第三十話 ~ 這い寄る毒牙 ~
【アヤメside】
「キュィ」
昨夜起床アラームをセットし忘れて寝てしまった俺は、キュイの鳴き声で目が覚めた。
「……ぅにゅ……」
と言っても、完全に覚醒した訳ではない。瞼は重いし、頭は上手く回らないし、今なんて言ったか知らないし、瞼は重いし……よし、もう一回寝よう。
「キュイちゃん。噛んじゃえ」
「キュ」
――ガリッ!
「痛ッ」
突然痛覚が刺激され、指先から体全体に向かって電流が走った。
何事かと思い起き上がって見ると、右手人差し指を小さな両前足で支えながらくわえる白い仔兎と、その直ぐ近くで楽しそうに笑うオッドアイの少女の姿があった。
「……お前たちか」
痛みの犯人は特定したが、怒るに怒れなかった。
と言うか、SAOに《痛み》って存在したんだな。あ、いや、攻撃を受けたときに感じる不快感を何十倍にすれば痛みになるか
「キュキュ」
「おはようございます。お兄さん」
「おはよう。リン、キュイ」
「目は覚めましたか?」
「おかげさまで」
そう皮肉を返しながら、寝転がっていたソファから降りて身体を伸ばす。
(正拳突きは……帰ってからでいいか)
流石にリンの前では恥ずかしいと感じた俺は、朝の日課を先延ばしする事にした。
十分に身体を伸ばした頃には、リンは毛布を畳み終えて玄関へと向かっていた。
「裏庭の畑から朝食の野菜採ってきますね」
そう告げると、リンは外に出て行った。あとには、俺とキュイが残される。
「畑なんてあったのか」
「キュィ」
何となくキュイに聞いてみると、キュイは一声鳴いた。多分、肯定。
俺は「そうなのか」などと呟きつつ、メニューを開いて濃紺のジャージから最近新調した灰色のマント姿に着替える。日常生活において邪魔になる《タロン》はまだ装備しない。
全身が蒼い光に包まれ装備が完全に変わった瞬間、キュイの長い耳がピクリと動いた。
キュイは玄関に向かって行きドアを鼻先で押しすが、キュイの小さな体ではドアはビクともしない。
焦ったふうにキョロキョロすると、キュイは俺の方を見た。
「キュキュッ!」
「どうしたんだ、キュイ?」
その様子を不思議に思いながら望む通りドアを開けてやると、朝霧の中をキュイは家から飛び出て一目散に裏庭へと駆け出した。
俺もキュイを追い掛けて裏庭に回ると、ニンジンやカブのような植物が生える畑の真ん中でリンが倒れていた。側には、心配そうに体を擦り寄せるキョイの姿もある。
チリッ、と首筋に感じる嫌な予感。
「リン!!」
自分でも驚くほどの大声を上げて駆け寄る。
その声に反応したのか、リンがうっすらと目を開けた。
「おにい……さん?」
「何があった?」
リンの上体を支えて起き上がらせる。
体に可笑しなところが無いか探すと、首筋にまるで吸血鬼に噛まれたかのような赤いダメージエフェクトの跡があり、その周囲には毒々しい紫の斑点が浮き出ていた。このエフェクトは、《
「気を付けて……下さい。まだ、近くに蛇が……」
囁くような小さな声でそう言った。
「――ッ!」
背後でガサッと言う音が聴覚を刺した瞬間、頭が理解するより速く、反射的にポーチから《スローイング・ナイフ》を取り出し音の聞こえた所へ投げつける。
ズドッ、と言う地面に突き刺さる音。
外したと判断した俺は、リンを下ろしてから《クイックチェンジ》でタロンをオブジェクト化させ、左手で素早く抜き放つ。それと同時進行で、空の右手でポーチから投げナイフを三本取り出して構える。
「キュィ!」
音と気配を探るために全神経を張り詰めさせると、キュイが俺の後方を見ながら鳴き声を上げた。
それを信じて振り向いたのとほぼ同時に、苔むしたウロコを持つ全長1メートルくらいの蛇が葉の陰からから飛び出してきた。
毒液の滲む二本の牙を剥き出しに、俺の首目掛けて直進して来る。その牙を見て瞬時に悟った。
――お前か……ッ!
リンを傷付けた怒りで頭が沸騰しそうになり、即座に氷点下まで落ちる。
口から両断してやろうとタロンをその大きく開かれた口に振るうと、蛇はタロンの刃が口内を切り裂く前に口を閉じてタロンをくわえ、そのまま俺の左手に巻き付いて締め上げた。
「舐めるな」
俺は握る対象をタロンの柄から蛇の頭の直ぐ真下に変更して動きを拘束し、指の間で挟み握り込むように持ち替えた投げナイフを、殴るように直接胴体へ突き立てた。
「キシャ――――――ァッ!」
それが効いたのか、蛇は悲鳴を上げて腕の拘束を緩めて暴れだし、左手から脱出して草の陰に隠れ潜んだ。
それと同時に、カーソルと二割ほど減ったHPバーが消滅して居場所が完全に分からなくなる。
移動しながら《
「キュィ!」
今度は俺の左側を向きながらキュイが鳴き、さっきと同様、俺が振り向くのと同じタイミングで蛇が飛び掛かってくる。
地面に落ちたタロンは拾う時間が無い、と判断した俺は、右手に持った三本のうち一本を蛇目掛けて投げる。
蛇の動きは直線的で捉えるのは容易く、吸い込まれるように口内へと突き刺さった。
それによって攻撃がキャンセルされ、蛇の動きが一瞬遅くなる。
「捕まえた」
それを逃がさないようにしっかりと首根っこを掴んで拘束し、《モスケイルヴァイパー》と表示されたHPバーの残りを確認する。
残りは約七割。いけるかどうかは分からないが――――
「セアッ!」
蛇を家の壁目掛けてぶん投げる。
更に、右手に残った二本の投げナイフの一本を左手に移し、胸の前で腕をクロスさせるように振って蛇を追い掛けるようにナイフを放つ。
投剣スキル《ツイン・ショット》。
左右の手から一本ずつ放たれた投げナイフは、それぞれが違った軌道の黄色い帯を引いて蛇に向かって直進し、壁に叩き付けられた直後の蛇の頭と中腹に命中して磔にした。
「ハァッ!」
続けて、足で跳ね上げたタロンを左手で掴み取ってから、蛇目掛けて突進して投げナイフを仕込んだ右ストレートを一撃。
その勢いのまま、猛禽類の鉤爪のように鋭い切っ先を蛇に突き立てる。
HPはレッドに至り、残りは一割弱。
「まだだ」
突き刺したタロンを引き抜き、上段に構える。
すると、刀身が赤色のライトエフェクトを纏い《バイトオフ》が発動した。
獲物を喰い千切らんが如き荒々しさでタロンを振り下ろし、刃を返して十字を描くようにもう一度斬り付け、そして最後に、必殺の刺突が十字の交点を貫き抉った。
それがトドメとなり、蛇は断末魔を上げることなく苔むしたその体をポリゴンに変えて爆散した。
「ふぅ…」
タロンを鞘に収め、脱力するように息をつく。
明らかな《
「リン!」
踵を返してリンに駆け寄ると、リンは瞼を閉じて死んだかのように動かなかったが、この世界での死は《完全な消滅》を意味するので気絶しているだけだろう。
「キュイ、もう居ないか?」
「キュィ」
「分かった」
キュイが肯定するのを確認してから、アイテム欄から必要無いアイテムをリンを抱き上げられる分だけ選んでオブジェクト化させて地面にばらまく。
こういうとき、筋力値を上げていないことが悔やまれる。
リンをお姫様抱っこの形で抱き上げ、俺とキュイは急いで家の中へと戻った。
失礼と思いながら家の奥にあるリンの部屋に入り、リンをベッドに寝かせる。
「チッ。治療ポーションが効かない」
苦しそうに熱い吐息を漏らすリンの様子を見ながら、小さく舌打ちする。
試しに俺が今持っているポーションで一番レベルが高い《治療ポーションLv.2》を飲ませてみたが、効果は現れなかった。
と言うことは、あの蛇の毒はレベル3以上の毒と言うことになる。つまり、現状最強の毒で、俺たちプレイヤーからしたら間違い無く猛毒。
今更ながら、噛まれなくて良かったと思う。
「そんな事より」
今はリンの毒をどうするかが問題だ。
「キュィ」
キュイがどこからかタオルを一枚くわえて半ば引きずるような形で持ってきた。
「……ありがとう」
その好意を無碍にすることなどなく、キュイの頭を軽く撫でてからタオルを受け取り、桶に水を汲みに行く。
すぐに帰ってきた俺は、キュイから受け取ったタオルを桶に張った水に浸し、それを丁寧に三つ折りにしてリンの額に優しく乗せる。
毒にこんなのが通用するかどうかは分からないけど、気休めくらいにはなると思う。
ふと、小学生のころ、涼が熱を出したとき、必要なものを買い揃えるため買い物に出かけた母さんの代わりに少しの間だけ涼の看病をしたことを思い出した。
あの時も、勝手がよく分からず水に浸したタオルを額に乗せてやったくらいしか出来ないでいた気がする。
「……って、そうじゃない」
頭を振ってその思い出を振り払う。今は感傷に浸っている場合じゃない。
「毒……解除……デバフ……」
ぶつぶつと呟きながら、毒の解除法を模索する。
毒状態の解除法は、《治療ポーション》や《解毒草》などの専用アイテムを使用する。しかし、それはさっき試して失敗した。
「何かないか……システム外の方法でも何でもいいから……」
「ぅう……。キュイ…ちゃん……?」
「キュキュィ」
俺が頭を悩ませていると、リンが目を覚ました。
キュイはそれに反応して心配そうに鳴きながら飛び上がってベッドに降り立ち、リンの顔の真横に近寄って頭を擦り付けた。
「ありがとう……キュイ、ちゃん。心配…してくれて」
リンは手を持ち上げてキュイの頭を撫でようとしたが、ほとんど持ち上がらなかった。
「すまない。俺が持ってるアイテムじゃ毒を中和出来なかった」
「いえ……大丈夫…ですよ」
そんな苦しそうな顔で言われても、全然そうは思えない。
「あの…お兄さん。お願い……聞いてくれませんか?」
「ああ。いいぞ」
苦しそうに紡がれるリンの言葉に、俺は即答する。
「この家から、東に向かった先に……小さな岩壁が、あります……」
そこまで聞いて、俺は何となく察しがついた。すっかり忘れていたが、今は《イベント》の最中だった。
「そこに…さっきの蛇の毒を…中和できる薬草が…あるんです。それを……採ってきて、くれません…か……?」
リンが言い切ると同時に、目の前にウィンドウが出現し俺に問いかけた。
【クエスト《這い寄る毒牙》を受けますか?】
チラリと視線をずらし、衰弱する少女に目を向ける。
「――もちろん」
俺は、迷わず【YES】を押した。
すると、リンの頭上にあった【!】が【?】へと変化する。
「キュキュ!」
「キュイちゃんも、行ってくれるの……?」
「キュィ!」
「お兄さん…よろしい…ですか……?」
「居てくれたら、心強いな」
「キュ!」
「よかったね。キュイちゃん……」
【キュイがパーティに参加しました】と表示され、視線を左上に持っていけば、【Kyui】と明記されたHPバーが俺のものの下に追加されていた。
「それじゃあ……これを……」
リンは腕を無理やり動かし、頭の上にあるベッドに備え付けられた棚から羊皮紙を一枚と何かが入った袋を引っ張り出して俺に差し出した。
羊皮紙に描かれていたのは、縁がギザギザした細長い葉に赤い実が二つ生った植物だった。名前は《ヴァイプハーブ》と言うらしい。
そして、袋の方に入っていたのは――――
「クッキー……?」
「はい…」
昨日の夜、キュイが食べていたクッキーだった。
「もし…キュイちゃんが良いことしたら、ご褒美に…あげて、下さい……」
最後にそう言って、リンは力尽きたように目を閉じた。
「リン!」
まさかと思って顔を近付けると、静かな寝息が聞こえた。
ほっと一安心して顔を離し、リンの前髪を優しく撫でてからゆっくり立ち上がる。
「待ってろよ、リン。……キュイ、行くぞ」
「キュィ」
リンを一人にするのは心配だが、薬草が無ければ取り返しの付かないことになる。
俺は後ろ髪を引かれながら家を出た。
「さて……東はどっちだ?」
いまだにうっすらと霧のかかる樹海を見渡し、一人呟く。
「キュ」
すると、俺の足元にいたキュイが数歩前に出て立ち止る。そして、キュイの纏う空気が変わった。
何をするのかとその様子を眺めていると、キュイの長い垂れ耳が、すぅ……、と静かに立ち上がった。
続けて、瞳のが水面が揺らめくように仄かに光輝き、赤から青、緑から黄、紫から藍と次々と不規則に色が変わる。
その姿勢のまま、キュイは音を探るかのように左右の耳を不規則に交互に揺らす。
静謐で、神格すら感じるその光景に、俺は今の状況を忘れて心を奪われた。
その僅か数秒後、長い耳がたらりと垂れ下がり、瞳の色も完全に黒に統一される。
「キュィ」
キュイが俺が初めて通って来たあの道に向かって走り出した。
数メートル進むと、キュイはくるりとこちらに振り返る。
「そっちなのか?」
「キュ」
自信ありげに鳴くキュイの声を聞き、俺はその後を追いかけた。
オリジナル剣技
《ツイン・ショット》
・投剣スキル
・左右に一本ずつ持った投擲武器を投げつける
・二カ所に投げることが可能
【あとがき】
以上、三十話でした。皆さん、如何でしたでしょうか?
今回は短めですね。そして急展開。
もう少し心理描写を書けたらよかったなぁ、とか思いますorz
まあ、とにかくクエストスタートです!
次回は薬草採取まで行くと思います。
余り長引かせるつもりは無いので、あと二、三話くらいで《臆病な兎》編は終わりますかね?
それでは皆さんまた次回!
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三十話目更新です。「来年から本格的に受験体制なんだよなぁ……」と思うと自然と指が動きます。
最近のPC調子が悪く一昨日くらいから動かなくなったんですが、今日無事復帰しました。良かった良かった。
さて、樹海の家で一夜を明かしたアヤメ君。
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