空が蒼く澄み渡り小鳥達の囀る声が聞こえ、窓から風が入り込み、白いカーテンを靡かせ、陽光が降り注ぎ机に置いてある本が風でページが捲れている。
ベッドで寝ていた少女はゆっくりと瞳を開き体を起こす。
「今日も晴れているのね」
少女は窓から見える空を見て呟く。
本を手に取り読み始めようとすると、扉を叩く音が聞こえた。
「どうぞ」
彼女は扉に顔を向けて返事をすると、一人の少年が笑顔で入室してくる。
彼は少女が微笑んでいるのを見て安心し、静かにベッドの横の椅子に腰を下ろした。
「よっ、おはよう」
少年は優しい笑みを浮かべ、彼女に挨拶をした。
「おはよう、神斗」
「体調は大丈夫なのか?雪奈」
「うん♪今日は調子が良いみたい。それよりも、今日は屋上に行きたいなぁ~」
雪奈と呼ばれた少女は少し甘えるような仕草で彼に連れて行ってと言うと彼は軽く返事をして車椅子を持ってくる。
「むぅ~、屋上は階段があるから車椅子は不要なんだよ~」
わざとなのか、可愛らしく頬を膨らませて、お姫様抱っこじゃなければ行かないと駄々を捏ね始めた。
神斗は溜息を吐き、仕方なく雪奈を持ち上げて履物とバイオリンを片手に持ち、屋上へ向かい歩き始めるが、行く先々でからかわれたのは言うまでもない。
「うわぁ、綺麗に晴れたねぇ♪」
「あぁ、雲一つ見えないなぁ。良くここまで晴れたもんだ」
「やっぱり、私の普段の行いが良いからよね」
「そんなわけあるか」
雪奈は空を見て感動していると、小さな小鳥が肩に止まり小さい声で囀っていた。
彼は小鳥が歌っているようにも見え、持っていたバイオリンで音を創り出す。
彼女も音に合わせ少し高めの声で歌い出すと他の鳥達が集まり音楽に合わせて囀り出す。
柔らかな風が二人を包み込むように、通り過ぎて行く中、二人のハモーニーが病院内に響き渡り、全てが癒されていくような、そんな思いにさせてくれるような空間を作り出していた。
「前よりも、声が綺麗になってる」
「雪奈の歌声が良くなったんだよ、きっと」
一通り歌い終えた疲れからか、雪奈は手擦に掴まり広大に広がる景色を眺め、体全体で風を感じていた。
けれど、その横顔が悲しみに似た雰囲気を漂わせていた。
「ねぇ、神斗。覚えてる?私達が出会った時の事」
「あぁ……覚えてるけど、どうかしたのか?」
不意に切り出された話。
まだ二人が出会って間もない頃の話であった。
「うぅん、神斗はさ、私の事を好きになって、後悔してないのかなぁと思って。私なんかより可愛い子は他にもたくさん居るし、それに「ばぁか」」
台詞を被せるかのように、神斗が口を開く。
その事に雪奈は目を丸くして彼を見つめていた。
「後悔なんてしてたら毎日のように会いに来る訳ないだろ。それとも何か?嫌いになって欲しいのか?」
「そ、そんなじゃないの!!ただ、余り外出できないし、一緒に食事も買い物もして上げられないから……だから!」
「気にするな。それに、そーいうのは自己嫌悪って言うんだよ。別に一緒にいられるだけで十分だし、別に楽しくない訳じゃない」
悲しそうに肩を落として言う雪奈の肩を優しく抱きしめると、雪奈は顔を真っ赤にさせ俯いてしまう。
それから、ずっと、他愛ない話をし、二人の時間が続く事を強く願った。
ずっと、この幸せが続くように、この平穏な時が失われない事だけを強く願った。
やがて日が沈み面会時間が過ぎて行く。
「………神斗」
「そんな心配そうな顔するなよ。また明日、来るからさ。たくさん話、しような?」
「うん♪」
神斗は素早い動作で彼女の頬に軽くキスをすると部屋を後にした。
突然の出来事に、頬に手を当ててポケーとしている彼女だけが残されて居る。
雪奈があとで係りの看護師にいろいろと聞かれたのは別のお話。
プルルル……プルルル……プルルル……
自室のパソコンと睨めっこしていた神斗は電話が鳴っている事に気が付き部屋に置いてある子機を手に取る。
「もしもし、逢羅ですが」
『神斗くん?神斗くんなのっ!?』
耳に飛び込んで来たのは、雪奈の姉である魅雪の声であった。
「あれ?魅雪さん?どうしたんですか?こんな夜中に」
普段の彼女からは、とても想像できないような慌て振りに、彼は取り敢えず落ち着くようにと言う。
しかし、かなり深刻な事態が起こっているようで受話器の向こうから慌しい声や騒音が聞こえてきた。
何があったのだろうと聞こうとした瞬間、フラッシュバックするかのように、彼の瞳の中に最愛の彼女が苦しんでいる姿が映りこんできた。
まさかと思い、恐る恐る魅雪に何があったのかと聞くと信じられない言葉が返って来た。
『雪奈の容態が悪化したの、それもかなり最悪な状態に陥ったのよ。何度も貴方の名前を呼んでいるの、急いで!このままじゃ、取り返しの付かない事になるわよ!』
彼は乱暴に子機を置くと急いで病院へと駆け出す。
「雪奈の容態が悪化した」という言葉に彼の心に恐怖を生み出した。
強風が吹き荒れる中を飛び出し、タクシーで病院へと向かう。
病院へと辿り着くと院内へと走り出し、エレベーターのスイッチを何度も強く押すが降りてくる気配が感じられない。
仕方なく階段を全力で駆け上がり雪奈の病室へと急ぐ。
「雪奈っ!!」
乱暴に扉を開けると苦しそうに息をしている雪奈が居た。
今朝はあんなに元気だったのに、あんなに楽しそうに笑ってたのに、いったい何が起こったのか理解できなかった。
神斗が来た事に気付いたのか、雪奈は朦朧とする意識の中で、重たくなった自分の腕を彼へと伸ばす。
自分へと伸ばされた手を、優しくも、しっかりと握り、彼女へと語りかけた。
「・・・・・・神斗、来て・・・・・・くれ・・・・・・た・・・・・・んだ・・・・・・ね」
「何も言わなくていい・・・・・・言わなくていいから…だから……」
雪奈は息を切らせ、苦しくても笑顔を浮かべている。
奇跡が起きたとしても助からない事は前から知っていた。
それでも、必ず助かると信じてきた。
「やだ・・・・・・神斗、泣い……てるの?」
「なっ!?泣いてなんているもんか」
「嘘、瞳から……涙が出てるよ。泣かないで・・・・・・私の神斗は、こんな事で泣か……ないはずよ」
悲しくないはずがなかった、涙が流れないはずがなかった。
自分の好きな人が苦しんでいるのに何も出来ない、自分が、どれほど無力なのを思い知らされる程、許せない気持ちで胸が締め付けられるのが分かる。
手を握って傍に居る事しか出来ないと、思えば思うほどに涙が溢れ出てくる。
だからこそ奇跡を願わずには居られない。
「私、嬉しかったよ・・・・・・会いに来てくれて・・・・・・毎日が楽しかった・・・・・・いつも神斗が・・・・・・傍に居てくれて・・・・・・例え、自己・・・・・・満足・・・・・・だと・・・・・・しても、後悔はしてないよ」
「俺も、楽しかった。雪奈と出会えて、同じ時間を過ごせて本当に 良かった・・・・・・俺は他の誰よりも雪奈を愛してた」
「神・・・斗・・・」
場違いな発言かもしれない責められても仕方ないと思う、けど、これが雪奈の気持ちに答えるのに精一杯の事だった。
彼女は少しづつ薄れていく意識の中で約束をして欲しい事があると言う。
「ねぇ……一つだけ、約束して欲しいの」
「何?……」
「自分の……信じている……心と……想い……を……忘れないで…… これからも……ずっと……微笑んで……い……て……」
「分かった……約束するよ、ずっと微笑んでいるって……」
「約束……だからね」
ストン――――――
全てを伝え切ったのか彼の手から彼女の手が力なく擦り抜ける。
彼は慌てて雪奈の名前を呼び続けたが二度と瞳を開く事は無かった。
心電図も0という数字を指して音を立てているだけ。
そして――――
「……雪奈ぁ~~~~~~~~~~~!!」
病院内に絶叫とも思える程の声が木霊した。
その声に気付いた魅雪は病室に入ると声を殺して泣いている彼が居た。
「神斗くん……」
本当は優しく声を掛け慰めて上げたかった。
けれど近づく事が出来ず、ただ呆然とするばかりで今声を掛けたら彼の心を壊してしまうような気がして……。
医者の懸命な蘇生処置も虚しく彼女は来世へと逝ってしまい還らぬ人となった。
それから長い時が流れた――――――
「神~斗くん♪」
「魅雪さんか。何度も言ってますけど天下の往来で恥ずかしい真似しないで下さい」
溜息混じりに、彼女の行動を非難する。
行き交う人々が二人を生暖かい目を向けて通り過ぎていく。
「良いじゃない別に。恥ずかしがる程の事じゃないじゃない」
「それは魅雪さんだけですよ」
諦め半分、呆れ半分と言った感じで、彼女を振り解いた。
神斗は軽く衣服を整えると、軽やか足取りで歩き始め、魅雪も遅れまいと彼と肩を並べて歩く。
二人が向かったのは、静かに風がそよぐ丘だった。
そこには“織月家之墓”と掘られた墓標。ここには彼女が眠っている。
持っていた花束を添え、線香を立て、手を合わせて冥福を祈った。
「もう、あれから5年かぁ。時間が経つのは早いわねぇ」
魅雪は懐かしむように墓標を軽く撫で語りかける。
その横顔が少しだけ寂しそうで、今にも泣き出しそうな雰囲気だった。
「私より先に、そして神斗くんを遺して逝くなんてねぇ。お姉ちゃん、想像しなかったなぁ。」
物言わぬ墓とでも言うのだろうか、もう言いたい放題に言葉を紡ぎ続け、苦しかった事を、楽しかった事を、ただひたすら話続けた。
「さて、私からはこの位かな。後は神斗くんとでも仲良く話でもしなさい」
言いたい事を全部言ったのか、満足したような顔で微笑み、踵を返し通路の向こうへと消えて行く。
一人残された神斗は苦笑すると、墓に手をそっと添え瞳を閉じた。
どれほどの時間が流れただろうか?彼は閉じていた瞳を開け、静かに立ち上がる。
「じゃぁ、そろそろ行くよ。来年、また来るからさ」
そして彼もまた踵を返し、帰ろうとした瞬間。
“愛してくれてありがとう”
突然聞こえ声に振り返るが、そこには誰にも居ない。
気の所為だろうかと思い再び歩き始める。
そして、そんな彼の背中を押すように吹く風は、とても優く、暖かだった。
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かなり、時間を掛けて作った最初の作品に更に手を加えたものです。
御目汚しかも知れませんが、どうぞ。