燃える
炎の熱気と強烈な悪臭に晒され、少年――――北郷一刀は胃の中のものをぶちまけた。
すべてが気持ち悪かった。
この臭いも、光景も、自分自身でさえ・・・・・何もかもが気持ち悪くて仕方がなかった。
理解しているつもりだった。
知っているつもりだった。
しかしそれが「つもり」に過ぎないことを、ようやく彼は自覚した。
であるからして、彼は今初めてスタートラインに立てたといえるのではないだろうか。
この凄惨すぎる現実を前にして、彼は初めて実感したのだ。
自分がこの世界―――――――――――――古代中国にやってきてしまったのだということを。
北郷一刀は普通の一般的な少年だった。
なにか深刻な家庭事情をはらんでいるわけでもなければ、特殊な生い立ちであるわけでもない。
平成の世に生まれた、少しお人よしなただの少年だったのだ。
だがある日、それは一気に覆る。
原因はわからない。
理由もわからない。
とにかく彼はある日突然、人類史上おそらく初であろう、タイムトラベルを経験した人間となってしまったのだ。
その時の一刀の慌てようは想像を絶していた。
何しろ気づけば見知らぬ荒野のど真ん中にいたのだ。
意味が分から無すぎて、しばらく現実逃避という名の長い旅路に出てしまったほどである。
そんな彼であるからして、正気に戻った瞬間、即路頭に迷った。
というよりは、途方に暮れたの方が正しいだろうか。
何しろ、今までの人生で海外はおろか、国内ですら一人旅などしたこともないのだ。
そんな彼が、突然見たこともない場所に飛ばされたらどうなるか。
なにをしたらいいかすら思い浮かばず、途方に暮れてしまうのは必然なのだ。
そんな彼ではあったが、幸いにも4つの幸運を得ることができた。
1にすぐ近くを商隊が通りかかったこと。
2にその商隊の商人が善人であったこと。
3に連れて行かれた先の村が比較的裕福であり、余裕があったこと。
最後に、その村は浪人や孤児などが興した村であり、一刀のような境遇の者に好意的だったこと。
これらの幸運が奇跡的に絡み合い、一刀は村の一員として迎え入れられたのだ。
だが、それから順調に溶け込めたかというと、それは否といえるだろう。
なにしろ一刀の育った環境とは何から何まで違うのだ。
電気がない。家電がない。風習が違う。文化が違う。
一刀が常識だと思っていたものことごとくが、そこでは非常識であったのだ。
一刀は度重なるカルチャーギャップに苦しみながら、なんとか村に溶け込めるように努力した。
率先して農業の仕方や生活の仕方、村の風習を覚え、自らの身を守るために自警団に入り剣を鍛えた。
その甲斐あって、8年ほど月日を重ねた現在はすっかり村に溶け込み、それどころか村の若い衆のリーダー格と呼べるまでになっていた。特に体つきはかつてとは見違えるほど引き締められ、剣の腕も村で並ぶものがないほどの腕前になったのである。
まさに一刀にとってはこの村が故郷と呼んでも違和感がないほど親しんでいる。
もちろん、未来に帰りたいという気持ちがなくなったわけではない。現に時々どうしようもないほどの郷愁の念にさいなまれ、涙を枕で濡らすことすらあるのだ。
しかし、それ以上に一刀はこの村と村人が大好きだった。
だが、そんな一刀の満ち足りた生活は、突然終わりを迎えることとなる。
きっかけは、最近近郊を荒らしまわっているという賊の噂であった。
その賊は村を襲っては、食糧や村人を攫い、次々に村を廃村へと追いやっているらしい。
もちろん一刀の村でもその噂は聞こえてきており、また危機感も強かった。
なにしろその賊は、賊とは言っても人数が多く、馬を使っていたという情報すらある。
このまま何もしなければ、ほかの村の二の舞となるのは目に見えていたからだ。
それからというもの村の、特に自警団の活動が活発になった。
その時すでに自警団のリーダーであった一刀を中心に訓練に力を入れ、防備のための柵と堀を築いた。
その中でも一刀の意気込みは並々ならないものがあったのだ。
必ず守って見せる・・・この暖かい生活を失くしはしない・・・そんな強い思いを村人の誰よりも心に秘めていたのだ。
しかしてその時は訪れる。
村に襲い掛かる50人を超える賊ども。
全員が武器を所持しており、中には馬にまたがっている者までいる。
対して、こちらには満足に武器すら持っていない自警団の若者が40人ほど。
個々の力の差はいうまでもない、そのうえ人数でも劣ってしまっている。
そんな圧倒的な戦力差の中、堀や柵、3メートルを超すように組まれた長い木の棒の先端に砥いだ石を付けただけの槍。常に二対一で当たる陣形など、苦し紛れの作戦でなんとか凌いでいた。
何よりも大きかったのは、これが守戦であり、相手を迎え撃てるということだったが、形勢の旗色がいいわけではなく次第に追い詰められるようになっていった。
そんなジリ貧の状況に、ついに一刀は一つの決断をする。
それは官軍に支援を求めるというものだった。
本来官軍とは、国家の戦力の要。
単に外敵に対する力というだけでなく、治安維持の機能も有している。
であるからして、今のような状況では最も頼るべき存在のはずである。
だがしかし、一刀たちには安易に官軍の力を借りるといえない事情があった。
時間が問題なのではない。官軍が賊の討伐のために近場まで来ていることは知っているので、どれだけ遅くともひと月はかからないだろう。
問題なのは何かしらの条件的なものではなく、官軍自身なのだ。
漢王室の威光が地に堕ち、いたるところで役人が好き勝手に私腹を肥やすようになった。
それは官軍とて例外ではない。賊のアジトだといっては冤罪をかぶせ、村のものを強奪したり、暴力で脅し好き勝手な振る舞いをする姿が目立ち始めたのだ。
ここに官軍を呼び込むというのは虎をむざむざ引き込むことになりわしないか――――――――そんな不安が村人の脳裏を支配したとしても仕方がないこと。
しかしこのまま何もしなくても賊にすべてを奪われるのだ。
一刀は渋る村人をなんとか説き伏せ、官軍への支援要請をおくることにしたのである。
そして、遅れること5日。官軍は村に現れた。
村長とともに村人の先頭に立ち、彼らを迎えた。
その官軍の姿を見たとき、一刀は大きな驚きに包まれたのだ。
きらびやかな鎧に、破壊力のありそうな矛。
そして寸分違わぬ兵士たちの行進。
そのすべてが驚愕すべき光景なのだが、一刀の驚きの理由は他にある。
先頭を馬にまたがりながら進んでいる司令官らしき人物。
彼――――――――いや彼女は見目麗しい少女だったのだ。
男女間格差の縮まった現代ならばいざ知らず、この時代に女性兵士がいるなどと、当然のごとく思いもしなかったのだ。
だが、目の前までやってきた女性兵士に低すぎるほどの低姿勢で接している村長も、官軍の光景に圧倒されている村人たちも、彼女については疑問を持っていないようだった。
一刀はおそらく普通にあり得ることなのだろうと、その時は自らを納得させたのだった。
村長からある程度の説明を受けた兵士は、「わかった」とだけ一言いいしばらく考え込むように黙ってしまった。
それにしても・・・と一刀は頭の中で思う。
あの目、まるでこちらを虫けらか何かと思っているかのような冷たい目だ。馬上から見下ろす形であったし、このような状況でもあるので気のせいかもしれないが、一刀にはそう思えて仕方がなかった。きっと気のせいだと頭の中で考えを打ち払ったが、それが勘違いでないことを一刀はすぐに知ることとなるのだ。
誰あろう、女性兵士自身の言葉によって。
しばらく黙った後、唐突に彼女は命令を下した。
その命令に、一刀も村長も村人の誰もが唖然としてしまった。
なぜなら彼女はこういったからだ。
「この村に賊をおびき出し一網打尽にする。
貴様らは囮となり賊を引きつけろ。」
囮にされるのはいい。だが村を戦場にするとはどういうことなのか。
村人たちに動揺が広がる。
いち早く行動を起こしたのは村長だった。
「どうか、どうか村を戦場にするのだけはご容赦ください!
この村は私どもの唯一の居場所・・・どうかお願いいたします!」
額を地にこすり付け必死の懇願。
そんな村長の姿を見て、一刀は動かずにはいられなかった。
同じように額をこすり付け必死に懇願する。
一刀にとって、この村は異邦人となってしまったこの世界で唯一の居場所。
決して失うわけにはいかなかったのだ。
それを皮切りに次々に村人たちが続いていく。
誰もが必死。
必死の懇願。
そんな姿を前に、女性兵士は一つ嘆息すると、おもむろにその長大な槍を振り下ろした。
「え?」
一刀の口から言葉が漏れる。
目の前には地面にめり込む槍と、一面の赤。
そして・・・・首のない村長の姿であった。
「下賤な男の分際で私に口答えするな。」
その言葉を最後に一刀の記憶はあいまいだ。
しかし、確かに体は覚えている。
炎の暑さと、肉の焼ける臭い。
そして・・・・・・・・
天涯孤独の身となったその空虚な心の痛みを。
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一刀君が頑張る話。
三国志詳しくないし、文章自体も拙いけど頑張る。
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