【24】
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おれは悪鬼だ。
親が桜子を殺したのは、おれのためだった。持ち掛けられた縁談を成功させ、一層の繁栄を得た北郷家をおれに継がせる。それが両親に考え得る最上の幸せの形だったのだろう。
だから、桜子がただの友人だと言ったところで両親はそれを信じようとはしなかったのだ。
実際、おれと桜子の間には男女の仲呼ばれるような関係は存在していなかった。おれは彼女に足りないものを補い、彼女はおれに足りないものを補う。ただ、それだけの関係で、必要以上に互いを求め合うことも、或いは逆に、不必要なほど距離を置くこともなかった。
出会いは単純で、おれが高三の時、彼女の自転車の鍵を拾ってやったのが切っ掛けだった。羽化したてのカゲロウのような、儚げな面立ちの少女に、おれはさして特別な感想を抱かなかった。落し物を届けた、ただそれだけの関係を経て、おれたちは二度と関わることのない先輩と後輩に戻って行く。意識せずとも、そう感じていた。
その予想が裏切られたのは、鍵を拾った翌日のことだった。大学への推薦を得ていたおれは、無気力に消化試合染みた日々を過ごしていた。だから、教室へわざわざ礼を言いに来た桜子を見たときは酷く驚いたものだ。
たかだか鍵を拾っただけの相手だ。その場で礼を言えば済む。だが桜子は律儀にも、後日礼の品をもって教室に現れたのだ。今になって考えてみれば、存外に大胆な彼女らしい行動だったのかもしれない。
結局、彼女はおれと同じ大学の同じ学部に進学してきた。美しい彼女は大学でもそれなりに人気があったようなのだが、何故か浮いた話は聞かなかった。おれと共にいる時間が多かったせいで、男持ちだと思われていたのかもしれない。とすると、彼女には申し訳ないことをしてしまっていたのだろうか。
色々と自惚れた想像をしなかったわけではない。だが、おれにはそれを払拭してしまえるだけの理性と諦念がしっかりと備わっていて、だから最後までおれと桜子の間には、男女の色香は漂わなかった。
互いに傷つけあわない代わりに、決して触れ合えない距離感を保ったまま、おれと桜子の関係は終わってしまった。
両親は狂っていたのだと思う。
再三にわたって桜子との関係を切るよう迫る両親に対して、おれはそれを拒絶した。というより、切らねばならぬような関係など、おれと桜子の間には存在しなかったのだ。
ただ両親はそれでは許さなかった。家の者を使い、拘束したおれの眼前で桜子を凌辱してみせたのだ。その光景は今でも夢に見る。獣のような男たちに犯されながら、ただおれに詫び続けた桜子を前に、おれは何もできないまま、見ているしかなかった。あのとき桜子がなぜおれに詫びたのか、それは今でも分からない。ただ桜子の白い内腿に流れた赤い筋だけが、瞼の裏に焼き付いている。
男たちは反応の悪い桜子に業を煮やしたのか、どこからか得体の知れぬ薬剤の詰まった注射器を取り出して、それを容赦なく桜子に施した。
それが良くなかったのだろう、桜子はすぐに身体を痙攣させ、白目を剥いて泡を吹くと、がくりと脱力したまま動かなくなってしまった。女の反応をよくするための薬だったのだろうが、生来身体の強くない桜子にとっては心臓を握り潰す毒薬でしかなかったらしかった。
凄惨な最期を迎えた桜子を前にして、両親は満足げに笑うと「これで思い知ったか」とおれに言った。卑しい生まれの娘などにうつつを抜かさず、さっさと身を固めろと、『親の顔』で説教まで始めたのだ。
北郷の家の力があれば、母子家庭の小娘ひとり「行方不明にして」消してしまうなど造作ものないことなのだろう。だからこそ、おれは両親を許すことが出来なかった。たとえ両親が彼らなりの深い愛情ゆえに凶行に及んだのだとしても、当時のおれにそれを斟酌するだけの余裕はなかった。
おれは桜子を凌辱した若衆を殺し、両親を縊って遁走した。
選択肢はあった。親殺しという鬼の道を歩まずとも、桜子の面影を忘却の彼方へ追いやって人として生きることも出来たのだろう。
だが、それは許さぬ。
おれは、おれにそんな選択をさせる訳にはいかなかった。
罪には罰を。
罪には――罰を。
償いとは補填だ。では、死んでしまった者に、穢されてしまった者に、一体何を補填するというのか。何をもってすれば、補填できるのだというのか。
出来ぬ。
この世に――償いなどない。
ならば、殺人者の命を奪うことで、「せめて均等に」せねばらならぬ。
おれは遁走し、桜子を消そうとした連中をすべて殺してやろうと思った。両親と若衆だけが事件の下手人であるのか否か、それを調べる必要があった。おれの縁談相手が怪しいと思った。
ただ――結局、誰がどこまで黒だったのかはっきりせぬまま、おれはこの世界に召喚されてしまった。
そして、おれはそれを受け入れつつある。
逃走と調査の日々の中で――きっとおれの魂は摩耗していたのだろう。
時には無様な道化を演じ。
時には冷徹な軍師を演じ。
華琳に頼り。
風に縋り。
それから――。思いつくだけ上げていくなら、きりがない。
思えば、こちらに来てからの、どこか一貫性統一性に欠けるおれの行動は、きっと逃避という言葉に集約してしまえるのだ。
腹の底に溜まったものを吐き出すための、愚かで浅ましい、嗚咽嘔吐でしかないのかもしれぬ。
それでも、おれの無様な馬鹿踊りの末に救われる者たちがいるのだというのなら。
例えば、風が幸せになるのなら。
例えば、華琳が理想を叶えることが出来るのなら。
おれはこの命をそのために燃やそう。
そしてきっとおれは、その過程で――報いを受けるだろう。
軍師として、武人として、おれは多くの人間の命を奪い過ぎた。
ゆえにおれもまた、罰を受ける。
罪には罰を。
死には死を。
命には命を。
いずれどこかの正しき者がこの悪鬼を殺しに来るだろう。
そしてその正しき者も、いずれまた別の者に罰を与えられるのだ。
なぜなら、人殺しはすべからく悪行であるからである。
その繰り返しが、蒙昧で尊く、無学習で愛おしい、人間の歴史なのだ。
だからそれでいい。
正しき者よ、悪鬼を殺して罪を負え。
ただ、この悪鬼は全力でそれに抗う。命を燃やし、生きて生きて生き抜く。
その末に打ち滅ぼされて初めて、それが罰になるからだ。
だから覚悟せよ、正しき者よ。
苦闘の末、この悪鬼を打ち倒し、この血を浴びたおまえは、きっと――きっと。
1
「これらべっど、の設営、完了いたしました」
背後から届いた声が、虚を忘我の境から引き戻した。日は既に高く上っている。何か白昼夢に捕らわれていた気もするのだが、よく覚えていなかった。
「万徳、ご苦労だったな」
「勿体なきお言葉。曹操さまは庭に設置いたしました壱の天幕に、劉備殿は弐の天幕にお入りいただきましてございます」
「分かった。華琳の治療はおれが担当する。そう皆に申し伝えてくれ」
「かんごふ、にで御座いますな」
「そうだ。――経口輸液の準備はどうなっている」
「は、それもかんごふに作らせています。一度沸かした水千に対して、砂糖四十、塩が三、で宜しゅうございますな」
「ああ。金は掛かるが仕方がない。陳留近辺で岩塩屈を幾つか見つけておいてよかった。陳留では塩が余っているから、おれの名前で持って来させてくれ。ただ、陳留の民と洛陽の民は一切接触させるな。支払いも陳留で行う」
「は。手配いたします。して遺骸の方は――」
「ああ、何進から通達が来た。死んだ患者は消し炭になるまで焼き尽くせ。近くに今は使われていない砦がある。そこを火葬場とする。燃やした死体は深く埋めろ。最後は砦ごと完全に焼却する。コレラはこの洛陽から絶対に出さん」
そう指示すると、万徳はやや躊躇いがちに頷いた。
「遺骸を燃やすことに抵抗があるか。何進も、渋っていたようだがな」
「この万巧賢、虚さまのご命令を遂行するのに、気の咎めなどございません」
「苦労を掛けるな、万徳」
「それこそが、我が幸せなれば。お気遣いは無用にございます」
鋭く礼をとると、万徳は大股で虚のもとを辞した。
洛陽に蔓延したコレラに対してとることのできる手段は限られている。
まずは予防。コレラは経口感染であるから飲食には注意させる。これは何進が人手を使って行わせている。朝廷の方でも伝染病対策は考えられていたようで対策は早かった。馬鹿馬鹿しい祈祷などに無駄な人員を割かれてはたまらない。
次に、患者の遺骸の焼却。患者の遺骸は菌のコロニーであるから、必ず焼き尽くさねばならない。
そして生きている患者に対してできることと言えば、経口輸液の投与くらいのものである。
「さて、おれは華琳の天幕へ行くとするか」
そろそろ経口輸液の第一陣が仕上がるころだ。虚は大股の急ぎ足で、支度場に向かった。
つづく
《あとがき》
ありむらです。
まずは、ここまで読んでくださっている読者の皆様、コメントを下さったかた、支援をくださった方、お気に入りにしてくださっている方、メッセージをくださった方、えっとそれから……兎に角応援して下さっている皆様、本当にありがとうございます。
皆様のお声が、ありむらの活力となっております。
さて更新滞っておりましてすみません。
生活が落ち着き次第ペースを上げたいと思います。
今回はこれだけで、後篇は近日中に更新しようと思います。
鬱展開が苦手な方はごめんなさい。ただ、これからも気持ちの暗くなる展開は出てきます。ご了承くださいませ。
では今回はこの辺で。
ありむらでした
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死んでしまった一刀さんの友人はわたしの作った人物で、例の「彼」ではありません。彼の登場を期待されていた方ごめんなさい。
近頃多忙にて中々更新できずに申し訳ありませんでした。メッセージ、コメント下さっている方、ありがとうございます。
現在仕上がっている分だけ「前篇」としてあげます。続きは近日中に……書きます汗
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