日もまだ出ていない、遅い月が地上を照らす早朝の中庭に風切音が響く。
その音を辿ってみると、そこでは銀髪の青年が自分の身長よりも遥かに長い槍を振りまわしていた。
突き、薙ぎ払い、切り上げ、打ちおろしと、銀の軌跡が流水のごとくつながっていき、くるくると舞い踊るかのように優雅な動きで青年は槍を振るう。
そんな青年のことをジッと無言で眺め続けている女性が一人。
「……主、どうかしたのか?」
「いいえ、たまたま近くに来たから見ていただけよ。素人目に見ても見事な動きだったわ、将志」
「……そうか」
眺めている女性、永琳に気が付いた将志は槍を操る手を止め、永琳の元へ行く。
永琳が感想を述べると、将志は嬉しそうに薄くだが笑った。
「ところで、こんな時間に何でここで槍を振っていたのかしら?」
「……何か拙かったのか?」
槍をふるっていた理由を訊かれて、将志は何か失敗をしたのかと少々不安げな表情で永琳を見やった。
それを見て、永琳は苦笑しながら言葉を足した。
「ああいえ、そう言うことじゃないわ。ただ単に理由が知りたかっただけよ」
「……そうだな……何故かそうしなければならない様な、そんな気分がした。何と言うか、体が槍を求めている、そんな感じだ」
手にした槍を見て、不思議だと言わんばかりの表情を浮かべる将志。
将志にしてみればただ己が欲求に従っただけであり、永琳の質問には上手く答えられそうも無いようである。
「そう……ひょっとしたら、それが持ち主の習慣だったのかもしれないわね」
「……俺の持ち主か……」
永琳は少し考えてからそう口にし、それを聞いた将志は槍をじっと見つめたまま、脳裏に浮かぶ懐かしい顔の男を思い出した。
将志の脳裏に浮かぶ男は自らの本体である槍を持って戦っており、かなりの熟練者であることが知れている。
それ故に、将志は永琳の仮定を聞いて素直にそうであったのだろうと結論付けた。
将志が考えをめぐらせていると、永琳が笑顔で将志に話しかけた。
「そうだ、せっかくだからもう少しあなたの槍捌きを見せてもらえないかしら? あなたの槍、月明かりで光ってとても綺麗に映るのよ」
「……了解した」
将志は短く言葉を返すと、再び槍を振り始めた。
月明かりに照らされ、蒼白い夜明けの庭に冷たく輝きながら銀の槍は舞う。
その様子を少し離れて永琳がどこか楽しそうに眺める。
その光景は、月が沈み柔らかい朝日が二人を照らし出すまで続いた。
「……どうだ?」
槍捌きを止め、将志は永琳に自分の槍の感想を聞く。
すると、永琳は拍手をしながら答えた。
「綺麗だったわよ。思わず見とれてしまうくらいにはね。……んー! さてと、朝日も昇ったことだし、そろそろ……あ……」
永琳は伸びをして朝日を見つめたまま固まった。そして恐る恐るポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認する。
そんな永琳を見て、将志は小さく首をかしげた。
「……どうした?」
「し、しまった~っ! 今日よく考えたら学会じゃない! そうよ、そのために私早くここに来たんじゃないの! ああもう、もう朝ご飯食べる時間もないわ!」
永琳は眼に見えて慌て始め、大急ぎで研究室に駆けていく。
将志はその横に並走してついていく。
「……俺のせいか?」
「いえ、そう言う訳じゃないけど……どうしようかしら、今からタクシー拾って間に合うかしら……?」
少し悲しそうな声を出して問いかけてくる将志に、時計を見ながらそう返事をする。
永琳がタクシーを拾って間に合うかどうか考えていると、俯いていた将志が顔を上げて話しかけてきた。
「……主。場所は分かるか?」
「え? ええ、分かるけれど……」
「……送っていこう。主が走るよりは早い」
将志の申し出に永琳は額に手を当てて思案した。
凄まじい身体能力を持つ将志の背に乗っていけば、確かに今からでも時間前に着くだろう。
しかし人間に敵意が無いとは言え彼は妖怪、人前に姿を見せるのは極めて危険だ。
しかし今日の学会は自分にとって、いや、人間にとってとても重要な発表である。
それに遅れるのは言語道断であり、この機を逃せば二度と世に出ることは無いだろう。
そこまで考えて、永琳は決断を下した。
「……背に腹は代えられないわね。ありがとう、それじゃあお願いするわ。その代わり、妖力をしっかり抑えなさいよ?」
「……御意」
そう言うと、将志は身支度をして外に出た。
外に出て、将志の背に永琳が乗り、将志は両手でそれをしっかり支えている。
槍は間違っても主に傷が付かないようにと、永琳が背中に背負う形になっていた。
「……忘れ物は無いか、主」
「ええ、無いわよ。それじゃあ、お願いね」
「……ああ。しっかり掴まっていてくれ」
そう言うと将志は急ぎの主を一刻も早く送り届けるため、地面を蹴り猛烈な勢いで走りだした。
突然の急加速に永琳は驚いて将志の首にしっかりつかまる。
前方からはけたたましい音と共に強い風が吹き、永琳の長い髪を激しく揺らす。
永琳が恐る恐る眼を開けると、周りの景色は想像していたよりもはるかに速く後ろに流れ去っていた。
「きゃああああああ!? ちょっと将志、速すぎるわ!! それからもっと人目に付かないところを行きなさい!!」
「……失礼した」
永琳がスピードを落とすように言うと将志は少し残念そうにそう言ってスピードを落とし、人目に付かないようにビルの屋上を飛び移ることを繰り返して走ることにした。
スピードが落ちたことで落ち着きを取り戻したのか、永琳は現在位置を把握して将志に正確に目的地の方角を伝える。
将志はそれをもとに行き先を決め、摩天楼の空を飛ぶように颯爽と駆け抜けていった。
「……ここか?」
「……え、ええ……」
「……時間は大丈夫か?」
「……ええ……十分前よ……」
目的地のビルの屋上から飛びおりて、入口の前に軽やかに着地する。
将志が確認を取ると、永琳は少し疲れた表情でそれに応えた。今まで経験したことの無い速度を体感し、少々参っているようだある。
永琳は大きく深呼吸をし、心身を落ち着かせる。
「ふう……ありがとう、将志。おかげで助かったわ。帰りも見つからないように注意して帰りなさいよ?」
「……了解した」
永琳は花の様な笑顔を浮かべて将志に礼を言った。
将志はそれをわずかに笑みを浮かべて受け取ると、再び摩天楼の上に駆けて行った。
時は巡って日が沈み、再び空に月が昇った頃、永琳が学会から研究所に帰ってくると、何やら良い匂いが研究室内から漂ってきていた。
「あら……これは?」
香ばしい醤油の焦げる匂いが漂ってくる研究所の一室を覗いてみると、そこでは銀髪の青年が和服にエプロンと言う服装でガスコンロの前に立っていた。
近くのテーブルを見てみると料理のレシピの本が広げてあり、何度も読み返したのかそのページは指紋だらけになっている。
その隣には見本通りにきっちり作りこまれたかぼちゃの煮つけ、そして味噌汁と炊きたての御飯が出来上がっていた。
そして現在、フライパンの上でたれにしっかりと付けこまれた豚ロース薄切り肉が焼かれていた。
なおこの部屋には最新の調理器具がそろっていたが、将志には使い方が分からなかったらしく、全て鍋やフライパンで調理されていた。
「む……帰ったか、主」
「あ、あなた何をしているのかしら?」
永琳が調理場に入ってくると、将志は永琳の気配を察して声をかけた。
永琳が戸惑い気味に声をかけると、将志は少し悔しげな表情で答えた。
「……今朝方、主は朝食を摂ることが出来なかった。だが今日俺が送っていった時、時間は十分残っていた。と言うことは食事の準備を俺がしていれば主はわずかでも朝食を摂れたはずだ。ならば俺が食事を用意することが出来れば、忙しい主の手伝いになると思ったのだが……」
実は将志は永琳を送った後ずっとそれについて考えており、それが彼を料理させるに至っていた。
しかも主にがっかりされたくない一心で、何度も何度もずっと調理場で練習を繰り返していたのだった。
恐るべきは将志の主人愛と言ったところであろう。
将志が伺いを立てる様にそう言うと、永琳はしばし驚嘆の表情を浮かべた後、にこやかにほほ笑んだ。
「ふふふ、ありがとう。それじゃあお願いしても良いかしら?」
「……任された。今はまだ献立も少ないが、その辺りは勉強させてもらおう」
永琳の言葉を受けて将志は満足げに頷いて足取り軽く調理場に戻っていく。
「…………(ふるふるふるふる)」
そんな将志に、永琳は嬉しそうにパタパタと振られる犬の尻尾が付いているのを想像して思わず笑いそうになり、俯いて肩を震わせる。
しばらくして豚の生姜焼きが焼きあがり、千切りキャベツとくし切りのトマトと共に皿に盛り付けられて永琳の前に運ばれてくる。
「……待たせた」
「いえ、そんなに待ってなんかないわよ。さあ、食べることにしましょう?」
「……?」
永琳の言葉に将志が不思議そうに首をかしげる。そんな将志を見て、永琳はとあることに気が付いた。
将志の前には何も置かれていないのだ。
「将志? あなた、自分の分はどうしたのかしら?」
「……考えていなかった。失敗作を食したからな」
キョトンとした表情でそう言う将志に、永琳は苦笑した。
何度も何度も失敗を重ねながら作っていた将志は、既に相当な量を食べているのだった。
「そう。次からは一緒に食事を摂りなさい。そうすれば後片付けの手間も省けるでしょう?」
「……了解した。次回からは主と共に食事を摂るとしよう」
将志はそう言うと使った調理用具を片付け始めた。鍋にフライパン、ボールに槍にまな板と将志は洗っていく。
その様子を見て永琳は眼を丸く見開いた後、目じりに指を当てて溜め息をついた。
「……将志。何で槍を洗っているのかしら」
「……槍を調理に使ったからだが……」
「包丁はどうしたのかしら?」
「……無かった」
永琳が調理器具の入った棚を確認すると、確かに何故か包丁が入っていなかった。
永琳は一つため息をついた。
「将志、明日包丁を買いに行くわよ」
「……俺が外に出るのは拙いのではないのか?」
「大丈夫よ。見た目は人間なんだから妖力を抑えることが出来ればそう簡単にバレたりはしないわ。そのための道具もちゃんと作って、今日完成したはずだから安心しなさいな」
「……かたじけない」
永琳の言葉に将志は深々と頭を下げた。
それを受け取ると、永琳は席に戻った。
「それじゃあ、冷める前にいただくわ」
「……ああ」
永琳は目の前に置かれた豚の生姜焼きに手を付けた。
口の中に入った瞬間、醤油だれと肉の旨みが全体に広がる。
「……どうだ? 口に合えば良いんだが……」
「基本に忠実な味でおいしいと思うわ。初めて作ったにしては上出来だと思うわよ」
感想を訊いてくる将志を永琳は素直に褒める。
「……そうか……」
しかし、帰ってきた反応はどこか不満そうなものだった。
将志の満足そうな微笑が見られると思っていた永琳は思わず首をかしげた。
「……どうかしたのかしら?」
「……いや、自分で味見をしたときに何かが足りない様な気がしたのだ。それが何なのかは分からんが……」
そう言うと将志は腕組みをしながら考え事を始めた。
自分が作った料理はレシピ通りに作られた、基本にとても忠実なものである。しかし、自分で食べているうちに何か物足りなさを感じるようになっていたのであった。
それが何かは分からず、完璧なものを食べさせてやれないことが将志にとって不満なのだ。
一方、将志の発言を聞いた永琳は納得がいったようで、頷いていた。
「そう言うこと……なら、色々と研究してみれば良いと思うわよ? 色々試してみて、それで自分がおいしいと思うものが出来たら、また私に食べさせてちょうだい」
「……了解した」
将志は一つ頷いて食事を摂る永琳の前に座り、緑茶を飲んだ。
主のために最高のお茶の淹れ方をマスターすべく今日一日で五リットルは飲んでいるそれを、将志は味を確かめる様に飲む。
将志はそれを飲んで少し顔をしかめると、永琳の前に置かれた湯呑みを取り上げて流し台に向かおうとする。
それを見て、永琳は将志を呼び止めた。
「あら、どうかしたのかしら?」
「……茶を淹れるのに失敗した」
「別に良いわよ。喉が渇いているからそのお茶ちょうだい」
永琳はそう言いながら湯飲みを受け取ろうと手を伸ばす。
それに対して、将志は少々戸惑いながら自分の持っている湯飲みを見た。
「……俺の出せる最高の物では無いんだが……」
「それでもよ。それにおいしいかどうか判断するのは私でしょう?」
「……了解した」
将志は苦い顔を浮かべて永琳の前に湯呑みを戻す。永琳はそれを受け取ると、湯呑みに口を付けた。
少し冷めてしまっているが、お茶の旨みは十分に永琳の口の中に広がった。
「ふう……これ、十分においしいわよ? 何でこれを捨てようなんて思ったのかしら?」
「……俺が一番うまいと思ったものよりも甘みが少し足りない。恐らく、温度の調節が甘かったんだろう」
「淹れてもらえるなら私は文句は言わないわよ?」
「……それでもだ。俺は主には常に最高の物を出していきたい。これは俺の意地だ」
将志は永琳の眼を真正面から見据えてそう言った。
そのあまりに真剣な表情に、永琳は思わず苦笑いを浮かべた。
「ありがとう。でも、程々にしときなさいね? 張りつめた糸ほど切れやすいのだから、少しは妥協を覚えないとダメよ?」
「……善処しよう」
そっぽを向いておざなりに答える将志。
明らかに善処する気のないその態度に、永琳は苦笑するしかなかった。
* * * * *
翌日の朝、朝日がさす中庭で将志が槍を振っている所に永琳がやってきた。
主がやってきたのを確認すると、将志は手を止め主の所にまっすぐやってくる。
「おはよう、将志。今日も精が出るわね」
「……おはよう、主。朝食ならすぐに作るから少し待っていてくれ」
「ああ、その前に一つ渡しておくものがあるわ」
永琳はそう言うと将志にペンダントを手渡した。
ペンダントは黒耀石の周りを銀の蔦で覆ったようなデザインをしている。
黒耀石はゆがみの無い真球で、見ていると吸い込まれそうな感覚になるほど透き通っていた。
「……これは?」
「あなたが妖怪だと思われないように妖力を抑える道具よ。これを付けていればあなたも町の中を堂々と歩くことができるわ」
「……ありがたい。早速つけさせてもらおう」
やや嬉しそうな声でそう言うと、将志はペンダントを首にかけた。
将志は動作を確かめるべく体を動かす。その動きは見た目には何の変化も無く、外からでは異常は感じられなかった。
「どうかしら? 何か違和感はある?」
「……いや、特には無い。強いて言うならば体から漏れ出していたのが閉じたような感覚があるだけだ」
手を開いたり閉じたりしながらそう話す将志に、永琳はホッとした表情を浮かべた。
「そう、特に問題は無いのね。それじゃ、今日は朝ごはん食べたら買い物に出かけましょう」
「……了解した」
将志と永琳は朝食をとると身支度をして外に出た。
なお、朝食は将志が前日の夜に死ぬほど練習を重ねたふわふわのオムレツだった。
* * * * *
町に出た二人はまるで誘われるかのように、摩天楼群の中にぽつんと存在する古めかしい金物屋に向かい、包丁の棚を覗き込んだ。
そこには鉄も斬れることを謳い文句にした包丁や、何に叩きつけても切れ味が落ちないことを売りにした包丁など、様々な包丁があった。
「それじゃ、この中から気に入った物を選びなさいな。お金なら馬鹿みたいに高いものを買わなければ大丈夫だから、心配しなくて良いわ」
「……了解した」
将志は一つ頷くと包丁をじっと見つめ、良さそうなのを手にとって握る。
次々と試していく中、将志の眼にとある一本の包丁が目にとまった。
その包丁は何気なく棚に並んだ、ありふれた三徳包丁。
しかし、将志はその一本だけが銀色に美しく輝いて見えた。
将志は『六花(りっか)』と銘打たれたそれを手に取る。
するとその包丁はまるで最初からこうあるべきであったというように、将志の手に驚くほど馴染んだ。
「おや、その包丁が良いのかえ?」
将志が包丁を眺めていると、その店の店主の老婆が将志に声をかけてきた。
店主は将志を興味深そうに見つめると、包丁について語りだした。
「その包丁はこの店にある物の中でも一等古くてね、ずっと昔からここにある包丁なんだよ。それで良いのかい?」
「……ああ。俺にとってはこれが一番良い」
「そうかい。はあ……ようやくこの包丁も使い手を選んでくれたかね」
店主は感慨深げにそう呟いた。それは、手塩に掛けて育てた娘が嫁に行くような表情であった。
店主の言葉に、将志は首をかしげた。
「……使い手を選ぶ?」
「あたしの店にある包丁はねえ、そこらの大量生産品と違って一つたりとも同じ包丁は無いんだよ。それで、包丁は自分で使い手を選ぶんだ。自分を大事に使ってくれる使い手をね。この店の包丁を衝動買いしたくなったりした時は、うちの包丁が使い手を呼んでいる時なのさ」
店主はそう言いながら、大量に包丁が並んだ棚を見やった。
その棚の包丁は静かに佇んでおり、将志にはそれが未だ見ぬ自らの使い手を求めているように見えた。
ふと手元に眼を落すと、手元にある包丁はキラリと満足そうに輝いた。
「……そうか。と言うことは、俺もこの包丁に呼ばれてここに来たのか?」
「そうだろうねえ。まあ、大事に使ってくりゃれ」
将志は店主に包丁の代金を支払い、金物屋を後にした。
* * * * *
「気に入ったのがあって良かったわね、将志」
永琳は手元にある梱包された包丁をじっと眺める将志に声をかける。
将志は永琳の声にしばらくしてから言葉を返した。
「……俺も、この包丁の様に主を呼んだのだろうか?」
ふと、将志は包丁を眺めながらそう呟いた。
自分も元は一本の槍であり、自我が形成されると同時に主である永琳がやってきたのだ。
将志には、自分と永琳との間には何か因縁があるのではないかと思えてきた。
「……将志? どうかしたのかしら?」
「……いや、何でもない」
永琳に短く答えを返すと、将志はゆっくりと首を横に振って包丁から顔を上げる。
永琳は将志が何を考えていたのか気になったが、深く追求することはしなかった。
「そうだ、最近このあたりにおいしいコーヒーや紅茶を出してくれる喫茶店が出来たのよ。将志、そこに寄っていかない?」
「……主が望むなら行くとしよう」
「決まりね。それじゃ、行くとしましょうか」
そう言うと、二人は摩天楼群から少し離れたところにある路地にやってきた。
そこには鉄筋コンクリートの建物に挟まれた、小綺麗なログハウスがあった。
永琳はそのログハウスのドアに手をかけ中に入る。
まだ開店して間もないせいか、店内の客は永琳と将志の二人だけの様だった。
店員に案内されてカウンター席に座ると、永琳が話を始めた。
「この店、機械化が進んだ最近じゃ珍しい全てが手作業の店なのよ。噂では機械じゃ出せない絶妙な味が味わえるって話なんだけど」
「……ほう……」
永琳の話を将志は興味深いと言った面持ちで聞く。
しばらくすると、店員がメニューを持ってきたので二人は注文をすることにした。
「そうね……ラムレーズンのシフォンとミントティーを頂けるかしら?」
「……ブレンドを頼む」
「かしこまりました。それでは今からご用意いたしますので、お時間が掛りますがしばらくお待ちください」
店員がオーダーを伝えると、マスターがカウンターの前に来て湯を沸かし始めた。
湯が沸くと、マスターは流れるような手つきで紅茶とコーヒーを淹れていく。
「…………」
その様子を将志がじっと眺めている間にコーヒーも紅茶も完成し、出来あがったオーダーを店員が受け取ると二人の前に持ってきた。
紅茶とコーヒーの香ばしい香りと甘いシフォンケーキの匂いが漂ってくる。
永琳はミントティーを口に含むとリラックスした表情を浮かべた。
「ふぅ……評判どおり、機械で淹れるよりもおいしいわね」
「……そうか」
将志の頭の中で『人の手>機械』という図式が出来上がる。
そして将志は目の前に置かれたカップを口に運び、コーヒーを飲んだ。
「……!」
口の中に広がる心地の良い苦みとほのかな酸味とかすかに甘い後味、そして芳醇な香りが脳まで突き抜けていく。
その瞬間将志は凄まじい衝撃を受け、カッと目を見開いた。
「……美味い……」
将志の頭の中ではあまりの美味さに見ず知らずのオッサンが口から極太のビームを発射して叫んでいた。
将志は口の中でコーヒーを転がしながら飲み、しっかりと味わった後で永琳に話を切り出した。
「……主、相談がある」
「ん? 何かしら?」
シフォンケーキを口に運んだ状態の永琳が将志の方を見る。
将志はこれまでに無いほど真剣な目をして、
「……お代りを頼んでも良いか?」
と、のたまった。
「…………(ふるふるふるふる)」
あまりに真剣な表情で、あまりにくだらないことを言い出す将志に永琳は撃沈した。
「あ、主、どうかしたのか?」
机に突っ伏し肩を震わせて笑いをこらえる永琳に将志は困惑する。
将志にとってはかなり深刻な問題のようであり、何で己が主の腹筋が大変なことになっているのかが理解できなかった。
永琳はこみ上げる笑いを何とか落ち着かせて、ミントティーを飲んで一息ついた。
「ふぅ……いいえ、何でもないわ。良いわよ、それ位なら」
「……かたじけない」
再び店員にオーダーをし、マスターがコーヒーを淹れ始める。その様子を将志は穴があくほど凝視する。
そんな将志を見て、永琳は将志が何をしたいか察した。
「……お金、足りるかしら?」
永琳はこの後も注文しまくるであろう将志を見て、乾いた笑みを浮かべた。
その後、案の定将志はコーヒーを何度も注文し永琳に泣きつかれ、己の不忠に大いに凹むことになるのだった。
* * * * *
あとがき
将志、料理を覚え始める。
頭の中では、あのお方が暴れまわっています。
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生まれて間もない銀の槍。
右も左も分からない彼は、分からないなりに自らの役割を探しだす。