No.537092

真恋姫無双二次創作 蒼穹の御遣い第2部『Heart』 1話

ども、峠崎丈二です。
とうとう投稿100作品目。3ケタの大台に乗りました。これも偏に読者の皆様の応援あってこそです。これからもスローリィではありますが、自分の稚拙な作品たちにお付き合い下さいませ。
さて、『蒼穹の御遣い』第2部始動です。
いつものように意見感想その他諸々コメントにて、ついでに支援ボタンもポチッとしてもらえると嬉しいです。
では、本編をどうぞ。

2013-01-28 06:03:53 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:7429   閲覧ユーザー数:6200

 

 

 

赤壁の決戦を経て三国同盟が締結されて、約一年の月日が流れた。

 

 

 

互いに大きな爪痕を刻み込み、少なからずの禍根や遺恨を残しつつも、緩やかな時流によって徐々にそれは押し流され、いつとも知れぬ隣国の奇襲に怯えずに生きることのできる歓喜の方が勝り始めていた。

当然、五胡からの襲撃はあった。が、ぎこちなさを残しつつも互いに手を取り合った三国の力は生半可な襲撃などものともしない。街道の整備、警備の強化、流通の安定など、三国の関係性は驚異的な速度で密接になり、既に行商達の間では遠出の危険性より利便性が上回ったとの声も挙がっている。その事実に驚きを隠しきれない呉蜀両国の軍師達は曹操に尋ねた。”どうしてこうも効率的且つ効果的な案が次々に飛び出るのか”と。戦後、行使された政策の大部分が彼女、曹操の提案によるものであったからだ。

そして、彼女達は更なる驚愕を味わう羽目になる。

 

―――考案したのは私じゃないわ。いたのよ、既に戦が終わった後の大陸の先の先までを案じて、我が身を削りながら足掻き続けていた大馬鹿が一人、ね。

 

その時の彼女の苦笑を、一体どうして忘れること出来ようか。いついかなる時も、その威厳を崩すことなく邁進し続けた彼女が、初めて見せた弱さを。”いた”と、彼女は言った。それだけで、理由を察するのは十分すぎた。その時の劉備の狼狽えようといったら、本来であれば宥められる側であるはずの曹操が宥める立場に回る程であったという。

何にせよ、各国の重鎮達はそれだけで概ねの事情を理解した。百合趣味の好色家としても知られた曹操が唯一、手元に置いた異性。嘗て大陸全土に流布されていたまことしやかな妄言じみた予言。

”流星と共に来訪されし天よりの遣い”

思い返せば定軍山での一戦に始まり、赤壁での決戦での苦肉の策さえ打ち破るその鬼才。”鬼”の文字通り、人のみに有り余るのではと恐怖を覚えるほどの、千里眼すら越える先見の明。かの者の仕業というなら、頷けなくもなかった。その信憑性を後押ししたのが魏国の発展具合である。業種ごとに纏められた升目状の区画。警鐘や警笛による警邏隊の連携の高速化。有色の煙を放つ矢を空に放ち、その色によって伝達内容を瞬時に知らせることの出来る仕組み。挙句の果てには、国内各地に警備隊の分所を作るための人材養成まで行っており、後々には自分達の国の保安まで考えているというのだから、愕然となる他になかった。知識のみならず、それを実現するための資金と技術があってこそ成り立つそれに、皆が脱帽するのはある意味で当然と言えた。成程、見破られても、破られても、無理もない、と。

それを境に各国の知識、技術の共有を申し出、曹操はそれを快諾。徐々に各地における一次、二次産業の発展及び活性化は順調に進行、三国の産業の最低水準は少しずつ平衡化に近づき、各国の折衝の手段が拳や剣でなく筆や言葉に、舞台が戦場から机上へと変わり始めたその頃、物事は繰り返されると言わんばかりに、再び巷に流れ始めた”予言”があった。

 

 

―――蒼天の流星、時流を越え今再びこの地に舞い降りるであろう。

 

 

数年前と何ら変わらない眉唾物の流言。しかし、前回と大きく異なる事象が一つ、ある。その”予言”が、文字通りの”予言”であった、という事実である。

管輅。星詠みによって未来をも見通すという占術師。容姿、年齢、性別、経歴、その悉くが不明という、外史という領域において『謎』という言葉が似つかわしい中でも特に不明瞭な部分が多い人物。狼少年のような扱いでしかなかったその発言力を、強力に後押しする者が嘗て実在していたのである。

『天の御遣い』『陳留警備隊隊長』『曹魏の種馬』等、二つ名は数知れず、それに伴い”彼”が遺したものは計り知れない。故に、皆は再び実現するかもしれないという希望と、それを裏切られるのではないかという恐怖、その両者に振り回されぬようにという諦観、その三つがない交ぜにされたような心情を胸に、日々を生きていた。ある者は激務の果てに忘れ去ろうと自らの責務に励み、ある者は棺桶までこの想いを貫こうと胸に秘めることを誓い、ある者はいつかの彼の帰還を信じて日常を保つことを優先し、ある者は喪失からの失意から少しずつ前を向こうと足掻き続けていた。そんな十人十色、千差万別の中心には、常に”彼”がいた。いつも、いつでも、いつまでも、彼女達の中には”彼”がいた。進む道、その歩み、抱く意志、何もかもが違う癖して、その根幹は共通なのである。それだけ”彼”の存在が魏という国において重要であった事実は揺るがない。揺るぎようもない。

しかしそれでも、時は移ろいゆくものである。無情に、残酷に、喜怒哀楽を押し流してゆく。浜辺の砂が波間に飲み込まれていくように、川底の小石が丸みを帯びていくように、風雨に晒された岩肌が風化されていくように、降り注ぐ雨粒が広大な湖面や海面を生み出すように、それは侵食するように少しずつ、しかし確実に、奪ってゆくのだ。歓喜を、悲哀を、憤怒を、快楽を。それは時として何よりも優しく、その一方で何よりも惨い仕打ちであることを、彼女達はこの一年間で骨身に染みて理解した。

遠距離であったならまだいい。会いに行けばいい話だ。死別の方が幾分かましである。諦めもつくというものだ。だが、”彼”は違った。天という『異世界の住人』であった。届くか否かの判断も、叶うか否かの判別も覚束ない。明確な境界線を見出せない。それは、一種の拷問ですらあった。諦めようにも諦めきれない。心根では誰もが諦めることを拒否しているだけに、真綿で寸前まで首を絞められたままでいうような、そんな息苦しさすら覚えつつある毎日。精神が摩耗していくのも致し方ない結果と言えよう。

が、遺伝子学的にも男性より女性の方が精神的な強さは勝るという報告があるからか、それともすべからくして女性は早熟である部分が手伝っているからか、彼女達は誰一人として狂う事も堕ちる事もなかった。それはある意味で幸福と言え、まだある意味では不幸とも言えた。兎角、現在に至るまで紆余曲折こそあったものの、彼女達はこの精神的な窮状を乗り越え、それぞれの日常へと戻ることが叶ったのである。

そんな矢先に”この予言”、戸惑うのは当然の帰結であろう。よりにもよって、それぞれがそれぞれの折り合いをつけ、いざ前を向こうという時に、である。それはどうやら、魏国の中心たる”彼女”も同じであるようで―――

 

 

ひたすらに変わらない、いつもの河原。ただただ空が凪いでいた。

響くのは高らかな鳴き声。影一つ、ぽつんと空の水面に浮いて漂う。くるりくるりと円を描いて舞う様は、まるで逸れた親を探す迷子のように、彼女には見えた。

 

「燕、か」

 

穀物を食べず害虫を食べてくれる彼らは稲農家にとって益鳥として非常に重畳するのだとか。故に、農村では燕を殺したり巣や雛に悪戯をすることを慣習的に禁じている地方もあるという。また、彼らの糞は雑草の駆除にも有効とされているらしく、『人が住む環境に営巣する』という習性から、行商人の間では”燕の多い場所では商売繁盛が見込める”という験担ぎもあるのだとか。

 

「そう最初に教えてくれたのも、貴方だったかしら?」

 

細める深い藍の瞳。その要因は陽光の眩しさか、はたまた想いを馳せた遥か彼方か。虚空に問いかけた所で返答があるはずもなく、(ひさし)代わりに掲げた掌を腰かけていた岩に戻して、裸足の足を流れに浸したまま、指を広げて幾度か川面を掻き混ぜるように揺らす。凝り固まった疲労感が水中に溶けていくように、じんわりと解されていく。

 

「……」

 

物憂げな表情のまま蹴り上げるように一度、片足を水中から持ち上げる。伸ばした、白魚のように肌理細やかな指先から水滴が放られ、それが山吹色を乱反射して煌びやかな群れを成す。春蘭か桂花辺りが見ていたなら、見惚れるのみならず、下手をすれば鼻血でも噴出しながら卒倒していたかもしれない。

ここでの逢瀬は”あの一度きり”だったと記憶している。たった一日、立場も責務も何もかもを投げ出して、思うままにあの手を引いて、連れ回して。自分がまるでそこらの少女であるかのように、あの日の自分は無邪気だったように思う。あの時は『肩の力を抜く』という事がよく理解できていなかった。今ならばよく解る。それが、その理由である彼がいなくなった後であるのが随分と皮肉な気もするが。

 

「まったく、いなくなった後まで私の心を掻き乱すなんて、ね」

 

一年の月日は、少女を女性に変えるには十分過ぎる時間である。それも、激動の時代を生き抜き、一国の主として日頃から多くの重責を負う日々ともなれば、その効果はより一層となるだろう。未だ成長期であった事も手伝ってか、ほんの少しだが背丈は伸び、身体つきも丸みを帯びて、より女性らしさを纏うようになったと言えよう。顔つきもどこが角が抜け、柔らかさを滲ませているように窺える。

あの日から、よく空を見上げるようになったと自覚している。

明けては暮れて、暮れては更けて、更けては明けて、また暮れて。晴れては曇って、曇っては降って、降っては晴れて、また降って。時には荒れて、吹き荒んで、轟かせては積もらせて。天の国には空を人心に例えた歌や言葉が数多くあるという。成程、言い得て妙だと思う。そして、ふと考えるのだ。この蒼天が、まるで”彼”に重なって見える時があることを。

 

「私も久々に、何か詠んでみようかしら」

 

曹操はその人生の中で数多くの詩を創作している。ちなみに作者が好きなのは以下の文章である。

対酒当歌  人生幾何

譬如朝露  去日苦多

慨当以慷  幽思難忘

何以解憂  唯有杜康

青青子衿  悠悠我心

但為君故  沈吟至今

呦呦鹿鳴  食野之苹

我有嘉賓  鼓瑟吹笙

明明如月  何時可採

憂従中來  不可断絶

越陌度阡  枉用相存

契闊談讌  心念旧恩

月明星稀  烏鵲南飛

繞樹三匝  何枝可依

山不厭高  海不厭深

周公吐哺  天下帰心 (意味は調べてくださいなww)

兎角、見上げる空は今日も今日とて晴天。ふいに翳した掌の輪郭を透かして、血潮の緋色が仄かに窺えてしまうほどに晴れ渡る日和。手の空いた主婦ならば、貯まりに貯まった洗濯物を一気に乾かしてしまいたくなるだろう程に、燦々と暖かな日差しを振り撒いている。

遠いようで近くて、近いようで遠くて、手を伸ばせば掴めそうで、しかし決して届くことのない場所。何かに縋るように、求めるように、翳していた掌を、ゆっくりと閉じる。必然、掴めるものなどない。虚しく空気が流れ出ていくだけ。

それが日常。それが当然。何か変わる訳もなし。何が変わる訳もなし。

そんな、当たり前の日々が、

 

「―――え?」

 

滲んでいく視界によって、

 

「―――嘘」

 

網膜に映る一筋の巨大な『箒』をもってして、

 

「―――嘘じゃ、ないわよね」

 

たった今、この瞬間、崩壊したという事を確信して、彼女は実に久方ぶりに、歓喜の涙を流したのだった。

 

 

 

 

 

 

時刻は若干遡り、場面は大きく移って―――

 

 

 

 

 

 

 

光が見える。遠い遠い深紅の光。霞むように、ぼやけるように、紅が滲む地平線上の太陽のような光。赤壁での決戦から幾度となく浮き上がる情景。あの日の記憶だと思っていたが、徐々に違うのではないかと思うようになった。

あれはきっと、私自身なのだと。あとほんの少しで地の底へと沈んでゆく落日。風前の灯。炎は消える刹那、足掻くように煌めきを放つ。あれはきっと、私の命そのものなのだろう。あの輝きが潰えた時、私の肉体は熱を失い、緩やかに滅びゆくのだと、確信めいた何かを感じていた。

 

―――だが、そうはならなかった。

 

消えゆくだけだったはずの落日は『ある日』を境にその首をもたげ始め、日に日にその陽炎は輪郭を帯びて、落日は気づけば旭日のように暖かく包み込むような生気を、私に注ぎ込んでくれている。

不思議だ。とうに死すら覚悟していたというのに、肉体は未だ暗鬱とした気怠さに支配されているというのに、どうしてこうも、肩の荷が下りたように、枷から解き放たれたように、心が軽いのだろうか。

 

―――まぁ、受け入れられてはいなかった、ということだろうな……

 

嬉しくもあり、しかし同時にどうしようもなく情けなくもある。当たり前の話だが、私とて望んで死にたくはない。死への恐怖は動植物問わず、生きとし生ける全ての生物に等しく訪れる最大の恐怖である。時折『私は死など恐れない』と抜かす者がいるが、それは本当の『死』を知って尚、その恐怖を凌駕、あるいは克服した強者か、本当の『死』と向き合ったことがなく、未だ見て見ぬふりを決め込んでいる愚者のいずれかである。そしてどうやら、残念ながら私は後者であったようだ。

いつか訪れると解っていながら、それがいつかも解らないままに、皆どこかそれを他人事だと思っている。それはきっと、日頃から『死』に関して向き合う時間がないからだと、私は思う。いや、そう思うようになった、というべきか。こうして病を患い、自由を奪われ、肉体を蝕まれていく焦燥感を直に味わい、日がな一日布団の上に横たわり続ける日々は、それまでの私の価値観を覆すには十分すぎた。

思い返す。来る日も来る日も戦に明け暮れた月日を。

思い直す。孫呉の未来を願って散って行った彼らを。

思い集む。帰らぬ人となった彼らを待っていた皆を。

歩んできた道への、選んできた道への、進んできた道への後悔はない。常に最善を、最良を、最適を選択してきた積りだ。数えきれない者たちの屍の上に、今の平穏は成り立っていることを、我々は決して忘れてはならない。

だが時折、考えてしまう。立ち止まり、振り返り、見下ろして、ふと頭を過ぎるのは、

 

―――私に、それだけの価値があったのだろうか・・・・・・?

 

皆が命を賭してくれるほどの価値が。皆が命を託してくれるほどの価値が。こんな事を言えばきっと、否、間違いなく激怒と共に殴られるだろう。弱気になっているのは、未だ病床の身だから、という理由で見逃して欲しい。

全く視野に入れていなかった訳ではないが、自他問わず誰かの死に直面したなら、自らの脆い部分が溢れ出しもするだろう。私とて、その例から漏れる事はない。自分自身もそうだし、近しい誰かが、親しい誰かが死に瀕したなら、命を落としたなら、正常でいられようもないだろう。それがもし、断金の友であったなら、そう考えただけでも、背筋に寒気が走る。

その自覚を境に、私は弱くなった気がしてならない。以前よりも後ろ向きな思考が頭をよぎる。何事にも必要以上の心配をしてしまう。被害妄想じみた愚考がふと浮かぶこともあり、しかしそれを律する自制心すら衰弱しているようでもあって。

不安定。不明瞭。不完全。不明確。不健全。不可思議。この様では、とてもではないが、

 

―――私もそろそろ、引退を視野に入れるべき、なのかもしれないな。

 

祭殿辺りに聞かれたなら『まだ若い癖に何をほざく』と叱咤されそうである。というか、間違いなくされる。賭けてもいい。

脳裏に如実に創り出せる光景に苦笑した、その時だった。

 

「ほ~ら、そろそろ起きなさ~い?」

 

私の肩を掴み、軽く身体を揺さぶる誰かの手。彼女にしては珍しく控えめな方法だ。流石に病人相手に破天荒な振る舞いは遠慮するくらいの分別はあったようである。

それとも、相手が自分だからだろうか、などと考えて、そんな風に考えてしまう自分に苦笑しながら、彼女はゆっくりと意識を浮かび上がらせていった。

 

 

「―――おはよう、雪蓮」

「はい、おはよう。朝食持ってきたわよ、冥琳」

 

倦怠感に抗いながら徐々に開く瞼の隙間からいつもの優しい瞳を確認すると、私はお盆に乗せた湯付けの白米と、卵と野菜の(タン)を枕元の木卓に置いた。

血色は良好。熱もなく、緩やかではあるが、変わりなく快方に向かっているようで、今日も胸をなで下ろす。

 

「食欲はある?」

「あぁ。頂こう」

 

外していた眼鏡をかけ、椀によそった白米を蓮華(れんげ)で口に運び、ゆっくりと咀嚼している。どうやら無理をしているようでもない。一時期は痩せ細り、頬も痩け、食事も一人でままならないほどに衰えていただけに、近頃になって見られるようになったこの姿は、これ以上なく私を安堵させてくれる。

 

「どう? 美味しい?」

「あぁ、美味いよ。染み渡るようだ」

「やぁねぇ、年寄り臭いわよ?」

 

寝起きの、どこか緩慢な仕草のままの穏やかな笑顔に、思わず吹き出してしまう。そして、改めて思うのは、

 

「本当、元気になったわね」

「あぁ。華陀には感謝してもし切れないな」

「えぇ。それと……」

 

二人、窓越しに青空を仰ぐ。雲一つなく快晴。時折横切る鳥の影以外に、燦々と降り注ぐ暖かな陽射しを遮るものは何一つない。その遙か彼方、天上を限りなく越えた先に、思いを馳せて、

 

「天の御遣いくんにも、ね」

 

約一年前のこと。冥琳が吐血と共に倒れた。どうやら肺を患っていたらしく、しかし時期故にと黙り続けていたが限界に達したようで、皆がいる玉座の間でついに膝をついてしまったのである。

当然、皆が慌てふためいた。蓮華は悲鳴を上げ、小蓮は泣きじゃくり、亞沙は自分の袖を踏み抜いて大転倒。穏でさえ普段の間延びした声色は形を潜め、思春に至ってはあの切れ長の双眸を真ん丸に見開いて、度を超えた混乱で言葉を噛みまくっていた明命と共に血相を変えて医者の元へと飛んでいった。そんな彼女達の混乱を余所に、彼女もまたあくまで平静を装ってではあったが、雪蓮がその場を取り仕切り、冥琳は絶対安静の条件下、殆ど面会謝絶の養生を余儀なくされたのである。医者も原因を特定できず、日に日に衰弱していく冥琳の姿を見て、皆が何も思わぬはずもない。特にあからさまだったのは雪蓮だった。日頃から多い酒の摂取量が著しく高いと思えば、日によっては全く口にしない事も。兵達の調練も、必要以上に辛辣だったかと思えば、直前になって急に中止する事もあった。そしてそれを、兵士達も文句一つ言わずに受け入れた。彼らもまた同じように悩み、苦しみ、もがいていたからである。

しかし、幸いにして、その状態は長くは続かなかった。

 

―――俺に診せてくれ。今ならまだ間に合う。

 

突如、孫呉を訪れた深紅の髪の青年、華陀は高らかにそう告げて、取り出したる黄金の針と暑苦しい叫び声での苦戦(本人談)の末、

 

―――覆滅はできなかったが、弱体化には成功した。ついでに肉体の免疫力、病魔に打ち勝とうとする力を強化しておいた。これで少しずつ快方に向かうはずだ。

 

これが、半年ほど前の出来事。それから見る見る内に血色は戻り、肉付きも正常に。短時間且つ城内に限られるが、外出までできるほどまでに回復してみせた。快復とまでは言い難いが、この結果に孫呉の皆がどれほど歓喜したのかは、説明するまでもないだろう。そして、彼女達が次に考えたのはこうだ。何故”今ならまだ”間に合うと言ったのか。その質問に対して、彼はあっけらかんと答えた。

 

―――教えてくれた人がいたのさ。近い将来、君が病で落命してしまうかもしれないと。

 

彼がそれを知ったのは一年以上前。つまり、赤壁の決戦の時点で冥琳の病を予見していたという事になる。それは皆にとって、どれほどの衝撃だっただろうか。日頃よりすぐ側にあって尚、誰一人として前兆にすら気付けなかったそれを、どこの誰とも知らぬ赤の他人が既に看破していたのである。当然、彼女達は続いてこう考えた。”それは一体誰のことだ”と。すると、華陀は我らが頭上、青く爽やかに吹きゆく天上を見上げ、思いを馳せるように、どこか苦渋や憂いを入り交じらせた表情で、

 

―――かの天より遣われし御遣いに頼まれたのさ。彼女を救ってやってくれないか、とね。

 

その事実は、瞬く間に江東中へと広まった。

赤壁の決戦は、結果として曹魏の勝利とされているが、実質この大陸は現在、三国が互いを支え合う抑え合う三竦みの勢力図を現している。しかし、世俗的には如何に平等で中には少なからずいるのだ。

曰く”勝者は敗者を見下している”。曰く”敗者は勝者に見下されている”。

そう考えてしまうのは無理のない事ではある。事実、圧倒的有利であったはずの定軍山での奇襲や苦肉の策を悉く打ち破られたという結果は両軍に多大な動揺並びに警戒心を齎した。今になって思えば、あれが赤壁での敗北の引き金となったと言っても過言ではない。そして、その双方に影より深く関わった一人の男。傍目にはどう見てもただの優男でしかない彼が、よもや曹魏において重鎮も重鎮であり、誰もが見上げる蒼穹よりの使者であるなど、一体誰が見抜けようか。

北郷一刀。警備隊隊長という立場でありながら、彼は皆の心に寄り添い、皆の心に共に在り、皆の未来の礎となった男。陽光を浴びて白銀に輝く豪奢な衣裳とはあまりに不釣り合いな、誰よりも愚かで、誰よりも優しい、ただの一人の少年。しかし、彼の言動は、彼の意志は、数えきれないほどの人々の心の根底に、今も息づいている。

それだけに彼が、間違うことなき彼が孫呉の、敵国の重鎮の命を救った。その事実が孫呉に与えた影響は、決して小さくはない。こちらを取り込むないし滅ぼす腹であったなら、放っておけばよかったものを、又聞きではあるが、彼は己の”存在”すら削ってまで伝えたという。それがどういった理屈によるものかは解らないが、少なくとも彼が、この孫呉にとって『大』をどれほど付けても足りないほどの恩人であるという事には相違ない。その事実により、孫呉の天の御使いひいては曹魏への認識は大きく変化したと言っていいだろう。

何せ、その生き証人がこの国に”二人も”いるのだから。

 

「入るぞ、冥琳」

 

返事を待たず部屋に入ってくる人影一つ。以前のように束ねず解き放たれた艶やかな長髪はうっすらと紫を帯び、棚引く度にふわりと舞いつつ陽光を乱反射させるそれは、彼女が孫呉における重鎮も重鎮な老兵であることすら忘れさせる。言葉遣いこそ年相応に貫禄を纏っているものの、その焼けた肌には滲み一つなく、何より目を引くのがその胸元、大きく張り出した乳房であろう。胸囲の大きい者が多い孫呉において尚、確実に上位に食い込むであろうそれは異性なら目を奪われてもおかしくないほどに、それは均整を無視してこれ以上ないほどの存在感を露わにしている。蜀の紫苑にも該当することだが、何故にこれで弓兵が務まるのであろうか。彼女の愛娘である璃々に”ゆみやつかってるとおむねがおおきくなるんじゃないの?”と尋ねられ、魏国の夏候淵が困惑していたのは未だ記憶に新しい。

 

「また来られたのですか、祭殿? 私を怠けの言い訳に使われるのは遺憾なのですが?」

「儂は純粋な心配で来とるというのに……まぁよい。今日の具合はどうじゃ、冥琳」

「食欲もありますし、身体の怠さも大分ましになりました。少しずつですが、快方に向かっているかと」

「の、ようじゃな。その空鍋を見て安心したわい」

 

黄蓋公覆。真名を祭。嘗て赤壁の決戦における苦肉の策を看破され、その際に失命したと誰もが思い込んでいた彼女がある日、何の前触れもなく孫呉に帰還したのは三国同盟が締結される僅か一週間ほど前である。同盟の締結が予想していた以上に順調に進んだ要因の一つと言えよう。事実、彼女の口から語られた真実は孫呉の、曹魏への評価を百八十度変えるものであったからだ。

『あの直後、深紅の髪の青年―――華佗に救助され、一命を取り留めた』

『聞けば、彼は自分が恐らくこの戦いで重傷を負い、命の危機に立たされると事前に聞いていたという』

『叶うなら、彼に自分を救ってやって欲しいと頼まれ、自分はそれを引き受けたに過ぎない』

この時点で、その”彼”が指す人物が誰なのか、説明は不要だろう。

 

「全く、陳留に足を向けて眠れませんな、策殿」

「えぇ、本当にね。戦うのに必死だったとはいえ、その戦いを終えた後の世まで見通して、それも実際に刃を交わしている相手まで救おうとするなんて、中々出来る事じゃないわ」

「少なくとも、お前には無理だろうな、雪蓮」

「もう、茶化さないでよ。折角いいこと言ったばっかりなのに」

 

頬を膨らませ遺憾の意を示す雪蓮に二人は思わず笑う。そこにはやはり、彼女達の日常があった。文字通り、寝食を共にし、同じ屋根の下で眠る家族。互いを思いやり、支え合うのを当然とし、その為ならば力を振るうことすら躊躇わない。嘗ては項羽の再臨と持て囃された江東の小覇王は、ただ身内の為に心身を賭す一介の武侠に他ならなかったのである。

 

「早い所、冥琳には快復して貰わねば困る。蓮華(れんふぁ)様や穏達も奮闘してはおるが、中々追い付かんのが現状じゃ。やらねばならんことは、山ほどあるのでな」

「そろそろ、私抜きでもまともに回って欲しい頃ではあるのですが」

「何を言うか。退くなら跡継ぎを一人前にしてからにせぬか。いや、むしろ十人前、百人前にでも仕立てあげてみせい。それが先達の義務というものよ」

「……そう、ですか。そうですね」

 

病というものは肉体のみならず、予想以上に精神まで蝕んでいたようである。やはり、衰えたと痛感する。一昔前ならば何でも自分で抱え込もうとしていたのだが、今となってはこうして口をついて不安が漏れ出してしまう始末。何故か雪蓮はそれを喜んでいる節があるが。

ふと、再び窓の外へと視線を移す。快方に向かっているとはいえ、一日の大半をこの部屋で過ごす自分にとって、暇を潰せる娯楽は非常に少ない。時折運んできてもらう本はあっという間に読み終えてしまうし、四六時中雪蓮や祭に部屋にいてもらう訳にもいかない。戦時中でなくなったとはいえ、二人にも仕事は立派にある。

となると、自ずと視線はいつも窓越しの空を見つめているのだ。こんなにゆっくりと見上げたことは、子供の頃以来と記憶している。くっ付き千切れを繰り返す白雲。しとしとと降り注ぐ雨粒の合間から降りる光の梯子。茜色の日輪を横切る小さな小さな鳥達の影。血生臭いものばかりだと思っていた世界は、こんなにも美しいものだったのか、と思い知らされる。

気付けば、二人もまた蒼天を窓越しに見上げていた。その眼差しの先に何を見ているかを実際に知るのは本人のみだが、凡その検討はつく。

 

 

 

―――と、その時であった。

 

 

 

「「「―――――」」」

言葉を失った。言葉を発する事すら、今の自分達は忘れていた。今、自分達が目の当たりにした現象が余りに唐突過ぎて、脳内での処理が追い付かなかったのである。

やがて、何とか咀嚼を終えた三人が顔を向き合わせる。皆、一様に茫然としていた。当然である。”噂をすれば影”をここまで大がかりに実行されれば、誰だろうと数瞬の停止くらいはするであろう。

 

「今、のは、もしや……」

「そういう事、よね……こんな真昼間にあんな大きな流星なんてそうそう見ないだろうし」

「随分、近くだったように見えますが……」

 

そのまま暫しの間、凍結寸前の状態は続いて、やがて一分ほどが経過した頃だろうか、

 

「っ、祭っ!! 直ぐに捜索隊を出してっ!!」

「う、うむ、了解した!!」

「冥琳、行ってくるね!!」

「あ、あぁ、気を付けて、な」

 

未だ混乱からのぎこちなさこそ残るものの、そこは長年培った経験が活きたのか、すぐさま立て直してみせた二人は部屋を後にし、残る冥琳もまた、再び思案に耽ろうとして、

 

「―――あぁ、そういえば」

 

一つ、思い出す。今朝方、まだ朝日が昇って間もない頃だったか、寝起きの自分にこう言った人物がいた事を。

 

 

 

 

 

 

 

―――――確か、小蓮様が周々と善々を連れて遠出に行っていたような……

 

 

 

 

 

(続)

 

後書きです、ハイ。

何とか一月内に2回更新。今年はこれくらいのペースでいけたらなぁ、などと思っております。まぁ、こう宣言して成功した試は殆どありませんがww

事実、来月はちょっと難しそうですしね。卒論書いたり発表会の準備したりで色々てんてこ舞いになりそうですし。熱帯雨林育ちのゴリラにはこの時期の北の大地は軽い拷問です。道産子が寒さに強いなんて誰が言ったんだコンチキショウ。

 

で、

 

あい、初めに一刀が行く国はもう解りますね。そして最初の被害者も(オィwww

まぁ蜀でもよかったんですけどね。一刀の毒牙にかかる順番が変わるだけだし。

ただまぁ、お気楽道中には決してならない事は予告しておきましょう。設定からしてならないことくらい、皆さんも想像がつくとは思いますが。

はてさて、”一刀”はやはり”一刀”なのか否か、そこら辺を悶々とさせながらも次は違う作品の更新になるだろうなぁ、とか言いつつ今回はこの辺で。

 

あぁ、そういや前回の更新で言い忘れた上にものっそい今更感がありますが、今年も何卒宜しくお願いします。

でわでわノシ

 

 

 

 

…………『バトライドウォー』といい『オールスターバトル』といい、PS3持っててよかったと思う今日この頃。


 
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