華琳SIDE
彼が呂布奉先と一緒に天幕に入ってきた時、他の諸侯たちのように驚かなかったのは、誰かさんのおかげでこんなことにあまりにも免疫がついてしまったせいだった。
普段あらゆることを面倒くさがり、興味が向かない場所に居ることを一番嫌がっていた彼だったけど、一度自分の見せ場になると、それはもう子供が自分の技を見せる時のように人の目に付くように振る舞うのが彼の本能よ。
こんな場面で自らのこのこ出てくることなんて、そう出来るものじゃないから。
しかし、彼の度胸とは裏腹に、彼の様子は決して良いものとは言えなかった。先ずはその手についてる杖がそうだった。
その杖は一目に見ても高価なものだったけど、それは見せつけるために持ってきたものではなかった。つまりその道具本位の用途に使うために持ってきた。彼は確かにその杖に自分の身体を任せていた。
そして、その後ろにはいざとなった時彼を支えるための侍女が一人。
私が心配した通りよ。
私たちの目が行ってない場所にいる間、彼は確かに無理をした。そして自分の身体を壊すことをものともせず動いた上にこの命賭けの戦場に身を投じた。
洛陽に彼にそんなことをしてはならないと強く止めた人が一人でも居たのかしら。
そして、彼が皆の前に放った策は…
策というのは種類がある。
相手が知らなくてこそ力を発揮するものもあれば、
相手が知っていても、知っているからこそ身を縛る策もある。
彼の策は今曖昧な立場にある連合軍の諸侯たちに手を差し伸べていた。問題はその手が彼らの手を強く掴んでこの泥沼から助け出すためにあるのか、それともその首を締めてトドメを刺すためにあるのかが分からないということ。
もちろん、私や桃香は迷いもなくその手に掴んだ。
最初からそうするつもりで今まで黙っていたんだもの。
元を言えば、彼にここまで苦労をさせたのは私のせいだった。
そのくせに楽して逃れているように見えてるかもしれない。
桂花の言う通りだった。
彼とこんな風に上下関係もはっきりせずに絡み続けるなら、私は覇道を歩む者とは言えない。
だけど、気づきはしても、行動に出るのが遅すぎたのではないかしら。
互いの距離が近くとも遠くとも、彼と絡んでいたが早数年。
彼の存在は既に私の手中に納めるにも、無視して放っておくにも、あまりにも大きな存在になっていた。
なら、今の彼は私にとって何なのか。
その答えを出すために、一番最初の質問に戻らなければならない。
私は最初にどんな気持ちを彼を拾ったのか。
私はあの時、どうしてその奇人で、誰もが不審者だと見た彼を家来にしたのか。
いつか桂花にその答えを求められたことがあった。桂花と彼の初陣の時だった。
そして私は彼女の答えてあげた。
もしかしたら、他の娘たちと、桂花が彼を見る目の差は、そこから来たものだったかもしれない。
・・・
・・
・
「桂花、私がなぜ一刀を軍師にしなかったか分かってる?」
「…いえ、わかりません」
「…アイツと私はね…『夫婦』よ」
「ふう…ふ?」
「そう、夫婦」
「……」
「あなたが居る前に、一刀がここに来る前に、私には春蘭と秋蘭が居た。でも、私が覇道を歩もうと思ったのは彼女らが来るよりももっと前の話よ。その時から今まで変わらないことがあるの」
「…それが何ですか」
「…『誰も私の理想を全て理解することは出来ない』ということよ」
「……」
「あなたや、春蘭、秋蘭は私の覇道のために尽くすというけど、本当に私が望むそれが何かわかるのは私しか居ない。私はそれが自分が覇道を歩むに相応しい者である証拠だと思った。誰も理解できないその理想が、その理屈が私にはわかる。だからこそこれは誰にも出来ない、私にしか出来ないことだってね。でも、それを誇りに覚える反面、寂しいとも思ったわ。言葉で表すことの出来ない何かを心の奥にずっと置いておくことが苦しかったのよ。それでも我慢して進んできたわ。だってそうするしかなかったんだもの」
「アイツは違うというのですか。アイツなら、華琳さまの誰にも教えることのできない所まで判ってくれるとおもってらっしゃるのですか」
「…今はまだ分からないわ。ただ、彼なら…と期待しているだけよ」
「……」
「『夫婦』というのは、貴女たちからするとちょっと語弊があるかもしれないわ。でも、私は彼にそれほどに期待しているのよ。この世に私のことを全て理解してくれることのできる者が居るとしたら、それは彼なのだろうとね」
・
・・
・・・
彼が私に求めていたものがあったように、私も彼に求めるものがあった。
そしてそのために、彼がずっと私の側に居ることを願った。
私が他の娘たちを求めていたこと、そして彼を求めていたこと。
最初はそれが同じだと思った。ただ、彼が他の者より手に入れるのが難しい人間なのだと、思っていた。
私の方法が間違っていると気付いたのはある日彼が部屋に居ないという流琉の報告を聞いて探していた時だった。
・・・
・・
・
彼は城壁の上にいた。
声を掛けようと口を開けた私はそのまま口を閉じた。
城壁の上に立った彼は、何もせずただ向こう側を見つめていた。
その目がとても虚しくて、見つめる視線の先にあるものを追って見ると、まだ日も上がらない時間に、ただ無限に広がる地平線を見つめていた。
実は何も見てなかった。いや、目ではそこを見ていたけど、彼が本当に見ているものはまるでこの世のものではない他の何かを探しているようにも覚えた。
その時初めて思った。
彼が私の元を去ってしまうこともあるかもしれないって。
春蘭や桂花が私に飼われることを望む仔犬や子猫なら、彼はただ思うがままに羽ばたくを望むも籠に捕らわれた小鳥だった。
誰かが私の元を離れるということを考えてみたことがなかった私は、とても変な気分になった。
そうしていたら、一刀が私のことに気づいて振り向いた。
「いつからそこに居た」
「……ついさっきよ」
「……」
「いつからそうしていたの?」
「わからん」
彼はそう答えてまた向こう側に目を向けた。
「あなた、今とてもらしくないの分かる?」
「…お前が俺に関して何が分かる」
強がるつもりで言った言葉だった。
それに返ってくる言葉が少し苛立っていて、私は少し驚いた。
「そんな言い方ってないんじゃないの?」
「なら聞くが、現にお前が俺について何か分かることがあるか」
「……」
当時彼のことが詳しくなかった、というよりあまり彼本人について詳しく関わる気がなかった私はその質問に答える術を持っていなかった。
そしたら彼はそれ以上何も言わず、日が昇るまで向こう側を見つめ続けて、やがて帰っていった。
・
・・
・・・
私は彼の部屋に毎日のように訪れるようになったのはそれからのことだった。
朝早く起きて、政務を午前中に済ませて、午後には毎日のように彼の部屋に行って時間を潰した。そのため日に済ます政務の量は減ったけれど、それで政務が麻痺したり、他の娘たちが苦情するようなこともなかった。私が自分を追い詰めすぎていた証拠でもあった。
私が彼の部屋に居る間、彼は時には私を無視してただ仕事に熱心だったり、たまには話をかけたり、私から話をかけると適当な返事をしたりした。
時間が経つと、少しずつ彼について分かるようになっていった。
彼は自分がどんな人だったか、天の世界のことなどほとんど喋らなかった。
彼は話す時間のほとんどを私や他の誰かを叱咤することに使った。
そして、私が判ったことは彼がそんな話し方を楽しんでいるってことだった。
時間が経つと、彼は私が自分の部屋に居る時間を当然のように思うようになっていた。
そして私も彼との時間を楽しんでいた。
私は確信した。
彼も私みたいに自分のことを判ってくれる人を求めていたのだって。
そうと確信した頃、あの事件が起きた。
彼が独断で放った張三姉妹が私の兵たちによって捕まって戻ってきた。
覇王としてなら、そうすることが正しかった。
でも彼と過ごした日々を考えたら、彼の意図を尊重すべきだった。
もちろん私は兵を根回ししたことなんてない。
だけど、原因がなんだってあれ、その事が起きたのは私の軍で、責任者は私だった。
私は彼を『裏切った』。
そして彼は私の前から消え去った。
最初の何日かは苦しんでいたけど、時間が経つと残っている娘たちが心配しないほどに振る舞えるようになった。
寧ろ流琉や凪みたいに私よりも立ち直れなかった娘たちも居たのに、私が消沈している暇なんてなかった。
自分でも振り切った『フリ』をしていたことに気付いたのは、ある日誰も居ない彼の部屋に行って座って半刻ぐらい過ぎた頃だった。
流琉が入って来なければ、私は彼が『ちょっと出かけている』と勘違いしたままその部屋でずっと待っていただろう。
彼から手紙が来て居なければ、私もそのうち彼みたいに変人のような振る舞いをし始めてたかもしれない。
返事を送った。
流琉と凪も自分たちも書きたいと行ったので許した。
連合軍で出会った一刀は私たちと居た頃とは全く変わっていなかった。
…驚くべき事実じゃないかしら。
彼は最初から流琉を何の罪悪感もなく追い払って、その上凪をこの軍から引き抜くような人だって判っていたこと。
にも関わらず彼を他の娘たちとは別の意味で求めていた私。
この時でもまだ彼を取り戻せば、全て元通りになると思った。
私は覇王で、また自分を理解してくれる人を手に入れるのだと。
でも、虎牢関での出来事でその考えを諦めるしかなかった。
私の覇道は曲解されていた。
秋蘭は私への忠義で一刀を殺そうとした。
それはズレた忠誠心であると同時に、本当に忠義から来るものでもあった。
私の『覇道』という部分からすると、彼は本当に危険な存在だった。将たちの心を傷つけ、流琉は立ち直れなくなる、凪は引き抜かれた。
彼のせいで軍が瓦解されていくのを見て、『覇道』を思う私のために秋蘭が取った行動は、例え私がその事で彼女を罰するとしても正しい選択だった。
でも一方、私が本当に彼が側に居ることを望んだのは、彼が私の覇道に頼りになるからではなくなっていた。
彼の存在はそれと違う、それと『逆の』私個人の空いた心の奥を満たすためのものだった。
そしてで私は気づいてしまった。
私が表で目指していたこと。そして心の奥で求めていたもの。
その二つが互いを否定していること。
どちらかを諦めない限り、どちらも完全に手に入れることが出来なかった。
天下の全てか。自分の全てを判ってくれるたった一人の男か。
いつもは誰の前に立っても覇王としての威圧を保ち、他の娘たちが尊く見るように振る舞っていた私だったけど、心の奥のどこかではその誰にも高い所に立っている自分が嫌になるような時があった。どれだけ求めても満たされないものがあった。
一刀が居るとその満たされない何かを満たされていった。
じゃあ、また考える。
二つかのどっちかを取った時、その後私は満足するのかしら。
覇道は私が一生追い続けてきた理想だった。
それを否定するなんてとんでもないと思った。
でも彼との情を捨てて、私の力で彼までも打ち砕いて得た覇道の末にあるものに、私は満足出来るのだろうか。
最後に残るのは、覇王という虚しい名と空っぽになった心で帰ってこない彼を部屋で待ち続ける可哀想な私なのではないのだろうか。
自分の歩む道に一瞬でも迷いを持ってしまったその時、私がそれまで築いてきたものが誇り高き何かではなく、私を縛る足枷に見えた。
そして遠くへ、他の女と行ってしまう彼の姿が居た。
振り向くこともなく、ただ自分の興味のまま歩んで行く彼の姿は。
薄情ね。
あなたはなんでそんなに自分が選んだ道に迷いがないのかしら。
どうして誰があなたの側に居ても、側から離れていっても、あなたは迷わず前に進むことが出来るのかしら。
桃香SIDE
初めて一刀さんに出会った時は、それはもう台無しな出会い方でした。
何一つ自分で出来ることがないと嘆いた居た頃、私は本当に何をしてもろくに出来ない娘でしたから。
そんな何も出来ない自分が嫌になって逃げ出した時、川に流されていた一刀さんに出会ったのです。助けようとおもったものの、例によって逆に助けられましたけど……。
一刀さんはどこに居ても、誰と居てもいつも自分の思いを貫くことを最優先にする人でした。
そんな一刀さんがとても素敵に見えました。
私に出来ないことをあんなに平然とやっている一刀さんを見て私もあんな風になりたいと思いました。
皆の元に帰ってきて初めての夜、城壁に立ってまた一人で悩んでいると一刀さんがどこからとなく現れて私の話を聞いてくれました。
不思議だと思いました。
一刀さんと居たら、愛紗ちゃんや鈴々ちゃんにも話せないことが話せちゃうんです。
愛紗ちゃんならきっとそんな弱気なことを言ってはいけないと叱られるだろうことも、一刀さんには話しました。
そしたら一刀さんは呆れて、私を叱って、それでも最後にはちゃんと私に道を見せてくれるのでした。
そして約束もしてくれました。
いつか認めてくれるって。私が相応しい人になれれば私の真名を呼んでくれるって。
それからは、波乱の連続でした。
いつも平和で穏やかな私たちの軍に一刀さんは一つの大きな嵐が居座ったように私と皆を叩きました。
でも、一刀さんのおかげで、私はいろんなことを学びました。
自分の無能さを恥ずかしく思ったあまりに綺麗な夢ばかりを見ようとしていた妄想家の私はもう居ません。
でも、一刀さんの言う通りでした。
現実というのは、とても私に酷くて怖いことも見せてくれるものでした。
一刀さんが消えた途端、袁紹さんは私と皆を取り囲み、私たちを威脅しました。
私たちに出来ることはなくて、だからと言って逃げるわけにも行きませんでした。
だって守るべきものがあるんです。
ここに居る皆のためにも、そして帰ってくる一刀さんのためにも、この場を守り続けなければならない。
そう思っていました。
それで、再び出会った一刀さんの姿を見た時、そのまま一刀さんを抱きついて泣いてしまいたい気持ちでした。
一刀さんを見た途端、心にあった不安とか怖いものとかが全部なくなってしまってました。
そんなに一刀さんは、私から見るととても強くて、頼りになる人だったんです。
でも、
時間が経つを少しずつ一刀さんの姿がちゃんと見えてきました。
やつれた顔に手には杖を突いている姿を見て思いました。
ああ、私はこの人にとても酷いことをしてしまいました。
私が耐えられなかったこと。
見たくなかったもの。
背負いたくなかったもの。
全部この人に代わりにに担わせていました。
全部私が背負うべきものだったのに、一刀さんは代わりにそれを背負ってくれて…傷ついて…一人で……
どうして一刀さんは私なんかのためにここまでしてくれたのでしょう。
あの黄河で出会った時、一刀さんは自分に会ったことが私がこの乱世を生き残るためにあるべき『奇跡』の一つって言いました。
本当に一刀さんは『奇跡的』に私の前に現れて、私から見ると何もかも完璧にこなす、まるで神のような存在でした。
でも実はそうではなかったんです。
あの黄河で、あの洞窟の中で、あの城壁の上、皆の前で傍若無人だった一刀さんは……
いくら一刀さんがすごい人で、才能を持っていても、私が大変だった思うことは一刀さんにとっても大変なことで、
私が避けたかったことは一刀さんもしたくないことで、
私が傷つくようなものであれば、一刀さんも同じく傷つくようなものでした。
乱世の風波の前に身体を俯いていた私の前に立っている一刀さんの姿は凛々しかったですけど、その背中は私の代わりにその風波に傷つき、削られていたのです。
皆を護ろうと決意したのも私で、その責任を背負うべき人も私でした。
もう、私の前に降りてきたこの『奇跡』を放してあげる時間が来たのです。
でも、一刀さん。
これだけは聞かせてください。
私と居た時間、辛かったばかりでしたか。
一刀さんの出会った時から今までずっと未熟者だった私のせいで背負わなければならなかったその荷の重さのあまりに、私を恨んではいませんか。
私と一緒に居た時間、忘れたい思いなのではないですか。
ごめんなさい。
そして今までありがとうございました。
私、貴方のおかげでこんなに成長できました。
蓮華SIDE
私の母が戦場で卑劣な罠に引っかかって命を落とした時、私が居た場所は戦場ではなかった。
姉様が小さい頃から母様と一緒に戦場を走っていたに比べ、私は城の中で勉強をしていた。
母様が亡くなられた時、私はその場に居なかった。
母様の死を伝えられ、姉妹がバラバラにされて姉様とシャオとも会えなくなるまで、私は何も出来なかった。
軟禁されてから私は時に考えた。あの時、私はどうすればよかったのか。
悩む時間はたっぷりあった。でも幾ら悩み続けても答えは見つからなかった。
私がしていた勉強など、孫呉にとって何のためにもならなかった。
やがてお姉様が袁術の傘下で孫家を再び立ち上げたことを耳にした。
直ぐには戻って行けなかったけど、私たちがこれからするべきことが何かは判った。
孫呉の復興。
再び江東の地の覇者となること。
そして引いては中原へ…
しかし、姉様の元へ戻ってきて、シャオが帰ってきても、私に出来ることなんてほとんどなかった。
姉様は冥琳と一緒に自分の夢のために頑張っていた。
私は気付いた。
お姉さまの夢は今の孫家の宿願であると同時、姉様自信の野望であること。
そして私にはそんな夢もなければ、それを成す力も持っていないこと。
再び私は自分の無能を知った。
私は姉様のような野望がなかった。
母様の時の名誉を取り戻そうという漠然とした希望があるだけだった。
そのために何をすればいいのか、私の役割が一体何なのか、何のために自分がここに居るのかさえ判らなかった。本当に自分がかの江東の虎の娘、孫呉の姫か疑うぐらいだった。
そんな悩みは連合軍に付いてきている時でも変わりなく私の中にあり続けた。
目の前に映るその男の言葉を聞く前までは。
『お前は次世代の呉の王だ』
次世代の王?
私が?
姉様が居るのに?
私に姉様に対して反逆でも起こせというの?
あの男が私を立てる代わりに姉様のことを貶めた。
今まで乱世の表側に出たことのない私と、野望も力もある姉様。
その才の差は明らかなはずなのに、あの男は姉様に関してはまるで興味がなさそうだった。
それから一度軍議に出た時、劉玄徳の代わりに出たあの男はまるで私に会ったことがないように私に接した。
彼との縁はそれっきりだった。
それから直接あったことはない。
だけどその後虎牢関であの男が敵に捕らわれ命を落としたという話を聞いた時、私はそれが嘘だと断定した。
あの男は異様な存在であることは間違いなかった。
何か妖な術を使う者だと言ってもそう驚かないほどの奇人だった。
こうも容易く命を落とすはずがない。
何一つあの男が死んでいないという確証はなかった。
だけど、それでも私がそう信じていたのはただ私の願望だったのかもしれない。
私はあの男が死んでもらっては困った。
私はまだ、あの男が言った言葉の真意が判っていない。
それをわかるためにも、もう一度あの男と話がしたい。
そして願わくば、私たちの軍に組み入れたいとも思っていた。
姉様や冥琳がどう思うか判らなかったけど、才のある者だと知れば拒む理由はないはずだった。
そう思っていた時、状況は急変した。
突然帰ってきたあの男は国の丞相を名乗り、連合軍を逆賊と称して、この中で誰も簡単に手を出すことの出来ない袁紹の頸を狙っていた。
自分に従わない者に死あるのみ、そう伝える彼の姿を見た私の身体は戦慄した。
たった一人でこんな真似が出来るというのか。
それともたった一人の男に押されるほど袁紹が愚かだっただけなのか。
いや、それは袁紹だけに限ったことではなかった。ここに居る全員。姉様や私までも含めての話だった。
ただ姉様と曹孟徳、劉玄徳だけがあの男の提案を迷いなく受けた。
他の中途半端な名誉と力を持った諸侯たちは、凡愚な盟主と妖しき奇人の間で自分の利を求め迷っている。
あの男の提案を迷いなく受け入れた三つの軍の共通はなんだろう。
それは直ぐに判った。
あの男は私にその答えをしたことがあった。
そう、この三つの軍はあの男が興味を持った軍だった。
正確にはあの男は各軍の君主たちに興味を持っていた。
私を除いて。
…私は君主ではなかった。
君主は雪蓮姉様なのにも関わらず、注目されたのは私の方だった。
そしてあの男が私が王になるだろうと言った。
それなら、
もし本当にどんな形ででもそんなことが起きるとしたら、私は準備しなければならなかった。
母様が突然と亡くなられた時期、何も出来ない私に比べ、姉様は素早く対処に出た。
もし姉様にも母様のようなことが起きるとすれば…
私は準備できてなければならない。
そしてそのためには、あの男の力は必要。
なんとしても、彼を我が軍に連れてこないと…
雪蓮SIDE
彼の、
北郷一刀の策はまさに思った通りだったけど、また想像以上だった。
戦場で戦っている時みたいに血が疼く。
ああ、あれは間違いなく私と同じ人種よ。しかも今は誰にも属さない、まさに歯止めの聞かない状態。
明命を使わせてもらったという彼の顔から出る図々しさがそれを語ってくれていた。
明命は優秀な娘だけど、あの娘が連れて行った人数で洛陽から漏れる音を全て防ぐには数が足りない。
そんなに徹底的に情報を漏れないようにしてまで、一体洛陽で何をしていたのかしらね。
私とて、今の彼の意中を探ることが出来ない。
ここに居る連合軍の諸侯たちはごく一部除いて皆自分たちの欲のために大義の名を建前に集まった。
だけど、今この場で諸侯たち、袁紹以外に皇帝の勅命を取ることが出来ない連中の底が見える。
奴らが一番にしているのは義でも、野望でもなく、ただ全てが終わった時に自分の頸が定位置についているにはどちらに付くべきかを必死に考えているだけよ。
所詮その程度よ。英傑と呼ばれるにも値しない小物ども。
例外もあるわね。
例えば母の代わりに来た馬超は、自分で判断が付かなくてただ悶々としている。アレはそのうち我慢出来ずに勅命を取るでしょうね。
後幽州の公なんとかいう奴も、心の中ではもうこちらに付こうと思ってるけど、自分の決断に自信がないから他の出方を見ようとしている。
そして袁術は、行動に出るとしたら多分馬超とどちらかが一番先に動くだろうと思うけど、今は袁紹のことを恐れて動かない。
そのまま悶々と悩み続けてこのまま落ちてもらっても結構だけど、あなたの頸は私の手で打ち取るって決めたのだから死んだらダメよ?
己の能力不足、意志薄弱、その他自分の命のことしか考えてない連中諸々。
下に付く兵たちが憐れだわ。
あなたたちのような君主に守られている民たちが可哀想で仕方がない。
それに比べて彼はどうなの?
ほぼ単身で身を投じてきては、紙切れ幾つかで連合軍を揺らしまくっている。
自分が正しいと、生きるだろうと確信しなければこんな狂ったことなんてそう出来るものじゃないわ。
…なんだか気が合いそうじゃない?
まあ、私のためにというよりはその度胸、蓮華に少し教えて上げたいところだけどね。
治まってきたら誘ってみようかしら。
一刀SIDE
場に沈黙が続く。
無駄に待つのは好きではない。
「明日の朝まで末尾をやる」
こっちもそう暇ではない。
「この勅令書たちははここに置いて行く。明日の朝まで皇帝陛下の命を授ける者は正式に使者を送れ。ない場合にはそのまま逆賊とみなす。次の慈悲はない」
「このまま返してやるとお思いですの?」
まだ強気なこと言う力があるのは、同情せざるを得ない…が、
「この場で貴様の頸を刎ねないことを感謝しろ」
「なっ!」
「逆賊であるお前等袁家を生かして置く理由はただ一つ。正しい順序でその罪を負わせるためだ。この場で斬首されるも貴様は文句言えない」
「っっ!!!」
袁紹の顔が蒼白になる。
最初から袁紹を落とすためだった。
袁紹に近づいたのも、そこから何かしら決定的なものを手に入れるためだった。
袁紹が新しい皇帝を立てようとしていたことは歴史的に知らされていることだが、この世界でもそれが通じるかはやや怪しい所があった。
何にせあの袁紹は何かを考えてこの戦争を始めたとは思えなかった。
ただ気に食わなかったから。
そんな子供じみた考えでも家柄のおかげでここまでやってきた。十分な迷惑をかけたと言えよう。
「では、これにて失礼する。朝にまた来る。その時また会おう…」
……最もその時までに生きていればの話だがな……
・・・
・・
・
「これだけで本当に袁紹さんが諦めてくれるでしょうか」
帰っていく際に董卓が不安そうにそう尋ねた。
「…袁紹は自分の足元を見ることが出来ない凡愚だ。武将たちがやや優秀ではあったものの、今では彼女を止める者も居ない。恐らく今直ぐにでも俺たちを殺そうとするだろう」
「…それじゃ…」
「…袁本初は今平和への道のりの最後の扉に立っている。その扉に立って、扉を締めたまま自分も入らないで入ろうとする者も中に入れさせない」
「……」
「それじゃ、残った未来は一つしかないだろ」
……
「…一刀?」
「一刀さん?どうしたんですか?急に止まって」
握った杖に力が入る。
普通の木で造った杖ならもうとっくに折れているだろう。
走る激痛はもう無視するにはあまりにも大きくなってきていた。
もう、格好つけて居られる時間も少ない。
「帰って食事にしよう。食後のスイーツもちゃんと用意してあるんだろうな」
「……」
その時、ある声が連合軍から離れる俺の脚を止めた。
「一刀様!」
「……はっ」
振り向くとそこには凪が居る。
「何故俺が来たと判った」
「酷いです。このまま帰るつもりだったのですか」
「不平は良い。俺の上着は持って来たか」
「……」
凪は俺の前に来て保管していた俺の上着を差し出した。
続く戦争と、負傷のせいで汚れていたはずの服は最初に着ていた頃のような純白さを保っていた。
「…夜着て寝たりはしてないようだな」
「なっ!そ、そそんなことするわけがないではありませんか!」
「冗談だ…」
俺が背を向くと、凪は俺に上着を着るのを手伝った。
「…この杖は…」
「少し世話になっている。いろいろあったのでな」
「……一刀様」
「来るか」
「……」
「まだやることがある。お前が居たらもっと楽になるだろう」
「…最初から私の居るべき場所は貴方様の隣です。あの時も、今も、これからもです」
「…行くぞ」
「はい!」
悪いな、凪。
そのこれからというもの、そうは長くはないだろう。
つづく
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三国三色の思い。
そして最後が近づくことに感づくも少年は急がない。
自分が沈んでいく沼の名を勘違いしたまま、落ちていく。