真恋姫無双 幻夢伝 第六話
星が見える。太陽の代わりに月が出るように、星は寝静まる人の代わりに姿を現すのだろう。人々は窓の外から星を見上げ、混迷する未来に思いをはせたのかもしれない。星の下では商店街の方がぼんやりと小さく光っているのが見えるだけで、墨が塗られたような真っ黒な闇が街を覆っていた。窓の隙間から入り込む風は冷たい。
部屋には蝋燭が3本、空気の流れに沿って時折揺れる。厳かなその光は明るすぎず、部屋を照らしていた。この時代の人には夜の明かりは必要ない。そもそも夜は暗くて当たり前なのだ。
蝋燭とは古代エジプトを起源とするもので、すでにこの時代の中国にも伝わっている。このころから一般的に普及するようになったらしい。勿論、蝋燭立てや蝋燭自体に施された細工は一般のものとはかけ離れている。明かりの中に竜の彫刻が浮かび上がる。
薄暗い明かりの中、四人の姿がある。小柄な三人は椅子に腰かけ、もう一人は直立していた。
その中の一人、華琳は泣き顔の少女に尋ねる。
「ねえ、あなたたちのこと、教えてくれない?」
流琉は赤く目を腫らしながら、小さく頷いた。
三年前、汝南の山中。季衣と流琉は息を殺していた。草むらに全身を隠し、うつ伏せになった彼女たちは、前方の様子をじっと見つめていた。その視線は彼女たちの年齢にふさわしくないほどに鋭い。一昨日雨が降った地面は、まだ湿っていた。
その時、彼女たちの視界に巨大な足が近づいて来る。
ザッと二人はほぼ同時に飛び出した。一気に視界が広がる。季衣は斧、流琉は小型の刀を構え、その巨大なものに襲い掛かる。互いに叫ぶ声。逃げようとしたが、季衣が足払いを食らわせる。そのよろめいたところに、流琉が背中に飛び乗る。振りほどき、必死に逃げようとする。しかし季衣が今度はその顔めがけて斧を振り下ろす。そして…
「「やったー!」」
猪の巨体の隣でバンザーイと二人は喜びを爆発させる。最後は流琉が猪の首元に深々と刀を差し、その体は倒れた。100㎏はあるかと思える体はぴくぴくと地面で動いているだけであった。
「久々だね。こんなに大きいの」
「村のみんながおどろくぞ~」
足を縛った猪をぶら下げた太い枝を担ぎながら二人は歩く。その顔は喜色で染まっていた。
普通の小さな子供の仕事と言えば、農作業の手伝いや野草採りであった。当然だが、子供の能力に見合った仕事だけしか、させてもらえない。大人と子供、それぞれの役割を演じるのがふつうである。
だが、この二人は違った。生まれ持った怪力は他の大人より既に強く、俊敏さも他を圧倒していた。そのためこの二人には重要なタンパク質の確保のため、“狩り”を任せられた。そして二人は村の期待以上の成果を常にあげていた。二人の良い性格も功を奏し、誰一人として彼女たちを気持ち悪がり、疎んじる村人はいなかった。彼女たちは小さな英雄であった。
季衣や流琉はそんな自分への信頼など計算していない。単純に褒めてもらいたくてやっているのだ。それが今の彼女たちの生きがいであった。
ところでこの時代の“道徳”というものについて少し話しておきたい。中国の道徳は孔子から始まる儒教を基礎とし、所作など日常行動に大きく影響している。宗教と言っても過言ではない。そう言っても、普段の生活においては現代とそう大差ない。「親を大事にしなさい」とか、「悪いことはしてはいけない」とかだ。
しかし現代と違う点が一つある。それは“非常時”という存在である。
「流琉……なに…あれ…」
「え?」
季衣の言葉に促され、流琉は遠くを見た。村の方から煙が上がっている。ただの煙ではない。ごうごうと立ち上る真っ黒な煙の中に、二人は人の叫び声を聞いた。
大事な獲物を放り出し、二人は急いで走り出す。視界が開けた崖の上、二人は山のふもとにある村を見た。
彼女たちの村は山中に切り開いた所に位置する。町から遠く、外から来る商人は少なかった。でも村人全員がお互いの顔をしているほど仲が良く、村全体が家族のようなものだった。村は平和そのものだった。
そんな村が焼けていた。
黒煙は村全体を覆い、小さくとも見えるはずの家々は全く見えなかった。木だけではない、何かが燃える匂いがここまで来ていた。
「流琉!あれ!」
季衣は村の中央に指を指した。流琉はその示す方向に鎧姿の兵士の姿を見た。
先ほどの話に戻ろう。彼らは“普段の”道徳とは別に、“非常時の”道徳も常に教えられていた。それはつまり
『いざと言う時には、道徳とかそんなものは捨てて、自分の身だけ案じなさい』
ということである。
この時、流琉もこの“教え”に従おうとしていた。
「季衣!逃げよう!」
ところが季衣の足は動かない。季衣の袖を強く引く。
「季衣!!」
「で、でも、父ちゃんが、母ちゃんが!」
その時、季衣は見てしまった。仲の良かった友達が逃げ惑い、その後ろから兵士が追ってくるのを。流琉も見た。遠くから見るその姿は、小さくとも確かにその子だった。そしてその彼女は不運にも転び、兵士が後ろから剣を構える。
「やめろー!!!」
「ああ!!」
勢いよく剣は振り下ろされ、彼女は最期の断末魔を叫ぶ。いや、実際には聞こえなかったのだが、心の中で確かに伝わってきた。兵士が立ち去った後、もう彼女が動くことはなかった。呆然と二人は立ち尽くした。
何故かは分からなかったが、季衣は先ほどの猪を思い出していた。
二人は走る。森の中。行くあてもなく。良く知った森なのに、何度も転びそうになる。一人が躓きかけても、もう一人が振り返ることはない。無表情のまま、必死に逃げ続けた。
日が傾き、木々が真っ赤に染まる。二人は森の中を流れる小さな川にたどり着いていた。さすがの彼女たちも疲れ果てていた。川の水を飲み、背中を合わせて大きな岩の上でへたり込んだ。これからどうする?二人の頭の中にはその疑問が大きく横たわっていたが、それを口にしてもどうしようもないことも知っていた。
無言の時間が過ぎていく。何も出来ない時間が過ぎていく。
「誰だ」
その時間を切り裂いたのは、二人を見つめる若い男であった。季衣と流琉は素早く岩から降り、身構える。流琉は右手に石を隠した。
「ま、待て待て!俺は怪しい者じゃない!」
良く見ると、その男の姿は貧相なもので、所々に傷がある。特に右腕に巻かれた包帯が痛々しい。季衣たちは警戒を解いた。
「君たちも逃げてきたのだろ?お互い、命があって何よりだ」
と言って男は、ニコッと笑いながら近づく。そして季衣たちが座っていた岩に坐ると、担いでいた袋から小さい弁当を取り出した。
「腹が減ったろう。一緒に食べるか?」
二人に握り飯を差し出す。すると先ほどの警戒心はどこへ行ったのか、季衣たちは飛びつくようにそれを取り、必死に食べ始める。少し塩気が効いた麦飯は噛めば噛むほど甘みが出て、おかずを必要としなかった。
「……あれ?」
季衣はいつの間にか自分の頬に水滴が伝っていることに気付いた。流琉もボロボロと涙をこぼした。まるで米粒がそのまま目から伝ってくるぐらい大粒の涙だった。
「すまんな」
と、若い男はつぶやく。それを皮切りに、季衣と流琉は声を上げて泣き始めた。それでも食べることを止めなかった。薄暗くなる川べりで、彼女たちは“生”を実感した。
不意に春蘭が振り向くと、戸から秋蘭が入ってきた。
「許緒の様子はどうだ?」
「寝てるよ。疲れ果てたらしい。なにせ、あれから町中を隈なく走り回っていたからな」
春蘭と秋蘭が、椅子に座る三人を見る。嫌な思い出を語り、沈鬱そうな流琉。しかしそれ以上につらそうな表情を浮かべていたのは華琳だった。
「華琳さま?」
心配そうに桂花が華琳を見つめる。持病の頭痛であろうか。手を差し伸べる桂花を華琳は制した。彼女もまた思い出していたのだ。
「…そう、あなた、汝南の…」
秋蘭は“汝南”という言葉で、ようやく頭の中のもやがとれた。
「ならばもしかすると、あの男!」
「…李民ね」
「「李民?!」」
華琳がそう断言すると、桂花は勢いよく立ち上がり、春蘭と共に驚きの声を上げた。流琉も驚愕をあらわにした。
「に、兄さまが李民さま?!」
華琳はしっかりと頷いた。
「華琳さまも薄々気づかれていたのですね」
「ええ。と言っても判断基準が声音だけだったから。似ているだけかと思ったけど」
「右腕の傷。これではっきりしました」
二人は自分たちの考えを確認し合った。他の三人はと言うと、桂花は取り逃がしたことに腹立ちぎみで、春蘭は腕を組みながら必死に思い出していた。そして流琉は
「曹操さま!」
と、華琳に詰め寄った。
「教えてください!李民さまとは、兄さまとはどういう人なのか!」
華琳の口を煩わせまいとしたのか、桂花が代わりに口を開いた。
「いい!奴は罪人よ!極悪非道の朝敵なの「桂花!黙りなさい!」え?華琳さま?」
桂花が自信たっぷりに口にした言葉を、華琳は遮った。桂花は戸惑った。これは自分の考えというよりは、“一般常識”に近いものであったからだ。
しかし桂花はもっと驚くことになった。
「彼は……英雄よ。間違いなく」
華琳はそう言った。今でも賞金を懸けられている“罪人”を彼女は“英雄”と言ったのだ。
「華琳さま…」
「桂花はまだあの時はいなかったわね。いい機会だわ。あの事件のことを話してあげる」
華琳は皆に着席を促すと、ゆっくりと語り始めた。
「これは私たちの始まりの話。そして罪を背負った話よ」
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久しぶりです。過去前編といった内容です。