薔薇の茨で檻(おり)された白く輝く塔の上にお姫様と骸骨(がいこつ)はおりました。
「ねぇ」
お姫様は骸骨に話しかけます。
「今日は何日かしら」
「山が錦(にしき)の衣(ころも)を纏(まと)った頃でございます」
骸骨は丁寧に答えます。
「そうなの。もうすぐ冬なのね」
お姫様は塔の冷たい石窓から手をつき空を見上げます。
のったりと雲が青い空を泳ぐ様子は、とても晴れ晴れしていて、うつくしく見えました。
「ねぇ」
お姫様は骸骨を振り返ります。
「外に出たいの」
「いけません」
ひっそりとお姫様の後ろに佇(たたず)む骸骨は首を振ります。
「ここは茨の塔です」
「でも、ただの茨だわ。鍵がかかっているわけでもないじゃない」
「無理に出ようとすれば、あなたの百合のようなお手が傷つきます」
「構わないわ」
「わたくしが構います」
何度も繰り返したやりとりですが、お姫様はいつか骸骨がいいと言ってくれのではないかと、飽きずに訪ねておしまいになるのです。
変わらぬ答えにお姫様はふうと溜息をつきます。
一度など、勝手に塔を出ようと内壁にまで根を張る茨に手をかけようとしたところを骸骨にみつかったこともございました。
「ねぇ」
お姫様がそう声をかけると、骸骨はお姫様の次の言葉を待つかのように、茶色く変色した骨だけの顔で、じっとお姫様を見るのです。
お姫様は、次の声を発するまでの間、骸骨がお姫様だけを見つめるそのほんの一瞬の時間が、いっとう好きでした。
たっぷり待たせてから、お姫様は口を開きます。
「お腹がすいたの」
「お食事の支度をいたします」
骸骨は丁寧に礼をすると、階下に降りる階段へ消えていきました。
お姫様は空色のドレスをふわりと揺らしながら窓の横にちいさな椅子を置くと、その上に腰掛けました。白い窓枠に肘をつけ、お姫様は太陽を見上げました。
お姫様は、塔の外の世界を知りません。
塔の全てがお姫様の全てで、骸骨以外の人をお姫様は知りません。
絵本に出てくる王子様も、お店というものも、お金も、なにもかも見たことも触ったこともないのでした。
お姫様の体も、最初の頃に比べるとたいそう大きくおなりです。そろそろこの塔を出て、ひとりでなんでもできるということを、あの世話焼きの骸骨にわかってもらう機会かもしれないと、お姫様は考えました。
そのためには、どうしたらいいのでしょう。
お姫様ははっと顔を上げました。
いま、骸骨が料理の支度をしているはずです。それを骸骨にやって貰わずに、自分ですれば良いのだと、お姫様は考えつきました。
そうしたらもう、いてもたってもいられません。
お姫様はふわふわのスカートを持ち上げると、きらきらと金色の髪を靡(なび)かせとぶようにして、料理の準備をしている骸骨のところへゆきました。
「姫様」
骸骨が振り返ります。
「わたしに作らせて」
お姫様は息をはずませて言いました。
「いけません」
「どうして!」
「あなたのお手を、傷つけたくないのです」
「傷ついたって、いいわ。ねぇ、わたしに作らせて」
骸骨は、手を止めお姫様の近くにきて、お姫様の顔を覗き込むと言いました。
「わかりました」
その言葉に、お姫様はおひさまのような輝く笑顔を浮かべました。
「ほんとう?ほんとう?やった!おいしいの、つくるからね。おいしくなくても食べるのよ。もちろんおいしいとは思うけれど」
「もちろん、あなたの作るものであれば、おいしいでしょう」
「そうでしょう?」
「ですが、さきにわたしが作ってしまったぶんがありますから、姫様はそちらを召し上がって下さい。わたしは、姫様に作って頂いたぶんを今日の食事にさせて頂きます」
「うん、いいわ!まず、なにをすればいいの?」
「そうですね、まずは、手を洗いましょうか」
さてそうしてお姫様が作ったお食事と、骸骨が作った料理を見比べて、お姫様は首を傾げます。
「ねぇ、なにか、違う気がしない?」
「ええ。姫様の作られたもののほうが、おいしそうですね」
「そう?」
褒められてお姫様も満更(まんざら)ではございません。なにせ、生まれて初めて作った料理なのですから。
「でも、なにかわたしの料理、黒いし量がとても少なくなってしまったわ。作る前はあんなに沢山あったのに」
「料理は作る前より作ったあとの方が少なくなってしまうこともままあるのですよ。黒いのが気になるようでしたら、次は彩(いろど)りに気をつけて一緒に作りましょうか」
「うん!」
お姫様はにこにこと笑いました。料理が出来たのも嬉しいのですが、なにより、骸骨が「次」と言ってくれたことが嬉しかったのです。
「では、冷めないうちに頂きましょう」
「うん」
そうは言ってもお姫様は食器に手をつけません。
おそるおそる、食い入るように骸骨の手元を見つめています。
骸骨はフォークをさくりと姫様が作った料理に突き刺すと、それを口元に運びました。
さくさくと、骸骨の咀嚼(そしゃく)する音だけが部屋の石壁に反響します。
「ど、どう?」
「おいしいです。とても」
「本当!?」
お姫様は飛び上がらんばかりに喜びました。
「本当です」
お姫様は、やっと骸骨の作ってくれた料理に手をつけました。いつも以上にとてもとてもおいしく感じました。
骸骨はそんなお姫様を見て、満足そうに頷きました。
お姫様の料理は骸骨の顎の骨をすり抜けて、ぱらと床に落ちました。
「ねぇ」
空から星が優しく微笑む夜でした。お姫様はベットの中から骸骨に話しかけます。
「空を飛べないかしら」
骸骨は布団の端を整える手を止めて、お姫様を見ます。
「それは、難しいのではないでしょうか」
「どうして?」
「人間は、地を歩く生き物です」
「鳥は、空を飛べるのに?」
「鳥と人は違います」
「じゃあ、わたしは?」
骸骨は少しの間、言葉を探すように首を廻らせたあと、しっかりとした声で言います。
「きっと、飛べましょう。あなたなら。」
お姫様はその答えに満足して、頬を薔薇色に染め上げます。
「ねぇ」
ちいさなちいさな声で、お姫様は言いました。それでも骸骨は、お姫様の言葉をちゃあんと聞き取って、次の言葉をじっと待ちます。
お姫様は、それが嬉しくて、うれしくて。
「…姫様」
骸骨が驚いたように、戸惑ったように姫様を呼びました。
お姫様は、その声を避けるように頭まですっぽりとお布団を被って顔をかくしておしまいになりました。
「わたしが空を飛ぶ時は、一緒よ。どこへいっても。わたしを、置いていかないで」
くぐもった声でも、お姫様の声はしっかりと骸骨に届きました。
「わたくしのすべてはあなたのために。ですからどうか、泣かないで下さい」
「変ね。どうして涙が出るのかしら。嬉しいはずなのに」
お姫様は恥ずかしそうに布団から愛らしい瞳を覗かせました。
「ねぇ」
お姫様はそっと布団から白玉のような手をお出しになりました。
「手を繋いでも、いい?」
骸骨は何も言わず、お姫様の手に手を優しく重ねました。
お姫様はその手を見て、たまらなく嬉しい気持ちになって、また真珠のような大粒の涙をみっつよっつ、零しました。
「…目が腫れておしまいになりますよ」
「いいの。とまらないのだもの」
骸骨は丁寧にレースのハンカチでお姫様の涙を拭って差し上げました。
「さぁ、もうおやすみの時間です」
「わたしが眠っても、手を離さないでいてくれる?」
骸骨はじっとお姫様を見つめるだけでなにも言いません。
けれどお姫様には、骸骨が優しく優しく微笑んだように見えました。
お姫様も、つぎからつぎからとこぼれ落ちる涙を拭いて骸骨に笑いかけました。
「ありがとう。おやすみなさい」
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薔薇の茨で檻された白く輝く塔の上にお姫様と骸骨はおりました。