その日。北郷一刀は、何故か、いつも通り自分の部屋で目を覚ました。
何か、夢を見ていた気がする。
熱く、激しい夢を。
優しく、温かい夢を。
そして――涙が溢れて止まらないほどに、切なく、愛おしい、誰かとの夢を。
「かずぴー、おまえ、最近変わったな」
休み時間。一刀の席にやってきた及川が、そんなことを言い出した。
「そうか? 俺自身にはそんなつもりないんだけど」
「だっておまえ、前はそんなマジメくんじゃなかったじゃん」
そう言って及川が指差したのは、一刀の手元。
前の授業の内容が、ノートに細かく書き込まれている。
「……そう言われりゃ、そうかもしれないな」
「だろ? いったい何があったのか、親友のオレとしては気になってさ」
「誰が親友だ、誰が」
及川の口調は真剣だったが、つい軽口で返してしまう。
「そういうとこは変わんないなあ。ま、いいけどね。これでテスト前にイヤなヤツに頭下げなくて済むし」
一刀の返しに及川もいつも通りの明るい調子に戻った。
「他力本願する前に、自分で努力しろよ」
「効率良く備えてる、って言ってくれないかねえ」
「おお? どうした一刀。道場に顔を出すなんて。珍しいじゃないか」
「ん……。なんだかね、強くなりたくて」
放課後、一刀は祖父の道場を訪れていた。
道着と袴はすでに身に着けているので、荷物を降ろすとさっそく身体をほぐし始める。
「ふむ……。何やら顔付きが変わったようじゃの。何ぞあったか?」
「いやべつに何かあったわけじゃないんだけど。そうだな……強いて挙げるなら、夢を見たような気がするぐらいかな?」
袋から竹刀を取り出し、軽く素振りしながら一刀は答える。
「まぁよいわ。強くなりたい、その意気込みは買ってやる。じゃが、そう願うからには覚悟せいよ?」
腕組みして何やら思案していた祖父だが、にやりと笑って立ち上がると竹刀を手にした。
真面目に授業に取り組み、真剣に剣道……剣術にうち込む。
そうして時は流れ。
一刀が自分を鍛え始めてから一年が経とうとする頃、祖父は一口の日本刀を渡したのだった。
まるで印可の証とでもいうように。
自室のベッドに腰を下ろし、手にした真剣を眺める。
重い。
それは刀そのものの重さというよりは、刀を持つことを許された自分が感じている重さ、とでも言うべきものだった。
誰かを傷付け、殺せる力を手にするという重さ。
ふと顔を上げ、壁のカレンダーを見る。
日付を目で追うと、強くなりたいと思い始めた日……涙を流しながら目が覚めた日から、ちょうど明日で一年になることに気付いた。
「一年……か」
誰に聞かせるでもなく呟く。
どうして強くなりたいと思ったのか。
どうして泣いていたのか。
今でもその理由はわからない。が。
明日になればわかる。
唐突に、根拠もなく、そんな思いが頭に浮かんだ。
「どうかしてる」
振り払うように頭を振り、ベッドに身体を横たえた。
途端に睡魔が押し寄せてきて、それに抗うことなく目を閉じた。
……なんだか、呼ばれているような気がする。
祈るように、願うように、誰かが呼んでいるような気がする。
その声を聞いていると、胸が熱くなる。
応えたい。
強く強く、そう思った。
「真桜、村人の避難状況はどうだ!?」
「もう少しや! けど、このままやとそれまで兵がもたへんかもしらん!」
「こんなときに隊長がいてくれたらなのー!」
「言うな! ……わたしたちでなんとかするんだ。わたしたちだけで!」
飛び交う悲鳴と舞い上がる火の粉。邑は今、炎と破壊の渦に包まれようとしていた。
異民族・五胡。大陸が天下三分と成る前より、侵略を仕掛け庶人の暮らしを脅かしてきた存在。国境近くの邑でその五胡を見かけたという報告が曹操……華琳の元に届いたのは、つい先日のことだった。
劉備・孫策との会談の準備があるため自分で動けない華琳は、配下の武将である凪・沙和・真桜の三人に調査と討伐を命じた。
準備を整え、報告のあった邑に到着したのが今日の昼過ぎ。まずは簡単な聞き込み調査を行い、明日から本格的に周囲の探索に当たる……はずだった。
しかしその日の夜、五胡の奇襲部隊が突如邑を襲撃、火を放った。凪たちの到着を知り、先手を打ってきたのかもしれない。
とは言え、見える限りで敵兵の数はそう多くなく、戦乱を生き抜いた三人が普段通り振舞うことができれば何の問題もなく対処できる。
――はずだった。
「クッ、火の回りが思ったより速い! 消火に当たっている兵たちは何をしてるんだ!」
「今川まで水汲みに行ってる! それよか敵兵の動きはどーなっとんねん!?」
「この騒ぎじゃそれどころじゃないのー!」
沙和も、真桜も、いつもなら冷静な凪さえ、浮き足立って的確な判断・対処ができずにいる。
パッと見には何ら変わりないように見えても、「隊長」の不在が彼女らの心に大きな傷を残しているのが、はっきりと浮かび上がってしまった。
いや、彼女たち三人だけではないのだろう。
自分で動かず、部下を動かした華琳も。
その横で、重苦しく口を閉じたままだった夏侯姉妹も。
どこか不満そうな顔をした軍師たちも。
今この場にはいない者も皆、まだ彼の不在を割り切ることができずにいた。
……「隊長」――北郷一刀が姿を消してから、二週間。
まだ、誰もがその胸に空いた隙間を埋められずにいた――。
現在の邑の様子を一言で言うなら、惨劇の舞台だった。
焼け落ちる家屋。
逃げ惑う人々。
耳に突き刺さる悲鳴。
凪、沙和、真桜の三人や配下の兵が奮闘しているため村人の被害は出ていないが、それもいつまで持つか。
何より、三人の身すら危うくなってきていた。
振り下ろされる剣を手甲で弾き、がら空きになった胴へ爪先を叩き込む。
武器を落として崩れ落ちる五胡兵の首筋に踵を落とし、うつ伏せになったまま動かないのを確認してから、凪は周囲に視線を走らせた。沙和、真桜の二人といつの間にかはぐれてしまい、どこにいるのか把握できない。
燃え盛る炎のせいか、夜だというのに汗ばむほど暑く、加えて敵兵を探しては倒しているものだから、彼女の身体は汗まみれになっていた。
それでも、走ることを止めない。
が、万全ではない心と身体は持ち主の思い通りに動いてくれなかった。
足元に転がっていた瓦礫に足を取られ、無様に転んでしまう。
間の悪いことに、そこへ五胡兵が姿を現した。
倒れたままのこちらに気付くと、迷うことなく手の武器で襲い掛かってくる。
いつもなら、すぐさま起き上がり叩きのめしただろう。だが今の凪にはそれができなかった。迫り来る凶器を見据えながらも、頭の中では別の事を考えていた。
――隊長――
このまま逝けば、あの人に会えるだろうか。
そんなことを。
「残念だけど、どこに行っても、俺には会えないよ」
突然、聞きなれた声がした。
かと思うと、凪に向かって武器を振り下ろしていた五胡兵の身体が大きく震え、その場に倒れた。
「俺はここにいるから。他のどんなところに行っても、俺に会うことはできないよ、凪」
すぐ傍の暗がりから、誰かが姿を現す。
嘘だ、という言葉が凪の口からこぼれ出た。
「嘘じゃない。俺はここにいるよ」
「隊長……」
ずっと声を聞きたかった人が。
ずっと姿を見たかった人が。
ずっと逢いたかった人が。
今確かに、そこにいる。
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真・恋姫無双 魏ルートアフターSS
華琳の命により、五胡兵の討伐に出た凪たち三人娘たちだが……?