ある夜、ディーンは酔っていた。悪魔の血を飲む弟が帰ってくるのを待つためか、地獄で起きた出来事を夢に見たくない為か。
彼が何も言わないのはよくある事だが、結果、私の膝を枕替わりにベッドで寝るのは初めてだ。
最初は状況がよく飲み込めなかった。ベッドに腰掛けている私に、時折話しかけては、独り言を零していた。そして私があまり好まない皮肉げな笑みを浮かべ、酒を煽る。
眠れない夜を何度見たか。
この日もさほど変わらない、悲しい夜の筈だった。恐らく彼が摂取していたアルコール量と、彼の適量を把握していなかったのが原因だろう。
でなければ、気付けば私の膝に頭を預けて寝たりはしない。
私は思わず、間近で眠る彼を見下ろした。
声をかけたくなったが、眠りの浅い彼が起きる可能性がある。けどもし呼んで起きない場合、髪に触れたらどうだろう。髪以外は?そして、キスなら?
いつしか芽生えた彼への傾倒は、当人に、既に知られている。ならば願うままの全てをディーンにしても、問題はない。
そうしていざしようとすると、どうにもうまく出来ない。何かをしてしまっては、今ある初めての出来事が少なからず崩れてしまう。
惜しむ心が、彼の安らかな眠りであれと願う夜に呼応する。
サムが戻る気配も無く、モーテルの外からも騒がしい音は聞こえない。彼の寝息だけが聞こえるこの世界を、私だけが共有している。不謹慎だと自覚しているが、特に後ろめたさは無い。
私は限られた時間の全てで、ただただひたすらに彼の寝顔を眺める事にした。
そうしてどれぐらいの時間が経ったのか定かではないが、夜が明ける前にディーンは目が覚めてしまった。
「やあ、ディーン」
目を丸くさせる彼に挨拶を交わす。しかしディーンはパチパチと、長いまつ毛を羽ばたかせるばかり。
「どうした」
何か気になる事でも、と問えば、「大アリだ」と言いながら、私の膝から急いで離れる。
彼の温もりが離れる寂しさを伝える前に、先にディーンが口を開いた。
「てめえ俺に何した」
警戒心を露わに、目を細める。だから私は正直に答えた。
「何もしていない。ずっと見ていただけだ」
「何を」
「君を」
ディーンの目が益々細められた。眉間には無かった皺が寄っている。
「どうした」
私はもう一度、同じ問いかけをする。
「どうした、じぇねえ。どうやったら俺がてめえの膝で寝なきゃいけねえんだ。お前が俺に何かしたに決まっている」
何故そのように疑うのかを聞き返したいが、ひとまずは何もしていないのを伝えなければ。
「本当に何もしていない。私がここへ来た時には、既に君は酔っていた。しばらくは明瞭でないことを話続けていたが、静かになった途端に、私の膝に頭を乗せてきた。後は、君が起きるまで見ていた。それだけだ」
「それだけって……」
「嘘は言っていない」
私を凝視する目が揺らいでいる。葛藤と言えばいいのか、よく分からない。
ディーンの反応を待っていると、彼は飲みかけの瓶ビールを足元から拾った。
「この俺が記憶なくすまで飲むなんてな」
悔しげに呟き、温くなった残りを飲み干す。どうやら私の誤解は解けたようだ。しかし私を睨む目は強くなった。
「ていうか何だよ、見てるだけって。人の寝顔勝手に見るなって言ったろ」
「君が勝手に私の膝で寝るからだ」
「はあ?」
人間が使う言葉で言うなれば、揚げ足を取っている感は否めないが、私だけに非があるとは思えなかった。
「本当は見てるだけではなく、声をかけたかった。髪に触れて、キスもしたい。それを私は起きてしまうのが勿体なくて」
「分かった!もう言うな!もう充分だ!」
ディーンは空いている左手を、私の眼前に突き出してきた。
「何が充分なんだ?」
「全部だよっ」
怒鳴りながら、今度は本物の枕に頭を突っ伏して寝転がる。
「寝るのか」
「むしろ今が夢であって欲しいよ。俺が野郎の膝枕で寝るなんて悪夢も良い所だ」
背を向けてしまったのを寂しく感じながらも、私の心は、何か温かい物で満たされていた。
「これが君の夢なら、それはそれで嬉しい」
「……なんだって?」
寝転がった姿勢のまま、ディーンは肩越しに、こちらを向いた。
「君の夢の中に入ることなく、ディーンが私を夢に見るのは、うまく言えないが、嬉しいことだと思う」
悪夢を取り去ってやれない私が、魘されない夜に加担出来たなら嬉しい。だから現実でなくても構わない。
心からの言葉に、ディーンはゆっくりと起き上がった。
「キャス、お前」
腕だけで身体を支える形を取り、私を見つめる。
「何だ」
「ほんっとに馬鹿だな」
ため息混じりのセリフは、恐らくは、彼の心からの言葉だろう。そして言うなり、また背中を向けられてしまった。
馬鹿と言われるのは不本意だ。何を基準にそんな評価を下されるのか。
しかしディーンから先ほどまであった刺々しさが消えている。益々もって分からない。だが、彼の警戒心が消えたのは良い傾向だ。
「ディーン、一つ良いか」
「……なんだよ」
私は背中に要求する。これが現実でも、彼の夢の中でも。
「君に触れてキスをしても良いか。そして私も、君の膝に頭を乗せてみたい」
*****
あの時、ディーンはどんな態度を取ったっけ。
意識が浮かび上がるのを身体中で感じると、眼前にはリーダーが居た。何故か、彼の膝枕で。
僅かな記憶を掘り起こし、狭い視界から整理する。どうやらここは森で、リーダーは木に持たれている。そんな彼の膝を、僕が拝借している訳だ。
景色は暗いけど、これは夜明け前の暗さだ。雲が光を遮っているが、間違いないだろう。
そして、お互い傷だらけなのは、悪魔と一戦交えたから。
ようやく全てを把握したのを待っていたかのように、鋭利の鈍い眼差しを僕に当ててきた。
「起きるのが遅いぞ、死にぞこない」
乱暴な口ぶりに、僕は痛みを隠して口角を上げる。リーダーが無理をしているのが丸分かりだった。だから僕もいつもの軽口で応戦する。
「リーダーの膝枕が気持ちよくってね」
「良いから早くどけ」
「無理だし嫌だ。なんなら、リーダーから退かせば良いんじゃないか」
「出来るならとっくにやってる」
つまりは彼も、見た目以上の傷を負っているようだ。
それでも僕らは生き延びた。
森の風が、僕らの肌から体温を奪う。
「助けは来るのかい」
「夜明けまでには来るだろ」
願望の交じる口ぶりは、焦りを隠す現れだ。
「なら僕は、それまでこれを借りておくよ」
これ、とはリーダーの膝枕。
寝返りも打てない満身創痍さに、笑ってしまいそうになる。
いや、むしろ、意識の底で見た夢のせいだろう。
「退け」
「言ったろ、無理だって」
「嫌だとも言ったな」
「言ったっけ?気のせいじゃないか」
人間になってから覚えた笑い方をすれば、リーダーの眉間の皺が増えるのを、知っている。そんな顔させたい訳じゃないんだけどな。
身体中が痛いし、寒い。本当に助けが来るかの保証もない。目覚めた先の結果がこれでは、生き延びたというより、やはりリーダーの言うように、死に損なったが正しいな。
全く、この現実が、僕の見る夢なら良いのに。
そうすれば、僕が彼を、僅かな時間でも独占している素晴らしさと、灰色の世界が作り物だという安堵に満たされる。
そしてもう一つ。ある時、幸運にも君が生まれた日を知った時から伝えたい言葉を、目覚めた世界なら、きっと言えるだろうに。
「なあ、リーダー」
なあ、ディーン。
「何だよ」
「今日なんて所詮、昨日の続きでしかない」
天がどれだけ精巧に作った設計図に基づいて、君が地上に生まれたとしても。
「何が言いたい」
「それでも昨日と違う今日は、ちゃんとあるって事さ」
ディーン・ウィンチェスターの誕生は、やはり奇跡であり、祝福であり、感謝に満ちているんだよ。
それを信じない、信じられる物全てを失った彼には何も届かない。
「クスリ入れすぎて馬鹿が増したか」
僕が覚えた皮肉の元凶が、ため息をつく。
祝福の言葉など、かつて僕が天使であった頃では、きっと嫌味に聞こえただろう。
今となっては嫌味ですらなくなり、つまりは、伝える機会も失ってしまった。
一度目も無かったのだから、二度目はもっとない。二度と、彼には言えなくなってしまった。
それでも、僕は今も君の傍に居る事で、ディーンが生まれた世界の奇跡を信じ、祝福の夜明けが見える。二人で今日を迎えられる喜びに感謝するよ。
やはり死に損ないより生き延びたという方が良いな。
僕はほんの僅かだけ首を動かして、寝返りを気分だけでも打つ。
「ところで君の膝枕は硬いな。早く戻って、もっと柔らかい物に替えたいよ」
「じゃあ退け」
「嫌だ」
「無理じゃなくなったのかよ」
「嫌だし無理だ」
せっかくだから、僕の名を呼んで髪に触れ、キスでもしてくれたら良いのに。
彼がどんな感情でもって、目覚めるまでの僕を見ていたかを知らないからね。
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ディーン誕生記念SS。の割には書きなぐりという不甲斐なさ。ほのぼの目指したのに最後はif世界である2014年の二人を書きたいが為に入れたら、なんともな結果に。とはいえハピバ!