第三十三話 ~ 心 ~
【アヤメside】
薄暗い樹海の中を俺は全力疾走していた。
俺の背後では、数匹のモスケイルヴァイパーが音一つ立てずに俺を追尾してきている事だろう。
何故逃げているかというと、《タロン》の補欠的な役目の《二代目ハームダガー》が役に立たなかったからだ。
予め設定されていたスペックの限界なのだろう。
そうは分かっていても、顔にこそ出ていないが内心でかなり焦っていた。
「キュイ、まだ残ってるか?」
「キュィ」
真っ直ぐ前を見ながらキュイに尋ねると、ポケットの中から肯定を表すくぐもった声が聞こえた。
「しつこいな……」
蛇は執着心が強いなんて言うけど、流石にここまでしつこくは無いと思うぞ。
制作者に悪態をつきながら走っていると、前方に空間の揺らぎを発見した。
「出口だ」
そう見て取った俺はラストスパートを掛ける。
流れる風景がぐんぐん加速していき、揺らぎを突っ切るようにしてダンジョンを飛び出た。
「脱出」
「キュキュィ!」
数日振りに出たように感じる第八層フィールドは少し薄暗いが、《
思わず目を閉じた俺は、右手を振ってメニューを開き《暗視》をオフにする。
「キュィ……?」
ゴソゴソと言う衣擦れの音がすると、続けてキュイの心配するような鳴き声が聞こえてきた。
「大丈夫だ」
そう答えてからゆっくり目を開ければ、両目は既に明順応を完了させていた。
「キュイ、家までの道案内任せられるか?」
「キュィ」
もちろん、と言う自信を含ませた鳴き声を上げたキュイは、マントから這い出して地面に着地したあと周囲を見渡してから進み出した。
それでも二十メートルくらい移動すると立ち止まり、周りを警戒してから動き出す。
さっきの蛇たちの事が尾を引いているのか、行きよりも落ち着いていて慎重な足取りだ。
キュイに導かれるまま四、五十分ほど移動し続けていると、一度も戦闘をせずにゴールとなる家の前までたどり着いた。
「……キュイ。お前、モンスターを避けて移動してた?」
「キュィ」
俺に気を使ってくれたのか、モンスターに遭いたくなかったのかは分からないが、俺は前者だと勝手に解釈してキュイに感謝の言葉を述べる。
「キュキュィ……」
キュイは照れたように鳴くと、小屋の玄関まで走り出した。
キュイを追い掛けて俺も玄関前まで走る。
視界の端では、キュイのHPバーが消滅し【キュイがパーティから離脱しました】と言うウィンドウが表示された。
玄関に着いた俺は、ドアノブに手を掛け「ただいま」と言いながらドアを開けた。
「リン」
家に入った俺とキュイは、その足でリンが寝ている部屋に入った。
部屋のベッドには、額に汗を滲ませて苦しそうな表情でリンが眠っている。
出発時よりも毒が体を侵攻しているようだった。
「…ぅ…」
「キュキュ」
リンが小さな呻き声を上げると、それを聞き取ったらしいキュイがベッドに飛び上がり、リンの顔を心配そうに覗き込んだ。
「……んっ……あれ?」
その直後、リンが目を覚まし、翠と蒼の瞳を隣にいるキュイに向けた。
「キュイ……ちゃん……?」
「おはよう、リン。大丈夫か?」
「お兄、さんも……」
ベッドに近付きリンに声を掛けると、リンは顔だけ動かして俺の方を見た。
少しだけ表情が柔らかくなったような気がする。
「言われたものは持ってきた。どうすればいい?」
アイテム欄から今回のキーアイテム、《ヴァイプハーブ》をリンに見えるようにオブジェクト化させて尋ねる。
「赤い実を…二粒食べるだけ、です……」
そう言いながら、俺からヴァイプハーブを受け取るためにリンは震える手を伸ばした。
「いいよ。食べさせてやる」
その手を俺は優しく掴んで布団の中に戻してやり、続けてヴァイプハーブをタップして【使う】を選択。
二粒の赤い実は茎の先から勝手にポロリと取れ、それを地面に落ちる前にキャッチすると逆の手に持っていた実以外の部分は役目を終えたかのように消滅した。
「口を開けて」
手に赤い実を持ちながらベッドの傍で膝を着いてリンに促す。
リンは視線を彷徨わせて少しの間逡巡すると、目を閉じて小さく口を開いた。
その姿がいつしかの涼とダブり、俺は思わず苦笑しながら赤い実を食べさせる。
「慌てて食べて喉につっかえさせるなよ」
そう言うと、リンは言われた通りゆっくり咀嚼し、急に顔をしかめた。
「キュキュ……」
その様子を心配そうな眼差しで見ていたキュイが不安げな声を上げる。
「んくっ……。大丈夫だよ、キュイちゃん。ちょっと、渋かっただけだから」
そんなキュイに、リンは顔をしかめながら答えた。
「そう言えば、説明欄に【渋味はあるが】とか書いてあったな……」
まだ少し頬が引き吊ってるところを見るに、かなり渋かったらしい。
「どうだ、リン?」
「そんなに直ぐに効果は出ませんよ……?」
急かすように尋ねた俺にリンは苦笑気味に答えたが、「でも」と朗らかに笑って続けた。
「少し楽になったかもしれません。ありがとうございました」
その笑顔と言葉を受け取って、俺は諦めなくて良かったと心の底から思った。
「見つけられたのはキュイのお陰だ」
「そうなんですか。キュイちゃんもありがとう」
「キュィ」
キュイはリンの頬に顔をこすりつけながら嬉しそうな声で鳴いた。
「それじゃ、俺は向こうにいるよ。道案内は良くなってからでいいから、ゆっくり休め」
そう言いながら俺はベッドの傍から立ち上がり、部屋を出ようとドアに足を向けた。
しかし、それはマントの裾を引っ張る小さな手によって阻まれた。
「あの……もう少し、傍に居てもらえませんか?」
リンはマントの裾を掴んだまま、頬を少し赤らめて恥ずかしそうな声で言った。
「……分かったよ」
こういう顔をされると、俺はどうにも断れない。
マントと短剣を解除して肩を竦めた俺は、部屋にあったイスをベッド近くに引いて腰掛けた。
「キュァ……」
すると、キュイがベッドから俺の膝に飛び移り、欠伸かみ殺すような鳴き声を上げるとそのまま丸くなった。
「ふふ。なんだか妬けちゃいますね」
その様子を眺めていたリンは、キュイを見ながら嬉しそうに笑う。
「この子がこんなに懐くなんて、お兄さんはやっぱり優しい人なんですね」
「そうなんだろうか? 自分じゃよく分からないな」
「絶対にそうですよ」
力強く肯定されて少しむずがゆい。
なんとなく居心地が悪くなった俺は、誤魔化すように左手でいつの間にか小さく寝息を立てていたキュイを撫でた。
「……お兄さん。少しいいですか?」
しばらく撫で続けていると、キュイを我が子のように見つめていたリンが寝返りを打って体ごとこちらに向けてきた。
「なんだ……?」
キュイを撫でる手を止めてリンを見ると、色違いの双眸と視線が交わった。
「お兄さん、私が治ったら行っちゃうんですか……?」
「……そうだ」
一瞬、なんと答えればいいのか迷った俺は、素直な答えを出した。
「シリカにキリトにアスナ、リズベット、クラインやエギル。こことは別の世界にはお前にそっくりな俺の妹の涼。ほっとけないヤツや大切な仲間が沢山いるからな」
「そうですか。じゃあ、仕方ないですね……」
「どうかしたのか?」
まるで俺を行かせたくないような口ぶりに、俺は疑問符を浮かべた。
「………。お兄さん、キュイちゃんは私と同じって昨日の夜言ったのは覚えてますか?」
数秒の沈黙の後、リンは重々しく口を開いた。
「私もキュイちゃんと同じで、私が生れた村の人たちから爪弾きにされたんです。……お兄さん、私の眼を見てどう思いますか? 《不気味》とは思いませんでしたか?」
そんな事思っていない、と首を横に振るとリンは嬉しそうに微笑み、直ぐに目を伏せた。
「私が生まれた村の人は、私の眼を不気味と捉えたみたいなんです。そして、私を《悪魔憑き》だと言って村から追い出しました。……まあ、ひとり立ち出来るようになるまで待ってくれましたから怨んではいないですけどね」
そう言うリンの目には確かに怨みの色は無かった。しかし、深い悲しみの色はあった。
「ここに迷い込んだ人も私の眼を見ると逃げてしまいました。でも、お兄さんだけは違って、お兄さんは私の眼を見ても怖がらないで私と普通に接してくれたんです」
リンの手が俺の手を掴み、潤んだ瞳はそれぞれが宝石のように輝き真っ直ぐに俺を見据える。
「お兄さん、どうか――――」
「ストップ」
言いかけたリンの唇に人差し指を押し当て、俺はその先を言わせないようにした。
涼そっくりなこの少女に、今にも泣きそな声でそこから先を言われたら俺は間違いなく頷く。そう思ったから、俺はリンに言わせないようにした。
「なんと言われようと俺は帰る。これだけは譲れない」
そうきっぱりと拒絶を表すと、リンは悲しげに目を伏せる。その頬には涙が伝っていた。
「でも、また遊びに来る」
「……え?」
リンの頭を優しく撫でてそう言うと、リンは呆けたような声を出して顔を上げた。
「別に、二度と来ないなんて言ってないだろ? たった一回の別れで切れるほど、一宿一飯の恩と命を助けた借りは脆くない。それとも、リンには俺がそんな薄情な人に見えるのか?」
「……いいえ」
「なら泣かないでくれ。また必ず会いに来るから」
「……はい……」
たかが作られた《プログラム》に何マジになってんだか、と人は呆れるかもしれない。指を差されて笑われるかもしれない。けれど、そんな事構わなかった。
昨日の夜や蛇木の樹海、そしてさっきのリンの独白を見て分かった。
リンやキュイには《心》がある。
プログラムだろうが何だろうがこれは覆しようのない事実で、そして心があるのなら、それはもう、俺たちと変わりなんて無い。
彼女たちも、この世界で《生きている》のだ。
「……お兄さん」
「今度はなんだ?」
「今だけで良いですから、手、繋いでくれませんか?」
「……分かったよ」
「……ありがとうございます」
それで笑ってくれるなら、喜んで承ろう。
翌朝、ヴァイプハーブの実の効果は覿面らしく、リンはたった一晩で完全回復した。
リンとしては「もっと時間掛けてもらっていいんですけどね」とのことらしい。
今朝は、朝食を済ませ少し食休みをしたあと、約束通りリンに帰り道の道案内をしてもらった。
リンの肩にはキュイが乗っていて、ちらちらとこちらを見ていた。
心なし垂れ耳が昨日や一昨日よりも垂れているように見える。
リンは自分の庭のように薄暗い樹海の中を進んで行き、三十分くらい歩くと徐々に道が出来てきた。
「この獣道を一直線に進んでいけば《クウィヒル》に着きますよ」
リンが進んでいく道は深い樹海がまだまだ続いているが、なんとなく見た事があるような気がする道だ。多分、迷うことは無いだろう。
「リン。ここまでで大丈夫だ」
「そうですか?」
「一直線だけなら、迷うことも無いと思う」
「そう…ですか…」
リンは寂しそうな目をして俺を見た。
まだ一緒に居たいと言っているようだった。
「あんまり遠くに行き過ぎると、今度はリンとキュイが危ないだろ?」
「ん~~……分かりました」
しかし、俺は声色に心配を含ませてやんわり断り、リンは渋々といった様子で頷いた。
「それじゃあ、ここまでですね。薬草採ってきてくれてありがとうございました」
「俺も二晩泊めて貰ったし、道案内もしてくれたんだからおあいこだろ」
「……じゃあ、私とお兄さんの貸し借りはこれで終わりですか?」
「そんなわけないだろ。ちゃんとまた遊びに行くよ」
念を押して尋ねてくるリンに小さく苦笑して返す。
「じゃ、またいつか行くからな。さよなら、リン。キュイもさよなら」
「約束ですからね。お兄さん、さようなら」
「キュゥ……」
名残惜しそうに鳴くキュイの頭を軽く撫で、俺は二人に背を向けた。
「…………キュィッ!」
「あっ、キュイちゃん!?」
二人に背を向けて十五メートルくらい歩いたとき、後ろでキュイの鳴き声と驚いた様子のリンの声が耳に届いた。
何事かと思い振り返ると、キュイが大ジャンプして俺の胸に飛び込んできた。
「キュィ、キュィ……」
条件反射でそれを抱き留めると、キュイはイヤイヤをするように頭を横に振った。
「キュイ……」
これをどうするべきかと迷っていると、傍に寄ってきたリンがある提案した。
「……お兄さん、キュイちゃんも一緒に連れて行ってくれませんか?」
その提案に、俺は少し驚いた。
「……いいのか?」
「はい。キュイちゃんに、世界には優しい人や生き物が沢山いるって事を教えて上げてください。……私では出来ませんから、私の代わりにお願いします」
そう言って、リンはペコリと頭を下げた。
「キュイはどうしたいんだ?」
「キュゥ……」
キュイは俺の顔を見上げ、そのあとリンの顔を見た。
「私は大丈夫だよキュイちゃん。だから、行ってらっしゃい」
リンはそう言ってキュイに微笑みかけた。
「……キュィ!」
キュイはその言葉を受け取り、力強く一回鳴いたあと俺の顔を見上げた。
「分かった。キュイがそうしたいなら何も言わない」
俺はアイテム欄から袋をオブジェクト化し、その中からキュイの大好物らしいクッキーを一枚取り出してキュイに渡した。
「様式は守らないとな。……ほら、食べていいんだぞ」
不思議そうな顔で俺を見ていたキュイは、一声鳴いてからクッキーをかじりだした。
その途端に現れる一枚のウィンドウ。
【《キュイ》をテイムしますか?】
「もちろん」
迷わずOKボタンを押すと、【キュイがテイムされました】とのウィンドウに代わり、消えたはずのキュイのHPバーが追加された。
「キュキュィ」
クッキーを食べ終えたキュイは、満足そうな顔で俺の右肩へと移動した。
「じゃあ、今度こそ」
「はい。……キュイちゃん、がんばってね」
「キュィ」
リンに応援されたキュイは期待と不安が半々と言った様子だった。
それからリンに背を向けるように向き直り、右肩に一昨日まで無かった小さくて軽い、けれど重くて、なにより温かい存在を感じながら俺は樹海の中を真っ直ぐ進んだ。
【あとがき】
以上、三十三話でした。皆さん、如何でしたでしょうか?
【アヤメ君は 《ビーストテイマー》の称号を 手に入れた】
そんなわけでキュイちゃんをテイムしました。
三十三話目にしてようやく《菖蒲の瞳》と《臆病な兎》が揃いました。
それにしても、やっぱり完全オリジナルストーリーを書くのは難しいですね。
次回やるときはもっと上手く書きたいものです……。
さて、次回は《小話4》を挟んで《月夜の黒猫団》のお話になります。
この世界の彼らは一体どうなるのでしょうか?
それでは皆さんまた次回!
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三十三話目更新です。
《ヴァイプハーブ》を手に入れたアヤメ君とキュイちゃん。
一人と一匹は、樹海の中をひた走る。