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セブンスドラゴン2020「どうしてこうなった?」 /15.チャプター11 「洞穴探査⑥・人である事、竜でしかない事」

西暦2020。ドラゴンによる強襲で崩壊した東京…。

人の体として生きながらえた帝竜ウォークライ。彼は現状に満足はしながらも、自身がなぜ戦っているのかを思い出す。そして竜と戦う意味を考えていた。

そんな中、様々な者達は独自の行動を開始する

2013-01-10 09:17:06 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:1143   閲覧ユーザー数:1119

 

 普段は歩く事などないはずだった地下鉄の線路などというものは、そもそも電灯がまばらに点灯するだけの暗黒世界である。どこまでも続く長い長い薄闇の世界が果てしなく広がっているようにも思える。

 

 先程まではこの闇に紛れて竜や魔物が獲物を捕食しようと牙を研ぎ澄まし待ち構えていたのだが、今はそうした影はまったくない。それまで潜めていたバケモノどもは、いづこかへと消え去っていた。いいや、逃亡した、というべきだろうか。

 彼にはその理由が分る。いいや、彼でなくとも理解できただろう。この地下世界を支配する最大にして最悪の帝竜がその身を晒し咆哮をあげれば、それに恐怖しない生物などいようはずもない。

 

 そして今…、広大な坑道全てを叩き壊すかのように荒れ狂う激震、それに伴う轟雷のような音は断続的に続いている!

 巨大帝竜と呼ばれるザ・スカヴァーと、あのユカリの姿をしたウォークライとの戦闘が継続している証だ。

 戦闘開始よりすでに十五分が経過…、あの巨大生物を相手にこれだけの時間を戦えるだけでも驚異的というべきだろう。勝機があるかは別問題ではあるが。

 

 彼…、その男、臥藤は今、千切れた金属棒を杖の代わりにして戦いの場へと向かっていた。

 

 一歩一歩をゆっくりと、いいや、それでも急いではいた。ただ、亀の歩みにも似たその速度がいまの彼の出せる最大限だったのだ。身体へのダメージはすでに深刻なほどで、人の限界など当に超えている。常人ならとっくに意識を失い昏倒している程の重症である。だが、これまで傭兵として死地を渡ってきた経験が、その恐るべき精神力を生み出していたのだ。

 しかし、身体は正直である。出発時から響いていた鈍痛はすでに身体を引き裂かんばかりの激痛へと変わっている。全身を蝕(むしば)むその耐え難い苦痛を感じている臥藤ではあったが、それでも、彼が今思い悩むそれが途切れる事はなかった。

 

 

 ───俺はなぜ、ヤツを殺さなかったのか?

 

 間違いなく殺せたはずだった。チャンスはいくらでもあった。本部からの通信の時も無視してしまえばよかった。どうせ自分は死ぬ覚悟をしていたのだから、外向きの体面など気にする必要はなかったはずだ。それにザ・スカヴァーが現れた時も、ヤツが敵へと意識が流れている間に殺せる時間は十二分にあったのだ。

 

 なのに、殺さなかった。

 それどころか助言じみた策まで与えて戦わせている。

 

 ザ・スカヴァーが現れた時、俺はその驚異的な戦闘能力に魅せられていた。あの圧倒的な巨体を目にして、恐怖よりも心が躍った。俺がただの戦闘狂いだからなのか、憎い竜を殺せるからなのかは自分でも分らない。

 

 だが、そうだとすれば、なぜこんなにもウォークライを殺す事を躊躇(ちゅうちょ)する?

 竜を敵にして闘志が湧き上がるというのなら、なぜ俺はヤツを殺せないでいるのか?

 

 殺すんじゃなかったのか? ナガレの仇を討つんじゃなかったのか?

 憎んでいるはずだ。俺の魂はこの身を犠牲にしてもなお、ヤツに死という罰を与えんとしている。

 

 

 ではなぜ、殺せなかった?

 

 …足元まで届かない微弱な光だけが臥藤を照らし浮き上がらせ、その薄闇の中を自問自答しながら歩いていく。そしてその問いは答えがでないまま時間だけが過ぎていく。痛みと思考が自分を支配し、前に進んでいる感覚さえ失われているように感じた。

 

 そうであるから、彼が周囲への警戒を怠っていたのは仕方がない事だった。

 

 

 自分の後ろをつけている者がいた事に気づけなかったのだ。

 

 

 

「(ヒヒ…、知っている…知っているぞ。ムラクモだな。こんなところを一人で歩いてやがる。イヒヒヒ…)」

 

 薄汚れた紫色のスーツを身に付け、上着の内ポケットには先程くすねた拳銃が一丁。

 その眼光はやけに鋭く、瞳には凶暴な野心と狂気がどろどろになって混ざり合った思念が宿る。

 

 身長は百八十センチメートル程、痩せ型の男。

 

 

 横山というヤクザである。

 

 白髪の、学生服姿の少年、…氷竜との交渉が決裂した後、彼は別の出口から地上を目指していた。しかし途中でまたも大型竜の襲撃に遭い、辺り構わず逃げ回っていたら、こうして臥藤を見つけたというわけだ。

 

 

「(あの死に損ないの包帯野郎が仲間と合流するにしろ逃げるにしろ、…利用価値はありそうだ)」

 

 そんな時、たまたま見つけたムラクモの人間。どうしてあんな怪我人がこんなところを一人で歩いているのかなど想像にも及ばないが、この状況を鑑みれば一人であるわけがないと横山は考えた。どこかに仲間がいるのは確実だろう。

 あれだけの怪我だ、仲間と合流すると考えるべきだろう。なら、あの死に損ないを人質にとって仲間をブチ殺して装備を奪うのが得策だ。この先を生き抜くにはこの拳銃一丁じゃ心もとない。

 

 それに包帯野郎が自分と同じく竜から逃亡中だというなら、先程の豚どもと同じ使い方をすればいい。竜と遭遇したら、ヤツを餌にして俺だけは逃げればいいだけだ。ヤバイ状況なのは変わらないが、それでも有効利用する事で自分の生存率は上がるのだから。

 それにさっきから続くこの震動は只事じゃあない。これくらいの保険は掛けておかなければならない。

 

 …横山自身はこの先程から続く震動が帝竜ザ・スカヴァーとウォークライが戦っているものだという事を知らないし、まさかこの怪我人のムラクモ、…つまり臥藤が、彼らの戦うその戦場に向かっているという事実も知らないままだ。それを理解しないまま、保身のためにと戦いの中心へと向かってしまっている。

 

 しかし、当の本人は自分の優位を疑うことはない。

 

 

「(やはり俺は…、いいや、私は運がいい。こんな状況でもまだ幸運の方が俺へ向いてくる…)」

 

 自分の幸運が確実なものだと信じて疑わない。これが横山という人間を動かしている原動力だ。狡猾ではあるが所詮はただの人間。これ程の極限状態に追い込まれながらも、なんとか精神を保っていられるのは、この幸運という得体の知れない要素が故(ゆえ)である。

 

 確かに彼は運がいい。これまで生き残れた事、無傷である事、食料に恵まれた新宿までこれた事、竜どもに襲われながらも結局生き残れている事。これら全てが自分の幸運が招き寄せたものだと確信している。そうでなければ、これまで生存などしていられなかっただろう。

 

 その中で唯一の失敗であった福矢馬との交渉は、運ではなく話し合いの結果である。だから幸運が途切れたわけではない、と横山は考えているのだ。

 

 …そうやって自己満悦に浸っている横山。

 

 

 しかし、その彼もまた気づいていなかった。

 

 

 

 

 自分の後ろからついてくる存在の事を。

 

 

 

 

 巨体を蛇のようにうねらせ、正面から再度の突撃を仕掛けてくるザ・スカヴァーに対し、ウォークライは距離を取るどころか、逆にその距離を詰めるように加速する!! 正面からの加速と加速、インパクトの瞬間は一気に縮まった!

 だが、いかにウォークライでも正面から体当たりする程に愚かではない。臥藤と同じようにギリギリで突撃を回避するのだ! すでにタイミングは完璧に読みきっている。

 

 そして激突の瞬間、紙一重での回避!

 

 暴風と衝撃波で吹き飛ばされる前のほんの数瞬、ここが最大のチャンスだ!! 回避と同時に振りかぶった腕、その刀を握る腕に全ての力を注ぎ、大きく振りかぶっての最大の一撃を繰り出す!

 

 

「腹がダメでも! 横がガラ開きだっ!!」

 狙うのは側面、正攻法ではあるが、いまウォークライが突けるのはここしかない。

 ならば、狙える場所に最大の一撃を叩き込むのみ!

 

 だから、この一撃に全てを込める!

 いま自分が出せる最大の一撃! 絞り出せる全ての破壊力をこの一撃に集中させるのだ!

 

 身体にまとう赤い靄から生じる凄まじいパワーを握り締める刀へと集中し、破壊力を臨界点まで高めた。あの大型竜シールド・ドラグの大盾を打ち砕いた時など比較にならない脅威の破壊力をこの一撃に託すのだ!! 一瞬でもいい、たった一撃でもいい、このデカミミズを越える破壊力をぶつける!!

 

 

「喰らえぇーーー─ー!!」

 最大最強の攻撃を砲弾のごとき勢いで打ち出すウォークライ!

 まさに乾坤一擲(けんこんいってき)を狙う破壊の一振りだ。これだけの威力で貫けない敵など存在しない!!

 

 

 そして激突する───! 凄まじい破壊力と化した刀の一撃と、猛スピードで迫る巨体帝竜の甲殻が!

 

 

 だが、その渾身の一撃と同時に、ウォークライのその身は上空へと跳ね飛ばされる!

 

「───っ!!」

 それは声にすらならない叫びだった。突き抜けるのは全身を砕く凄まじい衝撃!!

 ウォークライの身体が宙に舞ったかと思った瞬間、激しい衝撃と共に天井へと叩き付けられたのである!

 

 確かに一撃は入れられた。コンクリートですら容易く突き破る硬度を持つ外殻を見事に破砕し、体液を噴出させる程のダメージをその身に与えた。戦車の砲弾ですら難しいであろう一撃を、刀の一振りだけで与えたのだ。

 だが、それと同時に跳ね飛ばされた!

 ”圧倒的な重量差”がある限り、その一撃で仕留めるような攻撃は意味を為さなかったのだ。

 

 …例えるならば、ダンプカーと軽自動車との衝突のようなもの。二台が同じ加速で正面衝突したとしても、吹き飛ぶのは軽自動車だというのは想像に容易い。それはもちろん、重量自体はダンプカーの方が大きいからこその結果である。ダンプカーも無傷ではないだろうが、跳ね飛ばされた軽自動車の方が損傷は遥かに大きい。

 

 つまり、いくらウォークライが破壊力でザ・スカヴァーの防御を超えようとも、それで追いつくのは単純な破壊力のみであって、重量差の分、それに加速で得た突進力の分をも上回る破壊力でなければ、打ち負かす事はできないという事である。

 

 もし、ウォークライが単純な刀での攻撃でザ・スカヴァーをぶちのめそうとするなら、この体重差+加速による総合的な破壊力をも覆すほどの破壊力を持たねばならないという事だ。

 しかし、全長二百メートルからなる数千tの重量を持つ巨体と、人間の女子、僅か五十kgにも満たないユカリの身体では話になるはずもない。この差を埋めるほどの攻撃など不可能である。それに加速も加わっているのだから、人間ごときでどうにかなるわけがないのだ。刀の一撃ではどうしたって限界がある。

 

 ザ・スカヴァーが突進攻撃を行う以上、この重量と加速を攻略できない事はすでに臥藤が立証済み。彼はそれを先んじて教えてくれたのだ。だというのに、そういう忠告を受けながらも、ウォークライにはこうするしか選択肢がなかった。

 ウォークライ自らが口にした腹という弱点を攻撃するという戦術は、ザ・スカヴァーに対しては不可能な攻略でしかなかったのである。だから勝つためにはダメであろうとも側面でも攻撃しなければならなかった。

 

 …そういう意味で、

 

 今の最大攻撃での突進阻止失敗は「討伐不能」という事実を突きつけられたに等しい。

 つまり、ウォークライではザ・スカヴァーを倒せない。

 

 

 これが現実だ。

 

 

 

 …天井にめり込み、そして自由落下に任せて地面へと落下するウォークライは、なんとか姿勢を保って地面へと着地する。しかし、頭から流れ落ちる血液の量は尋常ではない。身体を覆う赤い靄(もや)の防御力がなければ、即死どころか四肢が千切れて飛び散る程のダメージを受けていたことだろう。自分は間違いなく全身全霊を攻撃に費やしていたのだが、激突の瞬間、勝手に防御へと切り替わってくれたのは助かった。

 

「く…そっ! とんでもねー…ヤツだな…。うぐ…ッ…がは…!!」

 だが、偶然的に防御できたとはいえ、ウォークライの防御力を全開にしてもなお、かすっただけでこれだけのダメージを受けるというのも現実。あの突進をもう一撃でも喰らえば、たとえ防御したとしても命を落として有り余る。

 

 口から胃液を吐くように垂れ流されるのは大量の血液だ。すでに全身は至る所が損傷し、噴出した自らの血にとって塗れている。かすっただけで、ほんの少しの接触で、瀕死の臥藤の負傷を越えてしまっていた。いかにウォークライでも、これ以上の戦闘継続すら困難に見える。

 

 しかし、当のウォークライにとっては、現実だと事実だの、…そんな事はどうでもいい話だ。

 

「…痛ってぇ…。デカいだけのミミズの…くせに、ナマイキな…ヤツめ…っ!!」

 ウォークライは全身を軋ませ、気の狂う程の激痛を堪えてなお立ち上がる。平気だ、こんなもの大した事じゃない。たかが痛いだけだ。別に手足が千切れたわけじゃないし、動かないわけじゃない。目が見えないわけでもないのだ。少しでも動きさえすれば攻撃はできる。

 

 ゆらゆらと、意識も定まらぬまま立ち上がるものの、攻略方法はいまだ見つからない。

 腹が弱点だと知っていても攻撃しようがないのだ。戦略も何もあったものではない。

 

 しかし、それでも戦うことをやめるわけにはいかない。  アオイが傷つくなど、傷ついて死ぬなど、自分には想像すらできない。絶対にあってはならない。

 

 それがウォークライを奮い立たせる。強固な意思を込めた黄金の瞳が前を向く。

 攻略法などなくとも、何が何でも倒す以外に選択肢はないのだ。

 

 しかしその手段はない。

 

 

『Buooooooo───!! Fugoooo…Fugoooo…』

 どこからともなく、帝竜ザ・スカヴァーの声が聞こえた。まるで大きく呼吸するかのように、まるで失望の溜息でもついているかのように、深く深く底知れない敵意と共にウォークライの耳へと届く。

 

『───王よ、もう諦めるがよい。所詮は人の身、そのような姿でワシに勝てるはずがないのだ。どのような手を使おうとも、王が人である限りワシを倒すなど夢物語だ』

 

「うるせー!! 俺様はまだ死んでねぇぞ! くだらねー事ほざくな! ぶち殺すぞ!」

 威勢良く返答を叩き付けるものの、すでに叫ぶことですら辛い。表情を歪ませて痛覚を抑えるのがやっとの状態だ。

 

 

『…ならばどうする? このままでは雨瀬アオイは助からんぞ? 王と共に潰れて死ぬだけだ』

 

 その言葉にウォークライは硬直した。

 なんで…、なんでコイツが…。

 

 

『王は今こう思っておるのだろう? ”なぜお前がアオイの事を知っている?”とな』

 

「だ、黙れ!! どういう事か話してみろ! 聞いてやる!!」

『それすら分らぬか? 浅薄なことよのう』

 

 それから数秒の間が空き、ザ・スカヴァーは姿を現さないままその問いに答え始めた。

 

『…主要地域を制圧するために送られた竜、人間らが帝竜と呼ぶ我らには普通の竜にはない特殊な能力がある。渋谷を支配した花竜はその地を森へと変えた。台場を支配した氷竜はその地を氷で包んだ。…それと同じように、ワシもそういう力を持っている、という事だ…』

 

 

『ワシはな”聴覚が優れている”のだよ。この地中において全ての行動は把握しておる』

 

 

『音を感じる。…それは地中という光など一遍も差し込まぬ世界で生きるのには必要不可欠な能力だ。地中において方向を辿るには、音ほど確かなものはない』

 

『聴覚の精度はそれなりの自慢でな、僅かな音はもちろん、振動、風の流れなどの自然現象は当然として、生物の動きも全て把握しておる。生命の行動には必ず音が伴う。呼吸、心音、血液の流れ、骨の動き、…その全てをワシは音によって捉えているのだ』

 

 

『Buoo…、この地下を捜索していた事も、行方不明になった自衛隊員を探しに来た事も当然知っているし、会話も全て筒抜けじゃったよ。…そして王がいま、雨瀬アオイを救おうとしている事も知っている。それに彼女らがどこにいるのかもな』

 

 

『…つまり、ワシはいつでも彼女らを始末できる状況にあるという事だ!』

「───なに…っ!」

 

『ほぉら、心音が跳ね上がったぞ。脈拍上昇、体温も微妙に上がっている。分り易いのう…、Buoooo!!』

 

 ウォークライの動揺している間に、震動が天井付近から伝わってくる!!

 意識を向けた瞬間! その巨体をうならせザ・スカヴァーが地面から吹き上がってくる! まさかの強襲!

 

 咄嗟の判断で避けるウォークライ!

 

 しかし攻撃はそれだけでは終わらない!

 地下の建造物であるからこそのデメリットが最悪の追加攻撃となってウォークライの身に降りかかる。

 

 

 それは天井の崩落だ。

 

 突撃してきたザ・スカヴァーを回避できても、崩れた天井が巨大なコンクリート片となって降り注ぐ! 見渡す限りの天井が全て崩落を起し、回避をする場所すら塞がれその身に降りかかってくる! これはまさに狭い空間で戦うことの弊害だ。これでは、いかにウォークライが俊敏でも、逃げる場所がなければその全てを避ける事は不可能。巨大な岩石を切り裂く事は出来ても、小さな落下物まではどうする事もできない。

 

「ぐぁ…、ち、っくしょ!!」

 ザ・スカヴァーは突撃だけの攻撃ではあるが、それだけではウォークライを倒せないと理解している。相手が仕掛けてこなければ避けられるだけで終わりだ。だからこそ、その巨体を生かした行動でウォークライを追い詰めているのだ。しかも焦りはしない。慢心もない。じっくりと獲物が動けなくなるのを待ちわびている。

 

 ウォークライは今、鳥かごに閉じ込められた小鳥同然だ。相手はどこかからでも、どの方向からでも攻撃できるのに対し、こちらは逃げるどころか攻撃する事すら困難なのだから。しかも四方八方から破片が降り注ぎ、身体はどんどん傷ついていく。

 

『どうした?! 弱き人の身で死ぬか! 王よ!!』

 

 そしてさらに最悪な事に、ザ・スカヴァーには知恵がある。その巨体をどう生かせばいいかの戦術を心得ている。圧倒的な巨体、強大なパワー、行動を把握できる聴覚、…そして人以上の知力!!

 

 勝てるわけがない。

 

 

 

「くそ…、俺様は…、俺は…勝てねーのか!?」

 

 打つ手がない。

 いくらウォークライが脳筋でもそれくらいは理解できた。

 

 もしも自分が、ウォークライが竜の身体であったとして本当に勝てただろうか? 元の姿に戻っても、たかが十メートル級の竜だ。それがザ・スカヴァーという二百メートルを越える巨体を相手に勝てる道理はない。

 

 破片が飛び交い、落下物が降り注ぐ中を、懸命に駆けていた。

 しかしそれは先程までのような速度ではなかった。

 

 腕が折れていた。足の肉が削れていた。頭蓋骨にひびが入り、額からは大量の血が流れていた。臓器が損傷し、口から吐き出だす呼気は血に塗れていた。

 

 先程の天井の崩落を防御しきれずに負ったダメージが、無限の体力を持つウォークライを追い詰めていたのだ。塵や埃が舞い飛ぶ坑道内では呼吸すらままならない。確実に命が削り取られていくのを肌に感じている。

 

 視界が揺らぎ、手足が思うように動かない。それでも攻撃は終わらない。再び突撃してくる巨体が通り過ぎるのを回避するしかなく、崩落する天井からの落下物に傷つくしか出来ない。

 

 そこへ巨大帝竜のさらなる突撃!! ウォークライは全ての力を振り絞って横へと跳躍した! 迫り来る巨体、それと共に逆巻く突風、それ以上に絶対的な敵意が自分へと向かっていた!

 足の力だけを利用し、強く踏み込んで跳ぶ! 脅威が自分の背中わずか数センチ後ろを通り過ぎていく。

 ぎりぎりで避けられたものの、ほとんど爆風で吹き飛ばされて、着地もままならず地面へとバウンドする。

 

 飛んで消えそうになる意識を必死で保つ。鉛のように重い身体を無理矢理に奮い立たせてなんとか起き上がろうともがく。必死で立ち上がる!

 ウォークライは戦うために気力を振り絞って腕に力を込めた。そして血反吐を吐きながらも、その身を軋(きし)もうとも、それでも心折れる事無く立ち上がりながら状況を把握するために周囲を見渡した。

 

 

「なんだ…、ここ…」

 見渡して気がつく。そこは、長い一直線が続く線路だった。

 障害物も何もない線路。破片も崩落もほとんどない、ただ長く直線状に鉄道が伸びているだけの場所。

 

 他の通路に比べて少し広く、照明も多くて明るい場所だ。駅のホームという場所なのかもしれない。

 壁へ手をついてなんとか立ち上がりきったが、すでに戦闘が出来る状態でないのは自分でも分っていた。

 

 そこへまた、姿を見せないままの声が耳へと届く…。

 

『さあ、王よ。ここが終着点だ。…その様子では自分がそこに追い込まれていた事にも気づかなかったとみえる』

「なん…だと……?」

 

 なぜここで終わりなのかと、さらに視線を巡らせる。

 ───そして、見つけた。約百メートル先の線路の上に。

 

 

 

 見慣れた姿、忘れるわけがないその横顔。…アオイの姿がそこにあった。

 しかし倒れている。近くには同じように倒れた男。格好からして、じえーたいのヤツだろう。

 

 

「おい! アオイ! 大丈夫か!? アオイッ!!」

 必死に声を荒げても返答がない。ウォークライの感情が急激に凍りつかせる。だが、今すぐにでもアオイの元へと駆けつけたいのに肝心の身体は動かない。それがさらに焦燥を募(つの)らせていく。

 

 

『…心配せずとも、雨瀬アオイはかろうじて生きておるぞ。しかし、このワシを倒さねばどうせ死ぬ。王がこの場で死ぬのと同時に彼女も潰れて死ぬのだよ。一緒に殺してやるといっておりのだ、ワシは優しかろうよ?』

 

 これまでと同じように姿はないのに声だけが響く。威圧的であり、嘲笑(あざわら)っているかのような挑発。だが、これを跳ね除ける作戦などはない。ヤツを黙らせるには倒す以外に方法はないのだ。

 

『さあ、最後だ王よ。ワシはこのままこの直線状を疾走する。線路上にいる王がこれを防げなければ、全てが終わる』

 

 その気配を遠くに感じた。この一直線上の通路の先にいる。暗闇の奥底に潜んでいる。

 そこから最大加速で突撃してくる気だ。

 

 そう、巨大帝竜ザ・スカヴァーの言う通り、それで全てが終わりとなるのだ。

 

 

 ウォークライはどうする事も出来ずに敗北、つまり死を迎える。

 死は全ての終わり。その先には何もない常闇。叫びも懇願も何もかもが届かない虚無の空間。

 

 それが死。

 

 

 

「アオイが…死ぬ? 本当に死ぬ?」

 

 いいや、それよりも恐ろしい事がある。アオイが死んでしまう。アオイがいなくなってしまう。虚無とは永遠の孤独。誰とも交わらない無限の牢屋。そこにはシンジクトチョーの生活はない。アオイがいる朝も、昼も、夜も、寝る前も、すっとずっとそこにいるアオイが永遠にいなくなる。

 

 朝起されたり、ごはん食べたり、甘いの食べたり、ちょっと怒られたり、さんぽしたり、下級倒しに行ったり、頭撫でてもらったり、遊んでくれたり、手繋いだり、いろいろ話したり、荷物運ぶの手伝ったり、俺様の怖い正体不明から助けてくれたり。

 

 もっともっと色々あるけど、…その全てが零になる。

 その全てがなくなってしまう。

 

 それはいまのウォークライにとって、それは死よりも耐え難い真の絶望である。

 それだけ当たり前になっていた。

 

 彼女の存在は、いまのウォークライにとって、かけがえのない全てなのだから。

 

『…終着点で醜く潰れて死ぬがいい! 弱き王よ!!』

 

 そして始まる。正真正銘これが最後の攻撃!! そしてウォークライとアオイを分かつ運命の瞬間。

 ザ・スカヴァーは一切の容赦なく、何の躊躇(ためらい)いもなく、全力で突撃を開始した!!

 

 その直線上にはウォークライがいる。その後方百メートル付近には雨瀬アオイが倒れている。逃げ場はない。

 倒すか、倒されるか、運命はその二択以外に存在しない!

 

 

 

 どうする!?

 

 

 

 

 世界の全てを揺るがせる凄まじい衝撃と震動が轟音と共に向かってくる! まさに線路を塞ぐ壁面のような巨躯が正面から突撃してくる!! 回避できたとしてもアオイが死ぬ。今から走って助けようにも間に合わない。この巨大帝竜ザ・スカヴァーをこの場で倒す以外にアオイを救う方法はない。

 

 

 まさに絶対絶命!

 

 だが、どうやっても倒せない。正面からは止められない。弱点である腹部は攻撃できない。  自身の身体は限界に達している。この攻撃を跳ね返す手段など存在するわけがないのだ!

 

 

「アオイが…死ぬ…! アオイが…」

 しかしウォークライはその迫り来る事実に打ちのめされていた。決定した未来がすでに死の轟音を奏でて襲い来るというのに、その精神はアオイの事で頭が一杯だった。

 

 そう思ったら、自然と腕が前に出た。

 刀を握っていない左腕が。

 

 

 手の平をザ・スカヴァーの方へと開いて、待ったとでも言わんばかりに突き出した。

 そこで、ウォークライは無意識のまま呟(つぶや)く。

 

 

 

「…ふざけんな、誰がそんな事を許した?」

 

 輝くのはその身に残された唯一の瞳、左の目。黄金にきらめく輝きが異常な光度を宿している。まるで輝きは炎のように、太陽の熱を帯びたように生命の力に溢れている。

 

 

「アオイが死ぬだと? 誰がいつ、そんな事を許したと聞いている」

 

 今までにない程の勢いと共に紅(くれな)いの閃光がウォークライより噴出した! それまでまとっていた赤い靄は、押さえ込まれていた蓋が開いたかのようにユカリの身体から煌(きらめ)き、吹き上がっていく。

 

 ザ・スカヴァーとの衝突まで僅か2秒!! ウォークライは微動だにせず手を掲げている!

 

 

「止まれ。この先に進むことは俺が許さん」

 

 

 その呟きは力ある言葉。

 

 しかし、ただの意思表示ではない。竜の王が命令する重き言葉だ。

 王はその支配するモノを自在にする。目の前の何者をも掌握する。全てを屈服させる。

 

 それが例え竜であっても、世界であっても、理(ことわり)であろうとも、王の前にはそれら全てが従う以外にない。

 

 

 

 その重き言葉が囁かれた時、───帝竜ザ・スカヴァーは、止まった。

 

 

 …あの巨体が、全長二百メートルもの帝竜が急激に速度を落として停止した。ほぼ瞬間的に動きは止められたのだ。  あの加速を、あの重量を、あのパワーを、たった少し手をかざしただけで停止させた。触れてもいないというのに!

 

 電車がうまくホームに停車できるのは、駅に着く前からブレーキをかけているからであって、その場で停車しようとしても、オーバーランするのは当たり前である。それは電車の重量、そして加速を削ぐためには距離が必要だからだ。車は急に止まれない、というのと同じである。ザ・スカヴァー自身が停止しようとしても、眼前まで迫ったウォークライの目の前で停止できるわけがないのだ。

 

 

 しかし今、あの巨体が、ザ・スカヴァーの全身が、地面に沈んでいる!!

 まるで凄まじい重量で上から押さえつけられているかのように、ザ・スカヴァーは身動きできなくなっていた。

 

『Buooo…、これは…、とうとう出たか、王の、王たる力が…!』

 

 

 帝竜という支配者級の竜には、普通の竜にはない特殊な能力が備わっている。帝竜スリーピー・ホロウと呼ばれる花竜は占領する渋谷の街を森林化した。氷竜こと帝竜ゼロ・ブルーは占領する台場をまるごと氷付けにした。そして帝竜ザ・スカヴァーはこの地下を全てを把握するために異常な聴覚を有していた。

 

 それら特殊能力を個々に持つように、ウォークライも持っているのだ。

 王と呼ばれる程の、強力な能力を。

 

 

 それが”空間支配”である。

 

 それはかつて、新宿都庁を占領していた時に発現された。建物自体の概観は変わらないのに、周囲の一定空間の重力がゼロになって瓦礫(がれき)が浮遊していたり、その力場の重力方向が逆転していたり、ある階だけ天井と地面が逆転していたりと、通常では考えられない、想像を絶する力が都庁を取り巻いていた。

 

 それがウォークライの能力、”空間支配”という常軌を逸した特殊能力なのである。

 

 

 どうしてあの巨体のザ・スカヴァーが急に停止したのか? その理由は”自重の増大”にある。

 ウォークライは空間支配によりこの空間に干渉、制御し、ザ・スカヴァーの体重だけを数百倍に増大させた。

 

 加速の乗ったトラックがあるとして、その積荷が突然、積載量の百倍まで増えたとしたらどうなるだろうか? 多少の重さなら速度を落としても走るだろうが、数百倍ともなれば走る事など無理に決まっている。過多に増した重量が加速を削ぐからだ。車がそれなりの加速を得ていたとしても、度を越えて重くなり過ぎれば動かなくなるのは道理。

 つまり、ザ・スカヴァーもそれと同様に、自らの体重が急激に重くなった事で走れない状態になっているのだ。動こうにも上から押さえつけられて身動き取れない、といったところか。

 

 この現象は周囲の重力が増した状態に似ているが、実は根本的に違うものだ。

 

 空間支配はザ・スカヴァー以外に対しては一切の効果を発揮していない。もし周辺全てに重力を負荷すれば、ウォークライ自身も動けなくなってしまうし、自重に耐えられなくなった天井が崩落してしまいアオイらにも危険が及ぶ。だからこそ、ザ・スカヴァーの体重だけを変化させたのだ。

 

 これならヤツだけを動けなくする事ができる。

 ウォークライは自らの能力で、ザ・スカヴァーの突撃を停止させる事に成功したのだ。

 

 

 

 

 しかし───、

 

 

『Buooooooooo!!! だが、これだけで倒せたとは言えぬぞ!! ここからどうする!?』

 

 そう、倒せたわけではない。

 いかに凄まじい能力だとはいえ、所詮は一時的に動きを止めただけだ。

 

 この力がいつまでも続くわけではない。ウォークライが限界に達してしまえば解除されてしまう。…それでは意味がないのだ! 勝つためには、さらなる攻略法が必要だ! ザ・スカヴァーの動きを止めた、そしてどうする!?

 

 

「たかがデカミミズのくせに、口数が多いんだよ! テメーは!!」

 血塗れになりながらも、勇ましくも吐き捨てるように叫ぶウォークライ! そしてその黄金に煌く瞳はさらにその密度を増す! これまで以上に爆発的なまでの紅いの光が空間を揺らがせていく…。そしてその発現した力が及ぶ空間は、ザ・スカヴァーのいる部分だけだ。

 

 

 そして次の瞬間、

 

 

 天 井 と 地 面 が 逆 転 す る ! !

 

 

 これは、かつてウォークライが新宿都庁を占拠した時にも見られた特殊空間だ。建物自体は変化がないのに、天井であったはずの場所が地面に、地面であったはずの場所が天井になるという現象。

 

 逆転した地面が天井になった事で、身動きできないままのザ・スカヴァーは、そのまま天井から落ちてくる。

 

 

 

 裏 っ 返 し の 状 態 で! 

 

 

 

「これなら、腹だって攻撃できるだろがーーーーーー!!!」

 自重の増大で身動きすらできないザ・スカヴァーは硬直したまま、裏返しの状態で、地面となった天井へと叩き付けられた。そしてそこに出来たのは、一直線に続く、ザ・スカヴァーの腹部である!

 

 ウォークライは渾身の力で裏返ったザ・スカヴァーの腹へと飛び乗り、刀をその剥き出しの腹へと突き刺す!

 目の前には、弱点だけが伸びる腹部の道!!

 

 

「だぁぁぁりゃああああああああああああああああああああああ!!!」

 突き刺した刀をそのままに一気に駆け抜ける!! 一直線上に伸びる腹部を一気に切り裂いてゆく!

 ウォークライが死力を尽くして疾駆するその後から、切り裂かれた腹部より黄色い体液が盛大に吹き上がる!!

 

 

『Buooooooooo!!』

 

 ザ・スカヴァーの咆哮!! それは命を削り取る破滅の証! だが、ウォークライにはすでに自重増大の支配下能力を保つ力は残されていなかった。天井と地面を逆転させる力の行使もあと数秒も持たない。

 

 しかしその数秒で十分だった。ザ・スカヴァーの最大の弱点である腹部はいま、致死量にまで達するおびただしい体液を吹き上げていたからだ。

 

 これまでザ・スカヴァーは腹部を攻撃などされた事はなかった。常に地面と接触している事で、摩擦に耐えうる程度の強度以上を有していなかったその部位は、甲殻と違って戦闘に耐えられるほど強靭ではなかったのだ。そういう意味では、他のどの竜よりも腹部が弱点であったといえる。

 

 ゆえに、致命傷。

 

 ウォークライの攻撃は、ザ・スカヴァーという帝竜を倒すに十分の威力を持っていた。異常なまでに吹き上がる体液は濁りきったヘドロのようで、周囲の壁面や床、天井を次々と汚していく、それと共に響き渡る断末魔の叫びは、鼓膜を突き破るかのような衝撃となって襲い来る。

 

『なんたる…、なんたる力! これが王の……』

 

 一直線に頭の下から尾の先まで、龍頭徹尾というと意味合いは違うが、状況はまさにその通りである。身動きしないままその動きを停止していくザ・スカヴァー。そして最後尾まで斬り終え地面へと投げ出されるユカリの身体。

 

 

「へ…、へへ…、ざまあ…みやがれ…!」

 勢い余って地面に落ちて三回転、…そして大の字で横たわりながら呼吸を乱して全身で息をするウォークライ。

 だが、勝負は決した。

 

 追い詰められはしたが、それでもこの巨体をたった一人で打ち負かした。

 

 

 

 まさかの…逆転勝利である!!

 

 

 

「…あのトカゲ、やりやがった……!」

 ようやく現地へ到着した臥藤が声を上げた。怪我を押してなんとか追いつき、この最後の一撃を目にしていたのだ。しかし、まさか都庁で逆転された天井と床という異常空間をもう一度目にする事になるとは思いもしなかった。

 

 結局、あのトカゲ野郎はまたも生き残った。またしても殺し損なったというのに別段悔しくはなかった。むしろ、俺と対等に戦ったのだから、これくらい当然だという思いの方が強い。本当に気に喰わないが、よく倒したものだ。

 

 …そんな満足げな臥藤だったが、”それ”を目にして…戦慄する!!

 

 

「な………、な、なんて…ことだ……」

 なんと、あの巨体のザ・スカヴァーの身体が全て消え去り、黄色い靄(もや)と化して浮遊していたからだ!

 

 倒れた巨竜が靄となっていく。…それはつまり近くの生物に憑依、つまり乗り移るという前触れである。

 ウォークライがそうであったように、ザ・スカヴァーもまた、近くの生物に入り込もうという前兆!

 

 戦いはまだ終わってはいない、という事になる。

 

 

 

 

「へへ…、デカ…ミミズが…、俺様に…かなう…もんか」

 

 靄となって消えていくザ・スカヴァー。ウォークライは倒れて身動きすら取れない体ながらに勝利を確信していた。これでアオイを救えるのだと安堵し、地面に転がったまま喜びの声を上げる。急にヤツの身体が消えたのは変だと思ったが、それでも倒したのだからという事実の方が先行し、それ以上を考える余裕などない。

 

 そんなウォークライを目の端で捉えた臥藤ではあったが、今はそれよりも帝竜の靄が流れていった方向を注視していた。こうなってしまえば、これから何が起こるのかわからない。あの巨大帝竜を倒せた事は奇跡的ではあったが、それでもこの戦いの行方がまだ決していない事の方が気に掛かる。

 

 壁に出来た狭い穴を潜り抜け、身体をひねって線路へと降り立った。そこは一直線の線路。現在位置はちょうど左側に位置するウォークライが倒れている場所、そして右側に雨瀬アオイらが倒れている場所という中間地点といったところだ。そして黄色い靄は右の雨瀬らの方向へ流れていく…。

 

「くっ、まさか雨瀬に憑依する気か!?」

 靄の移動速度は人が走るのと同じくらいの速さで、いまの臥藤には追いきれない。だから阻止どころか目で追う事しかできなかったのだが…、その靄はどういうわけか雨瀬と自衛隊員を無視してその奥へと進んでいった。二人の人間がいたというのに、素通りというのが意味不明だ。

 

 臥藤は近くの人間に乗り移るものとばかり思っていたため、その素通りには困惑したものの、それでもザ・スカヴァーの靄はその先へ進んでいるという事実は残っている。あの靄はどこまで行く? 一体誰に入り込むつもりなんだ?

 

 靄が流れていくのは暗がりのこの線路の先、照明が届かない線路の方向だ。目で追う以外どうしようもない臥藤にはそれ以上を追求する事はできないが、これでもし人間ではなく、竜や魔物に憑依されたら完全に終わりだ。

 

 そのまま靄は奥へ奥へと流れていく。

 そして視線で捉えきれない先へと流れ…、闇にまぎれて見えなくなった。

 

 

 このまま…、何事もなければいい。

 

 だが、自身の傭兵時代、己がそう考えたときは常に最悪の事態に遭遇していた。それが臥藤が戦場で覚えた真実。死者が出て当然の戦場で、何事もないなどという楽観的観測はクソの役にも立たない。

 

 ちょうどそんな時、黄色い靄の流れていった方向から人影が見えた。

 こんなところに民間人が? …それを確かめようと声を出そうとした瞬間───、

 

 

 バンッ!

 

 

 そんな渇いた炸裂音と共に臥藤の右肩へと激痛が走る。

 

 

「───がっ! …銃撃…だと…?」

 

 搾り出すような疑問を口に出しながら為す術なく地面へと倒れ込む臥藤は、襲い来る凄まじい痛覚の悲鳴をその身に受け取りながら必死に絶えていた。油断していたつもりはなかった。しかし、銃撃されるというのはあまりにも想定外だ。

 

 次いで、脳に響くいけすかない笑いが耳へと届く…。

 

 

「ヒィ…ヒィヒヒ、ハーハハハハハハハハ…! くたばってねぇよなァ? ムラクモの包帯男さんよぉ」

 

 線路の先から現れた一人の男、そいつは薄汚れた紫色のスーツを着込み、痩身ながら目付きの鋭い男だった。銃を持つ手がやけに手馴れている。その異様な雰囲気から、まっとうな人間でないのはすぐに分った。

 

 

「…テ、…メェは…、何者だ?」

「何者だぁ? そいつはアンタらのがご存知なんじゃないのか? 探してたんだろ? 俺をよォ!」

 自分が把握している知識において該当する人物は一人しかいない。自衛隊を襲って車両を強奪し、この地下に潜伏していたという男だ。通路の先から現れた男がその当人であるとしても、どうしてこんな場所にヤツがいる?

 

 いいや、それよりも、あの黄色い靄が取り付いた相手が、まさかこの男!?

 雨瀬達を素通りした理由はわからない。だからって、コイツを選んだという事なのか…!

 

 トラック強奪犯人の男は臥藤が倒れている間に通路の奥側の雨瀬らの下へと走り寄り、自衛隊員の荷物を漁り始めた。しかし、元々あまり武器を所持していなかったようで、成果は芳しくないようだ。

 だが、自衛隊員に武器がなくとも雨瀬の装備が残っている。あいつは二丁の拳銃を戦闘用として所持している。それと共に補給物資も持っているはずだ。抜け目ないその男はすぐにそれを見つけ、雨瀬のバッグへと手を伸ばした。

 

 ヤツがどんな身体能力を持っているかは分からない。だが、ウォークライのように巨大竜に勝利するほどの特別な何かを持っているとすれば、それは脅威だ。

 

 見たところ、最初のウォークライのように行動が不自由というワケではないようだ。しかし、そういった構造がウォークライとは違っていても、なんら不思議はない。今のところは普通の人間と大きな変化はないが、現時点で得た強さに気づいていない、もしくは慣れていないという事も予測できる…。

 

 

 

「てめー!! 何やってやがる! アオイから離れろ!」

 そこへウォークライがやってきた。刀を杖代わりに歩いている。しかしその姿は、全身が血に汚れ、傷つき、足を引きずりながら満身創痍でこの場まで辿り着いたようであった。

 

「くっ、さっきのバケモノ小娘かっ!」

 男はその姿を認めると、慌てた様子で雨瀬を人質に抱えて後退しようとする。しかし、女とはいえ人間一人を抱えるのは無理だったようだ。そこでヤツは事もあろうに…。

 

「いつまで寝てやがる! 起きろ! クソ女がっ!!」

 気を失ったままの雨瀬の腹部を思い切り蹴飛ばした! かなり本気で蹴ったようで、衝撃で雨瀬の身体が浮き上がるほどである。いくら戦闘に身を置いているとはいえ、女に対してやるような事じゃない。

 

「ぁが…、は……うぐ……」

 そして、まったくの手加減ない蹴りに痛みに悶える雨瀬。そして無理矢理に意識を覚醒させられ、混濁した意識のままで立たせられた。激痛に顔を歪めながらも、ふらつく足で弱弱しく立っている。

 

 そこで気になったのは雨瀬の状態だった。普通の気絶にしては様子がおかしい。あそこまで蹴られて、それでもハッキリと意識を取り戻せないとすれば、薬物か何かの症状ではないかと推測される。あのシンイチロウとかいうオカマ野郎がこの場にいない事と関係があるのか? そもそも、オカマ野郎はどこに消えたっていうんだ?

 

 

「アオイに何すんだ!! ぶち殺すぞ!!」

 突然の暴挙に怒りの声を上げ、駆け寄ろうとするウォークライ。

 

 そこで再度の銃砲!!

 

 

「うがっ!!」

 その弾丸はウォークライの右足に命中し、ウォークライは堪らずその場に転げる。普段であればそんなもので怯むウォークライではないのだろうが、先程の戦闘で力を使い切っていたせいで、まともに飛び掛ることもできないようである。いいや、飛び掛るどころか動くことも出来ていない。赤い靄で防御力を得ることも出来ないようだ。あれだけの死力を尽くしたのだから無理もない。

 

「ぐ…、くそ…、あんなもんで…」

「動くなバケモノ!! …コイツがどうなってもいいのか?! あァ?!」

 雨瀬のこめかみに銃を突きつけ、人質とする犯人。ウォークライの登場にかなりの焦燥を抱えているようで、慌てぶりが異常である。あの怯え様…、やはり、ザ・スカヴァーが憑依した事がそうさせるという事か。

 

 ウォークライは苦痛を隠すこともなく、再度、刀を杖代わりにして立ち上がる。ヤツは俺よりも重症だ。意識を保っているだけでも辛かろう。しかし、それでもウォークライは雨瀬のために犯人へと牙を剥いている。俺自身もようやく立ち上がる事ができた。

 

「こっちにはなァ、人質がいるんだよ。分ってんのか? バケモノ小娘?」

 犯人は自分が優位とみると、余裕が出来たのか不敵な笑みを浮かべ、こちらを見下している。そしてヤツは銃を雨瀬のこめかみに当てて距離を取る。ウォークライはいまの銃撃を受けたことで、あれで雨瀬が撃たれる事を恐れてか身動きできないままでいるようだ。

 

 

「俺の名前は横山。間抜けな自衛隊のヤツらを騙まし討ちした悪党さ。…まあ、お前らは俺を探してたんだ。知ってるよなァ? そうだろ? 包帯男さんよォ」

「ふざけんなムラサキ! テメーの事なんてどうでもいい!! アオイを放せ!! 殺されたくなかったらな!」

 

「うるせぇんだよクソがぁ!! 俺がいま喋ってんだ! 邪魔してんじゃねぇ!!」

 冷静そうに話していたと思えば、急に激情的になる。…この横山という男、感情に任せて悪事を働く輩のようだ。こういうタイプには小物が多いが…、だからこそ挑発ですら容易く発砲するような危険なタイプでもある。図に乗せると何をやり出すか分らない。

 

「いいや、落ち着けよ俺…、いつものように落ち着くんだ、俺ではない、俺ではない、俺ではない!! 俺では…ない!」

 横山という男は急に独り言を呟いた。明らかな異常と共に、狂気が増しているのが分る。

 

「フフフ…、すまないね。私は非常に困っているのだよ。諸君らムラクモが こ の 私 を !! …指名手配などしてくれたものだから、この過酷な世界で竜以外からも逃げ回る事になってしまった…、だがぁ?」

 

 横山は、雨瀬の顔に自分の顔を近づけると、やけに長い舌で雨瀬の頬をベロリと舐める。

 

「い…や…、やめ…て…」

「ヒヒヒヒ…、いい女じゃねぇか…、最近は女を食うヒマもなかったからなぁ、匂いだけで昂ぶっちまうぜ」

 意識はまどろんでいても嫌悪感までは拭えないようで、雨瀬は顔を背けようと抵抗するが、身体はまだ言う事を効かないらしい。これでは雨瀬が自力で虚を突くような行動は期待できないだろう。それと同様に未だ意識がないまま倒れている自衛官からの行動も当てには出来なさそうだ。

 

「おい、ムラサキ!! アオイが嫌がってるじゃねーか! 本気で殺すぞ!」

 満足に動けないながらも、抗議の声を上げるウォークライは怒りの表情を顕わにしている。だが、拳銃が雨瀬に向けられている事もあり行動には出れないでいる。もちろん、近寄れるほどの体力もない様子だ。

 それを見て恍惚な表情をする横山は、なんとも気持ち良さそうな顔のままに告げた。

 

 

「…私はねェ、さっきから君の戦いを見ていたんだよ。驚いた事にあの巨体相手に勝利してみせた。これは驚きだったわけだよ。今日は驚いてばかりだが一番の驚きは君だ。君のような学生に、まさかあのような力が眠っていようとは! まさにブラボーと声を大にして叫びたい気分だ!」

 

 

「しかしィィィィィ!!!!!! それで思い出したんだよ!! ムカつく学生服のガキをなぁぁぁ!!」

 

 それと共に発砲! 二度の銃声が共に命中!! それぞれウォークライの左肩と右脇腹をえぐる!!

 信じられない命中精度だ。十五メートル近くも離れている場所から、なぜピンポイントで銃弾を命中させられる?

 

 ナガレの銃撃もかなりの腕だったが、こいつも想像以上のセンスを発揮している。少なくとも、素人ができる芸当じゃあない。この距離でのピンポイント銃撃は雨瀬でも無理だろう。

 しかし、ザ・スカヴァーが身体に入り込んでいるならば説明はつく。ユカリの身体を有り得ないほど強靭にしたのと同じく、ヤツの感覚も異常に鋭敏になっていると考えれば納得できる。

 

 そうであるとすれば、こちらは先手を取れないという事実が浮き彫りになってしまった。

 

 

「うっく…、アオイは…、無事…だよな…」

 ウォークライが立ち上がる。全身が酷い傷で、流血に加えて足も満足に動かせていない。いまはただ、執念で動いているゾンビのように雨瀬の下へと向かっている。精根尽き果て、赤い靄はまったく出せないようであった。

 

 俺が殺さなくとも、すぐに死にそうだ。それが臥藤の持った印象だった。今ならさっきよりも簡単に殺せるのは明らか。腰に装備しているナイフで刺し殺せば間違いなく一撃だろう。

 

 …しかし、殺す気になれない。

 俺はさっきから結局、こいつを殺せないままだ…。

 

 チッ、理由を考えるのは後回しだ。今は目の前のこの男をなんとかしなくてはならない。

 その思考がまた逃げだと思考の憶測で理解していながら、俺は横山へと意識を向ける。

 

 

「ユ、ユカリ…ちゃん…、逃げて…、お願い…だから…」

 苦しげな顔で、なんとか声を絞り出す雨瀬だが、相変わらず動けないようで、声を出そうにも口が満足に動かないようだ。ウォークライへと手を伸ばそうとしているが、麻痺した身体が反応していない。

 

 その雨瀬の非力な抵抗が、横山をさらに調子に乗らせている。

 

 

「私はなぁ!! 学生服というのが大嫌いになったんだ! 大嫌いなんだよ!! まずはガキ、お前を殺してやる。次いで包帯男、そしてこの女とそこの自衛隊!! そして新宿都庁に乗り込み、日暈ナツメをブチ殺して! 俺がトップになってやる!! 俺はあのジジイを見返してやる!! 俺が蛇だという事を分らせてやる!!」

 

 もう話し合いが通じる状況ではないようだ。あの横山という男、理性のタガが外れ、精神も異常をきたしている。とてもじゃないが言葉が通じるような相手ではなくなっている。

 

 そしてまた銃撃!! 今度はウォークライの刀を握る腕関節に直撃!! 刀で身体をなんとか支えて立っていたウォークライはバランスを崩して地面へとつっぷす。

 

 

「ヒィヤーーーーーーーーーーーハハッハハハハハッ!! どうだ! これでお前はただのイモムシだ。学生服なんぞ着てるから最初に殺されるんだ」

「ぐっ…、くそ…アオイを…、アオイを…放せ!!」

 それでも雨瀬を心配するウォークライは、横山から鋭い眼光だけは外さず、全ての敵意をその眼光に込める。だがそれも横山の高揚を妨げる事にはならない。それどころか、そうしたささやかな抵抗がさらにヤツを喜ばせている。

 

「お願い…、だからその子にはもう…手を…出さな…いで」

「黙ってろ女ぁ!」

 横山は握った銃のグリップ部で雨瀬の頭を殴りつける! それと共に額に流れるのは雨瀬の赤い血だ。

 

「アオイ!! …キ、キサマぁ…、殺してやる! 殺してやるぞ、絶対に!!」

 地面に倒れたままのウォークライが這うようにして敵意を向けるが、全ての力を使い切ったその身はどうやっても動くことはなかった。悔しさを滲ませるウォークライは折れた腕を懸命に動かすが、それは全て空振りに終わる。

 

「ヒヒ…攻撃したいかぁ? したいよなぁ? この女がそんなに大切かぁ? 大切だからそうなってるんだもんなぁ。イーッイイイ! なら、とっとと死んで俺を楽しませろ、学生服のバケモノ小娘が───」

 

 横山はさらに発砲しようと引き金を引こうとするが、倒れたウォークライに向けた銃を途中でやめて手を戻す。

 

 

「んん? なんだこれは? おい、女、お前腹に何を隠してやがる」

「う…、それ…は…」

 何かに気づいた横山は雨瀬の腹部に隠された何かを探っていた。抵抗しようとする雨瀬ではあったが、満足に動けない身体ではそれを阻止する事もできないようだ。

 

 そして腹部から取り出されたそれは、───拳銃だった。

 

 鈍い銀色の光を放つ使い込まれた銃。それには、たった一発しか銃弾が込められていない。

 過去、ウォークライとの戦いで残った銃弾。それは竜に効果がある特別のもの。

 

 第二種・特殊DK鋼弾。

 臥藤が雨瀬アオイに使うよう渡された、ウォークライを殺せる銃弾が装填されている拳銃。

 

 

「待って! それ…は…それは…だめ…、それだけは…!」

 必死に取り戻そうとする雨瀬だが、やはり身体が動かず手を伸ばす事もできない。だが、必死な理由は分る。誰よりも俺が理解している。俺が渡したものだからだ。あれはナガレの形見、竜を滅ぼすという意思が込められたものだ。

 

「こんな銃を隠してやがったのか! したたかな女だ。 ならば褒美に、これであの学生服を殺してやる!」

 そして横山は、銃口を倒れたままのウォークライの頭へと向けた。

 

 

 

 

「やめて…! お、…お願い!! やめ…て! 撃た…ないで!!」

 雨瀬が必死に銃を取り戻そうともがく。先程よりも少し腕や身体は動いているが、身体が動かないことに加え、男の筋力で押さえつけられているため、横山には障害にすらなっていない。

 

 薄く狂った笑みを浮かべる横山は、銃口を向けて静止している。地面から見上げて殺意を送るウォークライの視線が可笑しくてたまらないようだ。今すぐにでも撃ってトドメを刺してもおかしくない状況。

 

 

 そんな中で、俺はただ複雑な心境だった。

 

 

 ウォークライを殺すために雨瀬に渡した銃。

 それはナガレの無念を晴らすためのもの。恨みを叩きつけるためのモノだ。

 

 あの特殊DK鋼弾で頭を撃ち抜けば、間違いなくウォークライは死ぬだろう。すでに立ち上がれない程に弱っているのだ。確実に殺すことができる。

 

 雨瀬に渡しても使う様子がなかったが、まさかこんな形で使われる事になるとは思わなかった。本来ならムラクモの手によってトドメを刺したかったが、結果的に殺す事が出来るのだから問題はない。

 

 

 

 

 

 ………問題はない。そのはずだ。

 

 

 

 

 俺が殺すと連呼して、結局は殺せなかったウォークライを殺してくれるんだ。問題なんてあるはずがない。

 何も文句などあるはずがない。

 

 だが、俺の心が納得していない。

 何に納得していない? なぜ俺は躊躇(ためら)っていた? そして今、どうして心に問う?

 

 

 迷いなんてない。ウォークライを殺せればそれでいい。

 

 

 

 だが、少しだけ気に喰わない。

 あの横山という男が、卑劣である事が気に食わない。

 

 俺やナガレや他の自衛隊らと正面から戦ったウォークライをこんな手で殺されるのが気に喰わない。

 

 俺は人類のためというより、俺の誇りを賭けて戦った。ナガレもそうだった。自衛隊の連中もそうだ。

 しかし、あの横山はどうだ? 戦いの誇りが欠片でもあるのか?

 

 ウォークライだって、俺達と都庁屋上で戦った時には、他の竜の介入を許さなかった。

 俺達は敵同士ではあったが、互いが互いの誇りを賭けて戦った。

 

 

 

 殺せればいい。それがきっと正しい。

 

 

 

 

 

 しかし………。

 

 

 

 

 

 

「待て、横山! このクズが!」

 気がつけば怒鳴っていた。この小汚い男に腹が立っていた。理由なんて知ったことか。

 俺は腰に収納していたナイフを引き抜き、横山へと構える。

 

 

「なんだ、包帯男。私は今とても忙しいんだ。後にしてくれないか? こいつを殺してから───」

「黙れこの黄色靄のミミズ野郎! そいつを殺す前に俺と戦ってみせろ。俺に勝てたら都庁でもなんでも潰せばいいさ」

 その言葉に横山は急に顔色を変えた。正確には、その言葉のたった一部分に、だ。

 

 

「俺を…、俺ををををををををををををを!!!!! ミミズとぉぉぉぉぉ!! 呼ぶなぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 それまでの余裕を全て吹き飛ばして激情を顕わにする横山! ウォークライに向けられていた銃口が、臥藤へと向けられる! そしてまったく躊躇なく、引き金を引こうとする───。

 

 

 

 その時だ、

 

 

 

『人でありながら他人の事を思わず、逆に竜でありながら人の事しか頭にない。それはどちらが人なのかのう?』

 

 帝竜ザ・スカヴァーの声が周囲に響いた。その場にいた全員が、俺も、横山も、雨瀬も、そしてウォークライもが目を剥く。まさかここで帝竜の声を聞くとは思わなかったからだ。

 

 

「だ、誰だ!! どこに隠れてやがる!! 自衛隊の生き残りか! 出て来い! ブチ殺してやる!」

 横山はその声に過剰に反応し、何もない中空へと銃を向ける。しかし、声の出所は誰にも分らない。先程と同じように、地下鉄坑内という狭い空間で音が反響しているために位置が特定できないでいるからだ。

 

 この声の主は間違いなく帝竜ザ・スカヴァーだ。何度も聞いているのだから間違うはずはない。

 では、あの黄色の靄は横山の身体に入り込んだわけではないという事か? 何が何だかさっぱりだ!

 

 

『竜は自分の事しか考えない。それは生物の本能が知性を上回っているからだ。ゆえに他人を思いやらない人間は竜と等しく、竜でしかない。…だが、人を思いやる竜は、果たして竜なのか? それは人ではないのか?』

 

「クソ! 出て来いと言っている! この蛇と呼ばれた横山様が命令しているんだぞ!!」

 横山はどうやら帝竜ザ・スカヴァーが喋る事を知らないようだった。俺には聞こえていた声が、ヤツには聞こえなかったという事、それはつまり、ヤツがザ・スカヴァーではないという事にも繋がる。ザ・スカヴァーであるのなら、こんな怯え方はしないはずだ。

 

『お前は人でありながら人ではない。竜にも劣る外道だ。恥を知れ、クズめが!』

 

 

 その声を同時に、横山の背中に何かが当たり突き飛ばされる!

 

 

「うお…あああっ!?」

 かなりの衝撃だったようで、横山は身体ごと前へとつんのめってしまい、雨瀬を放して転げた。

 

 

 俺はそれを見逃さない!

 

 己の身体の中で唯一、自由が利くナイフを右腕をひねって投げる! それは見事に横山が銃を握る腕の肩口へと突き刺さった! 銃を取り落とし、悲鳴を上げる横山!

 

 

「クソ…、クソがぁぁぁ!!! クソがぁぁぁぁぁぁ!!」

 ヤツは脇目も振らずに…、逃げ出した。俺のナイフを肩に刺したまま、少しも振り返らず全力で逃げていった。もちろん、あんなクズは追撃して捕えるべき男だが、生憎(あいにく)といまの俺達にはそれを実行できる者はいない。

 それよりも、その場にいた者の目を釘付けにしたのが、それである。

 

 

 

 横山の背中を突き飛ばした正体。

 

 

 

 

 

 

「…何かね? ワシの顔に何かついておるのかね?」

 

 帝竜ザ・スカヴァーの声を発した正体、それは…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「豚(ブタ)…だと?」

「ぶお~、ふごふご…。いかにも。この姿は豚という家畜のものじゃな」

 

 それは間違いなく豚であった。まだ成長途中らしき子豚である。

 小さな足でよちよち歩く、大人の猫よりも少し小さい体つきをした肌色の丸々しい豚であった。

 

 

 

 

 ……どうして…こうなった?

 

 

 

「いや、救助が遅れ申し訳ない。あの横山という男の後ろを歩いていたこの子豚の身体を拝借したのだが、同調するのに時間が掛かってしまった。…まさか、あの下賎が王を襲うなど考えもしなかったのだ」

 

 子豚はちょこちょこと歩くと、雨瀬の下に行き、未だに動けないまま腰を下ろして座り込んでいる雨瀬の背中に飛び乗る。そして鼻をひくひくさせると飛び降りた。残された俺達は誰一人動く事なく、目を向けたまま固まっている。

 

「…あの…、豚…さん?」

「雨瀬殿は軽い神経毒を受けたようじゃな。この程度の毒ならあと十分もすれば回復するじゃろ。もう少し我慢されよ」

 そう言うと子豚はその足でトコトコと歩き、倒れたままのウォークライの元へと行く。

 

 

「王よ。このワシの行った数々の無礼を許されよ。これも王の力を試すため。試練の一環とお考えいただきたく存じますぞ。もう少し早く覚醒していただけると思ったのでな、苛烈に攻めすぎたのは反省致すところですじゃ」

 

 そう述べて愛らしく頭を下げた。

 その一連の流れをウォークライを含む全員が言葉もなく眺めている。

 

「…おい、お前」

「ぶお~…、はて、なんですかな?」

 そんな中、ようやく口を開いたのはウォークライである。

 

「なんですじゃねぇ! お前さっきのデカミミズなのか? なんで豚なんだ?」

「それはもちろん王と同じですぞ。気の合った相手の身体を宿主としているに過ぎませぬ。ちょうどよく餌を探して歩いておったこの豚は、実に神経が図太くノンキでな、ワシにぴったりだったのですよ」

 

「ちょうどよくって…、気の合った相手?? ほんとか?」

「ぶー、ふごー。もちろん本当ですぞ。王もそのようにして、その身体になっておるのでしょうに」

 

 

「ぬ…? ぬぬぬ???」

「それよりも、いつまでも寝てないで、雨瀬殿の所に行きなされ。ワシの力を少し分けたので動けるはず」

 

「ん? あっ! ほんとだ!! アオイ~~!!!」

 さっきまで少しも動けなかったウォークライが、少しだけ力を取り戻したかのように立ち上がり、慌てて雨瀬の方へと走っていった。まだまだ回復してはいないようだが、あれだけ元気となれば、あとは勝手に回復する事だろう。

 

 

「せん…ぱい…、無事でした…か? そんな怪我して…、私、また足を…引っ張って…」

「どうでもいい! そんな事どうでもいい!! それよりアオイ、大丈夫か! 頭痛くないか? 死んだらヤダぞ」

 ウォークライは雨瀬を抱きかかえると、心配そうに頭の傷を見ていた。そんな中、まだあまり動けない雨瀬がウォークライを包み込むように抱き締める。

 

「ごめ…んなさい…。信じて…あげられなくて、…私が、あんなモノを…持って来な…ければ、もしかした…ら、撃たれて…、死ん…でしまったかも…しれないの…に」

「お? おお? なんだ? アオイどうした? やっぱり痛いか? 顔舐められたからか?」

 

 まったく理解していないウォークライだが、それでも雨瀬は涙を流し続けた。雨瀬はウォークライを大切にしていながらも、あの銃を持参したという自身の迷いが許せないのだろう。それで撃たれて、殺されていたかもしれないのだ。

 

 

 

「………………」

 

 俺はそんなヤツらの姿を目にしながら、その場に腰を落とし、懐にしまってあったタバコを取り出して火をつけた。さすがの俺も、モクでも吸って状況を整理しなくちゃやってられん。謎は残っているものの、危険はもう去ったようだしな。

 仮にこの豚が元のザ・スカヴァーの姿に戻って襲ってきたとしても、抵抗する力なんてこれっぽっちも残っちゃいねぇ。もう、なんとでもなれだ。クソったれ。

 

「…で、お前。本当にさっきの巨大帝竜なのか?」

 肺へと煙を吸い込みながら、人語を話す子豚に向かって確認を取る俺は、半ばヤケクソになって状況を受け入れていた。もう皮肉を言うのも面倒臭くなってしまったし、ジタバタしても仕方ない。

 

「ぶーー! 左様。ワシは人間らがザ・スカヴァーと名づけた帝竜じゃ。竜としての立場は王に仕える守役といったところ。手荒な真似をした事については勘弁願いたい。その詫びと言ってはなんだが、行方不明となっている自衛隊の居場所や安否も全てムラクモに伝えるし、捜索の協力も惜しまぬよ」

 

 視線の向こうでは、相変わらず泣いている雨瀬に慌てているウォークライの姿が見えた。

 

「ぬぬぬ…、おいアオイ! やっぱり顔舐められたのが気に喰わないのか! よし、それなら俺様があのムラサキよりもっと舐めてやるぞ! 一回か? 百回か? 三百億回か? 好きなだけ言え? 俺様いくらでも舐められるぞ」

「きゃ…、せ、先輩…、ひゃめて…、もういい…ですって…ば」

 

 

 はー、何やってんだあいつら…。

 

 ついでといってはなんだが、意識不明のまま倒れていた自衛隊の男も目を覚ましたようだ。雨瀬と同じく身体の自由がいまひとつのようだが、この豚の言う事が正しいのなら時間をおかずに回復するだろう。

 

 

「あー、もうワケがわからねぇな。…おい、豚。とにかくテメーは俺達人間に味方するという事でいいのか?」

「ぶふ~、ふごー…。ワシはあくまで王に使役する身。王次第ではあるが、雨瀬殿と王を見ていれば、そうなるのだろう」

 それを聞いて、俺の中で何らかの線がぷっつりと切れ、背中から倒れこむ。

 疲れた。ただそれだけだ。

 

 本来ならば、この正体不明な家畜をこの場で殺すべきなのだろうが…、あまりにも色々な事がありすぎたのもあるし、何よりも身体がもう持たない。この場で死んでもおかしくない負傷なのだ。豚を放置して殺されるのも、このまま怪我で死ぬのも大差ない気がしていた。

 

 ただ、意識を失うその瞬間、どこか安堵が紛れ込んでいた気もした。結局、最後まで殺せなかったトカゲ野郎だが、雨瀬を心配している姿を見ていると、まあ、これもいいかと思わないでもないのだ。

 

 少なくとも、あの横山というクズに殺させるような真似はしなくて良かったと思っている。あんなヤツに殺させるくらいなら、俺が正面から正々堂々戦って殺してやる。

 

 

 

 ああん? 正々堂々だぁ? ケッ、馬鹿馬鹿しい。

 そんな事を口にするのはどこの阿呆だ。

 

 

 まったく馬鹿馬鹿しいぜ。…まあ、悪い気はしないがな。

 

 

 

 

 意識を取り戻したのは車内だった。緩やかな加速と共に進む車の震動が心地よい。

 窓から見える景色はもう夕暮れ時で、朽ちたビル街の隙間から見える夕日はやけに鮮やかだ。顔へと注ぐ紅の光は何か優しげであるように思えた。

 

 俺は現在尾位置を確認しようと、まどろむ意識を引き上げる。道路は見慣れた甲州街道を西へ向かっていた。車はすでに都庁の近くまで来ているようで、もう数分程度で到着するだろう。俺はかなりの時間、意識を失っていたらしい。

 

 

「…あ、気がつかれましたか、臥藤さん」

 隣からする声は雨瀬のものだ。すでに身体は問題なく動けているようで、身体ごとコチラを向いて俺の容態を気にしている。横山に頭を殴られてはいたようだが、問題ない程度なのはなによりだ。少々頬が赤いのは舐められすぎたのだろうと察する。

 

「大丈夫ですか? とにかく到着し次第、医務室に行きましょう。私が付添いますから」

「ガキじゃねぇんだ。勝手に行くさ。…それよりお前が治療しとけ。あのトカゲ野郎がまた煩(うるさ)いからな」

 

 少しでも雨瀬に何かあると、ヤツがまた騒ぐのでそっちの方が厄介(やっかい)だ。

 

 

「それより行方不明者はどうなった? 全員救助できたのか?」

「はい。豚さんがおっしゃる通りの位置にいました。竜や魔物も出現せず、スムーズに救助できたんですが…」

 

 そこで雨瀬の言葉がよどむ。…というよりも、不思議そうな顔をしている。

 

「どうした?」

「いえ、これも豚さんが言った通りなんですが、すでに一人は別の部外者の方に救出されたそうで、都庁まで連れて行かれたそうなんです。まさかあの地下鉄坑内に横山…?という人以外の方が入り込んできるとは思わなかったので」

 

「ほう…」

「あれ? 驚かないんですか?」

 

 今朝の俺ならその事実に驚き、様々な考察をした事だろうが…、あの豚が出てきて喋って以来、考察しても仕方がない事態ばかりが起こるものだから、ありのままを受け入れる方がいい気がして、部外者が救出したという話も、そういう事もあるのかと思うだけだった。

 

 考えても見ろ、ユカリに竜が入り込み、それが雨瀬にベッタリになるなど誰が想像できたか? それどころか巨大帝竜が人語を話し、しかも子豚になって、本当はトカゲ野郎の部下で力試しをしていたなど想像できたか? そんなブッ飛んだ現実が起こるなんざコミックの中だけで十分だ。

 

 いいや、もしかしたら、それ以上にワケの分らない事が起こっているかもしれない。他にも竜から人になったヤツがいるんじゃないかとさえ思う。もはやなんでもありの世界だ。

 

 そうだとすれば、考察なんてしても無駄だろう?

 

 こんな世の中だ。ありのままを受け入れる事が一番なのかもしれねぇ、と思っただけだ。

 もちろん警戒する事と、状況を飲み込む事は違うが、今はまさしく後者だろう。

 

 

「あ、それと豚さんが言うには、シンイチロウさんは敵を引き付けて一人で逃げて、いまはSKYに保護されているそうです」

「ほぉ、まあ…あのオカマなら無事だろうな。心配はしなくていいって事だ」

 

「そのうち帰ってくるだろうって。…迎えに行った方がいいでしょうか?」

「ヤツは元々がSKYのメンバーだ。勝手にさせておけ」

 

 

 …程なく、車は都庁玄関入口で停車した。

 

 俺は少し休んだせいか、なんとか自力で降りてそのまま医務室へ向かう。

 すると後ろから、雨瀬が俺を呼び止めた。先程の落ち着いた表情から打って変わって、妙に真剣な顔をしている。

 

「臥藤さん! これ、お返しします!」

「あァ? 今度はなんだ?」

 それは鈍く銀色に輝く拳銃。ナガレの形見であり、竜に効果がある第二種・特殊DK鋼弾が一発だけ入ったものだ。雨瀬はそれを差し出している。横山によって奪われはしたものの、使われず雨瀬の手元に残ったという事か。

 

 自分はもうこれをウォークライに向ける事はない。

 雨瀬は迷う事を捨てて、そういう決断をしたという事なのだろう。

 

 そして、それを返還する。…つまり、ウォークライを殺すという役割を返上するという事を求めているのだ。

 

 ウォークライを殺すという仕事を任せた上司は俺だ。ムラクモの実働を指揮する俺の意思に逆らっても、自分はウォークライには手を出さないという覚悟。もしかすれば、察しのいい雨瀬には、最悪の場合、新宿都庁を敵に回しても、ウォークライは守るという決意をしているのかもしれない。

 

 ああ、そうだな。

 俺が自分の復讐を全て忘れてナツメに報告し、全勢力でウォークライを敵に回すという展開も有り得ないわけではない。

 

 

 だが、俺の答えはすでに出ている。

 

 

「それはお前にくれてやったものだ。好きに使え」

「…え? それって…」

 

 俺はやっと雨瀬の方へと体ごと振り返り、その言葉を吐き捨てるように言い放つ。

 

 

「ヤツの扱いはお前に一任する。…暴れないよう手綱を握ってろ」

 雨瀬は少し呆気に取られていたようだが、これはもう決定事項だ。ああまで好かれているなら、雨瀬に任せた方がいいに決まっている。あの豚が言うように、雨瀬がいるならヤツに危険はないんだろうからな。

 

 そして立ち去る俺に、雨瀬が喜んだ顔で追いすがってくる。

 

 

「臥藤さーん、待ってくださいよ~~! 医務室、付き合いますから!」

「触るな! 俺は一人で歩くから放っておけ!」

 

「こう見えて、私はリハビリの授業を受けてるんですから、任せてくださいよ」

「うるせぇ! くっつくな間抜け!!」

 周囲の視線が痛い。また自衛隊のヤツらから妙な渾名(あだな)を付けられそうだ。こうなるから嫌だったんだ。ああ、くそ! なんとかしてくれ…。

 

 …とまあ、

 

 様々な理由をつけてはいるが、結局それらは全部ブラフだ。危険がないだの、雨瀬に懐かれるだの、そんな事は全て真実とは関係ない事だ。その核心は俺だけが持っている。

 

 

 俺はただ、ヤツと戦いたいだけだったのだ。

 帝竜ザ・スカヴァーを目にして心が躍ったように、強い相手と正面から全力で戦いたいだけだった。

 

 ウォークライを殺せなかったのも、すべてはそれが原因。

 

 ナガレの仇とか仲間のためとか人類のどうとか口にしつつも、…俺はただウォークライと戦いたかっただけ。最初から他人などどうでも良かったのだ。俺は戦士として最後まで貫きたかった。ヤツともう一度、正面から全力で戦いたかった。

 

 それだけの話だったのだ。  一番のクズはあの横山とかいう男ではなく、俺だったらしい。

 

 

 ははは、悪いなナガレ、俺はヤツと決着をつけるぜ。だからヤツは、ウォークライはいまは殺せない。

 …俺にためにな。

 

 ああ、笑え! 俺はこんな程度の馬鹿だ。文句なら好きなだけ言っておけ。

 そのうちそっちに行ったら泣くほど聞いてやるよ。楽しみに待ってろってんだ。俺はこういう男なんだよ、親友。

 

 

 

 …時間はほんの少し戻って、夕日に照らされた車の屋根に移る。

 

 

「うおー! やっぱし屋根はいいなー!」

 帰りの車でも、やっぱり屋根に上って満喫していたウォークライは、あの激闘後、たった二時間で戦闘の傷を癒していた。服は相変わらず血に汚れていたが、身体の方は完全に元に戻っている。いいや、それどころかパワーアップさえしている様子だ。しかも空間支配の能力さえも使える状態なのだから、もう一度、ザ・スカヴァーと戦ったとしても、楽勝だろう。

 

「しかしだ! お前ほんとうにあのデカミミズなんだろうな? 全然違うじゃねーか」

 

 そんなウォークライと共に車の屋根に乗っているのは、帝竜ザ・スカヴァーこと、子豚と化したデカミミズであった。彼の態度は落ち着いたもので、敵意を向けられても、あっさり受け流すような老獪(ろうかい)さを持っている。

 

 それは、武闘派である臥藤が殺意を向けもまったく動じず受け流した程の落ち着きようである。あの臥藤が、負傷していたとはいえ、この豚をあまり敵視しなかった。帝竜ザ・スカヴァーだと知りながら見逃している事にも関係する。

 帝竜ザ・スカヴァーの特殊能力が音を察知する事というのが本人の談ではあるだが、敵を作らないこの、のんべんだらりとした態度こそ、真の能力だと言ってもいいのかもしれない。この子豚、見ているだけで気が抜ける。

 

 そんな脱力の塊であるザ・スカヴァーは、そのように問い詰められても、のんびりと返答するだけである。

 

 

「ぶ~、王の言う事もわからんではないが仕方なかろう。…王とてその身体を選んで入ったワケではないのだろう? ワシもなんとなく気に入った相手に入っただけで、自分とどこか似ている相手に入るようじゃからな」

 

「納得いかんぞ! でもお前はアオイを狙った! それは絶対許せない!」

 屋根の上だというのに、正座して腕を組み、プンスカ怒っているウォークライ。まあ、その怒りはもっともではある。ウォークライにとっては自分の怪我よりアオイが襲われた事の方が大問題なのだから。

 

 

「いやいや、ワシは王に覚醒を願ったが、人を軽んじていたわけではないよ。そもそもワシは最初から人の味方じゃし、自衛隊らがはぐれた時も、下級竜どもを近寄らせないよう遠ざけておいた」

 

「雨瀬殿が倒れている場所もちゃんと分っておったので、最新の注意を払って下級どもは遠ざけたつもりじゃ。王の怒りを買うなどと、そんな恐れ多い事、ワシがするわけがない」

「よくワカランが、アオイが無事だっかから信じてやらん事もない!! 信じてやらん事もないが…」

 

 そう言うと、ウォークライはもじもじしながら子豚を見ている。

 

「おいキサマ! いや、デカミミズ!! いや、デカくないからミミズ!!」

「ぶー。…何用ですかな? 王よ」

 

「だ、だ、だ、だ、だ…」

「王たる者がそのような物言いは関心しませんぞ。ちゃんと申されよ」

 

「…だっこしていいか? お前…かわいすぎるだろ…」

 こうして、これまたあっさり許されたザ・スカヴァーことミミズは、ウォークライのお気に入りと化したのである。

 

 そのように、もふもふすりすりしていると、すぐに都庁へと到着した。激戦ではあったが、車の屋根には乗れるし、ミミズは可愛いしでご満悦のウォークライなわけだが…、しかし、停止した車の屋根から見下ろすと、なんと臥藤に駆け寄り、腕に抱きつくアオイの姿が見えたではないか!

 

「わぁぁ! アオイ! 俺様を置いていくな! 俺様も行くー!」

 慌てて飛び降り、涙目でアオイを追いかけるウォークライ。とはいえ、距離が短いのですぐ追いつく程度だ。もう数歩でアオイに追いつく、と思ったその時、横から声が聞こえた。

 

「ん? クソ緑の声がするぞ??」

 ウォークライがクソ緑と称するムラクモの副指揮を担当する桐野が近くにいるようだ。誰かと話をしている様子である。

 

「頼むよキミ、待ってくれないか!? 僕らに協力して欲しいんだ。キミの氷のサイキック能力があれば、帝竜攻略にもきっと役に立ってくれると───」

「煩(うるさ)いぞ。僕は新宿の南口に用があると言ったはずだ。邪魔をする───ん!?」

 

「ぐぶぁ!!」

 ちょっとよそ見をしていたウォークライは、また通行人とぶつかて、相手を吹き飛ばしていた。どうやら、桐野が呼び止める何者かと当たったようである。

 

「あ、悪りい。ぶつかっちまった…」

「ぶー、今のは王が悪いのう」

 都庁では誰かとぶつからないようにと日頃からアオイに教育されているウォークライは、えらい子なのでちゃんと謝る。そこへアオイも駆けつけてきた。

 

「だ、大丈夫ですか!? キミ、怪我は? 意識はありますか!? もしもーし!」

「うぐ…」

 どうやら相手は学生服の少年らしく、彼はロビーの床にうつ伏せになってひっくり返っていた。ウォークライはといえば、その男が白髪であったのが珍しかったため、ぶつかった相手そっちのけで魅入っている。

 しかし、そこでウォークライは、アオイがすごい目で怒っているのに気がついた。

 

 しまった!! 俺様、都庁の中では走らないってアオイと約束したんだった! やばいぞ! 俺様また怒られる! アオイに、めっ!ってされる!

 恐怖のあまり涙目になるウォークライ。…そこでようやく白髪の少年が起き上がった。

 

「うう…、俺様が悪かった。許せよ。な?」

「き、キサマぁ…、許せだと? この偉大なる僕に無礼を働いておい…て…、許せとい───…」

 激しい憤怒の念を抱えて少年は、物騒な台詞を言いかけたものの…、そこで言葉を失った。

 

 そこに居たのは涙目でうつむき、下から自分を見上げる美少女…。腕に抱いた可愛らしい豚が魅力をさらに倍増! その破壊力はザ・スカヴァーの全力体当たりなど足元にも及ばない。

 

「ゴ、ゴホン…」

 少年はわざとらしく咳をすると、顔を赤らめながら柔らかい態度に変わった。

 

「い、いや。僕の不注意だ。キミは少しも悪くない。せめて笑ってくれ。キミには笑顔が似合う」

「おい、大丈夫なのか? 無理すんなよ?」

 

「…この僕を…心配してくれる…のか? くっ、なんという心根の優しさ。これが運命か!」

 そう、ウォークライ自身はともかく、元々の多村ユカリは美少女なのだ。それがこのように、しおらしくしていれば、同世代の男子など陥落して当然である。

 ちなみにここでウォークライがしおらしいのは、アオイに怒られるんじゃないかと怯えているだけであり、本心は目の前の白髪の事など心配すらしていない。当然である。

 

 

「キミもこの都庁で暮らしているのか?」

「あ、…ああ、そうだぞ。俺様ここのムラクモにいるんだ」

 

「なん…だと…!?」

 白髪の少年はその返答にかなりのショックを受けたようで、しばらく腕を組んで考えると、急に桐野の方へと振り返った。

 

「おい、そこの緑頭。さっきのムラクモに協力するという話、考えてもいいぞ。…むしろ、僕に彼女を守らせろ」

「え、ああ、いいのかい?」

 急に話を振られて怯える桐野ではあったが、彼がそれを承諾する前に白髪少年は勝手に話を進めていく。彼は中世の騎士のように畏(かしこ)まって片膝をつき、ウォークライの…、ユカリの手を取ると、濡れた瞳で告げた。

 

「僕の名は福矢馬ジュンだ、キミは?」

「え? 俺様はウォークライ…」

 

「ウォークライ…だと!?」

「あーー! いや、いや、違うぞ! えと…ユカリだ。ユカリでいいぞ!」

 

「…そうか、最近はキラキラネームというのが流行っているというが、まさかウォークライちゃんとは…、しかしそれもまた可愛い名だ。しかしセカンドネームがユカリちゃん…か、そう呼ぶのもアリとは、く…どちらも捨て難い」

 白髪少年がやけに苦しんでいるのが意味不明で、さすがのウォークライも面食らっている。

 

「ウォークライちゃん! いやさユカリちゃん!! …僕がキミの力となろう。だが、待って欲しい。僕にはどうしても行かねばならない場所がある」

「ん? あ、ああ。まあ、別にいいけど…?」

 態度がぐるぐると目まぐるしく変わるのにどう対処していいのか分らないのはウォークライ。手を優しく握られたまま、白髪少年のペースに巻き込まれて困惑したままだ。

 

 そして、その場の皆が言葉を失う中で、少年は玄関ホールから出口へと向かった。赤い夕日が差し込む輝きは彼の身体を暖かく包んでいる。まるでその旅立ちを世界が祝福してさえいるかのようだ。

 

 

「あの…それで、何処へ…? 新宿の南口だっけ…?」

 何だか口を挟みづらい雰囲気の中で、勇気を出した桐野が恐る恐る質問する。それに対し、少年は少しだけ顔を向けると、口元をニヤリと釣上げ答えた。

 

「そう、僕は行く。あそこにはこの世に唯一の秘宝、魔法少女ケミカル☆モココの声優サイン入りタペストリがあるのだ!! …この荒廃した世界で、あれほどの重要文化財を保護せず何を守るというのか?」

「は…? ケミ…カル…」

 

 白髪少年、福矢馬はそこで正面を向く。心の内にある全てのトキメキを大にして声に出す。

 

 

「さあ、行くぞ! 同人ショップ・虎の穴、新宿南口店へ!!」

 彼は今、最高に輝いていた。

 

 

 

 

 

 ハァ~イ、みんな元気だったかしらぁん?

 今一番輝いてるとびっきりのアイドル、牧シンイチロウことシンちゃんでーす!

 

 

 笑顔はプリティ!

 

 スタイル抜群!

 

 出るトコは出て、引っ込んでるトコは引っ込むビッグバン級プロポーションが自慢の乙女…。

 

 そんな美の女神でさえ土下座したくなるような理想的なプロポーションを持つ絶世美女系男子なアチキなんだけど、実を言うと…元々は渋谷を根城にしていた森林と喜びの美しき花竜ちゃんなのよ~!

 

 

 

 ……ああ、うぜぇ…、誰よこんな馬鹿みたいなテンションで騒いでるヤツは。

 え、アチキ? そうだったかしら? 

 

 確かにそうかもしれないわね、チョッチいい気になってたかもしれないわね。

 そうよ、紛う事なきお調子者だったわ。それは確かよ。

 

 でも、そんなアチキだって知ってたわよ。

 

 臥藤ちゃんと竜ちゃんの諍(いさか)いをアチキが仲裁できるわけないって。雨瀬ちゃんみたいに鮮やかに入り込めるどころか、口も挟めないって知ってた。

 

 ついでに竜ちゃんを操るとか考えちゃったりしたけど、心の奥底じゃ無理に決まってるとか分ってたわよ!

 

 そりゃあさぁ、雨瀬ちゃん達を眠らせて、地竜様から逃げたまでは本気で計算どおりだったけどさぁ、そこからよね。アチキの問題は。最初からやめときゃこんな事にはならなかったのよ! 知ってたわよ! チクショー!! 

 

 

 

 目の前にあるボロボロに壊れた駅。…東武動物公園って書いてあるわ。終点みたいだけどさぁ…。

 ここ、東京じゃあないのかしら?

 

 いったいぜんたい、ここは何県なの?! 埼玉!? 埼玉って東京じゃないの?

 ちょっと!? 誰か! 誰かいないの!!

 

 

 タ ケ ハ ヤ ー  ー!

 竜ちゃ~~~ん!

 ダイゴちゃ~~ん!

 ネコちゃーーん!

 

 

 この際、仕方ないから雨瀬ちゃんでもいいわ!

 

 うう…、誰でもいいわ、誰かいないのー!?

 ああ、駄目だわ。マジで迷った…。

 

 もう悪さしないわ! 一人で外に出たりしないからーーーーーーー!!!

 

 

 

 

 

 誰 か 助 け て ー ー ー ー ー ー ー ! ! 

 

 …森林を司る花竜スリーピー・ホロウ。その特殊能力は草木を自由に操るものだ。しかし、それ以上に一人で歩かせたら確実に迷子になる能力は他の帝竜のどの力の追随(ついずい)を許さない。普通に標識を見て歩くことですら完璧に迷うという恐るべき能力である。

 

 それから三週間後…、どういう経路でかは知らないが東京を迂回して神奈川県・江ノ島でヒゲを生やしたオカマが発見された。それは 後世まで語り継がれるムラクモ伝説となるわけが、…実にどうでもいい話なのは間違いない。

 

 また、これは余談だが、

 

 彼が雨瀬アオイに悪さをした件は、ザ・スカヴァーことミミズの機転で誤魔化されたものの、それから当分の間、ウォークライに”迷子ウナギ”などと不名誉な渾名を付けられ、さんざん馬鹿にされた挙句に凹(へこ)んでいた。

 

 悪い事はできないものである。

 

 

 

NEXT→ EX04 『ゼロ・ブルーのこれまで』

 

 
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