第9話〜誓いの中に〜
【side ハリル】
「遅くなってごめんな……ハリル」
イサクが静かな声で語りかけてきたが、燃えたぎる感情を押さえ込んでいるのが分かった。
彼の瞳が崩壊した露店街を見渡し、ある一点で止まる。 そこには瓦礫に埋もれかかったままピクリとも動かないマーシャがいた。 彼の手が血がにじむほどに強く握られた。
当たり所が悪くなかったのが幸いか、彼女は気を失っているだけの様だった。 だが、彼女を傷つけてしまったというれっきとした事実はハリルの胸をキリキリと締め付ける。
ハリルは堪えきれなくなり口を開いていた。
「ごめん……。 ごめんね、イサク君。 私…マーシャを…守りきれなかった」
頬を熱い涙が伝った。
泣いている場合じゃない、と、自分を叱りつけても涙はこぼれ落ちる。 自分の弱さに対する怒りが、抱えきれなくなって溢れ出しているみたいだ。
自傷する言葉が次々と口から漏れる。
私が臆病だから。
私が弱いから。
私がー
「ハリル」
ふと、優しい声と頭に置かれた硬くて暖かい掌がハリルの落ち着きを一瞬取り戻させた。
見上げると、イサクの藍色の瞳がハリルをじっと見据えている。 その口が微かに動いた。
「…ありがとう」
「えっ?」
責められるわけでも突き放されるわけでもなかったことに動揺する。 その様子を見て、彼はハリルの頭をゆっくりと撫でながら言った。
「マーシャは気の強い奴だからな、一人でも向かって行ったさ。 でも、お前が一緒にいてくれて必死に護ってくれたからマーシャは無事なんだ」
「…………」
「ハリル。 お前がいてくれて本当に良かった。 ……ありがとう」
涙が激しさを一層増してハリルから溢れ出た。
“ありがとう”と、その一言で救われた気がした。
イサクはハリルの頭から手を離し腰の片手剣を引き抜くと、切っ先を敵に向かって掲げた。 そして、打って変わって力強い声音で続ける。
「だから、そのお礼と言っちゃあなんだけどーー」
彼はそこで一度言葉を切り、自らの決意を示すかのように片手剣を左右上下に振り回した。 青白い太刀筋が、その動きに合わせて綺麗な軌跡を描いく。
そして、彼がハリルの方へ顔を向けて誓うように言った。
「約束する。 お前もマーシャも、絶対に俺が守る」
【side イサク】
駆け抜けろ。
迸れ。
貫け。
「セアァァ!!!」
灼熱のマグマの如く燃えたぎる怒りを全て剣に乗せて振るう。 気迫に圧されてか、敵の攻めが弱いように感じた。 ただ、攻撃が思った通りに決まっているかと言われるとそうではない。
斬り上げからの回旋斬り。 二連続水平斬りからの突きに二連続斜め斬り上げをつなげた五連撃。
とにかくイサクが今持てる連撃を駆使しても、敵はそれを硬い腕で受け流した。
「くっ。 こいつ……」
全力の剣戟を休むことなく続けるイサクの中で、一つの疑念が渦巻いていた。
ーーこいつは本当に亜獣なんだよな……?
答えは分かっていた。 だが、どうしてもそれを認めたくなかった。
赤黒い皮膚はまるで鋼鉄の鎧のようにその身を包み、凝縮され引き締まった筋肉は想像出来ないほどの攻撃スピードを生み出している。 反射速度も先日の奴らの比にならない。
ーーいや、真に驚愕すべきことは全く違うところにある。
それは、こいつには“知能”があるということだ。
目の前の敵にただ襲いかかり武器を振り回すだけだったあの鳥獣たちと違い、今、息を荒くしてイサクを睨んでいるこの亜獣は、攻撃をかわし、敵との間合いを取り、裏をかこうとしてくる。
知能一つで戦闘力は計り知れないほど増大する。
これが…“進化”か…。 だとしたら…。
頭の中に、今朝のファティナの話が蘇る。 だが、イサクはその思考を振り払い、自分に言い聞かせるように呟いた。
「んなことは後で考えればいいじゃねぇか……」
ーーこいつは倒さなきゃならないってことは分かってるんだから。
「つあっっ!!!」
敵である亜獣の鋭い突きを弾き返し、瞬時になぎ払う。 軽いステップでかわされたが、イサクも即座に踏み込み上段と下段の連続斬りを繰り出す。 しかし、それもまた敵の素早い回避行動によって空を斬る。
同じように、激しい剣戟が何度も続いた。 その度に亜獣とイサクはぶつかり合い、剣と爪とが高らかな悲鳴を上げた。
イサクの上段斬りが敵の肩をかすかに裂けば、敵の薙ぎ払いがイサクの腹部をかすめた。
戦況は互角。 先に一瞬の隙を見せた方が地に伏すこととなる、そんなギリギリの闘いだ。
ただ、一度のミスが命取りになることを悟りそのプレッシャーの中で闘うイサクと、愉悦さえ感じながら狂気に身を染めて闘う敵とではどちらが不利であるかは明白だ。
長引けば長引くほど危険は高まる。
だからと言って速攻でどうにかなる相手ではない。
複雑な連撃をもあしらう反射速度。 それに、攻撃が通ったとしても簡単には貫けない強固な身体。
奴を倒すには、生半可な剣戟ではだめだ。 一撃で葬り去ることのできる剣技を使うほかない。
だが、その剣技を使うには、今のイサクではあまりにモーションに時間がかかりすぎる。 まず間違いなく、発動前にやられるだろう。
一体どうすればいい……!?
と、活路の見えない剣戟の中で必死に模索しているイサクの目に、ある光景が飛び込んできた。
「!!?」
その目に映ったのはーーー
「ばっ……!! ハリル!?」
敵の後ろに回り込み息を潜めて好機を待つ、小柄な剣士だった。
【side ハリル】
名誉挽回だとか、仕返しだとかじゃない。 護られたいとか、護りたいとかじゃない。
私はただ、自分を認めたかった。
弱い、弱い私だけど、マーシャは、イサク君はそんな私を信じてくれた。 だからきっと、私が好きになれる自分がいるはずだ。
この亜獣を倒して、イサク君とマーシャと一緒にお菓子を食べて、ちゃんと二人に「ありがとう」って言えたら、何かが見つかる気がする。
そして何より、イサク君の力になりたかった。
敵の攻撃に苦戦しているようだし、、このままだといけないと、ハリルの勘が警笛を鳴らしていた。
ただ、今、感情に任せて飛び込んでいっても何もできない。 むしろイサク君の足手まといになってしまうことくらい私には分かっていた。
だからイサク君が私を信じてくれるのを信じて待っていたのだ。
彼の瞳がハリルを捉え、一瞬の間の後に案の定やめるように訴えかけてくる。
だが、どんなに言われてもハリルは決意を変えるつもりはなかった。 小さな子供のようなわがままかもしれない。 だが、それでもいい。
ハリルは大抵のおじさんならイチコロの奥義《プリティ・リクエスチョン》を発動させる。 睨んでも、頬を膨らませても、自分の意思を伝えることの難しいハリルの唯一にして最強の武器。 甘えるように懇願する。
あとあと考えれば、何であの状況でそんなことをしたのか不思議だが、最終的にはイサクが折れて視線を逸らした。
もう一度ハリルに向けられた視線は、覚悟を問うていた。 ハリルは力強く頷いてそれに応える。
それを確認した彼は剣を一振りすると、猛然と敵に襲いかかっていった。
「セアアアアッッッ!!!!!」
さっきから全く衰えない剣速での攻撃が続けて行われる。
ここが勝負所だと言わんばかりに二つの攻撃は激しさを増していく。
そしてイサクが剣技、《蒼日月》を発動させた。 その三連続斬りの最後の一撃が敵の腕を大きく弾いた。 敵の身体がグラリと後ろへ傾いむく。
「らああぁぁ!!!」
そこに彼がすかさず渾身の水平斬りを放った。 だがーー
「グオオォォォッッッ!!!!」
「なっ!?」
なんと、敵は上体が完全に崩れたまま空高く跳躍したのだ。 さらに、地を揺るがす咆哮と共に回し蹴りを放ってきた。
「くっ!!」
彼は何とか剣で防いだものの、数メートル押し返されてしまった。
一瞬、悔しさがその瞳に映る。 だが次の瞬間に浮かんだのは勝機を手にした者の自信。
彼の視線は、すでに敵の目の前に走り込んできていたハリルに向かっていた。
カウンターを当てるために大きく跳躍した敵の足は地から遠く離れており、無理な姿勢でのアクションの連続により身体は修正不能なまでにバランスを崩していた。 今度こそ間違いなく最大の隙。
すでに剣技の準備が整ったレイピアを手に、ハリルも大きく跳躍した。
脇腹にまたしても激痛が走るが、無理矢理に押しのけて剣技を発動する。
「《フローズン・スラスト》!!!!」
敵が身体を丸めて防御体制をとったが、それは全くの無意味だ。
そもそもハリルの狙いは
「ふっ!!!」
直線に放たれたと思われたレイピアは突如軌道を変え、ほぼ直角に落ちた。
そこにあるのは敵がこれから着地する大地。
ーーパキキキィィィン
ハリルのレイピアが突き刺さると同時にその地面が凍りついた。
《フローズン・スラスト》の最大の武器はその速度でも威力でもなく、“刺突対象の氷結”。
切っ先だけに限定されるが、それだけに威力は絶大だ。
氷結した地面に敵がなす術もなく足を滑らせ、倒れ込んだ。
「ナイスだ、ハリル!! 下がってろ!!!」
イサクの合図と共に、ハリルはその場から素早く離れる。
入れ替わるように敵に接近した彼の片手剣はすでに、炎のようにも見える蒼白い光に包まれ刀身も見えなくなっていた。
敵がやっとのことで立ち上がったが、もはや遅い。
イサクの大技が発動した。
「《
=剣技説明=
これからは剣技が出る度に、その詳細を後付けすることにしました。 ただ、たくさん出てくるのは参照だけで済ませるかもです。
◯《蒼日月》/イサク
湾曲で太刀筋が読みにくい三連続斬り。 →第5話参照
◯《フローズン・スラスト》/ハリル
限界まで加速した単発の刺突。 切っ先にヒットした対象は氷結する。 →第8話参照
◯《蒼狼》/イサク
次回をお楽しみに!!
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こんにちは。
今日行ったバイキングで“プリマヴェーラ”という料理を見つけて思わず食べてみたら、「これは中華じゃないか?」とガッカリしたQPです。
……はい。 そんなことはおいといて、第9話お楽しみください。
(ちなみに、《プリマヴェーラ》はマーシャが第2話で使った剣技です)