≪1≫
人生において最も濃密であったとすら思える一日が終わりを告げ、宛がわれた部屋のベッドに身を投げる。思わぬ大役を引き受けた重圧は不思議と感じることはなく、ただ茫然と感慨に耽っていた。
(詠と霞)
二人の女の子は間違いなく自分よりも有能で、自分の力でもってこの世界を生き抜いている。そんな子達に自分はどんな手助けをしてあげられるのか。
(董卓と呂布)
まだ話でしか知らないこの二人はどんな人物なのだろうか。顔を想像しようとしたが、危うく髭を生やした厳ついおっさんが思い浮かびそうになったので止めにする。女の子という話だし、こんな想像は失礼だろう。
「寝るか…」
明日からは何が起こるか分からない。何にせよ、あらゆる事に対処するために体力だけは残しておかないといけない。そう思って布団に潜る。緊張のため疲れを忘れていたのだろう。心地よい暖かさに包まれると、瞬く間に深い眠りへと落ちて行った…。
≪2≫
「決起は七日後よ」
翌朝部屋にやってきた詠の最初の言葉に、寝起きの頭が一気に覚醒する。昨日の今日でやると決めたからには覚悟はしていたが、具体的な期日を知った事で否応なく実感が増す。
「宦官共が昨日の出来事についていろいろと詮索しているようなの。怪しまれて対策を講じられる前に決行するわ」
囁き声で詠は告げる。宮中の中であればどこで敵が聞き耳を立てているかわからない、ということだろう。
「それで、俺はどういった役回りを演じればいいんだ?」
天の御使いを演じるとしても、ただそう名乗っていれば良い訳ではない。特に、こういった虚仮威しの類はインパクトが大切だ。だが生憎、自分自身ではすぐにそんな策は思い浮かばない。
「それについては追々作戦内容と一緒に説明するわ。今日から作戦前日までは、ボク達の陣営の主な将と面識を持ってもらう時間にあてる。作戦を速やかに遂行するためにも仲間の把握は必要だからね。まぁ、真名を聞き出せとまでは言わないけれど、親睦を深めてきてちょうだい」
詠の意外な発言に思わず沈黙して、彼女の瞳を凝視してしまう。俺の視線に気づいた詠は、怪訝な表情をみせる。
「何? 何か問題でもあったかしら…?」
「いや、なんかこう、もっと陰謀めいた事の一端を担わされると思ってた。だから、そんな事で良いのかなって…」
俺の言葉を聞いた詠は肩を竦め、呆れ顔で苦笑する。
「まだこの世界に来て一日しか経っていない、右も左もわからないような人間にそんな重要な役目をすぐに任すわけないでしょ? あ、別にあなたの能力が劣っているだとか、そういう意味ではないから安心して」
「気にしてないよ、むしろほっとしてるくらいだ。それに、昨日話で聞いた呂布達にも会ってみたいと思っていたところだし」
「そう、なら良いわ」
そう言って詠は満足そうに頷く。
「で、実際に俺は誰に会っておけば良いんだ?」
「あなたに会っておいて欲しい人物は二人。一人目はさっきも言った呂布ね。ボク達の陣営で霞と並ぶ主力武将の一人よ。個人の武だけで言えば、人間を超越していると言っても過言じゃないわ」
「人間を超越してるって…」
物語の登場人物としての呂布は、確かに並外れた力でもって描かれることが多い。これから会いに行く彼女も、彼らのように恐ろしい形相をした鬼神の如き人物なのだろうか。想像が膨らむにつれ、段々と会うのが怖くなってきた。
「別に、そんなに恐がらなくても大丈夫よ。普段は大人しい女の子なんだから」
そう言うと、詠は拳大ほどの巾着を俺に手渡す。
「これは?」
「お金よ。使い方はわかる?」
渡された巾着の口を開き、中身を確認する。中には歴史の教科書で見た事があるような硬貨が何枚も入っていた。
「俺の世界にも似たような物があった。名前と単位がわかれば大丈夫だと思う」
「なら、教えるわ。まず…」
詠に硬貨の名前と単位について教えてもらう。巾着の中に入ってる金額は、現代日本でいうと大体一万円分くらいらしい。庶民にとってはこれだけでも相当な大金だろう。
「そのお金は宮殿の外で食べ物を買ったり、好きに使ってちょうだい」
「わかった。ありがたく使わせてもらうよ」
そう言って、俺はズボンのポケットに巾着をしまう。
「とりあえず、今日のところは呂布に会ってくれればいいわ。もう一人の事はまた明日詳しく話しましょう。あと、護衛を二人付けるから道案内は彼らにしてもらってね」
「護衛? そんなものが必要なのか?」
すると、詠はやれやれといった感じに溜息をついた。
「あなたね、もう一度良く自分の立場を考えてみなさい? あなたは今や天の御使いで、ボク達の陰謀の要でもある。つまりはこれから先、あなたの命を狙う輩が出てくる事は間違いないわ」
自分が命を狙われる。人生で一度もそんな経験をした事はなかった。実感は湧かないが、薄らと冷たいものが背筋を通り抜ける感覚がする。
「まぁ、今はまだ大丈夫よ。あなたの存在に気づいてる人間は少ないし、あなたの正体を知っている人間はもっと少ない。ただ、警戒しておくに越したことはないわ」
今はまだ、という事はいずれそういった立場に置かれるという事だ。いや、この時代では意図して狙われずとも命を落とすことが日常茶飯事に違いない。日本での常識が通用しないという事を改めて実感させられる。
「もうすぐ護衛役がこの部屋に来るわ。そうしたら後はあなたの自由に行動しなさい。ただし、宮中は無暗に歩き回らないこと、それだけは約束してね」
「わかった。約束するよ」
「なら良いわ、それじゃあボクは行くから。これでも意外と忙しい身なの」
そう言って苦笑しながら詠は部屋を出て行った。
≪3≫
朝食を食べた後、護衛の人に案内を頼み洛陽の街を歩く。さすがに大都市の大通りあって人は多い。
「北郷様、こちらです」
護衛役として付けられた二人は話を聞くに、昨日俺を調査にやってきた詠の親衛隊の隊員らしい。指導が行き届いてるせいか、応対が少し堅苦しくて居心地が悪い。もう少し態度を崩して欲しいと頼んだが、
「申し訳ありません、賈駆様より申し付けられておりますので…」
といった感じで言う事を聞いてくれない。まぁ、当たり障りのない会話であれば答えてくれるので我慢することにしよう。
しばらくして、案内で先頭を歩いていた兵士が大通りを外れて脇道に入る。さっきの通りと比べると人は疎らで道幅も狭い。
「呂布将軍はこんなところに住んでいるの?」
俺の質問に、護衛の兵士はどう答えたら良いのかと迷っているようだ。立場がある以上下手なことは言えない。
「その、呂布様に関しては少々の事情がございまして。お住まいの方は、本人の御希望により移られたと聞いておりますが…」
「そうなんだ、ありがとう」
兵士は一礼すると再び前を向く。益々呂布という人物の想像ができなくなる。まぁ、もうすぐ本人に会えるわけだし、あまり深く考えるのもよそう。
「着きました、こちらです」
そういって兵士が指し示したのは、江戸時代の長屋にも似た、古びた家だった。
「ここが…呂布の家…」
「はい、我々は外で見張りをしておりますので、御用の際は声をお掛けください」
そういった兵達と別れ、家の中に入る。家の中は殺風景そのもので、本当に生活に必要最低限のものしかないように思えた。
「ごめんください、呂布将軍はおられますか…?」
声をかけるが返事はない。おそるおそる奥へと進んでいく。すると、視界の端で深紅の影が動くのが見えた。そちらへと視線を向けると、一人の少女がたくさんの犬や猫に囲まれてスヤスヤと寝息を立てている。
「まさか、この子が呂布…?」
傍まで近づき、顔を覗き込む。どこからどう見ても、かわいい寝顔をした普通の女の子だ。小さな寝息を立てて気持ち良さそうに寝ている。
(なんだか起こすのも気が引けるほどかわいい寝顔だな)
周りにいる動物達の邪魔をしないように少し離れたところに腰掛けて寝顔に見入る。
(この姿を見ても、誰も天下の飛将軍呂布だなんて信じないよなぁ)
そんな事を考えながら和やかな光景を眺めていると、呂布に抱きかかえられるようにして寝ていた一匹の犬が起き、呂布の腕を抜け出してこちらに歩み寄ってきた。しばらくの間俺の周りをぐるぐる回り、しきりに匂いを嗅ぐ。一通り嗅ぐと満足したのか、俺の膝の上に登ってきて陣取ると、再び寝息を立て始めた。
「ははっ、すごく人懐っこい犬だなぁ…」
気持ち良さそうに寝る犬の背中をやさしく撫でる。ふさふさとした感触が心地良かった。
「んっ…」
呂布の口から声が漏れる。その声に気づいた俺が視線を向けると、ごそごそと呂布が寝相を変えながらもがいている。そして、ゆっくりと目を開いた。
「おはよう」
呂布は、そう声を掛けた俺の方を焦点の合っていない眼で不思議そうに眺めている。見知らぬ人間がなんで自分の家にいるのか理解できていないのだろう。
「セキト…」
そう言って、呂布の視線は俺から俺の膝の上で寝ている犬へと向かう。
「この子はセキトっていうだ? 人懐っこい犬だね」
しかし、呂布は首をゆっくりと横に振る。犬の名前を呼んだわけじゃないのだろうか?
「セキト、人懐っこくない…」
呂布は目を擦りながら眠そうに答える。
「知らない人来ると、いつも吠える…。あなたは、知ってる人…?」
不思議な問いかけに思わず戸惑う。
「いや、一応知らない人だと思うよ? あ、でも詠から聞いてるかな?」
呂布はしばらくの間、虚空を眺めて沈黙する。
「天の人…?」
首をゆっくりと傾げながら答える。その仕草がかわいらしくて思わず微笑んでしまう。
「そうそう、これから洛陽でお世話になるから挨拶に来ようと思って。俺の名前は北郷一刀。一刀って呼んでくれるといいかな」
「一刀…」
呂布は呟きながらゆっくりと反芻する。それにしてものんびりした子だ、とても闘っている姿など想像ができない。
「恋…」
呂布は俺の顔を見るとそう呟く。
「レン?」
聞き返すと、呂布はゆっくりと頷く。
「恋は…、恋の真名…」
「呼んでも良いの? 真名ってすごく大事なものなんじゃ…?」
恋は再びゆっくりと頷く。
「詠、言ってた。一刀、信用できる。…それに、セキト、嫌な人に懐かない」
そう言って今度は俺の膝の上で寝ている犬の方に視線を向ける。
「他の人と、気持ち良さそうに寝るセキト、珍しい。きっと、一刀…良い人?」
最後の疑問形に苦笑してしまったが、どうやら警戒はされていないらしい。その事がなんだかとても嬉しかった。
「はは、それじゃあこれからよろしくね、恋」
「ん…」
俺の言葉に恋は満足そうに頷く。
≪4≫
しばらくの間、恋と一緒に穏やかな時間を過ごし、俺は恋の家を後にした。帰りに昼食用の中華まんを買って自室に戻る。
(恋と一緒に昼を食べてもよかったかな…)
かわいい女の子とお昼を過ごす機会を逃した事に少し後悔する。しかし、これからは仲間として一緒に過ごすわけだし、次の機会にでも誘ってみよう。そんな事を考えながらも、現状やっておかなければいけない事に目を向ける。
机の上に用意されているのは、この大陸の今の動向を調査してまとめた報告書などだ。三国志の歴史を知っているとはいえ、この世界でその通り事が進むわけではない。しかし、今までの話を含めて考えれば、全く役に立たないわけでもなさそうだ。というわけで、
「詠に相談してみたのはいいが…」
竹簡でもあるせいか、見た目の量が半端ない。これだけの量に目を通すだけでもいったいどれほどの時間がかかるのだろうか。
「まぁ、期待されてると思えばやる気もでるだろう」
これから求められてくるであろう重役に比べれば、こんな事は屁でもない。そう自分に言い聞かせ、時には恋のかわいい寝顔を思い出して癒されながら、俺は日が暮れるまで書簡との格闘を続けた。
晩御飯を食べ終わり、お茶を飲みながら一服する。そして、日中に目を通した書簡で自分が気になった事をまとめたものを読み返す。
まずは、この大陸全体の状況だ。三国志のエピソードとして有名な黄巾の乱を機に、漢王朝の力の衰退が明るみに出て、今や各地の有力な諸侯が各々の領地を統治している。また、世間的にはこの洛陽は董卓により占拠され、皇帝も董卓の傀儡となっているのだそうだ。この辺りの情報は、宦官共によるものか、もしかしたら洛陽の都を狙ういずれかの諸侯によって流された情報かもしれない。
次に、現在台頭している有力勢力についてだ。北方の袁紹、荊州を治める袁術。この二勢力が二大巨頭といったところだろう。特に、袁術の勢力は孫策など優秀な武将を多数客将として迎え入れているらしい。次点には幽州の公孫瓚。そして、最近になって頭角を現し始めたのが陳留を中心に治める曹操の勢力だ。
ここまで調べて驚いた事は、三国志で有名な武将のほとんどが女性であるということだ。全ての人間の性別が反転している、という訳ではないだろうが、それに近い形での違いがあるらしい。しかし、それ以外に関しては俺の知っている三国志武将のイメージを崩さなくても済みそうだ。袁術の勢力は大きくとも重税による悪政で、民衆の不満は募る一方であったり、袁紹と公孫瓚の仲が悪かったり、かなり予想通りのところが多い。
そして、もう一つ目を引いた点は、徐州を治める劉備の勢力だ。黄巾の乱で名を挙げた劉備は徐州の刺史に就任しているらしい。配下の武将の名前には、関羽や張飛といった有名所の他に、諸葛亮や龐統といった軍師の名前も挙がっている。
「諸葛亮や龐統って、こんな初期に仲間にならないよな…?」
その他にも趙雲など、三国志でお馴染みの武将の名が挙がっていた。
「やっぱりいろんなところで違いが生まれているんだな…」
そもそも、董卓が宦官に操られているという時点でおかしい。宦官といった連中は、本来ならもっと前に大将軍である何進らによって粛清され、皆殺しにされているはずだ。
まぁ、細かい差異については考えても仕方ないのだろう、現在持っている三国志の知識はあくまで参考程度に留めておくことにする。
「疲れたな…」
日本にいた頃でも、こんなに長時間机に向かっていた経験はほとんどない。人間は自分自身の命運に直結するとわかった事なら、普段以上の力を発揮できるようだ。しかし、それもそろそろ限界らしい。
(明日に備えてもう寝よう…)
そう思って布団に潜り込むと、すぐに眠りは訪れた。
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董卓軍ルート妄想SSの続き物です。
初見の方はこちらの方を先に読んでくださると嬉しいです。
http://www.tinami.com/view/51631
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