さ。日本語の五十音図においてさ行あ段に位置し、五十音順の第十一位、いろは順では第三十七位の音韻である。ローマ字表記ではsa。平仮名のさは左の草書体、片仮名のサは散の左上部分が字源だとされている。さは実に日本に関連がある音韻で、とは言っても日本語なのだから日本に無関係なわけもないのだが、さから始まる言葉を思い浮かべてみると日本文化の象徴がいくつか出てくる。サクラ、誇るべき日本の花。酒、英語でsakeといえば日本酒だ。サムライ、oh! ジャパニーズ侍! サラリーマン──
「あ、サラリーマン」
「最後、んだよ」
またしてもダメだった。
「なずな、もう止めにしようぜ。<6文字しりとり>なんて」
「始めたのはよーちゃんだよ。いつもと同じじゃつまらないからって」
隣を歩いていたなずなが不服そうに頬を膨らませる。
星野なずな。
幼い頃からの腐れ縁で、小中高と一緒の学校だ。小柄な体型でありながら元気は有り余っている、例えるなら小動物のようなうら若き高校2年生。今時風に言うならJK。
一方コチラ、さから始まる言葉を延々と考えた挙げ句、最後がンになるサラリーマンなんて言葉を発してしまうお茶目なDK(男子高校生)。
名前、小鳥遊陽介。通称よーちゃん。
とは言っても、よーちゃんなんて呼んでいるのは、実のところなずなだけだったりするわけで、他の人には小鳥遊とか陽介とかあだ名らしいあだ名もなく呼ばれていたりする。
「ねぇ、小鳥遊くん」
「……なずな、地文に合わせて呼び方変えてみても突然すぎて新キャラ登場かと思われるだけだからやめておけ」
「ちぇー」
長年の付き合いでも飽きないヤツではある。
この一年ですっかり使い慣れた通学路を歩き、俺たちは星宮高校へと向かっていた。
「しっかし、今日からまた学校が始まると考えると億劫だよなー」
4月9日。今日から新しい年度が始まり、残り2年の高校生活もスタートする。本日のスケジュールはとても簡単。2年生以上は午前中で解放され、午後からは新入生の入学式と上級生からの部活の勧誘ラッシュがある。部活に所属してない身としては午前中で終わる楽な日程だ。
「今日はクラス分けもあるからね。少しでも早く学校行っておかないと」
「クラス分けねぇ……」
言われてみればそんなこともあるのだろう。何分初めて進級するものだから勝手がわからない。それを言ったらなずなだって知らないわけなのだが、きっとどこかであったアナウンスをお茶目なDKは聞き逃したのだろう。まったくもってお茶目である。
「……クラス、どうなるかな?」
「……ま、どうせ一緒だろ。今までだってそうだったんだし」
そう、小中高と一緒の学校だったどころか、なぜか毎年毎年、それはもう小学一年生の時からなずなとは同じクラスだった。何者かによる陰謀なのか、はたまた超天文学的偶然か。理由はなんであれ、俺となずなは同じクラスであり続けた。
ここまで腐れ縁ともなると、それはそれでからかわれる種にもなる。案の定、小学校でも中学校でも何度もカップル疑惑が持ち上がり、その度に俺は異常なまでの腐れ縁具合を説明し、なずなも「そんなんじゃないやい」と否定していたものだ。
「でも確かに、クラス分けが気にならないわけでもない」
「ありゃ、よーちゃんがクラスに興味を持つなんて珍しい。てっきり『友達は作らない、人間強度が下がるから』とか言う人と同じ人種かと思ってたよ」
「あんな非実在青少年と一緒にするな。そもそも俺にあんな可愛い妹はいない」
「……論点そこなんだ」
「俺が気になってるのはアイツだ。この一年アイツのせいでどれだけヒドイ目に合ってきたか…」
「それはそれは大変だったな。で、陽介。そのアイツとは一体誰のことだ?」
すぐ後ろから声がする。なずなの声ではない。むしろ、これから学校が始まろうという時に最も聞きたくないであろう男の声。
「よう、斉藤。丁度お前の話をしてたところだ」
「……陽介、作品内ファーストコンタクトでわざと名前を間違えるな。俺の名前は佐藤だ。あと絶対に『失礼。噛みました』とか言うなよ」
「さすがにそこまでは……」
「噛みまみた」
すぐ横から声がした。なずなの声だった。
「……佐藤、悪かった。俺が悪かった」
「……いや、俺も悪乗りしすぎた」
「あれ……アレ?」
やってしまった当の本人だけは状況を理解していなかった。
「ところで陽介、俺の紹介がまだのようだが?」
自分から紹介しろと言ってくる登場人物というのもまた珍しい。
しかし、そもそも俺には佐藤を紹介できるだけの情報を持っていない。一年間同じクラスで過ごしていたにも関わらず、佐藤のプロフィールというのをほとんど知らないのである。知らないというか、本人が教えてくれない。とりあえずわかってる範囲だけ紹介しておこう。
コイツは佐藤である。名前はまだない。
「名前ならある。公表してないだけだ」
性別、佐藤。
「それは『性別 男・女』で・に○をつけろってことか?」
年齢、国籍、佐藤。
「お前と一緒だ。十六才、日本国籍。てか年齢佐藤才って何だよ」
趣味、佐藤。
「おうよっ!」
「…………」
自分で言っておいて何だが、趣味佐藤って何だよ。
「ああ、そういえば、さっきクラス替えの話をしていたな」
どうやら俺の紹介に満足らしく、話題を戻してきた。
「何か知ってるのか?」
「もちろん。クラスの割り振りが正式に決まった数分後には、俺の元にその情報は入ってきてる」
どれだけ情報通なんだよ。
「とは言っても、ほんの一時間前のことだけどな」
「どれだけギリギリの正式決定なんだよ!」
本当にこの学校大丈夫なのか?
……いや、元から大丈夫なわけがないか。
私立星宮高校。男女共学の全日制。偏差値こそ高くないが、県内ではそこそこ有名な高校である。というのも、ある一点において全国のどの高校にも負けない部分がある。負けない、というよりは、誰もそんなこと競おうなんて思わない事象。そう、もはや事象の域なのだが、そんなものをあえて特化させた馬鹿みたいな高校。それが私立星宮高校。私立だから成り得た特化高校である。
「おい、説明が回りくどいぞ。テキストをKB単位で給料もらってるシナリオライターじゃあるまし、そんな言い回す必要もないだろう?」
私立星宮高校。佐藤姓の生徒数が全国一を誇る、別名・佐藤学園である。
ちなみに星宮というのは、近所にある星宮神社から取られているらしい。
「それで、クラス替えの話に戻すが」
仕切り直す佐藤。
「安心しろ、オレとお前は同じクラスだ」
一番安心できない情報が真っ先に出てきた。
「私、私は?」
「もちろん同じクラスだ。なずな嬢以外、誰が小鳥遊の面倒を見る?」
「え、俺が面倒見てもらう側なのか?」
「お前が面倒を見るというのか? ならば声高らかに『俺が一生面倒見てやんよ!』と叫ぶといい」
「愛の告白みたいになっちゃってる!」
「え、一生だなんてそんなぁ……」
「なずなも本気にするな!」
相変わらずと言うか、いつも通りと言うか。
少しだけ、学校に戻ってきたな、とか思ってしまった。
「席に着けー、ホームルーム始めるぞー」
決まりきった、というよりは、これが初めてなのだから「ベタな」というのが正しいであろう文句と共に担任らしき女性が入ってくる。
「ほら、このクラスはごく一部を除けば優等生が集まってるんだから私の手を煩わせるな。私の手荷物はごく一部だけで十分なんだ」
いきなりぶっちゃけた。こういうのって普通は生徒には内緒だったりするんじゃないのか?
「そこのちょっと不服そうな顔の男子……なんだ、小鳥遊か」
「なんだってなんだ! いくら担任とはいえ生徒の扱いがぞんざいすぎやしないか!?」
想像してもらいたい。初対面の相手にいきなり「なんだ、○○か」と言われる様を。ええ、この人とは初対面なんですよ?
「……って、なんで俺の名前を知ってるんですか?」
「担任だからな」
いくら担任と言えども、初対面で相手の名前がすぐ出てくる人はそうそういない。……もしかしてこの人、教師としては優秀なのか?
「手荷物の名前くらいは覚えておくさ」
「アンタ、教師としても人としても最悪だよ!」
そもそも優秀な教師が生徒を「手荷物」呼ばわりするわけがないか。ちょっとでも感動しちゃった俺に謝れ! 成績に色つけろ!
「さて、ちょっとした漫談も終わったところで」
漫談扱いでイジられた……。
「改めて、二年B組の担任になった佐藤空だ。一年間私に迷惑がかからないよう、頑張って勉学に励んでくれ」
一言多かった。
「ああ、残念ながらスリーサイズはトップシークレットだ」
二言多かった。
「あと手荷物はそこの佐藤と小鳥遊だ。お前らも十分気を付けろ」
三言……というか、
「異議アリ! 俺は危険人物じゃない! 危険なのは佐藤だけだ!」
「……手荷物は佐藤だ。小鳥遊は友人に押し付けられて仕方なく手荷物に付けているクマのキーホルダー程度に思ってあげてくれ」
「超ぞんざいな扱い!」
いや、でもそれが案外的を射てたりするのだが。
教師にまで危険扱いされるのも理由がある。去年、佐藤は事ある毎に問題を引き起こした。あくまで佐藤が、である。にも関わらず教師たちはこぞって俺を捕まえ、捕まらない佐藤の分まで俺を絞った。全く何も知らない俺を。聞けば佐藤は、まるで俺が主犯かのような証拠をわざと残していたらしい。おかげで心休まらぬ殺伐とした高校生活だった。
「まあ小鳥遊の扱いはその程度で十分だろう」
ふと佐藤先生から視線が送られる。
アイコンタクトと呼ぶにはあまりに一方的だろうが……もしかして、すべてわかっているのだろうか?
「あー、そうだな……まずクラス委員長を決めよう。決まったら後の進行は委員長に任せる。私は楽チンだ」
よく心の声が漏れる担任だった。
「誰か立候補はいるか? 」
とはいえ新しいクラスで、しかも問題児がいると公言された中での立候補となると、そうそう手は挙がらなかった。
「ふっふっふっ、ならばここはオレが引き受けよう!」
高らかな声と共に高らかに手を挙げる男子生徒。
件の手荷物野郎だった。
「言い忘れてたが、佐藤には委員長を任せてはいけないと職員会議で決まってな」
「ふん、オレを見くびるなよ? そんな議事録は存在しないはずだ!」
なんでコイツは職員会議の議事録まで把握してるんだ?
「まだ存在してないだけだ。明日の朝イチで通す」
「くっ……」
なんか卑怯な気もするけど、俺も佐藤が委員長とか嫌なのでスルーする。
「ほら、他に立候補はいないか?」
佐藤先生が回りを見回す。
少しして、前の方の席でゆっくりと手が挙がった。
「あの……そこの危険人物たちを先生が面倒見るというのなら、委員長やってもいいですけど」
女子生徒だった。ずっと前を向いてるので顔もわからない。
「おお、別に佐藤たちの面倒も見てくれていいぞ?」
「それならやりません」
即答だった。しかもこの委員長候補、さりげなく危険人物”たち”って言ったぞ。俺も含まれてるし。
「まあ佐藤たちの面倒は私が見るってことでいいや。彼女……えっと、名前は?」
委員長候補の女子に名前を聞いている。どうやら本当に俺たち以外の名前は覚えてないらしい。
「あー、この神代さんが委員長で、異論のあるヤツはいるか? よし居ないな。はい決定。みんな拍手ー」
先生のパチパチという拍手から始まり、気が付くとクラス全員が委員長へ拍手を送っていた。「いるか?」から「よし」まで約一秒。有無を言わせぬ早さである。
「それじゃ、後は任せたよ。今日中にこれだけ決めておいてね」
そう言って佐藤先生は委員長にプリントを渡し、そのままドアを開けて出ていってしまった。文字通りの『投げっぱなし』。そのキャッチャーたるクラス委員長は、渡されたプリントを見てポツリと呟いた。
「……こんなにあるんですか」
「えー、まずみんなには話し合いがスムーズに進むよう、多大なる協力をお願いします」
クラス中から歓声が上がる。
彼女のクラス委員長としての初仕事。
どうやら任せられた仕事が最初から大仕事らしいので、俺も協力は惜しまないつもりだ。
「次に、小鳥遊さんには話し合いがスムーズに進むよう、多大なる無関心をお願いします」
「なんで俺だけ名指しなんだ! それに、そういうのは佐藤に向けて言うべきだろ!」
「佐藤さんなら既に教室にいません」
あ、本当だ。いつの間にか佐藤の席はもぬけの殻と化している。
「ただ無関心でいてくれればいいんです。下手に協力は惜しまないとか言われても、かえって時間を取られるだけですから。ああ、今こうしている間にも話し合いの時間が減ってしまっている……」
「はいはい、わかりました! 無関心でいればいいんだろう!」
「でも、いくら小鳥遊さんといえどクラスの一員なわけですし、何らかの役職には就いてもらわないといけませんね。あ、飼育委員なんてどうですか? バードゲージなど持ち込んで小鳥と戯れる姿なんてお似合いだと思いますよ? まさに小鳥遊さんじゃないですか!」
「お前、実はイジめっこだろ! お前はこのクラスを恐怖政治で治めるつもりなのか!?」
「そんなわけないいですよ、これはただのコミュニケーションです」
えー、信じられねー。況してや初対面の担任にもイジられた直後だし。
「知ってますか? 『イジメる』から目を背けると『イジる』になるんです」
「やっぱりこれはイジメなのか!?」
訴えてやる! 僕は非実在青年だ! 条例に守られてるんだ!
「ここ、東京じゃないです」
「そうだった……」
周りからクスクスと聞こえる笑い声。
……いや、うん。なんとなくわかってはいたが。
「そろそろちゃんとやった方がいいんじゃないか? 時間もないんだろう?」
「ああ、そうね。それじゃあ最初の議題から──」
それからの手際は見事なもので、まるで委員長になるべくして生まれてきたような、などと言うと某物語の委員長に失礼な程度ではあるが、渡されたプリントに書かれていたであろう数十の議題(主にクラスの役職関連)は次々と決まり、そのすべてを時間内に終わらせた。それどころか、余った時間を利用してクラス全員(佐藤を除く)の自己紹介まで済ませ、偶然なのか計算なのか、最後の一人が終わると同時に教室のドアが開き、佐藤先生が「終わったかー?」と戻ってきた。委員長、恐るべし。
……しっかし、いくら場を暖めるためとはいえ、初対面の人間をアポもなくイジるのはやめて欲しいもんだな。アポがなければそれこそイジメと大差ないだろ?
佐藤先生が戻ってくるとホームルームもお開きとなり、初日から授業があるわけでもない俺たちは学校から解放されて放課後となった。時刻は十二時前。ここから先の行動パターンは人によって大きく二つに分かれる。
一つ、俺のような部活に属さない人は、そのまま昼前からの放課後を満喫。
一つ、部活に所属する上級生は、午後からの入学式に備えて新入生の歓迎準備。
単純に考えれば前者の俺なのだが、残念ながら、実に不思議なことなのだが、俺は後者として学校に残っていた。
「ごめんね、手伝ってもらっちゃってー」
そう言って謝るのは、翡翠髪の女生徒。
彼女は1つ上の先輩で、 月島満留。 部活に参加してない俺にとっては数少ない上級生の知り合いになる。
「工芸部も新入生がたくさん入ってくれれば、小鳥遊君に手伝ってもらわなくても大丈夫になるんだろうけど……」
「まあ、工芸部に人がたくさんいる様子なんて想像できないですね……」
工芸部。部員数は五人。星宮高校にはバブル時代の名残なのか、なぜか陶芸用の焼き窯があり、それならばと学校主導で作られたのが工芸部、らしい。聞くところによれば「バブル以前から存在してた」とも「窯ができたのがそもそも最近のことだ」とも言われている。謎の多い、でも誰もそれを気にしない程度に弱小の部活だった。ちなみに俺が見たことある部員は三人で、残り二人は俗に言う幽霊部員だった。
「ところがその”見たことある部員”のうち二人は今年の三月に卒業、残された一人は部長となって、後輩の助けを受けつつ工芸部の再建を目指す!」
「……え、それってヤバくないですか?」
「ヤバイよ? そこはかとなく」
確か部活として認められるには、最低でも五人の部員が必要だったはずだ。
最低でもあと二人。願わくばあと四人。
「本当は『このまま新入部員が来なければ、月島先輩ともっとイチャイチャラブラブできるのにぃ!』とか思ってるんじゃないの?」
「……先輩は俺をイチャイチャラブラブするために手伝わせてるんですか?」
「いんや? 普通に準備が大変だから呼んでるんだよ?」
「…………」
どうにも調子が読みづらい。
これで工芸部の部長なのだ。
……新入部員入るだろうか。
「でも小鳥遊君が居てくれて助かってるのよ。ほら、私か弱い女の子だし」
「普通か弱い女の子は、自分のことをか弱いなんて言いませんよ」
こう見えて彼女は、陶器をいくつも乗せた板を軽々持ち上げたりする。聞けば工芸部の必須スキルなんだとか。……案外幽霊化の理由ってその辺りなんじゃないのか?
「そういえば、彼女を放っておいて大丈夫なの?」
彼女、というのはなずなのことである。
「だから彼女じゃないですって」
もちろんからかわれてるだけなのだが。
「なずなもなずなで職員室に用事があるとかで、二人とも終わったら待ち合わせってことになってます」
「職員室に用事ねぇ……私なら仮病を使ってでも行きたくないわ」
「もはや先輩の中で、職員室は炎天下のマラソンと同等なんですね……」
なずなは炎天下のマラソンも平気そうだしな。職員室も余裕なんだろ。
「あ、そこの器とカップ、こっちに持ってきてー」
「イェス、マム」
着々と準備が進む。
手伝いを頼まれたのは準備だけで、勧誘までは頼まれてない。
……新入生を入れないと大変なのに。
「そうだ、なずなも呼んで勧誘の手伝いもしますしょうか?」
「そこまではいいよ……そこは私の仕事だもん」
やんわりと断られた。
恐らく、部長の、最後の部員の、仕事なのだろう。
「あ、でももしもの時は名前借りるからヨロシク~」
「はいはい」
既に幽霊部員以上、正部員未満なのだ。昇格しても文句はない。
「部費は三万円です」
「前言撤回、名前は貸せません!」
「しかも月々です」
「余計にヒドイ!!」
いくら冗談と言えども……これ冗談だよな?
「小鳥遊君は工芸部のことより、彼女のことを考えていればいいの」
「だから彼女じゃないですって」
もちろんからかわれてるだけなのだが。
「待ち合わせがあるんでしょ? それなら少し急ごうか」
話しながら準備してたせいか、気が付くと結構な時間が経っていた。それからはテキパキと、無駄話もなく作業に没頭した。
勧誘の準備が終わる頃には、新入生もちらほらと現れ始めていた。
工芸部の手伝いも無事に終わり、新入生が羊の群れのように入学式会場である体育館へと誘導されている中、俺と同じように狼のごとき勧誘部隊とは無関係であろうなずなに電話をかけた。もちろん待ち合わせのためだ。最初から時間と場所を指定しておけば良かったのだけれど、二人ともが所要時間未知数の内容だったために「終わったら連絡する」程度の取り決めしかできなかった。
プルルルッ、ガチャ。
電話をかけてわずかワンコールで繋がった。それほどまでに待たせていたのか、と悪く思っていたら、
『ただいま運転中もしくは携帯電話の利用を控えなければならない場所にいるため、電話に出られません──』
「って、ドライブモードかよ!」
なずながドライバーだった。いや、ドライバーなわけがないのだけれど。
しかし職員室に行くときに、携帯をわざわざドライブモードにする人を初めて見た。というかドライブモードの応答メッセージとか初めて聞いた。なずなの中では職員室=携帯電話の利用を控えなければならない場所として認識されてるのだろうか。まあ間違いではないのだが……。
「…………」
プルルルッ、プルルルッ、ガチャ。
こっちはツーコールか。
『こちら佐藤 』
「ああ、悪い。特に用はないんだが──」
『現在佐藤の佐藤による佐藤のための佐藤中、もしくはワシントン条約により携帯電話の利用を禁じられている区画にいるため、電話に出られません──』
「それは何モードだ!?」
こういうことでは期待を裏切らないヤツだ。
「しかしなずなと連絡が取れないのはマズイな……」
教室で待っていればそのうち戻ってくるだろうが、いかんせん用がないのに教室にいるとなぜか教師に連行されるんだよな。特にこういう行事の時なんかは。佐藤中のヤツのせいで。
「……もう一度電話かけてみるか」
リダイアル。
プルルルッ、プルルルッ、ガチャ。
『こちら佐藤。現在佐藤の佐藤による佐藤のための佐藤中──』
「間違えたよ! というか佐藤佐藤うるせぇっての!」
そして佐藤中って何だ!
趣味か? 佐藤(趣味)なのか!?
気を取り直して、なずなの電話にかけ直す。
プルルルッ、ガチャ。
『ただいま運転中もしくは──』
ガチャ。
やっぱりまたドライブモー……ガチャ? 繋がったのか?
『…………』
なぜか黙ったままでいるなずな。
「なずな? なんだドライバーでもないのにドライブモード設定だったことがバレて恥ずかしいのか?」
我ながら的外れなことを言ってるとは思う。でもなぜか、いつものなずなではない気がした。いつものなずななら、第一声は決して譲らない。今日のなずななら『星野なずなだ。星野なずな、特技はAジャンプだ!』とも言いかねない。
結果から言えば、この時の俺は必要以上に冴えていたらしい。電話の相手はいつものなずなではなかった。かと言って第三形態まで進化したラスボス的なずなでもなかった。
『……あの……えっと』
電話から聞こえてきた声は、そもそもなずなのものではなかった。
突然呼び出された俺。
目の前には見知らぬ女生徒。
「す、すいません、呼び出してしまって……」
春。出会いの季節。
春。うん、いい言葉だなぁ……。
「あ、あの……」
かしこまる女生徒。
少し恥ずかしそうしてる感じが、また、俺にも緊張を運ぶ。
「こ、これ……!」
俺にそれを渡すべく手を伸ばす。
その手には、女の子らしい可愛い便箋に入ったラブレター……ではなく、なずなの携帯が。
うん、まあ知ってたけどさ。
「落とし物で届けようと思ってたんですけど、まだ職員室の場所とか知らなくて……そしたら丁度電話がかかってきてたんで、持ち主の人に悪いとは思いつつ出させていただきました……」
「ああ、拾ってくれてありがとな。持ち主にもきちんと言っておく」
なずなのヤツ、携帯落としてた。携帯なくて、どうやって連絡とれって話デスヨ。探すのか? 校内でさまよってるかもしれないなずなを? どうやって? まったく、かったるいぜ。
しかし職員室を知らないってことは新入生か。そろそろ入学式が始まってる時間かと思ったんだが……。
「ところで入学式の時間、大丈夫?」
「え?……ああああ!!」
あー、やっぱり。
「す、すいません! 失礼します!」
「おう、ガンバレよー」
急いで駆け出していく女生徒。
しかし、数歩も行かずに立ち止まる。
……あー、そうか。
「入学式って体育館だっけ? 案内しようか?」
「あ、ありがとうございます……」
職員室の場所も知らないのだ。体育館の場所も知らないのは道理だろう。
体育館。入学式会場。
その入口に立っていたのは担任の佐藤先生だった。
「なんだ、小鳥遊か……」
「先生、この子、事情があって、遅れて……」
ツッコミをいれる気力もないほど、全力疾走で息が切れていた。
先生は女生徒をチラッと見ると、
「ああ、三組はあの辺りだ。トイレから戻ってきた風を装えば誰も文句は言うまい」
とだけ言い、女生徒もその通りに中へ入っていった。
「……やっぱ、先生、生徒の名前、覚えてたり、」
「お前は、いいから息を整えてから物を言え」
言われて、しばらくその場にへたりこんだ。会話もなく、会場内から聞こえてくる来賓の祝辞が子守唄のようだった。……まあ、子守唄だよな。
「それで小鳥遊」
呼吸が落ち着いてきた頃に、佐藤先生の方から話しかけてきた。
「初々しい新入生をナンパとはなかなかやるじゃないか?」
「アンタ、俺をそんな軟派なヤツだと思ってたのか!?」
「私はお前を軟派に育てた覚えはないぞ」
「俺だって軟派に育てられた覚えは……そもそもアンタに育てられた覚えがねぇよ!」
担任一日目でもう教え子扱いなのか!?
「冗談だ。それで、遅れた事情っていうのは何だったんだ?」
「ああ、これこれしかじか」
「かくかくうまうまか、なるほど」
……すげぇ、通じた。
「そういやあの子の名前聞くの忘れたな……」
「やはり軟派なんじゃないか?」
「なずなに伝えようってだけですよ!」
「そう言って名前を聞き出そうって魂胆なんだな? かなりのやり手じゃないか」
「俺を無理矢理軟派キャラにしようとするな!」
そこの彼女ぉ~とか言えるか!
「ああ、そうだ。星野が探してたぞ」
「思い出したように話題を変えた!?」
「たぶん教室に──チッ」
吹き抜ける風。あるいは風圧。
「誰かそいつを止めろ!!」
叫ぶ佐藤先生。俺に見えたのは、ただの影だった。
俺たちの間を走り抜けたソレは、そのまま会場内、通路、そして壇上へと駆け上がった。
それと同時に、会場内の照明がすべて消える。ソレのいる壇上を残して。
何事かと会場内が騒然とする中、そいつはマイクを取って叫んだ。
「シャーーラーーーーーップ!!」
叫び終わると、会場内にはキーンというハウリング音だけが残った。
知ってる。俺は知ってる。この声の主を。
「宣誓!!」
右手を垂直に挙げ、日本国旗に向けて誓う。
「オレたち佐藤一同は、日本一の名字であることを誇りに思い、佐藤の佐藤による佐藤のための佐藤を、佐藤学園の名において、佐々藤々佐藤することを、ここに誓います!!」
だから、二度目になるが言わせてもらう。
「佐藤学園代表 佐藤!!」
佐藤佐藤うるせぇっての。
「さて、新入生の佐藤諸君、入学おめでとう」
宣誓が終わると、佐藤はそのまま祝辞を述べ始めた。ちなみに壇上へと上がる階段には、なぜか佐藤を守るようにバリケードが張られている。
「君たちはこれから星宮高校こと佐藤学園に通うことになるわけだが……」
逆だ、逆。
「まず決まり事を説明しよう。佐藤諸君にはそれぞれ固有の称号が与えられることになる。学園内では主に称号で呼ばれるようになるから、早いうちに慣れてほしい」
ああ、このことか。
俗に<称号システム>と呼ばれる、佐藤姓の生徒にのみ適応される、この高校の謎システムだ。
「ただしこの称号は固有ではあるが、固定ではない。継承によって引き継ぐこともあるし、決闘によって奪われることもある」
同じ称号はないため、基本的により適当とされる者に与えられる。五十歩百歩だとしても、百歩には称号が与えられるが、五十歩には何もない。まったく、厳しい世の中だ。
「無称号の状態が三十日続くと退学になるので、特に右も左もわからない佐藤諸君には十分に気を付けてもらいたい」
聞くところによると、佐藤たちは入学手続時にこれを契約させられるらしい。ちなみに佐藤姓以外の生徒に対しては、普通(?)の高校生活が保証されているから、俺たちにはまったく無関係な話だ。
「なお、これをもって学園長の祝辞と代えさせていただく」
どんな権限をお前は持ってるんだ!
「学園長も承認済みだ」
学園長か……表に出てこないことで有名で、もはやこの高校の七不思議の一つとして数えられている人物。……それなのによく許可取れたな。
「では、撤収!!」
フッ、と壇上の照明が消えた。
数秒の暗闇。
数秒の沈黙。
次に照明が点いた時には、まるで何事もなかったかのように、佐藤も、佐藤を守っていたバリケードも、煙のように姿を消していた。
「チッ……してやられたな」
騒ぎが落ち着いて、佐藤先生が戻ってきた。
さすがの先生も、"手荷物"の予想外の行動に──
「もう少し厳かにやってくると思ってたんだが……」
……予想は出来てたらしい。
「お、あんな所に」
空を見上げる佐藤先生。
「なんだ、小鳥遊か……」
「無理矢理にもほどがある!」
いくら何でもすぐ横にいる人物に向かって、しかもわざと空を見上げてから「なんだ、小鳥遊か」はないだろ! いくら『小鳥遊』が鷹が居なくて小鳥が遊んでいる様を表してるといっても!!
「で、何だったか……水着と下着の違いについてだったか?」
「そんな話を入学式会場の入口で、しかも教師相手に繰り広げた覚えは一切ない!」
「教師相手じゃなければあるのか?」
「教師以外が相手でもそんな話はしない!!」
「ああ、そうだ。星野が探してたぞ」
思い出したように、しかもさっきと全く同じセリフで話題を変えてきた!?
「教室で待ってればそのうち来るだろって言ったから、たぶん教室にいるはずだ」
思わぬところで有力情報ゲット。
これがなずなイベント(電話→落とした携帯を預かる→拾い主を案内する→謎の宣誓→居場所情報)か……奇蹟の連鎖だが、謎の宣誓は不要だったよな。
「あと、佐藤天だ」
「へ?」
「さっきの新入生だよ。名前教えてやるんだろ?」
なずなの携帯の拾い主。
「佐藤、天か」
「気が向いたら面倒見てやってくれ、きっと何かの縁だろうから。……ああ、そろそろ式が終わるな。小鳥遊は邪魔だからさっさと帰っていいぞ」
「言われなくても帰りますけど、邪魔とか言うな!」
相変わらずぞんざいな扱いだった。
「そんなことがあったんだー、大変だったんだねー」
学校からの帰り道。
教室にいたなずなと一緒に、学校帰りというにはまだ明るすぎる通学路を歩く。
「それもこれも、なずなが携帯を落とさなきゃ無かったんだけどな」
「面目ない……」
「……ま、好きで落とすヤツなんかいないわけだし、今度から気を付けろよ」
「わかった! 今度から気を付けて落とすようにする!」
「むしろ落とさないように気を付けろ!!」
「え、でも携帯を落とすんだけど、落ちる前にキャッチするとかカッコよくない?」
「それは確かに凄いけど、それをできるだけの反射神経がなずなにあるとは思えない!」
「それはほら、毎日真剣白羽取りで鍛えてるから」
「……真剣白羽取りって振り始めてから閉じるんじゃ間に合わないし、仮に間に合ったとしても手の皮ごと斬られて止まらないらしいぜ」
「……それはほら、新聞紙ブレード白羽取りで鍛えてるから」
言い直した! そしてちょっとやってそう!
「でも、ようやく学校が始まるんだねー。春休み、短いようで長かったからなー」
「普通は逆の反応をするんだけどな」
それだけ学校が待ち遠しかったのか、あるいは春休みの密度が濃かったのか。どちらにせよ、なずなにとって学校は楽しみであるらしい。俺にはあまり理解できないが。
「何がそんなに楽しみなんだ? わざわざ勉強しに来なきゃいけないのに」
「別に勉強が苦じゃないわけじゃないよ? でもね、……強いて言えば、来ることが楽しいのかな。あと帰ることも」
「…………?」
来ることと帰ること?
何かよくわからない話だな。
「よーちゃんはさ、……楽しい?」
「……よくわからん」
「ん、そっか」
よくわからない話は、よくわからんのである。
楽しいか、と聞かれてもよくわからん。
「ねぇ、よーちゃん。今年は晴れるかなー?」
「今年?」
「七夕祭、去年は雨だったじゃん」
「ああ、七夕祭か」
七夕祭。星宮高校の文化祭みたいなもので、地域一帯の協力もあって普通の文化祭よりもイベントとしての重みが大きい。しかしなぜか毎年のように雨が降り、ラストの演目である打ち上げ花火は毎回中止に追い込まれる。子供の頃に一度だけ見た気がするが、俺のなかでも七夕祭=雨というイメージの方が強い。
「聞いた話じゃもう九年連続雨らしいし、いっそ十年連続雨の方がいいんじゃないか?」
「そんなことないよ。毎年花火を楽しみにしてる子、たくさんいるもん」
その話は意外だ。花火といっても数発で、祭の締めとして打ち上げられるだけだと思っていた。
「それなら晴れるといいな。俺も少し興味出たし見てみたい」
「え、よーちゃんも!?」
「……!付きの?まで使われるほど、俺が花火を見るのが意外なのか?」
「い、いや、そうじゃないけど……」
「……?」
珍しいほどに動揺してるなずな。
「……よーちゃんが……よーちゃんが……」
「おーい、ぶつぶつ言ってないで戻ってこーい」
「……よーちゃんと花火かぁ……フフッ」
「……ちょっと恐いから戻ってこなくていいぞ。むしろもっと離れていい」
「なんかひどいこと言われた!」
あ、戻ってきた。
「えっと……よーちゃんは、その……花火を一緒に見る相手とか、いるの?」
「そんな先の話はわからないが、とりあえず今なずなが最下位を独走してるのは確かだ」
「なんでさ!」
「自分の胸に聞いてみろ!」
すぐ隣で『……よーちゃんと花火かぁ……フフッ』なんて言われたら、そりゃ
余裕で最下位転落だろうよ。
「私の胸に……セクハラだぁ!」
「断じてセクハラ目的での発言じゃない!」
というか公共の場でセクハラとか叫ばないでくれ!
「……うん、やっぱ楽しいね」
「俺をセクハラ男に仕立てあげることがか?」
「違うよ、よーちゃんとの帰り道」
「ああ……」
帰り道、か。
まあ、なずなと帰ると、退屈はしないな。
「……よーちゃんが誰と花火見ようと、私は構わないけどさ」
空を見上げて。まるで織姫と彦星の逢瀬を願うように。
「七夕祭、晴れるといいねー」
「そうだな、晴れるといいな」
俺たちは、ただそう思った。
──その夜、夢を見た。
子供の頃の夢。
誰かが側にいて、
その誰かと花火を見ていた。
綺麗なオレンジの炎。
不思議なことに、
その花火には音がなく、
ただ、
笹のサラサラという音だけが、
僕の耳に、届いていた。
Fin.
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「ささささ」の前日譚。本編はまだか!!
※FC2小説から本文部分だけの転載です。