No.552813

勇者も魔王もいないこのせかい 四章

今生康宏さん

物語が動き始めます
尚、この作品には少し、公共福祉に関するメッセージもかるーく込められているのですが、伝わる作りになっていますかね……
つまるところ、「絵本の読み聞かせ」の必要性が伝われば、と思っているのですが

2013-03-09 00:13:33 投稿 / 全10ページ    総閲覧数:260   閲覧ユーザー数:260

四章 魔は再びはびこり、町は再び栄えます

 

 

 

 私は時々、昼間にだって夢を見るものなのでは、と思います。

 砂漠には蜃気楼なる物が現れると本で読みましたし、白昼にこそ不思議な体験はするものではないでしょうか?

 ですから、私達の目の前に広がる光景。一面の人、人、人。隊商、傭兵団、明らかに冒険者っぽいパーティ……十年前までしか当たり前には見られなかった人達が、遠い時代の亡霊のように闊歩している。これは夢に違いありません。

「ディアスさん。軽くで良いので、私の頬でもつねってもらえませんか?」

「いや……まずはあんたが俺の目を覚まさせてくれ」

「わかりました」

 伝統と実績のバイブルアタック!脳天をかち割りかねない勢いで振り下ろしましたが、私の細腕がそこまでの破壊力を生むはずはなく、普通にディアスさんを痛がらせるだけの結果に終わりました。

「っ……夢じゃない、のか。あれは全部本物なんだな。信じがたいが」

「ははは、まさか。もう一発いっときますか」

「いや、それは良い。念のために訊いておくが、リエラ。お前にもあのアリの大群みたいな人が見えるよな」

「うん。都会だけあって、すごい人だねー」

「精霊なら幻覚とかは見ないだろ。本当だ」

 そんな馬鹿な。ディアスさんが先に言っていたこととは、まるで様子が違う――いえ、違い過ぎます。これではまるで、このクリスの町一帯だけ、かつての魔王時代に戻ったかのような賑わいようです。

 皮肉な話ですが、魔王亡き今、ここまで活発に人の出入りがある町なんて、不自然であることは今までの旅の経験からわかっているのですから。

「とりあえず、さっさと町に入ろう。町の様子を見れば、どういうことかわかるはずだ」

「ですね……リエラちゃん、お疲れ様でした。もう町に入りますよ」

「長かったねー。でも、楽しかったよ」

「それは良かったです。新しい服も問題なく着れていますよね」

 尚、リエラちゃんはずっと変身したままでした。本当にずっと変身を続けても体に負担がかかったりはしないようで、ディアスさんに言わせれば、人間とは比べ物にならないほど効率的に魔法を使っているそうです。食事だけで魔法によって消費されるエネルギーを完全にまかなえているのでしょうか。それとも、草花の精霊らしく陽の光を浴びることで?……謎は尽きませんが、だからこその精霊さんですね。人の理解が及ぶ訳ないのです。

「町の規模は変わってない。そりゃあ、半年しか経ってないんだから当たり前だが……」

「キャラバンがいくつもやって来ています。初めて見ましたよ。あんなにたくさんの馬車」

「ああ。魔王が生きていた時代と全く同じ感じだ。しかも、積荷は盾や剣らしいな」

 戦がなければ、武具なんて売れません。町の警備をする兵士の装備なんて、究極的には錆び付いた安物でも良いのです。そこに兵士が配置されている、その事実だけで盗賊はかなり防げるのですから。

 と言うことは、今この町では、なんらかの戦いが起きていると見て間違いはありません。商人がこぞってやって来て、仕事を失っていた武器職人達はその槌を元気に振るい、戦いを生業とする人々が活躍をしているのでしょう。

「悪い。久し振りにこの辺りに来たんだが、戦でもあったのか?」

 町の北門。そこの警備をしている兵士の人に、ディアスさんが話しかけました。

 二十代後半ほどでしょうか、どちらかと言えば若い兵士さんの装備はぴかぴかで、つい最近打たれた物だとわかります。いかにこの町のお金回りが良いかがうかがえますね。

「戦?ありませんが……ああ、半年ほど前、坑道を掘り進めていたところ、巨大な迷宮と繋がってしまったんですよ。そこには絶滅したと思われていた魔物がいて、最近はそこの攻略に多くの冒険者や、傭兵がこの町を訪れている訳です」

「迷宮、だって?しかも魔物なんて、魔王が死んだ今どうしてそんなのがいる?」

「さあ……私は新人なもので、あまりその迷宮にも詳しくはありませんので、詳しくはギルド辺りで話を聞いてもらえれば」

「ギルドが復活しているのか……わかった。どうもすまないな。お勤めご苦労」

「は、はいっ」

 新人兵士さんは、さもそれが当然のことかのように言いました。今の時代、絶対にありえない魔物の存在を。

 いえ、私達の認識こそが間違っていたということでしょうか。魔王が死ねば魔物もまた死ぬ、そんな楽観的な断定は、真理ではなかったのだと。

「にわかには信じがたいが、それなら納得も出来るな……。クリス、リエラ。あんた達は先に宿を取っておいてくれ。俺は昔馴染みでも見つけて色々と聞いてくる。どうせ戻って来てるだろ」

「こんなにたくさんの人が行き来している町を、女性二人で歩けと言うのですか?私も詳しく知りたいですし、連れて行ってください。リエラちゃんもその方が良いですよね」

「うん。お部屋でじっとしてるのも部屋だもん」

「はぁ、そうか。じゃあはぐれるなよ。町の様子も大きく変わってるだろうし、元から狭い道の多い町だからな」

「わかりました」

 町に足を踏み入れ、いくつかの通りをディアスさんが案内する通りに右折し、左折し、どんどん奥へと進んで行きます。

 入る前は不安そうなディアスさんでしたが、まるで犬が臭いを嗅いで追跡するような確かな足取りでディアスさんは一軒の酒場……いえ、冒険者ギルドにまで辿り着きました。

「懐かしい感じがして来てみれば、やっぱりだな……。前の金獅子亭と全く同じ場所に店を構えてやがる」

「ギルド、ですよね。もっと表通りのわかりやすい場所にあるのだと思ったら、こんな裏通りにあるとは。これでは目立たないのでは?」

「客層が普通の酒場とは違うからな。熱心な奴は町の人を掴まえて場所を聞き出す。だから、わざとちょっとわかりにくいところにギルドを開くのが恒例だ」

「そうなのですか……」

 店の名前は黒い狼、で良いのだと思います。金獅子、銀虎と来て、今度は黒い狼とは。銀狼ならかなり格好良い感じの響きだったのですが、被るのを防止した結果、ちょっと違和感のある店名になってしまっています。ですが、狼とは荒事を生業とする傭兵や冒険者には中々相応しいかもしれません。ワイルドでありながらも、知性を備えた辺りが凄腕って感じですね。

「黒い狼って言うのは、あいつの古い呼び名の一つだ。剣聖、剣姫、黒い狼、飢えた牙、屍斬りのソフィア。挙げれば挙げるほど、女らしいのが出て来なくなるな」

「剣聖……ディアスさんの昔のお仲間のお店なのですか?」

「こんなわかりやすい名前を掲げているんだ。そう見て間違いないだろう。今は一線を退いて、ギルドのオーナーか。あいつらしいっちゃらしいな。邪魔するぞ」

 無遠慮にドアが引かれ、照明の少ないお店が口を開きます。まるで狼の口、とは少し詩的に創作し過ぎた表現でしょうか。

「いらっしゃい。……誰かと思えば、ずいぶんと懐かしい顔だね」

「よう、半年ぶりだな」

「ああ。あれから本当に色々とあって、あろうことかアタシがギルド・オーナーだよ。運命ってのはわからないものだ。……ところで、そっちの可愛いお客さんは?娘な訳ないだろう」

「俺はいくつで娘を作ったんだよ。クリスとリエラ、訳あって一緒に旅をしている。白昼から酒を飲むつもりはないが、ちょっと話をさせてもらって良いか」

「ああ、良いよ。大方、アンタが聞きたいっていう話もわかるしね」

 二人とも旧知の仲だからか、会話は滑らかに進んで行きました。昼間のためか、お店の中にはそんなに他のお客さんがいません。カウンターの席に座ることとなり、果汁を水で薄めたジュースを振る舞ってもらいます。

「まずは自己紹介だね。アタシはソフィア・リバデネイラ。ディアスに話は聞いてるだろうけど、先の戦いじゃ大した活躍もしてない、しがない元剣士だよ。気軽にソフィアと呼んでくれて良い」

「私はクリス・アクランド。ご覧の通り、巡礼中のシスターです。よろしくお願いします」

「えっとね、あたしはリエラ!よろしくね」

「よろしく。二人とも、アタシの丁度半分ぐらいの年か。いや、若くて結構」

 軽くお酒が入っているのでしょうか。軽く顔を赤くしたソフィアさんは、どこからどう見ても二十代……いえ、年齢不詳のすさまじい美人さんです。イメージしていた容姿とは大きく異なり、身長は私と同じぐらいだと思われるほど低く、剣を振るって戦っていたとは思えないほど、腕は細く全体的にスマート。黒い髪を肩にかかる程度の長さで切り、深い青の瞳には心優しそうな光が宿っています。

「さて、ソフィア。俺の知りたいことはわかってるんだよな」

「もちろん。どうして件の迷宮に魔物がいるのか、だろう?アンタ以外にも、実に多くの旅人が同じ質問をするよ。そして、明日には剣を持って迷宮に入って行く」

「残念だが、俺はもう冒険はこりごりだ。ただ、今の時代に魔物なんてのがいる理由が真剣にわからない。専門家じゃないお前に訊くのも野暮だろうが、ある程度は学者や魔法使いの見解が出ているんだろ?」

「アタシも人伝で聞いた程度だけど、他ならぬギルド・オーナーの聞いた情報だ。恐らく正しいものだろう。……少し長くなるが」

「連れも興味があって一緒に来たんだ。長くなって良いから、正確な情報を頼む」

「了解した。とはいえ、本当に長くて退屈な話だ。時に簡単な問題も挟みつつでいこう」

「……俺はそういうクイズが好きじゃないんだけどな」

「アタシは好きなんだよ」

「勝手にしとけ」

「あの、私はそういうの好きですよ。答えられることであれば、ディアスさんの代わりに答えさせてもらいますが」

「おお、ノリが良いね。クリスちゃん」

「馬鹿に関わるとロクなことないぞ。クイズが趣味とか言ってるが、そいつも根本的には脳筋人間なんだからな」

 あー、そう言えば。ソフィアさんもまた勇者のパーティの一員でした。……回復に使う時間が惜しいと、僧侶を仲間に入れることなく強行突破したという。

 でも、今の彼女からはすごく落ち着いた知的な女性だという印象を受けます。時の流れは人を変えるのですから、ディアスさんが記憶しているソフィアさんと一緒にしては失礼ですよね。

「まずは、迷宮自体について少し話そう。アレは坑道を掘っている途中にぶつかり、偶然発見された。まあ、そんな感じに遺跡が別の目的を果たす過程で発見されること、それ自体はそう珍しいことじゃない。さすがに、身近であったのは初めてだけどね」

「遺跡って呼び方をするってことは、明らかに人工物なのか?それとも、道具が発見されたか」

「迷宮と呼ぶよりは、巨大な地下神殿という呼び方がしっくり来るだろう。石造りの建造物で、まだ最奥地に辿り着いた人間はいない。中には魔物……かつてアタシ達が戦ったのと寸分違わないものと、いくつもの手付かずの宝物がある。金塊や宝石はもちろん、今の時代には鍛え方が伝わっていない、未知の金属で作られた宝剣や鎧もわんさかだ」

「その宝物目当ての奴等が攻略に励んでいる訳か。町はそいつ等の落とした金で潤ってる、と。……やってることはつまり、盗掘者だな」

「まあ、そう皮肉っぽく茶化すな。幸い、学者が言うにはそれほど重要な遺跡ではないらしいし、可能な限りは建物も損壊させないようにしている。……どこまで守られているかは、言わずもがなだが」

 守られていません、よね。確実に。

 私は学者じゃないですし、そこまで教養のある人間ではありませんが、過去の遺産が破壊されていることには悲しみを禁じ得ません。教会の人間としては、古代の信仰に興味を持たない訳にはいきませんし。

「さて、ここでクイズだ。魔物とは、そもそも何だ?猛獣とアタシ達はどうやって区別して来た?ディアスならわかるだろう」

「俺を馬鹿にしてるのか?そんなの――」

「魔物とは、言葉通り魔力を秘めた動物、亜人の総称ですよね。四足の獣の場合もあれば、ゴブリンやリザードマンのように人に近い二足歩行のもの、それからスライムや鬼火のような不定形のものもいたはずです」

「おまっ、そこは俺に言わせろよ?」

「えー、ディアスさん、乗り気じゃなかったじゃないですか」

「はは、正解。種類まで答えてくれたから、二点プラスかな」

「なんだよ、その点数は」

「十点溜めれば素敵なプレゼント?」

 なぜか疑問形。果たして十点も稼げるほど問題が用意されているのかわかりませんが、自分の知識の確認にもなって良いですね。

 魔王時代の武勇伝や、私の町にもあったわずかな記録だけで得た魔物や冒険者達の知識も案外役に立つかもしれません。

「お姉ちゃん、物知りだねー」

「いえいえ。リエラちゃんにはきっと負けますよ」

「そうかなー?……でも、確か魔物には人とほとんど同じ姿の魔人って言うのもいたよね」

「えっ、そんなのがいるんですか?」

「おお、よく知ってたね。魔人と言うのは、強い力を持つ亜人系の魔物が変化するか、そもそもそういう種として存在する特殊な魔物で、魔物を統率するリーダーだ。どうやら魔王も、魔人の中の更にリーダー格、つまりは王ということらしい。尤も、魔人は能動的には人を襲わず、アタシ達ぐらいの冒険者ぐらいしか知らないと思うんだけど」

 そんな魔物のことを知っているなんて、さすが精霊さん。あの町を訪れたパーティの話を、ツタの姿で聞いていたのでしょうか。……今更本人に訊いても、その知識を獲得する経緯は覚えていませんよね。わかります。

「で、話を元に戻してくれ。魔物と動物を区別することに意味があるのか」

「そう急かさないでもらいたいな。アタシはこれでも話す順番をきちんと決めた上で話しているんだ。これはディアスに訊こう。ずばり、どうして魔王が生きていた時代、魔物は地上にいた?」

「魔王が呼び出していた。いや、どこからか呼んでいるんじゃなく、奴が作り出していたんだ」

「正しくは、魔力によって生成された、という表現を専門家連中はしている。魔物とはつまり、魔力が獣や人に似た性質を持った生き物だと言える。だから、限られた人間しか扱えない魔法を使える。自らがその魔力の塊なのだから」

「そうだったのですか……。魔力はそんな風に手に触れられるような固形になるものなのですね」

「まあ、アタシ達は魔力を目では見られないし、魔法使いも空気を使うような気持ちで魔法の行使をしている、中々イメージが付かないとは思うけどね。魔物以外では、精霊や妖精と呼ばれる存在もそうらしい。……ま、アタシは魔物は見慣れてても、精霊なんか見たことないから、実在は怪しいものだよ」

 ……すみません、ここに思いっきりいます。しかも彼女、変身なんて大魔法をずーっと使ってしまっています。

「リエラがその精霊だけどな」

「ええ、言っちゃうんですか!?」

「別に隠すことじゃないだろ」

「いえ……でも、あんまり口外するようなことじゃないですよ。多分」

「秘密は少ない方が良いよー。あたし、隠しごとあんまりしたくないもん」

「そ、そうですか」

 もうディアスさんの口から出てしまった後ですし、リエラちゃん本人が隠しごとをしない人付き合いを望んでいるのなら、それを無理に止める権利は私にありません。そもそも、リエラちゃんの大本的な保護者はディアスさんですから。

「へぇ、精霊……。そう言われれば、なんとなく納得出来るかもしれないな。ま、確かにあまり人に漏らすことじゃないだろう。ギルド・オーナーとしてこのことは絶対に他言しないと誓おう。それで良いかな?」

「あ、はい。お願いします」

「じゃあ、そういうことで――魔物の話だったな。今度は魔王がいない今、どうして魔物が発生し得るのか、その理由についてだ。……クリスちゃん、何か予想は付かないかい?」

「えっ、予想ですか……順当に考えれば、魔王の復活、いえ、神殿が今まで地上と繋がっていなかったのなら、新たな魔王たる個体が神殿の奥にいる、と言ったところでしょうか。地上から隔絶されていたのなら、それはある種の封印であった可能性もあります」

 現時点で考えられるとすれば、他にはないです。少なくとも、私が持つ知識の範囲で予想をするのであれば。

 と言っても、私だけが所持する知識で、魔物や魔法に詳しい学者の先生の出した結論に到達出来るはずもなく、的外れなのはわかっています。

「素直で良い回答だ。特別に一点。ディアスは他には?リエラちゃんも、何かあるなら」

「悪いが、俺もクリスと同程度のことしか言えないな。俺だって、魔物という存在がよくわからないまま、ただ手懐ける術だけわかっていた節がある。他に可能性があるなら、人間が魔力を魔物に変化させてる、ってぐらいか?そんなメリットないだろうが」

「それはまた、なんともディアスらしい。ただ、人でありながら魔王のような力を持つ魔法使いは、少なくとも今この国にはいない。あり得ない話だ。五点減点」

「一点も取ってない気がするけどな……」

 やっぱり、古い仲間からもディアスさんはこういう扱いなのでしょうか……ちょっと安心しました。その割には打たれ弱い気がするので、本人としては認めたくない立ち位置なのかもしれませんが。

「んーと、あたし、言って良いかな?すっごく気分悪いことだけど、実は魔物じゃなくて、精霊だったとか?だって、魔王がいないこの時代にあたしみたいな精霊がいるし、精霊は魔王がいなくても生まれるんでしょ?」

「うーん、なるほど。確かにそれはぞっとしない話だけど、安心して欲しい。今まで討伐されて来たのは間違いなく魔物だ。アタシや十年前から冒険者をしている人間が魔物の姿を確認しているから、魔物を知らない今の若者が勝手に魔物と騒いでいるんじゃない」

 全て外れ。となると、いったいどんなことが起きて、再び魔物が発生していると言うのでしょうか。

「魔物とは、今までアタシ達が考えていた以上に善でも悪でもない、中立の存在なのかもしれない。そんな学説を発表したのが、皮肉にもこの国の魔法使いの多くが移住した、北の大国の研究院だ。かいつまんで説明すると魔物とは、悪意を持って生み出される魔王の尖兵などではなく、もっと動物的な、この世界に住む生き物の一種だと言う、中々に面白い新説になる」

「なんだ?じゃあ、その迷宮には犬や猫が住んでいるのと同じように、当たり前の生態系として魔物がいるってことか?」

「単純化して言えばその通り。細かい学説はアタシも忘れたけど、一定量以上の魔力に満ちた空間には、魔物が発生するらしい。つまり、魔王時代は国中に魔力が溢れた状態であり、それゆえに魔物がいた。向こうに渡った魔法使いは皆、自分の魔法が不調に思えたけど、実は通常時、魔力は空気中にほとんど含まれない。魔王時代は、魔法使い全盛の時代でもあった訳だ。本人達に自覚はなかったが」

「魔王がいる国に誰も行きたがりませんから、他の国の魔法使いが魔力量の差に気付くこともなかった訳ですね。そもそも、以前はこの国以外に魔法使いは少なかったみたいですし」

「そういうこと。やっぱりクリスちゃんは頭が良い。二点加算」

 なんとなく、もう五点も溜めてしまっています。本当にプレゼントがもらえるかも?

「魔力があるから、迷宮に魔物がいる、か。じゃあ、どうして古代の遺跡に魔力なんてものが充満している?元からそんな土地なら、昔から魔物はいたはず。呑気に建物なんか建てている場合じゃないだろ。地下なのも気になるし」

「そう、あれこれとアタシに尋ねないで欲しいな。魔力の原因については、学者達も一緒に潜って調べている途中、地下にある理由は、地盤沈下や土砂崩れ、その他の理由で地上の建物が地下に潜るなんて、いくらでもあり得るだろう?」

「地震なんかもあるねー。この国はそこまで多くないけど、結構前に大きいのがあったよ」

「結構?……いや、精霊の尺度だと、数百年前かな。アタシは記憶してないが」

 確か、教会で保管していた歴史書によると、三百年ほど前でしょうか。人も魔物も、かなりの被害を受けた大災害があったはずです。人類の敵である魔物も、自然の前にはあっけなく敗れさってしまう、教訓的な事例だと記されていたのが記憶に残っています。

 当たり前の話ですが、リエラちゃんはその頃のことを記憶としては持っていなくても、知識として知っているのですね。

「さて、アタシが話せることはこれぐらいだけど、ディアス、どうするのか聞かせてもらおうか」

「どうするだと?今になって、俺が何かするなんて、本気で思ってないだろ」

「アタシとそんなに歳は変わらないのに、本当にアンタは年寄り臭いな。久し振りに魔物使いの血が騒がないか?」

「全く。俺にしてみれば、進んで戦いに出る奴の気がわからん。そんなに命のやりとりをして、怪我をしたり、下手をすると死んだりするのが楽しいか?」

「楽しいんだよ。戦の神に魅入られた人間は、戦場で死ぬことしか考えられない。平穏な日常は寿命を伸ばすが、心を殺すんだ」

「その様子だと、お前は大丈夫みたいだが」

「巷じゃ色々言われたが、アタシは自分から望んで剣を取り、振るっていたんじゃない。武勇伝は作るより、聞く方が楽しいと、この仕事をやってはっきりと自覚したよ」

 穏やかに、ディアスさんとは別の方向に老獪――まるで山の隠者のよう――に話していたソフィアさんは、ある時はっとして、時計を確認しました。どうやら、かつての英雄達のお話は終わりを告げるみたいです。

「最後に、ディアス、アンタはこの町でどうする?」

「俺の……いや、俺達の、だな。旅の目的を果たすため、広場かどこかにいるだろう。そんな暇ないだろうが、見に来る気があるなら来い」

「わざわざそんな言い方をするなら、クリスちゃんかリエラちゃんに関わる話なのか。日中なら、いくらでも抜け出せそうなものだが」

「――お話を、するだけです。主に小さな子ども達に聞いてもらいたいのですが、今の時代、大人にも物語が必要だ、と」

 私ではなく、ディアスさんが言っていました。あえてそこまでは言わないのは、私の手柄にしようという魂胆ではなく、なんとなくソフィアさんには知られたくないことかな、と思ったので。

 昔のディアスさん、今のように詩的だったり、繊細だったりしなかったのだと思うのですよね。

「物語、か」

「今この町の人には英雄譚の方が受け入れられるでしょうか」

「いや、出来るだけ平和的な話の方が良いと思う。この町は、いわば迷宮のおこぼれで儲かっているけど、初めからこの町で暮らしている人間は、ほとんど迷宮には挑んでいないからね。そもそも、流れ者は迷宮か宿屋にしかいないんだ。客層にはなり得ないよ」

 それなら、本来の目的を果たせて言うことなしなのですが……初めからお客さん候補にすらなっていない人が大勢いるなんて、ちょっと悲しいですね。折角、こんなにも町は活気付いているのに。

「じゃあ、ソフィア。そろそろお暇させてもらおう」

「ああ。また何かあれば。どれぐらい滞在するのか訊いても?」

「三日かそこらだろう。出発前にも顔は出すつもりだから安心してくれ」

「わかった。それじゃ、クリスちゃん、リエラちゃん、このクリスの町を……ああ、そう言えば」

「うっ……」

 さ、最後の最後でばれてしまいましたか。この町と私の因縁に。

「は、はは。三日は飽きずに潰せる町だろうから、楽しんで行って欲しい。ではおやすみ」

「まだ陽も出てるが、お前はこれから忙しくなるな。おやすみ」

「お、おやすみなさい」

「おやすみー。またね」

 この町にいる間は、愛称であるクリスではなく、クリスティアナと本名を名乗った方が良い。そう思いました。

 食事とは、人が生きる上で最も重要な行為だとは思わないでしょうか。

 そもそも人は食事を摂らなければ、遠からず死んでしまいます。一食抜くだけなら大丈夫。そうして油断していると集中力を欠いて戦に負けたりするのです。

 であるからして、今日も私達は夕食を食べます。

 もう私イコール大食いというイメージは浸透しており、今更それを撤回することは困難です。こうなったら、逆に食事の大切さを説き、一人でも多くの方にきちんとした食事をしてもらおう、と考えることにしました。

 ……とはいえ、せめてリエラちゃんの前ぐらいでは“普通のお姉ちゃん”でありたいと思うので、そこまでがっつりは食べませんけどね。ほどほどにしておきます。

「うん?今日は馬鹿に大人しいな」

「そんなに普段からがつがつ食べていませんよ。人聞きの悪い」

「でも本当に勢いがないぞ?」

「そ、それは……」

 食事とは、地方の特徴が色濃く反映されるものです。

 ある土地では当たり前に食べられているものが、別の地方ではゲテモノのような扱いを受けることはままあり、その最たる例はトカゲではないでしょうか。

 実は、私の田舎でもトカゲは当たり前の食事でした。と言うのも、トカゲはドラゴン、竜を暗示する生き物ですから、竜のように強い子になるように、だとか竜に襲われないように、などと言った縁起を担ぎ、長らく食べられて来たのです。魔物がいなくなった今となってもその習慣は続き、正直町に出てから驚きました。

 ……話を本題に戻せば、私はそのようにちょっと変な物も食べて来ましたが、好き嫌いの一つや二つはあります。

 そして、今目の前にある料理、それこそが苦手とする、それはもう、嫌悪する食べ物なのでした。

「お姉ちゃん、これ嫌いなの?」

「い、いや、その……」

 端的に言えば大嫌いです。でもそんなことをリエラちゃんの前で言うのは……。

「誰にだって好き嫌いはあるだろ。無理に直せないものなんだし、変な意地張らなくて良いぞ」

「そうですか……?」

 確かに、このまま無理をして食べるのは私にも、折角の料理にも良くありません。ここは素直に認めてしまいましょう。

 今夜のメインとなる料理は、鶏肉のトマト煮込みでした。鶏肉が苦手なのか?いえ、駄目なのはトマトの方なのです。どうしてもその、独特の渋さと言いますか、くせのある味が苦手ですし、柔らかい部分と硬い部分が共存しているという、その食感も好きにはなれません。

 これは煮込み料理なので、ほぼ完全にペースト状となり、煮込まれたことにより風味も多少マシにはなっていますが、食べられないものは食べられないのでした。鶏肉は大好きなのに。

「ごめんなさい……偉そうに説教をするような人間が食べ物の好き嫌いなんて」

「だからそう申し訳なさそうにするな。俺なんか相当偏食だぞ」

「誰だって苦手ぐらいあるよー。あたしもあんまりお肉食べれないもん」

「ありがとうございます。では代わりに、こちらをいただいても良いですか」

「ああ、全部食ってくれ」

 付け合わせ、と呼ぶにはあまりにたくさん器に盛り付けられた、ジャガイモのフライに手を伸ばします。こちらは問題ないどころか、大好きです。……そもそも、基本的には嫌いな物はないのですよ?ただ、トマトだけは駄目なのです。特例的に。

 しかし、比較的都会なのに、この町の名産がジャガイモやトマトだとは、正直に言って意外です。その訳を訊いてみると、近くにかなり大規模な農場があり、そこで町で消費される作物の大半をまかなっているのだとか。

 再び町が活気付いた今、その作物は冒険者達のお腹を満たすためにも使われている、という訳ですね。

「なぁ、クリス」

「はい?」

「あんた、あいつ――ソフィアを見て、どう思った?」

「どう、と言われましても……奇麗な方ですよね。想像よりずっと華奢で、小柄な方でしたし」

「それから、優しい人だったよね」

 私達は実際に彼女が剣を取って戦う姿を見たこともないので、正直に言って勇者の仲間の一人だったなんて信じられません。それぐらい、今のソフィアさんは穏やかで素敵な方でした。

 ……こんな言い方をしてしまうと、まるでディアスさんが粗暴で魅力のない人だと言っているみたいだ、と誤解されかねないですが。

「そうだよな……半年前、あいつはもうちょっとこう、しっかりしてたんだが」

「しっかり?決して頼りない様子には見えませんでしたけど」

「いや、言葉が悪かったな。覇気がないと言うか、あんた達は知らないだろうが、ソフィアって奴はもっとエネルギッシュな女だったんだ。それが今じゃ、まるで市井の賢者だ。昔は見た目美人でも、普通の女みたいに見れなかったんだよ。ギルドを開いてから、ああなったのか……?どうも引っかかる」

「すると、ソフィアさんが偽物だとか?」

「それも違うだろうな。半年ぶりでも、俺があいつを見間違えるとは思えない。声も記憶にある通りだからな。――まあ良い。変なこと訊いて悪かったな」

「いえ……また今度、会われてはどうですか」

「ああ、そうする。あいつが何か隠しごとをしているなんて、あんまり考えたくないんだが……」

 どうやらディアスさんは、相当ソフィアさんのことを信頼しているみたいです。それはかつての戦友だからなのか、男性として好意を抱いている女性だからなのか……。

 いえ、後者はまずあり得ませんね。ソフィアさんは十代だと言われれば信じてしまうほど見た目がお若く細身で、セクシーとは言いがたいスタイルの持ち主ですから。

 ディアスさんの好みである“妖艶な女性”には合致しません。話し方なんかも中性的な方でしたし。

「なんか変な想像をしてそうだから言っておくが、あいつはそもそも……」

「人には好き嫌いがありますからね……」

「そういうことでもないぞ!?」

「傷口を進んで広げることはありませんって。わかっていますから」

「はぁ……じゃあもうそれで良いが、言っておくが十年前の俺はかなりモテて、だな」

 それから夕食の間中、ディアスさんはいまいち信ぴょう性が不明な恋愛武勇伝を語られていました。

 私もリエラちゃんも、耳より手を動かすことを優先させていたのですが、昔のディアスさんは一応、それなり以上には女性を引っかけていたそうです。

 シスター的には不潔でしかないですけどね……それだけモテていた割に、まだ奥さんはいらっしゃない訳ですし。

『ねぇ、お姉ちゃん』

『はい、どうしました』

『ディアスの自慢、長いよね。もう食べ終わっちゃったんだけど』

『そうですね……ディアスさんはそうじゃないと思っていたつもりなのですが、過去の栄光に縋り付いちゃうタイプの人だったのですね』

 小声でそんな話をしていても、全く気付かれないほど自己陶酔……もとい、自分の世界に浸っていらっしゃいました。

 ……言葉を少し丁寧にしただけで同じことですね。

 宿は比較的上等なものを利用することとなりました。

 いえ、正確にはそれしか空いていなかったので、仕方なく高い宿代を支払うことになってしまったのです。

 と言うのも、今この町には旅人がたくさん来ているため、安宿はそうした出来るだけ節約したい人達に全て抑えられており、一般の旅行者が宿泊出来るのは大きくて高級な宿ばかりでした。

 ふかふかのベッドの寝心地は素晴らしくて、それはそれで良かったのですが長居も出来そうにありませんね。私とリエラちゃんは一緒に寝ているので二人部屋で良いのですが、今までの宿の数倍の値段がしますので。

「では、まず午前中はこの町の教会への挨拶と、お菓子の仕入れですね。自作するだけの設備があれば、かなりコストの削減になるのですが」

「それなら、ギルドのを借りれるんじゃないか?どうせまたソフィアに会うつもりだったんだし、そのついでに借りれば良い」

「ああ、そう言えばそうでしたね」

 ギルドは酒場としての機能が主ですので、軽食を作れるだけの厨房はあることでしょう。あまり手のかかるお菓子を作るつもりはありませんし、昼間からなら営業の邪魔にもなりにくいはずです。

「じゃあ、俺はとっとと言って話を付けておこう。リエラはどっちについて行く?」

「お姉ちゃん!」

 当然の選択でした。

 まあ、私の方は形式的な挨拶を済ませてくるだけなので、楽しい要素はないのですけども。

「はは、そうか。なら俺はもう行くぞ。どうせこんな朝っぱらからなんだ、ギルドは暇してるだろうしゆっくりして来て良いぞ」

「そんなに長話にはなりませんよ。いつも通りの会話をするだけです」

 あらかじめ教会の場所は宿屋のご主人から訊いていたので、ディアスさんの背中を見送ってからそちらへと迷わずに歩き出しました。

 白い石畳を踏み鳴らし、レンガの町並みを北上すると、町の大きさ相応の教会がすぐに見えて来ます。ああ、やはりあの悪徳神父の教会は大き過ぎたのだと再認識します。私の教会に比べればいくらか立派ですが、ディアスさんから聞いている縮小される前のこの町の規模からすれば質素ですし、今の大きさなら標準程度。適度に古びていて、雰囲気の良い教会です。

 しかし、この町の今の“迷宮ブーム”からすると、僧侶の方々は忙しくされているに違いありません。なぜかなんて、考える必要もありませんね。怪我人もたくさん出ることですから、その治療にてんてこまいになるはずです。

 その分、お布施もかなりされているのでしょうね……ちょっと羨ましいかもしれません。

「失礼します」

 外に人の姿がなかったのでいきなり木の扉を開き、中に入らせてもらいます。

 すると広がった内装は外観同様、手入れが行き届きながらも年季を感じる美しいものでした。ますます好感を覚えます。なんと居心地の良い教会なのでしょうか。

「礼拝の方ですか……と思いきや、その服装、まさか巡礼のシスターに来ていただけるなんて」

「おはようございます。今時珍しい、巡礼の者です」

「ええ、おはよう。本当にまあ、よくもこの時代に巡礼なんかしているわね……その信仰心に驚きだわ」

「いえいえ、半ば旅をさせてもらうための口実ですよ」

「は、ふふっ。何それ、教会だまくらかして旅してる訳?すっごい、神をも恐れぬ詐欺師ね。そういうの大好き」

「そ、そこまで腹黒であるつもりでもありませんけどもっ」

 なんとまあ、私も大概だとは思いますが、変わったシスターです。

 年の頃で言えば、私より少し上ぐらい……姉さんと同じ十八か十九でしょう。奇麗な赤髪が特徴的な長身のシスターで、恐らくは私と同じ下っ端さん。どうしてその思考に至ったのかと言えば、このシスターも掃除をしていましたので一発でわかります。

「自己紹介がまだだったわね。私はメリーナ。ご覧の通り、ここの下っ端シスターよ。メリーとでも呼んで」

「私はクリスティアナと申します。愛称はクリスですが、まあ、お好きにお呼びください。こちらは一緒に旅をしている……」

「リエラですっ。よろしくお願いしまーす」

「です」

「女二人で旅をしているの?」

「いいえ。もう一人、ディアスさんという男の方がいます。さすがに女性二人で旅は難しいですよ」

「そうよね……あー、私も旅に出るか、迷宮に潜るかぐらいしたいのになー」

 ああ、見た感じ、メリーさんはそういうのがお好きそうです。アグレッシブと言いますか、若さゆえに怖いもの知らずと言いますか。もちろん、私も若いですけど。

「ティナちゃんは今まで修羅場とかあったの?」

「修羅場、と言いますと暴漢に襲われたり、事故に遭ったり、ですか?」

「そうそう。まさか恋愛絡みで修羅場はないものね」

 まあ、それは当然です。……しかし、気を遣ってクリスと呼ばれないのですね、その心遣いが、なんだかんだでシスターらしいです。聖職者同士、身を寄せ合って生きたいものです。

「私もまだ旅を初めて日が浅い身ですので、そういうのはありませんね……しいて言えば、リエラちゃんとの出会いの時、軽くややこしい話にはなりかけましたが」

「へえー?」

 詳しく話すと、ここでもメリーさんの言うところの“修羅場”が訪れてしまいそうなので言いませんが、あの時は魔物だと前もって言われていたので、内心怖がったりもしていましたね。蓋を開けてみると、可愛らしい女の子が出て来たのですが。

「リエラねー、実は精霊……」

「に憧れて、魔法使いになったそうなのです。あははー、脈絡ないことですけど、気になさらないでくださいね」

 こ、この子はまた気を抜くと問題発言を……。

「魔法使いかぁ……それも良いよね。でも私、魔法使いの才能がないみたいで」

「そうなのですか。実は私も、かつては魔法に憧れたのですが、生まれ持っての才能には恵まれなくて」

「シスターになったんだ?あはは、聖職者って魔法の才能のない人の吹き溜まりなのかな。一応、魔法っぽい術は使えるからね」

「もしかすると、そうかもしれませんね……現役の聖職者がそんな発言をするのは初めて見ましたが」

「そんなの気にしない気にしない。神様も正直であれ、って言っているんでしょう?」

 いくら正直でも、そこまでぶっちゃけて良いとまではバイブルになかったはずなのですが、その辺りはメリーさんの独自解釈がなされているに違いありません。実際、いくつもの解釈が出来てしまう書物であり、そのせいで様々な教派に別れているのですからね。無理もないかもしれません。

「お、お姉ちゃん」

『リエラちゃん。前にも言いましたが、教会の人間にとって精霊の存在というのは、すごく微妙なのです。ここは特に事情を明かす必要もありませんし、隠しておきましょう』

『そ、そっか。ごめんなさい』

『いえ、こちらこそ、言いたいことも言えないような状況をしいてしまい、本当にごめんなさい』

 言ってはいけないようなことまで言うメリーさんに対し、私は嘘を覚えてしまった、いけないシスターかもしれません。これだから腹黒とディアスさんに言われたり……は、関係ありませんね。そもそもそれは誤解、私は真っ白なシスターですから。

「えっと、それで挨拶しに来てくれたのよね。でも今、私以外は色々と忙しくてね……司祭様も連日会議に出席していて大変だし」

「やっぱり、迷宮の怪我人の治療の関係ですか。しかし、会議とは?」

「なんかね、色々と面倒なことがあるのよ。ウチの町だけがこんなに稼ぐと、周りにも援助しないといけないとか、冒険者向け以外の施設にお金を回さないといけないとか……」

「その会議に司祭様が出席しているという訳ですか」

「本当は聖職者が表立ってお金の話に絡みたくないんだけどね。他がまともに計算も出来ないバカばっかだから」

「な、なるほど」

 あんまり大声では言えないことをずばずばと……同じ聖職者だからバラさないと考えてのことでしょうが、ちょっとどきどきしてしまいます。

「ま、私はいつだってお留守番兼、掃除係をやらされてるから、何か不自由することがあったりしたら言って。宿に困ってるようなら部屋貸せるよ?」

「ありがとうございます。でも、その辺りは大丈夫だと思います。そんなに長居はしないと思いますが、何かありましたらよろしくお願いしますね」

「うん、よろしくよろしく。じゃ、教会なんて長くいても楽しくないし、どうぞ観光なり行って来て。私は楽しくもなんともない掃除だけど」

「あはは……」

 お言葉に甘えて踵を返しますと、リエラちゃんが服の裾をくいっ、と可愛らしく引っ張りました。それに反応して振り返ります。

「どうしました?」

「お話のこと、聞かなくて良いの?」

「え、おはな……ああ!そうでした。すみませんメリーさん。私、主に子ども達を相手にお話会を開きながら旅をしているのですが、こちらでもやらせてもらって良いでしょうか」

「へー、そうなんだ。ウチではやってないし、全然やってくれて良いと思うよ。なんかやろうとは前々から考えてたんだけど、そしたらこの迷宮騒ぎだからね。仕事があり過ぎるのも大変だよ」

「ですね……では、もしお暇があればいらしてください。お昼過ぎから広場でやっていますので」

「うん。行けたら行くわ。……多分無理だけど」

 教会でお留守番をしていることの大変さはよくわかります。どうせ平日から礼拝の方が来る訳もないのに、常に教会を開放し、誰かがそこにいなければならない。教会とはよくわからない施設だと思います。

 それにしてもリエラちゃん、お手柄です。もし同じことをここがやっていて、勝手に別の教会の者がしていたら、営業妨害になりますから。

「リエラちゃん、ありがとうございました。危うく忘れたままでいるところでしたよ」

「気にしないで。持ちつ持たれつってやつだよ!」

「そ、それはまた難しい表現を」

 なんだか夫婦みたいで、禁忌的な香りもしますね。相互に助け合う関係なんて、素敵だと思いますが。

 

 

 

「いらっしゃい。顔を見ずに誰か当てて見せよう。ディアス」

「なんだ、殺気でも感じたのか?」

「殺気。あるいはそうかもしれないな。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴り飛ばされるべきだろうが、人にいらぬ詮索をする奴もまた、なんらかの動物に蹴られるべきだとは思う」

「いらぬ詮索、か。じゃあ開き直って言うが、俺はこんなナリして、細かいことを気にする男だからな。訊かれたくないことまで訊かせてもらおう」

 クリスが教会を訪れていたのとほぼ同時刻。閑散とした朝方のギルドに、かつての英雄二人だけが集まり、言葉を交わしていた。

 開かれた木窓から入る光が室内を照らし、奇妙なほどの静寂に包まれた中、ディアスはカウンター席に陣取る。

「未だにアンタが独身の理由がわかるよ」

「あいにく、嫁をもらうつもりもないからな。俺は一人で生きた方が良い」

「そうしてこの世に何も残さない生き方をすると」

「その方が良い。闘争の歴史なんて闇に葬られれば良いし、戦いしか出来ない人間が子孫を残す必要もない。俺は心底、今のこの町の惨状に絶望しているよ」

 話しながらも、沈黙しているかのように沈鬱な空間。言葉は空気を震わさず、他の客が入って来たとしても、一目散に逃げ出すほどに空気が、悪い。

「一応、何に気付いたか聞かせてもらえないか」

「お前、旦那はどうした」

「……いきなりそれか」

「普通、一番に気になるだろ?ギルドの顔にはお前がなるとして、旦那も店の手伝いぐらいはするはずだ。それが姿を見せないし、話題にも挙がらない。何かあったとしか思えない」

「では、どうしてそれを聞きたがる?仮に死んでいたとして、残された人間の傷口を更に抉るような詰問なのに」

「伴侶との別れが原因でお前が落ち込み、そんな情けない面を見せているのなら、俺が一発気合を入れてやらないとな」

「は、はは。そうか。そこまでアタシは半年前と違っていたか」

「ほとんど別人だ。尤も、お前と一緒に旅でもしてない限り、その変化には気付かないだろうが」

 ソフィアは諦めたように小さく笑うと、無言でジョッキに蒸留酒が注ぎ、それをディアスの前に突き出す。

 かつては生命の水と呼ばれ、錬金術師が自作して飲んでいたという高級酒だ。今はかなり価格が落ち着いているが、それでもおいそれと飲めるものではない。

「素面だと、どうしても重くなってしまう話だ。苦手だとわかっているが、飲みながら話したい」

「たまには付き合ってやろう。水か何かで割ってもらえると嬉しいが」

「もちろん。朝からこんな強い酒を飲んでいたらやっていられない」

 すぐにもう一つのジョッキがカウンターの上に並び、ディアスの杯に入っていた酒の半分をそれに注ぐ。次に香り高いオレンジの果汁をそれぞれの杯に加えると、適当に混ぜ合わせて杯が再分配された。

「これだけ隠しても、嫌でも酒臭さがするな。……っ、強っ」

「ん、酔い潰す作戦だったのに、これじゃ酔っ払うほど飲んでもらえないな」

「心にもないことを。まあ、俺は香りだけで十分だ。お前はお前で楽しんでくれ」

 香りだけでも酔いそうなディアスに対し、ソフィアは平然とした顔で杯に口を付ける。十年前は酒自体に興味がなかったのに、と幼いながらも、間違いなく大人となっている戦友の顔を見つめた。

「アンタがここを去って、ほどなくして件の迷宮は見つかった。その時は当然、町にはまともに戦える人間はいなかった。調査に行った人間が誰かは、言うまでもないだろう?」

「お前と、お前の旦那か」

「そう。放置していたら坑道を通って魔物が地上に出て来るかもしれないし、無視する訳にはいかない。ということでアタシと旦那は再び武器を取ることになった。

 もう五年はまともに剣を握っていないのに、血と体に染み付いた剣技は恐ろしいもので、動きはほとんど鈍っていなかったと思う。アタシとアイツなら、最奥部にまで辿り着けるんじゃないか、本気でそう思っていたよ。そこまで魔物に殺意はなかったし、数もかつての戦いを思ったら大したことなかったからね」

「……そういや、旦那もちょっと名の知れた槍使いだったな」

「ベルナス・リバデネイラ。勇者と一緒に戦っていてもおかしくない武人だった」

「馴れ合うのは嫌いで、最後まで一人で戦い続けていたけどな。だから、と結婚したと聞いて、真剣に驚いた」

「なるべくしてなったことだよ。アタシもアイツも、間違いなく惹かれ合っていて、やっと素直になれた。生きていれば、もうすぐ四年目の結婚記念日が迎えられたんだけど」

 かつての孤高の猛者にも、終わりが訪れた。愛を誓い合った妻と共に地中深い迷宮に挑んでいる時に。

「最期を聞いても、良いか」

「ああ。あれは恐らく、最奥と思われる所だった。途中、いくつも分岐はあったけど、どうもあそこに全ての道が集まっているようだったし、行き止まりは見えていた。そして、そこにいたのは魔王でも、巨大な竜でもなく、ただの植物型の魔物だった。ただ、一番奥にいるような魔物だから、もしもの場合を考え、剣よりもリーチに優れる槍を使うアイツが前に出て、武器を突き出した。そうしたら次の瞬間、槍はアイツの胸に突き刺さっていた」

「どういうことだ?幻覚か、洗脳の類か……」

「アタシが見た分には、どちらでもない。これはただの予想に過ぎないけど――空間を操るような力を持っていたのだと思う。それに、今思うとあれは異形だったけど、魔物とも言いきれない。草と人が混ざったような生き物だった。つまり」

「精霊、か。リエラもあんな感じの人に馴染みやすい姿に変身しているが、本来の姿はもう少し魔物に近いからな。尤も、あいつの場合はそれでもほぼ完全に人の姿だ。俺はそれが精霊のスタンダードだと思っていたが」

 実際は違うのか、ソフィアが見た精霊が特別に人とかけ離れていたのか。

 いずれにせよ、人ならざる者が遺跡の番人のように、あるいは迷宮に捕らわれるかのように、その精霊は存在していた。そして、それがソフィアの夫の命を奪ったという事実には変わりない。

「それ以降、その精霊と戦った人間はいないのか」

「生半可な実力で最奥まで到達出来るほど、あそこの魔物は弱くないよ。竜もいたし、アタシ一人じゃ無理だ。だからとりあえず、あの精霊の存在は誰にも教えていない」

「……どうして、って聞くまでもないか。そんな情報を流せば、臆病風に吹かれた若い奴等は逃げ出す」

「そもそも、誰も会えていないのだから、不必要に不安を煽る必要もないだろう?しかるべき時が来れば、伝えることにもなるだろうけど」

「わかった。お前の旦那の話はそれだけだ。次、まあ最後になるんだが、もう一つ質問しても良いか」

「構わない。酒を入れてみたは良いが、予想以上に淡々と話せてしまったな。やっぱりディアス、アンタとは話しやすい」

「他の仲間と比べても、か」

「アタシはアンタ以外と親しくしていた記憶がないけど?」

「そういやそうだ。逆にどうして俺を気に入ってくれてたんだろうな」

「一番、人畜無害だったからだよ。昔のアンタは今より多少はやる気があったけど、それでも他の熱い連中とは明らかにテンションが違っていた。過度の干渉もして来ないし、傍にいて居心地が良かったんだよ」

「そりゃどうも。昔から人と合わせるのはわずらわしくて苦手だからな。それが多少は役に立ったってことだ」

「協調性の塊がよく言う」

「表面だけを装うのは簡単だからな。逆に、誰とでもぶつかってる奴の気が知れんよ」

 

 

 

「お邪魔します」

「しまーす!」

 日を改め、再び“黒い狼亭”に入りますと、カウンター席でディアスさんが寝ていました。ちょっと予想外の展開です。

「いらっしゃい。大した厨房じゃないけど、いくらでも使ってくれて良いよ。そこのオッサンは、まあ気にしないでやって」

「あはは……わかりました。でも、ディアスさんが酔い潰れるほど飲むなんて」

 お酒は苦手、そうあれだけ言っていたのに、自分から飲みたい時なんてあるものなのでしょうか。

 思い出話に花が咲き、その流れで飲むことになったのかもしれませんが、無理をしたものです。あーあー、いびきまでかき始めました。本当に親父さんみたいです。

「ディアス、変なの」

「半ばアタシが強引に飲ませてしまったんだ。眠ってしまうとは思わなかったけどね」

「もうお酒に弱いと言うより、体が拒否反応を出してるようにすら見えますね。強いお酒だったのですか?」

「薄めてはいるけど、元はかなり。でもアタシはほろ酔い程度なのに」

 このザマ、ですか。どんなお酒なのか少し興味がありますが、私もディアスさん寄りかソフィアさん寄りかで言えば、間違いなくディアスさん側に属する人間ですから、無謀な挑戦はやめておきます。朝方からお酒を飲むのにも抵抗はありますし。

「では、もう材料は買って来ていますので、かまどの方だけ使わせてもらいますね」

「ああ。アタシはお菓子作りがどうも苦手だから手伝えないけど、頑張って。リエラちゃんはどうするの?」

「えっとね、お姉ちゃんの作るのを見てるの。あたしもいつか作ってみたいから」

「へぇ、偉いね」

「私が作るのを見ていたら、興味が湧いて自分自身で作ってみたいと思うようになったそうで。私もほぼ独学で作っているので、参考にはしづらいのですけどね」

 レシピなんてあってないようなお菓子作りですから、逆に変な小難しさもないのは利点かもしれませんが、それだけに成功か否かを決めるのは経験と運になってしまいます。リエラちゃんが自身で作るにはまだまだ時間がかかることになってしまうでしょう。

 でも、それでも良いかな、というのが私の結論です。どうせ明確な終わりもなく、今すぐにでも終わるということはない旅なのですから。気長にのんびり、遊び感覚でお手伝いなんかもしてもらって、いずれきちんと作れるようになってもらえれば良いのです。

 リエラちゃんは私の傍にいることを望んでくれていて、それを私やディアスさんが拒むこともありません。――別れなど決して来ない。そう、今の時点の私は信じていましたから。

「どの程度の数来てもらえるかはわかりませんが、ほとんど宣伝も出来ずにやることを考えると……量より質、少し手間はかかってしまいますが、クッキーにしましょう。もし盛況なようならキャンディに移行するとして、砂糖が余ることはないので損はありません」

「小麦粉はどうするの?」

「携帯食料用にパンを焼き、残りは適当に使ってしまいましょう。転売出来る量は残らないと思うので、もしよろしければ、ソフィアさんにお店で使ってもらうのもありですし」

「おー、物資の有効活用」

「余らせるのはもったいないですからね。小麦粉なんて持ち歩いて、何かの拍子に袋から出てしまっては笑いごとじゃ済みませんから」

「そしたら真っ白だね。……ちょっと嫌かも」

「です。次の町までどの程度の距離かはわかりませんが、服の洗濯も満足に出来ない中、粉まみれの服で他人に会うことになったりしたら大恥ですよ。僧服は真っ黒ですし、折角新しく買ったお洋服も基調は黒ですので」

 うっ、想像するだけでかなり恐ろしい惨状です。ちょっとくらい粉がふいていても気付かなそうなディアスさんや、基本的に明るめの色のお洋服の多いリエラちゃんはまだ被害は少ないですが、私の被害と言ったら……ああ、恐ろしい恐ろしい。

 黒一色の僧服は砂埃だけでもかなり目立ちますから、本当、一介のシスターが旅をすることのリスクの高さを感じます。これがもう少し位の高い聖職者であれば、制服は黒以外の色が基調となるのですが。

「はは、作り始める前から賑やかだね。……ディアスがこんな子達と旅をするなんて、アタシの変化に比べれば天変地異が起きたほどだよ」

 後半の言葉はよく聞き取れませんでしたが、ソフィアさんはディアスさんのことを祝福するように優しげな笑顔でそう言ったみたいでした。その姿はまるで保護者のようで、やっぱりディアスさんと一緒にいるのがよく似合っていますが、恋人関係になるような間柄ではない、と認識させられます。

「お母さんと子どもじゃ、恋は出来ませんからね……」

 猫のように背を丸めて眠るディアスさんは、大の男ではなく少年のように私達の瞳に映ったのでした。

 どんなお話をするのか。それもまた、私の頭を悩ます事項の一つです。

 しかし、悩んだ時は逆にその問題を単純化し、直感なる不確かであり、ある意味で一番当てになるものに頼る。それが姉さん達から教えられたやり方ですから、私は今回もそれを実行しました。

 結論から言うと、穏やかな物語にします。なぜかと言えば、この町の子ども達もきっと、今の迷宮や魔物の騒動に憧れ、あるいは恐怖を感じ、英雄譚を求める一方で戦いの要素のない、どちらかと言えば地味なお話こそを求めているのでは、と考えられたからです。この予想がどの程度正しいかのかは不明ですが、私はお話をまとめた本から、一つの短いお話を選び取りました。

 後は広場に行き、ざっくりと宣伝した成果を確かめるのですが……予想の通り、私のお客さんと思わしき子どもはほとんどいませんでした。剣を担いだ男性や、学者さん風の姿の人はいるのですけどね。

 お客さんが少ない分、一人に配れるお菓子の量は増える訳ですから、この評判を聞いて明日はたくさんの子供達が来てくれることを願いましょう。物で釣ってるみたいですが、事実としてこうしなければお客さんは獲得出来ないのだと思います。全てが唐突にやっていることなのですから仕方ありません。

 開き直るように本を開き、お話を始めます。

 それはむかしむかしのお話。ある幸せな家族の物語です。

 お父さんはその昔、お城の騎士をしていました。足を悪くしてしまった今では、あまり外出することも出来ず、今日も畑仕事をお母さんと一緒にします。

 子ども達もお母さんのことは詳しく知りません。子どもが二人もいるのにとても奇麗なお母さんは、お父さんの仕えていた王様の姫だとも、どこかの貴族の妾の子とも噂されていました。

 二人の間に生まれた子どもは、男の子と女の子。お兄さんは今年で五歳。妹は三歳になりました。

 ある日、男の子は騎士に憧れ、お父さんに剣を習おうとします。

 しかし、お父さんは決してそれを許してくれず、お母さんも優しく注意しました。家族は誰も騎士になることを認めてくれなかったのです。

 それでも、男の子は棒きれを拾い、隠れて剣術の真似事をしました。最初はただのごっこ遊びでしたが、その姿が旅の戦士の目に留まり、男の子は自分にも確かにお父さんの血が流れていることを感じました。

 得意になった男の子は、段々と隠すことをやめて、十歳になる頃にはお父さんとお母さんも渋々ながら認めざるを得なくなっていました。男の子は今では自分で木刀を彫り出して、それで剣術の練習をしていたのです。

 もし村にいじめっ子がいたりした時には、男の子は絶対にそれを許しません。木刀でいきなり叩くようなことはしませんが、必ず改心させて、そのまま自分の子分にしてしまうのでした。

 そんな日が続いていたある日、既に男の子は十五歳。お父さんが騎士見習いになったのと同じ年になっていました。突然、村に一人の男の人がやって来たのです。

 それは、王都から使いの人でした。人伝に男の子の噂は都にまで広まってしまい、それはかつて退役した騎士の子なのでは、とまで推測が飛んだのです。そして、それは事実でした。

 男の子は驚きながらも、喜びました。彼はお父さんの武勇伝をお母さんから聞くのが大好きで、そんなお父さんを心から尊敬していたのです。

 ですが、その時になってお父さんは絶対に騎士になることを許しませんでした。ただの村の勇敢で腕の立つ少年なら良い。しかし、騎士になることだけは絶対に許せない、とかつてないほど大きな声で男の子を叱りました。

 使者も追い返されてしまい、男の子もさすがに諦めました。頭に血が上り過ぎたお父さんは、そのまま倒れてしまったのですから。

 なんとその後、お父さんは前より体が悪くなり、もう畑仕事も難しくなりました。男の子は責任を感じて、剣を完全に捨ててクワや斧を握る生活に入ります。そうして、お父さんに訊くのでした。

 ああまで必死になって止めた理由は何なのか、と。

 するとなぜか妹が気まずそうな顔をして、それ以上の追求をやめさせました。そして、男の子は妹から、お父さんとお母さんの秘密を聞かされました。

 お父さんの足がまともに動かない理由、美し過ぎるお母さんが田舎に暮らしている理由を。

 そう、お母さんが由緒正しい貴族の出だということは、ただの噂話ではなく本当のことでした。本人達は話したがらないことでしたが、妹がこっそりとお母さんから聞いていたのです。

 二人は、お互いが騎士と姫であった頃から、愛し合っていました。身分はお父さんの方が下ではありましたが、騎士の中でも高い地位にあったため、決して釣り合わないカップルではなく、そう遠くない未来に結婚をするだろう、と言われていました。

 そして、婚儀が実際のものと迫った時、ある事件が起きました。お母さんがさらわれてしまったのです。丁度、お父さんの騎士団は演習に出かける日で、決して抜け出すことの出来ない、重要なお仕事でした。

 その時、お父さんはどんな行動を取ったのでしょうか?

 …………はい、そのまま演習に行って、終わったらすぐにお母さんを助けに行った?残念、外れです。

 ……すぐにお母さんを助けに行った?そんな勝手なことをしては、お父さんはきっと騎士の位を奪われてしまうでしょう。それでは、お母さんとは結婚出来ませんよ。

 ――なーんて、正解です。お父さんは全てを投げ捨てて、たった一人の大好きな人を助けに走りました。軍馬を飛ばして、上司や部下の制止を振り切って。

 身代金の要求なんて飲むはずもなく、風のように犯人達の間を掻い潜ってお母さんを救い出し、犯人も残らず倒してしまいました。その時、お父さんは足に何本も矢を受けて、その内の一本が大事な筋を傷付けてしまったのです。

 その後、お父さんはもう騎士としてはいられなくなりました。戦えない体になったこともありますし、仕事より私情を。そう、言ってしまえば替えは他にいくらでもいる、貴族の娘一人のことだけを優先して、騎士団に迷惑をかけてしまったのです。名誉と信頼を失ったのは言うまでもありません。

 騎士を辞めさせられたお父さんは、もうお母さんと結婚することなんて出来ません。それに、お母さんはそのことに心を傷め、数日の間寝込んでしまったのです。

 ですが、遂には二人は自分の気持ちに嘘をつき続けることが出来なくなりました。お母さんは、自分はあの誘拐された日に命を失ったものと考え、どこまでもお父さんとの愛に生きることを決めました。

 お父さんはお母さんをさらい、どこまでもどこまでも逃げて行き、辿り着いた辺境の村で、二人だけの家を持つことにしたのです。

 騎士の位を失った、足の不自由な戦士と、お屋敷を飛び出し、平民になった姫。地位も名誉もない二人は、ささいな畑だけを持ち、男の子と女の子を一人ずつもうけたのでした。

 男の子はその話を全て聞き、改めてお父さん、そしてお母さんを尊敬しました。そして、やはり騎士になりたいという気持ちもまた、捨てきることは出来ません。お父さんのあまりに勇敢で、高名な騎士より誇り高い生き方を知ってしまったのですから。

 ですが、そんな自慢のお父さん達に心配をかけるような生き方をしない、と誓いました。

 その数十年後、騎士ではなくお金儲けより義理と人情を大切にする傭兵となった男の子は、大陸中で噂され、今日も子ども達にその大冒険が語り継がれるのでした。……おしまい。

 お話を終えると、静かな拍手の音が耳に届きました。……ええ、やっぱり私の朗読はそれほど多くの子どもを集めることは出来ず、むしろ聞いてくれていた人は、大人の方が多かったように感じます。

「最後まで聞いてくれた皆さんには、クッキーのプレゼントがありますよ。明日も同じ時間にお話をするつもりですので、良ければまた、今度はお友達を誘って来てくださいね」

「わー、ただでくれるの?こんなにたくさん?」

「もちろんですよ。余らせてしまう訳にもいきませんので、遠慮しないでもらって行ってください」

 ……と言っても、たっぷりと用意していたクッキーは、その大半を自分達で処理することとなるでしょう。幸い、私もリエラちゃんも、そしてディアスさんもお菓子は好きなので、その気になればあっという間に食べきれてしまいます。ただ、なんでしょう。人のために作った物を、自分自身で食べなければならない、その時に感じる妙な寂寥の情は。

 そんなネガティブなことを考えつつ子ども達にお菓子を配り終えると、背後から予想外の人達に声をかけられました。

「お疲れ様、嬢ちゃん」

「あ……ありがとうございます。拙いお話を聞かせてしまい、ごめんなさい」

「いやいや。張りのあるセクシーな声だったぜ。演劇とかやれるんじゃないか?」

「え、ええ?きちんとした劇なんて駄目ですよ。こんな素人演技」

 冒険者風の男性が二人。どうやら、片方の方が待ち合わせていた相手が来たようですが、そのまま私のお話を聞いてくださっていたようです。

「あの、クッキーいりますか?どうせこのまま持って帰って、私達で食べてしまうだけなので」

「え、良いのかい?いやー、甘い物なんてとんと食べてないから、嬉しいよ」

「と言うことは、やはり迷宮に?」

「ああ、そうさ。深く潜ると、野宿することにもなるからね。保存食の干し肉なんかを食べて、地上に帰って来たら酒かっ喰らって寝て……俺も結構な年なのになぁ」

「お節介だとは思いますが、お酒はほどほどにしてくださいね」

「はは、聖女様にお説教されちまったか。それじゃあ、また行って来るよ。嬢ちゃんも頑張ってな」

「はい。今日は本当にありがとうございました」

 ……どうしてでしょうか。

二人が去って行くのを見送ってから、そう思いました。

 私はもっとこう、人見知りをしてしまう人間だったつもりなのですが……相手がディアスさんと同じぐらいの年頃の方だったから?あるいは、こんなに短い旅の経験が、私を少しだけ社交的にしたのでしょうか。

 うーん、私が毒も吐かずに男性と話せてしまうなんて、やはり信じられません。リエラちゃんみたいな女の子や、明らかに年下の子どもなら問題ないのですけどね。

「さて、ではリエラちゃん。もうそろそろディアスさんも起きている頃ですし、ギルドに迎えに行って、宿に戻りましょうか」

「そうだねー。結局、ギルドのお姉さんは来なかったんだ」

「寝ている人を置いて行く訳にもいかなかったのじゃないですか?また明日以降、来てくださると良いですね」

 なんとなく、ソフィアさんは約束、とまではいかないまでも、口に出したことは確実に守ってくれそうな気がしていたのですが……。そんなひっかかりを感じながらギルドに戻る途中、やけに私の進行方向とは逆から走って来る人が多いことに、その時の私達は気付けませんでした。

 今思うと、それは異常なことだったのです。ギルドは戦いを終えた冒険者が来る場所であって、まるでそこが宿であるかのように、ギルドから出て来たその足で迷宮に向かう人はまずいないはずなのですから。

「お邪魔します」

「しまー……」

「っ、来たか。クリス、リエラ」

「うー、あたしのセリフ切ったー」

「悪い、今はそんなことを気にしてる場合じゃない。とりあえずお前等、宿に戻れ。そのまま俺が戻るまで、適当にしてろ。ギルドや教会には近付くな」

「……どういうことですか?」

 私達を出迎えたディアスさんの顔には、明らかな動揺……焦りの色が見えます。ああ、これは穏やかな話ではないのだとは一発でわかりました。今までに見たことがないほど、ディアスさんは真剣だったのですから。

「訳を説明しないと行動出来ないほど、あんたは利口じゃないのか?」

「そうまで必死になる理由が気になります。私も、ディアスさんとはもう他人じゃないのです。――どうか、私やリエラちゃんを除け者にしないでもらえますか?私は力もなく、経験にも乏しい子どもかもしれませんが、何も知らず、何も出来ず、ただ待っているなんて、嫌なんです」

「はぁ……。ああ、あんたはそういう女だよな。俺を小馬鹿にしてるように扱いながら、まるで保護者か恋人だ。改めて言うが、あんたは聖職者としても二流だし、女としてもあんまり良い類じゃない」

「そうですか。ですけど――」

「ただ、肉親ならどうしようもなく可愛い奴だ。あんたみたいな妹なら、何人いたって苦じゃない。時間をかけたくないから、手短に話すぞ。リエラには後から噛み砕いて説明してやってくれ」

「は、はいっ」

 私はほとんど、ディアスさんに殴られる覚悟でした。

 まだディアスさんとは知り合って、ひと月も経っていません。ですけど、彼がこのような態度を嫌うことはわかっていました。ですけど、私に対して下された評価は、想像とは明らかに異なっている……“妹”なんて馬鹿げたものであって。

 冷静に思いますけど、やっぱりこの人の思考は理解出来ません。でも、だからこそ私はこの人が、人間として好きになっているのでしょう。この、私と同じぐらい扱いの難しい偏屈人間が。

「結論から言うと、迷宮に大きな動きがあった。と言うのも、今まで最奥に控えていた魔物か精霊かもどっち付かずな奴が動き出したらしい。そいつがどうも迷宮全体に強い魔力を発生させていて、その元が動いたことでより強力な魔物が様々なところに湧き出している。下手をすると、地上にまで魔物はやって来る勢いだ。

 だから、宝物なんかは全て放棄して、とにかく魔物を倒し尽くすという方針に決まった。ここに来るまでに大勢の冒険者とすれ違っただろ?あれが討伐部隊だ。正直、数が足りてない。そこで、俺とソフィアも出ることになった。ソフィアは黙っていたが、夫と一緒に最奥まで到達しているほどだ。俺があいつの代わりになれるかはわからないが、こいつ自身が化け物みたいな奴だ。なんとかなるだろ。……以上だ。わかったな」

「え、ええ。おおよそは。恐ろしく簡潔に言えば、親玉が魔物を率いて町まで攻めて来そうなので、さっさとやっつけてしまおう、ということですよね」

「……身も蓋もない言い方をすればそうだ。冒険者達、実際に迷宮に挑んでいる連中はもちろん、町の戦えない人間まで巻き込まれかねない緊急事態だ。正直言うと、こうして話してる時間ももったいない。もう行くぞ」

「――では」

 私達は宿で待っています。ご武運を。

 そう言えば、私はどれだけ従順で、扱いやすくて、ディアスさんにとって理想的な女性だったでしょう。

「私も連れて行ってください。激しい戦いになればなるほど、聖職者の癒しの術は必要になりますよね?」

「駄目だ、って言っても、折れるつもりはないんだろ?だったら来い。中途半端に忍び込まれて守れなくなる方が怖いからな」

「はいっ」

 思わずぐっと拳を握りしめて子どもっぽく喜んでしまい、ぼっと頬が赤くなります。うぅ、こんな雰囲気じゃないのに。

「長くなったが……ソフィア、行くぞ。一応、聖職者も一人追加されることになった」

「はは、守るべき相手が増えることは良いことじゃないか。誰かを守りたいと思えば、自分自身の命も粗末には出来なくなる」

「無理矢理なプラス思考だな。俺には重石が増えたとしか感じられないが」

 なんて言いながら、ディアスさんの頬は少しだけ緩んでいるように思いました。

 ギルドを出て行く二人を追って私も駆け出して……蚊帳の外にしてしまっていた女の子が一人いたことに気付きました。そう、リエラちゃんです。

「リエラちゃん。いきなりばたばたとしてしまってごめんなさい。私達は迷宮に行くことになりましたけど……」

「もちろん、あたしも一緒だよね?」

「え、えーと。それは……ディアスさんは私一人守るので必死みたいな感じでしたし、これ以上守るべき相手を増やしてしまうのは」

「守られなくても良い。あたし、行くもん。……お姉ちゃんが死んじゃうかもしれないのに何も出来ずにいるなんて、そんなの辛すぎるもんっ」

「それは………………」

「お願い。あたしにただ待っているなんて地獄、押し付けないで。あたしは子どもだけど、お姉ちゃん達よりずっと年上だもん。色んな人が苦しんで、死んでいく姿を知ってるもん。――だから、お姉ちゃん達もそんな風に死んでほしくない。自分で動ける姿になったからには、あたし自身の手で大好きな人達を守りたいもん!」

「リエラちゃん…………」

 それは、私のものとは比較にならないほど、悲痛な叫びでした。

 私はリエラちゃんが動けないツタの姿でいた数百年間を、知識として知っているつもりでしたが、やはり心のどこかでは子ども。力がなく、明確な意志も持たない、弱い存在だと。庇護すべき対象だと、勘違いしていたのだと思います。

 彼女は間違いなく尊重されるべき、強い意志を持った存在であり、私達の人生の大先輩なのです。それゆえに、人の力になりたいという気持ちは、きっと普通の人間が感じるそれの何十、何百なのでしょう。それを否定しようとしていたなんて、私はやはり想像力も何もかも欠けています。子どもなのはどちらでしょうか。

「行きましょう。ディアスさんはやっぱり危なっかしいですから、私達しっかりとした女性陣が助けてあげないと」

「うんっ」

 黄金色の夕焼けが迫る町を、強く強く手を握って、私達は必死に駆けて行きました。英雄達の背中になんとか追い付こうと。


 
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