瞼越しに差す光に意識が覚醒していく。
目が覚めたとき、ここがあの平野だったら……なんて考えながらもいつもの部屋が目の前に広がる。
それはそうだとため息を吐きながら昨日の夜に起きた不可解な出来事を思い出す。
あの白い服の奴はなんだったのか。
後から冷静になり考えてみると、どうにも引っかかることがある。
あの不可解な存在自体は横に置いておくとして、奴の言っていた言葉について考えていた。
”ようやく準備が整った。”
なんの準備が?さっぱりわからない。
それに直接響いてきた音は声として認識してはいたが、聞いたことのない声……いや、
どうだろうか?どこかで聞いたことがあるような……例えばどこかの飯屋で。
しかし思い出せない。
なら次の言葉だ。
”キミを連れて帰れる”
……どこに?
”キミ”という言葉と、それを言う声の抑揚から確かに顔見知りなのではないかという思いが出てくる。
しかしあの白服に連れ帰ると言われても自分にはなんの覚えもない。
やはり昨日の出来事に何か心当たりがあるかと言えば答えはノーだった。
それでも、やはり心のどこかで昨日の出来事が引っかかるのだ。
いつものように道場へ向かう。
どうやら爺ちゃんの地獄の特訓に耐えた俺は道場を継ぐ資格がある、ということらしい。
確かにあの地獄は誰もが耐えられるものではないだろう。
むしろ誰もが絶えるかもしれない地獄だったように思う。
そして道場での鍛錬を一通り終えると、爺ちゃんが
「一刀、お前、ここ継げ」
「俺、ここ、継がない」
言った瞬間割と本気で殴られた。
あ、そうだ思い出した、とでも言うようなニュアンスでそう言ってきたことに一体何をトチ狂ったのかと思ったが、自分のやりたいことをやったあとでも構わんとの事だった。
とりあえずはそれまで爺ちゃんが続けるので、稽古という名の地獄は継続中だった。
いつもの鍛錬を終え、爺ちゃんにボコボコにされ道場の真ん中に横たわっていた。
ボコボコにした当の本人は早々に自宅へ引き上げた。
本当に俺の事を孫だと思ってくれているのかと少し不安になった。
俺以外に生徒の居ない道場の何を継ぐのかと思いながら清掃を始める。
無駄にだだっ広い道場の端から端、隅から隅まで雑巾がけをし、使った道具も拭く。
自分を散々殴った道具を拭かせるとかサイコパスかな?
そんな冗談を一人で考えていると、背筋を寒気が襲った。
「……マジかよ……勘弁してくれ……」
その寒気には覚えがあった。
そしてやはり、周りの物音が一切しなくなる。
正直道場から出たくはなかったが、携帯も繋がらないしここに一晩泊まるのも勘弁願いたい。
道具を片付け、周りに注意しながら道場の扉を開く。
夜で辺りは暗く、静まり返っている。
それだけ見ればなんの変哲もない景色だと思うが、なんというか、生活音とか自然の音がしない。
やはり車は一台も通らないし、いつもならうるさいくらいに鳴いている羽虫の鳴き声も聞こえない。
不自然すぎる静寂だった。
全力で足を止めること無く家まで疾走しよう。
そう決心して足を踏み出した瞬間、バリンと何かが割れる音が響いた。
「ヒイイ!?」
無音の中にいきなり響いた破壊音に思わず情けない声が漏れた。
人生で初めて出した声かもしれない。
踏み出した時に決めた覚悟はあっさり崩れ、その割れた何かを持ってスゴスゴと道場の中へ引き返す。
心が折れ、心霊に対する覚悟がなくなってしまったので仕方なく割ってしまった何かに目を向ける。
銅鏡だった。
「ヒイイ!?」
思わずぶん投げた。
この状況でこのアイテムは非常によろしくない。
見たこともないやけに古めかしいその銅鏡は、今の状況と相まって何かの呪いのアイテムにしか見えなかった。
そして何故これを道場内に持ってきてしまったのか。
数秒前の自分を殴ってやりたい。
恐怖に飲まれそうになるが、そこでその銅鏡に異変が起きた。
倒れ、天井を見上げている銅鏡はカタカタと振動し始め、ついには光を放ち始めた。
あ、死んだ。
一瞬そう思うも、その時は一向に訪れない。
ホラー映画での定石であるびっくりイベントも起こらない。
只銅鏡から漏れる光が道場の天井を照らしている状態が続いた。
割ってしまった銅鏡に鏡の部分はないはずだが、何故かそこをのぞこうと思った。
ふと鏡をのぞくとそこには見慣れた、とても懐かしい風景が広がっていた。
見れば、そこには洛陽の町並みが映しだされていた。
異世界へ飛ばされたはずなのに、いつの間にか華琳のもとが俺の故郷のようになっていた。
皆で騒いで馬鹿やって、華琳に怒られて、それでも笑顔が絶えない。
戦争中だったというのに、楽しかった思い出ばかりが蘇った。
そして、それを見て思い出してしまえば、こうなることは分かりきっていた。
どうしようもなく胸が苦しい。
涙が出る。
皆の顔が次々に浮かんでは消える。
これは間違いなく、あっちへ行くための手がかりだ。
やっと見つけたというのに、胸がいっぱいで頭がまわらない。
あの時はかっこつけて消えたくせに、彼女達に会いたくてたまらない。
また名前を呼んで欲しくて仕方がない。
また、触れて欲しくて、気が狂いそうになる。
そして不意に、あの言葉がよみがえる。
”やっとキミを連れて帰れる”
あの時と同じ言葉が脳に直接響いてくる。
”さぁ、手を出して”
その言葉に従うように、銅鏡に映る町並みに手を伸ばす。
”やっと、……キミと彼女達の道が……再び……”
その脳に直接響く言葉は、気のせいか、どこか感極まっているように聞こえた。
一刀の手が銅鏡へ触れると、一際強い光を放ち、周りの景色が真っ白に染まる。
”さぁ、もう一度、キミと、キミの大切な子達の物語を見せておくれ”
その言葉を最後に銅鏡から発する光が消えた。
──一刀の姿と共に。
今日は平定の記念日ともあって蜀、呉、魏での交友会。
立食ぱーてぃなるものをしていた。
これは一刀の世界での行事らしい。なかなかに良い催しだと思う。
各々が片手に料理を持ち歩き、いろんな人と話をする。
これほど交友という目的を果たせる形式の食事会はないかもしれない。
「華琳しゃぁぁん♪なに一人で飲んでるんですかぁ♪」
ムニュ。
「ちょ!?桃香!?」
ムニムニ
「えへへ♪華琳しゃんのは心もとないから~もう少し大きくしてあげようと思いましてぇ~♪」
華琳のこめかみに暗がりでもわかるはっきりとした青筋。
「へぇぇ!それはどうもありがとう!」
「まぁまぁいいじゃない。今日は無礼講でしょう?」
珍しく華琳がいじられるという場面に、雪蓮は楽しそうに煽りまくる。
その状況を風と稟は静かに見ていた。
「華琳さまが珍しくおもちゃにされてますねー」
「か、かかか華琳さま”が”おもちゃになる!?あ、ああああんなことやこんなこと……あ!そんな……!!ふっは!!!?」
そしていつものように、その類まれなる想像力を妄想という方面に全振りし、鼻血を噴出して倒れる。
静かに見ていたのは風だけだった。
「稟ちゃん、いつもならトントンしてあげるんですけどねー。
今日は少し気分が乗らないので誰かに助けてもらってくださいねー。ではでは」
親友の心ない言葉にも反応することなく、稟はその場で幸せそうな表情で倒れていた。
「ふ、ふが」
そのまま風は一人宴の輪をはなれ、森のなかへ入っていく。
「ふぅ……」
目的の場所に近づいたところで一息つき、先ほどの稟の状況を思い出した。
何だかんだで誰かがなんとかするだろうというあまりに無責任な事を思い、一人で納得した。
世の中がまだ安定していないとはいえ、一人で夜の森へ出歩いても平気な世の中になるとは、驚きだ。
まだ賊の残党や五湖の問題は片付いてはいないが、それでもこれは大きな進歩だ。
なんだかんだで三国の関係は良好だ。
それは三国統一を果たした華琳が両国を無理に吸収しようとしなかったのが功を奏したのだろう。
自分の下で無理やり働かせるより、自分たちの主の下で自分たちの国を治めたほうがいいという結論に至ったからだ。
覇道は既に成ったと言っていたし、華琳には華琳の美学があり、それを達成したのだろう。
宴での皆の表情を思い出し、今の状況が限りなく最適なのだと思う。
でも、それでも、その中に居たはずの人が居ない、それを再確認してしまうこの祝日は少し辛かった。
「……む」
沈みかけていた感情を無理やり戻し、そのまま目的地へ歩き出す。
少ししたら戻ろう。
そう思って歩き出す。
川の音が聞こえてくる。
ここが目的地だった。
華琳によれば、ここが一刀の消えた場所になる。
彼が消えたこの場所へ来るのは今日で3度目。
毎年のこの記念日に、限りなく零に近い希望を以って、そして裏切られる。
3度目の希望も、儚く散った。
それに、彼が戻ってくるとしても、ここに居るとは限らないのだ。
辺りは静まり返り、羽虫の鳴き声と、川の流れる音だけが聞こえる。
「……帰りましょ~」
期待を裏切られ、再度沈みかける心を無理やり持ち上げるように、声にだす。
皆の待つ宴の席へ戻ろうと踵を返す。
その途中、何か違和感があった。
「…………?」
目の端に何かが映ったような気がする。
今までにはない何かがあったような気がする。
暗くてよく見えないが辺りを再度、目を凝らして見てみる。
……足だ。
ここからでは木の影になっていて体は見えないが、確かに人の足が見える。
誰かが行き倒れているのかもしれないが、少し怖いので警戒しながら倒れている人が見える場所まで回りこむ。
遠目から見ると、それは微かに動いているように見えた。
とりあえず、生きているようだ。
そう思い、その倒れている人の近くまで行き、顔が見える距離まで近寄った。
──その瞬間、心臓が跳ねた。
目が覚める。
頭が痛い。打ち付けたような痛みだ。
「いっつつつ……」
何が起きたのか分からず辺りを見回すと、……森の中だった。
一瞬、夜の森のなかということに恐怖を覚えるが、どうにも見覚えがある。
ドクン、ドクンと心臓の鼓動が早まる。
早とちりかもしれない。
それでもここは、確かに見覚えのある場所だった。
自分を落ち着かせようとしていると、カサッと後方から物音が聞こえる。
「お、にい……さん」
「…………」
その声に、何度も何度も、これが夢ではないことを祈ったと思う。
「お兄、さん……ですか……?」
何度も何度も、求めた声が、
「……返事を……してください……」
手の届く場所から聞こえる。
振り返ると、頭にいつもの人形を乗せ、いつも眠そうな表情をして自分をからかっていた少女がいた。
震える声で自分を呼び、涙がとめどなく溢れている。
「……ッ……ぅ……お兄さん……!」
泣きながら、ずっと求めた相手を呼びながら、それでも風は手を伸ばせない。
これが夢だったなら、もう、立ち直れなくなってしまうかもしれないから。
俺を呼び、泣いている少女に近づき、そっと、頬に触れる。
髪に触れ、撫でる。
さわれる。
俺を見てくれている。
呼んでくれている。
恐る恐る、その体を抱きしめる。
しっかりと暖かい感触が広がり、これが夢ではなく現実なのだということを教えてくれる。
「風……っ!」
泣き崩れ、それでも力いっぱい抱きしめると、風はその小さな手で抱きしめ返してくれた。
抱き縋る俺の頭を大事に抱え込むようにして、抱きしめてくれた。
「ただいま……!ぅ……ッただいま、風……!」
まるで子供のように泣きじゃくり、抱き縋る俺に、風は涙を流しながら、
「おかえりなさい……お兄さん」
そう言って、優しく、抱きしめ続けてくれた。
Tweet |
|
|
52
|
11
|
追加するフォルダを選択
修正&加筆の終わっているものを順次上げていきたいと思います。