No.552791

勇者も魔王もいないこのせかい 二章

今生康宏さん

しかし、クリスはあざとい子です。なんと言いますか、自分の好きなシスターの要素を全て詰め込んだ、みたいな
そんなあざとい子。おっぱい大きいしね!

2013-03-08 23:50:17 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:273   閲覧ユーザー数:273

二章 修道女は行き、出会いました

 

 

 

「それでは、キャンディを忘れずに一人一個ずつ、持って帰ってくださいね」

 再びやって来た日曜日。今日はこの国に古くから伝わる昔話を聞かせてあげました。

 子ども達はみんな、素直に、そして静かに、古の物語を受け止め、また一つ大人の階段を上ります。

「お姉ちゃん!」

「あ、今日はちゃんと弟君と一緒に来てくれましたね。はい、キャンディをどうぞ」

「ありがとー!ほら、おまえも」

「うんっ、ありがとう、お姉ちゃんっ」

 先週、弟の分のキャンディを持って帰ったお兄ちゃんが、今日は本当に弟と一緒にやって来てくれました。

 別に破っても何の罰則も与えられない約束なのに、子どもはそれをきちんと守ってくれます。

 これを美徳と言わずとして、何がそうだと言えるのでしょうか。私達聖職者は、子どもの純心を守ることが第一の使命だとすら思えます。そして、実際にこの町の教会ではそのための活動をいくつもいくつもしていて、子ども達が幸せに思えてなりません。

 大人達は稼ぎを奪った勇者を恨むけれど、健やかな子どもを育てるための教育は平和な世の中でしか出来ません。それに少しでも多くの人が気付いてくれれば良いのですが……中々難しいことです。

 キャンディをみんなに渡し終え、いくつか残った内の一つを自分の口の中に入れると、少ししつこ過ぎるくらいの砂糖味がいっぱいに広がりました。

 私も女の子なのですから甘い物は好きなはずなのに、子ども達の口に合うように作ったこのお菓子は、ある一定以上年齢の人間には毒にも等しいのでしょう。ですから、三十代の男性が食べれるはずもありません。

「ぶほっ!な、なんだこれ……」

「キャンディです。別名、砂糖の塊とも呼びます」

「く、くそ。真剣に砂糖の味しかしないぞ、これ。よくガキどもは食えるな……」

「そういうものなのですよ。大人が食べようとすることの方が、愚かしいことなのです」

 なぜかお話会に出席していたディアスさん。と言っても、遠巻きに見守ってくれていた、と言う方が正しいでしょう。

「五日ぶりですね?てっきり、もう町を出られたのかと」

「言っただろ?気に入れば、何日でもいるって」

「それでしたら、光栄なことです。どこがお気に召しましたか」

「全部。って答えになってないか。すごく雰囲気の良い町だと思った。ここは驚くほど殺伐としていない」

「殺伐とだなんて。今はどこも争いごとはありませんよ」

「でも、皆が皆、必死に生きている。そのせいで人情を忘れて、子どもまでこき使ってその未来を奪ってる。この町にはそれがない、天国みたいなところだよ」

「……他は、そこまで酷いのですか」

 私が知る“世界”は、自分の村と、この町だけです。そのどちらも平和で、魔王が生きていた六歳の時までの村も、争いや恐怖とは無縁でした。町は私が配属された時からこの調子ですし、今の世の中はこれがスタンダードなのだとばかり……。

「見かけは平和そのものだろうな。でも、水鳥は必死にバタ足をして泳いでる。そういうこった」

「ディアスさんは――どうして旅を?」

「二回目だな」

「はい。今なら答えてくれますよね」

「どうしてそう考えた?」

「あなたが、私に会いに来てくれたからです」

「なるほど」

 淡々とした質疑応答。素っ気ないやりとりは、未だに埋まらない私とディアスさんの距離を端的に表しているようでした。

 でも、それが普通です。私と彼は、たった数時間だけ町を歩き、言葉を交わした程度の他人同士です。深い関係が生じるはずがありません。

「そろそろ、この町を出ようと思う」

「そうですか」

「あんたも来るか」

「……は?」

 返って来た言葉は、私の質問に対する回答ではありませんでした。

 彼の今後の予定。そして、どうしてそんなことをする気になったのかすらわからない、旅への誘い。

「シスターとして経験を積むために、巡礼の旅に出るのは普通のことだろ?」

「た、確かに、きちんとお話を付ければ、無理なことではありません。でも、どこに向けて旅をすると」

「さあ――北でも南でも、あんたの望む通りで良い。西に進んでも良いし、東の海に出るのも悪くないな」

「からかってますね?」

「いや、本気だ」

 ディアスさんは、わからない人でした。

 その素性も、考えも、何もかも。

 しかし、会話が出来ない人だとは思っていなかったのですが……。

「全国行脚というのも……まあ、悪い話ではないでしょう。でも、私はこの町の教会のシスターです。子ども達へのお話はどうします?私の代わりはいるかもしれませんが、私は私自身の意志で、物語を伝えているのですから」

 残念ながら、一介の旅人であるディアスさんの声一つで私のしたいことを捻じ曲げることは出来ません。

 マザーに「指令」という形で巡礼を命じられるのであれば、それに従うしかないのですが。

「シスター。――いや、クリス。あんたはこの町さえ良ければ、それでいいと言う」

「なっ、そこまでは言っていないでしょう!」

「口には出していなくても、行動はそうだろう?ここは良い町だ。多分、俺が見てきたどんな町よりも。他の腐った町の人間からすれば、妬ましいほどだ」

 ディアスさんの目は本気でした。

 しかしその本気とは、熱のこもった、という意味ではなくその真逆。

 聖職者の私を、悪魔の使いを見るように冷え切った目で睨み、憎んでいるような声で続けます。

「わかっている。今の教会もまた苦しい。苦しいゆえに目の前の飢えた人間だって無視を決め込む。その教会で働く人間に情を求めることほど――」

「教会をどう思おうと勝手ですが、私を中傷するのはやめてください」

「中傷?批判じゃなくて、か」

「あなたは私が情に薄い人間だと?手の届く範囲の人間の幸福追求に甘んじ、大事を犠牲にする人間だと?そんな低い志を持って、かつての寒村の娘が教会の扉を叩いたとでも――!」

 思わず大声を出してしまった私は、今までで一番“クリス”であったのだと思います。

 誇りというものが地位の高い人間にしかない物だと、誰が決めたのでしょう?私は地図に載っているかも怪しい貧村出の、なりたての聖職者。社会的身分はないに等しい人間です。それでも、私は並の人よりも。大貴族よりも聖職者である私のことを誇りに思っていました。

 そこに教会や聖職者一般に対する意見は何の関係もなく、ただ大事なのは私という一個人なのです。

 だからこそ、ディアスさんの私に対する罵倒の言葉は決して許せないものでした。

「あなたは私に何をしろと?私を旅に同行させて、何の利益があると言うのですか」

「俺には何もない。だが、この国は少しずつだが、確実に救われる」

「救われる?外の世界があなたの言う通り、貧困のために荒みきっていたとしても、ですか?」

「ああ。あんたはただ、話して周れ。あんたの知っている物語を語り尽くす。そうすればきっと、今よりマシな世の中が出来る」

 私にはやはり、彼という人間が理解出来ませんでした。

 ディアスさんが私の怒りのつぼというものを心得ていたとは思えませんが、ここまで感情的にさせてまでしたお話は、おとぎ話よりもっと質の悪い、そして都合の良い物語です。

「……精神論で人が救われるとでも」

「神は実在するか?」

「っ!……す、するかもしれません」

「それと同じことだ」

 どこが、と訊き返す勇気は、私にはありませんでした。

 誰が神の姿を見て、言葉を聞き、その言行録であるところのバイブルを編纂したのでしょう。

 ええ。私だって理解しています。神はいないと。神であったかもしれない、この荒唐無稽な宗教を作り出した人物は既に死んでいると。

 一市民、一聖職者でしかない私もまた、神になる可能性があるとディアスさんは言うのです。そうなることが、この疲れた挙句に光を失った国の救いになると。

「私は、自分が大きなことを成し遂げることが出来るとは、到底思えません。あなたの言うことを信じて、大恥をかくのは嫌です。ですから、別な方法を考えようと思います」

「そうか」

 明るいディアスさんの声。

 私の考えることはわかっている、とでも言いたそうな挑発的な悪い笑顔。

 この人のことを私は、生涯好きになりきれないと思います。でも、何者なのかはわかりました。

「そのためにも、外の世界を知りたいので――この町を出ようと思います」

 恐らく、こういう人なのでしょう。

 言葉にするのなら、詐欺師。聖職者を騙そうという、最凶最悪の詐欺師です。

 話は思った以上に早く付きました。

 要した時間は二週間。姉さん達に話し、マザーに話し、そこから近くの大教会に話を持って行き、返答が来て、私は新米聖職者から、遍歴聖職者へとランクアップ(?)を果たし、遂に旅立ちの日となった次第です。

 今時、巡礼の旅に出る聖職者なんてほとんどいません。しかもそれがうら若きシスターともなれば、教会は歓迎して良いのか悪いのか、判断が付きかねると思われていたのですが……そんな物好きな人間に何を言っても無駄と、半ば諦めに近い形で承認されたのかもしれません。とりあえずは感謝しておきますが、気持ちの上ではちょっと複雑です。私は誇り高き巡礼僧ですので。

「クリス。また会えるわよね?」

「もちろんです、姉さん。するべきことをし終えたら、必ず戻って来ます。私の第二の故郷はこの町ですから」

 出発の朝、エセル姉さんは珍しく泣いていました。見送りの時になって泣き出したのではなく、今日初めて顔を合わせた瞬間から泣いていたのです。

「それでは、マザー」

「クリスティアナさん。神のご加護を」

「はい。この町と、マザーにも神のご加護を」

 最後にマザーは私の手を握ってくださいました。皮の厚くなった、温かくて大きな手が私の皺一つない手を包みます。そうすると、泣くまいと思っていた私の心もほぐされてしまうようで……目の奥がじんと熱くなるのをこらえきれなくなりました。

 でも、今泣いてしまってはいけないということは、私自身でわかっていました。

 私はディアスさんが言うように、あまりシスターらしくないシスターかもしれません。実のところ、それほど信心深くもないかもしれません。だけど決して、私は図太い人間でもありません。

 今まで慣れ親しんだ教会を離れて旅の空の人となる勇気は、涙によって簡単に流されてしまいます。

 だから私は、旅装の一つである僧服と同じ黒に近い紺色のマントを翻し、旅に出ました。

 手を振ることも断念しました。皆への別れの言葉も諦めました。姉さんの顔を見ることなんて、絶対に出来ませんでした。

 教会より支給された馬の手綱を取り、町の外へと歩いて行きます。そこではディアスさんが待っていて、彼が旅の同行者となることもマザーだけは知っています。

 他のシスター達に隠した理由は……ただ単に、スキャンダルを恐れてのこと。今でこそ姉さんはしんみりとしていますが、この手の噂を聞いた日には嬉々として私をいじり倒すことでしょう。

「さようなら…………」

 誰にも聞こえない言葉を風に溶かして、旅に出るというのに馬も持っていないディアスさんと合流を果たします。

 こうして、魔王のいない、魔物のいない、戦士の必要とされない、僧侶の必要とされない、剣が装飾品にしかならない、平和で、それゆえに貧しい世界を私達は旅するのです。

 ――その果てに教会も成し遂げられない、新たな世界の救済を夢見て。

「クリス」

「はい、ディアスさん」

「行くか」

「ええ。行きましょう」

 ディアスさんが颯爽と馬に乗り、不慣れな私を馬上へと引き上げてくれます。荷物は全て括りつけられているというのに、立派な雄馬は二人乗りなんて余裕でした。

 腹を蹴られると、馬は始めゆっくりと、やがてたくましくも素早く地面を蹴って、遮蔽物のない草原を駆け出します。

 穏やか陽気に包まれた春。私の旅は始まったのでした。

「予想より早い旅立ちになったな?」

 馬上。一時間も行くと馬の背で揺られるのにも慣れ、ディアスさんの腰に必死で掴まり必要もなくなりました。

 それを見計らったように、ディアスさんも話しかけてくれます。

「死出の旅に出る訳ではないのですから、女々しいお別れの挨拶はいりませんよ」

「冷めてるな。いや、だからこそのあんただ」

「ディアスさんの中で私って、どんなシスターなのでしょうね?」

「少なくとも、シスターの器じゃない」

「はぁ」

 怒りの琴線が軽く、ですが爪弾かれます。

「では、どんな職業が?」

「そうだな……盗賊?」

 琴線が美しい旋律を奏でます。

「真面目に、お願いします」

「既存の職業じゃ、クリス。あんたっていう人間は上手くやってけない。しいて言えば、シスターというだけだ。あんたにはあんた専用の職業が必要なのさ」

「ほう……?」

「それが俺は、物語を語る人間だとわかった。あんたの話すことの力、っていうものがあの日わかったんだよ。本人に自覚はないだろうがな」

「ええ、全くありません。吟遊詩人の才能、とかではないのですよね?」

「詩じゃないな。あんたは優しく語りかける、その行為に不思議な力があるんだ」

 姉さん達にもそんなことは言われませんでした。ただ、私自身お話が好きで、そこそこ上手かったという自覚だけはあります。

 それは趣味や特技というジャンルに分類されるものであり、特別な才能があるとは思えなかったのですが……。

「ディアスさん」

「ん?」

「私のことはもう良いですけど、ディアスさんのことも教えてくれませんか」

「俺……か」

「そうです。あなたはもう、私の人生をかなり狂わせてしまいました。その癖に、自分の素性を多くは語らずに連れ回すなんて許しませんよ?」

 結局のところ、私はまだディアスさんが何者なのか、一切知りません。ふらっとやって来た旅人で、三十代の男性で、かつては魔王打倒を夢見た冒険者だった。それだけの情報しか私の手の中にはありませんでした。

「そうだな、あんたには話す必要があるよな」

「当然です」

「一口に言えば、勇者のパーティの一員だよ。俺は十年前、魔物使いの職業をしていた。この鞭はその時からの相棒だな」

「勇者の……」

 そこまで驚いてはいない私がいました。なぜなら、ディアスさんの年不相応な貫禄は、ただの冒険者が手に入れることが叶いそうにないものだったからです。逆に今、納得出来ました。

 勇者と共に魔王を倒した人であれば、この常人ならざるオーラも説明が付きます。

「と言っても、俺は勇者の行き先も知らないし、他のパーティメンバーが今何をしているかも知らない。ただ一つわかるのは――」

 諦めたように、軽い溜め息を一つ。

「魔物がいない世界に魔物使いは必要なく、同じように剣の使い手や破壊専門の魔法の使い手はいらない。皆、どん底の生活を送るか、別の大陸に渡っているか。後者であることを願おう」

「でも、ディアスさんはこの国を離れなかった……」

「だって、あんまりに無責任だろ?魔王を倒して、はい終わり。後は勇者も戦士も必要ないから、別の戦乱があるような地域で戦います、じゃあ。母国への愛も義理もあるしな」

「母国愛、ですか」

 なんとなくディアスさんの口から出るとは思えなかった言葉なので、口の端が緩みました。

 それがばれると、むっとされてしまいます。

「その時に一緒になって奔走した剣士の奴のことはよく知ってるけどな。他の奴等は……本当にどうなったのか知らないぜ。大方、どっかよその国で傭兵でもしてるんだろ。俺もまあ、正直言うとそうしたかった。この国は貧しくても、とりあえず滅びることもなく存続している。命さえあれば、どうとでもなるからな」

「でも、それが出来なかったのは、魔物使いだったから、ですか」

「厄介なことに、俺は魔物使いとして凄腕過ぎた。自分で言うと変だけどな。でも、他の職業にはことごとく向かなかった。狩人になったのも本当、苦し紛れだな」

 馬は少しだけ速度を増し、整備された街道の上を蹄鉄の音を立てて走りました。

 揺れが激しくなったせいで、思わずディアスさんの腰に腕を回してしまいます。……胸を背中に押し付ける形になるので、正直あまり好きじゃないのですけど。

「わかりました。もう良いです」

「ほら、これでわからないか?あんたの話は面白くて、聴き応えがある。それに比べて俺のはどうだ」

「それは……私の話は全て伝承ですし」

「いや、話してる内容は同じ英雄譚だぜ?もっと面白おかしく聞かせることも出来るはずなのに、俺はこの程度の話しか出来ない。あんたなら、もっと上手く話せる」

「そ、そうなのでしょうか」

 馬はずんずん進み、私達をがんがん揺らします。

 うっ、ちょっと酔いそうかも……。

「ディアスさんっ、ちょっと速度落としてもらえませんか?」

「なんだ、酔いそうか?」

「ええ……私、馬に乗るは本当に久し振りで」

「それは悪かったな。いや、もうちょっと急いだ方が良いかと思ったんだが、あんまり無理をさせるのも悪いな」

「ごめんなさい。もしかして、野宿になっちゃったりするのですか?」

「どうだろうな。この辺りの地理は結構頭に入ってるんだが……どうも最近、物忘れが激しくて」

「お爺さんみたいなこと言わないでくださいよ……」

 冗談と受け取っておきます。本当なら、早急に精度の高い地図を買い求めるところなのですが。

 ともかく、手綱を軽く引いてもらったので、馬は少し緩やかに歩き始めました。それでも十分なスピードなので、いかに馬が走ることに優れた動物なのかがわかります。

 そう言えば馬って、後ろ足の関節が私達とは反対に付いているのですよね。あれで力強く地面を蹴ることが叶う、ということでしょうか。

 私はあまり動物のことには詳しくないのですが、余裕があれば勉強してみたいものです。

「ところでシスター」

「いい加減、名前で呼んでくださいよ。さっきまでそうだったじゃないですか」

「いや、なんかその方がしっくり来るから」

「はぁ。ディアスさんがそう呼びたいのなら、それでも良いですけど」

「じゃあシスター」

「はーい……」

 私のことをシスターと職業で呼ぶことがまかり通るのなら、私は私でディアスさんのことをハンター、とでも呼んであげたいところですが、それではあんまりに淡白ですからね……聖職者にしか通用しない呼称なのでしょう。諦めます。

「今更気付いたけど、あんたの胸って……」

「は、はあ?蹴り落としますよ?」

「まだ何も言ってないだろっ」

 言われなくともわかっています。私が胸関連で何か言われるとすれば、その議題はたった一つなのです。

「案外、あるな」

「死にさらせ!!」

 絶対にマザーの前では言えない言葉を、この機会を使って叫んでみました。

 冗談で軽くディアスさんの背中を蹴ってみましたが、さすがにびくともしません。剣を握って戦う人ではないとはいえ、やっぱりディアスさんも男性。体つきは比較的がっしりとしていますしね。

「なっ、何も蹴ることはないだろ?むしろ、褒めてるんだから」

「褒められたくないから蹴っているのです。では、ディアスさんは自分の筋肉を褒められて嬉しいですか?」

「ああ」

「……ナルシ」

「悪かったなっ」

 男性にはこの感覚、わからないのでしょうか。

 少なくとも私は、なのですが、あまり身体的特徴をとやかく言われたい人ではありません。それがたとえ、褒め言葉であっても。

 なぜかと言えばそれは……教会の教えにも話が膨らんで行くのですが、どうせ長い長い旅なのです。一つシスターらしく、説教をしてみましょうか。

「そもそも、ですね。人は人の手で生が与えられるのではないのです。人と人の交わりの結果、赤ちゃんが誕生するのだとしても、妊娠するかどうかは神のみぞ知る訳です」

「まあ、そうだな」

「そして、生まれてくる赤ちゃんが男の子か女の子かも、実際に生まれてくるまではわかりません」

「そりゃあな。肉を食ったら男、野菜を食ったら女、なんて迷信があるが」

「民間伝承はこの際、置いておいてください。教会の話をしているのです」

 実は私、説教を妨げられることを苦手としています。もうディアスさんは知っていることですが、私はキレる時はキレる現代の若者ですので、取り扱いには注意してもらいたいところです。

「また、生まれた赤ちゃんが太っているか痩せているのか、背が高いか低いか、お話が得意か、そうでないか。それ等は全て、親の教育では決められません。神の意思のままに決められ、それを捻じ曲げられるはずがないのです」

「……つまり?」

「変更不可能なものについてとやかく言うのは、デリカシーがなさ過ぎると思うのです。私はたまたま、一般的な女性より少しだけ大きめの胸を持っているかもしれません。ですが、私は自分で願って大きくなった訳ではありません。全ては神様が決めたことなのです。わかりました?」

「あ、ああ。もうそれで良い」

「では、今後胸を始め、私の容姿についての話は禁句とします。唯一許されるとすれば、髪の毛ですね。あまりこちらに関しては頓着していないので、髪型を変えて欲しいなどあれば、聞き入れると思います」

 言いながら、少しくすんだブロンドの髪を撫でました。

 私が所属する教派の規律では、別に女性の聖職者でも頭を帽子やフードで隠す必要はありません。ですので、多くの場合は白髪を隠すためや、髪が薄くなった時にフードを被るようになります。

 おしゃれのために帽子を被ったりする人も、少なくはないのですけどね。

「へぇ……じゃあたとえば、括ってみたらどうだ?あんまり旅に長い髪をそのまま下ろす、ってのは向かないからな」

「ふむ、確かにそうですね。ディアスさんに何か好みの括り方などは?」

 男性にしたところで意味の薄い質問かもしれませんが、一応訊いておきます。

 まあ、髪を括るためのリボンを持っていないので、次の村か町に着くまではどうしようも出来ないのですけどね。

「どういう括り方があるのか、という点から議論を始める必要があるな」

「……ですよね。ちなみに私が知る限りでは、左右で縛るものだとか、後ろで縛るもの、後はオーソドックスに三つ編み……他のおしゃれなものは知りません」

「それぐらいなら俺だってわかるぞ?」

 田舎の娘というのは、魔物だけを相手に旅して来た中年の方とほとんど同程度のおしゃれ知識しか持たないようです。顔がかーっ熱くなって行き、今すぐにでも走り去りたいほどです。

 私もうら若き乙女を自称する以上は、もっと乙女らしい知識を持たなければなりませんね。反省です。

「まあ、そうだな……あんたはなまじスタイルが良いんだし、あんまり子どもっぽい髪型も似合わない。今のままが一番だろうな」

「私もそう思います」

「だな」

 会話終了。

 なんでしょう、この広がりに欠けるどころか、ただただ雰囲気の悪い会話は。

 お互いが苦手とする分野に踏み込んでしまった代償が、この微妙な空気ということなのでしょう。……女の子らしい分野の話なのに。

「どこに向かうのか、あてはあるのですよね?私に丸投げされても、地図すらまともに見たことはないのですから、自分で行き先なんて決められませんよ」

 仕方がないので、広がりのある未来の話をすることにしました。

 世間知らずという状態異常は、何も深窓の令嬢にのみ発症するものではなく、シスターにもかかり得るバッドステータスなのです。

 私は自分の生まれた村と、ついさっき後にした町の他に「世界」を知りません。馬に乗って旅をすることもなかった人間は普通、こんなものです。広い世界を知るのはかつての冒険者と、旅をすることが仕事である行商人や遍歴の職人ぐらいのものでしょう。

「とりあえず、クリスの町というところに行こう、というプランはある」

「うわーい……」

 町の名前なんてものは、かなり適当に付けられています。

 多くは初代町長の名前であり、残念ながらその町の初代町長は、私と同じ名前だったのでしょう。恐らく男性でしょうが、クリスという名前は男性にも付けられます。そもそも私の本名はクリスティアナですけどね。クリスは愛称ですから。

「それは、私をいじめる目的があって行くのではないですよね」

「……俺がそんな小さい男と思うか?」

「まだ判断付きかねます」

「信用ないな、おい」

「簡単に人を信用してはならないと、教義にありますから」

 嘘です。

 むしろ人の心を疑うことは悪徳と書かれています。

「本当のところを言うと、この辺りの物流の中心となってる主要な町だからな。……それだけ、魔王が死んだことの影響を諸に受けてる。その意味がわかるな」

「……経済に受けるダメージも大きく、相当荒廃していることが予想されますね」

「俺が最後に見た時は、あんたの教会があったあの町と同程度の規模にまで、町が縮小されていた。今はもっと酷いかもしれない。何せ、剣や盾がまるで売れないし、魔法の触媒も肝心の魔法使いがいないんじゃ売れ残って、廃れる一方だ。もう食料品か、衣服しか売ってないだろう」

「そんなところに私が行く意味はあるのでしょうか」

 疑問ではなく、抗議に近い言葉でした。

 ディアスさんの話を聞けば聞くほど、この国には貧困の未来しかないように思えて来ます。そして、実際にそれは正しいのでしょう。

 人々はとっくにそれに気付いている。だからこそ、衰えに衰えた経済を必死に回そうとして、人手を増やすために子どもさえも働かせてしまう。それがどれだけ子どもの自由を奪うことなのか、知っているのか知らないのかもわかりません。

 そんな世の中にお話という投石をしたところで、何が変わるのでしょう。波紋すら立たず、深い深い湖の底に沈み込んでしまうだけのようにしか思えません。

「ある。大いにある」

「どうして、断言出来るのですか」

「あんたは既に俺を救っている」

 その言葉を機に、ディアスさんは口をつぐんだきり喋らなくなってしまいました。

 いい加減に話し疲れたのか、私に自分の言葉の意味を考えさせるためなのか、わかりませんが……私も無理に口を割らすようなことはしようと思いませんでした。

 一人考えた結果、なんとなく見えて来た答えは、やはり、ディアスさんは私の町に死にに来たのだ、というものです。

 私は初めてディアスさんに会った日、別れ際に無責任な説教をしました。

 そう、彼の行いを神様は見ている、と言ったアレです。

 なんとなく先輩シスターや、マザーの真似をして、それっぽく言ってみただけのお決まりの文句。相手は別にディアスさんじゃなくても、相手をなんとなく安心させることが出来たであろう便利な言葉。

 そんな空虚な説教が、どうやら一人の人間の生を救ってしまったのです。

 ――罪の意識しかありません。

 私がしたことは、結果だけを見れば善行でしょう。誇ることだって出来るかもしれません。

 でも、私はなんて不心得者なのでしょうか。無責任な言葉で人の人生を狂わせてしまうなんて、悪魔か魔女の所業です。

 生涯忘れることが出来ないであろう罪を、私はシスターになった年に犯してしまったのでした。

 こんな罪、誰にも懺悔することは出来ません。よりにもよって、聖職者であることを誇りとしているはずの人間が、自分の立場も考えずに軽はずみなことを言い、人を勘違いさせてしまうなんて。しかも相手は、かつての勇者の仲間。伝説の英雄とも呼べる人物です。

 今すぐにでも火刑に処されたい。こんなことを思うシスターなどいた例がないでしょう。私がその第一人者です。

「……ター。おい、シスター!」

「は、はいっ」

 気が付くと、私はディアスさんによって肩を揺さぶられていて、目の前には小さな町がちょこんとありました。

「何、変な妄想してたんだ」

「も、妄想じゃないです。真剣な思索です」

「……泣きそうな顔をしているな。あんまり一人で抱え込むなよ」

 まるで私の心が読めているように、頭の上に手を置くディアスさん。こんな、子どもにするみたいなことで私が……。

「人に話すようなことではありませんので」

 口を開くと同時に目は閉じて、頬を雫が伝い落ちて行くのが自分でもわかります。

 姉さん達との別れの時には堪えられた涙を、自分自身の罪のために流している私が、やはり何よりも許しがたい悪女のように思えました。

「クリス」

「ごめんなさい……後少しだけ、時間をください」

 ディアスさんの胸で泣くことだけは絶対に避けたくて、私はマントの裾を使って顔をおおい、しばらくは止まってくれそうにもない涙を無理矢理せき止めようとしました。

 紺色の布地の半分以上が真っ黒に染まるまで涙は流れ続け、ある時ぴたりと枯れるようにそれは止まります。

 泣くだけ泣いて、自分の行いを悔いるだけ悔いて、後に残ったのは不思議と穏やかな心だけでした。そしてそれは、静かに死を待つ死刑囚の心にも似ています。

 私は最後に聖職者として、制裁を。神の裁きを求めているのです。

「ディアスさん」

 全ての罪を彼に打ち明ける。唯一の救いを求め、口を開きます。

「私は、あなたに謝らなければなりません。あの日――出会いの日、私は」

「口からの出任せだったんだろ。言っておくが、俺は聖職者との付き合いも長いぞ。クソみたいな坊主にも、慈愛の塊みたいで逆に恐ろしい聖女にも会って来た。あんたがシスターとしておよそ落第級の偽善者だって、一発でわかったよ」

「……は?」

 私を偽善者だと貶めたことについては、言及する余裕もありません。

 彼はあまりにあっけなく、私が延々と涙していた事柄のことを知っていると言い放ち、微笑さえして私の頭をまた一撫でしてみせたのですから。

「でも、餓死する寸前に喰うパンは、銀貨で買うパンも、道端に落ちていた腐ったパンも、同じパンなんだ。いや、このたとえはあんまりだな。あんたは修道女として、俺を救った。それに実意ありもなしも、関係ないってことだ」

「でも!でも、私が立派な修道女じゃないとわかるのなら、あなたの壮大な夢の力になれるなんて……」

「壮大、か。あんたはどうも、俺が頭の良い奴、もしくは老練な奴だと勘違いしているみたいだな」

「え……?」

 ディアスさんは、底抜けに明るい笑顔でした。

「俺は“なんとなくの予感”を頼りにして、“暇潰しの旅”をしているだけだ。上手く行きゃあ良いな、程度のバクチ打つ感覚だぞ」

「は……?」

「あんたの無責任だけど耳に優しい言葉は、俺に予感を与えたってことだ。少なくともあんたは旅に出る決心をした意思のある人間だった訳だし、俺の予感もでたらめじゃないとはこれで証明されたな」

「え、えーと。待ってください」

 涙も引っ込むというものです。

 胸を支配していた悲しみと罪悪の黒雲も、どこかへと吹き飛んでしまいます。

 そして吹き荒れるのは、激しい感情の嵐。

「あなたはロクな責任感も持たず、私を連れ出した、と?」

「それを快諾したのはあんただぜ?」

「……この詐欺師!」

 私のあの日の考えは、全く的外れなどではありませんでした。

 この人は、聡明であることを自称する私を騙すような詐欺師です。最凶の詐欺師です。

 あれだけもっともらしいことを言い、私を煽りに煽って激昂させて本心を引き出させ、決心させた挙句……ああもう!私が聖職者でなければ、もっと口汚く罵っているところです。なんなのでしょう、この男はっ。

「ま、まあ、責任を持たないってことはない。あんたの安全は保証するし、俺は旅をしながらしか生きたことのないような人間だ。旅をする上で不自由したりはしないから。……な?」

「な?じゃありません。町に帰らせてもらいます。馬も返してもらいますから」

「いやいや、ここまで来てそれはないだろ?あんたとしても、旅をしてみたかったんだろうに」

「もっとまともな旅がしたかったですよ!この際だから言わせてもらいますけどね、ディアスさん。あなたはいまいちこう、頼りにならないのです。地に足が付いていない感じと言いますか、見た目からして、ちゃら臭いと言いますか……」

「なっ、そんなことないだろ?」

「そんなことがあります。やはり、うら若きシスターの護衛には役者不足なのですよ」

 最後に大きな溜め息をつき、おっかなびっくり馬から下ります。もう太陽はオレンジ色になっていて、東の空からは宵闇が迫って来つつありました。もうすぐ、夜が訪れます。

「今夜はこの町に泊まるのですよね?早めに宿を抑えてしまいましょう」

「あ、ああ」

 呆気にとられた様子のディアスさんにはあえて何も言わず、私はずんずん歩いて行きました。

 私が初めて見る、全く新しい町。

 期待に胸は躍り、橙の光が目を焼くことも、苦痛には思えませんでした。

 どこかふわふわとした気持ちに気付き、理解します。

 旅の楽しさをこの瞬間、私は知ったのだと。

「――ディアスさん。これからも私のエスコート、お願いしますね」

 夕日を背に振り返った私は、さっきまでの涙も怒りも忘れて、満面の笑みだったはずです。

「シスター、あんた、肉は食えるか?」

「好みの問題ですか?それなら大丈夫です」

「ああ、そうか。そこまで戒律の厳しい教派じゃないんだな」

「今時、肉食を制限している宗教があるかも甚だ疑問ですけどね。命をいただくことにさえ感謝をしていれば、問題はないと思います。ですから、食べ残しは厳禁ですね」

 町に足を踏み入れ、真っ先に宿をとった私達は、次に酒場に行きました。

 注文の仕方がよくわからないのでそれ等は全てディアスさんにお願いする訳ですが、私に肉を出して良いのか悩んだようです。

「酒は?」

「遠慮しておきます。あまり強くはないので」

 飲酒も許可されています。ただし、これは私の好みと年齢上の問題で拒否せざるを得ないでしょう。

 十代の内はお酒を楽しめないように人の体は出来ているらしく、儀礼的にぶどう酒を飲んでも、味はいまいちわかりませんでした。

 それに、衆目もある大衆酒場でシスターが大酒をかっ喰らうというのも……お上品ではありませんよね。

「そりゃ良かった。俺もあんまり飲まないんだ」

「ふむ、意外ですね」

「無駄な出費は控えたいんだよ。高い金払って一杯のぶどう酒を呑むより、同じ値段で三杯のぶどうの果汁を飲んだ方が経済的だ」

「同感です。ただ、私はぶどうよりは柑橘類の方が好みなのですが」

「じゃあ、オレンジで良いな」

「問題ありません」

 淡白な会話をさっきからずっと交わしている訳ですが、果たして他の人の目に私達はどのように映っているのでしょう。

 中年男性と、一目見て新米だとわかる若いシスター……少なくとも、普通のカップルには見えませんよね。

 だからと言って二人の間に敵対する意思がある訳でも、不思議な緊張感がある訳でもありません。でもどこか打ち解けておらず、仲の芳しくない兄妹にしては年も離れていて……変な憶測が飛び交ってもおかしくありませんね。誰かに訊かれてしまった時のため、上手い返事を考えておく必要があると思われます。

「……これはまた、ずいぶんと」

 しばらく待って料理が運ばれて来ると、たちまち机の上がいっぱいになってしまいました。

 小さな机とはいえ、小皿であれば十枚は余裕で乗る大きさなのに、大皿が三枚、パンの乗せられた小皿二枚、それから果汁の入ったジョッキで、もうコインが乗る隙間もありません。

「初めての食事ぐらい、奮発しようと思ってな」

「やり過ぎでは……?私、そこまで大食らいではありませんよ」

「包んでもらって、明日の弁当にすれば良いさ。親父、それで良いよな?」

 まさかの事後確認。マスターは快く首を縦に振ってくれましたが、もしお持ち帰り禁止のお店でしたら、どうなっていたのでしょう。

 しかしまあ、素晴らしいご馳走が並んだものです。失礼かもしれませんが、この町にこれだけの料理を作ることの出来る材料があったとは、と感心せざるを得ません。

 メインはどう考えても若鶏のハーブ焼き。羽根をむしり、血を抜いた鶏を何種類かのハーブと塩だけで味を付け、そのまま焼き上げたという、豪快ながらも素材の味が生かされたご馳走の定番と言える料理でしょう。

 これをパンの上に乗せ、口いっぱいに頬張る、と。そういうことでしょうね。……正直、作法などかなぐり捨てて、今すぐにでもかぶりつきたくなるほどの魅力が、この単純な料理にはあります。シスターをも惑わすとは、鶏、恐るべし。

 もう一つのメインは、魚介のスープです。これも味付けは塩だけなのでしょうが、ニシンの干物、名前の知らない青魚が数種類、あさりか何か、小さな海老と、豊かな海の幸が一緒くたに煮付けられています。このようなごった煮であるからには、それぞれの魚介のだしが出ていて、調味料など必要がない至高の味が完成されていることでしょう。

 内陸に住んでいたため、あまり魚介に詳しくないのが悔やまれますが、美味しいということはわかりきっています。

 肉、魚と来れば残りは野菜。最後の大皿には山盛りのサラダ……と思いきや、赤い魚?肉?の干物のような物と、緑の葉の野菜が無数に盛られており、海老の姿も見えます。油と何かを混ぜたようなドレッシングがかけられており、サラダだからと侮れない一品であることは間違いありません。

「ディアスさん、この赤いのは?」

「サケかマスだな。……親父?」

「ああ、そりゃサケを燻製にしたやつだ。今日入ったばかりの滅多に食えないもんだぜ」

「なるほど……やはり、この町でも魚介は珍しいのですね」

「そりゃ、海から結構離れてるからな。ただ、昼間話したクリスの町から流れて来る物も多いんだ」

 だから、私の町では見慣れない食材がある訳ですか。なるほど納得。

 別にあの町が他と比べて交易の面で劣っているという訳ではないのでしょう。恐らく、ここよりも北にある分、木材輸入などの面で有利であるに違いありません。

「さて、じゃあいただくとするか」

「はいっ」

 思わず大きな声が出てしまい、ディアスさんだけじゃなくマスターにまで笑われてしまいます。

 うぅ、私は決して意地汚いシスターなどでは……。

「ほらクリス、パン貸してくれ」

「え?あ、はい」

 言われるがままに私のパンを差し出すと、器用にも丁度良い厚さにそれをカットし、どこから手を付ければ良いのかわからない鶏の丸焼きにするりとナイフを入れて、あっという間に骨と肉をばらしてしまいます。

 脂の乗りに乗ったそれをパンの上に無造作に乗せるのではなく、葉っぱを一枚乗せ、ついでに軽くドレッシングもスプーンですくってかけてくれて……素敵なディナーが完成していました。比喩ではなく、人生の中で一番のご馳走でしょう。

「にわか仕事とはいえ、狩人もそれなりに長くやってるからな。鳥や豚を捌くのは慣れてるんだ」

「な、なるほど……。あの、いただいても」

「あんたの分だから、好きに食ってくれれば良い。後、もう三セットぐらいは行けるだろ?用意しておくぜ」

「えーと……多分、大丈夫と思います」

 自分の胃の許容量をいまいち把握出来ていない私がいますが、生存本能のようなものが働き、胃はスペースをこじ開けようと働きに働くことでしょう。それを見越して、多いかな、と感じるぐらいの量をお願いしておきます。まだスープもあるのですけどね。

「では、いただきます」

 上質の脂の匂いを湛えるパンに今、かぶりつきました。

 するとどうでしょうか。柔らかな鶏肉、小気味良い食感の葉野菜、ふんわりとしたパンが美しい三重奏を奏でます。鼻から鶏の風味が抜けて行くと同時に二口目を食べ進めると、再び濃厚な鶏の味。それに追従するさっぱりとした野菜、香ばしくも自己主張の強過ぎないパン。味覚の三連鎖にすっかり私の舌と脳は敗北してしまい、もう後に残るのは獣のごとき食欲のみ。

 口の中が脂だらけになってしまうことも忘れ、ただただ目の前の肉を貪り付くし、魚介のスープから拾い上げた切り身をお口直しにし、折角頼んだ爽やかな果汁はほとんど飲まれないまま、私は私の限界を迎えるのでした。

「す、すごいな」

「……どれぐらい食べました?」

「ご覧の通りだ」

 経過時間は三十分ほど、でしょうか。勢いは良かったつもりですが、きちんと咀嚼しているので速度はそれほどではなかったようです。

 しかし、目の前に広がっていた光景は、無限の荒野。あるいは地獄の絵図でした。

「もちろん、ディアスさんも食べたのですよね?」

「ほんの少しな。でも、八割はあんたの仕業だ」

 哀れな若鶏には肉の一片も、皮の一切れもなく、首と足を除いた全身骨格があるのみでした。

 サラダも、私の体にたまってしまった脂肪分を相殺するかのごとく食べられ、ほとんど残ってはいません。

 魚介のスープも、私が苦手な干物を残し、ほぼ全滅。これが戦争であるのなら、救いようのない殲滅戦の後、と言ったところでしょう。

 その元凶が自分自身かと思うと、恐ろしさに体の震えが止まりません。私はどれだけの食欲大魔人だと言うのでしょうか?とてもうら若き乙女だとは思えません。……本当に。

「……ごちそうさまでした」

 ああ、なんとなく酒場の空気が凍り付いているのを感じます。その原因はもちろんのことながら私でしょう。なぜならば、私は相変わらずの僧服姿。しかもその体つきは細身だと言えます。

 そんなシスターが大の男が二、三人いてやっと食べきれそうなご馳走を一人で壊滅させてしまうとは。

 今すぐにでもこの町を出たい衝動に駆られますが、外はすっかり闇。一晩はこの町で明かさなければ宿命を背負わされています。

「クリス……」

「やめてください、ディアスさんっ。もう、もう私は……」

「デザートも入るか?」

「……いただきます」

 居直った瞬間でした。

 これが私の本質であるのならば、それに抗うのは自然の理に背くこと。それはひいては神への反逆を意味して……。

 つまりは、自然的欲求に従った結果ですね。私は大食いキャラで良いです。そう思いたければどうぞご勝手に。食べても太らなければ、それで良いじゃないですか。

 翌朝。起きてすぐに祈りを捧げましたが、まだディアスさんは眠っています。

 本来なら、この後は教会の掃除をするところなのですが……ここは教会ではなく、もっと世俗的な宿屋でした。

 そう言えばこの町にも教会はあるはずなのに、まだ顔を出していません。ディアスさんが起き次第、挨拶に向かっても良いかもしれません。巡礼の者であると伝えれば、何かしらの援助をいただけるかもしれません。

 ……そう。ディアスさんはともかく、私はお金を稼ぐための仕事を一切したことがありませんし、きっと労働には不向きな性格、運動神経なのでしょう。

 単純な作業は苦手で、力仕事はもちろん無理で、笑顔でお客さんと接するのもあまり好きではありません。シスターという立場上、仕方なく天使の笑顔を見せてはいますが。

「ディアスさん。そろそろ起きてください」

 肩を揺さぶってみても、返事はありません。

「起きないと、踏み付けますよ?」

 脅迫通り、脇腹を軽く踏んでみました。その後、軽く蹴り付けます。

 これでも反応なし。最後の手段を試みることにします。

「えいっ」

 バイブルの角で頭を殴ってみました。てへっ。

「痛ぇ!?」

「おはようございます。ディアスさん」

「あ、あんたか……敵襲かと思った」

「頭を刺されたと?もし現実にそうでしたら、即死してましたね」

「そうだな。衰えたもんだ」

 太平の世の弊害、と言ったところでしょうか。

 私は全盛期のディアスさんを知りませんが、勇者のパーティの一員であったのなら、その戦闘能力は生半可なものではないでしょう。元から寝起きが悪い人だという可能性もありますが、魔物は寝込みを襲うことも数知れずあったはず。魔物との戦いの旅は瞬発力が重要なのは間違いありません。

「私のことを守ってくださるのでしたら、少なくとも私より早く起きて欲しいのですが」

「あんたがすぐに起こしてくれれば良い。俺は寝起きが悪いつもりはないが、自発的に起きるのは苦手なんだ」

「また本の角で殴って、ですか」

「出来ればソフトなのが良いが……」

「肩を揺すった程度では起きないのは立証済みですので、出来ない相談です」

 角が潰れてしまうと明らかに美観を損ないますし、大事な大事な教典なのであまり粗末には出来ないですけどね。今度、ディアスさんを起こすための本を購入する必要があるかもしれません。

 しかし、初めて訪れる町の、初めて宿泊する宿というもので迎える朝とその日差しは、今まで見て来たどんな太陽とも違うように思えました。感じられるのは不安ではなく、きっと希望。でも手放しでは喜べないような、独特の緊張感があります。

 中々馴染めなかったベッドの上での就寝は、否応なく私にここが見ず知らずの土地であることを教え、無意識下に緊張の床を敷いていたのでしょう。どうも体は休まっている気がしませんでした。

「ふぁぁ……よしっ。行くか」

「もう出発ですか?もし急がないのであれば、その前に少し……」

「町を見て回りたいだろうし、教会も見ておきたいだろ?どうせ急ぐ旅じゃないし、金にも困ってない。今夜もこの宿に泊まれるように手配しておこう」

「あっ、ありがとうございます」

 ……どうしてでしょうか。ディアスさんは本当に、私の胸の内を盗み見ているように先回りして不自由ないようにしてくれます。

 それは間違いなく感謝すべきことなのですが、ここまで空気を読まれてしまうと、まるで私が単純な人間みたいで面白くないのも事実。人の心がわかり過ぎてしまう、というのも罪悪な気がして来ます。

「ほら、ぼーっとするなよ」

 部屋を出て、階下に下りてご主人さんとの手続きをして、もう一泊させてもらうようにします。その後、ディアスさんが軽く手を挙げて別れるのに対し、私は丁寧に胸の前で手を組み、割引をしてくださったらしいご主人さんにお礼を言いました。

「お嬢さんは、あの人の妹さんかい?」

「えっ、そう見えますか?」

 そのまま宿を立ち去ろうとすると、背中に声がかかりました。うっ、うっかりお礼を言ってしまったのが災いしたかもしれません。

「いや、同じブロンドの髪だからね」

「ああ……いいえ、私とあの方に血縁関係はありませんよ。彼は、そうですね。巡礼の旅をしている私の護衛の人、と言ったところでしょうか」

 嘘は言っていません。いえ、それどころか他に話すことがないぐらい、完璧な説明でしょう。

「へぇ。まだ若いのに巡礼の旅なんて、熱心な聖女様だなぁ」

「そ、そんな。私はただ、広い世界を見たいだけで……い、いえ、それだけと言う訳でもないのですけれどもっ」

「ははは、照れなくて良いよ。でも、お嬢さんみたいな聖職者の人もいるんだなぁ……」

「えっ?」

 宿屋のご主人の顔が、目に見えて陰りを帯びました。

 曇った笑顔から漏れ伝わるのは、教会への不信感とある種の憎しみであるのは間違いありません。

「いやね、この町にも教会はあるんだが、何かある度にお布施を寄越せ、とうるさいんだよ。ありゃそこらの商人なんかよりずっとがめついのばっかりだね。お嬢さんみたいな人に一喝入れてもらいたいところなんだけど……難しいだろうなぁ」

「ごめんなさい。私みたいな見習いシスターが何か言っても、ロクに取り合ってもらえませんよね……」

「その気持ちだけで嬉しいよ。でもまあ、同業者には冷たくないだろうから、挨拶ぐらいには行っても良いんじゃないかな」

「わかりました。ありがとうございます」

 ……気に入らないです。

 そりゃあ、私も結構な額をディアスさんからふんだくりましたが、あれは半ばギャグであり、井戸のお布施も強制ではなく、無理矢理お金を取った覚えなんて一度もありません。

 しかもお布施で得たお金は町に還元するか、教会の設備の増強に充てていたのですから、それは婉曲的に市民の元へと帰って来ます。それなのに、どうもこの町の教会は至福を肥やしていそうな、高慢ちきな貴族と同じ臭いがしますね。

 ここは一つ、正義のシスターとしてガサ入れをするべきでしょう。

「ねぇ、ディアスさん」

「は?」

「宿屋のご主人さんから聞いたのですが、ここの教会は大層酷いそうです。きっと、お腹たぷたぷの神父がいるのでしょうね」

 勝手なイメージですが、大体当たっていると思います。

「前にも言った通り、今の時代、教会も相応に腐って来てるからな……。さすがに旅人ぐらいには良い顔を見せるだろうが」

「私がしたように、ですか」

「……いや、あんたは思いっきり素だっただろ。むしろ、今の方が可愛げがあるように思えるぞ」

「そ、そうでしたね」

 あれは緊張と警戒のせいだったのですよ。……きっと。

「じゃあ、教会を目指すか?どうせ北の方だろう」

「ですね」

 世界の北。それはすなわち、命を奪う冷たい風の吹く不吉な方角を意味します。そこにあえて聖職者の住まう教会を設置することで、北より吹き寄せる災厄を祓おうという考えが根深く、この辺りの地域の教会はほとんどが町の北に建てられているといいます。

 しかも多くの町は北から南にかけて土地が低くなっているので、教会が町を見下ろすような形になっている訳ですね。ここは残念ながら平地なので、教会の屋根が遠くからでも目立つようなことはないですが。

 石畳が途切れることなく敷かれた小さいながらも立派な町並みを歩き、商店通りや小さな広場を通り過ぎると、なるほど町の規模にしては美し過ぎる教会がその全貌を現しました。ああ、いかにも文字通り私腹を肥やした感じのいやーな神父がいそうです。不思議と悪徳聖職者って、シスターではなくブラザーなイメージがありますよね。逆に言えば、シスターには清廉潔白なイメージがある訳です。えっへん。

「あんたみたいに掃除してる聖職者はいないな」

「体裁を取り繕う必要はない、ということでしょうか。その時点でとんだ不信人者ですね」

「まあ、そう熱くなるな。まだここの聖職者が大悪人だって決まった訳じゃないし、あんたがその調子だと、相手もロクに取り合ってくれないぞ」

「はーい……。わかりました。営業スマイルですね」

 大の得意です。カード遊びをする時には無表情が有利と言いますが、私の場合はその気になれば常に笑顔でいられるので、やはり有利でしょう。問題があるとすれば、カード賭博は教会が禁じていることですね。……こっそりやればバレないでしょうが。

「ごめんください」

 教会の扉を軽く叩きます。質の良い木の扉は、表面が加工されていてつるつると肌触りが良く、木のトゲが刺さるようなこともないでしょう。非常に悔しいことですが、私の教会よりも立派です。

『はい』

 少しして、内側から声が聞こえて来ました。私は外開きの扉を片方だけ開き、ディアスさんと共に礼拝堂の中へと足を踏み入れます。すると目に入って来るのは巨大なステンドグラス、一目見て高級だとわかる真紅の絨毯、座席は王立の劇場のごとき数が用意されています。

 ふむ……てっきりお布施は全てポケットに入れているのかと思いきや、施設の増強にも使われているようです。一つ苦言を呈してさしあげようと思ったのですが、ちょっと難しいですね。

「ようこそいらっしゃいました。旅のお方。巡礼の旅は順調ですかな?」

「はい。お陰様で滞りなく」

 私の僧服を認めた中年の神父様が、目を細めながら形式的な質問をして来ます。それに対する私の答えもやはり形式的で、まだ相手の人柄は見えて来ません。

「クリス、慎重にな」

「もちろん。私の巧みな話術をご覧ください」

 小さくディアスさんが耳打ちしますが、いくら私だって馬鹿ではありません。

「ところで神父様。こちらの教会は、ずいぶんとご立派ですね?」

「え?ええ。教会は市民全ての拠りどころ。美しくしておくに越したことはありませんからな」

「なるほど……ところで、これだけ立派な調度や建物を用意するお金は、いったいどちらから?」

『ど直球過ぎるだろ。どこが慎重なんだ』

 ディアスさんがぶちぶち言って来ますが、とりあえずスルーしておきます。営業スマイルは絶やしていませんし、訊いている内容は直球でも反感は持たれにくいようにちゃんとしています。そして、私もまた聖職者なのですから、相手には仲間意識があるはずです。

「その……かつてこの辺りは、あまり教会の力の及んでいない地域だったのです。そこで教会から援助をいただいてこの教会を建て、今では皆様に支持をいただきましてな。お布施をたくさんいただけるので、こうして立派な内装にすることが出来るようになった次第です」

「お布施、ですか。具体的にはどのような時に?」

「シ、シスター殿。あなたは巡礼の旅をされているのでありましょう。どうしてそのようなことを質問されるのか、私には理解しかねますな」

「いえ、いずれは私も自分の教会を持つ時が来るかもしれませんので、その参考に」

 緊迫しそうになった空気を、なんとか鎮めようと努めます。私はディアスさんのように相手を怒らせた上で本音を引き出すような荒っぽい真似はしませんし、元が善良なので、きっと無理でしょう。

「そ、そういうことでしたら……。まあ、日曜の礼拝の際に少しばかりいただいたり、冠婚葬祭、教会が何か仕事をする際にはいただいたりしておりますな」

「なるほど、勉強になります。ちなみにどれぐらいの金額を?」

「そんなそんな、心ばかりです」

「たとえば、銅貨一枚?」

「お布施していただく人の気持ち次第ですよ」

「そして、そのお布施はどちらに?」

 正直言うと、そろそろこの神父と話すのが疲れて来ました。頬の筋肉の限界はまだ遠いですが、嫌悪感の方が勝っています。

 だってこの人、確実にお金に目の眩んだ小物ですもの。しどろもどろになりがちですし、お布施は一回につき銀貨一枚ぐらい余裕で取るのでしょう。一発蹴りを入れてやりたいぐらいの守銭奴です。

「それはもちろん、教会や市民のために……」

「本当ですか?こちらの教会、確かに立派ではありますが、もう二、三年ほどは改装もされていないようですね。ではその空白の三年分のお金は?ちょっとした量ではないでしょう」

「あ、あなた!もうこの話は良いでしょう。私は話すべきことは全てお話ししました」

「多額のお布施を要求するのをやめてください。私、これから一度、教会の本部を訪れようと思っているのですが……わかりますよね」

 反省することがないのであれば、容赦なく告発します。私は清廉潔白なシスターでありますので。

 たとえ奔放だと、シスターらしくないと言われても、邪悪には人一倍敏感なつもりです。しかもその相手が同業者であるならば、憎悪するという言葉では生易しいレベルの激情が湧き上がっておりますとも。

「い、いくら欲しいのですか!」

「え?えーと……とりあえず金貨二十枚で……」

「共犯者に成り下がるなよ!?」

 すぱーん、とディアスさんに頭をはたかれてしまいました。うぅ、ただのジョークではありませんか。お堅いことです。

「こほん。私はお金が欲しい訳ではありません。ただ、教会が市民のためのものである旧来の伝統を守っていただきたいと思っているだけです。今のこの国がどれだけ疲れた状況なのか、ご存知でしょう?ただでさえ生活の苦しい人々から教会がお金を搾取しては、教会は本来の存在意義を自ら放棄することになってしまいます」

「……ずいぶんと聞こえの良いことを言われますが、あなたも聖職者であれば、今現在、教会に本部より与えられる援助金がどれだけ少ないかはご存知でしょう。しかもここは辺境、ただでさえ少ない援助は更に減らされ、我々の生活は貧窮しており……」

「はぁ、そうですか」

 もしも私が長い間旅をしている人間なら、それっぽい理屈に騙されていたかもしれません。

 しかし、私は昨日までは町の教会で暮らしていた身な訳でして。

「では、生活を切り詰めれば良いではありませんか。パンとささやかなおかずだけの食事をしていれば、決してお金に困ることはないはずです。よもやぶどう酒を未だに飲まれている訳ではありませんよね?」

「は、はは。なにを言われて」

 冷や汗をだらだらと流して、動揺しまくり。もう喋ってもらわなくても全てがわかってしまいます。

「では、すぐに実践されてくださいね。町の方々には、私が最低限のお布施だけをしていただくよう、お願いしておきますから」

 最後に深い深い慈愛を感じさせる笑顔を見せて、とっととこの胸糞悪い教会からの脱出を決め込みました。

 怒り指数が臨界点を超えてしまい、これ以上会話を続ける気力がなかったので強引に終わらせてしまいましたが、報復や自分の悪評を心配する必要は全くありません。理由を話せば、非がどちらにあるかは明らかですし、少なくともこの町の住民の方々はいかにあの神父が感心されない人であったかは知っているのですから。

 ああ、それにしてもいい気分です。勧善懲悪、良い響きですね。

 私はあくまで中立的な聖職者ではありますが、正義の味方というのも悪くはないかもしれません。……まあ、悪の魔王がいないので正義の味方は成立しなくなってしまったのですが。

「おい、クリス」

「はい?」

「……やっぱりあんた、シスターにあるまじき女だよ。ホント」

「褒め言葉、と受け取らせてもらいますね」

 善行をしっかりと積んだ私は、次に広場にある椅子に腰かけ、一冊の本を開きました。バイブルではなく、自分の手で著した古今東西の物語の本です。

 私はディアスさんの語った物語の力をそこまで信じてはいません。しかし、「見たことのないシスターのお姉ちゃん」がお話会を開くと聞くと、町の子ども達は友達同士連れ立って、ぐるりと私を取り囲みました。やはり、子どもは物語が大好きなのです。

「昔々、あるところにお金持ちの王子様がいました」

 今回読むことにした物語は、絶妙に風刺も効かせて、大富豪の王子様が貧しい民達に自分の財宝を配って回り、最後には王子様自身が貧乏になってしまうのですが、本人はそれに満足する、というなんとも心温まるお話です。

 ええ、本来的にはここの神父がそうしなければならないのですが、あの有り様でしたからね。当てつけのようにこのお話を読んでやって、おまけに親御さん達に私が脅迫……もとい、忠告をしたことを伝えれば、きっとあの教会も少しはマシなことをするようになるでしょう。

「なんと、それは困ったことです。この金の指輪をさしあげましょう」

 さて、ただ本を読んで聞かせるだけでは、初めての子どもはきっと飽きてしまうでしょう。そこで考えたのが、ご褒美のキャンディを途中に配るという戦略です。

 丁度、このお話は王子様が財宝を分け与えるものなのですから、キャンディを財宝に見立て、熱心に聞いてくれている子ども達に渡してあげます。こうしてただ物語を与えられているのではなく、一緒に演じているのだという意識を与え、おまけに甘いお菓子をもらえれば、子ども達は静かに、最後までお話を聞いてくれます。

「あなたにはこの温かい緋のマントを。そちらの方は銀の杖をお持ちください」

 一つ一つ財宝を渡していくと、子ども達はぱーっと笑顔になります。そしたら他の子もキャンディを欲しがるのですが、そこは物語。定型はあってないですので、勝手に財宝を捏造して、全員にキャンディが行き渡るようにします。

 ……ちなみにこのキャンディ、私の手作りではなく、市場で売っていたものを買い占めたのですけどね。さすがに朝早くから起きて厨房を借り、自作するのは難しかったです。

 一番危惧されていたのは、キャンディが足りなくなることでしたが、この小さな町にそれほど多くの子どもはいなかった様子。余裕で紙袋にはキャンディが残り、これは私がいただくことにしました。全員に二個行き渡る量ではないので、混乱の種は自分で秘密裏に処分しておきます。

「こうして、お金持ちの王子様は、国で一番貧乏な王子様になってしまいました。しかし、今度は王子様が優しくしてあげた人達が、王子様のために料理を作って運んで来てくれたのです。その次の日には素敵な洋服を。冬の寒い日には革のコートを。寂しくて眠れない夜には、女の子が子守唄を歌いにやって来てくれました。王子様はお爺さんになるまで貧乏でしたが、国中の人から慕われ、ずっと幸せに暮らしました。おしまい」

 ぱたん、と本を閉じてお話が終わりました。少し遅れて、子ども達、そして遠巻きに見ていた大人達からも拍手が沸き起こります。

「ご清聴、ありがとうございました。皆様に神のご加護を」

 最後にはシスターらしく祈りの言葉を残し、素早く私は立ち上がりました。

 きっと、そのまま広場に残っていれば多少なりともお布施をもらえたに違いありません。しかし、それが酷い罪悪のように感じられました。

「大成功だったな」

「確かにそうでしたけど、そのどうだ、とでも言いたげな顔は怒りが込み上げて来ます」

 あんまりにディアスさんが得意げな顔なので更に恥ずかしくなって、このまま町を出ることすら本気で考えましたが、足は町の外ではなく、もっと奥まったところに向きました。

 それは恐らく、この町のシンボルなのでしょう。ずいぶんと古く、蔦が絡んでいるのが遠くからでもわかる時計塔です。

 私はあまり芸術に明るいという訳ではありませんが、その塔の存在に気付いた時から、意識せざるを得なくなっていました。あまりに不思議な存在感を持っているからなのでしょうか。

 地元の人には人気がないのか、あまり人の姿も見えませんし、必要以上にありがたがられたくない私が隠れ潜むのに丁度良い場所でしょう。……と思っていたのがそもそもの間違いでした。

 ここは村よりは立派ですが、小さな田舎町なのです。その情報の伝達速度と言ったら、音速を超えるでしょう。

 そんな訳で。

「おお、件の聖女様だ!」

「あの性悪神父を懲らしめてくれたっていう人か!」

「まだ若いんだなー。可愛いなー」

 溜め息が漏れます。どうしてこうも田舎は噂が蔓延するのが一瞬なのでしょうか。頭が痛くなって来ました……。

「ほらシスター。挨拶してやれよ」

 他人事だと思って、この人は。地獄に落ちるべきです。

「はい、こんにちは……」

 これ以上がないほど、生気の抜けた挨拶。愛想笑いを続けるのにも限界はあります。ただでさえ今日は朝から神父の相手をし、その後は程よく緊張しながらお話をして、体力、精神力ともに限界が近いのです。

「聖女様なら、あの件もなんとかしてくれるんじゃないか?」

「いや、そこまで頼りっぱなしで良いものか……」

「あっちの兄ちゃんなんて、いかにも旅慣れた冒険者って感じじゃないか。魔物の一匹や二匹ぐらいやってくれるだろう」

 ふむ……?町人三人は唐突に井戸端会議を始めました。

 どうやらこの町の問題は悪徳聖職者だけではないようですが、かすかに聞き取れた魔物という単語が気になります。

「あの、何かあるのですか?お力になれることでしたら、お話ください」

 頑張って営業スマイルを再び作り、打ち明けてもらいやすい空気感を作り出します。うぅ、でも正直ほっぺたが痛いです。

「魔物がどうとか言ってたな?今の世の中にまだ魔物が生きてるなんて信じがたいが、俺は元魔物使いだ。少なからず力になれることがあるだろ」

「あ、ああ……。おれ等も信じられないんだが、どうもあの時計塔には魔物が住んでいるようなんだ。夜になると鳴くような、喚くような声が聞こえて来て、迷惑していてなぁ……」

「聖女様とそのおつきの方に迷惑をこれ以上かけたくないんですが、一つ頼まれてはくれませんかね。ロクなお礼も用意出来んのですが」

「お、おつきか……。おいクリス、どうする?」

「わざわざ訊くまでもないでしょう?もちろん、このシスター・クリスがお助けしますとも」

『おおー!』

 迷える子羊に手を差し伸べるのが教会の人間であり、この旅も結局のところの目的は世直しです。人助けをしない訳にはいきません。……まあ、今回の件について主に働いてくれるのはディアスさんになるでしょうが。

「じゃあ、詳しい話を聞かせてくれ。喚き声と言ったが、それは本当に魔物のものか?野生の動物が紛れ込む、というのもあり得ない話じゃないだろう」

「おれが直接見た訳じゃないんだが、勇気ある町の若い者が、見に行ったんだよ。すると、緑の肌の怪人がいて、慌てて逃げ帰って来たと……」

「緑の肌、オークかゴブリンの類か?いや、奴等は多少の知能はあるし、時計塔なんかに居座っているとは思えないな……。そうなると、腐ったゾンビかもしれないか。ともかく、低級の魔物だろう。ちゃちゃっと片付けてみせよう」

 不敵な笑みを見せるディアスさん。さすが、魔物のことはなんでもござれ、といった風格です。今まではいまいち頼りにならないイメージでしたが、やっと頼りがいが感じられるようになって来ましたね。

 となると、いよいよ私の出番はないことでしょう。魔物の実物を見たことがないので興味はありますが、まさか魔物と戦うなんて……ねぇ?聖職者のすることではないですよ。

「ではディアスさんいってらっしゃ……」

「じゃあ行って来る。一応、魔物が暴れるかもしれないから、時計塔には人を近寄らせないようにな」

 問答無用で腕を引かれ、あれよあれよという間に時計塔へと放り込まれてしまいました。

 予想していなかったことではないのですが、世の理不尽を感じ、それに対しての憤りを顕にしない訳にはいきません。

「えいっ」

「ぐほっ!」

 思いっきりディアスさんのスネを蹴ってみました。まあ、私程度の力ですので、ご褒美にはなってもアザが出来るような怪我にはならないでしょう。

「おま、今更だが、いきなり他人を蹴るシスターがいるか?」

「お言葉ですが、いきなりシスターを魔物がいるかもしれない場所に連れ込む男性がいますか?普通、『ここは俺に任せろ!』とか言って、格好良いところを見せ付けるべきところでしょう」

「今の俺の得物は弓だぞ?一人だと危険があるだろうが」

「……ほう?」

 弓でべしべし殴っても大したダメージにはなりませんから、攻撃をするためには矢をつがえ、相手に向かって射る必要があります。それには確かに時間が必要であり、一対一の戦いで弓を使うというのは不利でしょう。

 しかし、ディアスさんが言うにはつまり……。

「私を囮にするつもりですか!?」

「有り体に言えばそうだな」

「言わなくて良いです!あなた、いよいよもって不信心者ですねっ。どこの世界に聖職者を盾にして戦う冒険者がいますでしょうか」

「ここにいたな」

「最低!地獄に落ちなさいっ」

 なんとまあ、この人は。散々私のことをシスターらしくないと言っておきながら、本人はどう考えても男らしくない、卑怯な鬼畜ヤローではありませんか。スネではなく、もっと大事な部分を蹴り上げてしまってもよかったかもしれません。と言うか、今そうしましょう。

「えいっ」

「二度目は食らうかっ」

 ミス。避けられてしまいました。

 やはり、腐っても勇者の仲間であった人なので、不意打ち以外では私ごときが一撃を入れられる相手ではなさそうです。

「もう良いです……さっさと終わらせて帰りましょう」

 時計塔の中は木で組まれた螺旋階段がずーっと続いています。どうやらこの階段の途中に件の魔物が現れるそうですが、こんなところを占拠されていては、万が一時計が狂った時に直しに行けず不便ですね。

 定時の鐘を鳴らす塔は別個にあるので、そこまで生活に支障が出ている訳でもありませんが、夜鳴き声を聞かされるのも大層苦痛でしょう。今の世に魔物が蔓延っている時点で大きな問題ですし、奇麗さっぱり浄化するのが急務です。

「かなり古い建物みたいですけど、意外にしっかりしていますね。さすがに床板はぎしぎし言いますが、跳ねたりしても抜けそうにないですし」

「ああ、腕の良い職人が建てたんだろうな。この技術は百年か二百年か前のものだったか」

「そんなにですか……。でも、不思議と古さを感じませんね。常に新しい時を刻む時計塔だから、でしょうか」

 ……ふふっ。

「全く上手いこと言えてないぞ」

「うるさいですっ」

 私にお話を語るセンスはあっても、自ら創作することについては才能の欠片もないのはわかっておりますとも。でも、たまには詩人のようなことを呟いてみても良いではありませんか。それぐらいの自由、与えられても良いはずです。

「しかし、外から見ても高かったが、いざ中に入って上ると、更に高い気がするな」

「螺旋階段は、心理的にも果てしなく感じられますよね。だからと言って長ーいハシゴで上るのも嫌ですが」

「もしそうなら、魔物も巣食うことはなかっただろうがな」

「全くです」

 本当、この世の中はままならないもの。教会への批判に、この世界は全能の神が創られたにしては欠陥や矛盾が多過ぎる、というものがあった気がします。

 それに対する教会側からの反論は、かつて神が創った世界は完全でしたが、人間がそれを歪め、更にそれに憤慨した神は定期的に理不尽を神の試練として与えているから、今の世の中がある。というものでした。

 そろそろ神様も試練を与えるのを打ち切って欲しいのですが、存外に神様は怒りんぼさんなのでしょう。それに抗えない我々人間は、どんな苦難も乗り越え、強く生きないといけません。教会はその手助けをする、とそういうことです。ですから本来、魔物の囮になったりはしないのですよ?

「今、物音がしたな」

「しましたか?」

「また妄想してたか」

「妄想じゃないです、教会論です」

 あまりに階段が長いのでちょっと真面目な思索をしていると、どうやら魔物が現れた様子。ふむ、邪悪な気配はしませんが、確かに私達以外の存在がすぐ近くにいる、そんな気がします。あくまで気だけ。

「次の踊り場、ってところか。準備しておけよ」

「囮になる準備、ですか」

 背負っていた弓を手にするディアスさんに倣い、私も一応、十字架の髪留めを外してそれを握り締めました。

「そう言えば、それがあんたの持つ十字架だったのか。首から下げてないから、モグリのシスターかと思ってたぞ」

「むっ、失礼ですね。首から下げるのは今のトレンドではないのです」

 聖職者とは元来戦いが出来ないもの。代わりに癒しの術、俗に言う“神の奇跡”を使うことが出来るのですが、その術を使うためには必ず十字架を模した何かしらのアイテムが必要になります。私の場合、それは髪留めだということですね。

 また、魔物はその全てが神の象徴である十字架を酷く嫌います。持っているだけで襲われにくくなるので、私の生存確率を上げてくれる、という訳です。実際のところ、どれぐらいの効果があるのかは知りませんが。かつて冒険者に同行した先人達の記録を信じましょう。もし嘘なら、恨みましょう。

 自然と足取りは慎重になり、一歩一歩、足音を殺して階段を上ると、暗い踊り場に一つの人影。それは小さな人間の子どものようでありながらも、やはり人にしてはおかしな姿をしています。

 でっぷりとした体型のオークやゴブリンとはまた違い、動く死体でもない。ただし人に限りなく近いその魔物は私達の姿を認めると、口を開きました。

「お姉ちゃん達、だれ?」

 人間で言えば十歳前後の見た目の彼女は、舌っ足らずな甘い声で私達に尋ねるのでした。

「ディアスさん!?」

 人語を解す魔物がいるとは知りませんでした。思わずディアスさんに縋り付き、彼の言葉を待ちます。

「魔物、じゃないな。おいお前、精霊か?」

「セイレイ?あたし、セイレイなの?」

「いや、それを訊いているのは俺なんだが……」

 ど天然な精霊さん(仮)は、見た目だけでは普通の女の子と寸分変わらない姿をしていました。

 奇麗な緑色のさらさらとした髪に、赤いワンピース。髪はツインテールにしていて、花の飾りの付いた紐で括られています。ただ一つ人らしくないところがあるとすれば、それはその皮膚の色がおよそ人としてはあり得ない、花の茎のような緑色をしている点でしょう。

「でも、間違いないだろうな。花の精霊、アルラウネってところか」

「アルラウネ?それがあたしの名前?」

「名前と言うか……種族名だな。お前、名前がないのか」

「よくわかんない。あたし、気付いたらここにいたから」

「なるほど……わからん」

 ああ、遂にディアスさんが頭を抱えてしまいました。魔物の対処は得意でも、子どもを相手にするのは苦手なようですね。

 ここはやはり、私の出番でしょう。

「ディアスさん。ここは私にお任せを」

「ああ、頼む……」

「わー、お姉ちゃんキレイだねー。キレイ、キレイー」

「ありがとうございます。あなたも可愛いですよ」

「カワイイ?あたし、カワイイ?」

「はい、とーっても。いけないお兄さんなら、お持ち帰りしてしまうぐらい可愛いですよ」

「変なこと教えんな」

 頭を小突かれました。むー、冗談のわからない男性ですね。

「オモチカエリされちゃう?」

「余裕です」

「ヨユー!」

 ああ、可愛いですねぇ。やっぱり私は無邪気な子の相手をしている時が一番楽しいです。

 こう、自分と比べて圧倒的な弱者をもてあそぶ感じ……いけない性癖に目覚めてしまいそうです。

「それで、あなたは気が付くとここにいた、と?」

「うん。よくわかんないけど、ケッコー前からここにいたよ。でね、お外が暗くなると怖いから、ずーっと泣いてたの」

「なるほど。それは寂しかったですね。もう怖くないですよ」

「もう一人じゃない?」

「ええ。私がお持帰りしちゃいます」

「やったー!オモチカエリありがとうございますー。またお越しくださいー」

 なんとも微妙な言葉を知っている精霊さんです。ずっとここにいて、どうやったらそんな語彙を獲得出来るのでしょう。

 不思議生物であるところの精霊には疑問が尽きませんが、魔物にしろ精霊にしろ、ここに放置する訳にはいきません。精霊さんならば有害ではないでしょうし、荒事にならなかったことを素直に喜んでおきます。

「と言う感じにディアスさん。女の子を保護しました」

「精霊の、な。アルラウネは花畑なんかに自然発生するか、何百年と生きた植物の花が変化するらしい。となると……なるほど、この時計塔のツタか」

「ツタの花が長い年月を経て、精霊になったと?」

「そう考えられる。詳しくは学者か、魔法使いに見せるべきだろうけどな。確か、アルラウネは花の成長を早める能力を持つ有益な精霊だ。当然、退治したり隔離したりするような必要はない」

 まあ、それはそうでしょう。物語の中に出てくる精霊や妖精もいたずら者であることは間々あっても、人に深刻な害を及ぼすような魔物的人格は備えていません。しかもこの精霊さんはすごく可愛らしいですし、害があったとしても一人の慈愛深いシスターとして保護を訴えています。

「とりあえず、町の人間に見せるか。と言っても農村ならまだしも、町に置くような話は出ないだろう。図らずとも旅の道連れが出来たな」

「旅はミチヅレ、世はナサケ?」

「そういうことです。精霊さん、私と一緒に行きましょう」

「うんっ」

 元気なお返事をしてくれるアルラウネさんの手を引き、またあの長い長い螺旋階段を下る作業が始まりました。

 行きほどの緊張感はありませんが、それにしてもこの階段の果てしないこと。そのまま下れば地獄、上りきれば天国に繋がっていそうな気がして来るというものです。

「ただいま戻りましたっ」

「したっ」

 たっぷりと時間をかけて下りきると、そこは地獄ではなく無人の町。ディアスさんが人払いをしていたせいで、お迎えもないという訳ですか。ちょっと寂しいです。

「シスター、とりあえずここで待っててくれ。素人にしてみれば魔物も精霊も大して変わらないからな。驚かせる危険がある」

「そうですね。精霊さん、ちょっとここで私と待っていましょう」

「うん、待つっ」

「でへへ……」

 い、いけません。思わず涎が。

 それにしてもこの精霊さん、ちょっと卑怯臭いレベルに可愛いですよ?本当に。

「そうだ。お姉ちゃんお名前は?」

「ああ、そういえばまだ自己紹介もしていませんでしたね。私はクリス、と言います。シスターをしているのですよ」

「クリスお姉ちゃんはシスター、うん。覚えた」

「シスターとは何か、わかりますよね?」

「うん。お姉ちゃん!」

「あー……間違ってはないですが」

 当たらずも遠からず。もし私が“姉”という仕事をしているのなら、この世には弟、妹が溢れていることになり、それはそれで楽しそうですけど、ちゃんと教育は施さないといけませんし、正しい意味を伝えておきましょう。

「シスターとは、女性の修道士のことを言うのですよ。修道士とはつまり、神様に仕える人のことですね。ちょっと精霊さんには理解しがたい概念かもしれませんが、人は神様を信じ、救いを求めながら生きるものなのです」

「へー……面白いね」

「ええ、そうかもしれませんね」

 説明しながら、私自身が変な気持ちです。客観的に神や教会のことを話すとなると、自分達が信じることだというのに、馬鹿げているようにすら思えてしまうのですから。

「あのおじさんは?」

「お、おじっ。ふふっ、精霊さんもあの男の方はおじさんだと思いますか?」

「うん。おじさんだよね」

 子どもは素直なものです。まあ、精霊さんは生後何ヶ月かの、まだ生まれたばかりの存在なのでしょうから、三十代のディアスさんは間違いなくおじさんに分類されます。

 ああ、でもこんなきらきらした目でおじさんなんて言われたら、ディアスさんはどんな反応を返してくれるのでしょう。

「あのおじさんはディアスさん、というのですよ。私と一緒に旅をしている狩人さんです。狩人はわかりますか?」

「カリュード……お魚とか獲る人?」

「う、うーん。それは漁師さんですね。狩人は、森の動物――鳥だとか猪だとかを狩猟するお仕事です。実は私もまだ腕を見たことはないのですが、弓を扱うのがすごく上手いものなのですよ」

「弓って、しゅばばってするの?」

「おー。その擬音は上手いですね。弓を射る人を見たことが?」

「よくわかんないけど、なんかわかるんだ」

 わからないけどわかる、実に哲学的です。

 精霊という存在のことは全くわからないのですが、ある程度の一般常識は持ち合わせた上で発生?するものなのでしょうか。あるいは、この時計塔のツタが見て来たことを全て記憶として持っているのかもしれません。

 これは一つの研究テーマとなりそうです。精霊を異教の神と呼ぶのは何か違うかもしれませんが、しっかりと観察、考察をした文章を提出すれば一気に成り上がれるかも。そうすれば将来は安泰。しかも巡礼の旅に出たという実績があれば、神学博士だとか呼ばれて、上手くいけば不労所得で食べていける身分になるのでは?……うーん、夢が広がります。

「クリス。説明終わったぞ……って、また妄想してやがるな?」

「モーソー?」

「妄想とは失敬なっ。皮算用と言ってください」

 あ、ついつい本音が漏れてしまいました。まあ、別に精霊さんをお金儲けの道具にする訳ではなく、取材をさせてもらうだけなのですから問題はありませんよね。本人が望まれるのでしたら、謝礼もきちんとお支払いしますし。

「……それは良いとして、どんな感じでした?」

「俺としてはきちんと説明したつもりなんだけどな……。実物を見ていないからか、いまいちぴんと来ていない様子だった。この娘を見せるのが一番だろうな」

「で、ですよね。私も精霊さんなんて初めて見ましたし」

「初物?」

 よくわからない方向に博識な精霊さん。その言葉に含みなどはなく、ただ単純に新しいもの、という意味で使っているのでしょうけどね。

「そういう訳なので、精霊さん。この町の人のところに行ってみましょう」

「お姉ちゃんと離れ離れになるの?」

「いえ。この町に残るか、私達と一緒に行くかは精霊さんが決めてください。まあ……」

 なんとなく、町の人がどんな感じの反応を見せるかはわかってしまっているのですが。

 案の定、です。

 精霊さんの姿を見た男の人達は言葉を失い、少し呆然とした後、急に騒ぎ始めました。

 国教なるものがあることの弊害でしょうか。民の考えはある程度統一され、政治はやりやすくなりますが、異端は徹底的に排除する風潮が出来上がってしまいます。

 そんな彼等にとって、草花の精霊であるところの特徴的な若草色の肌をした少女は、どれだけ醜く恐ろしいものに感じられたのでしょう。……と思ったら。

「女の子、だ」

「誰だ魔物なんて言ったけしからん小僧は!ぶちのめしてやる!」

 騒ぎは別の方向に爆進してしまいました。

 どうやら、元々の教会が酷かったこの町では異端排斥の気風はなく、美少女を愛でるという欲望に素直な生き方が可能なようです。

 あんな神父も間接的には一人の精霊さんを救っているのが無性に腹立たしいですが、この状況は決して好ましくないものではありません。生まれたばかりの精霊さんにとって、自分が歓迎されるというのは悪い気がしないことでしょう。相手が中年の男性ばかりであったとしても。

 魔物云々の騒動を収めるため、否定的な反応をされるのがわかっている相手に精霊さんを会わすのは、正直かなり気が引けましたが……神様に感謝。あの神父も、一応は神様に仕える者として、人の役に立った訳ですね。

「聖女様!」

「は、はい」

「この娘は、害がないんですよね?」

「ええ、まあ。見ての通りのただの女の子です。精霊として多少の異能は使えると思いますが、それ以外は普通の世間知らずな子ですよ」

「じゃあ……」

 後に続く言葉は、精霊さんもわかったみたいです。私の背中に隠れてしまい、服をぎゅう、と掴んでぶんぶん首を横に振りました。

 その仕草を見てしまっては、町民の皆さんも口から出そうになった言葉を引っ込めるしかありません。

「あたし、お姉ちゃんと一緒がいい」

「……とのことです」

 ああ、それにしても、なんといじらしいのでしょうか。

 精霊さんはある意味で人の子どもよりも素直で純朴で、果てしなく健気です。愛されるがたまに生まれて来たかのように好ましく人の目に映り、それだけで魅了の魔法をかけてしまったように相手を骨抜きにするのです。魔物と間違われても仕方がないぐらい、魔性の存在なのは間違いありません。

「あんた達。悪いが、この娘の意見を尊重してやってくれ。精霊とは元々、人の手によって縛られることのない自由な生命だ。自然の化身とも言える生き物なんだから、それも道理というものだろう。

 何が気に入ったのか、ウチのシスターと来たいらしいし、連れ出して構わないだろうか。一応、町長かそれに準ずる権限のある人間に話を通してもらいたいんだが」

「ディアスさん。そんなに大きな話なのですか?」

「精霊は、その町の財産みたいなものだからな。人の意のままにされるのが好ましくないことでも、町の偉い人間はその存在を知っておく必要がある、って古い仲間が話していた」

「なーんだ。えらく博識だと思っていたのに、ただの受け売りですか」

「俺の専門は魔物だぞ?多少なりとも専門分野外の知識があることを褒めてもらいたいぐらいだ」

 まあ、ディアスさんの知識が役に立っているのは確かなので、感謝はしていますよ。心の中で。

「町長……ねぇ。実はあの教会の神父なんだが」

「なっ、あの人が、ですか?まさか聖職者が治めているような町だとは……」

 その癖に宗教色がここまで感じられない町に仕上がっているとは。どれだけのあの神父は無能なのでしょう。世の中は決定的に間違っている気がします。

 しかし、となると話は厄介になって来ました。精霊は教会風に言えば、異教の神ということになってしまい、それは迫害の対象、ひいては処断されてしまうという最悪の未来を予感させます。精霊や魔物の知識のない町人に精霊さんを引き合わせるのとは訳が違うほど、リスクに溢れた危険な行為です。

「……どうします?」

「仕方がないな。おい、あんた達。秘密は守れるな」

「と、言いますと?」

「時計塔の魔物は俺達が殺して、焼肉にして食った。皮は価値がなかったので燃やした。精霊なんて生き物はいなかった。そういうことでこの事件はおしまいだ。万が一どっかから話が漏れたら、ディアスという狩人の仕業だと言え。一緒にいたシスターは脅かされて無理矢理協力させられていただけだ。――わかったな?」

「は、はいっ」

 すさまじい剣幕でディアスさんは言い付けると、次におよそ信じられない行動に移りました。

「うぷっ!?」

「暴れるな。生きたければ、このまま黙ってろ。クリス、町を出るぞ」

「はぁ。……ちょっと見直しましたよ」

「そりゃ、ありがたい」

 精霊さんはどこに隠し持っていたのか不明の、ディアスさんの大きな麻袋の中にまるでカブを収穫するように詰め込まれ、背中から背負われてしまいました。

 すぐに足は宿に向かい、今夜の宿泊のキャンセル、そして馬を小屋から出し、脱出を急ぎます。

 最後はまるで泥棒さんのようでしたが、初めて訪れたよその町にはたくさんの出会いがありました。

 良い出会いも、出来ればもう思い出したくないむかっ腹の立つ相手との遭遇もありましたが……旅の第一歩としては上出来でしょう。「お話の力」も少しだけ、実感出来た気がします。


 
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