蒼い月が空高く昇る夜、将志は永琳に呼び出されて永遠亭に来ていた。
己が無知を散々に恥じた将志であったが、日々の報告は欠かしていなかったのでわだかまりも解けている。
……もっとも、愛梨と六花が妖怪の山に抗議しに行き、大喧嘩に発展したのだがそれは別の話である。
「……はっ」
永琳は薬の材料の備蓄を確認しており、その待ち時間を使って将志は鍛錬をする。
伊里耶との戦いの後、将志は己が技に磨きをかけるだけではなく、新たな技を生み出すべく模索を続けていた。
将志は舞い踊るように手にした槍を振るう。
水が流れるように淀みなく、研ぎ澄まされた刃のように鋭く銀の槍が翻る。
「……ふっ」
そんな中、将志はまっすぐに突きを放つ。
ただ速度だけを重視した愚直な一閃。そして、ついこの間伊里耶に破られたものでもあった。
将志は素早く槍を引き、構えなおす。
「……せっ」
将志は斜め下、相手の足元を狙って突きを入れる。
しかし、将志は手首を動かしてその軌道を捻じ曲げる。その結果、銀の槍は曲線を描いて仮想の相手を貫いた。
しかし、将志はそれを見てわずかに眉をひそめた。
「……違うな」
将志は槍を戻しながらそう呟く。
この程度で敗れる相手なら、伊里耶はあの一突きを掴めたはずが無い。
そう思いながら再び槍を構える。
「将志? どうかしたのかしら?」
将志が声に振り向くと、そこには紺と赤の服を着た女性が立っていた。
その姿を認めると、将志は小さく一息ついて口を開いた。
「……いや、俺はいつから停滞していたのだろうかと考えていたのだ。だからこうやって新しい技などを考えていたのだ」
「……停滞していた?」
「……ああ。人間は俺がただ愚直に槍を振るっている間に、次々と新しい技を見につけている。それが戦いにしろ、料理にしろだ。だというのに、俺はといえばただひたすらに同じことを繰り返しているだけだ。これを停滞といわずしてなんと言う?」
まるで自嘲するかのように将志はそう言った。
それを受けて、永琳は少し考え込んだ。
「……ねえ、将志。それって本当に停滞なのかしら?」
永琳の一言に、将志は首をかしげた。
「……どういうことだ?」
「私は将志とは長い間離れ離れになっていたわ。それでまた会えたあの日、久しぶりに見たあなたの槍捌きは前と比べても比べ物にならないくらい綺麗で、すごいと思ったわ。それって停滞してるといえるのかしら? それに、あなたはその新しいものに負けたと思ったことはあるのかしら?」
「……少なからずあるが……」
「じゃあ、それを見て何も感じなかった?」
永琳に言われて、将志は今までの相手を思い返した。
神奈子や諏訪子、天魔や伊里耶、そして愛梨など、今まで戦った中で印象に残った者達との戦いが頭によぎる。
「……いや、感心するものもあれば、嫌悪するものもあった。そして、真似したいと思ったものは真似をした」
「それって十分に成長と言えるんじゃないかしら? 何も自分で作り出すだけが正しいとは限らないわ。人から学ぶことだって成長よ。それに、新しいからといってそれが優れているとも限らない。愛梨から聞いたんだけど、将志は滅多なことじゃ負けないでしょう?」
「……ああ」
「なら、焦る必要は無いわ。良いものは吸収して、悪いと思えば直す。あなたは自分が正しいと思ったものを選べばそれでいいと思うわよ」
「……そういうものか?」
「ええ、そういうものよ。下手に思い悩むよりも自分を信じなさい。私が信じるあなたは、自分が思うよりもずっと強いのだから」
永琳は優しく微笑みながらそう言った。
その瞳は目の前の親友を心の底から信じている、どこまでも暖かなまなざしだった。
「……そうか」
将志はそう言って静かに頷き、再び槍を構える。
あたりは穏やかな静寂に包まれており、将志の纏う空気も穏やかなものである。
「…………」
そのまま、気を張ることなく将志は槍を振るい始める。
月に照らされ銀の光を放つ槍は風を切って宙を舞い、そのたびに空中に煌く銀の線が走る。
将志は軽やかにステップを踏み、華麗に舞踏を続ける。
その銀の芸術を、永琳は穏やかな表情で眺めていた。
「…………」
最後の一突き、いつも渾身の力で放っていたものを、将志は穏やかな心のまま放つ。
その一突きは不思議と軽く、想像以上の手ごたえがあった。
「……拳や剣は嘘を吐かないとはどこで聞いた話だったか。槍もまた同じことか。迷いや気負い、そういったものが如実に表れるな」
将志は静かにそう呟いてで槍を納める。
そして、永琳に向かって礼をした。
「……礼を言おう、主。主の一言で背負っていたものが無くなった。俺が信じる主が俺を信じるというのなら、俺は自分を信じよう」
将志の一言に、永琳は嬉しそうに笑った。
「ふふっ、嬉しいことを言ってくれるわね。ところで、何を背負っていたのかしら?」
「……そんなものは忘れたな」
将志は槍を赤い布で巻くと、永琳の下へ歩いていく。
永琳は将志がやってくると、その隣に立って歩き出した。
「……それで、今日はどうしたのだ?」
「いいえ、あなたが妖怪の山に行ったときの話を聞いて、少しお酒が飲みたくなったのよ。それで、将志と一緒に飲もうと思ったのだけど、駄目だったかしら?」
「……いや、今日の仕事はもう終わっている。それに、この時間にここを訪ねることが決まった時点で今日の泊まりは確定だ。よって、気兼ねすることは何も無い」
「そう、それは良かった」
お互いに話しながら広い永遠亭の中を歩く。二人の肩は触れ合うほどに近く、片時も離れることは無い。
台所へ酒を取りに行くと、将志は永琳に声をかけた。
「……何か肴でも作るか?」
「いいえ、それは後で欲しくなったらにしましょう。それよりも、今日は月が良く見えることだし、それを見ながらのんびりと飲みましょう?」
「……月見酒か……成る程、それは美味い酒が飲めそうだ」
将志はそういうと杯を取り出した。
手に取ったところで、将志はふと思い出したように永琳に問いかけた。
「……そう言えば、輝夜は誘わないのか?」
「それがね、輝夜は絵巻物の読みすぎで寝不足なのよ。だから、今日はもう寝ちゃってるわ」
「……そうか。ならば来たときに杯を用意するとしよう」
将志は二つの杯を持つと、永琳と共に月の見える縁側に腰を下ろした。
月は空高く昇っており、一面を青白く照らし出している。あたりは静まり返っており、時折吹く風の音が優しい音楽として流れてくるのだった。
永琳は酒の入った瓶の栓を抜き、杯に注いだ。白い濁り酒は青白く染まり、その海の中に白い月が浮かぶ。
「それじゃ、飲みましょう?」
「……ああ」
二人はそういうと、酒を飲み始めた。
米酒の深い甘みと共に豊かな風味が口腔内に広がっていく。
「……美味い酒だ。いつかの神達や鬼達と共に飲むにぎやかな酒も良いが、こういう風情のある酒もまた美味い」
「……にぎやかなお酒ね……そういえば、将志と一緒にそういうお酒を飲んだことはないわね」
しみじみと呟いた将志の言葉に、永琳がそう呟く様に返した。
それを聞いて将志は天を仰いだ。
「……いつか、飲めると良いな」
「……そうね。そのときは、どんな面子が揃っているのかしら?」
「……そうだな……主と俺、輝夜、愛梨や六花、アグナは最低限呼ぶだろう」
将志がそういうと、永琳はその面子が揃った様子を想像して笑った。
「ふふっ、輝夜と六花が喧嘩して、将志に怒られるのが眼に見えるわね」
「……少しは大人しくして欲しいものだがな……ああまで顔を合わせるたびに喧嘩をされたのでは騒がしくてかなわん」
「でも、あれで二人とも結構楽しんでるみたいよ?」
「……それはそうだが、それを止めるのは俺なのだぞ?」
ため息混じりに将志はそう言う。
輝夜と六花が喧嘩をするたびに、将志は二人を宥めるのに苦労をしているのだ。
酷いときは喧嘩両成敗と言うことで、二人まとめて叩きのめすことすらあるのだった。
永琳はそんな将志に楽しそうに笑いかける。
「お兄ちゃんは大変ね」
「……せめて輝夜はそちらで止めてくれないか?」
「私が言うよりあなたが言ったほうが早いわよ?」
「……そうなのか?」
「ええ、将志が思ってる以上に懐いてるわよ、輝夜は」
「……正直、懐かれるようなことをした覚えはないのだがな……」
将志は首をかしげながら酒に口をつける。
空になった杯に、永琳は新たに酒を注いだ。
「それが事実なんだから受け入れなさい。たぶんあなたが見えていないだけで、輝夜みたいに親愛の情を抱いている人はたくさんいるはずよ?」
「……だからといって、伊里耶みたいなのは……正直、対処に困る」
「さ、流石にそういうことを言う人は極少数だと思うわよ?」
伊里耶の発言を思い出して、将志は疲れた表情を浮かべた。
そのあとの騒動を考えれば、将志の表情も頷けるものである。
「……でも、顔を真っ赤にした将志は新鮮で可愛かったわね」
「……やめてくれ。今思い出すだけでも恥ずかしいのだぞ?」
嬉々としてそう言う永琳に、将志は顔を背けながら言葉を返す。
言葉の通り恥ずかしいのか酒に酔っているのかは分からないが、その顔は若干赤く染まっていた。
「……しかし、再びこうして主と酒が飲めるとはな。正直、あの日再会するまでは諦めかけていたのだが……」
「淋しかったかしら?」
「……淋しい以上に辛かった。守ると約束した主の側に居られないのだからな。その間に何かあったらと思うと、正直夜も眠れなかった。自分一人で何も出来ずに居るのが悔しくて、何も考えることが出来なかった」
将志は当時の感情をかみ締めるように、暗い声でそう話した。そこには長い間将志が背負ってきた二億年の情念がにじみ出ていた。
その壊れてしまいそうになるほどの重たい感情を感じて、永琳は眼を閉じた。
「そう……なら、愛梨に感謝しないとね。彼女が居なければ、本当にあなたは壊れていたかもしれないわ」
「……全くだ。愛梨が居なければ、俺は今頃この世のどこかで朽ち果てていただろうな……」
将志は当時を思い返すように空を見上げた。
星々の大海は以前と変わらぬ姿で目の前に広がっており、月はただ優しくあたりを照らしていた。
「……私は淋しかった。たった一人の親友が、あなたが居なくなっただけで、私はしばらく何も出来なかったわ。その間に出来たことといえば、あなたの無事を祈るだけだった。少しでもつながりが欲しくて、こんなものまで作ったわ」
永琳はそういうと、首にかけていたペンダントを取り出した。
そのペンダントは、真球の黒曜石を銀の蔦で覆うようなデザインをしていた。
「……それは……」
「ええ、あなたにあげたものと同じものよ。と言っても私のは霊力を抑えるためのものだから、あなたのものとは少し違うわ。でも、これがあるだけであなたが側に居る気がした。自分で作ったものなのに、いつかこれがあなたに逢わせてくれる様な気がしたわ。ねえ、将志。あなたは今もこれをつけているのかしら?」
永琳の問いに、将志は無言で小豆色の胴着の中に手を突っ込んだ。
そして、その中からペンダントを取り出した。
それは永琳のものと全く同じデザインだった。
「……俺はこれを一時たりとも外したことはない。主がくれたこれを、どうしても外す気にはなれなかった」
「ふふっ、そこまで気に入ってくれて嬉しいわ。それね、ちょっとした願いを込めてあるのよ」
永琳はそう言って優しく微笑んだ。
将志はその言葉に永琳の方を見る。
「……願い?」
「私を守るあなたを誰かが守ってくれますように、あなたを笑顔にしてくれますように。それがそのペンダントに込めた私の願いよ」
永琳は歌うようにペンダントに込めた願いを口にする。
その言葉は将志の心に暖かさを残しながら、ゆっくりとしみこんでいった。
「……そうか……ならば、俺はその願いに救われたのだな」
「そうかもしれないわね。私のペンダントの願いも叶ったし、ひょっとしたら私にはおまじないの才能もあるのかも」
「……主のペンダントの願い?」
「決まってるじゃない。あなたに逢えますように。それがこれに込めた願いよ」
永琳はそう言いながら自分の首に掛かったペンダントを指で弾く。
将志はそれを聞いて嬉しそうに微笑んだ。
「……そこまで想われるとは友人冥利に尽きるな」
「あら、あなたにとって私はただの友人かしら?」
将志の言葉に、永琳は拗ねたような口調でそういった。
それに対し、将志は首を横に振った。
「……まさか。主であり、最大の友。ただの友人とは格が違う」
「それじゃあ、愛梨のことはどう思う?」
永琳は少し真剣な表情でそう尋ねる。
永琳にとって、愛梨は今でこそ和解しているが自分の下から将志を連れ去ってしまうかもしれない相手なのだ。
その相手を将志がどう思っているかと言うのは、永琳にとってとても大事なことなのであった。
その質問を聞いて、将志は首をかしげながら考え出した。
「……何故愛梨のことが出てくるのかは知らんが……そうだな、友にして相棒。そういったところか」
「相棒ね……」
永琳はそう言うと考え込んだ。
考えようによっては、愛梨は永琳よりも近い位置に居る可能性がある。
そう考えると、永琳は杯の酒を一気に飲み干して将志に質問を投げかけた。
「ねえ、将志。もし、私と愛梨が同時に危機に陥ったとしたら。将志はどっちから助けるかしら?」
「……主からだな」
永琳の質問に、将志は即答した。
迷うことなく発せられたそれを聞いて、永琳は嬉しそうに微笑んだ。
「ずいぶん早い結論ね。それはどうしてかしら?」
「……俺は主を守ると決めた。だから何があろうとまずは主を守るし、何が何でも守ってやりたい」
「それじゃ、愛梨はどうするのかしら?」
「……愛梨に関しては全く心配していない。愛梨は強い。正直、愛梨はどんな危機に陥っても笑って乗り越えそうな気がする。だから、俺は愛梨を心配することはない」
「……それはそれで妬けるわね。愛梨のことをずいぶん信頼してるじゃない」
永琳は少しふてくされた表情でそう言いながら、将志に寄りかかる。
それを受けて、将志は小さくため息をついた。
「……曲がりなりにも、長いこと共に居たからな。だからこそ、お互いのことはほぼ知り尽くしている。故に相棒なのだ」
「……まあ良いわ。一番の親友って言う立場は私のものなんだし」
永琳は将志の腕を抱きながら杯に酒を注ぐ。
将志が空の杯を差し出すと、永琳はそれにも酒を注いだ。
「ねえ将志。今からでもここで暮らさない? 私はやっぱりあなたと一緒に居たいわ」
「……そうしたいのはやまやまだが、今の俺には面倒なことに、神にして妖怪の首領と言う立場がある。俺はここに住むには、いささか目立ちすぎるのだ」
将志の言葉に、永琳は残念そうに首を横に振った。
「はあ……やっぱり駄目か。立場ってどこでも面倒なものね」
「……すまないな。その代わり、俺は呼べばいつでも駆けつけよう」
「いいのかしら? しょっちゅう呼ぶわよ? 私、これでも淋しがりやよ?」
「……そこは、仕事に支障が出ない程度に頼む」
楽しそうに腕を抱きしめてそういう永琳に、将志は思わず薄く苦笑いを浮かべた。
二人して月を眺める。蒼い月はどこまでも優しく二人を照らし出していた。
「……月が綺麗ね……」
「……ああ、俺もそう思うぞ」
二人はそう言って寄り添いながら、しばらく月を眺めていた。
* * * * *
あとがき
今にして思えば、ここから糖分が増加していったのだなぁ。
……穏やかだけど、やっぱり永琳がヤンデレっぽい気がする。
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ある日、主に呼び出された銀の槍。主は彼に、ちょっとした誘いを掛けるのだった。