空を、
空を見ていた。
紗羅は空が好きだった。とりわけ夜空が好きだった。月や星があると、夜の暗い部分に、どこまでも吸い込まれそうになり、あそこだけは、異世界のように感じてしまうのだ。そこにどうしても惹かれる。それは、この世界に来てからも変わらなかった。
今日の月は意外なほど明るい。そして星々も、今までどこに隠れていたのか、と思ってしまうほど見えた。やはりそれは、元の世界では見れぬ景色で、紗羅はその光景を楽しんだ。
パチッ、と篝火にくべた木が折れる音がする。それだけで、紗羅は野宿の情景に大いに心を震わせる。辺りはもう静まり、聞こえる音は、熾した火の暖かい音と、刺した魚が焼ける音、馬が草を食む音だけ。彼の近くには、街を出るときにはなかった馬車と馬がいた。
紗羅は今日、街からついに旅立った。彼は目的地を定めていない。ただどこまでも、歩いていたい気分だったのだ。だから心の赴くまま、気の済むまでただ歩いていよう。足が重くなったら、休めばいい。そしてまた、歩けばいい。どこかで死んだら死んだで、それも良いかもしれない。そんな気分であった。
そしてここで野宿するまでに、賊に襲われた商人を発見した。発見した時、護衛はすでに倒れ、馬車を引いた商人が殺されるところだったが、護衛と戦っていたことで、賊の数も数人になっていた。賊は、商人を襲ったついでに紗羅にも襲い掛かったが、それを紗羅は返り討ちにし漁夫の利を得る。だが怪我こそ負わなかったものの、その戦闘時に槍はあっけなく折れてしまい、吊り下げていた剣も刃こぼれしてしまった。質はどっちとも良くなかったようだが、その代わりに紗羅の傍らには新たな得物があった。
刀、その長さから太刀であることが解る。どうやら、襲われた商人は武器商人であったようで、馬車に積まれた荷には、剣や槍、弓矢が束ねられていた。中でもその太刀は、大事そうに箱の中に入れられていて、黒い鞘に納められている太刀を抜いてみると、反りや波紋が美しく、見事に輝いていた。束ねられている武器の中にはくすんで光も返さない物もあるので、これは良いものではないか、と紗羅は直感し、試し切りに剣一本を取り出し太刀で打ってみたが、打たれた剣はあっさりと折れた。どうやらその太刀は、相当な業物であるらしい。
箱はもう一つあった。その中身は弓で、こちらもまた、見事、と言いたくなる雰囲気がある。触るだけで、質が違う、と解った。ただこちらの方には問題があり、弦が張られていないのだ。紗羅は弦の張り方など解らないので、それだけで弓は扱えぬ物となってしまった。惜しい、と思ってしまうが、実戦では使えないだろう。こちらは保留とした。
「……焼けたか」
枝に刺した川魚が、香ばしい香りを放っている。近くに川があり、そこで獲ってきたものだ。投擲の練習も兼ね、魚が跳ねたところなどを狙って獲ったのだ。かけた時間にしては獲れた数は少なかったが、長時間やっていたこともあって、一人で食べるには多い数にはなった。
枝を取り、焼き加減を確認していると、草むらから物音がした。座ったまま太刀に手を伸ばし警戒する。火を熾す、ということは、自分の居場所を誰かに知らせることにもなる。その相手が普通の人であればいいが、賊でないとも限らない。物音がした方に集中していると、茂みから、少女が現れた。それと犬が一匹。その少女は、紗羅と目が合う前に、焼けた魚の方と目が合った。
「ぁ……」
ぺたん、と座ると、魚と目が離せなくなったように凝視する。少し経っても、少女は固まったように動かない。まるで紗羅に気付いてないようだ。
「食べるといい」
「ぇ……?」
そこでようやく、少女は紗羅を見た。
「一人で食べるには多い」
彼が焼けた魚を取り少女に差し出すと、その少女は紗羅の顔と焼けた魚を交互に往復して見た。そして恐る恐る受け取り、一口齧る。すると、少女の頬に涙が伝った。よほど空腹だったか、そこからは、貪るように食べ始めた。
「犬、お前もだ」
魚を枝から外すと犬に放り投げる。やはり犬も、貪るように食った。
「数はある。落ち着いて食え」
そして紗羅も食べ始める。少し焼きすぎたかもしれない。だが焦げの部分もなかなか美味い。
「むぐっ!?」
「詰まらせたか。ほら、水だ」
少女は差し出された水を奪い取るようにして飲み干すと、また泣きながら、詰め込むように食べた。それを紗羅は、時折火に木をくべて、何も言わずに魚を食べていた。
そうして少しすると、魚は腹に全て収まった。二人と一匹には、ちょうど良い数だったようだ。その余韻に浸っていると、少女が倒れた。紗羅は別段、何もせずそれを見ていた。
「死んだか」
ただそう一言残すのみ。彼女が意識を失ったのはわかる。だがそれきり紗羅は、ただ揺らめく火を見つめていた。だが、犬が掠れた声で鳴いた。しかも、その目は少女ではなく、紗羅を見つめていた。
「どうした、犬?」
犬が近寄り、紗羅の裾を噛んで引っ張る。まるで、助けてくれ、とでも言っているように思えてしまった。そこでもう一度、犬が鳴く。
「飯を食って、死ぬ。最期にしては、上出来だろうと思うぞ」
別に彼女とは特に縁がない。助ける義理はない。どうするかは、紗羅の自由である。また犬が鳴いた。引っ張る力は、相変わらず弱かった。この犬も体力の限界が近いのだろう。だが必死で引っ張っていた。そんな犬の姿に、彼は少しだけ気分を変えた。
少女に寄り、様子を見ると、呼吸はしていた。眠っているだけではないかと思い、頬に触れると、驚くほど冷たい。
「このままでは死ぬ」
今の季節、夜は寒い。彼女の死を予感した。だが、それだけだ。
「犬よ、終わりだ。お前も死ぬのだろう。せめて看取ってやる。安心して逝け」
そんな言葉を残すだけで、彼に少女を助けるつもりは、ない。非情だろうか? だがこれも、彼なりの慈悲である。
『死ぬ時には死んでしまえ』
その考えを持つ紗羅は、飯は食わせた。もう十分だ。死ぬのなら死なせてやりたい、と思うのだ。
また犬が、消え入りそうな声で鳴いた。もう力も感じなくなった。だが、また紗羅の裾を引っ張る。そして、倒れた。最後に、掠れた声で鳴いた。
「……」
最後まで、彼女を助けてくれ、と言っているようだった。
「……仕方ない。こういうのも良いか。犬、お前の功績だ」
紗羅の気が変わる。彼は別に、残酷な性格をしている、という訳でもないのだ。彼は改めて、少女の様子を見る。傷を負っている訳ではない。単なる極度の衰弱だろう。服は汚れみすぼらしく見えるが、本人は、可愛いといえる少女だった。紗羅は少女の服を脱がし、裸にした。紗羅は上だけを脱ぎ、抱き合うようにして肌を密着させる。
「冷たっ」
改めて、驚くほどに冷たい。だが紗羅には、人肌で温めることしか、思いつくのは無かった。素人知識などそんなものである。
「犬、お前も手伝え」
紗羅は犬も抱き寄せ、その上で布に包まった。犬も死んだわけではない。息はしている。少女の呼吸は、静かで浅いものだった。そのまま止まるのではないか、と思いもする。起きたときはもう息を引き取っているかもしれないが、それならそれで構わない。出来ることはこれだけだ。紗羅は彼女と犬の冷たさを感じながら眠りについた。
温かい。それは言葉にするまでもなく、無意識に感じるものだった。少女は、その温もりを感じるため、一度身じろぎした。心地よい重さが、なんとも幸福だった。久しぶりに、ぐっすりと寝れた気がする。
「……」
目を開ける。視界が霞んでいる。焦点が定まっていないのだ。だがそれでも、いつも一緒に寝ている友の温もりは解る。だがそれとは別に、違和感があった。だが嫌なものではない。好ましく温かいものだった。
ようやく、焦点が定まってきた。そこで見たものは――
「のわああああああああああああああああああああ!?」
一気に飛びずさり、過剰なほど距離を取る。
「ぬっ、起きたか……というより、生きてたか、と言うべきだろうな」
「な、ななななな……」
少女は共に寝ていた男、紗羅を指差し、わなわなと狼狽していた。
「何者ですかお前は!?」
ようやく出た叫び声は、昨日と違い威勢が良い。
「朝から叫ぶな。煩わしいぞ」
「なんでねねは! 裸の男と抱き合って寝ていたのですかあ!?」
「説明するから、まずは服を着たらどうだ」
そう言って紗羅は少女の服を指差した。そして――
「ねねが裸ですとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
自身が裸であると気付いた様だ。
「……ねねも思い出したのです。先ほどは失礼を致しました」
落ち着くまで放っておいてから事情を説明すると、彼女も納得できたようだ。
「命を助けてもらい、ありがとうございました! 大したご恩返しもできませぬが、ねねの真名を受け取ってほしいのです!」
「いらん」
唐突だった。が、紗羅の返事も即答だった。今の時代、命は軽いものだ。少しの私怨とはした金で簡単に人が死ぬ。紗羅にとっては、命を助けた程度に大事を成し遂げたとは思えなかったのだ。
「礼を言うなら犬に言え。そいつが居なかったら、お前は死んでいただろうな」
犬の名前は、張々、といった。張々は彼女の友と言うべき存在らしい。
「もちろんでありますが、それでも貴方に助けてもらったことに変わりはありませぬ。どうか真名を!」
「いらん」
もうすでに真名を教えているようなものだが、『真名』とは【呼んではいけない】のであって、【知ってはいけない】のではない。だから彼女のように、第一人称が真名であっても構わないのだ。趙雲らが紗羅の前で互いに真名を呼び合っていたのも、そういう事であるからだった。
あまりにしつこく言ってくるので、やむなく紗羅は、記憶を失っている、という設定を話した。彼としては、その設定は一時しのぎのものであって長く使う予定はない。さっさと真名を決めてしまわねば、後にややこしい事になりかねない。そう思いながら彼女を納得させた。
「うう~……しかし、ねねは真名の返礼など求めませぬ。それでも受け取ってはくれぬのですか?」
「それでもだ。それよりいい加減名前を教えてくれ。どう呼べばいいかわからん」
「わかりました……ねねは陳宮、字は公台です」
「……なんとっ」
陳宮公台。その名は知っていた。三国志最強と称されるほどの武力を持つ呂布の軍師を務めた人物だ。それがまさかこんな少女になっているとは。やはり、この世界の名だたる人物は全員女性となっているのか。それもまさか、こんな場所で会うことになるとは。
「真名は音々音と言います。ねねとお呼びくだされ」
「いらん。それだけは絶対に受け取らんぞ」
「うう~……」
やはりここは、そういう世界なのか。いちいち驚いていては疲れることになるのだろう。
「それは今は置いておけ。それよりお前だ。お前はこれからどうする?」
「うっ」
聞いた所、陳宮は孤児だったらしい。身寄りがなく、村から村へ渡り歩き、そこで働いて生きてきたのだ。孤児であったからか、長居は出来なかったようだ。そしてその最中、ここで力尽きようとした時に紗羅と出会い生き延びた、という事になっている。
「なんとまあ、巡り合わせ、というのかな、こういうのは」
「紗羅殿! お願いしたい事がありまする!」
陳宮が、地面に手を付いて頭を下げる。こういう場合、大体予想がつく。
「一緒に連れて行ってくれ、だろう?」
「はっ! この陳公台、紗羅殿の邪魔には決してなりませぬ! 必ず役にも立って見せまする! お望みとあらば、この身体も好きに使ってくだされ! だからどうか張々と一緒にお供させてください!」
悲痛と呼ぶのだろう。僅かだが、声の端が震えていた。小さい身体が、微動だにしない。それが紗羅には、泣いているように見えた。改めて、小さな身体だと思った。
「ふむ……」
だが、彼女は陳宮なのだ。紗羅が居なくても、彼女ならどこかで呂布に会うのではないか? そんなことを思う。歴史上に名を響かせた人物なのだから、それまでは死ぬことはないのではないか? だがそこで、紗羅はある仮説を閃いた。
もしかしたら、【陳宮はここで死ぬはずだった】のかも知れない。
ここは、三国志の世界。だが趙雲、程立、郭嘉が一緒になって旅をしていたように、紗羅の知っている歴史がそのままではないはずだ。ここは【陳宮が死ぬはずだった世界】とでも言うべきものではないのか。ただの仮説だ。馬鹿馬鹿しいと言えばそれまでになる。だがそれを肯定する者も否定する者もいない。それならば、そう思っていてもいいではないか。
しかもだ、陳宮を手元に置いておけば、呂布に会うことがあるかもしれない。やはり女なのだろう。ならばどんな女性となっているのだろうか? 会ってみたい、最強と謳われた者に。そんな欲求が衝動となって紗羅を震わせる。そこでさらに彼はまた閃いた。
「そうだ、良い事を思いついた」
荷がある。馬車をがある。それを引く馬もいる。そして陳宮が連れて行ってくれと言う。
「俺はこれより、『運び屋』を名乗ろう。最初の荷は、お前だ、『陳宮』」
あとがきなるもの
最近、秋蘭ってスーツ似合いそうだなー、とか思いました。二郎刀です。人類はさっさとナーヴギア発明すべきだと思います。
タイトルが次回から『運び屋旅行記』になります。嘘です。最初はこっちのタイトルで投稿しようと思ってたんですけど、ここに辿り着くまでにもうネタバレしちゃうじゃないですか。それは嫌だったんで、それまで解らないように『運・恋姫†無双』としました。この運は、運び屋の運を表しているのです。そんな裏話でした。
まあ運が良い主人公ってことでもありますが。ぶっちゃけ見知らぬ世界に飛ばされて初めから友好的な協力者に出会えるって凄い幸運ですよね。だって主人公ですもの。もしそれが自分だったら? 異世界に飛ばされる→目の前に敵→対応→無理→DeadEnd直行ですわ。まあどうでもいいんですけどね。これ創作ですし。でもそういう事を考えてしまうのも好きだったり・・・・・・
結構脱線したので戻しましょうか。当初紗羅の旅は一人旅の予定でしたが、俺のオリキャラたった一人で何が楽しいねん、って思いまして原作キャラを登場させた次第です。作者の文才では一人旅無理だったよ・・・・・・そういう訳で主人公のパートナーは、ねね、になります。これで少しは賑やかに出来ますね。今のところ紗羅と彼女は長い付き合いをさせる予定ですが、大丈夫かな・・・ねねってちょっと不人気というか求められてないというか・・・
さて、紗羅がねねを見放そうとした事とか、ねねを裸にした事とか反感を買うかもしれませんね。紗羅の人気・・・は無いようなものですねw ならばよし! 今後もそういう表現を出す予定です。紗羅は【そういう人間】なんですよ。彼も彼なりの考えというものがあり、そういう所も上手く書ければなあって思います。
では今回の話はどうでしたでしょうか? 少しでも楽しんで頂けたなら幸いです。
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今回ちょっと人によって嫌悪感を感じるかもしれません。
読むのなら気を付けて下さい。