一刀がいなくなった。いなくならないでって、頼んだのに、願ったのに、祈ったのに。
あのふたりきりの夜。何年ぶりに流しただろう涙、それすらも届かなかった。
一刀の馬鹿は、ぜんぜん聞いてくれなかったわ。
だから、みんなで馬鹿騒ぎをした。酒蔵からありったけの酒を出して。火酒、老酒、白酒。種類問わず、もう全部。
誰も何も言わなかった。そうね、いつもなら風がにまにましながらつっこんできたり、秋蘭が少しお控えくださいと小言を云ってきたりとかありそうなものだけど、今回はなかったわね。
それだけ皆寂しかったのかもしれない。示しあわせたように誰も何も言わず、馬鹿などんちゃん騒ぎに興じた。
三日三晩続いたわ。誰も終わりにしようって言わないものだから、つい、ね。きっと、夢から覚めてしまうのが、本当に一刀がいなくなったことを認めるのが怖かったのよ。だから皆、一刀のことはこれっぽちも話題に出さなかった。出してしまったら意識していると認めるようで、それが嫌だった。私自身、そうだもの。
散会になったのはお酒が尽きたから。そんな在り来たりの理由。ふらふらになりながら自室に戻って、寝台に倒れこんで、そのまま意識を失って。
そして目が覚めて――
ほほが濡れていた。
原因に気付いて、涙が止まらなくなった。
胸が痛くて、苦しくて。
そこにあるはずの温もりがもう無くて。
寂しさが躰全体を通り抜けて。
私は、一刀を失ったことを、このうえなく、思い知らされた。
力が入らなかった。
寝台から降りることすらできない。窓の外を見ても、天井を見上げても、目をつむっても。浮かぶのは一刀の姿だけ。
一刀、一刀……、一刀っ、かずとぉっ……
声すら出ない。涙だけが、後から後から湧いてくる。
大陸の覇権をつかまんと道を突き進んできた自分がこんなにも脆弱だったなんて。
こんな、たったひとり失っただけで、ここまで。
なんてちっぽけな、ただの女の子。
そう思って、やっと気づいた。私は、一刀に女の子にされてしまったんだということに。
大陸も、覇権も、曹魏すらもなく、ただ好きな人のことだけを想う女の子。
一刀の変調が始まったとき、気付けていれば、次々と襲いかかる困難も、私とあなたが力を合わせれば解決できると告げていれば、何か変わっただろうか。
変わらない、きっと変わらない。
一刀は、少し困ったような顔をして、それでも曹魏の覇道のため、その身を擲っただろう。
それが"私"の望みと反していても、一刀は曹孟徳が往く道のため、決して譲らなかっただろう。
そのことが痛いほど判って、どうしようもなくて、また涙があふれた。
どれくらいそうしていただろう。動くほどの力もなくて、世界の終りをただ感じて、涙に暮れて。
日が昇り、落ちて、また昇って。見える風景がどんどん混濁して、大陸も覇権も見えなくなってきて、ああ、私はもう終わろうとしているんだって思った。
それでもいいのかもしれない。以前ならぜったいに思わなかったこと。だけど何故か今はそれでもいいと思える。
私の望み。曹孟徳の望み。一致しないそれ。何のために生きるの? 判らなくなってしまった。
まぶたを閉じる。世界が終る。
「華琳」
声が、聞こえた。
「かず、と……」
目をひらく。世界に光が燈る。
「何て顔してるんだよ。可愛い顔が台無しじゃないか」
そこには消えてしまった筈の一刀が確かに存在した。
「かず……とっ」
ふらふらと立ち上がり、倒れるようにして、一刀の腕の中に飛び込む。
「な、なんだよ、いきなり……」
少し困ったふうの一刀。顔を胸にこすりつけるふうにする。
何も答えられない。ただ泣きじゃくって、その優しい腕にしがみつくことしかできなかった。
「……ったく、しょうがないな」
一刀が私を優しく抱きとめてくれる。
言いたいことがいっぱいあった。文句を言って、徹底的に罵って、もう二度と私の傍から離れないよう命令するつもりだった。
だけど、もうそんなことはどうでも良くなっていた。躰を包んでいた寂しさが去り、手から温もりが伝わったから。
胸には一刀がくれる甘い痛みだけが残った。
「…………」
無言でふたり抱き合える時間。
本当に求めてやまなかったもの。私はそれを手に入れられた。
目が覚める。一刀の姿はなかった。部屋を見渡して、やはり見つけられなくて、躰全体を疲労を感じて、ああ――夢だったんだって気づいた。
少し涙が出た。
胸が、痛かった。
でも――
「もう一度立ち上がれる」
その力を夢の一刀にもらうことが出来た、そんな気がした。
自分の望み、曹孟徳の望み。それをもう一度見つけられるような気がする。
「ありがとう、一刀」
支度をして、部屋を飛び出した。
「桂花」
「御傍に」
「全将官を招集なさい。私はこれから大陸を手に入れる」
大陸を手に入れたら――一刀を探し出そう。
「どんな僻地に雲隠れしてたって必ず捕まえてみせる。私の名前は曹孟徳。すべての望みを叶える者」
「御意」
「あなたはどうするの?」
桂花は、虚を突かれたはずなのに、すぐに、なんとも言えない顔をした。
「……私は、華琳様に従うまでです」
「そんな曖昧な返事だと洛陽の留守居をさせるわよ」
「か、華琳様っ」
「ふふっ」
朝議の間へ向かう。その道程にある扉を、私は自分の手で押し開いた。
<了>
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一刀が消えてしまったあとの華琳の様子をちみっと描きます。