No.559059

神次元ゲイム ネプテューヌV ~WHITE WING~ (7) 悪魔は不滅の価値を囁く

銀枠さん

久しぶりの更新! 遅れてしまってすいません(フライング土下寝
スランプが隣で笑っているのならボコボコに殴ってやりたいと思った。


※なんか文字数制限(たしか52100文字だったかな?)に引っかかったので、キリがいいと思われる部分でなくなく分割。

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2013-03-25 18:38:37 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:1130   閲覧ユーザー数:1057

 

殺人(homicide n.)=一人の人間が、他の一人の人間の為に殺されること。殺人には四種類ある。すなわち凶悪な人――赦すべき殺人――正当と認め得る殺人――賞讃に価する殺人――この四種類である。だが、どの種類に属しようと、殺される当人にとっては大きな問題ではない。かような分類は、もっぱら法律家の便宜のために設けられているのである。

 

 

 

親殺し(parricide n.)=子供が親に対して加える情けの一撃。これによって人の親たる者は、果して自分は親であるか否かとまさぐる苦悩から解放される。

 

                         ――ビアス『悪魔の辞典』より抜粋

 

 

 

   

 

 

第七話――悪魔は不滅の価値を囁く

 

 

 

 

 

『現在、プラネテューヌ全土にレベル4の大雨洪水警報が発令されております。激しい豪雨が吹き乱れ、木の倒壊や土砂崩れ等の災害が予想されます。国民の皆様は全ての業務を取り止めて、速やかに御自宅へお帰りなさいますよう、お願いします。繰り返します――』

 

 プラネテューヌの東門。

城壁のようにそびえる堅牢な国境線と、国を取り囲むようにして植えられた聖水(ホーリーボトル)の木が、魔物達の(アギト)からプラネテューヌの民を遠ざけている。

しかし東門に警備員の姿はどこにも見当たらなかった。風雨の吹きすさぶ中、屈強な体格をした男達が立っている。男達の肉体にはボディペイントが彫られており、幾何学的な紋様があちらこちらに見受けられる。明らかに異常な光景だ。もしプラネテューヌの住人達がこの光景を目にすれば、異変は瞬く間に国内全土へと伝わるだろう。

だが、時は夜。空はすっかり不気味な暗雲に覆われている。それに加えて未だ例を見ない程の大嵐が、プラネテューヌに襲いかかっているのだから、こんな悪天候の中を歩き回ろうなどという物好きはいない。

それでも念には念を入れてか、いずれもニヤニヤといやらしい顔つきで、周囲に何か動くモノがないか、男達がせわしなく目を光らせている。

プラネテューヌの民を守り続けていたそんな国境線は今日、陥落した。わずか二十余名にも満たない少数の部隊によってその守りを攻略されてしまったのだ。

そう――プラネテューヌは黒の教団という太古の部族の襲撃を受けていたのである。

そして門の中枢――詰め所の一室には、二人の人間がいた。

ひとりは年が十にも満たない幼い少女で、もうひとりは顔立ちの整ったやさ男である。

少女の身体はソファーの上に横たえられており、衣服は脱がされ、下着だけまとった格好で寝かされている。両手両足をきつく縄でしばられているせいか、一切の自由を奪われている。

そんな少女を横目に、やさ男はテーブルに肘をつきながらテレビを見ていた。かつて警備員達がくつろいでいた部屋に。まるで部屋の所有者のようにくつろぎながら、我が者顔でニュースを眺めている。

二人の関係を、簡潔に述べるならばこうだ。

人質と誘拐犯(テロリスト)

被害者と加害者。実に白黒ハッキリしている。

『繰り返します。レベル4の大雨洪水警報がプラネテューヌ全土に発令されました。市民の皆様の安全を考慮した結果、一切の外出が禁じられます。なお――』

 ニュースキャスターの淡々とした声が室内に響き渡る。

 それを聞いた少女は表情を強張らせ、

「うそ、うそよ。そんなの……」

 悲鳴のような声を上げた。

 少女の反応を楽しむように、やさ男が愉快そうに言った。

「いつだってそうだ。この国はそういう不都合な情報を隠し続けていた。テメェんとこのシェアを守るために、テメェらの不都合を隠蔽し続けてきた。あの門番共がオレ達の手で、ボロ雑巾にされたことも知らされてねェはずだ。そしてやつらはこの大嵐が来たのを機に、外出まで禁じやがった。つまりだ。それが何を意味するか、分かるか?」

 雨が大地を打つ音が、二人の耳に染みわたっていく。

「テメェがここで捕まってることを知るヤツは、一人もいねェってこった」

轟――と、雷鳴が響き渡った。哀れな少女を嘲笑うように。

「うそ……そんなの、うそよっ!」

「醜いねェ、見てられないねェ、惨めだねェ、残念だねェ。誰もオマエを助けに来ない。そんなものは期待するだけ無駄さァ。パパとママに泣いて助けを乞うか? 無駄だねェ、無理だねェ。テメエはもう見捨てられたんだよ。親からも、国からも、女神からも! ――誰もテメェ一人に身体を張るやつは存在しないんだよォ!」

 そこでやさ男の右腕が、鋭利な刃物に変形した。刀身に灼熱をまとう灼熱の刃(ヒートブレイド)へと。男は何を思ったのか、少女のシャツを少しだけまくり、腹部へとそれを突き刺した。じゅう、と香ばしい煙を発しながら、熱を帯びた刀身が白いお腹を裂いていく。

「うっ……ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……っ!」

 苦痛に悶える声が上がる。白目を向いて、びくびくと身体を痙攣させる。

出血は無かった。代わりに肉の焼ける臭いが、室内に充満していく。

少女を誤って殺してしまわないように火力は最低出力にまで抑えられている。致命傷に至る傷ではない。しかし、それは少女へ慈悲の心が湧いたわけでもなければ、人質への配慮からでもなく、かといって何かを聞きだす為の拷問ではない。

「はぁっ、はぁっ、うぁぁっ……」

 少女はすっかり怯えきった様子だった。ぜえぜえと荒い息を吐きながら、胸を激しく上下させている。

それでも男は躊躇わない。甘いマスクを恍惚に歪ませて、少女を見下ろしている。

「外は生憎の大嵐だ。ここには誰も来ねェ。こうしてテメェが痛めつけられていることを知るヤツは一人もいねェ。文字通り、陸の孤島ってヤツだ」

灼熱を帯びた刀身が、少女の顔にすっと伸びてくる。少女の頬をそっと愛撫するように浅く、慈愛さえ感じさせる手つきで、柔肌にぷっつりと切り込みを入れていく。

「っ……ぅぁぁぁぁぁぁっあぁぁぁぁぁっ!」

少女の泣き声に、男は低く濁った笑い声を漏らす。

ただの暇つぶしだった。少女がすぐに死んでしまわないようにあえて刀の殺傷能力を下げているのだ。暇を紛らわす為だけに、少女の泣き叫ぶ声を少しでも聞きたいがために、いたぶっている。無意味に苦痛を与えることで恐怖を植え付けさせている。暇な時間を埋めるためだけに、逆らうことの無意味さを身体に教え込んでいるだけに過ぎない。自分の優位性を魂に刻みつけていると言ってもいい。そしてこの行為の果てに、少女が死に至ろうと、この男はさして気にも止めることはないだろう。

こいつは、そういう男だった。

「やめて……もうっ、やめてよ……っ!」

 少女はぼろぼろと涙を流しながら、必死に哀願した。

 そんな少女に、男は微笑みかけた。

「やめてほしいか?」

優しげな笑みとは裏腹に、男は手を止めようとはしない。刃がついに喉元へ添えられたのを見て、少女は喉を震わせた。

「いや……死にたくないっ、死にたくないよぉ……っ!」

「それなら、呼べ」

 やさ男――ハザウェイ・レイジアウトは興奮した声で言った。

その研ぎ澄まされた眼光は獣のように滾っていた。

「呼んで見せろよ! テメェを助けに来るヤツの名をなァ!」

 男が右腕にわずかな力を込めると、熱をともなう痛みが侵入してきた。

 そして、少女の喉元に刃が食い込んでいって――

 声にならない絶叫が、底なしの闇に響き渡っていく。

 

   

 

 プラネテューヌ――東側にそびえる丘

 

 プラネテューヌの東門からちょっと離れた場所には丘がある。丘自体はそこまで大きくはないものの、その裏に何かを覆い隠すにはうってつけの場所だと言えるだろう。

その丘の影に隠れるようにして、布地で作られた屋根がいくつも出来あがっていた。簡素なつくりのテントを見る限り、さながら野営地のような場所だが、そんなものが出来あがっている事などプラネテューヌの住民は知る由もない。

ひときわ高い丘の上に、二つの人影が立っていた。二人はそこから一望できる景色を――戦況を見下ろしている。

 一人は大司祭フレイア。もう一人は直属の部下にあたる司祭マイザーだった。

「嵐……なんと間の悪いことだ。これだと、ハザウェイの力は100%も出せないではないか。どうにも地の利が悪過ぎる」

 ハザウェイの不幸を悼むようでありながら、その実、マイザーの表情はどこか嬉々としている。ハイエナのようにおいしいおこぼれをを期待している目だった。

本当はこの状況を誰よりも喜んでいるのかもしれない。

「これならスタークを無理矢理にでも連れてきた方がまだ望みがありましたね。この嵐がやつの最大の味方となる。スタークは文字通り無敵です」

 スタークは水の力を司る司祭だ。雨というギミックが彼の力を倍へと底上げさせる。しかし、そのマイザーの姿はどこにも見当たらなかった。

 フレイアが静かに首を振る。

「彼は私達の門番なのです。もし彼の身に何かあったとき、それは文字通り私達は聖地を失うことになります。帰る家を手放すような、最悪な事態だけは避けたいものです。それに戦う意思のない者を戦場に連れてきたところで、命を無駄に散らしてしまうだけでしょう。無用な犠牲は私としても好ましくはありません」

 スタークは司祭であるのと同時に、門番という重要な役割を兼ね備えている。その彼が戦争で命を落とすということは、彼らの聖地を失うことを意味する。黒の教団にとって非常に大きな損失となるだろう。

無論、それだけではない。

黒の教団の聖地には女子供がいる。いずれ一族の明日をになうであろう若き新芽たち。彼らを守らなくてはならない。もしものときに備えて兵力が残存されてはいるが、彼らの神話に出てくるような怪物や女神からの襲撃を受けたとき、それでは心もとない。訓練こそ受けているが、成す術もなく、蹴散らされるのが関の山だ。

彼らの命を守れるのは、特別な力を宿した司祭たちだけだろう。今回の戦争で、スタークが背負わされている役目はとても重いものなのだ。

「そしてスタークさんは、この戦争に反対でした。戦う意思は微塵も無い。それにも関わらず、無理矢理連れてくるだなんていうのは道理に反することなのです。私は彼の意思を尊重してあげたかった。ただ、それだけなのです」

 それに、とフレイアは付け加えた。

「ハザウェイさんならば大丈夫でしょう。彼は可能性のケダモノなのです。この雨で力の大半を封じられていようと、純粋なる戦闘能力ならば、彼の右に出る人はいません。それに先陣を切りたいと申し出たのは彼なのです。私は彼の意思を尊重します」

「大司祭様は、あの男を高く買い被りすぎではないでしょうか」

 苦言を呈すマイザーに、しかし、フレイアは満面の笑顔をみせた。

「新しい時代を切り開くのはいつの世でも老人ではありません。若者なのです」

「それを言われたら、私の立つ瀬はどこにもないですな」

 こりゃ一本取られたとばかりに、マイザーが帽子で顔を隠してしまう。

 そのときだった。

二人の会話が途切れたのを見計らったように、ひょっこりと大きな岩影から肉塊が姿を現した。

落ち着きのない様子で三白眼をぎょろぎょろと動かしている。

四司祭の一人――ゴースである。

「ママぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 大男は見かけに合わないたどたどしさで口を開いた。

「何でしょう、ゴースさん」

 フレイアが向き直る。もう慣れきったどころか、大人の余裕を見せるように、ニッコリと微笑みすら浮かべて。

「あそこに住む人間、食べていいの?」

「ええ」

「みんな、食べていいの?」

「ええ」

「おとこもおんなも、こどもも、ぜんぶ食べていいの?」

「ええ。好きなだけ食べていいのですよ、ゴースさん」

「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!」

 ゴースは両手を上げて子供のようにはしゃぎだした。その喜びっぷりといったら大地を揺るがしてしまうほど豪快なものであった。でも、とフレイアは唇の前で指を立ててみせる。

「今は大人しく待機ですよ。私がいいと言うまではおあずけなのです」

「えぇぇぇぇぇぇぇ、そんなのヤダヤダぁぁぁぁぁぁ!!」

 だだっ子のように寝そべって地面を叩きだした。ゴースの巨碗が大地を打つたびに、地響きのようなうねりが大地に襲いかかる。

 それでもフレイアはそんなものを何とも感じていないのか、子供をあやすような口調で、

「ダメなものはダメなのです。言う事を聞けない悪い子は、お家に帰ってもらいますよ」

「……むうぅぅぅ」

 ゴースを落ち着けてから、フレイアはマイザーの元へと向き直る。

「マイザーさん。ワーウルフ隊は今どのように?」

「はい、問題ありません。滞りなく準備は整っております。大司祭様の命令一つで、すぐにでも出撃できます。いかがいたしましょう?」

「では、ハザウェイさんの近くで待機させていてください。もし彼の身に何かが起こった時、あなたがハザウェイさんを助けてあげて下さいね」

「承知しました。大司祭様。では、行って参ります」

 マイザーは深々と敬礼してから、ゆっくりと背を向け、自分の抱える部隊の元へと歩いていった。

「お気をつけて」

 部下の背を見つめるフレイアの視線は、どこか哀しげなものだった。

 

   

 

 プラネテューヌ――東門/近くの草むら

 

 イヴは草の茂みに身を潜め、ひっそりと息を殺しながら、東門を油断のない目つきで観察している。今――この国にはかつてない危機が襲いかかっていた。

 侵略者に攻め込まれるという、とんでもない緊急事態が。

プラネテューヌの国境を守り続けた門に、警備員達の姿はどこにも見当たらなかった。見回しても、そこには武器を手に携えた男達が立っているばかりだった。みな上半身に何らかの幾何学的な紋様を刻んでおり、とても変わった風体をしている。

誰の目から見ても、明らかに不審人物達の集まりであることは明白だ。

そんないかにもといった男達が立ち並んでいるところを見れば、誰もが異変に気づくことだろう。そこには一種異様な雰囲気が立ち込めていたのだから。

(正面に七。右側に六。左側にも六。その数およそ二十……いえ、十九ですね。当初の報告によると二十人から成る部隊だという話ですが)

 イストワールの念話が飛んできた。心の中でのみ繰り広げられる、秘密裏の会話である。イストワールの本体は、プラネテューヌの教会で御留守番をしている。

(数え間違いか、一人死んだか。そのどちらかだな)

 イヴがそっけなく返すと、

(数え間違いであることを祈ります)

 咎めるような声が返ってきた。これにイヴが呆れたように、

(おいおい、敵の心配なんかしてる場合か? あっちは人質を取ってるんだぞ。……――ところで、リンダが人質だという情報に間違いはないのだろうな?)

 念を押すようなイヴに、イストワールはよどみなく答えていく。

(はい。校舎に居残っている生徒名簿の中にも含まれていないと教育機関からの返答が返って来ています。また、近隣住民から彼女の目撃情報が東門付近でいくつか報告されています。念の為、彼女の自宅の方にも確認を取りましたが、まだお帰りにはなっていないとのことです)

(……そうか)

 がっくりと肩を落とした。同時に、身体から余分なモノを吐き出していくかのようなため息を吐いた。これから立ち向かわなければならない難関に。極度の緊張で身が引き締まるような思いだった。出来れば、何かの間違いであってほしかった。

 ちらりと東門を見つめた。おそらくリンダはあの中に捕らわれているはずだと思った。しかし、大男達がその周囲に油断なく目を光らせているため、簡単に近づけるような場所ではない。だからこそあの厳重な体勢が敷かれているのだろう。イヴには、目の前に立ちはだかる巨大な門が、困難の大きさであるように感じてすらいた。

 なぜ捕まったのが、よりにもよってリンダなのだろう。

 あの娘は十にも満たない女の子だ。これから様々な人間に触れ、世界を知り、世界とは何なのか、学んでいく時期。まだまだ成長途中の少女であろうに。なぜ彼女でないといけなかったのか。今すぐにでも相手の懐に飛び込んで、聞いてやりたいくらいだった。

もしかすると大した理由はないのかもしれない。リンダが人質として選ばれたのは、たまたまそこにいたからかもしれない。だとすれば、運命というやつはあまりにも理不尽過ぎやしないだろうか。

(子供を守るべき、大人の手で傷つけられるだなんて……)

そう考えた途端、胸の奥底から得体の知れない情感が湧きあがった。訳も分からず身体が煮えたぎり、沸騰しそうなほどの熱に冒されていった。

それが何なのか、イヴには正体が分からなかった。遥か昔からそばに寄り添っていたようにも感じるし、隣人のように常に隣り合わせだった感情――

それは両親への思いなのかもしれなかった。

自分達の勝手な都合で、娘たちの人生を振り回した、人間のクズ。

勝手に愛して、勝手に飽きて、勝手に捨てて――

ふと、実の親の顔が思い浮かび、ぎゅっと拳を握りしめていた。

そう、あの暗い地下室で、身動きを封じられていた彼女のように――

幸福や不幸も取り上げられ、思考する暇もなく一個の物体として処理されたときのことを。

今のリンダはあのときの彼女と、まるっきり同じ境遇ではないか。

(リンダさんは普段から、この東門へと通っていたそうですよ。警備員の方たちとは、幼少の頃より交流があったそうです。今回はそれが運悪く、裏目に出てしまったのでしょう)

 イストワールが言った。まるでイヴの心を読んだかのように。

(な……)

意表を突かれ、空返事を返していた。いや、まさに文字通りイヴの考えを読み取ったのだ。

現在、イヴとイストワールの脳内はリンクしている。これによって背後から忍び寄ろうとする敵の察知など、イストワールが知らせてくれるという恩恵を得られるが、その一方で、内心の葛藤は、全てこの相手に筒抜けになってしまう。プライバシーもへったくれもない。

(今は他のことなど考えているヒマはありません。人質を取られているのですよ。彼女をどうやって救出するか、それだけを考えましょう)

 だが、全てはまだ知られていないようだ。

 イストワールの声の調子から察するに、人質を救出するためには東門をどう攻略すればいいかだけに意識が振り絞られているようだった。

 自分の奥深くまでは覗かれていないというその事実に、安堵のため息をついた。

(そうだな……)

 頷いた。意識を切り替えるように。

 しばし思案するようにアゴに手を当ててから、

(ここは強行突破しかあるまい)

(ちょっ、イヴさん。もっと真面目に考えて下さいよ)

 ため息をもらすイストワール。しかし、イヴは真面目くさった調子で、

(よく考えてみろ。この悪天候と暗い森だ。視界が遮られるのは必然事項。不意を打つのはたやすい。そして、私にはイストワール――お前という鷹の目がついている。私にとっての最大の味方がな)

 ため息をつく声が聞こえた。だが今度は呆れなどではなく、感嘆であった。

(ならば、最初からそうと言って下さい)

(やつらは私達の国の一角を易々と落としたことで、おそらく油断しているはずだ。プラネテューヌの兵士はなんと脆弱なことか、と嘲笑しているに違いない。これを好機と取らず、何と見るか。今が誇りと名誉を取り戻すいい機会だ)

(そんな……戦時中みたいな言い方をしなくても)

(いいや、違う。これは戦争だよ、イストワール。やつらは戦争を仕掛けてきた。これはいわば宣戦布告の狼煙に違いない)

(……)

(ときにイストワール。お前は戦争がどんなものか、知っているか?)

(いえ、特には)

(だろうな)

(……)

 イストワールはイヴの言葉に大きく首を傾げた。

 

 戦争――

 

大国ルウィー然り、ここ最近の歴史を振り返ってみても、特に大きな戦争は起こっていないはずだった。戦争があったとすればルウィーが誕生する以前の時代――遡ること一万年前の話となる。今の世を生きる者にとっては、動乱の世界など縁遠い。にも関わらず戦争という言葉を、イヴはやすやすと口にしてのけた。まるでつい最近までそれらと隣り合わせだったかのように。

(知らなくていいことだ。だが、こうなってしまった以上は話が違う)

 ゆっくりと背中に手を回し、銃剣の柄を強く握りしめた。

 それは半ば八つ当たりのようなものだったのかもしれない。

あるいはこの窮地を自分でせせら笑っているのか、今までくぐり抜けてきた修羅場の数が、彼女に絶対の自信を与えているのだろうか。もしそうだとすれば一体、彼女はどれほどの地獄をくぐり抜けてきたのだろうか。

(やつらに闇夜の恐怖を教えてやるとしよう。たっぷりと懇切丁寧に時間をかけ、魂と骨髄の奥にまで刻みこんでやろうではないか)

 そう言ってイヴは闇夜の中へと身を投じた。

 森の暗闇の中に、白い痩身を紛れさせるのは容易いことだった。

 彼女が内に抱える闇の深さもまた、そうであるように。

 

      

 

 プラネテューヌ東門――左側

 

「おい、今なんか向こうの方で物音がしなかったか?」

 男がいぶかしげに森の方角を睨んでいる。物音一つとして聞き逃すまいとでもいうふうに耳を澄ましていた。

「はぁ?」

 周囲にいた男達がつられて森を見やる。その数は五人。いずれも黒の教団の司祭、ハザウェイの率いる部下達である。

「何も聞こえなかったが」

 これまで森の中で息を殺しながらひっそりと身を潜め、獣のいななきや鳥の羽ばたく音を聞くことで、獲物の正確な居場所を見極めることに心血を注いできた。そのため暗闇の中に隠れる何かを探しだす技能はとりわけ秀でている。聴覚は極限まで研ぎ澄まされているはずだ。それが彼らの日常だった。

生き残るため、自然に培われてきたスキル。

いわば狩猟者の本能。

いかに雨音で聴覚を制限されていようともまず聞き逃しはしまい。雨の音と、何者かが蠢く音――その両方を精確に聞き分けることが出来るはずであろう。

「情けねえ。ビビってんのかよ、お前」

「あ? 何だとテメェ!」

「やめないか。お前たち」

 胸ぐらをつかみ合う男達を諌めながら、ため息を吐く。それは疲労によるものだけではなく、同情によるものが大半だった。

 彼らの苛々とする気持ちが、ここにいる者には理解できる。

東門を制圧した彼らは、後続に続く部隊のためにここを拠点としていた。プラネテューヌの東門を無傷で陥落させたことにより、彼らの士気は最高潮にまで上がりつつあった。それが意味するものは黒の教団の力が優れているという圧倒的な優位性。

今すぐにでも後続の部隊にもその旨を伝え、この場所に全勢力を集結させるべきだった。プラネテューヌ全土の支配を実現させるためには。主力の一角たるハザウェイは火を操ることに長けており、炎を扱わせれば彼の右に出る者は一人としていない。だが、不幸なことに大嵐が直撃しているため、その力は半分以下も制限されている。一時的とはいえ、この部隊の戦力は大いに低下していたのだ。嵐が過ぎ去ってしまえばその心配も杞憂に終わるが、万が一にもその間に攻め込まれるような事態に直面した際、いつも以上の苦戦を強いることは言うまでもない。

それを補うべく、すぐにでも戦力の増強を計る必要があった。しかし、ハザウェイが増援の招集を頑なに拒んでいる。何か策があってのことなのかと思いきや、当の本人はかつての警備員が使用していた詰め所に籠り、気まぐれに生かしておいた人質で遊んでいるという始末。とても考えがあっての行動とは思えない。

上昇傾向にあった士気を、わざわざ落とすようなマネをして、ハザウェイは何を考えているのだろうか。

いくら夜目が利くという利点を持ち合わせていても、極限的な緊張状態に加え、さらに身体の芯から凍てつくような思いで豪雨の中に晒され続けるのだから、彼らのストレスが高まるのも無理のない話だ。というかこの極限下において、苛立たない奴などいるのだろうか。

敵がいつこちらに気づいて兵を差し向けて来るかも定かではないのだから。

「ハザウェイ様は“女”を待ってるらしいぜ」

 部下の一人が吐き捨てるように言った。

「女? そんなはずはない。たしか……教団の女共はみな、聖地に残っているのでは?」

 大司祭が告げた取り決めを反芻するような男に対し、

「ちげぇよ。ほら、お前も見ただろ。あの写真を」

「ああ、例の“白い女”か」

 得心したように頷いた。

それはつい先日、マジェコンヌとかいう女が持ち込んできた写真だった。

その一枚に、白い女の姿が映っていたのだ。

当然、そこにいた誰もが取り乱した。

白き災厄の翼(ホワイトウイング)――

伝承でしか語り継がれていない伝説の怪物が、現代に蘇ったのだと錯覚したのだろう。

今思い出してみれば滑稽な話だが、怯え戸惑う群衆の中で、あの男――ハザウェイだけは違っていた。

笑っていたのだ――

興奮に肩を震わせながら、未だたとえようもない昂りで欄々と目を輝かせ、食肉を前にした野獣のように猛り狂っていたことを。あの執着心。あの地獄の怪物のような目。あれはどう甘く見積もって普通ではない。誰の目から見ても分かる、明らかな異常だった。

「まさか、ハザウェイ様はあの女をここに呼びよせているというのか?」

「あのガキは、そのための人質だって話だぜ」

「成程……しかし、ハザウェイ様は“あの白い女”を呼びよせてどうするつもりなんだ?」

「おいおい、決まってんだろ。お楽しみだよ、お楽しみ」

 男が実にいやらしい笑みを浮かべた。

司祭ハザウェイは周囲に女を大量に侍らせている。それは黒の教団に所属する者であれば、誰もが周知の事実であった。気性こそ乱暴で粗野でしかないが、あの甘いマスクとその下に隠れる獣のような危うさが、どことなく女を惹きつける魅力となっているのだろう。当の本人にとっては、女などいつでも発散できる肉壺程度の存在にしか思っていないのだろうが。

「冗談じゃねぇ。たかが女一人のために、こんな防衛網をここで張れっていうのか」

「あんなんでも仮にも司祭様だ。何かお考えがあって、白い女を呼びよせているんじゃないのか?」

「まさかハザウェイ様が、あの白い女を警戒してるとでも言いたいのか? どうだか。あのときハザウェイ様本人も言ってたじゃねぇか。てめぇら、たかが白い女一人になにびびってんだってな」

 ハザウェイの声真似をする男に、どっと笑い声が上がる。だが、男はまだ腑に落ちないのか、顎に手を当て、難しそうな顔で考えごとに耽っている。

「うーむ……しかし」

「そんなに気になるならハザウェイ様に訊いてみたらどうだよ。あの白い女は、下の毛も白いんですかってな」

 腹を抱えて馬鹿笑いする男達。中には笑いのどつぼにはまるあまり、大粒の涙を流している者もいた。下品な話題で盛り上がっているそのとき、ふと一人が何事かにはたと気づいたように、

「……おい。一人足りなくねえか?」

 ぽつりと漏らした。

男達の誰もが、今その事実に気づいたようにきょろきょろと辺りを見回している。六人で警備に当たっていたはずだが、ここにいるのは五人のみ。もう一人の姿がどこにも見当たらない。

「そういえば、小便にいくと告げたきり帰ってないな」

「おい。誰かちょっと様子を見てこい」

「ちっ、めんどくせぇな。仕事を増やしやがって」

 結局のところ三人が待機し、二人が見回りに出るという結論に至った。三人の男達は内心ほっとしながら、見回り役になった二人が、ぶつくさと不平をこぼしながら森へと歩き出していくのを見送った。

 しかし、二人が息抜きに出かけた仲間を連れ帰ることはなかった。

見回りに出た男達が帰ってくることは二度となかったからだ。

 

 

 

    ◆◆◆

 

 

 

「おい、さすがに遅くねえか?」

 男達は一様に顔をしかめていた。

待つこと三十分。森を見回りに行った仲間が、いつまでも帰ってこない。

残っていた三人達はみな、帰りの遅い仲間を不審に思ったらしい。

「何かあったのか?」

「さあな。どうする? 様子を見に行くか」

「いや、ダメだ。持ち場を離れるわけにはいかん」

「かといって、このまま手をこまねいているわけにはいかねえだろう。肝心のハザウェイ様は役に立たねえ。このクソムカつく大雨は止む気配もねえ。あいつらの身に何かがあったのなら尚更だ」

 耐えかねたように、一人が弓矢を持って森に歩き出そうとする。

「おい、待て。どこにいくつもりだ。まだ話し合いは終わってないだろう」

「うるせえ。俺はもう見張りはこりごりなんだよ」

「落ち着け。これが敵の仕掛けた罠だったらどうするつもりだ。ここは一旦、他の奴らと連絡を取る。そして、上手く連携を取って相手を囲いこむ必要がある」

「……」

「丁度いいことに、そろそろ定時連絡の時間だ。右側の奴にこの事を報告する」

「ちっ、分かったよ」

 男はポケットから無線機を取り出した。これは元々彼らの所有物ではない。プラネテューヌの警備員から奪った戦利品である。しかし、不便なことに数は三つしかない。そのため要となる場所――右側・左側・中央部にそれぞれ分別して持たされている。

 いかにプラネテューヌが小国といえども、ここまで平和ボケしているとは。外敵への危機意識が欠けているにも程がある――男はそうほくそ笑みながら、無線機の電源を入れた。

「こちら左側。こちら左側。応答せよ、右側」

『――』

 ザーと砂をかき混ぜるような無線特有の音が出迎える。

「実は少々悪い知らせがある。こちらの仲間の半数が――」

『お前たちの仲間はもういない』

 ふいに女の声。

「え?」

『すぐそばで見ているぞ――』

 男達から表情が消えた。冷めざめしいまでに冷酷な女の声に慄然となった。身体の奥底からとてつもない冷気が立ち込め、全身が底冷えするような恐慌に囚われた。

「畜生っ、出てきやがれ! このクソ野郎!」

 無我夢中で叫んだ。誰が叫んだか定かではない。自分の叫び声だったかもしれない。弓を限界まで振り絞り、周囲に潜んでいるだろう敵へと視線を巡らせた。暗闇からの奇襲にそなえて極限まで目を凝らした。

果たして、すぐに動きがあった。

彼らの優秀な聴覚がそれを察知した。方角や正確な位置までも。それが仇となった。

 

轟ッ――と横殴りの旋風がきた。

 

砲弾の如き一撃が男達のすぐそばを掠め、粉塵が空高く巻き上がった。とてつもない衝撃が走り、大地を丸ごと抉り取った。彼らは次々にバランスを崩し、悲鳴を上げて倒れ込んだ。

敵の砲撃――

プラネテューヌは軍隊を編成してきた。敵は大砲でこちらを狙い撃ちにしているのだと、彼らの聴覚がそう告げた。きっと森の向こう側で兵隊達が待ち構えているのだろう。自分達はまんまと嵌められたのだ。

だが、違った。

ふいに、草の茂みから何かが姿を現した。

暗闇から颯爽と躍り出たのは――白い影。

男達は驚きに目を見開いた。

そこにいるのは、たった一人の少女だった。

「――……白き災厄の翼(ホワイトウイング)!」

 男達は恐れと憎しみを込めて、そう告げていた。古い伝承に残されている怪物の名を。

 

 

 

   ◆◆◆

 

 

 

イヴは疾駆していた。

(前方に敵兵。数は三人です)

 イストワールの声が聞こえる。イヴの脳内でしか聞き取れない詳細なナビゲート。しかもやたらな無線よりも性能が良い。

(武装は?)

(弓矢と狩猟用のサバイバルナイフのみです)

(ならば足並みを崩して、接近するのみ!)

 銃剣を取り出して、モードを素早く銃に切り替える。

 四十五口径のリボルバーが顔を出した。大砲の弾にも匹敵するその怪物的な銃を握りしめ、無闇やたらに乱射しまくった。

 もちろんきちんと狙い定められたものではない。全て、敵とは見当外れの場所ばかりに飛んでいっては、次々と地面に大穴をあけていくばかり。

 だが、今はそれで充分だった。敵を殺傷するのではなく、生け捕りにして連れ帰るのが目的なのだから。現に、敵は銃撃に怯えすくんで手も足も出ないでいる。おそらく闇夜も味方してか、イヴの射撃を大砲の弾と錯覚しているのだろう。イヴの持つ銃はそれほどまでに規格外の威力を誇っていた。相手の弓矢を封じるための威嚇射撃として通用していればこちらの思惑通りだ。

そして今――そのチャンスが巡ってきた。

(一気に畳みかける!)

 銃弾が尽きたのを合図に、イヴは茂みから飛び出した。

「この小娘がぁぁぁぁ……っ!」

 手近にいた一人が慌ててサバイバルナイフを突き出した。

相手へ素早く接近しながら、モードを剣へと移行。相手の突き出す刃に、あえて真正面からぶつかりあった。

 きぃん、と刃のぶつかりあう音が響く。剣の勢いに負け、男の手からナイフがすっぽ抜けた。脳がそれを理解するよりも早く、イヴの白刃が男の脳天めがけて振り下ろされた。激しい衝撃が脳震とうを誘発し、その認識が全身に駆け巡るよりも先に、男は気を失ってその場にぶっ倒れた。

(イヴさん! 後ろから矢が来ます!)

 イヴは咄嗟に飛び退いた。

(右から来ます!)

イストワールに教えられたナビ通り、闇の向こう側から矢が飛んできた。イヴはそちらを見もせずに大地を高く蹴って飛躍。矢の射線上を飛び超えていく。

(左……真上から来ます!)

イヴはそれを悠々と回避。射られた矢が虚しく大地に突きささっていく。全てイストワールのナビによる賜物である。

「何!?」

「あいつは後ろに目でもついてんのか!?」

振り向きもせず矢を避ける少女に、男達から驚嘆の声が次々と上がる。

「なんてやつだ……化物か、あいつは」

 矢を上回る速度――矢の飛んでくる位置を正確に把握し、回避するイヴのそれは常人のモノではなかった。

「伝承は本当だったのか……!」

 男達の唇が知らず知らずのうちに動いた。

 

「「……白き災厄の翼(ホワイトウイング)!」」

 

 そして、彼らは致命的な事実に気づかされる。伝承に残されている怪物が何であるかを。幼いころより、おとぎ話のように語り聞かされ、恐れと共に慣れ親しんでいた物語。だが、怪物について語られている事実は数少なく、あまりに抽象的。そして、如何にして世界を滅ぼしたのかということを、彼らは知らされていない。

 

 自分達は無力。こいつの前では圧倒的に無知でしかない――

 

 とっさに身構える二人。だが、ここで予想だにしない出来事が起こる。

「今、何と言った……?」

 白い少女が顔を真っ赤に染め、うつむきながら言った。心なしかその声音は震えている。

「は?」

「私のことを“白”と呼んだな!」

 瞳が大きく見開かれた。

この白い少女は心の底からむかついているのだ。白と呼ばれることに。

男達は間抜けそうに口を開けている。伝承で謳われる怪物が、身体的特徴を指摘され、年頃の女の子のように怒っているのだ。驚きを禁じ得ない。

「――許さん!」

 裂帛のかけ声を上げながら、白い少女が飛んだ。

 男達は呆然と口をぱくつかせながらも、弦を引き絞る手を止めたりはしない。

 矢の射線上に入ってきた愚者をみすみすと見逃す道理は無かった。

 だが、大気を切り裂きながら音速で迫る矢も、少女に触れることは適わない。足を止めることすら適わない。少女の柔肌に到達する瞬間、少女の剣閃で弾き返されてしまう。

「ひぃぃぃぃぃっ……!」

 目が良いとかそんな一言で片づけられるレベルではなかった。やはりただの少女ではない。姿形はそうであってもこの反射神経と速度は紛れもなく、怪物だった。そして自分達はその怪物を怒らせてしまった。神の逆鱗に触れるという蛮行を働いてしまったのだ。

「どうか命だけは御助けを……! 御慈悲をっ!」

 気づけば白い少女が眼前に迫っていた。握られた刀を一閃。男達の胴体に横一文字の閃光が走り、男達の肋骨を紙細工のように粉砕した。男達は激痛に苦悶を漏らしながら、その場に崩折れた。

「……お前たち雑兵に構っているヒマはない。私には時間が無いんだ」

 白い少女は男達が気絶しているのを確認すると、銃剣を背中のホルスターにしまった。

(周辺に伏兵は?)

(生体反応はありません)

(残すは中央か……敵の残存兵力はそこに集結しているはずだ。おそらくリンダもそこに囚われているだろう。調査隊に敗残兵を回収させろ。少しでも情報を聞き出せ)

(……了解しました)

 イストワールとの会話を終え、イヴはちらりと地面に倒れ伏す男達を見やった。

「安心しろ。全て、峰打ちだ」

 少女の口調は、どこか退屈そうだった。

 

  

 

 プラネテューヌ――東門・中央部

 

(どこだ。リンダはどこにいる!)

 イヴは血走った目つきで周囲を見渡した。

侵略者達が雄たけびを上げながら、刃を振りかざして突進をしかけてくる。イヴは怯えるどころかその全てを易々とあしらっていく。次々に屈強な男達と剣閃を組み合わせていく様は、まるで戦場を駆け回る阿修羅のようだった。

(イヴさん、落ち着いて下さい。前に出過ぎです。基本戦術を守ってください)

(リンダはここに囚われているはずだ。早く助けないとあいつの身に危険が……!)

 イヴの血気に気圧されたのか、男達がじりじりと後ずさっている。

(おそらく考えられる線では、門番の詰め所の中が濃厚かと……)

 はっとイストワールが息を飲んだ。

(イヴさん……!)

(何だ?)

(囲まれています……!)

(……!?)

 気づけば弓矢を構えた男達に四方を固められていた。先程、男達が下がったのはイヴに気圧されただけではなかった。一歩身を引くことで、弓矢の射程圏域から離脱。イヴを囲い込んで身動きを封じるのが目的だったのだ。

「動くな。我々は今、お前の心臓に狙いを定めた。いわばお前の命は我々の手に握られているも同然。動いたその瞬間、お前の命の灯火は尽きるだろう」

男達は得意げに笑っていた。まるで獲物がまんまと罠にかかったのを見届けた狩人のように。イヴが少しでも変な動きを見せようものなら躊躇いも逡巡も見せることなく、すぐにでも弓矢を引き絞ることだろう。

だが、イヴは銃剣を握りしめて、静かに機を窺っている。

(イストワール。援護を頼む。弓矢が放たれるまでの正確な情報を逐一伝えてくれ)

 自信たっぷりにイヴは告げた。たとえ雨あられのように矢が降ろうとも、イヴは全てを回避できる確信があった。

(全く、人使いが荒いんですから……)

 イストワールが冷や冷やしたようにため息をもらしたときだった。

「なんだなんだ、騒々しいぞテメェらァ!」

 男が荒々しさも露わに怒鳴り声をまきちらした。その声に、何十人もの屈強な男達が一斉に静まり返った。ガタガタと歯を震わせ、声のする方角をおそるおそる見つめた。

(詰所から誰か出てきます!)

 イストワールの声と同時に、詰所のドアが蹴破られ、二人の人影が姿を現した。

「へっ、本当にこんなところまでのこのこやってくるとはなァ!」

 一人はガラの悪い男だった。

「オレは黒の教団の四司祭――ハザウェイ・レイジアウトってんだ。よろしくなァ!」

甘いマスクに、白くて清潔感のある爽やかな歯。顔立ちこそ整っている二枚目だが、耳や鼻がピアスで穴だらけ。腕にはブレスレット、指には指輪がはめられていて、身体のあちらこちらに入れ墨が彫られている。その男の屈強な左腕には、少女が拘束されていた。

もう一人は傷だらけの少女――リンダだった。

あまりの悲惨さに、思わず目を見開いた。

衣服は脱がされ、下着だけ。その下着も血で真っ赤に染まっていた。両手両足をきつく縛られていたのか縄の痕がある。身体のあちらこちらを刃物で切り裂かれたのだろう。全身が傷だらけだった。

「イヴ! ……イヴっ!」

 リンダの叫び声が聞こえる。頭が沸騰しそうな熱に冒され、意識が朦朧とする。目の前が白濁する。

「貴様っ――リンダに何をした!!」

 弓矢をもった男達に囲まれていることすら忘れ、その場を駆けた。

「動くなといっただろうが、女ッ!!」

 男の怒声と共に矢が放たれ、イヴの胸を射抜かんとした。しかし、激しい雨粒が男の判断を狂わせ、吹き荒れる大嵐が矢の勢いを鈍らせた。矢の軌道は逸れ、イヴの頬をわずかに掠めただけ。つう、と頬から血が流れた。しかし、彼女の足は止まらなかった。

ハザウェイとの距離はわずか十五メートル。短距離を詰めるのは容易い。大地を蹴って、敵の懐へと肉薄。

「リンダを離せぇぇぇぇぇぇ――――――――――――――っ!!」

 鬼神にも勝る雄叫びを上げながら、ハザウェイの喉元へと刃を振りかざした。喉を切り裂こうとした銀閃を走らせた刹那、刃は止められた。

「……っ!」

呻き声を上げるイヴを、ハザウェイの冷笑が出迎えた。

イヴが刃を止めたのは、自分の意思だった。

この男の右腕から生える鋭利な輝きが、リンダの喉元へとしっかり狙い定められていたからだった。

「腕が変形した? ……まさかそれは遺失物(ロストメモリー)か!」

「ほう。女、こいつを知ってるのか? 見たところお前の武器も形式こそ違えど、遺失物(ロストメモリー)のようだな」

「……何?」

「オイ、女。人質が大事だと思うなら刃を引け。今すぐにだ」

「……ちっ」

 イヴは悔しそうに歯噛みしながら、ハザウェイの喉元から刃をそっと引いた。敵の腕には人質。後方には弓矢を構えた男達。状況はこの上なく最悪だった。

 くそっ、早まったか……っ!

「へっ、敵陣の中へ単身乗り込んでくるとは……大した女だよテメェは」

 感銘を受けて惚れ惚れとしたのか、ハザウェイが言った。

イヴは少し前の愚かしい自分を殴りつけてやりたくなった。自分の焦りと怒りがこのような状態を招いたのだ。敵に心臓を握られているに等しかった。

このままだと自分もリンダもなぶり殺しにされる!

この最悪な状況を打開する方法は唯一つしかない。イヴは一か八かの賭けに出た。

「御託はいい! 私はお前の約束を果たした! そちらがとった人質を返してもらおうか!」

「これは失敬。今その約束を果たそう。お前たち、矢を引けェ!」

 驚くべきことに、あっさりとハザウェイは頷いた。部下が弓を引いたのを確認すると、ほらよ、とハザウェイはリンダの背中を乱暴に押しやった。

 ぽんっと勢いよく突き飛ばされ、リンダは前のめりに倒れかかってしまう。

 イヴは呆気にとられながらも、リンダの身体をぎゅっと抱きとめる。

「大丈夫か?」

「うんっ……うんっ!」

「怖かっただろう。よく耐えた」

 自分の服に血が付着するのも構わず、すすり泣くリンダを抱きしめてやった。抱きしめながら、ハザウェイに憎悪をこめた眼で、思いきり睨みつける。

何の未練も残さず、いとも簡単に手放してしまうあたり、人質はこの男の興味とする対象ではなかったのだろうか。いや、そうではない。この男は私を呼び寄せるために人質を使った。

となればこの男の目的は――私なのか?

「さて、感動の対面に水を差すようで心苦しいが、少しお話をしようじゃないか。お嬢さん(フロイライン)

 ハザウェイが言った。言葉では二人を気遣っているようにも聞こえるが、欠片もそんなことは思ってなどいない。

お嬢さん(フロイライン)? この私をお嬢さん(フロイライン)と呼ぶか。これは傑作だな。……なぜこのように卑怯なマネをした?」

「卑怯? 野蛮? そんなものが何だ。それが戦争ってものだろうゥ? それなくして戦いの醍醐味をどこで味わえるというのか」

 ハザウェイは論外だとばかりに、両手を振り乱した。

「きっかけは何でもよかった。とりあえず均衡を破る何かがあれば何でもよかった。オレの仕掛けた工作は結局のところ大した実を成さなかったが、今となってはそんなものどうだっていい。あのマジェコンヌとかいう女のおかげで口実が出来た。戦争という大義名分が生まれた。アイツには感謝してもしきれねェくらいだぜ!」

仕掛けた工作――

その言葉に、森の中で見かけた変死体のことが頭をよぎった。

「成程。いかにもわざとらしいと思っていたが、あれは……プラネテューヌの周囲に置かれた変死体はお前の仕業だったのか」

「ああ、そうさァ」

「なぜだ? なぜお前らは争いを欲する?」

「なぜ? なぜだって? オイオイ、これはおかしなことを聞いてくるもんだなァ!」

 笑いを堪え切れないというふうに、ハザウェイは腹を抱えている。

「何がおかしい」

 じろりと睨んだ。こいつは一体、何を企んでいるのだろうか。

「失敬、お嬢さん(フロイライン)。あまりにも単純なことを聞いてくるもんだから、笑いが止まらなかったのさ。オレ達が戦争を始める理由か。そんなものは簡単だ。むしろ簡単すぎてその質問事態が、愚の骨頂だといってもいい。考えるまでもねェ! それはな――」

 ハザウェイは歯を剥き出しにして、荒々しく笑った。

「楽しいからだよォ!」

「――……なっ!?」

 イヴはたじろいだ。

ハザウェイのあまりの気迫に、その顔が――一瞬、獣のそれであるように錯覚したのだ。

「今どうしてそんなひどい事を言うのかって顔をしやがったな! どうしてだって? ひどい事だって? 何がひどい? 何がひどい事なんだ? オレ達にとっての敵はプラネテューヌだ。プラネテューヌの敵はオレ達だ。だから、こうなるのは当然の結果なんだよォ!」

「たしかにその通りだ。だが……戦争を楽しいというのはいささか腑に落ちないな」

「ハハッ、それはよく言われるぜ。実はな、大見栄きってあんなことを言ったはいいが、オレにとっても戦争って何のか分からねェのさ。でもよ、例えるならアレ! アレに近いんだ。えーとアレだよ、アレ。……なんつうのかなァ」

 腕を組み、難しそうな表情で唸り出した。イヴはちょっと呆気に取られた。敵を前にしているというのに警戒どころか、緊張すら感じられない相手の動向に。いささか奔放が過ぎるというか、仮にもここは敵地なのだからそれ相応の身構えがあってもいいはずである。

かと思うと、ぱっと名案を閃いたように両手を叩いてみせた。

「ほら、ボランティアだ。あれは誰にも頼まれたわけでもねェのに、自分の意思で、自ら身体を張るだろう? 見返りとかを期待しているっていうわけでもねェのに、気づけば身体が勝手に動いてるだろう? 人の笑顔を見るのが大好きです、とか言っちゃってよォ。まあ、ようするに楽しくなるってのはそういうこと。ぶっちゃけ自己満足。つまり、オレにとっての戦争も、こういうことなんだと思うなァ」

「お前は……狂ってる」

 もっと言い返してやりたかった。だが、他に返すべき言葉が見つからなかった。

「狂ってる? このオレが狂ってるだって? テメェは面白いことを言うなァ」

 くくくっ――と笑いだした。イヴの反応を、心底面白がっているようだった。

「戦時中の真っただ中に、正気を求めるだなんてなァ。そもそもテメェの口ぶりは、戦争を引き起こしたオレが悪いと言っているようにも聞こえるぜ。そうやって何でもかんでも他人のせいにするのはよくないことだぞ。いいか、戦争は何も悪くない。一つ、狂気に満ち溢れているものといえば、それは人間だ。戦争を引き起こす人間の意思こそが、狂喜に満ち溢れているとオレは考えるねェ!」

「この戦争至上主義者め。狂ってるのはお前たちだ。戦争を運んでくるお前たちこそが狂気そのものだ!」

「戦争は嫌いだとか、大勢の人間が死ぬとかそんな生温いことを言うヤツらがいる。村は焼かれ、女子供は兵士に一人残らずレイプされる。嫌な話だ。哀しいねェ。涙が出る程悲しいなァ。だが、オレはそんな偽善者共にこう言ってやるのさ! 戦争は悪くない! 何も悪くはねェ! そんなのは一面に過ぎねェ。むしろ良い事づくめだ。戦争は国を豊かにする。武器は売れる。兵器は高騰し、値上がりする。死の商人共はハイエナのように目をぎらつかせ、死肉を食い漁り、新たな骸を求めてたくさんの戦場を闊歩する。領地を拡大し、新たな奴隷を手に入れる。互いが互いを食い合うことでより大きなモノへと姿形を変えていく。他の国の民の血をすすり、血肉を貪ることで飢えを凌ぐのさ。想像してみろ。ちっと犠牲を払うだけで国土は肥え、より多くの人間の命が救われる。天秤にかけるまでもねェ! ここまで効率的な方法がどこにある?」

「戦争で国家が繁栄するとでも言いたいのか?」

「戦争ナシで国が栄えるだとォ? ハハッ、こいつはとんだお笑い草だな。どこにそんな国がある? そんなものはこの世に存在しない。この地上のどこにも存在はしない。あるとしたらそんなものは戦争だけだ。戦争こそ人を救済に導く。奪って殺して骸を薪とすることで、より大きなモノへと燃え盛り、互いが互いを食い合い、生き残った者こそが、この世界の覇者として君臨する権利を得られるのさァ。ほら、見ろ。人間の狂気こそが民衆を救済できる。まるで戦争こそがこの世の楽園じゃないかァ!」

「お前はまだ本当の戦争が何であるかを知らない、ただの子供だ。戦争という現象に憧れを投影しているガキに過ぎない。分かったらさっさと戦争ごっこをやめろ」

「嘘だと思うか? オレを詐欺師(ペテン)だと罵るか? ならばテメエらの歴史に聞いてみろ。教科書を開くだけでいい。そこにはありのままの事実が記されている。歴史がそれを証明している。死者が大勢出ようと、それがいかに残酷であろうと、それがいかに悲惨な過去だろうと なんだっていい。多少の犠牲で裕福になれるんなら、命なんて安いもんだろォが!」

詐欺師(ペテン)じゃなければ聖人君子だと名乗るつもりか? 安いのはお前の考えだ。お前は歴史を盾にして、自分の考えを正当化しているに過ぎない愚か者だよ」

お嬢さん(フロイライン)、オマエはどっちだ? 平和を訴える偽善者か? 戦場で骸を食い漁るハイエナか? それとも、人間の狂気を奉る信仰者か? さあ、どっちだ。どっちなんだ? ――まあ、そんなものは聞くまでもねェな」

「……何?」

 つい訊き返して、ぎくりとなった。ハザウェイが不敵にもニヤリと口元を歪めた。

それがイヴにとっての致命的な誤りだった。

「お前の楽しそうな顔が、とうに答えを告げている」

 ずぶり、と心臓を剣で抉られたような痛みがきた。

「――」

 おそるおそる口元に触れてみる。

口元が引きつっていた。

水たまりに、自分の表情が映っている――

たしかに、そこで嗤っていた。

おかしそうに笑う自分が、そこにはいたのだ。

「血の味を知るケダモノ、か。さすがだ。テメェは戦争をよく知っている。戦果の火が何をもたらし、そこからどんな怪物達を生み出すかを理解している。オレの目に狂いはなかったという事が、こうして立証されたわけだ」

ハザウェイが優しささえ感じられる目で、こちらを見つめていた。それは同胞に向ける憐れみ。憐憫の情だった。

恐ろしさのあまり、視線を逸らした。顔を上げられなかった。

すぐそばにハザウェイがそびえ立っている。まるで、怪物が山の向こう側からのっそりと姿を現したかのように。

「私はっ……私は……そんなっ!」

(イヴさん! 相手の言葉に惑わされてはいけません!)

 イストワールの叱咤の声が聞こえてくる。イヴの動揺が心を通して伝わってきたのだろう。しかし、それすらも耳を通り抜けてしまい、イヴの心には届かなかった。ハザウェイの声が――あの地獄の怪物のような男の声が頭にこだまする。

「お前が笑っているのは、オレの言葉に共感を覚えたからだろう?」

 違う! 違うんだ!

 震える手で顔を覆った。こんな醜い顔を見られたくなかった。

「お前がここまで来たのはそこの小娘のためなんかじゃない。殺したかったからだ。 たくさん殺せると思ったからだろう?」

 私はお前なんかと違う!

そう否定すればいいだけのはずなのに。上手く言葉が出て来なかった。ひきつった口元が直らなかった。

あの男を否定できない!

「あの警備網を抜けて、ここまで辿り着いたんだ。それまでに遭遇したオレの兵士も、当然殺してきたんだろう?」

「殺してなどいない! 一人も――そう、一人もだ!」

 自分は誰一人として殺してない。その事実にすがるようにそれを繰り返した。

「なぜ? なぜ殺さなかったんだ」

「それは……」

 言葉に詰まった。

 ようやくすがりついたモノから突き放されるような、絶望の濁流が押し寄せてくる。

 リンダが不安そうな目で見つめてくる。

 それは四方八方から弓矢を突き付けられているよりも、イヴの胸をひどく抉るものがあった。

「目を閉じるなァ! それは思考停止だ! お前の罪を前にして顔を背けるな! 考えろ! 考えるのを止めるな! 考え続けろ! その腐りきった脳みそを振り絞れ! 歴史は繰り返される! 過ちという名のなァ!」

 なおもハザウェイの糾弾する声は降りかかる。考える度に自分の心が苛まされていく。

なぜ自分は殺さなかったのか?

誰も殺したくなかったから……?

いや、ならこの胸に粘つくような乾きは何だ。

私はっ、私はなぜ笑っているんだ! あの男の話の何に笑っているんだ。この私があの男の話に共感を覚えているとでも言うのか? だが、先程の戦闘ときから感じていた退屈は何だった。私は一体、何に飢えを感じているんだ!

考えてみれば不思議な話だと思う。こんな連中殺そうと思えたならいつでも殺せたはずだ。こいつらは門番の命を虫ケラのように踏みにじったのだ。それだけではなく、リンダにトラウマが残るようなことをしでかした。こんな外道以下の畜生共を生かしておく道理もない。だから殺されたって文句は言えないはずだ。奴らだってその覚悟でこちらに戦争をしかけてきたのだろう。

それなのに――

何故、私はこいつらを殺さなかったのか!? 

答えのない思考が、ぐるぐると頭の中を渦巻いていくばかりだった。

(イヴさん! しっかりしてください、イヴさん!)

 イストワールの制止の声。なんとかイヴの意識を必死に引っぱり上げようとしていた。しかし、イストワールの声は段段と遠ざかり、自分の意識だけが深い深い思考の海の中へと沈没していった。

そのとき海底から上がるあぶくのように、泥と埃の臭いが脳裡に湧き上がってきた。

あれは気の遠くなるような昔のこと――

ボロ布だけをまとい、必死にスラムを駆けずり回っていた日々。

そこでは毎日が戦いだった。

お腹がすけば食べ物を盗み、喉が乾けば汚泥をすする。右も左も分からぬ旅行者や、肥え太った商人を襲撃し、そいつが持っている何もかもを奪った。必要ならば殺しもやった。

街中には裏切りが蔓延し、貧民街には飢えと病気の魔の手がはびこり、常に死と隣り合わせだった。

もし街を巡回する憲兵に捕まれば、施設に入れられるか、奴隷商人に買われ、商品として一生を終えるかのどちらかだった。

昨日笑っていた仲間が、明日にはひからびた骸骨へと変わり果てていることだって珍しくはない。街は墓標と化し、名もなき骸ばかりがうず高く積み上げられていた。

同じスラムの子供から、暗い噂を耳にしたことがある。

施設に入れられたり、奴隷商人に捕まった子供がどんな末路を迎えるのかということについて。施設に入れられれば子供を守るべき大人たちから性的ないたずらを受け、およそ人間らしい扱いをされないということ。奴隷になれば商品として様々な人間の手へと売り渡されるということ。異常な趣味を持つ客の元へと売り渡され、幸福も不幸もなすがままに取り上げられ、なぶり殺しにされるということ。

どちらにせよ、そこに人間として望みうる幸福と尊厳は約束されていない。

虫のように踏まれ、虫のように蔑まれ、虫ケラのように死ぬ――虫の人生。

そんなものは死んでも真っ平御免だった。

味方は一人もない。

そこは弱い者から順に死に絶えていく――

まさに弱肉強食の世界だった。

弱いモノから順に死に絶え、強いモノだけが生き残る。

飢餓で倒れていく仲間を気にかける者は一人もいなかった。情けをかければただでさえ少ない自分の食いぶちが損なわれる。信用して背中を預ければたちまち背を刺され、そいつの糧となる。

誰かを助ければ、誰かに裏切られる。

これは言わば、生き残るための戦い。

おそらく、私は今でも何かと戦い続けているのだろう。

生きるために何かを犠牲にし続けている。ただ、生き延びるためだけに。たとえそれが虫ケラ同然の命であろうと。

私は――私はっ……!

「イ、イヴは人殺しなんかじゃないよ!」

 突然、喉を振り絞ったような叫びが轟いた。

 耳朶を打つその声に、現実に引き戻されるイヴ。

その場にいた誰もが注目した。ただ一人の少女に。

「リンダ……」

「イヴはいつだってわたしを助けてくれた! わたしが諦めてもイヴは諦めなかった! 諦めたら終わりだってわたしを励ましてくれたのよ! こんな何も取り柄のないわたしに……生きる希望を……夢をくれた!」

「――あぁ? おい、クソガキ。テメェ、横からしゃしゃり出てきやがって何様のつもりだ!」

ハザウェイが怒りで眉間をひくつかせ、威圧するように鋭い目つきとなった。

一瞬、リンダが怯えに声を詰まらせる。しかし勇気を振り絞り、肩をふるわせ、声高に叫んだ。

「あなたなんかとは大違いなのよ!」

「うっせぇ! ガキは黙ってろ!」

「だっ、黙るのはっ、あなたの方よ! この人殺しっ!」

 ハザウェイから表情が消えた。わなわなと顔をひきつらせ、激昂するかと思いきや、

「……そうか、成程な。よく分かったよ。おい、ガキ。どうやらオレはテメェを過小評価していたようだ。守られるだけのお姫さまではなく、ちっとは賢いところのある姫君のようだ。おかげでオレは納得がいったよォ」

 何を考えたのか、くつくつと笑いだした。

お嬢さん(フロイライン)、提案がある」

 ハザウェイの双眸が、イヴを真っ向からとらえた。くくっとかすかな笑い声が聞こえてくる。笑いを殺そうと努力して、それにも失敗して、漏れ出たような笑い声だった。

そのギラギラとした眼差しは獄炎のように一種の異様な輝きを――いや、情熱の真紅のように猛り狂っている。

「オレと一対一の殺し合いをしようぜ。テメエが勝てば、オレ達の軍を退けることを約束しよう。ただし、もしオレがテメェに勝った場合――オレの女になれ」

「は……?」

「戦争を忘れたというのならオレが思い出させてやろう。きっと身体は覚えているはずだからな。あのまとわりつくような熱い快感のうねりと、全身に血がさかのぼるかのような高揚感を!」

 男の全身からむわっとした狂気がほとばしり、周囲を支配していくのをイヴは肌で感じた。

戦闘への飽くなき執着心。異常なまでの支配欲。

打算も明晰な頭脳あっての行動ではない。

ただ、本能のままに動くケダモノ。胸の中で猛り狂う闘争心にのみ突き動かされる衝動的な存在。この男はそれだけなのだとイヴは咄嗟に理解した。

「……いいだろう。その挑戦、受けて立とう」

「イヴ!?」(イヴさん!?)

 リンダとイストワールが驚いたような声を上げた。構わず続けた。

「しかし、条件がある。リンダの身の安全が第一条件だ。この場から五体満足で帰すというのならば、それも良し」

ハザウェイは満足したようにニヤリと笑んだ。

「いいだろう。オレは約束を守る男だ」

 驚いたのはリンダとイストワールだけではなかった。ハザウェイの部下たちからもどよめきが起こった。近くにいた部下の男達が、白目を剥いて詰め寄った。

「ハザウェイ様! 一体、何をお考えなのですか!」

「危険です! あなた様の力はこの天気で制限されているのでしょう! 弓矢部隊で包囲してしまえば、無抵抗のままに連れ去ることは容易でしょうに!」

「うるせェ! テメェらとは話してねェよ!」

 ハザウェイは鬱陶しいハエを叩き落とすように、部下達を一刀の下に斬り捨てた。上半身と下半身が別たれ、腸がこぼれ落ちては、スプリンクラーのような勢いで大量の血液を噴出。辺りが血の河に染まっていく。

 リンダはひっと悲鳴を上げて顔を背けた。イヴがすかさず安心させるように抱きしめる。

「心配はいらない。私はあんな男に負けたりはしない」

「イヴ……」

「お前だけでもここから逃げるんだ」

「でも……」

「最初に出会ったときのことを覚えているか。お前を守るという約束を。あれはまだ終わっていはいはずだ」

「……!」

 リンダがはっと息を飲んだ。その言葉で全てを悟ったかのように、ただイヴの顔をじっと見つめている。

「私は嘘つきではない。必ず帰って見せるさ。お前たちの元へ」

「……うん、分かった。待ってる。わたし、待ってるからね!」

 リンダは走り去った。名残惜しそうに目をうるわせ、何度も何度も途中で振り返った。イヴは彼女が森の入口にまでしっかり走り去っていくのを見届け、部下たちに不審な動きがないかを確認してから、今一度ハザウェイに向き直った。

 どの道、決闘を断ったところでこの場から無事に逃げ帰れるとは限らない。ならば少ない可能性に賭ける以外に道は無かった。二人の内、せめて一人でも生かす方法を。リンダをこの場から脱出させる方法を。

 キッと目を細め、真っ向から挑むようにして睨みつけた。怪物のようにそびえるこの男を。

「ルールは簡単。オレ達は今から一対一での決闘を始める。その間はオレの部下にも一切の手だしはさせねェ! 勝敗の条件は――先におっ死んだ方の負け! どうだ。とっても簡単だろォ?」

「ああ。実に分かりやすい。さっきの長ったらしい高説よりかは好感が持てるな」

 男の声を聞きながら、自分はなぜ部下の男を殺さなかったのか考えた。だが、その答えはすでに出ていた。きっとあのときのリンダの叫び声が全てなのだろう。

(そうだ。……私はこいつなんかとは違う)

不思議だった。誰かが自分を肯定してくれたという事実だけで、こんなにも身体の奥底から力が湧いてくるだなんて。

こんな男に負ける気はしなかった。そうだ、負けるわけにはいかないのだ。

ネプテューヌ、ノワール、プルルート――

あの三人の帰って来られる場所を守らなければならない。リンダが安心して暮らせる世界を作るために。

(すまない、イストワール。私のワガママにもう少し付き合ってくれ)

(何を今更)

 イストワールの声はとても心地よかった。こうして支え続けてくれる仲間がいる限り、私は負けるわけにはいかないのだから。

「この世はいつだって弱肉強食よォ! 欲しいモノは力づくで奪う。大国が小国を取り込むことで植民地を拡大していくように。奴隷がそうだ。いわば、敵国の民を自分達の戦利品として支配するための通過儀礼ってヤツじゃないか。戦争ってのはそういうもんだろう?」

ハザウェイの足元に捨てられた、部下の男達から流れる血が、イヴの足元へと到達した。

まるで血の大河が、二人の間を結んだかのような光景。

「私は誰の鞘にも収まる気はない。私を止められるならやってみせろ!」

 挑むようにイヴは銃剣を構えた。

「血の糸で結ばれる未来が見えてくるようだ。鮮血に染まったヴァージンロードが愛し合う二人の門戸を出迎え、無数の屍の山がオレ達に祝福の祝詞を贈ってくれるだろう。――さあ、二人で築き上げようじゃねェか。この世の地獄を! 世界の果てをなァ!」

 ハザウェイの雄たけびと共に、右腕が変形した。

「さあ、来いよォ!」

灼熱を帯びた刃が現れ、じっとりと湿った空気を焼け焦がしていく。熱を帯びた刀身に雨粒がぶつかり、じゅわっとした音を上げながらもくもくと水蒸気を立ち込めさせていく。火を噴く怪物のようなそれを振りかざし、イヴを情熱的な眼で見据えた。

た。

「全力で抱きしめてやんよ。――愛しい愛しいオレの宿敵(どうほう)ッ!!」


 
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