No.512908

小魔王に祈りを 2

テイルさん

続き。プロット構成中の、モチベーション維持のための落書きです。連載予定はなし。

2012-11-28 00:35:34 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:334   閲覧ユーザー数:332

 

 《崖海》の小さな孤島には魔王が棲む。

 

 そんな話が本気で信じられていたのは何十年も前の話だ。島を覆う鬱蒼たる森林や、死した文明を思わせる遺跡の数々、そしてそこを訪れた物好きが二度と帰らない事実からそのような噂が立っていたのだが、勇敢な一人の若者が孤島を制覇したときを境に、得体の知れぬ恐怖は子供を驚かせるお伽噺に姿を変えた。魔王など存在しなかった、と彼は快活な笑みを浮かべながら言い放ったのだ。

 孤島に最も近い海村には、すべての災厄を魔王の仕業とし、凶事があるたび生贄を捧げる風習まであったのだが、それも過去の話だ。

 

 否。だった、というべきだろう。

 この魔王が実在したことを証明する"なにか"を見つけた王宮は、ただちに討伐隊を組織。それを差し向けた。それが、少女らの行軍の顛末だった。

 

 頬に飛んだ飛沫の冷たさで少女は目覚める。手で触れれば、清潔でない水特有の不快な粘り気があった。気が遠くなるほど高い天井には長い年月を経て大小無数の穴が空き、水の粒は陽光に紛れるようにして落ちてきていた。昨夜は、あのあと小雨でも降ったのであろうか。

 ふと身体が動かないことに気づく。毒が全身に回り、もはや二度と立ち上がることもかなうまい。死の前に意識を取り戻せただけ僥倖だ。

 

 なんとか体を動かそうと試みるが、頭を横に動かすのが精いっぱいだった。そして横たわった視界には予想外の光景が広がっている。

 ぞんざいに積まれた本の山の傍らに、闇はあった。天井からの光を避けるように奥まった場所で――――本を、読んでいる。本が支えもないのに浮き上がり、ぽつんと闇に浮かぶ黄金色の前で開かれているのだ。あれが魔王の目だとするのなら、彼はきっと本を読んでいる。

 少女は巨大な人外のなにかが本を読んでいる姿を黒い瞳で眺めていた。うつろ、というにはあまりにもまっすぐすぎる視線だ。

 

「その双眸、二度と開かぬものかと思ったぞ」

 

 闇が蠢き、鈍い二つの光が少女に向けられた。頭を巡らせ、少女を見た、のだろう。まともな人間ならば恐慌をきたし気を狂わせるだろう強烈な眼光だ。

 少女はそれを真っ向から受け止めると、興味をなくしたとでも言うかのように目線を天井に向けてしまった。か細い呼吸の音が静けさに染み入っている。

 

 なにかが動く気配がして、彼女が気づいたときには、既に魔王の姿は眼前にあった。その巨大さにして、なんと密やかに俊敏な動きをするのだろうか。討伐隊に選ばれた彼らを瞬く屠ったことも頷ける。

 陽の光に照らされて、しかしその全貌は未だ明らかにはならない。光を吸ってでもいるかのように魔王の姿は不明瞭だった。

 

 彼は至近距離で少女を見つめていたが、やがて、そっと身を引いて少女を見据えた。遠くから、びったん、びったん、激しい音が聞こえている。まるで期待を隠せない素直な尾が、地面を叩いているかのような。

 

「お前、人間の中ではユニークか?」

 

 ユニーク……他に類を見ない。独特。

 意味はわかるが意図がわからず、少女はひそめた眉で訝しさを表現する。

 

「儂の知る人間とは、いかに覚悟を決めてはいても今際のときには恐怖に目を見開くものだ。少なくとも生贄として化物の捧げ物にされ、なお毅然と前を向く者を、儂は知らぬ」

「…………」

「提案があるのだ。人間の娘よ」

 

 ずい、と再び巨体が迫る。巨大な黄金色の瞳には、その威圧感には似合わない幼げな好奇心が隠れようもなく覗いていた。

 

「儂は人間をよく知らぬ。例えばだ、お前のようなユニークさをすべての人間が持ち合わせているのならば、儂はお前を生かし、お前に取りついて人間界を観察しようと思うのだ。暇つぶしにな。だが、特別なのが世界にお前だけだというのならば、やはり人間は取るに足らぬ存在。儂はお前を喰らって、ここで眠り続けようと思う」

「…………」

「答えろ、娘。人間とは儂が観察するに足る存在か?」

 

 懇切丁寧な説明を受け、少女は困惑の霧が晴れたように、すっきりした表情で小さく頷いた。そして、事も無げに言う。

 

「そうでもない」

 

 たったの一言、この上なく明瞭な回答。

 お前は今の話を聞いていたのか、と疑わざるを得ないほどの即答だった。

 それは正解だった。魔王は細長い頭で頭上を仰ぎ、哄笑する。心の底から湧き上がる喜悦を咆哮のように解き放つ。

 

 変化は、唐突だ。

 魔王の巨体が音を立てて形を変え始める。骨が砕け、鱗が割れ、肉が潰れる、そんな耳障りな響きが続いたかと思うと、彼女の目の前から魔王の姿は消え失せていた。

 その、代わり――――。

 

「その答えが欲しかった。お前のおかげで、我が怠惰なる生に一時の意味が生まれる」

 

 がつん、と硬い響き。飛び散った瓦礫の破片が肌に当たり、小さな痛みを生んだ。

 どこからか落下してきたのは、一振りの剣だった。否、剣の形に見える岩、とでも言った方が適切だろう。黒曜石のごとき輝きを持つ、彼女の身の丈ほどもある細身の剣だ。

 

 茫然とする少女を黒い靄が包み始める。毒の影響で死につつある身体が、強引に立ち上がらされる。そして一歩、また一歩と、不可思議な力に背を押されて剣へと歩まされていった。

 声が、聞こえる。剣が語りかけてくる。

 

「今このときより、お前は儂の下僕だ。儂を携え、儂の手となり足となり、人間の姿を儂に見せよ」

 

 ささくれ、ひび割れた小さな手が、外部からの力で強引に漆黒の柄を握り込まされる。

 途端、その身体が急激に軽くなっていくのを彼女は感じていた。その身を蝕んでいた毒が中和され、呪いが消し飛び、折れた腕の痛みすら引いていく。

 

「契約は、成った」

 

 あまりに一方的で詐欺じみた契約。少女は拒みも受け入れもせず、流され続ける。

 ただ、不思議と重さを感じない剣を手に、魔王の言葉に導かれるまま、華奢な足を踏み出していく。

 

 

 とりあえず、目指すは海村。

 魔王を恐れ、魔王に怯え続けてきた哀れな村。

 

 
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