No.521432

Shine & Dark Sisters 三章

今生康宏さん

あくまで私感ですが、最近はセラ的な外国の方より、ディア的な人の方が多くなっている気がします。どうなのかな……

2012-12-22 13:16:13 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:256   閲覧ユーザー数:256

三章 黒と白のトルテの味

 

 

 

「よう、近江」

「来丘。今日は珍しく早いな」

 月曜日。どこか現実離れした姉妹との一日の翌日でも、学生は学校に行かなければならない。

 すると、いつもよりかなり早い時間に来丘が登校して来て、妙に陽気な声をかけて来た。

「おうともさ。徹夜明けだからな」

「……ああ」

 何も珍しくない、実に来丘らしい理由だった。本当、この男はぶれないな。

「なんだ、その『またこいつは徹夜でゲームかよ……』みたいな反応は!」

「いや、正にそうだろ?」

「そうだけどさ!」

「なんで妙に偉そうなんだよ」

 相変わらず、騒がしい奴だ。こいつはこいつで、忙しい休日を過ごしていたのかもしれないな。

 しかし、徹夜でゲームか……俺にはちょっと真似出来そうにない偉業だ。ディアなら、もしかすると既にしていたりするんだろうか。案外、昨日テンションが上がったまま徹夜でゲームをしていたり、しないよな。

「なんだよ、お前こそにやにやして」

「――え?そ、そんな顔だったか、俺」

「お前にしては珍しい。何か良いことでもあったのか?それともまさか、SDSの二人のことでも考えていたんじゃ」

「ま、まあ、そんなとこだ。そんなことより来丘、今日の宿題はちゃんとして来たのか?結構あったと思うが」

 ちなみに俺は土曜日の内に全て終わらせている。予定があるのはわかっていたし、宿題を長引かせるのは主義じゃないからな。

「まさか。今からやるに決まってるだろ!」

「だろうな」

 つくづくわかりやすい。そのわかりやすさが逆に個性な、変な友人だよ、全く。

 それじゃあ俺も、俺の生活をしっかりと送ることにするか。

 俺は姉妹の力になることを決めたとはいえ、自分の生活を捨て去るつもりはないし、それは二人も望んでいないに違いない。しっかりと自分のするべきことをやった上で、毎週の特訓にも力を入れていこう。

 筋肉痛で本を持つだけでもおっくうな腕を動かし、一時間目の数学の教科書を開いた。

 

 

 

 朝七時。私の朝はこの時間から始まります。

 ディアちゃんは当然のことながら眠っているのですが、私はもう起きてお店の準備です。

 何をするのかと言えば、店内の掃除、そしてお菓子の仕込み。どちらもディアちゃんは得意ではないので、私がするべきお仕事になっています。

 その後は紅茶を飲んで一息ついて、起きてきたディアちゃんとお話をします。そうこうしている内に開店時間が近付いてくるので、もう一度よくテーブルを拭いて、目に付いた埃やゴミをきちんと掃除して、お兄様をお迎えします。

 中々に大変な一日に思われるかもしれませんが、お仕事と言っても基本的には常連の方と楽しくお話をするのですから、それほど重労働というものでもなく、迷惑なお兄様は滅多に来られませんし、もしいれば次回からのホームページへのアクセスは禁止させてもらいますので、その辺りは万全です。ただ、幸いなことにそこまでしたことは一度もないのですよね。

 まだ知名度がそこまでないのか、単純にこのお店に来てくださる方が紳士的で、楽しみながらも羽目を外されるようなことはないから、でしょうか。初めての来店の時は多くの場合、緊張されてまともに話してもらえないのですけど。

 店の隅から隅まで掃除機をかけ、テーブルクロスをひいて、それから外の掃除もします。水で絞った雑巾をかけて埃を取る訳ですが、朝なのにもう外は暑くて、汗がふき出て来ました。ブラウスがあっという間にびしょ濡れになってしまい、思わず昨日の記憶が蘇って来てしまいます。

 ……そう、私はお兄様にブラウス越しとはいえ、下着を見られてしまったのでした。それもあまりおしゃれではない、本当にただの普段着用のものを。

 はっきりとは見ていないと言ってくださいましたが、私がゴスロリ以外においてはセンスのない、ダサい女の子だと、幻滅されてはいないでしょうか?いえ、そもそも体つきがあまりに女の子らしくないと思われてはいないでしょうか……。

 私は決して、お兄様に異性として意識をされたいという訳ではありません。でも、魅力がないと思われているよりは、良い印象を持っていたいに決まっています。それなのに、下着を見せてしまったり、ずっこけてしまったり……これでは頼りない印象を与えてしまってばかりで、人としての魅力すら見せられてはいない気がします。……気分も沈んでしまっていました。

 ちょっとしたことで落ち込んだり、テンションが上がりきらなかったりするのは生来の気質なのですが、お兄様に関してはそれが特別顕著で、どうしても溜め息ばかりついています。これではいつまで経っても、明るい気持ちになれない訳ですね。

 大汗をかきながら外の掃除も終え、再び空調の利いた店内に戻ると少しだけ爽やかな気分にはなれましたが、やはりこの失敗はお兄様にリベンジをすることでしか拭えないみたいです。

 お兄様の予約が解禁になる木曜まで待っていては、いつまでもこのいまいち高くはないテンションのままでいることになるので、思い切って電話なりメールなりをして、トルテのプレゼントを受け取ってもらいましょう。わざわざご足労願うのは申し訳ないことですが、私がお兄様のお宅に伺うのでは迷惑をかけてしまいそうですし、これしかありません。

 そうと決まれば、いつもより気合を入れて生地をこね上げるしかないでしょう。計量には細心の注意を払い、今の私のお菓子作りの技術の粋を集めて一つの“芸術品”を作り上げていきます。

 私が忘れたくても忘れられないこと達を、せめてお兄様には極上のスイーツの味で記憶を塗り替え、忘れていただくために!

 起きて来たディアちゃんがぎょっとしていましたが、それには構っていられません。最高に美味しい究極のトルテを作る必要が、私にはあるのですから。

 

 

 

 あの店に通うようになり、俺の人生は一変したと言っても良い。

 まず、ゴスロリの衣装を着た可愛い女の子と知り合いになったし、剣と盾を手に一日中戦い方の特訓をしていたし、ドイツのケーキまで食べた。

 ……そして今、俺は事務的なもの以外では初めて女の子からメールを受け取ることになった。差出人はセラ。昨日二人とはアドレスを交換していたのだが、こんなにも早くお呼びがかかるとは思わなかったな。

 お陰でなぜかトイレに逃げ込んでからメールを確認してしまったし、わざわざ返信を終えるまでずっと個室にこもるという、我ながら訳のわからないことをしてしまった。

 何のお誘いかと言えば、今日もまたトルテを作ったので、是非それを食べに来て欲しいという。しかも、ついでに夕食まで一緒にどうかとまで書かれてあった。――答えはまあ、悩むまでもない。

 もちろんいただく、という旨のメールを送り、続いて家に今日は友達と夕食は食べる、とメールしておいた。

 こんな風に密会を重ねて、まるでやましいことをしているみたいだな。……実際はやましくない、はずだ。セラとディアはたった一つしか年が変わらないんだし、二人とも俺よりしっかりしている。身長の差はかなりあるが、ロリコンとかそんなんじゃないぞ?

 そんな自己弁護を脳内でしてトイレを出て、今日は食堂で昼食を食べる必要があることを思い出した。もう今の時間だと混んでいるな。男でごった返したむさ苦しい食堂に行くのは嫌だし、学校の近くのコンビニで適当に弁当まで食べるとしよう。

 都会の学校だと一時外出も面倒だったりするんだろうが、この辺り田舎は楽で良い。セキュリティなんてあってないようなもので、校門は常に開いていてオールウェルカムの構えだ。

 財布一つを持ってコンビニまで出かけ、お目当ての物を購入。昼時だけあって、ほとんど弁当類は買い漁られていたが、奇しくも昨日ディアが食べていた幕の内弁当があったのでそれにしておいた。

 今日は幸いにも体育の授業はないし、がっつりとした肉類を食べなくても、夕食までは持ちそうだ。それに、どうせセラの手作りの料理を食べれるなら、腹を空かしておいた方が良い。その方がありがたみも倍増するし、空腹は最高のスパイスとも言うからな。

「ん、食堂じゃなくて弁当にしたのか」

「ああ。トイレに行ってたら、完全に出遅れた」

 教室に戻り、来丘と一緒に昼食。まあ、実に標準的な味の幕の内弁当で、その感想は特にない。一緒に食べる相手も、よく知っている男。昨日みたいにはぱっとしないし、これが普通だ。

「で、誰からのメールだったんだ」

「気付いてたのか」

「まあ、携帯見てからすぐにトイレ行ったからな。なんとなくわかる」

「それもそうだな。……まあ、ちょっとしたメールだ」

「トイレで確認しないといけないほどなのに、か?」

 今日はいやに追求して来る。まさか、おおよその予想が付いていたりはしないよな?

「一人になって考えたい内容だった。ただそれだけだ」

 あながち嘘でもない。だから、言うのにも抵抗はなかった。

 来丘相手なんだし、込み入った事情はともかく、ある程度は正直に言っても良いかもしれないが、来丘も利用している店の話だ。俺がセラやディアにプライベートでも兄と呼ばれているなんて言ったら、発狂しかねない。

「へぇ、進路か何かか?」

「いや、もっとカジュアルな内容だ。飯を外食するか、家で食うかのな」

 またもや嘘でもなく、真実でもなく。

「はは、人が昼飯食っている中、夕飯の相談なんて受けたくないってか?」

「そういう感じだ。ちょっと食欲もなかったしな」

「だから肉の少ない幕の内なのか。あー、でも鮭美味そうだ」

「おい、俺の弁当のメインを食うことは許さないぞ」

 セラじゃないが、幕の内弁当から鮭がなくなるのはかなりの痛手だ。これは何があっても死守しなければならない。そう、昨日のあの特訓の成果を発揮してでも!

「あ、窓の外、UFO!」

「古典的だな」

「セミがぶつかって来てるぞ!」

「まだセミの季節には早くないか?」

「虹が出てるぞ!」

「俺は虹で喜ぶほどメルヘンな男じゃない」

「グラビアアイドルが降って来てる!」

「何の惨劇だ」

「ナスカの地上絵!」

「ナスカになければナスカの地上絵じゃないだろ」

「良いから寄越せ!」

「させるかっ」

 弁当箱ごと箸を回避し、そのまま鮭の身を崩し、さっさと飯ごと食べてしまう。さすがに人が一度手を付けた物を奪おうとは思わないだろう。

「ちっ」

「鮭ぐらいに必死になるなよ」

「お前もな!」

「俺にとっては生命線だ。そもそも、欲しがるなら何か対価を用意しろよ。場合によっては応じてやる」

「いや、俺もう全部食ったし」

「じゃあ取引はこれで終わりだ。大して珍しい物じゃないんだし、どうしても食いたいなら明日にでも自分で買うんだな」

「へーい、近江って無欲そうに見えて案外シビアだよなー」

「食事は生活に必要不可欠だから大事にしているだけだ。他のことなら手伝ってやったり、多めに見てやったりしてるだろ」

 思うに俺は、基本的には無欲な人間だ。自分というものに興味が薄いとも言い換えられるかもしれない。

 ただ、面倒や理不尽は受け入れられないし、可能な限りはことなかれ主義だ。不幸よりは幸福な方が良いし、貧乏よりは金がある方が良い。多くの人間が普通に持っている価値観だけを所持して生きている。親や友人や教師といった他者から与えられた価値観を。

 俺は俺を特別な人間だと思っていなかったし、将来の夢もなかった。入れる企業に入って、上に従順な社員になって、結婚出来るものならして、そこそこの家庭を築く。それが未来の予想図で、それはきっと現実となるはずのものだった。

 ――過去形にせざるを得ないのは、下手をすると俺はあの双子と関わったことで命を落としかねないからだ。

 もちろん、そんな人生になってしまったことを恨んだりはしない。むしろ、我ながら酷く倒錯的だと思うが、やっと俺の人生に“意味”が吹き込まれたのだから、喜ぶべきだとすら思える。

 なんて、高校生の分際で考え過ぎなのだろうか。まだ大学もあるし、その気になれば院だってある。モラトリアムを謳歌している内に、自然と自分のやりたいこと、すべきことが見えて来る。それを待てば良いのだろうか?

 いや、あの二人は自分の使命を背負いながらも、社会に出て働いている。それが役目を果たすために必要なことであったとしても、俺が見つかってからも仕事を続けているんだ。俺よりずっと早く将来のことまで決めて、生まれながらに与えられた役目であっても、それを逃げずに受け入れている。

 そんな立派な二人に頼られるような“兄”になる、か。……まずは一刻も早く武具を使いこなして、役に立つことだな。

「おかえりなさいませ、お兄様」

「おかえり、お兄ちゃん」

「お、おう」

 適当に時間を潰してから営業時間の終わった店に行くと、客への対応と同じように二人が駆け寄って来た。仕事中も客のことを兄と呼ぶからややこしいが、これは俺への愛称としての兄、なんだよな。

「今から食事の方は作り始めますから、どうぞディアちゃんとお話でもしてお待ちください。一時間ほどで出来ますので」

「ああ、どうもありがとう。なんだかセラのお世話になってばかりで申し訳ないな」

「そ、そんなことありません。その、これは私が好きでしていることですから」

「じゃあ、もう少し甘えさせてもらおうかな。昨日のトルテも美味かったし」

「ええ、ええ!最高のディナーを用意させてもらいますのでっ」

 と、やけに張り切ってセラは厨房に向かう。残された俺とディアは向かい合って席に座った。

「セラちゃん、本当に今日はアグレッシブだね」

「食事に誘ってくれたことか?」

「うん。だって、セラちゃんって言えば、日本風に言えば正に大和撫子。奥手も奥手で、いつもお兄ちゃんの半歩後ろに控えてるような子なのに。妹として、お姉ちゃんの成長は嬉しい限りです」

「言われてみれば、そうだな……」

 何か思うところがあったのだろうか。それとも、押しの強いディアに影響されて来たのか……。でも、いつもと少しぐらいキャラが違っていても悪いことじゃない。俺はセラが作ってくれた料理をありがたくいただくとしよう。

「お兄ちゃん、あたしの部屋上がる?」

「……え?」

 な、何を唐突に言い出すんだ。この娘は。アグレッシブにも程があるんじゃないか?

「いや、営業時間外なんだし、お客さんとして来てくれた時には出来ないことがしたいなー、と思って。あたしの部屋でゲームしようよ。最近新しいの買ったんだ」

「はぁ、別に良いけど、俺はそんなに上手くないと思うぞ?ちなみにジャンルは」

「対戦格闘。2Dのゲームだから、昔のしかやってなくても大体の動かし方はわかると思うよ。それも、あたしもまだまだ練習中だからね。ほとんどコンボ繋げられないし、ガチャプレイ同然だから大丈夫。発生フレームとかも全然頭に入ってないから、暗転返しとかは全然出来ないから、ね?」

「その用語達がまずよくわからないけど、それじゃあやってみるか」

「やった!じゃあ、どうぞどうぞー」

 誘われるがままに二階への階段を上り、ディアの部屋の中へと足を踏み入れる。双子とはいえ部屋は別々で、位置関係としてはセラの部屋が手前、奥がディアの部屋になっていた。ちなみに、奥の部屋がディアのものだとは、扉の感じを見るだけでわかる。

「セラの部屋の扉は滅茶苦茶シンプルなのに、ディアの部屋のはすごいな……」

「えへへー。こういうところでも個性を見せ付けないとね」

「普通はセラしか見ないのにか?」

「今はお兄ちゃんがいるじゃん!」

 扉には流麗な書体で書かれたネームプレートがかけられ、ドアノブにはふりふりのカバーがかけられている。一目見るだけでこの少女趣味な感じはディアだとわかり、中も……。

「前に上がった、来丘の部屋を思い出した」

「ええ!?」

 ゲーム、ゲーム、パソコン、ベッド、漫画、DVD、ゲーム。以上。

 女子力なんてものを所持する女子が実際にはいないのだと、全て幻想なのだと思い知らされる、あまりにも男っぽい部屋だ。漫画も少女漫画の類ではなく、大概が少年漫画。しかもエロが売りの、半脱ぎの美少女が表紙に描かれた漫画がトップにあり、この部屋を写真に撮って見せられれば、誰もが男のものだと考えるだろう。

「お兄ちゃん、どんな部屋想像してたの?」

「いや……もっとこう、女の子っぽい雰囲気なのかな、って。ほら、ゴスロリの服がかかってて、小物もふりふりとか」

「服はちゃんとクロゼットの中だよ。ふりふり成分もほら、DVDの収納ボックスとか、布製でふりふり!」

「中身は有名なバトル漫画のアニメだけどな」

 DVDはまだ良いが、漫画類は雑多に積まれていて、携帯ゲーム機もそこらに転がっていて、下手をすると踏み潰してしまいそうになる。

 ――大量の物が雑然と置かれた部屋。この言葉がぴったりと似合う、まるで玩具箱をひっくり返したような混沌さだ。

「そう言えば、テレビはないんだな。ゲームってもしかして、携帯ゲームか?」

「ううん。パソコンのディスプレイに映してやるの。ウチにはテレビはないし、新聞も取ってないよ。ニュースはネットで拾うだけ」

「まあ、女の子の二人暮らしだし、野球とか政治の情報なんて必要ないもんな」

「そうだね。でも実際、テレビ見て、新聞読むのがスタンダード、そんな価値観はもう古いものになって来てるんじゃないかな。お兄ちゃん、新聞読んでる?」

「いや……。テレビもあんまり見てないし、確かにその通りかもしれないな」

 自分に必要な情報はパソコンや携帯からでも入手出来るし、テレビよりもパソコンが重要視されるような時代になっている、そんな気はしている。テレビのコマーシャルなんかその最たる例で、詳しくはwebで、と初めからネットに宣伝を丸投げしているのだから。

 ディアやセラみたいな外国の人から見ても、社会の向きは変わって来ているとわかるんだな。それとも、ドイツも同じような感じなのかもしれない。ドイツ人と日本人の国民性はよく似ていると言うし。

「だから、日本の実家、みたいな家にもテレビとかはないんだよ。お父さんはパソコンを見たり、携帯でずっと通話しながら難しそうな顔をしてたりするけどね」

「ああ、今じゃ国際電話も普通になって来てるからな」

 グローバル化、か。今も正に俺は、ディアというドイツ人の日本のサブカル好きの子と話している。これも異文化交流の一環なんだろうな。

「はい、これでもう出来るよ。ふふー、ディアちゃん以外のローカル対戦は初めてだから楽しみだなー」

 なんてしみじみと時代の移り変わりを感じていると、もう配線は終わったようだ。と言っても、初めからゲーム機とパソコンはUSBで接続されていたので、パソコンの方で二、三の操作をしただけだな。

「ローカルなんて言い方をするってことは、オンライン対戦も出来るゲームなのか」

「最近の格ゲーなら割と普通にあるんだよ。まだ発売して一週間ぐらいなのに、もうプロみたいに上手い人とマッチングすることがあって、勝率は四割あるかないか、ってとこなんだけどね」

「……それって、地味に高くないか?」

「プレイ人口も結構いるから、それを考えると確かにそうかも。でもハンデも付けられるから大丈夫だよ」

「そ、そうか」

 とりあえずコントローラーを握り、当然のごとく飛ばされるオープニング、そしてタイトル画面を見送る。

 一般的(だと俺が思っている)格闘ゲームとは違い、ムキムキの格闘家ではなく、どちらかと言うとスマートな美形キャラばかりのゲームで、男女比もほぼ同じ。広い客層が見込めそうなゲームだ。

 キャラ選択画面、カーソルは主人公だと思わしき、黒髪の青年に合っている。服装はコートと、あまり格闘には向かなそうな外見だが、武器は片手剣。素手よりは遠くを攻撃出来る、中距離戦闘を得意とするキャラ、ってところだろうか。

「あ、このゲームの主人公、性能微妙だから初心者にはお勧め出来ないんだよ」

「ええ、普通主人公って、誰にでも扱いやすいようキャラなんじゃないのか?」

「んー、基本的にはそうなんだけど、火力低いし、見た目ほど射程も判定も強くないし、色々と惜しいキャラなの。投げの性能は良いんだけど、そこに持っていく動きも大変だし、ハンデ付けても勝てるようなキャラじゃないよ」

「そ、そうか」

 惜しい性能の烙印を押されたイケメン主人公を離れ、適当にカーソルを移動させる。ディアの方ではもう選択が済んでいて、見るからに鈍足、高火力っぽい大鎌を持った長身の男性キャラが選ばれていた。

「女の子キャラじゃないんだな」

「だって、このキャラがこのゲームで一番火力高いんだもん。手数で押すキャラって、あんまりあたし好みじゃないんだよね。やっぱりフルコンで四割、超必ぶっぱで三割は安定して持ってけるキャラじゃないと」

「そこはリアルと同じなのか」

 でも、相手がどんなキャラかわかっていれば、こっちでも対策は立てやすい。見るからに小回りが利きそうな、素手で戦う女の子キャラを選ぶ。恐らく、ディアのキャラが最大火力なら、こっちは最低。しかし小柄であることから打点の高い攻撃は避けやすそうだし、鎌という武器は密着に弱いだろう。射程のなさが逆に活きてくるはずだ。

「おー、相性の悪い子を的確に選んでくれたね。地味に飛び道具もあるし、超必も使いやすいのが揃ってる。ハンデを最大にすれば火力も上がるし、ワンチャンあるかもね」

「ちゃんと格ゲーをやるのは久し振りだけど、やるからには良い勝負にしたいからな。ゲームの方でハンデが付く分、プレイングは本気で良いぞ」

「もちろん。舐めプは流儀に反するもん。それじゃ――」

 ランダムでステージを選び、戦闘が開始する。と同時に、コマンドの確認をする。

 なるほど、基本攻撃のリーチが壊滅的な代わりに、挙動が素直かつ高速で扱いやすい飛び道具と、長距離を一気にスライディング移動する技が揃っている。つまり、これを使えば鎌の攻撃を掻い潜りつつ距離を詰め、得意な接近戦に持ち込めるということだ。

 飛び道具でガードを誘い、そこから接近。相手の攻撃が届きそうになったタイミングでしゃがみ、スライディングで一気に肉迫する。弱攻撃ボタンを連打しつつ、適当にレバーも入れてなんとなくコンボっぽい動きをして、ガード越しでもそれなりに相手の体力を削る。およそ二倍ほどの火力になっているんだろう。すぐに二割は削ることが出来た。

「こっちの投げは弱いし、近付かれると一気に不利。でも、こうすると……」

 ディアのレバーが上に入り、ジャンプする。が、こちらのキャラはきちんと対空技も備えてくれている。すぐに追撃に向かうが、さすがに鎌の攻撃は判定が強く、こちらの攻撃がヒットする前に向こうの攻撃が届き、のけ反りから連続攻撃が入る。が、画面端じゃないとそう長くは続かないコンボなのだろう。徐々に押されていくことで攻撃の範囲を逃れ、こっちは三割ほど減らされたものの、まだどうにかなる。

 互いに必殺技ゲージが一本はたまっているので、それを唐突に撃っても良いが、さすがに素で当たってはくれないだろう。さっきと同じようにちまちまと飛び道具で攻め、なんとか相手の間合いに捕まらないように立ち回る。そして、隙の大きい攻撃の瞬間に距離を詰めれば良い。

 が、飛び道具と飛び道具の合間を塗って、ディアのキャラがダッシュで迫る。そこから異様なほどに素早い一撃が入り、軽く浮かされ、そこからはやりたい放題だ。逃れるために自分から画面端を背負っていたのも災いし、中々逃れることが出来ない。

 結局、きっちり四割を持って行かれ、残るは三割。ゲージも二本溜まったが、攻撃をヒットさせたことで向こうは三本目が溜まりきりそうで、あのゲージを使われればそれだけで勝負が付きそうに思える。

 慎重になるあまりに動きが小さくなるが、こちらはハンデがあるのでガードを崩して殴れれば、それだけで良い勝負には持っていける。辛酸を舐めさせられたダッシュ攻撃には気を付け、逆にそれを避けて投げ。素手のキャラだけあり投げの性能も高く、基本技だけで投げた相手を拾えるという大盤振る舞いだ。

 残念ながらコンボを入れる前に受身を取られてしまったが、たった二ヒットでも相手の体力は大きく削れている。プレイングではカバー出来ない圧倒的なスピードの違いを上手く活かすことが出来れば、十分勝てる勝負だろう。

「うわっ、と。でも、ゲージは投げ捨てるもの。このゲームは削り勝ちの概念があるからね。ここからは強引に行かせてもらうよ!」

「今ので三ゲージフルに溜まったか……」

 相手の超必殺技がどんな挙動のものなのかわからないし、ガードで耐えても固められ、普通に一発もらっても体力は尽きるだろう。機動力を活かして回避するしか手はない。それとも、なんとかこのラウンドを取り、次のラウンドでゲージを消費させて負け、最終ラウンドに持ち込むか……。

 俺がこのゲームを完全に把握していない以上、試合は長引かせた方が俺のわかっていることが増えるから有利にはなる。ただ、格闘ゲームのステージは縦方向には無限でも、横方向への移動は限りがある。逃げ回って時間を稼ぐようなことも出来ない。

「そうか、時間!」

 俺が数世代前のゲーム機で格闘ゲームをやっていた頃から、この手のゲームには制限時間の概念がある。大会なんかでは相手の体力を序盤である程度減らし、そこからはガードし続けることでタイムアップ勝ちを狙う、というプレイもそれなりに多くあると聞いた。今の体力では俺が負けているが、安全に後数発殴ることが出来れば勝てるはずだ。百秒の制限時間は既に五分の四が経過し、残り二十秒を切っている。

 これなら、あるいは……!果敢に近付き、相手の攻撃範囲ぎりぎりで飛び道具を撒き、ガードから向かって来るところにカウンター気味に一発。ノーガードに入った一撃は重く、そこからの連打で体力は逆転。ディアは残り二割ほどとなった。制限時間は十四秒。ここからなら十分逃げ切れる!

 バックステップの連続で距離を開け、飛び道具で牽制しながらもガードを固める。とりあえず相手のゲージ技は遠くの相手を攻撃出来る類のものではないらしく、距離さえあればそれを撃たれることもない。

 問題は画面端に着いてからの切り替えしだが、ここで残り九秒。俺の記憶を頼るに、超必殺技の一部には自分の当たり判定が発動中消えるものが多いはずだ。このキャラのどの技がそれに該当するか知らないが、それを引くことが出来ればとりあえずまた時間が稼げる。

 それっぽくレバーを入れ、強攻撃ボタンを押す。画面が安定してカットインが入り、いかにもそれっぽいダッシュ攻撃が出た。これは間違いなく無敵かつ、長距離を移動出来るものだろう。距離が開けばそれだけ時間切れも狙いやすくなる……。

「計画通り!」

 不敵な笑みと共にディアが小気味良い音を出しながらコマンドを入れる。相手の超必殺技がこちらに割り込むように発動され、すれ違いざまに殴りかかる攻撃に相手の地味な(失礼か)鎌を振り回す攻撃が重なった。それと同時に尽きる俺のライフ……。

「って、この技、無敵ないのか!?」

「ふふー、ちゃんとその技には発生保障も無敵も付いてるんだけどね。二ゲージ技だし。でも、こっちの三ゲージ技はゲージ全消費にしては範囲も威力も微妙な代わりに、いつでも撃てて相手の耐性を貫通するって鬼性能なんだ。この技のためだけにこのキャラを使う人も多いんだよ」

「く、くそっ……あれで逃げ勝てると思ったんだが」

「でも、次のラウンドはあたしにゲージなし、お兄ちゃん二ゲージからだよ。敗者に有利な仕様で、勝ったプレイヤーは一ゲージ減って、負けたプレイヤーは一ゲージ増えるの。まあ、だからこそゲージ全消費でひっくり返せるこのキャラが強いんだけど」

「上手くやればデメリットを消せるのか……素人には使いづらそうだが、慣れたら強い玄人向けだな」

「そういうこと。じゃあ、二ラウンド目も頑張っていこっか!」

 とまあ、やり始めたら意地になるもので、結局、セラが呼びに来るまでの間ずっと同じゲームをやってしまっていた。ディアの油断からか、俺の判断力が上がって来ているのか、一ラウンド取るどころか、勝ってしまうことも何度かあり、かなり楽しめた。

「お兄様。ずっとディアちゃんとゲームを?」

「あ、ああ。すっかり熱中してしまって……」

 お互いの合意の上とはいえ、女の子の部屋でゲームをしていたということもあり、なんとなく俺が悪者扱いされているような気持ちになってしまう。まるでセラが母親のようだ。

「ふふっ、楽しかったのですね。ディアちゃんも、私以外の人とゲームが出来て楽しかったですか?」

「もちろん!すっごい楽しかったよ」

 本当に嬉しそうな笑顔で言う。

 ……しかし、冷静に考えればミニのドレスを着ながらゲームってすさまじい光景だな。しかもそんな子が俺の横に並んでいたんだから、これほどの稀有なこともない。ディアにとってはこれが普通なんだろうけど、ブログにでも書いたら「妄想乙」とコメントされるレベルだぞ、これは。ブログやってないけど。

「それは良かったです。私とばかりでは、マンネリになって来ますしね」

「セラちゃんも、あんまりやらない割には上手くて、一緒にやってて楽しいけどねー。ところで、今日のご飯は?」

「メインはハンバーグです。後はアイントプフ、そしてキルシュトルテですね。折角なので、ドイツ料理だけにしてみました」

「後半はよくわからないけど、ハンバーグはドイツ料理なのか?」

「はい。アメリカに渡ってからは様々な国でポピュラーな料理となりましたが、元々はドイツの労働者の料理になります。安価なお肉でも美味しさと高級感を演出することが出来るので普及したのですね。お兄様もお好きですよね?」

「ああ、もちろん。デミグラスでも和風でも、なんでも好きだ」

「さすがにまだ和風の料理は自信がないので、デミグラスですよ。軽くレシピを調べて、自作してみました」

 それはまた本格的だ。いい加減に腹も減っているし、これは期待度が高まる。

 ディアの部屋を引き上げて階下に降りると、早くも良い匂いがして来た。既に配膳は終わっていて、二つある客席のテーブルがくっ付けられ、そこに三人分の食事が乗せられている。品数は少ないが、量は案外多そうだ。

「どうぞ、お兄様。お好きな席にお座りください」

「別にどれって決まってないのか?」

「ハンバーグの大きさはどれも同じで、スープの量も同じですから」

 そうは言われても、配膳は二対一で向かい合うようになされている。つまり、一人の方に座って二人と顔を付き合わせて食べるか、二人の方で隣に双子の内のどちらかに座ってもらって食べるか、の二択だ。

「じゃあ、こっちで」

 どちらかに偏って親しく接するのも嫌なので、二人と向かい合う方を選択した。まあ、恐らくはセラもこうなることを予想していたのだろう。双子は仲良く隣り合って座り、片や静かに、片や元気に手を合わせた。

『いただきます』

 そう言えば、二人は普通に手を合わせていただきます、と言ってから食事を始めている。

 俺は日本人だからそれが当たり前だけど、二人はわざわざこっちに合わせてくれているんだな。自国の文化を尊重されて、ちょっと嬉しい。

「そ、そうか。食べるのはナイフとフォークで、だよな」

「あ、お箸も用意出来ますよ。そんなに硬いハンバーグではないので、絶対にナイフで切らないという訳でもありませんし」

「いや、大丈夫。……だと思う」

 とは言うものの、ほとんどナイフとフォークで食事をしたことなんてない。――まあ良い。それは二人が食べるのを見て学ぶとして、比較的楽に食べれそうなハンバーグに手を付ける。

 フォークで押さえ、肉の上にナイフの刃を落とし込んでそっと引くだけで、閉じた手の平ぐらいの大きさのハンバーグは切れてしまう。口に入れやすい大きさに切り分けるのには慣れない手つきでも苦労することはなく、口の中に入れると濃過ぎない上品な味のソースと、肉の旨みがいっぱいに広がった。この脂が溶けていく感じからして、決して安い肉じゃないんだろう。ステーキにも引けを取らない濃厚な肉の味だ。

「美味い。レストランで出されても違和感ないな……」

「ありがとうございます。でも、それは褒め過ぎですよ」

「いや、お世辞じゃなくて、真剣に美味いと思う。同年代の子がここまで作れるなんて」

 自然と感嘆の言葉が漏れてしまう辺り、本物だ。シェフに本格的に師事して習ったような味に思える。

 それから、気になったのは付け合わせなのだが、よくあるフライドポテトやニンジンのソテーではなく、明らかに漬物チックな野菜が軽く盛られている。どことなく不釣り合いなこれは……?

「あ、そっか。お兄ちゃんはザワークラウトなんて知らないよね」

「ザ、ザワ?この漬物っぽいやつの名前か」

「ザワークラウト、簡単に言えばキャベツのお漬物です。繊切りにしたキャベツを普通に塩や香辛料に漬け込んで作るのですが、少し酸味があって美味しいですよ。ドイツではお肉料理の付け合わせにされることが多いものですね」

「もしかして、自家製なのか?」

「ええ。数日漬けるだけで食べれるようになりますし、すごく簡単なので」

「へぇ……なんか、ドイツと漬物ってミスマッチな気がするけどな」

 昨日、おしゃれなトルテを食べたからだろうか。漬物桶に野菜を入れて、漬物石をその上に置いているような姿がドイツには似合わない気がする。他の俺の知る食べ物だとソーセージみたいな燻製があるが、そっちの方は漬物と同じ保存食でも、どことなくしゃれている気がするし。

「実はドイツと日本は、国民性だけではなく食文化もよく似たところが多いのですよ。だからこそ、私が興味を持ったというところもあります。お漬物もそうですし、こちらのスープも。アイントプフといい、ドイツの一般家庭のスープとして一般的なものです。日本のお味噌汁とよく似ていますね。具材や味付けも家庭によって異なっていて、私の家ではコンソメベースの比較的薄味のものになっています」

「そう言われると、すごく身近に思えて来るな。具材もニンジンとかタマネギとか、それっぽいし」

 スプーンで一口すくって飲むと、薄味ながらも塩味と野菜のだしが出て、良い味に仕上がっている。コンソメを和風だしに置き換えれば、味噌を入れる前の味噌汁と同じ感じだ。日本人の口にもよく合う。

 豆が入っているというのは、少し味噌汁としては変わっているが、余り物ならなんでも入れるのが味噌汁だし、そこまで不自然には感じられない。むしろ、ここまで入っていてジャガイモが入っていないことに違和感がある。ドイツと言えば、ジャガイモというイメージがあるんだけどな。

「ところで、ジャガイ……」

「お兄ちゃん。そんな野菜は存在しないの。良い?あたし達の世界にそんな食べ物は初めから存在していなかった。わかった?」

「え、ええ」

「……お兄様。ドイツ人なら誰でも、その……ジャで始まる野菜が好きとは限らないのですよ。私達はそれが極端に嫌いで、名前を発声するのも辛いんです」

「そ、そこまでなのか。でも、どうして――」

「好きに理由がないのと同じで、嫌いなのにも理由はないんだよっ。あたし達は本当、アレがダメなの。でも、ドイツならどこに行っても売ってるし、普通に食べてるでしょ?……ここだけの話、あたし達が日本に来たがったのも、アレの呪縛から逃れるためだったんだよ……」

「わ、わかった。半泣きになって説明してくれないで良い」

「ありがとうございます……。でも、日本でも大人気ですよね、アレ。しかも、肉じゃ……うぅ、これ以上は言えませんっ」

 相当に重症だったようだ。しかし、まさかドイツに生まれながら、ジャガイモが嫌いとは。日本人でも生魚や納豆が嫌いな人もいるし、人それぞれということだが、ジャガイモが食べられないとなると、色んな物が食べれないことになるな。

 フライドポテト、ポテトチップスの類はもちろんだし、日本料理には肉じゃがに代表されるように、ジャガイモは頻繁に現れる。それ等が食べれない、つまり作れないとなると、セラが抵抗なく作れる料理はかなり限られてしまう。カレーやシチューも、ジャガイモ抜きで作るんだろうか。

「んー、それにしても美味しい。足りなく感じちゃうぐらい」

「デザートがあるのですから、お腹いっぱいになったら逆にいけませんよ。お兄様も、量は大丈夫ですか?トルテは一カットずつですが、もし入らないようであれば残していただけても」

「いや、俺も足りないぐらいだよ。本当に美味い」

「あ、あんまり、褒めないでください……」

 セラは嬉しさと照れ臭さが入り混じった、なんとも言えない可愛らしい表情を見せて、真っ赤になってしまった。

 黙々と食べ進めていると、二人よりもかなり早くハンバーグを平らげてしまい、スープも美味しく全部いただけてしまった。中毒性すら感じる味で、皿が空になってしまったことが惜しい。

「ごちそうさまでした。では、デザートのキルシュトルテをお持ちしますね」

「キルシュトルテ……昨日のとはまた違うんだよな?」

「シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ。すごい長い名前だけど、前半のシュヴァルツヴぇルダーというのは、黒い森って意味。キルシュはさくらんぼのことだね。簡単に言うと、ココアスポンジにさくらんぼを挟んで、クリームを塗ったトルテなの。スポンジが森で、クリームがそれに積もった雪を意味してるんだ。ホールだとすごい奇麗な見た目をしてるんだよ」

「ココア生地なのに、ショートケーキみたいにクリームを塗っているのか。なんだか珍しいな」

「フランスに輸入されて名前が変わったりして、日本でも結構有名と思うんだけど、お兄ちゃんは男の人だしそんなにケーキに興味はないよね。でも、さくらんぼがすごく贅沢に使われた美味しいトルテなんだよ」

「さくらんぼは好きだし、美味しくいただけそうだ。セラが作るのなら、味は心配ないし」

「うんうん。あたしも毎日セラちゃんのトルテが食べれて、役得ですわ」

 二人で話していると、セラがトレーに乗せてトルテを運んで来てくれた。遠目からでも、白と茶のコントラストがはっきりと見える。イチゴの代わりにさくらんぼが乗っていて、見た目にもかなり可愛らしい。

「はい、どうぞ。お兄様のお口に合うと良いのですが」

「そんなに心配しなくても、絶対美味いよ。それじゃあ、いただきます」

 フォークで適当な大きさに切り、突き刺す……んだが、なぜか気合の入った目でセラがじっとこっちを見つめている。ここまでリアクションを求められながら食べるなんて、ちょっと緊張するけど、クリームでコーティングされたココアスポンジは、まず見た目からして美味そうだ。これで口に合わない訳がないだろう。

 口の中に入れる。すると、ココアの風味が香ると同時に、意外なほどにはっきりとさくらんぼの味が広がった。クリームやスポンジの甘さはあくまで控えめで、だからこそさくらんぼがより香り立つ。文句を付ける場所を探そうと思っても見つけられない、絶品のスイーツだ。

「ど、どうですか?」

「美味い。いや……すさまじく美味い。こんなケーキがあったんだな」

 感動を覚えるほどの味。意識革命を引き起こすほどの美味さ、そう感じられた。今までこんなに美味い食べ物を口にしたことがなかったのが損失に思えてしまう。もちろん、一切のお世辞や気遣いは抜きで。

「あ、ありがとうございます!」

 セラは腰を直角に曲げるほど深々と頭を下げ、震えてしまっている。……喜んでいる、と判断して良いんだよな?

「うんうん。日本のさくらんぼでも美味しく出来るんだね。なんとなくウチのメニューになかったけど、新メニューに出来るんじゃない?個人的に作って食べるにはもったいないと思うよ」

「そうだな。客として来た時にも食べてみたいし、これなら誰でも問題なく食べられるだろうな」

「新メニュー、ですか?……でも、これは私がお兄様に――」

 言いかけたところで、すごい勢いでディアが飛び出してその口を塞ぎ、厨房の方へとセラを押し込んで行ってしまった。ラグビーの試合で見るような強烈なぶつかり方だったんだがあれ、大丈夫か?

『ディ、ディアちゃん?』

『セラちゃん。お兄ちゃんだけの特別にしたいのはよくわかるけど、それはあまりにドリーマーな思考だよ。ウチはケーキ屋さんじゃないんだし、お兄ちゃんのためだけに一ホールのトルテを焼く訳にはいかないでしょ?予約注文を受けて作るようにしても良いけど、ケーキセットとかそういう名前で飲み物と一緒に売り出すの。で、お兄ちゃんが来る日には特別に力を入れる、と』

『そ、そうですか……。確かにこのお店のシステム的に、土壇場で予約が入らない限りはいつどのお客様が来るかはわかりますからね……』

『そういうこと。癒しや萌え以外の新たな売りとしてケーキを前に出して行けば、女性のお客さんとか、ケーキの注文だけをしてくれる新たな客層のゲットにも繋がるしね』

『なるほど……。でも、なんだかディアちゃん、商売人が板に付いて来ましたよね……。私より経営者に向いているような』

『あはは、なんとなくそれっぽいこと言ってるだけだよ。あたし、お金の計算とか苦手だし』

 しばらく言葉を交わした後、二人は静かに戻って来た。小声だったので全く会話はわからなかったが、解決はしたようだ。

「失礼しました。そうですね、新メニューにしてみても良いかもしれません。こんなにお兄様に気に入っていただけたのですから」

「でも、きょうびただのキルシュトルテ、っていうのもあんまり芸がないよね。もっとこう、ウチだからこそ出来るアレンジを加えてみるとか」

「このお店でしか出来ない、ですか。……男性のモニターがいる、でしょうか」

「男性志向の、甘さを控えたケーキを売り出すということか?それなら、俺で良ければいくらでも試食させてもらおう」

 セラの作るトルテなら、いくら食べても飽きなんてものは来ないだろう。ディアじゃないが、美味いトルテの味見が出来るなんて素晴らしい役得だ。

「おー、頼もしいねー。やったじゃん、セラちゃん」

「え、ええ。何から何まで、本当にありがとうございます。ただでさえお兄様は毎週日曜日にお時間をいただいているのに」

「いや、そのことは気にしなくていいって。どうせいつも暇してる身なんだ。俺の時間ぐらい、いくらでも使ってくれていい。むしろ二人こそ毎日働いているんだし、心配なんだけどな」

「それは大丈夫。こう見えてあたし達、きちんと家事も分担してやってるし、セラちゃんにばっかり無理させてるとかないから」

「朝の家事は私がしているのですが、基本的にお昼ご飯や夕ご飯はディアちゃんに作ってもらっているんですよ。元々私はそれほど丈夫な方ではないので、仕事量はかなり減らしてもらっています」

「そうなのか……」

 ディアが家事をしているなんて意外、と思うのは失礼だな。俺の前では正に“妹”らしくしている彼女だが、たった二人のこの店の従業員の一人として、また、姉と二人で暮らす妹として、可能な限りは協力して生活をしているはずだ。

 そう思うと、同時にセラのことが気になる。彼女は俺と一緒にいても、妹は妹だが“しっかり者の妹”として、俺に世話を焼いてくれている。ディアの前でも姉として気を抜くことはないだろうし、昨日ディアが言っていたのは、この危うさが心配だからなのだろう。なんとか張り詰めたセラの心を解きほぐしてあげたいんだが。

「ごちそうさま。気付いたら食べきっていたな」

「おそまつさまです。後四カット分ほど残っているのですが、どうしましょうか。お持帰りにしますか?」

「あ――いや、今日は男友達の家に行ってるってことにしてるし、この時間にケーキ屋に寄って来た、なんて言うのもさすがに苦しいな。ごめん、申し訳ないけど残りは二人で食べてくれ」

「わかりました。では、またの機会に、ということで」

「ああ、折角焼いてくれたのに、本当にごめん」

「いいえ。……お兄様があんなに喜んでくださったので、それだけで私は幸せですよ」

「もう、セラちゃんもやるなぁ。お兄ちゃん、残りは大体あたしが食べちゃうから、安心して」

「そ、そうか」

 セラの言葉は、後半がかなり小声だったのでよく聞こえなかったが、ディアがいれば腐らせる前に食べきれるだろうし、確かに安心だ。現にあれだけのハンバーグを食べた後なのに、ディアは余裕で今のトルテも完食している。このまま二個目にまで行きそうな勢いだ。

「では、今日はわざわざお越しいただき、ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております。お兄様」

「こっちこそありがとう。じゃあ、また週末にでも」

「はい。……ディアちゃん、お見送りをしますよ。では――」

『いってらっしゃいませ、お兄様(お兄ちゃん)』

 ぴったりと揃った声を背中に受け、店の扉を出ていく。改めて、この店の常連になる人の気持ちがわかる。

 この声を聞くことが出来れば、どんなに辛い勉強や仕事でも、また一週間頑張れる。そんな確信があった。

 

 

 

 昨日の失敗を塗り消すため、画策した今日のお食事会。

 料理もトルテも失敗することはなく、お兄様に喜んでいただくことが出来ました。

 とりあえず作戦は成功、でしょうか。

 でも、そんなことより、お兄様が美味しいと行ってくださる、そのことが嬉しくて……つい、このペンの文字も震えてしまいます。

 私ももう、十六歳。いい加減に自分の気持ちというものも自分自身で把握出来るようになって来ていますし、やはりこの気持ちは、やはりこのお兄様への気持ちは……。

 ディアちゃんは茶化すこともなく、応援してくれると言います。また、自分もお兄様のことは好きだけど、それは年上のお兄さんとしてであり、対等な関係に立とうとは思っていない、と。

 ……そう遠くない未来、私はお兄様にこの気持ちを打ち明けようと考えています。その結果どうなるのかは、想像も出来ません。

 こんな気持ちになるのは初めてで、わからないことばかりなのですから。

 

六月十八日 月曜日


 
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