No.509496

天馬†行空 二十一話目 願いを天(そら)に馳せ、地を往く人(もの)たち

赤糸さん

 真・恋姫†無双の二次創作小説で、処女作です。
 のんびりなペースで投稿しています。

 一話目からこちら、閲覧頂き有り難う御座います。 
 皆様から頂ける支援、コメントが作品の力となっております。

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2012-11-18 01:13:27 投稿 / 全15ページ    総閲覧数:8053   閲覧ユーザー数:5597

 

 

「――は!? え、ち、ちょ、ちょっと、ちょっっっっと待ったぁ!! ええと……そ、そうだ深呼吸、――ひっひっふー、ひっひっふー――よ、よよよし、お、落ち着…………ける訳ないよーー!!?」

 

「か、かかかか一刀殿!? そ、その姿は一体!?」

 

「――おお、夕陽が服に反射して眩しいですねー」

 

 大体二年ぶりに袖を通したフランチェスカの制服は、心配していたサイズも何の問題も無く着る事が出来た。

 制服はこの世界に来た翌日から人目に触れないよう厳重に保管していた為、新品同様だ。なんせフランチェスカの入学式当日にこっちへ来てしまった訳だし。

 これなら以前聞いたあの噂の人物像を再現できるかな? と思いながら皆の元へ戻ってみると。

 

 ――士壱さんが、明らかに間違った深呼吸をするくらいに混乱して。

 

 ――稟さんが大きく目を見開いてこちらを凝視しながら、口をパクパクさせて。

 

 風さんだけがいつも通りの反応――じゃなかった。よく見ると宝譿が頭の上で逆立ちしてるし、加えていた飴を袖口に仕舞おうと……ああ、あれじゃ袖がべたべたに――。

 

「――のおおおっ!?」

 

 遅かったか……。

 

「あー、ほら風さんこれ使って? 擦ると余計べたべたするから軽く叩くように――」

 

「――そうそう、袖がべとべとに……って違う!? ほ、北郷! な、それ、え? 着物、あれ? 着物じゃなくて、何が着てどう言う事!?」

 

 士壱さんが嘗て無いほどのパニック状態に!?

 

「お、落ち着いて下さい宵殿。わ、私が代わりに質問しますので。さ、さて一刀殿、そ――」

 

「――お兄さんの手ぬぐい、べたべたになっちゃいました。これは風が責任を持って引き取りますので、後で新しいものをお返ししますねー」

 

「いや、いいよ風さん。そこまで気を遣わなくても」

 

「風! 話の腰を折らない! と言うかなんで貴女一人そんなに落ち着いてるのよ! それと一刀殿も自然に受け答えしない!」

 

 風さんも割りと動揺してるんだけど、稟さんはそれ以上だから宝譿の逆立ちには気付いていない。

 そして見間違いじゃなければ稟さんが風さんに突っ込んだ直後、宝譿がバク宙してたんですけど……。

 

「――はぁ、はぁ……ふぅ、まったく! ――では改めて。一刀殿、事情を聞かせて頂けますね?」

 

「勿論。だけど、少し長くなるよ――」

 

 

 

 

 

 所変わって汜水関。

 城壁の上に五名の女性――霞、華雄、荀攸、徐晃、星が車座になっている。

 

「しっかし、ええんかな? 詠は篭城せえって言うとったけど」

 

「良いではないか。軍師は皆頭でっかちなだけの輩かと思っていたが、奇襲を提案するとはなかなかに見所のある人物だ」

 

「華雄、お前は篭城戦がしたくないからそう言うてるだけやろ……」

 

 眼下に展開する連合軍の陣営を見てからすぐ荀攸が「先手を取って奇襲を仕掛けましょう」と提言した事に、主力の軍を率いる華雄と霞は意見を交わしていた。

 

「ちゅうか、荀攸? 奇襲する言うても先陣の連中、公孫賛と劉備やったかな? ……陣を見た感じ、そういったのには備えてそうやで?」

 

「はい、そうですね文遠殿」

 

「って、おいおい……解ってるんやったら――」

 

「――確かに、先陣の二将は奇襲を警戒しているでしょうね」

 

「――へ?」

 

「む? それがどうかしたか荀攸」

 

「公達殿? 先陣がどうかし――まさか!」

 

 霞の問いに首肯するが、殊更に『先陣』を強調する荀攸の言葉に徐晃はもう一度眼下を見下ろしてある事に気付く。

 

「――ふむ、奇襲を掛けるのは敵の中軍へ、ですな? 関の左右、旗の陰に隠して配された、あの梯子を使って」

 

 その思い付きを徐晃が口に出すより早く、今まで霞の隣で沈黙を決め込んでいた星がにやりと笑って口を開いた。

 

「はい、尤も崖上に上がるのは人だけでなく、馬もですが」

 

 相変わらずの困り顔なまま、荀攸はクスリ、と笑う。

 

「さて、遠路はるばるやって来た諸侯のお歴々を盛大に歓迎してあげましょうか。ねえ、皆様?」

 

 底冷えのする声で笑う荀攸の冷たい視線は連合軍の中程、金色の兵の群れへと向けられていた。

 

 

 

 

 

「我は劉玄徳が一の将、関雲長なり! 汜水の将よ! 貴殿が我らを恐れぬのであれば、いざ尋常に我と立ち合われい!!」

 

 汜水関の前、愛紗はその黒髪を風に靡かせて大音声を上げた。

 

「相変わらず良い声してるなー」

 

「うん! 愛紗ちゃんは私達の中で一番声がよく通るから!」

 

「鈴々だって負けてないのだ!」

 

「さて、相手は釣れますかね。孔明さん、敵に何かしら兆候は有りますか?」

 

「城門が開く気配はありませんね――――ですが、少し妙な感じがします」

 

 朱里は、関の上をただ見ている。

 沮授は、雛里もまた何時に無く鋭い視線を関の上に注いでいるのに気付いた。

 

「朱里ちゃん……ひょっとして」

 

「あ、雛里ちゃんも気付いた? ……うん、まさかとは思うけど」

 

「董卓さんが抱える騎兵は精強で知られてるし……。出来るかもしれないよ」

 

「…………お二方、何を? ――!」

 

 朱里と雛里が何かに気付き、話し込む。

 やや遅れて、関に目をやっていた沮授も何かに気付き、二人に向き直ったその時、

 

「――敵襲っ!!」

 

 自軍後方から駆け込んできた兵が沮授の言を遮った。

 

「ええっ!?」

 

「って、おい! 門は閉まったままだぞ! 敵なんてどこから!?」

 

「後ろです! 敵軍は汜水関の左右に聳える崖から、中軍へと奇襲を掛けてきました! 袁紹軍は突然の事態に混乱し、敵の突破を許した模様! 僅かに曹操軍のみが対処されたようですが、やはり突破されています! 突破した敵部隊はそのまま関へと進路を取りました! およそ一刻もすれば敵部隊がこちらへと戻ってくるかと!」

 

 驚愕の声を上げる大将二人に、兵士は必死の形相で言葉を繋ぐ。

 

「やられましたね……。よもやあんな険路から仕掛けてくるとは」

 

「はい。しかもこんなに早く、でしゅ」

 

「……こちらの動きを完全に読まれた形ですね」

 

「兎も角、こっちも態勢を整えないと! 桃香!」

 

「うん! 私達は前を!」

 

「ああ! ――前方は劉備軍に任せ、我が軍は後方より迫る敵軍に備える! 全軍、反転っ!」

 

 白蓮の号令が響き渡ると同時、汜水関の門がゆっくりと音を立てて開き始め、

 

「――ふむ。ではその一騎打ち、私が受けて立とう」

 

 白い影が一つ、関の外に歩み出てきた。

 

 

 

 

 

 ――白蓮たちの元に奇襲の報が届く少し前、袁紹軍の陣地にて。

 

「はああああああぁっ!!」

 

 どかっ!

 

「ぎゃあああっ!?」

 

 気合一閃、華雄の振るう金剛爆斧が金色に輝く鎧を纏った兵を両断する。

 

「退きなさいっ!」

 

 ごっ!

 

「ぐおうっ!?」「うわああっ!?」

 

 矢の様な勢いで馬を走らせる華雄の横を、徐晃が併走しながら装飾の少ない鈍色の斧で二人を斬り飛ばす。

 

「はっはっは! 脆い、脆いなぁ! 連合軍総大将の兵とは弱卒の寄せ集めか!!」

 

「都を脅かし、董相国に弓引く愚か者達よ! この徐公明の一撃、心して受けるが良い!!」

 

 ――竹は、僅か数節、鉈で裂け目を入れれば後は容易く手でも裂けるもの。

 今の袁紹の軍は正にその竹も同然で、険しい崖の上から汜水関に篭っている筈の董卓軍に後方から奇襲を掛けられて混乱の極みにあった。

 

「皆さん! 落ち着いて隊伍を整えて! 敵は少数です!!」

 

「またとんでもないとこから降りて来たなぁ……気に入った! おい! そこの……えっと、どっちでもいい! あたいと勝負だ!」

 

 顔良や文醜など、辛うじて踏み止まる将が混乱を収拾せんと声を張り上げるが、あまり効果を上げていない。

 

「威勢だけはいいな……だが今は貴様にかかずらっている暇は無い! ――徐晃!」

 

「心得ております華雄殿! ――皆、足を止めずに駆け抜けよ!!」

 

『はっ!!!!』

 

 文醜の挑発に目もくれず、奇襲部隊五千は汜水関を目指して袁紹の陣を切り裂き続ける。

 

 

 

 

 

 ――同時刻、連合軍、曹操の陣地にて。

 

「おらぁ! 退かんかいっ!!」

 

 どっ!

 

「ぐあっ!」

 

「も一つ、オマケやっ!!」

 

 ひゅっ! どかっ!!

 

「ぎゃあっ!!?」

 

 深い青と紫を基調とした鎧の曹操軍に斬り込んで、瞬きの内に二人を斬り飛ばす。

 完全に油断していた敵兵士に冷静さを取り戻す暇すら与えず、神速を謳われる少女は目に付いた兵長らしき者達を切り伏せた。

 

(よし、向こうも上手く突っ込んだみたいやな)

 

 横目で華雄軍が袁紹軍に斬り込んだのを確認し、霞は敵陣の薄い部分をざっと視認する。

 

「よっしゃ、作戦通りや。張遼隊! このまま突っ込むで!!」

 

『応っ!!!』

 

 慌てて剣を抜いた兵士達を紫色の竜巻が蹂躙し始めた。

 

 

 

「董卓は涼州の馬騰と並び称されるくらいに優れた騎兵を有しているとは聞いていたけれど……これほどのものとは、ね」

 

 敵襲の報を受けてすぐ、華琳は周囲に円陣を敷くと同時に腹心の夏侯姉妹を放つ。

 

 ――流石に急すぎる崖からの奇襲までは勘定に入れていなかった。

 

 これが自軍だけならばあらゆる事態を想定して警戒していたのだろうが、他の軍が多数存在する連合と言う形態、しかも前曲ではない場所に陣取っていた為にそれとは知らず気が緩んでいたのかもしれない。

 

(牙門旗を目指して来ない――こちらの動きを読んだか)

 

 自軍の外縁を削り取りながら走り去る紺碧の旗を見つめて、華琳は口元を歪めた。

 敵は恐らく、急速に防備の動きをとった牙門旗周辺へ踏み込めば、馬の勢いが殺されると踏んだのだろう。

 

(これもまた貴重な経験。――先入観に囚われずに戦法を生み出す為の、そして今後の戦に活かす為の糧とさせてもらうわ、張文遠)

 

「華琳様、接敵していない隊の追撃準備が整いましたが……」

 

「無駄と解っている事は口に出さなくても良いわ桂花。今からでは――いいえ、奇襲を許した時点で最早あれには追い付けない」  

 

「……はい」

 

「とは言え、後で麗羽が喧しいだろうから形だけでも追撃の部隊は出しておきましょうか。そうね、春蘭に任せましょう」

 

「勢い余って汜水関まで攻め掛かりかねませんが……」

 

「そこはちゃんと厳命するわ。それに春蘭は演技が出来ないから、曹操軍は必死に追撃をしたと周りは見るでしょう」

 

「はっ! では直ちに命を伝えます!」

 

 こちらに一撃を加えて颯爽と引き上げていく張遼の部隊を見やり、命を下さなくても春蘭ならば追いかけて行きそうね、と華琳は内心苦笑する。

 

(兵科の調練には力を入れてきたつもりだったが……ふふ、やはり聞くと見るとでは大違い。あの騎兵、そしてそれを見事に率いる将……ぜひ手に入れたいところね)

 

 小さくなっていく漆黒と紺碧の旗を見つめて、天下に臨む少女は不敵な笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「久しいな、愛紗よ」

 

「息災のようだな、星」

 

 関の前に一陣の風が吹く。

 

「やるか?」

 

「無論」

 

 激突。

 

「「はああああああああああああっ!!!!」」

 

 それは同時に。

 

 ――っがああああああああああぁぁん!!!!!

 

 龍の牙を模した紅の槍と、龍の口に咥えられた偃月刀が火花を散らした。

 交差は一瞬、束の間の鍔迫り合いから飛び退いた二人は体勢を整え――

 

「おおおおおおおおおおおおおぉっ!!!」

 

「せやあああああああああああぁっ!!!」

 

 先程を上回る迅さで打ち合う。

 星が瞬きの間に五度刺突を繰り出し、愛紗が二つを受け止め、二つを受け流し、最後の一つを紙一重でかわす。

 愛紗の、まるで雷の如き斬り下ろしと続けざまの横薙ぎ二閃を、星は初手をかわし、次に身を屈め、最後は後ろに跳び退る。

 僅か二呼吸にも満たぬ間の交差。

 それを見る誰もが息を飲み、手に汗を握っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――汜水関、城門前にて。

 

「荀攸様、間も無くお味方が帰還され――荀攸様?」

 

「――え? あ、コホン……分かりました。では手筈通りに」

 

(な、何ですか今の――あの二人は本当に人間ですか!?)

 

 未だその戦い振りを見た事の無い、三万を紅に染めた飛将軍はあれ以上なのですか、と荀攸は趙雲と関羽の激突を目の当たりにして戦慄する。

 

(……しかし、これは好都合ですね。勝負が長引くほどに華雄殿達の帰還が安全なものになる。……子龍殿、お願いします――!)

 

 汜水関の前、一騎打ちを見守るように展開する荀攸率いる軍は、同じく前面で動かない劉備軍を警戒していた。

 

(さて、後は公孫賛ですが……大丈夫ですよね、お三方)

 

 ――馬術ならば白馬長史と名高い公孫賛にも決して引けを取る事は無い、自分の策に応えてくれた文遠殿達ならばきっと出来る。

 うっすらと見え始めた砂塵を認め、荀攸は視線に力を篭めてその機を窺う。

 

 

 

 ――汜水関前に展開する劉備の軍中にて。

 

「……あ、あれ? 愛紗ちゃん、本気になっちゃってる?」

 

「は、はわわー!?」

 

「あわわ……」

 

 董卓軍にいる友人が出て来た時は、情報を得る良い機会だと事前に話していたのだが。

 今、目の前に広がる光景からはとてもそんな雰囲気が感じられない。

 と言うか、ちょっとでも隙が出来ればどちらかの首が飛びかねない戦いだと桃香や朱里、雛里は感じた。

 

「……んー…………あ、お姉ちゃん、挨拶が終わったからもう大丈夫なのだ」

 

「ほえ!?」

 

「えっ!?」

 

「――ぇ!?」

 

 のんびりとそう言った鈴々に三人の視線が集まる。

 

「さっきまでのはただの挨拶なのだ。久し振りだから、多分ちょっと力が入ってただけなのだ」

 

 視線を受けた鈴々は一騎打ちから目を離さずに答えた。

 そして、どこかうらやましそうに一騎打ちを眺めている。

 

「うー…………全部終わったら、鈴々も星と戦うのだ!」

 

「そ、そうなんだ……あ、あははは」

 

 持て余した様にフンス、と鼻息を荒くする鈴々に桃香は引き攣った笑いでしか応えられなかった。

 

 

 

 

 

「腕は鈍ってはおらぬようだな、愛紗!」

 

「それはこちらの台詞だ、星!」

 

 二度、三度と火花を散らしながら激突する二人の間にはどこか楽しげな空気が漂っている。

 

(……っと、いかんいかん。我を忘れて戦いに没頭してしまうところであった)

 

「――愛紗よ、もう一度競り合えるか?」

 

「――――! 解った!」

 

 ぎいいいいいいぃん!

 

 飛び退りながらの刺突と横薙ぎがかち合い、激しい音が響く。

 残響が消えぬ内に二人の武人は再び打ち合う。

 鍔迫り合いの態勢で、星は表向きには睨みつけているかのようにして愛紗に顔を近づけ、声を潜めて口を開いた。

 

「……此度の戦、元凶は益州の劉焉だ」

 

「――何っ!!?」

 

「声が大きい! ――続けるぞ、今洛陽では劉焉の手の者と、劉焉と組んだ十常侍の残党が暗躍している――――せいっ!」

 

「はあっ!」

 

 不自然にならないよう、星が再び間合いを開けるべく動くのに合わせ、愛紗は巧みに加減した斬撃を放つ。

 そして数合の後、再び二人は睨み合いの体勢になる。

 

「――劉協陛下は先帝崩御から始まった宮中の変事の際、十常侍達にかどわかされた可能性が高い――ふっ!」

 

「――一刀殿は、そちらを何とかする為に都に留まっているのか――せいやっ!」

 

 離れ、数合にわたる打ち合い、そして。

 

「――劉焉はそれ以前から暗躍していた。董卓殿を嵌め、連合結成の切っ掛けを作ったのも奴だ」

 

「では、今回の戦は全て――!」

 

「――ああ、奴が洛陽へ攻め上らんとする企て。連合はその一翼を担わされたのだ――ぇやっ!!」

 

「くっ! ――おのれえっ!!」

 

 星から語られた内容に愛紗は柳眉を逆立て、怒りと共に偃月刀を振るう。

 

「――劉焉は連合に加わらず、あくまで『自らの義』に拠って兵を上げる腹だろう。今は天水を窺って居るようだ」

 

「おのれ! 奸物と通じ、無実の人物に罪を着せ、なにが『義』だっ!」

 

 最早声を抑える事もせず、愛紗は怒りを露にする。

 星があえて注意しないのは、一騎打ちの相手である自分に向けられた怒りのように見えるからだろうか。

 

「――劉焉が天水を奪れば長安も危うい……尤も、士い、いや同士の様子を見るに何か手を打ってあるようだったが――む、ここまでか――――えやあっ!!」

 

「星、感謝する――はあああああっ!!」

 

 ぎ、いいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃん――――!

 

 星が愛紗の背後を一瞥すると、鋭く、迅い刺突を繰り出し、愛紗は斜め下からの斬り上げでそれにぶつける。

 ――重い手応えと共に、甲高い音が戦場に響き、そして二人から離れて左右を騎兵の軍が汜水関へと走って行った。

 

「――ここまでだ! 関雲長よ、次に会った時は勝負を付けさせて貰うぞ!」

 

「――承った! 趙子龍よ、私はいつでも受けて立つぞ!」

 

 汜水関より響く鐘の音に踵を返して去っていく星の後姿を見送って、愛紗もまた主の下へと戻る。

 

 ――その心に、新たな炎を灯して。

 

 

 

 

 

 ――翌日、早朝。

 

「妙ですね……」

 

「――あふぁふわあぇあぁぁあ……あー、お早う沮授」

 

「はい、お早う御座いますご主人殿」

 

 翌日の早朝。汜水関を見上げ、沮授は怪訝そうに眉を顰めた。

 白蓮は白蓮で昨日の戦の後に開かれた軍議(と言う名の袁紹の癇癪)を思い出してだるそうにしている。

 結局、袁紹と曹操を襲撃した奇襲部隊は白蓮の軍の目前まで迫ると、

 

「「全軍、真っ二つに割れよ!!」」

 

 先頭の二将……張遼と華雄が叫ぶや否や綺麗に二つに割れて、唖然とするこちらの左右を凄まじい勢いで駆け抜けて行った。

 汜水関の前で城門を守るように待機していた部隊は、退却するそれぞれの部隊の為に左右の兵を動かし『入り口』を開けて味方を迎え入れ、それが終わると悠々と引き上げて行ったのだ。

 

 董卓軍が引き上げた後の軍議では、被害を受けた袁紹が酷い癇癪を起こして先陣の自分達を詰ったが、同じく奇襲を受けた曹操は、

 

「あら、戦場に在って自分だけは安全だとでも思っていたの麗羽?」

 

 とやけに弾んだ声で袁紹をやり込めるという一幕が。

 曹操に黙らされた袁紹は憤懣やるかたなく、自分達に「今日中に汜水関を落としなさい!」吐き散らし、その日の軍議はお開きになった。

 

「――って、ん? あれ、やけに静かだな」

 

「ええ、そうですね。あまりにも静かすぎます……まるで人の気配がありませんね……」

 

「――あっ! 沮授さん、丁度いいところに!」

 

「おや? 孔明さん、ひょっとして貴女も……?」

 

 小走りで駆け寄ってくる小柄な少女の姿を認める。

 

「は、はいっ! ……ふぅ、先程物見が帰ってきたのですが、えっと、汜水関はすでにもぬけの空です」

 

「な、なんだって!?」

 

 息を整えつつ語られた朱里からの報せに驚く白蓮。

 

「いや、しかしまたどうして!? 昨日の感じじゃあ向こうさん、殆ど被害は無かっただろうに」

 

「そうですね、あの手並みでは奇襲した部隊もほぼ無傷だったでしょうし。――孔明さん、そちらの被害は?」

 

「奇襲してきた部隊は帰還する際、左右に分かれて迂回していきましたので。多少の怪我人は出ましたが死亡した兵はいませんでした」

 

 昨日の戦をあれほど優勢に運んだ董卓軍が汜水関を空にしたことに納得がいかない三人は、揃って頭を捻る。

 と、そこへ、

 

「御注進! 本陣から伝令です!」

 

 後方に位置する袁紹の本陣から伝令がやって来たらしく、陳到が駆け付けた。

 

「解った、すぐに戻るよ。諸葛亮は桃香を呼んで来てくれるか?」

 

「はっ!」

 

「わかりましゅた!」

 

 びしっ、と敬礼して踵を返す陳到。

 勢い込んでか、ちょっと噛んだ朱里。

 同時に駆け出した二人の後姿を見送って、白蓮と沮授は汜水関に背を向けた。

 

 

 

 

 

「白蓮ちゃんごめん! ――遅れちゃったかな?」

 

「いや、大丈夫だよ桃香。こっちもついさっき全員集まったばっかりだから」

 

 半刻と経たずやって来た友人達に白蓮は手を挙げて挨拶する。

 

「よっし、全員揃ったな。じゃあ話を聞かせてくれ」

 

「はっ! 董卓領の天水を西涼の馬騰殿が落とされた由に御座います!」

 

「えええええっ!?」

 

「なんと!」「にゃ?」

 

「はわわっ!?」「あわわ!?」

 

「なあっ!?」

 

「むっ?」「天水ですか……」

 

「ほう……」

 

 金色に輝く鎧の兵士が伝えた報にある者は驚き、ある者は眉根を寄せ……ごく一部は疑問符を浮かべた。

 

「わ、解った。で、作戦に変更は?」

 

「ありません! では、失礼します!」

 

 それだけ告げると、伝令は慌しく天幕から出て行く。

 

「……ふむ。雲長さん、確か趙雲殿はこの戦乱の裏に劉焉の影がある、と言われたのでしたね?」

 

「ああ。間違い無い」

 

 伝令が去ってからもなにやら思案していた沮授は愛紗へと顔を向ける。

 

「……孔明さん、士元さん」

 

「はい。これは恐らく――」

 

「馬騰さんが劉焉さんの動きを察知した……或いは、どなたかが馬騰さんに劉焉さんの事を伝えたのだと思います」

 

 次いで朱里と雛里へと向いた沮授に対し、雛里が朱里の言葉を継ぐ。

 

「馬騰が劉焉と通じているのではないのか?」

 

「いえ、馬騰殿は漢王朝への忠誠が篤いと聞き及んでいます。反対に劉焉は益州に赴任して後、王朝との連絡を断っています。その線は無いかと」

 

 訝しそうに疑問を口にする愛紗に沮授が答える。

 

「では、星が言っていた対策とはこの事だったのか」

 

「だと思います。その対策を講じられた方はかなり早い段階から益州の情報を集めていたに違いありません」

 

 感慨深げに呟く愛紗に朱里は同意するように頷いた。

 

「――ん? てことはだ。馬超はこっちの味方って事か?」

 

「そう言えば、最初の軍議の際に何か言いかけた馬超殿を馬岱殿が止めていましたね、ご主人殿」

 

「きっとそうだよ! ねえねえ白蓮ちゃん、馬超さんとお話してみない?」

 

「いえ、先ずは馬岱さんと連絡を取ってみてからがいいかもしれません」

 

「……愛紗さんのお話からどこに間諜が潜んでいるか判らない状況です。ここは朱里ちゃんの言う通り、慎重に掛かるべきかと」

 

 帷幕の内で密やかに会議は進行していく。

 

 ――この時、白蓮と桃香は知る由も無いが、二人の取ったある行動が実を結ぼうとしていた。

 

 

 

 

 

 ――同日夕刻、洛陽の郊外にて。

 

 建物からだいぶ距離を置いた空き地に稟と壮年の男性の姿が有った。

 

「準備は宜しいですか?」

 

「おうともよ! 後は火を点けるだけだ」

 

 地面に置かれた筒のようなものを男性は入念に確認している。

 

「ふむ……一刀殿が言われるには夜でないと効果が無いのでしたね。まだ祭りは始まったばかりですし、しばらく待ちますか」

 

「あの兄ちゃんはこいつを見た事があるのかねえ? こんなおかしなモン作るのはうちらぐらいかと思ったんだが」

 

(……見た事があるのでしょうね。でなければ、花火などと言う呼称がすらすらと出てくる訳がない)

 

 不思議そうに首を傾げる男性を見ながら、稟は昨日の出来事を思い返していた。

 

「では、あと三刻(約四十五分)ほどですね。お任せしますよ?」

 

「おうさ!」

 

(喧伝は念入りにしておきましたから、屋敷の警備に当たる者達も浮ついていましょう。……細工は流々、後は仕上げをごろうじろ、ですね)

 

 頼みました、と心中で呟き、稟は闇の帳が降り始めた空を見上げる。

 

 

 

 ――某所。

 

「えっと……士壱さん? 何故に俺は戦ってはいけないので?」

 

「万が一にもその服に返り血とかを付ける訳にはいかないでしょうが。荒事は私に任せて、北郷は間違っても前には出ないこと。いいね?」

 

 

 

 ――十常侍の屋敷にて。

 

「おい、そろそろじゃねえか?」

 

「いや、祭り自体はもう始まってるはずだぜ?」

 

 屋敷の表にたむろする警備兵はそわそわと落ち着かない様子だった。

 彼等はあまり職務には熱心ではなく、またこの仕事は一日中突っ立っているだけの非常に退屈なものだったのだ。

 加えて、今日は何年か振りに祭りが催されるのである。

 

「なあ、少しぐらい持ち場を離れてもいいよな?」

 

「だな。ちょっとの間空けといたってかまわねえさ。どうせ、誰も来やしねえんだから」

 

「お、(かね)と太鼓が鳴り始めたぞ!? 俺、行って来るわ!」

 

「こらまて! 俺も行くぞ!」

 

「ヒャッハー! 酒だー! 食い物だー!」

 

 祭りの開始を知らせる鼓が打ち鳴らされると、最早彼等に残ったなけなしの職務意識は吹き飛んでしまった。

 彼等は我先にと街の方へ走り出して行く。

 

 

 

 ――祭りの会場近くにて。

 

「子幹さん、もうそろそろ時間ですよー」

 

「ええ、準備は出来ていますよ仲徳さん。殿下さえお戻りになれば、公偉の軟禁も解け、頭の固い義真も動く事でしょうね」

 

「ではそれまでゆっくりとお祭りを見物していましょうかー。直に敵さんが釣られて出てくるでしょうし」

 

 親子と見間違われるような二人の女性、程仲徳と妙齢の佳人は活気付く町民の姿を眺めながら和やかに話していた。

 足元まで届く艶やかな栗色の髪と濃い緑色の瞳のこの女性は、黄巾の乱において官軍の一角を担った将軍の一人で盧植と言う。

 

「そちらは抜かりなく。……しかし、花火、でしたか。どんなものか楽しみです」

 

「風も昨日名前を知ったばかりなのですよ。お兄さんの話によると花はちょっとの間だけしか咲かないそうなので注意なのです」

 

「そうなのですか? ふむ、これは手紙をくれた白蓮と桃香に話せるよう、ちゃんと見ておかないといけませんね」

 

(早く全部終わらせて、お兄さんの話をもっと聞きたいですねー)

 

 空が暗くなろうとしている。

 

 ――祭りが、始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そして、花が咲く。

 

 

 

 

 

 ――祭り会場にて。 

 

 どん!! どどん!!

 

 多くの人でごった返す通りに大きな音が響き渡る。

 全身を震わせるその破裂音に人々は皆、反射的に夜空を見上げる。

 

 ――そこには、この世のものとは思えない、幻想的な光景があった。

 

「…………うおおおおおぉ!!? 何だ今の!?」

 

「な、なに今の!? 空に、光で花が!?」

 

「すっげー!! 父ちゃん、今の何ー!?」

 

「おおお……婆さんや、長生きはするもんじゃのう……」

 

「そうですねえ、お爺さん……」

 

 

 

 

 

 ――夜空に、大輪の花が。

 

 

 

 

 

 ――洛陽郊外。

 

「……おーい? 嬢ちゃん大丈夫かー?」

 

「――――な、なんとか」

 

「だから、もちっと離れとけって言ったのに……」

 

「よ、よもや、これほどの音とは……」

 

 想像以上の音と光に目を回す稟の姿があった。

 

 

 

 

 

 ――そして。

 

 

 

 

 

 ――某所。

 

「――上がった! よし、士壱さん行きますよ!」

 

「――――あ、ああうん!(な、なに今の! 花みたいとは聞いてたけど、光で花を描くとか想定外よ! うわー! もっとじっくり見たかったー!)」

 

 

 

 

 

 ――囚われた天を救う為の花火が、今、上がった。

 

 

 

 

 

 ――再び、祭り会場。

 

「うおおおおおすげー! めっさすげー!!」

 

「ちっくしょー! 音に驚いて見逃しちまったー!」

 

「もう一回! もう一回!!」

 

「サボって見に来て正解だったー!」

 

「いや、ホントに良いもん見れたなー! 故郷に帰ったときの良い土産話が出来たぜ!」

 

「他のやつらも来れば良か――って、居るし!?」

 

「ヒャッハー! 酒だー! 食い物だー!」「「「「「ヒャッハー!!」」」」」

 

 

 屋敷の警備をさぼった者達は、めいめいに祭りを満喫していた。

 

 

 

 

 

 金で雇われた者達にはピンからキリまである。

 祭りが始まり、花火が上がっても尚、持ち場を離れない者達は少数ながらも居た。

 彼等は、この騒ぎに乗じて手薄となった屋敷へと侵入する輩が居るかもしれないと考えたのだ。

 結論から言えば、彼等の判断は正しかった。だが、彼等の雇い主達は愚かだった。

 館に五人残し、残りの五人は今、雇い主である十常侍に命じられるまま、おそらくは街へと出掛けてしまった同僚達を連れ戻しに走っている。

 

「――? っ、待て!!」

 

 不意に、松明を手に先頭を走る男が鋭く注意を発し、足を止めた。

 

「どうした!?」

 

「――誰か居るぞ」

 

 二番目を走っていた男が尋ねると、先頭の男は松明を前にかざし、顎をしゃくって見せる。

 ゆらゆらと揺れる炎に照らされた道の先、その光が届くぎりぎりの所に、立ったまま動かない人影がぼんやりと見えた。

 

「――そこに居る者! 貴様、何者だ!? 我らを張譲様の家来と知ってそのように邪魔をするか――っ!?」

 

 先頭の男が誰何の声を上げると同時、松明を持つ手に鋭い痛みが走り、男は松明を取り落としてしまう。

 

 ――ぱしゃっ。

 

 続けざまに水音がしたかと思うと、地面に落ちた松明の炎が消え、辺りは闇に包まれた。

 

「――ぐっ!? くそっ! 曲者だ! 明かりをやられた!」

 

「ちっ! くそったれがっ! ――うっ!?」

 

 右手を押さえて警戒を促す男を押し退け、すぐ後ろに居た男が人影目掛けて殺到する――が。

 直後、短い呻き声を発し、男は崩れるように地に沈んだ。

 

「おい! どうし――――がっ!?」

 

「何が――――ぐおっ!?」

 

 後ろに続く二人が行き成り倒れた仲間の姿に、思わず声を上げ――ようとして、同じように地に倒れ伏して行く。

 

「不味い!! お前は急いで戻れ! 屋敷に伝――――えぐうっ!?」

 

 瞬きの内に三人がやられ、先頭の男は一番後ろに居た男へと声を張り上げ――力尽きた。

 

「――畜生ッ!!」

 

 先頭の男の短い断末魔を背に、残った男は来た道へと振り返る。

 

「待ってろ皆! 今、他の奴等を呼んで――――ッ!!?」

 

 足に力を篭めて走り出そうとしたその時、男は振り向いた先にその女を見た。

 暗くてよくは判らないが、脹脛から口元までを覆う外套を身に着けている。

 狐のように細い目が、男を見据えていた。

 

「――が……ッ!?」

 

 敵の姿を視認した次の瞬間、男は喉に熱い衝撃を感じ、くぐもった呻き声を上げる。

 反射的に喉に手をやると、何か――おそらくは短刀――が生えていた。

 混乱する思考の中、男は必死にそれを引き抜こうとする。

 

「――ご、ぶっ」

 

 だが、刃物を掴む指には力が入らず、しかもだんだんと指先が冷たくなっていく。

 

(ぐ、く……そ……)

 

 限界以上に酒を呷った時のように、膝がかくんと折れ、地面へと倒れ行く男は雲の切れ間から僅かに差し始めた月明かりにその光景を見た。

 視界に入ったのは三人。あの先頭を歩いていた男と、自分の目の前を歩いていた二人の姿。

 その首――今の自分と同じ箇所――に、三人とも短刀が突き刺さっていた。

 

(――まさか、明かり一つ無いこの暗闇の中で――!?)

 

「……ば……ば、けもの……め」

 

 ごぼり、と血の塊を吐いて最後の一人が絶命する。

 

「――終わり」

 

 男の動きが完全に止まると、人影は手の平ほどの長さの短刀を外套の下へと隠す。

 

「…………光の、花。――また、いつか」

 

 夜空を見上げ、三番と呼ばれている少女は、どこか残念そうな声色でポツリと呟いた。

 

 

 

 

 

「……北郷、こっちこっち」

 

 声を潜めて手招きする士壱さんに従って、屋敷の裏口から邸内へと入る。

 

「――いやに静かですね。こっちもですが、表の方にも人が居なかったみたいですけど……」

 

「さっきの花火のお蔭、と思いたいけど、これはいくらなんでも手薄過ぎるね。となると、残ってる連中は屋内に固まってるのかな?」

 

「……感づかれましたかね」

 

「……判らない。でも、ここまで来て今更後には退けないからね」

 

 声を潜めたまま、邸内を出来るだけ足音を立てないよう、静かに歩く。

 制服を着たついでに、靴を履き替えたこともあって、殆ど足音は立たない(士壱さんもスニーカー風の靴を履いて来ている)。

 幾つかの部屋を覗いて見たが、いずれもここ最近は使われた様子が無く、閑散としている。

 そして五つ目の部屋を調べていた時に、それに気付いた。

 

「……士壱さん、ちょっと来て下さい。……この棚、動かした跡が有りますよ」

 

「……あ、ホントだ。床にうっすら疵が付いてるね」

 

「……動かしてみますね。士壱さん、入り口の見張りをお願いします」

 

「了解」

 

 棚を横から押してみると、思ったより軽い手応えと共に棚は動き扉が現れた。

 

「……おっ、これは当たりかな?」

 

「かもしれませんね。開けてみますか」

 

「待った、先頭は私が行くよ」

 

「了解です」

 

 腰の刀――いくら前に出るなとは言われても護身用に環首刀は持って来ている――に手をやり、頷いて場所を譲る。

 士壱さんが扉に手をかけ――

 

「士壱さんっ!」

 

「分かってるっ!」

 

 ――たその瞬間、背後に気配を感じ、声を上げながら前方へ踏み込みつつ後ろへと身体を捩る。

 

「くっ、曲も――のうっ!?」

 

 俺のすぐ横から風のように飛び出した士壱さんが杖を繰り出し、驚愕に固まった男――警備の兵だろう――の意識を刈り取った。

 

「気付かれた……? ………………不味いね、何人か近づいて来てる。……よし、私は一つ前の部屋で奴等を引き付けるから北郷は――」

 

「――この扉の向こうを調べてみます」

 

「え? いやでも中に警備の連中とかが居たら……」

 

「……誰も居ないと思いますし、今は迷ってる時間なんて無いですよ? こうしてる間にも外に出た連中が戻って来るかも知れませんし……」

 

「…………分かった、だけど絶対に無茶はしないこと。いいね?」

 

「士壱さんこそ、お気を付けて」

 

 足早に退出する士壱さん。

 部屋の中に敵が居ないと言ったのは、はっきりとそう確信したからじゃ無い。

 倒れている男は行灯を持っているので、中に居る仲間と交代しに来たのかもしれないし、ただ見回りに来ただけなのかもしれない。

 頭を振って、嫌な想像を振り払い、扉に耳を当ててみるが中の音は聞こえなかった。

 

(時間を掛け過ぎると稟さんの策が無駄になる。――よし!)

 

 大きく深呼吸をして、扉に手を掛ける――。

 

 

 

 

 

 天井近くに通気孔と思われる細い溝、家具は寝台と小さな文机のみしかない簡素で狭い部屋。

 そこは、掃除だけはされているようで、寝台に腰掛ける小さな人影が身じろぎしても埃が舞い上がる事は無かった。

 文机に置かれた燭台には火が灯されておらず、通気孔からうっすらと差し込んでいる冷たい月の光だけが部屋に在る者の輪郭を朧気に浮き上がらせている。

 青白い月明かりに照らされた人影は、深い青色の短い髪と青白い肌の少女……と言うにはまだ早い女児だった。

 

 この部屋で目覚めて一月は経つだろうか? ……外の様子を知る術は細い空気孔から漏れる陽と月の光しかなく、部屋を訪れる宦官達は態度こそ丁寧ではあるが彼女の知りたい事は何一つとして教えてはくれない。

 

 ――あの日、帝であった少女の父が亡くなり、腹違いの兄が次の帝位に即位する……はずだった。

 

 空が茜色に染まる頃、突然宦官達が部屋に入って来て、少女が訳を問う前に「宮中に賊が押し入り多くの者が殺されている」と言う。

 既に兄とその母親は用意した馬車に乗り込んだらしく、少女もすぐに続くようにと急かされて取るものもとりあえず、彼らと馬車へ急いだ。

 まるで尻に火でも点けられたかのように、馬車は狂った勢いで走り出し、義兄が転んで頭を打ち、義母が悲鳴を上げる。

 だが馬車は速度を緩める事無く走り続け――そして、強い衝撃と共に天地が逆さまになり、目の前が闇に包まれた。

 少女が憶えていたのは、馬車の中で身体がふわりと浮いたその時、義兄が自分を守るように抱きしめてくれたことだけ。

 

 ――そして、目が覚めるとここに居た。

 この小さな牢獄に。

 義兄は、義母は、自分達を連れ出した二人の宦官――この部屋に来る宦官達とは違った――はどうなったのか?

 自分はどうしてここに閉じ込められなければならないのか?

 尋ねれども薄笑いを浮かべる宦官達は決まって「宮中は未だ危険故、ここに留まり下さい」と繰り返すだけ。

 

 聡い少女は、すぐに事態を察した。

 すなわち、今時分を閉じ込めている者達は何某かの悪心を持って策動しているのだと。

 ――そして、そう思いたくは無いが……義兄と義母があの時に亡くなったのだと。

 

 ぎしり……かたっ。

 

「――っ!?」

 

 物思いに沈む少女はその時、部屋の扉から聞こえた軋む様な音にびくりと小さな体を震わせた。

 

「――何用か。膳は既に下げたであろう? それとも、ようやく私をここから出す気にでもなったか?」

 

 またあ奴等か、いつもの生白い宦官の顔を思い浮かべて少女は不機嫌そのものな声を扉に掛ける。

 

「……………………」

 

 声を掛けてしばし、何時もの様に軋んだ音を立てて扉が開き、卑屈な顔をした宦官が部屋に入ってくるだろうと身構えていた少女は、一向に進展の無い状況に首を傾げた。

 

(何だろう? 何か有ったのかな?)

 

「――んっ!」

 

「――てるっ!」

 

「――っ!?」

 

 寝台から降り、扉に耳を当てた少女は聞こえて来たその声に身を竦ませる。

 

(争うような声…………男の人と、女の人、かな?)

 

 吃驚して咄嗟に扉から離れた少女は、恐る恐る、また扉に近づいて聞き耳を立てた。

 今度は何も聞こえない。

 だが、誰かが扉の前に居るような気がした。

 

(間違い無い。何か有ったんだ……。何時もと違う、と言う事はあの人達にとって不測の事態が起こっているのかも?)

 

 少女は目の前の扉を見る。

 さっきの軋む様な音、あれは扉が開く音だった。

 ――今なら、出れるのだろうか?

 

(で、でも、いま外に居る人は――)

 

 ――き、ぃっ。

 

 少女が逡巡していたその時、僅かな音を立てて扉がゆっくりと開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――あ……っ」

 

 

 

 ――光が射す。

 

 青白く冷たい筈の月の光。

 

 

 

「――――あ、あ」

 

 

 

 ――その人は、白く、白く――。

 

 

 

「――あ、あなた、は……?」

 

 

 

 ――暖かく、優しげな光をその身に宿していた。

 

 

 

「――間に、合ったね」

 

 少女から見て、まるで御伽噺に出てくるような男性は、その美しい顔を綻ばせて安堵の吐息を漏らす。

 そして、しゃがみ込んで少女と目線を合わせた。

 

「大丈夫、ですか?」

 

 少女の脳に染み込んで来る、穏やかで優しい声。

 

「えっと……劉協様でいらっしゃいますか?」

 

 十秒、問い掛けるその声が自分に掛けられているのだと少女の脳が理解して、声を出そうとして出せず、ただ必死に頷くまでに掛かった時間。

 もしここに鏡が有れば、その滑稽な有様を見て指差して笑ってしまいそうな自らの状況に少女は顔が熱くなって来るのを感じた。

 

「私は北郷一刀」

 

 ほんごうかずと、少女は沸騰する頭の中でその名前を繰り返し唱える。

 

「――ここに囚われた、天である貴女を救う為に来た」

 

 ――祝詞のようにその人は謳う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――天からの遣いです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あとがき

 

 天馬†行空 二十一話目、更新です。

 タイトルは天、地、人を意識しました。

 そして今回のお話での汜水関の戦いは前回の話の日付の出来事、祭りの部分と大欠伸をする白蓮から始まるシーンがその翌日の出来事となっております。

 

 次は虎牢関の戦いです。

 満を持しての恋、そしてあの方達の出番になるかと。

 

 それではまた次回で、お会いしましょう。

 

 

 

 

 


 
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