ひとつ、ひとつ、踏み締める度に音が鳴る。厚い靴底で削るように、土の上を撫でていく。湿った土は多少の弾力を持ってそれに応えた。足の裏に染み込んでいく、生温い感触。乾いてくれればいいのに。朧気な願いは声にはならず、ただ一陣、風が黒髪を揺らした。
「何してんだ」
背中に投げられた投げ遣りな声に、ハンジは首を回し声の主を探した。壁外調査で辿り着いた、古い市街地。頼りなく揺れる視界のそこかしこから煙が上がり、レンガやガラスが無造作に散らばっている。そして、数メートル離れた場所から真っ直ぐ自分を睨み付ける、小柄な兵士。
「リヴァイ」
「突っ立ってんじゃねぇよ、撤退の合図が見えねぇのか」
リヴァイは吐き捨てるように話しながら、自身の袖についた汚れを払った。一歩一歩、ハンジに近づきながら、いかにも汚らわしいという風に顔を顰めている。その足音はやはり湿っていて、ハンジは思わず目を細めた。リヴァイはその様子に気が付いたようだが、何も言わず、ハンジの腕を乱雑に掴んだ。
「帰るぞ」
「ねぇ、リヴァイ」
踏み出そうとしないハンジを睨みながら、それでも無理に引こうとはせずに、リヴァイも同じく立ち止まる。沈黙が風を呼び、二人分の黒髪を揺らした。湿った土は舞い上がらずに、地に伏したまま、朽ちていくのだろう。風が強くて、苦しくて、ハンジは俯き瞬きをして、踏み締める地面を見下ろした。地面は赤く濁っている。そっくりだ。私の服と、同じ色。
「どうして、人間の血は、蒸発しないのかな」
最後に疑問符が付くか付かないか、とても曖昧な問いを風に混ぜる。聞きたいのか、答えたいのか、それさえも曖昧に、ハンジはただじっと赤い地面を見つめ続けた。巨人の血は消えるのに、私の服はいつまでも染まったまま。わからない、わからないのだ。どうしてこの世界は、空から人の頭が降ってきても、おかしいと思えない、のか。
顔も上げずに立ち尽くしていると、ぐい、と、唐突に腕を引かれた。リヴァイは何も答えずに、ハンジの腕を乱暴に引いたまま歩き出す。そうだ、撤退だ。早く馬のところに戻らないと。思考の表層ではそう考えて、けれど頭の奥は緩やかに、痺れたまま反応しない。土は赤い。風は強い。嗚呼、嫌になる。
「帰るんだ」
突然落とされた言葉に、ハンジは反射的に顔を上げた。リヴァイはこちらに背を向けたまま、ただ腕を引いて歩き続ける。乱れるように絡み合う、湿った足音。真意を図りかねて、ハンジは言葉の続きを待った。何度か風が頬を掠め、合間を縫うように、言葉が続いた。
「帰って、水を浴びる。そうすりゃ血は落ちる。蒸発はしないが、消える。馬鹿なこと考えんな、クソメガネ」
確かめるように、含めるように、ひとつひとつ言葉を切って。その間にも進んでいく、二人分の足音。いつの間にか地面は赤くなくて、踏み締める度に乾いた音が鳴っていた。同じ音が、同じく鳴る。嗚呼、そうか、私は今、ひとりではないのだ。
恐らく彼なりの、不器用で無愛想な彼なりの、精いっぱいの言葉をくれたのだろう。よかった。ハンジは思った。今、リヴァイが振り返らなくて、本当によかった。瞼に滲む熱を誤魔化そうと、瞬きをしながら空を仰ぐ。視界に広がる澄み渡る青。穏やかな色。
そっと、目を閉じる。どうして、どうして。何度も私は、私達は問うのだろう。それはもしかしたら、神様とやらに。けれど答えは返ってこなくて、足元に転がる誰かだった塊に、立ち止まることも出来なくて。土は赤くて、風は強くて、世界はいつも薄暗くて。
(帰るんだ)
それでも、きっと、この腕は繋がったまま。
ごお、と、一際大きな風が鳴く。消せないよ、と、掠れた声で囁くと、かろうじて相手に届いたようで、リヴァイは何も答えずにただ、握る手を僅かに強めた。閉じた視界は暗闇のまま、どこからも答えは無い。かろうじて感じる確かな温もりに、ハンジは縋った。
つつがなく幸せを
( どうか いつの日か 願わくば君も )
Tweet |
|
|
0
|
0
|
追加するフォルダを選択
ハンジとリヴァイがまだ兵士になったばかりのお話です。シリアス注意。