという方が無理であろう。

足音が止まる。どうやら杞憂で済んだようである。

 

「ありがとうございます。」

 

にっこりと微笑むと、同じく名を呼ばれていた士元と制服を見せ合い始める。

ふたりとも同じだとつまらないですから、そう言ったのは士元であった。

 

次に記されていたのは向朗の名である。

嫌な予感再び。恐る恐ると読み上げると、「はい!」と元気な声がする。その大きさたるや、賑わっていた教室が束の間静かになる程であった。

孔明同様、机と机の間を器用に駆け抜け、一息の間に姿を見せた。

気をつけなよ、と一言添えるも既に彼女の耳には届いておらず。

制服をぎゅうと抱きしめ、その場でくるくると回り出す。一回りをする度に、ツーテールに結んだ髪が鞭のようにしなる。

彼女の背が高かったのなら、俺も当たる所であったと、運悪く頰を抑えた少女を見ながら思った。

結局。

先生に窘められた巨達は覚束ぬ足取りで席へと戻っていった。

あっちへふらふら、こっちへふらふらと、机に体をぶつけながら。狭い室内を機敏に駆け抜けた面影は、最早残っていなかった。

 

 

全員に制服が行き渡った事を確認した先生は口を開く。

 

「今日の抗議は屋外で行いますから、着替えてしまって下さい。」

 

「屋外で行うとは、どういうことなのでしょうか?」

 

皆の疑問を代弁するように問いかけたのは鳳統である。

事前に一切の説明もなされていなかった自身も皆に含まれていた。

 

「天気が良いから、ではいけませんか?」

と、先生は笑う。対して士元は腑に落ちていないようであった。

 

「今まで、天気が良くても外に出たことは無かったと思いますが……。」

 

遠慮がちに彼女は答える。士元の言葉に、先生は一層と笑みを深くした。

 

「では、今までと何が違うか、考えてみてはいかがですか?」

 

柔らかな口調で発した言葉は、鳳統のみならず室内の女生徒全てに向けられていた。

その言葉を受け、各々が隣の生徒と話し合いを始める。

そのうち、一人の少女が声を上げた。

 

「今までと違って、制服があります。」

 

好し好しと先生は頷く。

 

「良い所に気が付きましたね。制服は大きな意味を持ちます。今回、屋外に出るに当たって、どんな役割を果たすでしょうか?」

 

再びの問いかけに、彼女たちは顔を付き合わせる。

侃々諤々とした論議の末、孔明と士元が立ち上がった。

どうやら二人が代表して答えるのだろう。

 

「制服とは、所属を示す意味があると、先生はおっしゃいました。」

 

先生が制服の意匠を考えてくれと言った時のことである。

あの時は、上手く説明できない自分に随分とやきもきとしたものだ。

もう一と月ほど前の話である。よく覚えていたものだと、孔明を見やる。

続けて彼女は言葉を発した。

 

「制服を着て、屋外に出るということは、水鏡学園の門下であると公に示すことではないでしょうか。」

 

「真新しく、統一された制服は人の目を大きく惹くでしょう。それにより、宣伝効果が発生するものだと、私たちは考えます。」

 

そう士元が締めくくると、室内には静寂が訪れる。

誰もが皆、先生の言葉を固唾を飲んで待っていた。

視線を一身に集めた彼女は、口元を柔らかく綻ばせた。

 

「お見事です。でも、天気が良いから、というのも嘘ではありませんよ?」

 

生徒たちの歓声が上がる中、先生は悪戯っぽく言った。

 

 

彼女たちが着替えるというので、葛籠を持って水鏡先生と二人外に出る。

暖かな日差しが、大きく切り取られた窓から板張りの廊下へと降り注いでいた。

教材を自室と化した保健室に置きに行こうと、そちらへ歩みを進める。

同じくして、彼女も歩きはじめた。こちらの方向には保健室以外に施設はなく、どうやら目的地は一緒であるらしかった。

 

「何か、必要な物があるんですか?」

 

彼女に問いかける。

薬草を少々、と先生は言った。

その後に言葉はなく、時折、床が軋み声を上げる以外は静かなものであった。

 

保健室へと辿り着くと、彼女は葛籠を机の上に置き、備え付けの棚へと向かった。

棚には、よく分からない植物の根だとか小さな摺り鉢のような物が収められており、それらを迷いもせずに取り出していく。

既に荷物を置くという目的を果たした俺は、その様子をぼんやりと眺めていた。

最後に摺り鉢と似た物を手に取ると、風呂敷のような布で丁寧に包む。

そして、こちらに向き直ると、「北郷さん。」と名を呼んだ。

 

「何ですか?」

 

「私が運んで来た葛籠を開けてみて下さい。」

 

言われた通りに葛籠の元へと向かい、蓋を開ける。中には制服が一着、ぽつんと取り残されていた。

 

「今日、休んだ子はいましたか?」

 

敢えて、問いかける。いいえ、と彼女は答えた。

 

「じゃあ、どうして余ったのでしょう?」

 

冷や汗が背中を伝う中、一縷の望みを賭けて言った。

 

「貴方の分ですよ。」

先生は笑顔を浮かべる。

そうですよね、と思わず肩を落とさずにはいられなかった。

 

さて、と制服を広げて見る。有難いことに特注なのか、スカートの丈、上着の袖とともに長く作られていた。

これなら、乙女には似つかわぬ体毛を晒すことにはならないであろう。細かな気遣いには頭が下がる思いではあったが、こんな気を回すのなら始めから制服はいらなかった。

女性物とはいえ、着物は着物である。男性のそれとは意匠が異なるだけで、作りに大きな違いはない。では、制服はどうか。いわゆる洋服というやつは、男と女では大きく作りが違っている。

女性がズボンを履くことはあれど、男性がスカートを履くことは、まずほとんどない。抵抗がないとは、お世辞にも言えなかった。

生唾を飲み込み、おっかなびっくりと足を通す。

感じたのは、心もとなさであった。丈が長いとはいえ、捲れないかと気が気でない。

よくも女子は膝丈にも届かないミニスカートを履けるものだと、感服せざるを得なかった。俺だったら抑えながらでもないと外を歩けない。

彼女たちのお洒落へと傾ける情熱はこれ程のものであったのかと、遠い日に思いを馳せた。

 

着替えを終え、教室へ向かうと扉の前には先生が立っていた。

 

「よくお似合いですよ。」

 

彼女は言った。

 

「ありがとうございます。」

 

何とか答えるものの、胸の内は複雑であった。

皆も着替えは終わっているようですよ、と引戸を開け中へと先生は進む。それなら、と自身も続いた。

 

 

その後、全員が揃っていることを改めて確認すると、先生を先頭として学園を出発した。

街を抜け、少し歩くと一面が緑に覆われた平野へと出る。どこからか、せせらぎも聞こえ近くには川があるらしかった。

 

「この辺りにしましょうか。」

 

先頭を歩く彼女は足を止め、辺りを見回しながら言った。

夏の日差しに暖まった草原の上、少女たちは思い思いの所に座り込んでいく。

 

「折角、外に出てきたのですから、短いお話にして後は散策にしましょう。」

 

片目を閉じたままに水鏡先生が言うと、女生徒たちは歓喜の声を上げた。

 

 

 

一時間ほどの講義が終わり、自由時間となる。

 

あまり遠くまでは行かないように、と先生が声をかけると、少女たちは元気な返事をして駈け出していく。

 

「音は、あっちからだね。」

 

生徒の一人が言った。彼女の向かう方へ耳を澄ませば、水音がする。

川へ向かっているようである。皆が倣うように彼女へ続いた。

 

「一箇所に集まってくれるなら、それは助かりますね。」

 

彼女たちを追って、先生は歩き始める。

目が届くっていうのは有難いことです、と俺は隣に並んだ。

 

先生は目を細め、空を見上げた。

 

爽やかな香りを運ぶ風が彼女の髪を揺らす。

熱烈な日差しを浴びた黒髪は光沢を放ち、ただでさえ烏の濡れ羽色と呼ぶに相応しい美しさを、さらに磨き上げる一助となっていた。

 

「天気が良いと気持ちがいいですね。」

 

彼女はこちらを向いて言う。

絹糸のように流れていた髪を見ていた俺は、自然と見つめ合う形となった。

不意に強い風が吹く。

これ幸いと、照れた顔を下に向け、スカート抑えた。

 

「そうですね。」

 

答えた声は裏返っていないだろうか。

それだけが心残りであった。

 

 

   北郷一刀の奮闘記 第十三話 空と制服と彼女 了

 


 
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