No.524001

【TOX2】コーリング・1【アルエリ】

テイルズオブエクシリア2のアルヴィン×エリーゼでGHSネタ。

2012-12-27 22:31:09 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:3293   閲覧ユーザー数:3276

「エレンピオスの親善使節、エリーの学校が選ばれたんですって?」

旅装を解き、早速執務室でお茶を愉しんでいたエリーゼは、領主の言葉に思わず目を見張った。

「ドロッセル、流石ですね。もう知っているなんて」

領主手自ら煎れた紅茶で手先を温めつつ、耳の早さに舌を巻く。

エリーゼは現在、ドロッセルの母校付属の中等部に在籍している。一年前に編入した初等部では屋敷から通いで登下校していたのだが、中等部は学問を修める場であると同時に、自立と集団生活を学ぶ場としても機能しており、入学には併設の寄宿舎への入舎が必須となっていた。

故に生徒が保護者の元へ戻るのは、せいぜい長期休暇の時か、学外研修で外泊する時くらいである。この日のエリーゼは後者であった。

彼女は週明けから、級友達とともにエレンピオスへ渡航することになっている。今回の帰省は、その準備のために与えられた。

「うちのクラス、週に一回エレンピオスの文化を勉強する時間があるんです。案内してくださるエレンピオスのお役人様と話す機会があったのですが、奇特なことだと、とても驚かれていました。これも、エレンピオスとの交流に熱心な領主様のお陰です」

意味深げな視線を向けてくるエリーゼに、ドロッセルは得意そうに微笑んだ。

「ふふ。我が領地カラハ・シャールに行き交うのは、何も物品だけではなくってよ。人に情報、文化などの形なき代物も、当然取り扱っていますからね」

断界殻が消滅し、エレンピオスとの行き来が事実上可能と知れた時点で、既にシャール卿は動き始めていた。商人たちが戸惑う前に物流の制度を整え、関税について中央に打診し、いち早く貿易の街として世界に躍り出たのである。

彼女は先見の明を持っていた。この迅速な行動により、リーゼ・マクシア統一国家内はおろかエレンピオスにも、カラハ・シャールの重要性を明示できたからである。

多少の試行錯誤はあったが、滑り出しは順調であった。当代の領主ドロッセルが備える生来の明朗さも相まってか、この街では出自の隔てなく、活発に物と人が行き交っている。

「あの、ドロッセル」

飲みかけの茶器を机に戻し、エリーゼは居住まいを正した。

「わたし、参加しても構わないでしょうか?」

「あら、親善使節への参加は任意、それも立候補制なの?」

やや緊張気味の少女に対し、ドロッセルはどこまでも自然体である。

柔らかに問い返されて、エリーゼは少しだけ肩の力を抜くことができた。

「いえ・・・。その、事前にドロッセルにお伺いしていなかったわけですし。わたしは向こうに土地勘があります。ですから、引率の方のお手伝いもできると思うのです」

学校の決定とはいえ、学外の活動には保護者の許可がいる。エリーゼが気にしているのはそこであった。

彼女たちの国リーゼ・マクシアとエレンピオスとの外交歴史は浅い。加えて、一年前には刃を交えた国である。そんな国に赴こうというのだから、喜んで送り出す保護者はまずいないだろう。実際、級友達の幾人かは親の許可が下りず、参加を取りやめていた。

流石にドロッセルも難しい顔で腕組みをする。

「そうね・・・。確かにエリーゼの言う通り、まだ絶対安全とは言い切れないわ。でもその点、エリーなら戦い方を知っているもの。他の子より上手に立ち回れることでしょう」

まるで戦闘が前提であるかのような物言いに、エリーゼは小首を傾げる。

「特に危険な場所を巡るわけではないですけど・・・?」

見学箇所は巻く巣バードとエレンピオス、そして源黒匣研究の行われているヘリオボーグ研究所の三箇所だ。どこも人が多く、栄えており、安全面でも外務省の太鼓判が押されている。

そうエリーゼが指摘しても、ドロッセルの愁眉が開かれることはなかった。それどころか、ますます憂いの色が濃くなってゆく。

「アルクノアが活動を再開しているらしいの。まだ、噂程度でしか確認できていないそうだけれど」

思いもよらぬ名前に、エリーゼは愕然とする。

「アルクノア・・・どうして・・・」

「本当、どうしてかしらね。彼らの目的は一年前に達成されたというのにね」

溜息混じりに、ドロッセルは珍しく愚痴った。だが愚痴りたくもなるのは当然だった。それだけ、アルクノアはリーゼ・マクシアにとって禁忌であり、忘れ難き過去であった。

だがドロッセルは軽く頭を振る。結い上げた金髪が爽やかに揺れ再び顔を上げた時、そこにはもう笑顔だけがあった。

「今、ここであれこれ心配していても始まらないわ。そうだエリー。向こうに行くならGHSを買わなくちゃ。あと新しい服も用意しないと」

「え?」

きょとんとするエリーゼに、領主は悪戯っぽく片目を瞑った。

「親善大使なんですもの。最先端の技術に触れるのも、身だしなみを整えて訪問するのも、大事な役割よ?」

カラハ・シャール領主ドロッセルの手筈は抜かりなかった。出入りの業者にGHSを持って来るよう連絡し、同時に馴染みの仕立て屋を呼び出した。

数刻後、卓の上にずらりとGHSを並べ一通りの機能説明をしてくれた業者は、エレンピオスの商人だった。領主であるドロッセルに如才なく頭を下げてはいるが、そこに慇懃さは感じられない。エレンピオス人は、こと商売にかけては打算的で計算高いことで知られているが、こんな風に雰囲気だけでも柔和で親密そうにしてくれれば、仲間も苦労せずに済むのだが。

(アルヴィン、元気かな・・・?)

エレンピオスへの出発を目前に控えた夜、エリーゼは寝台に腰掛けて端末を見つめていた。

業者やドロッセルと相談して決めたのは、ピンクの折り畳み式GHSである。少し光沢のある外装が気に入って購入を決めたようなもので、中の機能などはあまり拘りがなかった。何せ、GHSを持つのが初めてなのである。せいぜいがメールや電話、データ転送ができるらしい、という程度の知識だ。

だが、彼女の知識はリーゼ・マクシア人の中ではよく知っている部類に入る。何故なら、未だリーゼマクシアではGHSはそれほど普及していないからだ。現物を見たことのない人も多くいる。便利なものとは知っているが、GHSは伝書鳩とは違い、電波を使用する。その電波を飛ばすための基地局がリーゼ・マクシアにはないのだ。建設計画はあるようだが、GHSも基地局も所詮は黒匣である。嫌悪感や、場合によっては普及に反対するリーゼ・マクシア人も多いはずだ。故にエレンピオスのように、一人が一台持つなど夢物語のようなものだったのである。

それでも彼女の周囲には所持者が多かった。特に昔の仲間はエレンピオスを拠点に活動している、もしくは行き来が多いだけに、早々と欠かせない道具と化しているようだった。

仲間達にGHSを購入したという報告に併せ、自身の連絡先を伝えたところ、瞬く間に全員から返信が来た。それだけ使い慣れているのだろう。ジュードやレイア、ローエン、そしてアルヴィンも。

(気軽に送ってくれ、とは書いてあったけど……)

今、彼女が開いているのは新規メール作成画面、宛先にはアルヴィンのアドレスが表示されている。

現在のアルヴィンの職業は商人である。キタル族の青年ユルゲンスと組み、エレンピオスを拠点に動いているらしい。らしい、というのは全て伝聞だからだ。彼の様子を教えてくれたのはジュードと、そしてジュードからアドレスを聞き出したというバランである。特にバランは、彼女が訊ねもしないのに、今日アルヴィンが何処其処に出かけただの、忘れ物をしただの、晩酌に付き合ったら朝までコースになっただの、コメントに困るようなメールをしょっちゅう寄越す。

「バランさんへ。メールを下さるのは嬉しいのですが、アルヴィンの寝癖が右寄りにできるとか教えていただいても、対処のしようがありません」

思わず苦言を呈してしまったエリーゼに、戻ってきた返信がこれである。

「でも笑えるでしょ?」

エリーゼは思わず噴き出した。たった一文だけの内容なのに、おかしみを覚える。バランは相変わらず凄い感覚の持ち主だという思いを新たにしていたら、またメールが来た。

「メールなんて、こんな感じで、気軽に送るもんなんだよー」

「バランさんへ。そうなのですか?」

「そうそう。いちいち誰某へ、なんて畏まるの、冒頭に書かないよー」

分かりました、気をつけますと返信したものの、エリーゼの頭は全く別のことを考えていた。

(気軽に送る、か……アルヴィンも同じこと、送ってくれてたっけ)

最初にアドレスを送信した時の返事にはそうあった。多分、バランと遣り取りしているような内容を、アルヴィンにも打てばいいのだろうし、今回はエレンピオス訪問という大義名分がある。メールを送る口実には持ってこいだ。

(でも……知らせたとしても……)

エリーゼは再び携帯の画面に目を落とした。相変わらず、本文も件名も白いままである。

親善使節団に自由はない。見学は勿論のこと、移動や食事の最中も、宿泊場所に至るまで、四六時中の監視がつく。学校行事で派遣されるとはいえ、使節を名乗るからには国の威信がかかる。リーゼ・マクシアにしてもエレンピオスにしても、万が一があっては困るのだ。

だから、使節としてのエリーゼには自由行動の権限がない。予定にない面会など、申請したところで即座に却下される。ローエン・J・イルベルトやジュード・マティスのように、相手が立場ある人物だとしてもだ。

エリーゼは白い画面を見つめたまま、溜息をついた。

アルヴィンへ、エレンピオスへ赴く予定を知らせるのはいい。でも、面会の機会は皆無なのに、そんなものを報告して何になるというのだろう。逆に、アルヴィンを困惑させるだけのような気がしてならない。ただでさえ多忙な彼を、これ以上煩わせたくなかった。

エリーゼは結局、送信ボタンを押すことなく、そのまま端末の蓋を閉じた。

 

行程初日、リーゼ・マクシア親善使節団は絶海の新天地で船から降り立った。

街の名はマクス・バード。断界殻なき世界において、リーゼ・マクシアとエレンピオスを繋ぐ、唯一の場所である。

マクスウェルの遺志により断界殻が世界を満たすマナとなり、その跡地を利用して二大国は街を建設した。というのも断界殻の爪あとは凄まじいもので、一年経った今でも海は割れたままなのである。人智を超えた驚異的な力を目の当たりにできるとあって、見物に訪れる者は後を絶たないらしい。事実、使節団が乗ってきたマクス・バード行きの船にも、観光と思しき老夫婦や親子連れの姿が多く見受けられた。

本来、水平線の彼方まで続く大海原が真一文字に切り裂かれている、という光景には、確かにエリーゼも目を奪われた。真新しい街には彼女同様に、歓声と感嘆の溜息を落とす人々で賑わっている。

「教科書や資料であらかじめ知っていたけれど、実際目にすると凄いわね」

「本当。エレンピオスへの直行船便が不可能というのも、これなら頷けるわ」

一行は口々に絶景への感想を述べつつ、リーゼ港からは街を挟んで反対側にあるエレン港から列車に乗り、一路トリグラフへと向かった。

地方都市トリグラフは、一年前と特に変わりはないようだった。緑はなく、石と鉄で造られた高層の建物だけがぎっちりと並ぶ、無機質な街である。彼女達はここで、引率のトリグラフ市職員により街の成り立ちや構造、特産物、文化や思想などの説明を受けた。途中、役所の中も見学することができたのだが、整然と端末の並ぶ居室は、何事も精霊術で行うリーゼ・マクシアで育った使節団には奇異に映ったらしい。

「この街って、どこにでも黒匣があるのね。こういった作業場にも」

「多分、エレンピオスのどの街に行っても、こうだと思うわ。だってエレンピオスの人たちは精霊術が使えないんですもの」

「でも黒匣って精霊を殺すんでしょう? それで自然が荒廃して、食料もまともに生産できなくなったなんて、自業自得じゃないの」

級友達の感想は忌憚がない。年相応と言ってしまえばそれまでだが、聞き様によっては自尊心の現れと受け取られるだろう。

エリーゼは穏やかな口調で友人達に言った。

「黒匣使用と自然衰退――精霊の関係は、エレンピオスでは知りようがなかったんですよ。だって、霊力野を持った人がいなかったんですから」

その因果関係を暴いたのが当代のマクスウェルであり、エリーゼを含めた仲間達であった。

「エレンピオスの街に黒匣が欠かせないのは、それが普通のことだからじゃないかしら。多分、わたしたちが、精霊術なしでは生活できないのと同じように」

リーゼ・マクシア人は多かれ少なかれ、生まれたときから精霊術の恩恵を受けている。黒匣を否定することは、精霊術を否定されることと同義だ、とようやく分かったのか、級友達は気まずそうに下を向いた。

再び進み出した列の最後尾についたエリーゼは、ふと案内の職員が自分に目礼していることに気付いた。

「先ほどは、ありがとうございました」

職員の意味深な笑みに、級友達を嗜めたことを言っているのだと悟ったエリーゼは、慌てて頭を下げた。

「いえ、こちらこそ大変失礼を申し上げました。事前にエレンピオスの情勢につきましては講義を受け、知識を持って参ったのですが、やはり実態を見てしまうと・・・」

「つまり、あれはリーゼ・マクシア側の、世論ということですか」

「・・・お恥ずかしいことですが」

エリーゼは顔を伏せ、低いこえで答えた。

すると職員は、意外そうな顔つきになった。

「これは驚きました。あなたはリーゼ・マクシアの学生さんなのに、随分と我々への理解が深くていらっしゃる」

職員の賞賛に、エリーゼははにかむ。

「以前、こちらでお世話になったことがあるんです」

「ほう、以前と仰いますと?」

「・・・一年程前、です」

一年前と言う言葉で、彼女が何者であるか理解したのだろう。

「そうですか・・・貴女が・・・」

職員はそれ以上、何も訊ねてはこなかった。

トリグラフで視察と歓迎式典がぎゅうぎゅうに詰まった日程をこなし、使節団は次の目的地へ心を移した。ヘリオボーグ基地である。以前は黒匣兵器の開発をしていたが、今や源黒匣研究の最前線基地と化していた。

源黒匣は、黒匣と違いマナを消費せず、精霊を殺さない。リーゼ・マクシアとエレンピオスの運命を決定付ける機構であり、マクスウェルが未来を賭けた、いわば人間の叡智の結晶である。その研究所を見学できるとあって、親善団は前の晩から既に興奮状態であった。

「これが楽しみで親善団に立候補したのよ、わたし!」

「この目で最先端の技術を拝めるなんて、本当、夢みたい!」

「もしかして源黒匣、触らせてもらえちゃったりして~!」

「うふふ、学校の皆に自慢できるわね。発売前の試作品をいじらせて貰えたなんて。・・・ああ、ごめんなさい。電話だわ」

エリーゼは寝台の上で枕を抱える友人達に頭を下げ、GHS片手に部屋を出る。

扉の外で開いたGHSの画面には、呼び出しの鈴のアニメーションと、バランの名前が踊っていた。

「やあ、エレンピオス観光はどうだい?」

バランの軽やかなエレンピオス訛りは、リーゼ・マクシアで聞くよりずっと近かった。エリーゼの声も自然と弾む。

「バランさん・・・!いつもメールありがとうございます」

「うんうん元気そうだねー。実はリーゼ・マクシア親善団の名簿見たんだけどさ、その中に君の名前あるじゃないのー。びっくりして、思わず電話しちゃったよー」

「あ、はい。実はそうなんです。明日、そちらに伺いますので、よろしくお願いします」

「はいはい了解ー。そういやこっち来るってこと、アルフレドには言った?」

エリーゼは一瞬、言葉に詰まった。

「・・・学校行事なので・・・」

ようやくそれだけを搾り出し、会うことは難しいだろうことを言外に匂わせると、バランはそれ以上追求してこなかった。

翌日になって到着したヘリオボーグ基地は、トリグラフと同じく相変わらず無骨で、無機質だった。

中へ入ってもその感想が変わらなかったのは、建物の構造も以前のままだったからだろう。一年前は屋上で大精霊とやりあったなあと、エリーゼは見学そっちのけで感慨に耽ってしまう。

所長バランと引き合わされた親善団の中で、エリーゼはそっと目だけで会釈を送った。顔見知りだからといって、それを誇示する行動は控えるべきだと思ったからだ。

自分のエレンピオスに対する知識は、有事の際に存分に発揮されればそれで良い。勿論、有事など起こらないのが大前提であるが、そもそも知識とは決して他人に見せびらかすものではないはずである。

今のエリーゼは、あくまでリーゼ・マクシア親善団の一員。余計な発言や行動は母国の格を下げる。そう弁えているからこその目礼であった。

バランもそれは承知しているようで、彼女同様、微笑んだだけで特別声を掛けてくるようなことはなかった。

「ここで、源黒匣の研究が行われているんですよね?」

「そうです。リーゼ・マクシア出身のジュード・マティス博士と共同研究という体制をとっています。皆さんの手元に届くまでには、少々時間がかかりますが」

先頭を歩きながら淀みなく説明するバランの声を聞きながら、エリーゼは最後尾についた。バランの説明は彼女にとって既知であった。

「ここが研究室です」

促されたのは十三階の研究室だった。中は無人ではなく、作業服を着た人間が幾人も立ち回っていた。その中から、おそらく説明要員として駆り出されたと思しき、人当たりの良さそうな研究員達がやってきて、説明の続きと使節団の両方を、所長から引き取る。

バランはエリーゼに視線を向けた。そっと目配せを送ると、エリーゼもまた一団から離れる。

隅に寄った二人は、ここでやっと再会の挨拶を交わした。

「一年見ないうちに、すっかり大人になっちゃって」

エリーゼはこの言葉に応じず、微笑を浮かべるに留めた。

「先日はお電話、ありがとうございました」

「いやいや。こっちの事情を知ってる人間が見学者の中にいるのは、正直助かるよ」

こっちの事情というのは、源黒匣研究が前途多難であるということだった。

「ジュードが大変そうだって、レイアが言ってました。でも、こういった開発には時間が掛かるものと伺っています。まして源黒匣は、一年前でまだ研究段階だったんですから。一年で結果を出せなくても、誰も責めたりなどしません」

エリーゼの慰めに、バランは優しいなあ、と疲れたように吐露した。

「原理はあってるはずなんだけどねえ。大精霊クラスになると、どうやっても最後の最後で暴走するんだ。ジュードも、そこで詰まっていてね」

「それでティポなんですね」

納得したらしいエリーゼは、手荷物から紫色の縫いぐるみを取り出した。途端にバランの顔に喜色が浮かぶ。

「第三世代型増霊極! 本当に持ってきてくれたんだ!」

「だって、バランさんが是が非でもって言うから・・・」

「いやいやいやいや、嬉しいよ!嬉しいとも!ありがとう!・・・少しばかり借りても良いかな?」

余程待ち侘びていたのか、バランの足は許可を求めつつも既に実験室へと向かっている始末である。子供じみたバランの挙動に、エリーゼは思わず笑みを零した。

「構いませんよ。ティポがお役に立つのでしたら」

実験室に入ったバランは、室内にいた部下にティポの分析を依頼した。彼は、源黒匣暴走の原因が、増霊極に起因するのではないかと考えたのである。もしかしたら複合的に作用するのかもしれないが、今はとにかく、思いつくまま原因と思われる要素を潰していくしか方法がない。

機械の動作音に伴い、バランの眼鏡に、光る記号と数字が流れ出す。担当者の操作する端末の画面に、測定された数値をが滝のように流れていく様を、彼は見るともなしに眺めていた。

エリーゼが近くにいないからか、容器の中のティポはぴくりとも動かない。普段はあれだけお喋りなティポも、適合者と引き離されると、本当にただの縫いぐるみなのだと改めて実感する。

(しかし・・・さっきは驚いたねー)

根っからの科学者バランに、珍しく驚嘆の念を抱かせていたのはエリーゼだった。

彼女と会うのは、かれこれ一年振りになるだろうか。だが、それ以前にGHSで遣り取りがあったから、それほど再会についての感傷はなかった。そう、再会自体には、何の問題もなかった。

彼に、今尚引きずるほどの衝撃を与えていたのは、彼女の変わりようだった。

カラハ・シャールの親善団を出迎えるため、バランは基地の正面玄関に出向いていた。やがて到着した親善大使の一群は、どれもこれも好奇と興奮に満ちた視線で、建物や彼を無遠慮に見回してきた。そんな中、彼と目が合うなり会釈してきた少女が一人いた。後ろの方で物静かに微笑んでいた女子生徒――それがエリーゼだと判断するのに、彼の明晰な頭脳は数秒を要した。記憶の中のエリーゼ・ルタスとは、明らかに異なっていたからだ。

確かに背も伸びているし、服も髪型も違う。だが、うまく照合できなかったのは外観だけのせいだろうか。

研究室で改めて挨拶をし、間近で彼女と接して、ようやくその疑問が晴れた。

エリーゼ・ルタスには華があった。

(先日はお電話、ありがとうございました)

そう言って金色の頭を揺らし、彼女は整った白い歯を見せた。予め源黒匣開発の遅れについて聞かされていたのだろう、心配そうに彼を案じてきた。そっと胸を押さえた手先は、まるで桜貝のような爪が光っていた。

以前は裾の長い服を纏っていたため隠れていた足はすらりと長く、二つに結い上げた金髪は、視線と相まってとても明るく輝いていた。

実際、エリーゼは他の女子生徒と一線を画していた。既に知り合いであるという贔屓目を除いても、この金髪の少女には他者の目を惹きつける何かが溢れていた。確かに源黒匣開発についての洞察力は見事の一言に尽きたし、遅れを焦るバランの心情を思いやる心配りも、また見事であった。だがその見識の深さに加え、彼女が仕草を一つする度に、目に見えぬ芳香のようなものが周囲に撒き散らされているのである。

だから、バランは言いそうになったのだ。彼女の年に似合わぬ美貌と博識に圧倒されるあまり、つい零しそうになったのだ。

「一年見ないうちに、すっかり大人になっちゃって」

(アルフレドも驚くと思うよ――。って、言わなくて良かったよ、ホントに)

辛うじて踏み止まれたのは、前日の少女との通話と、晩酌の席での従兄弟の態度があったからだった。

「アルフレドー。ツマミになりそうなの、ピザくらいしかないけ・・・あれ? 何かトラブった系?」

トリグラフのバラン宅では、スヴェント家の従兄弟同士の予定が重なった日、、情報交換会という名の飲み会が催される。勿論、二人とも良い年した大人の男であるから洒落た店へ出かけても良いのだが、片方が商売を始めたばかりで金欠のため、宅飲みが専らであった。

その夜、酒の肴になりそうなものを台所で探していたバランは、食卓の上に上半身をべったり伸ばしている従兄弟に、思わず声を掛けた。

黒髪の従兄弟の手元にはGHSが直角に開いていた。だからバランは、もしやユルゲンスからの連絡ではと思ったのである。

だがアルヴィンは、うつ伏せ状態のまま、顔だけをGHSの画面に向け続けている。

「んー・・・いや、そういう訳じゃないんだけど」

「の割に、随分憂鬱そうなんですけど。まあいいや、行くなら早めに言ってよ? 解凍した冷凍食品勿体無いから」

釘を刺しながら、バランは氷を満載した容器と炭酸水を机の上に置いた。ヘリオボーグ所長が手際良くグラスに氷を放り込む目の前で、アルヴィンは人差し指でGHSのボタンを意味なく押している。

「電話もメール来ねえなー・・・。またこっちからしてみっかなあ・・・」

酔いの回った目でぼやく従兄弟に、バランは氷の入ったグラスを押しやった。

「カラハ・シャールは今深夜だよ? 明日にした方が良くない?」

「だよなあ。トリグラフとじゃあ、時差があるし・・・って、おい」

それまでぐだぐだと伸びるだけだった商人が、がばりと身を起こす。

「なに?」

「俺、今、誰って言ってねえよな?」

「言ってないね」

しれっと即答するバランに、半眼になったアルヴィンが唸る。

「・・・なんで分かった」

「消去法で。アルフレドが着信気にするような相手は大抵が仕事絡み。だけどこの線は本人が否定した。残るは君の仲間辺りだけど、ここで君の性格からして男性は除かれる。それから、俺はレイアちゃんのメール解読にしょっちゅう付き合ってる。以上」

酒が入っているというのに、理系申し子の説明は淀みなかった。理路整然たる解説を前に、一介の商人は成す術もなく轟沈した。

再び机の上にうつ伏してしまった従兄弟に、バランはやれやれと肩を竦めた。

「まあまあ。エレンピオスと違って、向こうは基地局の整備も、黒匣への充電機構の普及も追いついていないわけだし。何より、エリーゼちゃん、まだ学生さんでしょ? レスポンスが難しくなっちゃうのは仕方ないんじゃないの?」

「そりゃ分かってるよ。俺も変換器のめんどくささとか、リーゼ・マクシアの電波の悪さとかにはウンザリしてっからさあ。けどそうじゃなくて・・・」

「なくて?」

促しつつ、バランは彼の握り締めるグラスに、琥珀色の酒を注いでやる。

「もっとこう・・・日常的に遣り取りしたいわけよ」

「日常的」

「何気ない会話? 距離あっても繋がってるーみたいな。俺の存在アピールっつーか・・・忘れないで欲しいっていうか・・・」

アルヴィンはぼそぼそと呟き、しばし黙りこくった後、心細そうに目の前の従兄弟に訊ねた。

「やっぱ・・・一年会ってないと男とかできてたりすんのかな・・・?」

「さあ? それこそ聞いてみれば? メールで」

「聞けるかんなもん! それこそ『彼氏できました』と、か・・・返って、きた・・・ら・・・」

発言冒頭、机を叩きつけるくらい全否定だったアルヴィンの気魄が、見る見るうちにしぼんでゆく。その端正な顔から面白いくらいに血の気が引いてゆくのを、バランは呆れたように見返した。

「あんまそういうこと、口に出して言わない方が良いらしいよ。言霊って概念があるくらいだし」

「うわああああああああああああああ言うな言うんじゃねええええええええ」

両耳を塞いで大絶叫のアルヴィンに、バランがにやりと笑う。

「あ、ひょっとして言いながら想像しちゃった? エリーゼちゃんに彼氏ができたとこ」

「黙りやがれこの黒匣オタク」

どこまでも飄々とした従兄弟を、射殺せそうなほどの半眼で睨みつけるアルヴィンの目は、すっかり赤く濁っていた。

彼は明らかに悪酔いしていた。重ねた杯の数はさほどでもないはずなのだが、この状態は酩酊のそれである。

バランはこの酔っ払いを相手に、酒を嗜んだ。一刻程、適当に相槌を打ってやっただろうか。ほどなくしてアルヴィンは寝息を立て始めた。

(相当、参ってるみたいだねえ・・・仕事でも色々あるようだし。にしても、エリーゼって、そんなに無精な子かなあ?)

アルヴィンの言い分だと、まるでエリーゼがメールの返事をしなかったり、電話の応答が悪い人間のように聞こえる。だが、バランの知るエリーゼはそうではない。メールをすれば半日以内で返信が来るし、電話も出る。留守電に吹き込めば折り返しの電話を掛けるくらいだから、対応は非常にまっとうな代物と言えよう。

だがしかし、バランは自らの経験に基づく見解を従兄弟に伝えなかった。伝えられなかったと言った方が正しいかもしれない。返事を待ち焦がれて酔い潰れてしまうような人間に、自分のところには頻繁に来ているから大丈夫、とは、口が裂けても言えないからだ。

(けどしかし、こっちに来ることすら知らせていないとはね)

エリーゼは学校行事だから無意味と言葉を濁しはしたが、エレンピオスに行くことくらい、一言あっても良いとは思う。昔の仲間なら特にだ。事は、会える会えないの問題ではないのである。

バランはGHSを取り出し、従兄弟を呼び出した。

「アルフレド。今どこにいる?」

言いながら、もしかすると入れ違いでリーゼ・マクシアかと、一瞬ひやりとしたが、返ってきた従兄弟の声は近かった。

「トリフラグだけど。・・・何だバラン。また特急納品の連絡か?」

眉を顰めた表情が見えるような、嫌そうな声である。だがそれに構わず、バランは平然と言い放った。

「あたり。急いで研究所に来てくれないか?」

「勘弁してくれよ。あのなあ、俺、便利屋じゃないんだから。問屋さんにだって、そう何回も泣き落としが効くわけじゃねえんだよ。発注にはもうちょっと余裕を持ってだな・・・」

「違うよアルフレド。今日は俺が、お前に納品したいの」

「は?」

頭の回転の良さで傭兵業を営んできたアルヴィンでも、流石に理解できなかったらしい。間抜けな声を上げた電話の向こうの相手に、バランは畳み掛けるように、笑った。

「納品先はお前なの。分かった?」

「意味わかんねえぞバラン。大体、俺がお前んとこの研究所に、何注文したっていうんだよ?」

「まあ発注伝票は俺のとこにも控え無いんだけど。――あのね、実は今、研究所に・・・」

バランがそこまで言いかけた時、砂嵐に似た雑音が、二人の耳を覆った。

急に相手の声が聞こえなくなり、バランは軽く眉を顰める。

「おい、アルフレド? もしもし? もしもーし?」

だが応答はない。相変わらず雑音が続くだけだ。その雑音も、そのうちGHSが電波を探す電子音に変わってしまう。

「何だ? 急に・・・」

不審に思いつつ、通話の切れたGHSを耳から離した時だった。

ばつん、と耳障りな音を立てて天井の照明が消えた。照明だけではない。直前まで普通に稼動していたはずの分析機器までもが、モーターの空回りする音だけを残して沈黙している。

「所長」

ティポの分析をしていた研究員が、闇の中から寄ってくる気配がした。

「落ち着け。すぐ非常電源に切り替わる。――君、有事対処法は訓練受けてるよね。なら、エネルギーが戻り次第、手順通りに検体を取り出して、それを持って事務所まで来てくれ」

「分かりました」

バランは足早に事務所へ戻った。その間に非常用電源への切り替えが完了したらしく、部屋は非常灯の放つ、ほの暗い光で満たされていた。

「非常用発電側に切り替えろ! データが死ぬぞ、急げ! ・・・所長」

いくら訓練しているとはいえ、いざ有事となると人は存外動けないものだ。立ち竦むばかりの若い職員を年嵩の技師が叱り飛ばす中に、バランは立った。

「各部署、現状を報告しろ」

彼の落ち着き払った声で、全員が幾ばくかの冷静さを取り戻した。

最初に発言したのは、受話器に取り付いていたマキである。

「各棟との相互回線が不通の模様。総務課、守衛所とも連絡がつきません」

「不通? 発信音はある?」

所長に問われて、彼女は慌てて受話器を耳に押し付ける。

「いえ・・・ありません。物理的に切断されていると判断して良いかと思います。引き続き、アナログ回線での通信回復を続行します」

彼女の苦渋に満ちた報告に、バランは呟く。

「さっきの雑音・・・単なる電波障害か?」

その呟きに素早く反応したのは、壁際で友人達と一緒にしゃがみ込んでいたエリーゼだった。突然の非常事態にパニックを起こしたのだろう、肩を寄せ合い震えるままの親善団を落ち着かせ、慰めていたのである。

彼女はGHSを素早く取り出し、画面を開くなり言った。

「圏外です」

「と、いうことは通信棟がやられたな。――機械の方はどう?」

これには先ほど大声を上げて指示を飛ばしていた技師が、手順書を捲りながら答えた。非常用電源は発電量が少なく、その殆どを機器類に配分しているため、手元は普段と比べ物にならないほど暗い。

「現在、備え付けの非常用発電機の稼動状況を確認中。機器類への送電確認を実施した後、通常操作でシステムダウンさせます」

「了解した。機械の方は手順書にある通り、君の管轄だ。頼む――」

「所長! 通信棟と繋がりました!」

マキが鋭い声を上げた。本来なら通信回復は喜ぶべき自体なのに、その顔は蒼白で、受話器を持つ手は震えている。

「相手は通信棟の職員で間違いない?」

「声は。ですが向こうの名乗った内線番号・・・7500なんです・・・」

今にも泣き出しかねないようなマキの言葉に、それまで騒がしかった部屋がしん、と静まり返った。

親善団に付き添っていた案内役の職員が顔を顰め、呟く。

「有事コードだ」

「有事コード?」

耳にしたことのない単語に、側にいたエリーゼが鸚鵡返しに問う。職員は、大人でさえ平静さを失う状況下にもかかわらず、動じたところのない彼女の態度に、少しばかり目を見張った。が、彼女の経歴を思い出したのか、すぐに真顔になる。

「符牒のことだよ。源黒匣の本拠地となってから、君達のような見学者が増えてね。部外者には分からないよう業務内容を伝える、ここの職員にしか通じない、いわば暗号のようなものだ。その一つに7500、というのがあるんだが・・・」

「それが有事を意味する符牒、なんですね」

その有事とは一体何か。発電施設とGHSの基地局が同時に使用不可となるには、どう見積もっても人的要因が過分に含まれる。つまり、誰かが故意に起こそうとしなければ、か細い非常用電源で命を繋ぐ羽目にはならなかったわけだ。

エリーゼは他の職員達同様、固唾を呑んで、電話対応をするバランの背を見つめた。

「お話を伺う限り、そちらの要求を呑む他ないようですね。わかりました、私が行きましょう。場所は・・・分かりました。では――」

ちん、と小気味良い音を立てて受話器が置かれる。バランは電話の最中、書き取っていた用紙を取り上げて、まるで明日の天気を話すように、至極あっさりと言った。

「アルクノアだって」

悪名名高きテロ組織の再登場である。部屋にいた全員に緊張が走った。

「ア・・・!?」

「アルクノアっ!?」

その名を再び耳にすることは、親善団のリーゼ・マクシア人にとって悪夢でしかなかったであろう。事実、生徒達は震え上がって声も出ない有様だった。

「所長。先ほど相手に答えていた内容についてですが、もしや所長自らが、先方に出向かれる、ということですか?」

技師の一人が顔を硬くして詰め寄る。バランはこれにも、淡々と頷くだけだった。

「俺にマスターキー持って来いってさ。大方、人質に取りたいのと、ここの防衛機構、発動させたいってとこじゃないのかな」

「流石にそれは危険すぎます。別の人間に任せるべきです!」

この一見まっとうな進言を、だがバランは首を振ることで退けた。

「向こうがご指名なら、行くしかないでしょ。ここ一年の源黒匣報道で、顔も知られちゃってるしね。――全員、手順書通りに行ってください。端末は全てシャットダウン。指定の重要書類は金庫へ。そして、各自の承認鍵を持って退避するように」

その命令を合図に全員が慌しく動き出す中、マキを手招きする。

「マキちゃん、親善団の皆さんを頼むね。――申し訳ありません、折角の見学が、こんな形になってしまって」

生徒達は、歯をがちがちと鳴らしながら、悲鳴に近い叫びを上げた。

「あ、あたしたち・・・どうなるんですか? 何がどうなっているんですか?」

「さっき、アルクノアって・・・」

「大丈夫。心配には及びません。親善団の皆さんには、我々職員が命に替えてでも、リーゼ・マクシアの土を踏んでいただきますから」

バランは物騒なことを朗らかに言い放ち、胸を叩いた。その笑顔に幾ばくか安心したのだろう。生徒達の顔に、少しだけ生気が戻った。彼女達は互いの手を握り締めながら、よろよろとその場に立ち上がる。

その時、年嵩の技師がそっとバランに耳打ちをしてきた。

「所長、外部への連絡、どうします? GHSが使えないんじゃ・・・」

バランはそれには答えず、親善団の一人を呼んだ。

「エリーゼ」

「はい」

所長の前に立ったのは、緩やかな金の巻き毛を二つに結わいた、年端もいかない少女だった。

「なんでしょう?」

「任せて、いいかな」

少女は薄い笑みを浮かべた。

「勿論です」

二人の短い遣り取りに、周囲は慌てた。

「エリーゼ!?」

「何言ってんのよっ!?」

「任せるって・・・所長、この子はリーゼ・マクシアの親善大使なんですよ?万が一があれば、国際問題になりかねません!」

轟々の非難の声を、バランは手を振って制した。

「それはわかってる。けど、彼女の場合、君たちより外にたどり着く確率が、桁違いに高いんでね」

一方、親善団の少女達は、先ほどとは別の意味で涙目である。

「エリーゼ・・・」

元々、頭は悪くない子の集まりだ。自分達の友人が、救援を呼びに行くという大役を背負ったのだと気付いたのだろう。

もしかしたら今生の別れとなるかもしれないと涙を流す友人の手を、エリーゼはしっかりと握り返す。

「みんなは、ここの職員さんと一緒に安全な場所へ。わたしが、必ず助けを呼んでくるから」

「でも、本当にエリーゼ一人で行くの・・・?」

だが尚、友人達はおずおずと彼女に訊ねてくる。それはそうだろう。エリーゼは、テロリストがうろつく中を単身突破すると言っているのだ。どう足掻いても途中で倒されるのがオチである。自ら死地に赴くなど、正気の沙汰ではない。

心配してもし足りない、という顔つきの友人達に、エリーゼは深く笑う。

「こういうの、慣れてるから」

親善団が職員と共に部屋を出て行くのを尻目に、エリーゼはバランに武装を求めた。

「バランさん、何か武器ってありますか?」

「そうだねえ・・・資料で取り寄せた杖くらいしかないけど」

手渡されたのは、精霊術の入門者が使うような、初級の杖だった。だが贅沢はいえない。杖のあるなしは、攻撃力に直結するからだ。

「それで十分です。お借りします」

彼女が杖を受け取った時、部屋の入り口が開き、一人の研究員が駆け込んできた。その腕の中には紫色の物体がある。

「ああ、そうだ。ティポを返そう」

と、バランが研究員から受け取る前に、紫色の塊が宙を飛んだ。

「話は聞いたよエリーゼ! さあ、正門に向かってレッツゴむぐっ!?」

意気軒昂とばかりにはしゃぐティポの口を、少女は慌てて塞ぐ。

「ティポ! 五月蝿くしちゃダメですよ。わたしたちの居場所が、アルクノアに知られちゃいますっ」

どこまでものどかな二人の様子にバランは思わず現状を忘れ、腹を抱えた。

「あはは。相変わらずだねえ、君達ペアは」

これにはエリーゼも釣られて苦笑した。

「こう言っては何ですが、連れてきて正解でした」

「僕もそう思う。――じゃあ、俺が囮になるから、後、頼むよ」

「お任せください」

 

トリグラフの商業地区の一画で幾度目かのリダイアルを試行していた商人は、無言でGHSから耳を離した。

急に途切れたバランとの通話。こちらが通話終了ボタンを押したわけではないし、話が拗れての遮断ではないのは確実である。現に向こうは、何かを言いかけている最中だった。そして、続いて聞こえてきた雑音と、電波を探す電子音。あの研究施設には通信網強化のため、GHSの基地局が設置されている。それなのに突如として圏外になるとは、怪しいにも程がある。

何かが起きたのだ。それも、あまり良くない何かが。

アルヴィンは業務を相方ユルゲンスに丸投げし、文字通り身一つでヘリオボーグへ駆けつけた。

こういう時、嫌な予感というものは得てして当たるものである。到着した時、基地は既に異様な緊張感に包まれていた。

男が足早に通用門を抜けると、顔見知りの警備員が駆け寄ってきた。

「アルヴィンさん!」

応じながら、商人は素早く周囲に目を走らせる。敷地内にたむろする人間の顔には、皆、緊張の色があった。

「バランと電話してる最中、突然切れたんだ。この様子・・・何かあったんだな?」

警備員は所長と昵懇の貴方だからお話しますが、と声を潜めた。

「アルクノアですよ」

「なんだと?」

アルヴィンの眉が跳ね上がる。

「防衛機構作動時に、施設内部に一斉放送が流れるんですが、その時に奴らが名乗ったんですよ。こっちの呼び掛けには全然応じないくせに、あいつらときたら・・・。まあ、通信網全部やられてるから、連絡つけたくても無理なんですがね」

「GHSも駄目ってことか」

商人は溜息をついた。

ヘリオボーグ地区の基地局は一箇所。元軍事施設なだけに大規模な基地局が設置されていて周囲の電波を一手に引き受けていたわけであるが、今回はそれが裏目に出た。頼みの綱の基地局がやられたのなら、掛け直しても繋がらない訳である。

「トリグラフ在住軍に連絡済ですが、制圧までには時間がかかるでしょう。何せ、敵の規模も、内部の様子もさっぱり分からないんですから」

「どうしてだ? 逃げてきた奴から聞き出せばいいだろう。職員は連中、一年前の占拠事件を受けて、有事訓練さんざんしてきてあるんだから」

訓練の話は以前、バランから聞いたことがあった。侵入者撃退用の防衛機構も含め、対処方法や避難経路を何段階にも用意しており、それを職員に徹底させている最中だと、いつになく真剣な顔で話していたことを思い出す。

この警備員も訓練には参加しているはずなのに、その顔は暗いままだった。

「・・・それが、どうやら部外者がいるようなのですよ」

アルヴィンはすこし眉根を寄せた。

「えらい曖昧な言い方だな」

基地内への入館管理は、守衛室に詰めている警備員の役割のはずである。その警備員本人が把握していないような物言いに、アルヴィンは疑問を持った。

「何でもリーゼ・マクシアの・・・カラハ・シャール? だったかな。そこの学生さんが親善大使としてこっちに来ているらしくて」

愛想笑いを浮かべ言い訳めいた話をしながら、警備員は彼を守衛室に案内した。

「まあ、良くある源黒匣見学ってとこでしょうけど、停電のせいで入館者データが吹っ飛んでるんです。僕らも復旧を試みましたが、守衛室の電算機や手持ちの端末だけではどうにも・・・。あ、でも人数は分かってますよ。入館証の枚数を数えましたから」

白い手袋を嵌めた手で指差した壁には、名刺大のカードケースがいくつもかかっていた。そのうちの数個が、確かになくなっている。

「そうか」

アルヴィンは警備員に礼を言い、正面入り口に向かった。

入り口は完全に塞がれている。短絡させることで抉じ開けるのは可能だが、それは強行突入を敵側に知らせるも同義だ。中で孤立しているであろう職員と見学者達の身の安全が確認されるまでは動かない方がいい、というのがその場にいる大半の者の意見だった。

だがアルヴィンの意見は違っていた。

通信は途絶中。世界最高峰のヘリオボーグ技師をもってしても修復は未だ不可能。見る限り、軍の本陣は到着していないし、どのみち軍が到着しても、内部の状態が分からないことには制圧などできはしない。

商人は鋭い目で灰色の建物を見上げる。

(カラハ・シャールの学生、か・・・)

先ほど警備員からその都市の名を聞いた時、瞬時にエリーゼの顔が浮かんだ。だが彼はすぐにその可能性を打ち消した。カラハ・シャールの学生というだけでエリーゼと結びつけるのは短慮だというものだし、第一、もし彼女がエレンピオスへ来るなら、事前に連絡があったはずである。

連絡はなかった。だからエリーゼではない。メールも電話も、遣り取りが途絶えがちだったとはいえ、我ながら穿ちすぎだと思い込もうとしたが、一方で、まさか、という焦りも未だ胸中に渦巻き続けている。

彼は舌打ちをして、その場を離れた。どのみち、どうにかして潜り込み、中と接触する必要があるのは確かだった。だが単身で飛び込むのはあまりにも厳しすぎる。

どうしたものかと思いあぐねていた時、思わぬ援軍が現れた。ジュードと、その友人というルドガー、そしてエルという少女である。彼らは挨拶もそこそこに現状確認をし合うと、研究所への侵入を開始した。

「さっき外の人に話聞いたけど、見学者が来てたんだってね」

事務棟を過ぎ、屋外に出たところで、ジュードがアルヴィンに話しかけてきた。反響する室内と違って、物音にさほど気張らなくて良くなったからだろう。

「らしいな」

「僕、あまり事務局の方に顔を出せてなくて、今日初めて知ったんだけど。エリーゼから何か聞いてた?」

「いや。もしかしたら占拠の話聞いて連絡寄越してるかもしれねえが、今ここ圏外だからなあ」

アルヴィンは恨めしそうに曇天を見上げた。空はすっかり灰色の雲に覆われ、今にも雷が鳴りそうな気配である。

一行がT字路に差し掛かったところで、前方から集中砲火が来た。

「うわっ!」

「・・・っぶねーなオイっ!」

咄嗟に左右へ散開したものの、彼らはそこに釘付けとなってしまった。倒そうにも敵の守備範囲が広いため、迂闊に近寄れないのである。

「ったく、バンバン打ってきやがって。こっちも飛び道具が欲しいな」

銃を構えたアルヴィンが、そうぼやいた時だった。

目の前の通路を徘徊していた敵が轟音と共に吹き飛んだ。屈強な機械を容易く薙いだ紫黒の無数の帯――リーゼ・マクシア人の扱う精霊術である。

「ふう・・・もういませんね」

「エリーゼ!?」

曲がり角の向こうから現れたのは、紛れもなくエリーゼであった。

「アルヴィン!? それにジュードも!」

思いもよらぬ人物の登場に驚いたのは、向こうも同じだったらしい。彼女は大きく目を見張ると、占拠中の基地内には似つかわしくない、軽やかな足取りで駆け寄ってきた。

「無事か? 怪我は?」

アルヴィンは容態をせわしなく尋ねた。見たところ五体満足のようだが、外からでは分からない傷が、あってもおかしくはない。

「大丈夫です。ありがとうございます」

エリーゼは微笑した。その答えを聞いてようやく安心できて、アルヴィンはいつの間にか掴んでいたらしい華奢な手首を放した。

「けど、どうしてヘリオボーグ基地に? ・・・って、もしかして」

ジュードの疑問に、彼女は頷く。

「はい。リーゼ・マクシアの親善団に、うちの学校が選ばれたんです。それで」

襲撃があったのは見学の真っ最中だったという。級友達を安全な場所に避難させ、バランが囮となっている間、アルクノアの目を掻い潜って助けを求めに正面入り口を目指していたらしい。

彼らがヘリオボーグへ来た目的を聞くと、エリーゼは同行を請け負った。彼女もまた、基地解放には防衛機構の解除が必要であることに薄々気付いていたようである。防衛機構の稼動と解除には、基地所長の保有するマスターキーが必要であるため、彼らはバランを探し、さらに奥へと進み始めた。

「そういやお前、好きな奴とかできたりしたの?」

道中、アルヴィンは何の脈絡もなく隣のエリーゼにこう聞いた。

当然のことながらエリーゼの顔が見る見る間に赤くなる。傍で聞いていたエルなど、デリカシーなさすぎと毒を吐いたくらいだ。

「・・・アルヴィンには絶っ対、教えません!! 行きましょう、エル!」

エリーゼはきっぱり断言するや否や、エルの手を取り大股で行ってしまう。

残された男三人のうち、白衣の青年が気まずそうな笑みを浮かべつつ、声を掛けた。

「・・・思いっきり拒否られたね、アルヴィン」

「絶対、のところに、やたら力が篭ってたな」

先ほどのエリーゼの剣幕を思い出しているのか、ルドガーは腕組みをする。

「・・・俺、何かしたっけ・・・?」

がっくりと肩を落とすアルヴィンに対し、彼らは意外とばかりの顔つきになった。

「え? したんじゃないの?」

「心当たりがないとでもいうのか? 彼女のあの剣幕で?」

無意識のうちに止めを刺されたアルヴィンは、ないから困っているんだよ、と誰にともなく呟いた。

四人の立ち位置は、ジュードとルドガーが当然のように前衛についたため、アルヴィンとエリーゼは後衛となった。このような布陣となった背景には、エリーゼの性質が後方支援型の回復補助系であることも大きく作用しているだろう。ともかく、戦闘配置も共鳴の組み合わせも、アルヴィンはエリーゼと組む羽目になったのである。

一年間、良家の子女として学問に励んできたエリーゼだが、戦闘経験の空白など物ともせずに、皆の行動をよく汲み取っていた。彼女という強力な治癒術を扱う人間が加わったことで、ジュードも回復に回らずルドガーと共に攻めに回っており、その攻撃も残存体力を顧みないものとなっている。

だがアルヴィンには、わだかまりがあった。何故なら、自分がエリーゼに信用されていないのではないかという疑念が晴れないからである。

彼女は、自分にエレンピオス訪問を、あらかじめ告げなかった。互いのGHSの連絡先も知っているのにである。商売の分担上、自分がエレンピオスを根城に活動していることだって伝えてある。それら全てを知った上で、彼女は黙ってこちらへ来、そして黙って帰るつもりだったのだ。

アルヴィンは悩んだ。どうしてなのだろうと、幾度となく、ここ一年の遣り取りを振り返った。だが別段、GHSでの連絡が途切れがちだったことを除けば、不審も落ち度も見つけられなかった。

けれども、その理由を聞くことは憚られる。何故連絡しなかったのかと、こちらからは切り出しにくかった。口を開けば感情が先走って口論になりそうだった。

挙句、信用していないから、などと、それこそ言いにくそうに呟かれた日には、絶対に立ち直れない。

誰に相談することも叶わず、一人悶々としていた彼がぶつけた先は、結局また従兄弟であった。

「無事に君と合流できたみたいだね、彼女」

実験中止されていたはずの源黒匣ヴォルトが起動したという、いささか腑に落ちない点があったものの、一行は屋上で所長バランを回収、研究所の秩序を取り戻した。

にこにこといつも通りの笑みを浮かべる従兄弟に、アルヴィンは青筋を立てる。

「てめえ・・・よくもエリーゼを一人で放り出しやがったな」

「あれ? もしかして怒ってる?」

「当然だろ! ったく、ふざけたことしやがって」

怒髪天の形相で迫るアルヴィンに対し、バランはひとつ肩を竦め、首を振った。

「やれやれ、寧ろ感謝して欲しいくらいなのにな。彼女の生存率をあげたんだから」

意味深な物言いに、アルヴィンは口を閉ざし、低く唸った。

「・・・下手に素人の職員つけると、逆に足手まといになった、ってか」

「あたり」

「だからって・・・何も一人で送り出すことねえだろうが」

するとバランはアルヴィンの顔に、人差し指を向けた。

「だってアルフレドが来てたもの。必ず途中で合流すると思ってたよ」

実際、そうだったでしょと指摘され、アルヴィンは口をへの字に曲げた。事実なので言い返せないのだ。

「俺が来るって、何でわかった?」

「あんな通話の切れ方して、君が不審に思わないわけないでしょ?」

裏を返せば、それだけこの従兄弟に信用されているということになるわけだが、今のアルヴィンは寄せられる信頼を素直に喜べなかった。

「まあそりゃそうだが・・・。そういや、あの電話、何を言おうとしたんだ?」

「ん? エリーゼが来てるって。しっかし、言おうとした矢先に基地局壊すとか、アルクノアも空気が読めないというか何と言うか」

あっちこっち破壊工作もしてくれちゃって困ったもんだね本当に、とバランが基地を見回してぼやく。建屋の屋上から見る限りでも、あちこちに真新しい襲撃の跡がある。内部の機器や端末も随分と手荒くやられたようで、その損害を補填するだけでも大変だ、と共に救出された総務の人間と一緒になって頭を抱えていた。

アルヴィンは柵に背中を預け、解放された人々を眺めながら、全く違うことを呟いた。

「エリーゼさ・・・知らせてくれなかったんだ。こっち来ること」

通信復旧の知らせを受け、バランが早速GHSを取り出している。破壊された基地局の代わりだと、さっき軍が通信車両を寄越してくれたのだという。

従兄弟の独白に対する反応も薄く、完全に片手間だった。

「びっくりさせようと思って、内緒にしてたんじゃない?」

アルヴィンは首を振る。

「あいつは、そういう芸当する奴じゃないよ。駆け引きとか、そういうのとは無縁なんだ。まあ、知らせなかったのは俺だけじゃないっぽいんだけど。それにしたって、連絡先知ってんのに・・・」

事態が一段落してから、彼はかつての仲間にこの件を訊ねてみた。その反応は様々であったが、ひとつだけ共通していることがあった。

(てっきりアルヴィンのとこには、連絡いってるとばかり思ってたよ~)

(え、アルヴィンも親善使節がエリーゼだって知らなかったの?)

(妙ですね。我々に知らせないならともかく、何故アルヴィンさんにまで・・・?)

皆、エリーゼから事前に連絡がなかったことよりも、アルヴィンが知らされていなかったことの方に驚き、ほのかな同情を寄せてくれた。

一方のバランは苦しい立場である。何せ、エリーゼから事前連絡を受けていたのであり、且つアルヴィンに知らせなかった理由を明白に知っているからだ。

だが言うわけにはいかない。彼は持ち前の口先で、言葉を濁した。

「・・・事情があったんじゃない?」

「事情?」

「そりゃ分からないよ。俺はエリーゼちゃんじゃないもの。それこそ本人から聞き出すしかないね。アルフレド。お前、誘導尋問は得意分野だろ?」

するとアルヴィンは、ふい、と横を向いた。

「あいつにはそういうことしたくねーの」

バランは怪訝そうな顔になった。次いで、信じられないような物を見る目で従兄弟を見つめる。

「・・・まさか正攻法? お前が?」

「お前が? とか言うな。さっきも言ったけどな、あいつはな、手管とかそういう・・・そんなんじゃねーんだよ」

そう呟き、アルヴィンは背を柵の上に乗せて空を仰いだ。雷雲の過ぎたばかりで、まだ灰色の雲が多かったが、隙間から除く青は夏の色をしている。

従兄弟の反応に、バランは思わず腕を組んだ。

(こりゃ本気だねー・・・)

だが、それが分かったところで彼にはどうすることもできない。女性経験はあるが、浮名を流してきたアルヴィンに比べれば取るに足らない数である。そのアルヴィンが、女相手に手をこまねいているのだ。自分にできそうなことといえば、せいぜい、頑張れ応援していると背中を押してやるくらいである。

呆けたように空を仰いでいたアルヴィンが、大きく溜息をついた。

「なんかもー・・・。俺、どうしたら良いと思う? てか世間の他の野郎どもはどうやってるわけ?」

「それが分かってたら、世の男性は全然苦労しないんじゃないかなー」

バランの答えは至言であった。

アルヴィンは今、自分が泥沼に嵌っていることに、薄々気付き始めていた。

エレンピオスにおける一行の拠点は、自然とトリグラフに定まった。トリグラフは地方都市でありながら大企業クランスピア社の本社がある。また、交通の面でも、地方への玄関口として機能していたため、何かと都合が良かったのである。

その日も、一行は朝から打ち合わせを兼ねた朝食を取った。その後、アルヴィンはおもむろに旅支度をした。

「んじゃ、ちょっくらイル・ファン行ってくるわ」

彼の職業は商人である。といっても今は駆け出しで、商品の確認や売り込み、契約といった細やかな処理も、彼自らが赴かなければならない。

彼が協力を申し出ているルドガーの仕事については、合間に手伝うと最初に伝えてある。向こうもそれは承知しているので、白髪の青年は快く送り出してくれた。

ちなみに、ルドガーは高額債務者のため、移動制限を食らっている最中である。アルヴィンに同行しようにも保険屋と法律がそれを許さない。

さして多くもない荷物を持ち、商人はロビーに降り立った。フロントで船の手配を済ませていると、階段を小走りに駆け下りてくる足音がした。

「ああ、良かった。まだ行ってしまっていなくて」

現れたのはエリーゼだった。慌てて降りてきたのか、二つに結わいた結び目にリボンがない。

「カラハ・シャールに寄る予定、ありませんか?」

彼女にそう聞かれ、男は己の予定を顧みる。船と時間の関係上、いくつかの港を経由する。だから、ないことはない。

「・・・乗り継ぎで下船するけど」

するとエリーゼは、胸に押し抱いていた封筒を、おずおずと男の方へ向けた。

「手紙の配達、お願いできないでしょうか」

「ああ、学校へか」

他の仲間と違い、彼女はまだ学徒である。そんな彼女がルドガーに協力するなら、しばらく学校を休学しなければならない。それでなくとも、エレンピオス訪問という学校行事を個人的な事情で切り上げてしまっているのだ。事後承諾とはいえ、事情説明は必要であろう。

だがエリーゼは首を横に振った。

「いえ、ドロッセル宛です。ドロッセルは私の保護者で領主様ですし。それと、手紙には私達の事情も簡単に記しましたから、学校へ口添えをしていただこうと思って」

当事者といえども未成年である自分だけがくだくだしく説明するより、信憑性が増すだろうとエリーゼは踏んでいるらしい。アルヴィンもその意見には賛同だった。

男は手紙を受け取った。

「分かった。シャール家の屋敷に届ければいいんだな」

「ありがとうございます! 良かった・・・助かります」

少女は、まるで救世主に巡り合ったかのように目を輝かせ、礼を言った。ひどく安堵した様子で、胸の上で重ねる。

その様子を見ていた男は微かに目を細め、少し視線を外した。

「ま、何かあったらGHSに掛けてくれ。イル・ファンなら基地局整備が進んでるから」

「は、はい・・・」

そう答えたものの、少女の顔には緊張の色が走っていた。地雷を踏んだと気付いて、アルヴィンは流石に気まずくなった。

「・・・嫌ってんなら、無理にとはいわねーけどよ」

するとエリーゼは、はっと顔を上げた。そして猛然と両手を振り、否定してきたのである。

「ち、違います! 嫌じゃありません! 全然!」

「・・・・・・」

「あ・・・えっと・・・」

エリーゼの顔に、みるみるうち血が上る。振っていた手は、収拾がつかないのか、中途半端に指を曲げた格好で硬直させる始末だ。何か弁明しようと口を開閉するものの、どうやら全く思い浮かばないらしい。

身の置き所がない、とばかりに俯く彼女の肩に、男がひとつ手を置く。

「じゃ、いってくるわ」

はじかれたようにエリーゼが顔を上げ、振り返る。アルヴィンは既に宿屋の玄関口に立っていた。

「お、お気をつけて」

扉の外に消えかける男の背に、辛うじてそれだけが送れた。

エリーゼは自分に感心していた。電話を掛けるのが嫌じゃないなんて口走って、とても動揺していたのに、よくも口が動いたものである。

しかし、嫌じゃない、と断言してしまった以上は、こちらから掛けるのが筋と言うものだろう。そう考える辺り、エリーゼは義理堅く、また頑固であった。

エリーゼは手の中のGHSを見つめる。皆で夕食を取り、それぞれ客室に引き上げ、就寝を待つばかりという宵の口である。

「GHS・・・」

何かあったら掛けてくれ、と言い残してアルヴィンは行ってしまった。

とはいえ、今日一日、これといって変わったことはなかった。したことといえば、ルドガーの借金返済に付き合って、二つ三つ依頼をこなした位である。つまり、何か遭ったわけではないから、掛ける必要はない。

けれど、掛けないのは自分の発言を反故にする気がした。少なくともエリーゼはそう考えており、だからアルヴィンに電話をしようとGHSを取り出したのであるが、いざ掛けようとした段になって手が止まったのである。

掛けたとして、一体、何の話をすればいいのか。何もなかったというのに、何を言えばいいのか。分からない。

分からないといえばメールだってそうだ。平凡な一日だったと送るなんて、それこそ手間隙の無駄のような気がした。

エリーゼが一人悶々と考え込む部屋に、突如、愛らしいオルゴールの音が流れた。

「電話・・・?」

慌ててGHSをぱちんと開く。画面いっぱいに着信を知らせる鈴のアニメーションが動く下、表示されている名前はアルヴィンと読めた。

エリーゼはGHSを取り落としそうになりながらも通話ボタンを押し、GHSを耳に宛がった。

「も、もしもし・・・!?」

返ってきたのは、いつもの飄々とした男の声だった。

「よ」

だがエリーゼの胸はにわかに騒がしくなった。こんな夜に電話をしてくるなんて、ただ事ではない。

胸騒ぎに駆られて、エリーゼはせわしなく問うた。

「どうしたんですか? 何か、あったんですか?」

「いや、別に用はないんだけど」

エリーゼは微かに眉根を寄せた。

「・・・? 用もないのに電話するんですか」

男は一拍間を置いて、こう答えた。

「用がなかったら電話しちゃいけないのか?」

「・・・え・・・」

エリーゼの頭は真っ白になった。良いとも悪いとも、答えられなかった。思ってもみないことを指摘されて、何も考えられなくなった。

電話はそのまま、おやすみを言って切れた。エリーゼはしばらく、寝台の上で呆然としていた。

(どういうつもりだったんだろう・・・)

頭に血が巡り出したのは、寝具の中に潜り込んでからだった。日中の戦闘で疲れているはずなのに、目も頭も冴えて、とても眠れそうにない。

エリーゼは幾度目かの寝返りを打ち、天井を見上げる。彼は本当に、用件もなしに電話してきたのだろうか。

今日まで、エリーゼはGHSを利用する時は何がしかの連絡がある時なのだと考えていた。だから緊急時や返答を求めたいような局面でしか用いなかったし、他の人もそのように使っているとばかり思っていた。

だから、用件なしに電話したのか、と問い返した。すると、逆に質問された。用がなければ掛けてはいけないのかと。

アルヴィンの声には、かすかだが怒りのようなものが混じっていた気がする。自分に、窘められたと感じたのだろうか。用がないのに電話をするものではないと、そんな風に考えているように受け取られてしまったのだろうか。

エリーゼは目を瞑る。アルヴィンからの電話を当てている感触が、まだ耳に残っている。

(そんなこと・・・思ってないのに・・・)

あれこれ考えているうちに眠りに付き、朝が来た。

落ち着いて考えてみれば、たかが電話一本の出来事である。

にもかかわらず、その電話はしばらくの間、彼女の耳に木霊し続けた。流石に数日経つと薄れはしたが、それでもふとした折に男の声を思い出した。

耳朶に残る、馴染み深い低い声音。遠い場所からの近い声が蘇る度、彼女の鼓動は早まった。それが動揺なのだと気付いた時、エリーゼは正直戸惑った。と同時に、奇妙な浮揚感に襲われた。不思議と、嫌な気持ちにはならなかった。

商売との兼ね合いから、アルヴィンは度々戦線から離脱する。だがそれは彼に限ったことではなく、一国の君主とその補佐官も同様であった。逆に休学届を提出済のエリーゼは、ルドガーと連れ立って行動することが多く、良き片腕として仕事を手伝っている。

従って、二人が顔を合わせる頻度は、それほど高くない。加えて、主要な顔ぶれが揃った時には、大抵、事態が急展開する。アルヴィンとエリーゼは、落ち着いて話をする機会に恵まれなかった。

幸か不幸か、その状況が、エリーゼの背中を押した。

その日、アルヴィンは買い付けのため、ユルゲンスと共にハ・ミルを訪れていた。

この純朴を絵に描いたような街に飲み屋はない。民家を改築した宿にもないから、夜の暇潰しといえば外をぶらつくくらいしかなかった。

日没と共に人通りの絶えた村の中、アルヴィンは手近な木の柵に背中を預ける。周囲に明かりのないせいか、見上げれば満天の星空が輝いていた。

考えてみれば、一人の時間というものは、実に久し振りだった。旅仲間がいるし、仕事で手を組むユルゲンスがいる。ほんの一年前までは孤独が当たり前だったのに、今は仲間達の放つ明るい喧騒と温もりが、ただただ懐かしくてならない。

人恋しい、とまではいかないが、それに近い感情が芽生えているのは、どうやら事実のようだった。

ふいに、彼のGHSがオルゴールの音色を奏で始めた。

落ち着いた愛らしい金属音なのだが、実は設定してこのかた、一度も鳴ることのなかった着信音なのである。

アルヴィンは珍しい、と思いつつ通話ボタンを押した。

「もっしもーし」

受話器の向こうで、息を呑む音がした。

「・・・あ。・・・あ、のわたしエリーゼですっ」

「知ってるよ。ディスプレイに表示されてるの見たし、今も表示されてる。GHS耳に当てちゃってるから見えないけどな。――で、どうした?」

エリーゼは答えない。男は思わず柵から背を離した。

「何か、あったのか?」

「い、いえ! いいえ、特に、何も・・・」

「そっか。なら良かった」

「何も・・・なくて・・・」

アルヴィンは再び胸騒ぎに襲われた。エリーゼの泥濘に沈み込むような声は、決して吉事を告げるものではなかったからだ。

男は辛抱強く、受話器の向こうの言葉を待った。

「分からないんです」

アルヴィンは片眉を上げた。

「分からない?」

「何もないのに、話すことが見つかっていないのに、電話を・・・」

どうやら彼女は、無用な電話をしてしまったことを悔いているらしい。年齢に増して妙に律儀なエリーゼに、アルヴィンは朗らかな笑い声を上げた。

「別になくたっていいじゃねえか。気軽に掛けてこいって言ったのは俺なんだし」

「だって、何を話せばいいんです? 伝える事柄もないのに」

エリーゼは純粋に疑問の念を抱いているようだった。そして、自分の行動が矛盾していることも、薄々気付いているらしい。用事もないのに電話をしてしまったという衝動的な行動をとった己に、若干の苛立たしさを覚えているためだろう。非難めいた物言いは、八つ当たりのようでもあった。

「じゃあ、今日エリーゼはさ、何で俺に電話したんだ?」

逆に男が問うと、少女は明らかに言葉に詰まった。

「何で・・・でしょう・・・」

(何でわたし、アルヴィンに電話したの?)

伝えたい用件があったわけじゃない。彼から折り返せと指示を受けてたわけでもない。

彼から掛けろと言われたから? 違う。言われたからといって、こんな無意味な通話をするほど、自分は愚かじゃない。

無意味――本当に、意味のないことなのだろうか、これは。

何か目的があったから、通話ボタンを押したのではなかったか。

他の誰でもなく、彼の電話番号に迷わず掛けたのは、諸連絡を伝達する以外の用途を、電話に見出したからではなかったか。

振り返っても、意味のあるようには思えなかった会話。それなのに、耳から全然離れなかった音。

(ああそっか、わたし――・・・)

「・・・声」

「え?」

受話器の向こう、男が聞き返してくる。――これだ。

「アルヴィンの声、聞きたいんです」

その言葉は、思いのほか強く、彼女の口から発せられた。

「安心するんです」

傍らに貴方がいなくても、二人の距離が遠くても。自分だけに向けられる声がありさえすれば、この夜を越えることができる。一人ではないのだ、という安らぎを得ることができる。

ただ、貴方の声を聞くことができたなら。

「・・・そう、なのか」

返って来た男の声は、明らかに掠れていた。途端にエリーゼの全身に火がついた。今しがた自分が何を口走ったのか、ようやく把握したからである。

穴があったら入りたいとはこのことだ。恥ずかしさのあまり、思わずGHSを耳から離した時、通話口から男の声が流れてきた。

「俺も」

「!」

「俺も、もっとエリーゼの声が聞きたい」

一瞬、何を言われたのか分からなかった。いや違う。分からなかった訳ではない。意味は瞬時に理解したけれど、感情がそれに追いつかなかったのだ。

今のは聞き間違いだろうか。まさか――けれども、この耳ではっきりと聞いた。わたしの声が聞きたいと。

「エリーゼ?」

応答のないことを訝しむ男が、再度彼女を呼んだ。

エリーゼは涙の絡んだ声で答えた。

「はい・・・」

「あのさ――」

その時、がちゃりとハ・ミル宿屋の戸が開いた。あくびをかみ殺して現れたのはユルゲンスである。

「うわ、ユルゲンスっ!?」

「流石に夜は冷えるなあ・・・って、アルヴィン? 何やってるんだ、こんな夜更けに」

人畜無害なキタル族の青年は、純粋な疑問の念から、今にもこちらに向かって歩いて来そうだった。

「悪い、早いとこ戻らねえと」

「は、はい」

二人の間に、僅かな沈黙が落ちた。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「また、電話するよ」

エリーゼは弾かれたように顔を上げた。

「夜ならゆっくり話せると思うから。――じゃな」

「はい。おやすみなさい」

山の厳しい自然の中で育ったユルゲンスは、夜目が利く。夜の闇中に佇む人間の判別など、文字通り朝飯前であった。

「アルヴィン。いるなら返事くらいしてくれよ」

少しばかり不満を込めてそう言うと、エレンピオス人の相棒はGHSを折り畳んだ。

「電話中だったんだよ」

「そうか。それはすまなかっ――ん?」

あっさり怒気を引っ込めたユルゲンスは、ずいと彼との距離を詰めた。

「な、何だよ」

「顔が赤いぞ。風邪でも引いたのか?」


 
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