No.528313

〔AR〕その15

蝙蝠外套さん

twitterにて週間連載していた東方二次創作小説です。

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2013-01-05 23:59:03 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:390   閲覧ユーザー数:390

 目の前が裂ける。漏れ出た光が平面と文字によりタペストリーめいて画面を描写する。

 バイオネットサービスサポート窓口、と見出しが付けられた画面から、新着メッセージのノーティスが発せられていた。

 八雲紫はそのメッセージを開き、一秒で読み終え、ハウスボードにピンで紙を固定するかのように、脇に追いやった。

 ここは八雲紫の屋敷、その私室。

 おおよそ、彼女と彼女の式神以外覗くことは叶わないその室内の様子は、薄暗く、ことのほか殺風景であり、故にあまりにも異質だった。

 まず、室内の広さが奇妙だった。直感的にも、測量的にも把握できないような、不可思議な距離感があり、ともすれば平衡感覚さえ失いかねない。

 調度品はあるが全体的に質素であり、普段から豪奢な衣装を身にまとう彼女とは釣りあわないように見える。唯一、部屋の真ん中? 付近にある天蓋付きのベッドだけは、目眩がしそうなほどの複雑で贅をこらした装飾だった。

 紫は、ベッドから少し離れたところの安楽椅子に体を預けていた。その周囲には、何十にも及ぶ薄気味の悪いスキマ群が展開されている。そのスキマ全てから燐光が撒き散らされ、紫の美貌を全身余すところなく、舐めるように妖しく照らしあげていた。

 知識のあるものならば、そのスキマの中に広がっているものが、バイオネット端末の操作画面に酷似していることがわかるだろう。つまり、今紫がスキマを使って見ているのは、全てバイオネットに関連する情報――紫だけが利用できる管理者モードであった。

「……まさか、地底にも影響がでているとはね」

 紫は肘かけに付いた左腕に頬を寄せ、頭の重さを乗せる。その表情は、普段人前に見せるような胡散臭さは微塵もなく、冴え渡っている。

 触れれば斬れるかとさえ思える鋭い表情の下で、紫の思考は外見の醸す雰囲気に違わず加速していた。

 彼女は、ここ最近バイオネットに発生している問題を調査、分析、考察していた。

 正体不明の気配、残像、幻聴……バイオネット開始から四ヶ月が経過し、少数ながら、そのような噂が囁かれ、バイオネットのサポート窓口にも証言が寄せられるようになった。

 紫がこの件に対して本腰を入れはじめたのは、一週間ほど前に、稗田阿求がとある人物の代理で送ってきた書状がきっかけだった。

 人物の名前は、豊聡耳神子。近年幻想郷に姿を現した、日本屈指の偉人にして、仙人。

『こたびの件、この世ならざる、異なる層と相を感じる』

 神子の書状に書かれていた内容は、紫を動かすには十分なものだった。彼女は、その超人的能力でもって、紫やパチュリーが気づいていなかった現象を捉えていた。

 さらにたった今、地底に設置したバイオネット端末の実質的なオーナーである古明地さとりから、類似した現象の報告が届いた。ここに来て、バイオネット周辺に何かが起こっていることは、より決定的なものとなった。

 あるいは、これは異変と呼べるものかもしれない。

 バイオネットは、外の世界の通信インフラを参考に、紫が構築したシステムだ。電気信号を霊的波動に、その信号を伝えるケーブルを地脈に置き換えたそれは、論理的な構造としては外の世界のシステムと変わらない。

 よって、当初の設計では、今起こっているような問題は起こりようがない。あるいは、起こったとしても紫達にわかる形として顕れるはずだった。

 いや……もしかしたら、紫は予想を誤ったのかもしれない。

「……どうしたものかしら」

 紫は、新たに一つのスキマを開き、そこに無造作に右手を突き入れた。鞄をまさぐるような調子でスキマの中から取り出したのは、人差し指ほどの長さの、小麦色の直方体だった。

 紫はしなやかな手つきでそれを口にした。僅かな食べカスも、その口元から紫のドレスにこぼれ落ちることはない。

「ああ、やはりメープル味は素敵ね」

 口の中の水分と引き替えに広がる味わいは、糖分の補給につながったのか、幾分か紫の機嫌を取り戻した。

「藍に間食を頼むと、十中八九揚げ物になるから困るのよねぇ。そのくせ市販のジャンクフードを遠ざけようとするし」

 小麦の固まりを口にくわえてぼやきながら、紫はいくつものスキマの中身、バイオネットの情報を動かす。

 とはいっても、手を動かすこともなければ、何らかの操作機器を用いる必要もない。彼女は思考するだけで、システムを操作できる。さらには、今のようにスキマを使って情報を視覚化する必要すらないのだが、情報を整理するためには、一覧にしておいたほうがやりやすいようだった。

 さらに別のスキマから淹れ立てのコーヒーをソーサーごと取り出し、口の中に水分を取り戻す。そして押し寄せる苦みに、紫の思考は精彩を取り戻した。

 紫は、開きっぱなしだったスキマの一つに目を向けて、明らかに独り言ではなく、何かに問いかけるような口調で口を開いた。

「貴方の見解を聞かせてくださらない? 当初、私は貴方のような者がやってくる程度で済むと考えていたのだけど、どうやら見当違いだったみたいですわ」

 紫が見たそのスキマは、他に比べて、0と1のノイズが波打って霞みがかり、非常に不鮮明だった。これはすなわち、このスキマを経由しているアクセスが、とても不安定な事を示している。

『0101だな……俺には難し01101はわからないが、アウト1101ットの仕方の違0011111かな。俺はほら、ト11000101ドだからさ、不安定なりに00101で出てこれるけど』

 ノイズの海から発せられるのは、おそらくは若い男の声だが、あまりに聞き取りづらい。しかし、紫には問題なく通じているようだった。

 続いて、別のスキマからは、先ほどの男とは対照的にクリアな音声が発せられた。明るく、魅力的な若い女の声だ。

『かつて人は異界の存在……というか、悪魔だけど。それを呼び寄せるための複雑な手続きを、プログラムに置き換えたわけよ。でも、次第にそれは、悪魔そのものを生み出すようなものに進化してしまったわ』

「悪魔、あるいは妖怪は、人間の感情や魂に反応する……リクエストに対するリプライね」

 今度は、女の声の方へ向けて、紫は語る。

「もし、幻想郷内で、バイオネットを用いる住人の心が、バイオネットによって顕在するとしたら……場合によっては外の世界から何かがやってくることよりも厄介かもしれない」

 紫の懸念はそれだ。それが、今よりも顕著に見られるようになった場合、この世界の均衡を崩すような、制御不能な存在が出現するかもしれない。彼女はそう考え始めていた。

 紫の当初の想定では、もし仮にバイオネット上に悪しき存在が暴走することになっても、それはあくまで信号の揺らぎにすぎず、バイオネットを遮断、停止させればよいだけの話だ。

 また顕在化したとしても、バイオネットのアウトプット機能は、突き詰めれば文字の出力に限られている。現実に干渉しようとも、できることはほとんどない。ノイズの海の向こう側にいる男のように、信号のまま顕在化できる存在など、まずあり得ないし、大体は不安定で、驚異にもなりえない。

 だが、豊聡耳神子は警告してきた。バイオネットを取り巻く不可解な現象の法則を何者かが解き明かし、悪用した場合は、恐るべき妖怪が誕生するのではないのかと。

「……今日のところはここまでにしておきましょう。皆様、ご協力感謝いたします」

 その言葉で、展開していたスキマのうち、いくつかが閉じられ、虚空に戻った。ノイズ混じりの男の声も、若い女の声も、去り際の言葉を残して、途切れていった。

 紫は、少しの間、目をつむった。そして、バイオネットの画面を映すスキマの一つを目の前に移動させてから、再度目を開く。

「……そろそろアルファテストも潮時ね。年内は再設計と調整に当てて、ベータテストは年明け以降……」

 紫の目に映る画面に広がる白い平面に、次々と文字と図形が浮かぶ。これはメモ書きではなく、関係者向けの計画書である。紫が一瞬の思考で構築し直した、バイオネットのロードマップが、寸分違わず図化されていく。

 大々的に告知してはいないが、バイオネットは、年内一杯をテスト運用に当てる予定だった。そして、年の瀬までに次の段階に進むための準備を済ませておくつもりでいた。

 しかし、今現在直面している問題は、すぐに解決できる見通しが立たない。故に、紫は近日中のバイオネット休止の可能性を、ロードマップに盛り込むことにした。

 勿論、その最終的な決定は、共同主催であるパチュリーの意見も聞かねばなるまい。紫は計画書の下書きを終えて、それにメッセージを添え、パチュリーの専用端末に送信した。

 送信が完了したメッセージが返ってきたところで、紫は残りのコーヒーを飲み干して、ほっと一息ついた。途端に、堪えていた欠伸が喉をついて外に出てきた。

「ふぁぁ~あ……最近睡眠時間が毎日九時間を切っていて、ほんと、美容に良くないわ」

 欠伸の残滓を噛み殺して、紫は今後の予定を組み立てる。

 近いうちに、またパチュリーとの会合が必要になろう。場合によっては豊聡耳神子をアドバイザーに加える手も考える。紫自身は神子と会う気はないのだが、彼女が自分との会合を望んでいるとあれば、取引材料になるかもしれない。

 何にせよ、早急な原因究明と解決を行わなければ、図らずも紫自身が異変の首謀者ということになってしまう。それだけは避けなくてはならない。霊夢や魔理沙に叩きのめされるのは、誰だって遠慮したいだろう。

「日常をほんのちょっぴりだけ拡張させる――それはまだ少し早かったのかしら」

 発端は他愛のない加勢のつもりだった。実際に、それはこの四ヶ月で劇的に幻想郷を変えたわけではない。そうなるだろうと判断したからこそ、紫はパチュリーに協力したのだ。

 だが、この世界には、紫にもわからない幻想の作用があったのだった。

 皮肉なものだ、と紫は嘆息する。不可思議から生まれたはずの妖怪が、未知の事象に驚異を感じるなどと。

 そして、自分は人間よりもずっと論理性に縛られていることを、紫は改めて実感した。


 
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