No.542493

③七色の青と緑(戦国BSR佐→←幸・腐向け)

7色シリーズ。赤→紫→藍→青→緑です。青が佐助目線、緑が幸村目線。これも対っぽいですかね。

2013-02-10 15:57:44 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:575   閲覧ユーザー数:575

<青>

 

 

 

 今日も快晴。正に、川日和ってね。

 

「大将、あんま奥いかないでよ、そこの岩場は深いんだからっ」

 

 人気の無い川辺にて、単衣の裾を上げて足を付ける様子は、およそ武田の総大将には見えない。

 

「大丈夫だっ」

 

「うわー、それ絶対、深み入る振りでしかないよ」

 

 ため息付きつつ、空を仰ぎ見る。

 

「本当に、良い天気だこと」

 

 雲一つない空が、大将の心の内になれば良いのにね。

 

 

 

               * * * * *

 

 

 

 お館様が戦場で倒れてからというもの、武田は怒涛の早さで、全てが変わった。

 

 真田の旦那がお館様の跡目を継いで、武田の総大将になったのもあるが、何より忍の俺様が副大将ていう事の問題は大きい。とはいえ病床のお館様が旦那を大将に指名し、そんな大将が俺を副大将に指名しては、誰も表立って異論なんか出せなかったけどね。

 

 表立って出ない分、たち悪いんだけど。

 

 しかも躑躅ヶ崎の屋敷に詰めるようになってからというもの、大将は夜毎、魘されるようになった。

 

 今朝も一人で着替えをするのを見ながら「顔色冴えないね。また例の夢?」と話題を振れば、ため息を隠すように頷いた。

 

「ああ、沈む夢だ」

 

 そう言って単衣の着物をかける肩の細さに目を向ける。また痩せたのか。以前より食べなくなったのだから仕方ないかもしれないが、食べるのも惜しむ程に執務室に篭られるのは問題がある。誰が言っても聞かぬのだから、せめて食べやすいようにと、今度は握り飯にするかと思考を飛ばす。

 

 睡眠に至っては、誰にもどうしようもない。

 

 大将の見る夢は、いつも一つだ。

 

 今日も昨日と同じ内容を、とつとつと話し出す。

 

「俺は暗い水底に沈んだまま、這い上がれぬ夢だ。昨夜は手を伸ばして見たのだが、結局届かなかった」

 

 届かない、と言ったのは初めてだった。届かないという表現だと、届きたい場所があるという意味になる。

 

 

「どこに手を伸ばしたのさ」

 

「恐らくは水面にだ。上も下も分からぬが、もがく中、必死に手を伸ばしたのを覚えている。そこで目が覚めた」

 

 夢の説明をしながら腰布を縛れば、余った紐の長さから、改めて痩せているのを知る。これだけ体調が悪いのに戦場では誰よりも槍を奮い、軍を鼓舞するのだから、紅蓮の鬼と呼ばれるだけの事はある。

 

 それも戦術が伴えばの話だけど。

 

「毎日見るんだろ、眠るのが怖い?」

 

 帯を締め終えたので、さりげなく聞いてみれば、顔を上げて俺様に視線が移る。

 

「そんな事は無いが」

 

 怖いと、この人が認めないのを知っていて尋ねる。ほんと、困ったお人だよね。あんたが口を閉ざす分だけ、俺様はあんたの代わりに喋っちゃうんだよ。

 

「でも気になる」

 

「ああ……」

 

 ハッキリしない言い方をするようになったのは、いつからだったっけな。まあ嘘のつけない、嘘の下手な大将だから、隠しきれないんだけど。

 

 大将の夢は、まんま心理状態が反映されているのは明白だ。恐らくは本人も理解しているからこそ、文字通りもがいているんだろうね。

 

 出口の見えない底から這い上がりたいと、あんたは願い、それを選んだ日から。

 

「もし眠れなくて困っているなら、考えるけど」

 

「案ずるな、俺は大丈夫だ」

 

 お勧めはしないけど、眠りを誘う薬を調合する事はできる。案の定、断られたが、案ずるしかない顔で言われてもね。

 

 この人も武田の大将になったんだから、もうちょっと嘘も上手になった方が良いのかもなあ。

 

「目の下にくまなんか付けて言ったって、説得力無いよねえ」

 

「う」

 

 寝る間も惜しんで執務室や書庫にこもり、ようやく褥に入っても夢にうなされる。内部統制もままならない中、他国の動向にも目を配らなくちゃいけない。

 

 しなきゃいけない事しか無いけど、一朝一夕で解決する物なんて、どれだけあるんだか。

 

 やはりそろそろ限界かもしれない。本気で戦わずして戦場で倒れられたら、それこそ洒落にならない。その為の準備はしてきた。

 

 各地に飛ばしている勇士で、動けるやつが集まったのが今日。小助を影武者に仕立て、真田の臣下である海野を補佐に付かせる。俺様がしていた内と外の情報収集は、望月と三好入道兄弟に任せた。

 

 才蔵には忍び隊を押し付けた。十蔵は甲斐周辺、甚八は大阪から四国を中心に見張らせているから、二人は動かせない。

 

 鎌之助を大将の護衛として駆り出し、ようやく作れた時間は、朝餉の終わりから昼餉の時刻まで。

 

 軍議も山本さんと話をつけ、とっくに根回しは済んでいるというところまで説明し、ようやく大将は聞く耳を持ってくれた。

 

「昼までだよ。すぐ近くだしさ、温泉ぐらい良いじゃない」

 

「ならば、その道すがらでも良いから、川へ連れて行ってくれ」

 

                      

                     * * * * *

 

 

「完全にこっちが目的だよなあ」 

 

 小さな崖になっている岩の塊の上から、大将を見下ろす。鎌之助は数人の下忍と一緒に、大人しく隠れている。

 

 水面を一心に眺める様は、どう見ても夢の続きだ。

 

「あっさり出かける気になったのも、これだろうなあ」

 

 となると、益々深刻かもしれない。考えるの苦手なくせに。もっと俺様頼って良いのに。

 

「大将が寝てる時間に影は動くものなんだっての」

 

 副大将にしたくせに、この人は前より俺様と面と向かって話さなくなった。やだな、これじゃこっちが寂しくて画策したみたいじゃないの。

 

 何だかなあとため息つきつつ大将を見ていると、裾を腰帯に引っ掛けて、膝下まで水の中に入り出した。日に焼けていない太ももを晒すのはまあ、男だし問題無いんだけど、どちらかと言えば止めて欲しい。

 

 ていうか、この人泳がないよな、まさか。

 

「佐助ぇっ」

 

「なにー。言っとくけど、泳いじゃダメだよ」

 

「まだ何も言っておらぬではないかっ」

 

 泳ぐ気だったんだな。

 

「そうではなく、佐助は海を見た事があるか」

 

 俺を見上げる人に、「あるよ」と端的に返す。

 

「川や湖とは全然違うと、甚八から聞いた」

 

「そうだね。広さに先は見えないし、深さに終わりも見えない」

 

 波のさざめく音は絶えず、昼と夜では全く違う姿を見せている。天気が移り変われば、また海の姿も形を変える。

 

 あの光景はきっと、行かなければ伝わらないと思う。

 

「海の先では、空と青色が繋がってたよ」

 

「そうか」

 

 大陸がある海へと繰り出せば、海の先はやがて来る。けれど、反対側の先は知らない。果てがあるなら、どこへ連れてってくれるのか。

 

 空想の中でしか知らない大将は、正直に「見てみたいな」と言った。

 

「いつか連れて行ってくれ。泳ぎの知る佐助ならば、海でもどう泳げば良いか分っておるのだろ」

 

 この人はきっと、誰も知らない海にいるんだ。底が見えない、沈むばかりの暗い海の中に。腕を伸ばしたと言っていたけど、どうしてその手を、俺様は掴んでやれないんだろう。

 

 もどかしさってのを押し隠して、空の果てにある海を思い出す。

 

「海って、川より浮きやすいんだよ」

 

「そうなのか」

 

 ぴんとこない大将は、目を丸くさせて首を傾げる。

 

「塩分が入ってるから浮力も大きいんだ。力を抜けば結構すぐに浮くよ。足掻くとね、却って溺れるんだ。まあ水っていうのは、そんな単純なもんじゃないけど」

 

 溺れる者は藁をも掴むていうけど、藁よりは役に立ちたいよね。

 

「大将は昔から川遊びもしていたし、泳ぎ方は知ってるだろ。いつか夢でも泳げるようになるんじゃない」

 

 あんたと沈むのも構わない俺様じゃ、きっと、何も教えれやしない。藁より役にたたない。結局俺様ができるのは、あんたが決めた道の露を払うだけ。

 

 だからそんな暗い水底なんていつまでも居ないで、早く這い上がって来なよ。

 

 川の水音と、木々の囁きしか聞こえない中、大将は目元を綻ばせて俺様を見上げてきた。

 

「佐助が言うと、そんな気がするぞ」

 

「そう」

 

 呼吸困難から少しは酸素を取り込めたかい?

 

「それは良かった」

 

 そう言った矢先だった。突然大将が、単衣のまま川の奥へと飛び込んだのは。そう、深い所だから行くなと言った場所だ。しかも沈んだまま浮かんでこない。

 

「やっぱりただの振りだったのかよ!」

 

 有り得ねえ、忍びとしてしくじった。岩から飛び降り、川べりの石の上に着地する。

 

 なんかあったらどうしてくれようか、あの馬鹿主はっ

 

 俺様の心配を余所に、大将は案外早く浮上してきた。

 

「ふむ、これより浮きやすいのか。海と言うのは」

 

 呑気な声によって、俺様ばかりか、森に潜んでいた鎌之助の気配も緩んだ。

 

「もう大将!」

 

「はは、思ったより冷たくないな」

 

 水面を敷布に、器用に浮かぶ。本当に器用だな。ここ数年は、ほとんど泳いでないっていうのに。

 

 やがて流れが緩やかな為に波紋が大人しくなり、雲ひとつ無い青い空が、透き通った水に反射して映る。そこに寝転がるのは、唯一のひと。

 

 ああ、そうか。

 

「海と空の果てまでいっても、居るのはあんたなんだ」

 

 真田の旦那。

 

 だったら本当に、このまま一緒に沈んでしまいたい。

 

 だったら、だよ。

 

「行き着くとこまで行くしかないよね」

 

 ひとまずは。

 

 着替えは温泉用に持ってきてるけど、もう一着いるし手ぬぐいも足りない。鎌之助には、忍び言葉で大将の着替えを取りに行かせたので。

 

「大将!温泉ぶっ混むからいい加減出て来な!」

 

 風邪なんてひかせる気ないけど、もし引かせたら、俺様各方面の方々から滅茶苦茶怒られるんだよ。

 

 

 

<緑>

 

 

 

 あと数日もすれば、それがしは武田の軍を率いて大阪へ向かわねばならぬ。なればと上田を散策する事にした。

 

 佐助が出払っている今なら出やすかろうと思ったが、あっさり海野に見つかってしまった。小言をくらいつつも、一人で行きたいと我を通せば、影から忍びを付けることで許しを得る。

 

 どのみち、それがしが了承せずとも、誰かしら付いてくるので仕方が無い。気配から察するに十蔵と小助か。上田の城下だけを周るのに勇士を二人も付けるなど、どうにも甘やかされてはおるまいか。まあ、良い。

 

 それにしても、こうして政務から離れるのは久しぶりだった。石田殿と同盟を結び、出立を決めるに至るまでは、篭もりっきりであったからな。

 

 本当は、こうしておる時すらも惜しい。それがしには足らぬ物ばかりだ。しかしこうして市井に出向けば、他国からの侵略を危ぶんでいたみなも、今は笑顔で暮らしているのが分かる。

 

 民の様子を肌で感じ、やはり来てよかったと思う。後は城代が、うまくやってくれるだろう。

 

 それがしはこのまま、ある山を目指して歩いた。袴姿では多少歩きづらいものの、慣れた山道に苦労などない。日が暮れるまでには、まだ大分あるゆえ、ある程度奥まで入っても問題あるまい。

 

 汗に交じる山の空気が気持ちいい。

 

 城から一番入りやすいこの山は、それがしが弁丸という幼名であった頃の遊び場だった。手習いが嫌で抜け出した時も、勇士や下忍らと遊んだのも、ここ。

 

 しばらくして見晴らしの良い場所まで登れば、適当な場所を決めて座り込んだ。

 

 袴が汚れるかもしれぬが、大目に見てもうとしよう。幸いにも草は乾燥していて柔らかい。

 

「やはり良いな」

 

 生まれ育った風景に目を細める。そのまま寝そべってみれば、枝に生い茂る葉の合間から、光りが差し込んでいるのが見えた。

 

 十蔵と小助から困惑の気配が漏れ出ておったので、思わず口の両端を上げてしまう。やはり着物が汚れるのを心配しているらしい。

 

 忍ばぬ忍びらは、こちらに近づいてくる影の正体も教えてくれた。

 

 勿論、それがしも気づいていた。俺が、間違えるはずがない。

 

「佐助、おかえり」

 

 一番高い木から、ひょいと飛び降りてきた佐助に、寝そべったまま声をかける。佐助の姿は、いつものいくさ装束ではなく、行商人の格好をしていた。

 

 黒く染まっている髪をかきあげながら、こちらを見下ろす。

 

「ただいま、大将。て言いたいけど、どうしたのこんな所で。着物汚れるでしょ、誰が洗濯すると思ってるの」

 

 腰に手を当てて早速説教する姿は、およそ忍びとは程遠い。

 

「佐助が洗濯をするのか?」

 

「俺様じゃないから、言ってあげてんの」

 

 それもまたおかしな話だ。されど十蔵や小助は口では言わぬが、「本当に佐助は口うるさい」。

 

「大将、思ったことをそのまま言わないでよ」

 

 ため息をつきながら、傍にしゃがみこむ。がっくりと肩を落とすから、言い過ぎた事に落ち込んでいるのかと思っていると、小助の声が風に混じって聞こえた。

 

長は主の面倒を見るのが好きなんですよ、と。

 

「小助は大人しく忍んでなさい。あと十蔵、俺様に種子島向けんなっての」

 

 確かに十蔵が種子島を構えていた気配がしたが、殺気は感じられなかった。

 

 ああ、そういえば。

 

 懐古する中に既視感が交じる。

 

 手習いから逃げれば佐助に捕まり、勇士や下忍と遊んでおるのは、決まって佐助がおらぬ時だ。そして、そんな佐助が帰ってくるのを、待つ場所でもあったのだ。

 

 俺は童の頃、常に誰かを待っていた。

 

 兄上を、父上を、とりわけ、佐助を。

 

 待つのはつまらぬが、いつか帰ってくるのならば問題はない。帰ってくる保証が誰にもないのが、怖かった。

 

 寂しいだけでなく、不安という我が儘を誰にも言えず、何もかもが気もそぞろで手が付かぬようなった時、俺は決まってここに来ていた。ここに居れば、佐助が迎えに来てくれる。俺を見つけてくれる。今のところ、それが違えたことは無い。

 

 そう、今日という今に至るまで。

 

 既視感は、佐助が同じく十蔵に種子島を向けられていた事もあったから。理由は忘れた。

 

「ふふ」

 

 思わず声に出して笑ってしまい、傍にいた佐助が怪訝な顔で覗きこむ。

 

「どったの大将、思い出し笑いは破廉恥って聞くよ」

 

「そのような不埒な物、聞いたことがないぞ」

 

 俺が破廉恥とは心外だ。寝転がったまま睨み上げるが、相手は目を細めて笑うばかり。どうにも悔しい。

 

 いつもと髪の色も格好も違うせいで、印象も変わって見える。佐助は佐助に変わりはないのだが、やはり俺は普段の佐助が良い。

 

「佐助、その髪は戻るのか」

 

「これ?」

 

 しゃがみこんだまま、己の髪に指を絡める。

 

「俺様の髪って、ちょっとやそっとじゃ染まらないから、これ術なんだよね」

 

 でも帰ったら落とすよ、と言った。俺は素直に「そうか」と満足げに頷く。

 

「なに、そんなにこの色嫌?」

 

「そうではない。俺はあの髪の色が好きだからな」

 

「好きって」

 

 何故かどもるので、俺は起き上がりながら、もう一度答える。

 

「ああ、好きだぞ」

 

 佐助の、橙の髪は、佐助だけの色だ。夕陽に混ざる時が一番なのだが、それを本人が見られないのは勿体無いと思う。

 

 どうにかならぬかと思案している横で、佐助がへたりこんでいた。あまり膝を地に付けぬやつが珍しい。

 

「どうした」

 

 怪我でもしたようには見えぬし、血の匂いもしない。

 

「拾い食いでもしたか」

 

「大将じゃあるまいし」

 

「佐助、破廉恥といい、先ほどからから失礼だぞ」

 

「無自覚なのもどうかと思うけど、まあ良いや大将だもんな」

 

 全く意味の分からない独り言を言い出し、挙句に勝手に納得させて立ち上がる。そのまま俺の方へ手を差し伸べてきた。

 

「もういっぱい見て安心したろ?そろそろ城へ帰ろう」

 

 俺が上田を歩いていた理由をとうに見抜いている男に、俺も素直に手を重ねる。そのまま素直に立ち上がるのも悔しいので、掴んだ手を、俺は力いっぱい引き寄せてやった。

 

「うわっ」

 

 狼狽した声の割に、佐助は踏ん張った。こちらに倒れこむことなく、地面に手をついている。多少腰が引けているのは、それなりに予想外だったという表れであろうか。

 

「本当に何するんだかね、うちの大将は」

 

 至近距離から睨まれるが、本気で怒っておらぬ佐助は怖くはない。むしろそうだな、嬉しい。

 

「佐助がずるいからであろう」

 

「何がずるいってえの。ちゃんとお給金分働いてきただけでなく、大将に土産まで買ってきた俺様に対して、ちょっとひどくない?」

 

「土産?ではこの匂いは、大福かっ」

 

 どうりで佐助の懐から甘い匂いがするはずだ。

 

「俺様の話聞いてないし、買ってきた中身当てちゃうし」

 

 佐助は「まあ、久しぶりにそんな大将見れたから、良しとしますか」と言葉を零した。そして俺の手を握り、今度は佐助が俺を引っ張って立たせる。

 

「帰ろうか」

 

 俺の衣についた葉や汚れを払いながら言う様は、かつて弁丸であった俺を迎えにきた時と重なる。

 

「ああ」

 

 反射で頷くものの、結局悔しい気持ちは変わらなかった。いや、却って増えてしまった。

 

 俺は視界にある佐助の黒髪に手を伸ばす。髪質は変わらないらしく、手触りは同じだった。指に色はつかず、それが何故か惜しかった。

 

 触れていけば、俺の手で色が戻るのではないかと、そんな気がしたのやもしれぬ。

 

 佐助は抵抗を見せないものの、「どうしたのさ」と尋ねてきた。

 

「いや、佐助は何にでもなれるのだな」

 

 先ほどの感情とは別の感想を述べれば、散々聞かされた決まり文句を口にした。

 

「忍だからね」

 

「何色でも染まるのか?」

 

「やろうと思えば」

 

「そうか」

 

 戦装束の緑は、森の色に混ざり合う。今の格好は、市井に溶け込む。確かに忍びという物は、何色にでもなれるのだろう。

 

「さすが佐助は真っこと、忍びの中の忍びだな」

 

 俺も相当言ってきた誉を口にしながら、絡めたままの髪をぐしゃぐしゃにしてやった。

 

「ちょ、大将、なんてことすんのさっ」

 

 頭を離し、文句を言いながら髪を整えるのを、俺は放って山を降りる。

 

「では帰るぞ。小助、十蔵、世話をかけたな」

 

 木に隠れている二人に声をかければ、後ろから女々しい声が聞こえた。

 

「俺様にも労いとかは?もう、ひどいのはどっちだよ」

 

 ぶつぶつと忍ばぬ声のまま、佐助が俺の元へ近づく。

 

 なあ、佐助。お前は知る必要もないし、知られたくはないから、頼むから気づかないでいてくれているだろうか。

 

 お前は何色にでもなれる。これから先も、佐助が選べば、どんな色にでもなり、生きていけるだろう。陽ノ下を歩く、本来持っていた人にだってなれる。

 

「佐助、城まで競争しよう。昔はよくここからしたな」

 

「弁丸様の頃よりは勝てるって言いたいんだろうけど、俺様に勝てる訳ないでしょ」

 

 懐かしむのは俺だけではないようだが、佐助にも知らぬことはあるのだぞ。

 

 緑染まる山は、いつだって佐助を待つ俺を優しく包んでくれていた。そして、お前が森色の戦装束を纏い、俺の背中を守ることは、何よりの誉ではあるが。

 

「佐助」

 

「なに」

 

 待つしか無かったあの頃から、俺はお前の色に捕らわれている。それはとても嬉しくて、同時に、俺が俺以外の色にはなれないのだとも悟り、少し悔しかった。

 

 佐助を望むだけの俺になりたかったが、出来ぬのだから、佐助は知らなくて良い。

 

 また、俺が佐助に望む人としての幸福な姿は、俺から離れるという現実でもある。どうにもそれに耐えられそうにない俺の弱さも、知らないままでいて欲しい。

 

 染まれもせずに唯一の色に捕らわれたのは、きっと俺だけだろうから。

 

 だから弁丸の頃から、お前の主として、忘れてはならぬ言葉をかけてやらねばならない。

 

「今日の働き、ご苦労であった」

 

 これからがある限りは、俺は佐助を待ち続け、こうして独り安堵するであろうな。

 

「お褒めに預かり恐悦至極。報告は後ほどって、大福のことじゃないだろうね」

 

 皮肉を忘れぬ割に満更でも無い奴には、素直に受け取らぬ奴よと笑うしかない。

 

 そうして声にする気のない声は、西からの風が吹き消した。言葉をさらった証のように、緑の葉が一枚、俺の視界を横切った。

 


 
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