No.505782

落日を討て――最後の外史―― 真・恋姫†無双二次創作 20 前篇

ありむらさん

独自解釈独自設定ありの真・恋姫†無双二次創作です。魏国の流れを基本に、天下三分ではなく統一を目指すお話にしたいと思います。文章を書くことに全くと云っていいほど慣れていない、ずぶの素人ですが、読んで下さった方に楽しんで行けるように頑張ります。
魏国でお話は進めていきますけれど、原作から離れることが多くなるやもしれません。すでにそうなりつつあるのですが。その辺りはご了承ください。
あと私の描く一刀さんは悪鬼と相成りました。皆様が思われる一刀さんはもういません。ごめんなさい。
それでもいいじゃねえかとおっしゃる方。
ありむらは頑張って書き続けます。どうぞ、最後までお付き合いの程をよろしくお願い致します。

2012-11-08 17:53:37 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:7613   閲覧ユーザー数:5979

【20】

 

 1

 

 新しい茶葉を、試してみた。

 いつもより少しだけ甘みの強い、さわやかな茶の香りが鼻に抜けていく。

 あの人が好きな茶なのだという。

 これを飲めば、少しは彼の気持ちが、考えが、分かるのではないかと――そんなことを思ったのだ。

 軍師としては、あるまじき非合理的な思考である。

 茶を飲んだところで、人の心など分かろうはずもない。そんなことをは分かっている。

 程昱は。

 風は――軍師である。

 頭脳働きこそが、彼女の役目務めである。

 しかし、頭が働かない。

 ここ数日は特に、考えが纏まらない。

 取り留めもない思考の断片が脳裏に舞うばかりで、一向に捕えられない。捕えられぬのであるから、それを組み合わせてひとつの思索に仕上げることもまた、叶わなかった。

 同じくここ数日。

 あの人とは言葉を交わしていない。

 顔も見ていない。

 相変わらず忙しくしているらしいのだが、風が部屋に引きこもっているのだから、会えるはずもない。

 朝廷からあの人へ、召喚があったのだという。

 天の御遣いとして、呼ばれているのだ。

 朝廷は、天である。

 唯一無二の天である。

 この大陸に生きる人々、その各々がどう考えているのかは別にして、そう言う建前には、少なくともなっているのだ。

 だから、『別の天』などというものを認めるわけにはいかないのだ。朝廷は。

 あの人を呼び出して、どうするつもりなのだろう。

 最悪の結末が、何度も脳裏を過る。

 その度に、あの人ならば大丈夫だと己に言い聞かせる。

 ただ、それでも拭えぬ不安がいつまでも心の隅にこびりついていた。

 だから――会いたくなかった。

 本当は会いたくて仕方がないくせに、それでも会うことが出来なかった。

 会ってしまったら、不安の欠片が見る見るうちに膨張して、こちらを押し潰してしまうに違いないのだ。

 きっと、本当は押し潰されてしまいたい。

 けれども、それは出来ぬ話だった。

 あの人の歩む道の、妨げだけにはなりたくなかった。

 あの人を困らせるようなことはしたくなかった。

 ゆえに――多忙を装って部屋に籠っている。碌々、仕事も手に付かないくせに。

「朝方より失礼いたします。程昱様」

 部屋の戸の向こうで、男の声がした。

「――何でしょうか、万徳さん」

 自分でも情けなくなるほど、力のない声が出た。元々、声に覇気などない性質ではあるのだけれど。

「は。孫文台以下孫家の面々が甘興覇の引き取りに到着いたしました。玉座の間にて迎えますゆえ、お集まりいただくようにと」

「華琳さまが」

「いえ――虚さまがそのように仰せにございます」

「……分かりました。支度をして、すぐに行くのです」

「は。ではわたくしはこれで」

 戸の向こうから気配が消える。

 ――虚さまがそのように仰せにございます。

 万徳はそう言った。

 虚は伝言に彼を寄越した。

 直接言いには、来てくれなかったらしい。

 ――風は、ばかなのです。

 小さく笑って、身支度を始める。

 会いたくないと思っていたのはこちらの方なのだ。にも拘らず、彼が会いに来てくれないことに寂しさを覚えている。不満を抱いている。

 何と身勝手な女だろう。

 けれども、偽れない気持ちがある。

 玉座の間には、きっと彼もいるだろう。

 曹孟徳の片腕としての顔で、きっと立っている。

 冷徹な軍師の貌で、凶悪な悪鬼の貌で――孫家の人間を出迎えるのだろう。

 ならば。

 ならば自分はどんな顔をしていればいいのだろう。

 どんな顔を――したいのだろう。

 愚かな思考が脳裏を巡る。

 分かっているはずの答えを探すふりをしている、浅ましい自分の姿が鏡に映っている。

 風は小さく嘆息した。

 行かねばならない。

 玉座の間へ。

 彼のいる、けれども彼のいない空間へ。

 

 

 2

 

 玉座の間において――風は傍観者であった。

 

 部屋は三極化している。

 第一極は――孫家の面々である。女ばかりが六人。外貌の良く似た三人は恐らく孫家の王と姫君たちだろう。

 第二極は――曹孟徳が臣下の面々である。風もここに含まれる。夏候惇、夏侯淵、典韋、許褚、楽進、李典、于禁、徐庶、程昱。そうそうたる面子が玉座の間の両側を固め、孫家の六人に視線を投げ掛けている。

 そして――第三局。

 玉座に坐す、覇王、曹孟徳。

 御座の左に佇むは、筆頭軍師、荀文若。

 そして、右側に佇むのが――黒衣の魔王、虚。

 玉座の周囲には、圧倒的に濃密な空気が立ち込めている。

 この日に至っては、桂花までもが怜悧な表情を浮かべ、筆頭軍師の名に恥じぬ凛然とした気配を放っていた。

「我が名は孫文台。我が臣、甘興覇を保護して戴きましたこと、感謝します」

 孫文台は上品な女性だった。言葉遣いは丁寧で、けれどもへりくだった印象を与えない。

 強い意志を込めた眸で華琳を見つめている。

「ここに控えます、我が娘、孫伯符、孫仲謀、また我が臣、周公瑾、陸伯言、黄公覆。皆、甘興覇の平穏無事を喜び、曹孟徳殿に甚く感謝の念を抱いています」

 孫堅の言葉に、華琳は艶然と微笑んで、脚を組んだ。

「イヌは良いものね、孫文台」

「……」

「わんわんとうるさいばかりの動物だと思っていたのだけれど、実際傍においてみて分かることもある。特に忠実に付き従うイヌは愛しいものだわ。そうは思ないかしら」

「――そういうものかもしれませんね、曹孟徳。ですがわたくしは『狗』を飼ったことがありません」

「あらそうなの。江東辺りには泳ぎの上手いイヌがいるという話よ。ちょっと品がないらしいのだけれど、飼ってみてはどうかしら」

「……検討しておきましょう」

 孫堅の言葉に、華琳は瞑目して笑んだ。

「一刀」

「分かった。万徳、甘寧殿をお連れしろ」

 部屋の戸が開いた。

 姿を現したのは、まず鋭利な視線を放つ万巧賢。そして――赤い衣の甘興覇であった。

「思春っ」

 声を上げたのは、孫家のふたりの姫だった。

 その様を、虚は冷めた目で観察している。

 甘寧は孫家の面々にむかえられたその直後、黙したまま膝をつき、孫堅、孫策にこうべを垂れた。

「今は後ろに控えなさい、思春」

 孫堅が母のような声で言う。

「は」

 短く返事をして、甘寧は一団の最後尾に付いた。

「それは、甘興覇で間違いないのかしら」

 小首を傾げて、華琳が孫堅に問う。

「ええ、確かに我が臣、甘興覇に間違いありません。改めて礼を言います、曹孟徳」

「構わないわよ。でも良かったわ。もし甘興覇を騙る不届き者だったなら――殺してしまおうかと思っていたの」

 その言葉に、孫家の面々が表情を硬直させる。

「だってそうでしょう。孫家の重臣の名を騙り、この曹孟徳から施しを受けようだなんて、不届き千万だわ。この虚と話していたの。もし偽物だったのなら、生きたまま鼠か鴉にでも食べさせてしまいましょうって」

 その言葉に、虚が小さく肩を竦めた。

「少し、訊きたいのだけれど」

「なんでしょう」

 返答する孫堅の声が、少し硬いものになっている。 

 

「どうして孫家の重臣が、たったひとりで、陳留にいたのかしら?」

 

 華琳は愉しげに問うた。

 さながら、鼠をいたぶる雌猫のようである。

 否。兎を弄ぶ、雌獅子か。いずれにしろ、似たようなものだと風は思った。

「供の者もつれずに。まさか――物見遊山だっただなんてつまらないことを言うのではないでしょうね」

「甘興覇は、何も言っていませんでしたか」

「ええ、何も。『何も』言わなかったわ。それとも『言えなかった』のかしらね。――ねえ、孫伯符はどう思う?」

 孫堅の後ろに控えていた孫策が小さく瞠目し、苦い顔になる。

「甘興覇には何か……『言えない目的』があったのかしらね。孫伯符。心当たりはないかしら」

「――ないわ」

 孫策の答えに、華琳の表情が少しだけ厳しいものになった。

「そんな話が通ると思っているなら認識を改めよ孫伯符。我は曹孟徳である。袁家の老害どもと一緒にするでない」

 その言葉に、文台を除く孫家の面々がたじろいだ。

 華琳は真相を話せと言っているのではない。

 ただ何か筋を通した言い訳をして見せろと、そう言っているのだ。そうして初めて、この場は不自然なく収まり、互いに手打ちとなる。その程度のことも出来ずに、次代の孫家の王となる気かと華琳は問うている。いずれ対峙することになるであろう王に問いかけている。

 そして、相手がどのような言い訳を出してくるのか、華琳はそれも読んでいる。恐らく、桂花も、虚も、状況を読み切っている。終点をすでに知っている。玉座に集った三人の貌はそれを物語っていた。そして風もまた、このやり取りの行きつく先を読んでいた。

 ただ少し意外だったのは、口を開いたのが孫文台でも孫伯符でもなく、孫仲謀だったということだ。

「私が代わりに応えても良いだろうか」

「蓮華さまっ」

 黄公覆が咎めようとする。

「我が名は孫仲謀。改めて、我が臣、甘興覇を救ってもらったことに礼を言いたい」

 へりくだらず、けれども孫権は筋を通そうとする。

 まだ若いが、好感のもてる人物だった。

「それで、何を聞かせてくれるというのかしら、孫仲謀」

 華琳は調子を変えず孫権に問う。

「孫家は今、袁術の客将としての地位にある」

「ええ、そうね」

「多くの将は領内に点在させられ、戦力は分散。そして――我が妹、孫尚香は軟禁されている」

「それがどうしたのかしら」

「先日――妹から孫家の将が全て剥がれ、妹は軟禁先から移送された。移送先は分からない。ただ、袁術領内にいないだろうことはおおよそながら調べが付いた」

「それで?」

「それゆえに、領外を探索させていた。本来であれば陳留探索に当たり、州牧のあなたに挨拶するのが筋。しかし、何分極秘の探索だった。だから、思春――甘興覇はひとり内密に陳留領内にいた」

 華琳は小さく笑んで「そう」と言った。

 この――言い訳が立つのだ。

 妹を探していた。袁術に露見するわけにはいかない任務である故、極秘かつ非公式な探索になった。曹孟徳に対して、何も含むところはない。

 そういう言い訳を華琳が『言わせた』のだ。今回の件を『偶さか旅先で病んだ甘興覇を保護しただけ』の一件にして『許してやる』ための方便なのである。

 これだけでも、貸しひとつ、或いはふたつにもなる。

 しかしここからさらに、華琳は、桂花は、虚は、貸しを増やしにかかるのだろう。

「それで、妹君は見つかったのかしら」

「――いや」

 孫権は深刻な顔で首を横に振った。

「まだ、分からない」

「陳留にはいなかったのかしら」

 孫権は甘寧に視線を送る。正しい行動だ。どうやら孫仲謀は年の割に冷静で頭も良いらしい。

 甘寧は首を横に振った。

「見つけられなかったようだ」

「それはそうでしょうね」

 肩を竦めるようにして、華琳は言う。愉しげに笑っている。

 対照的に孫家の面々は表情を凍らせている。甘寧だけが苦い顔をしていた。

「まさか――」

 孫仲謀が零すように言う。

「知って……いるのですね」

 つづけたのは孫文台だった。

「わたくしの娘が――あの子がどこに捕らわれているのか。あなたは知っているというのですね、曹孟徳」

「ええ、知っているわよ」

「――馬鹿なっ」

 孫権が声を上げる。

「孫家の優秀な細作部隊を以てしても探り切れなかったのに……どうして余所者の曹孟徳が事のついでのように知っているのか――とでも言いたそうね、孫仲謀」

 華琳がふっと笑って言う。

「どこに、どこにいるのッ!?」

 孫策が叫んで身を乗り出す。やや取り乱したその様は、礼にかなっているとは言い難かった。「雪蓮っ」と周公瑾が咎めるも、もう遅い。

 瞬間、強烈な殺気を放ったのは虚だった。

「気安く動くな孫伯符。それ以上俺の主に近づくようなら、容赦なく縊るぞ」

 場の空気が凍りつく。

 今まで比較的穏やかだった雰囲気が瞬時に緊迫したものへと変貌する。

 孫家の面々は冷や汗を流している。虚の殺気が容赦なく、彼女らを串刺しにしている。

 平気な顔をしているのは孫文台だけであった。 

 曹操陣営の中でも、流琉や季衣、神里などは酷く緊張しているようだった。

 ただ秋蘭は虚の発言の意図に気付いているようで、貌には余裕がある。春蘭は虚の意図など知らぬのだろうが、一歩でも前進しようとした孫策に厚かましさを感じていたのだろう、虚の発言を好意的に見ているようだった。

 これは恐らく――虚の演出である。

 ここで、華琳が。

「止しなさい、一刀」

 このように諌める。

「――分かった」

 虚が仰々しく引き下がる。

 狙いは上下関係の固定化。少なくとも、この場での優劣を知らしめる。

 礼を失し、妹の所在を求めた孫伯符を、虚が黙らせる。これで少なくともこの時点では、虚が孫伯符よりも優位に立つ。孫伯符が孫家の王位継承者であっても、この場の発言力という意味で、虚が上に行く。

 そしてそれが回復される前に、曹操陣営の主たる華琳がその虚を押さえる。すると、華琳、虚、孫伯符の順で場の上下関係が固まる。

 少なくともこの場では曹孟徳が最上の位置に立っていると刷り込むもうというのだろう。

 孫家はあくまで甘興覇を迎えに来ただけという建前である。ゆえに表層では、曹孟徳と孫文台は、貸し借りこそあれ、対等であるはずだ。だから礼は言っても、へりくだらぬ。

 華琳は黙っている。

 孫文台もまた黙って華琳を見ている。

 『華琳の方から』孫尚香の所在を教えるつもりはないのだ。

 ここで孫家としては以下のような言説を放ちうるだろう。

 すなわち『孫尚香の居場所を隠蔽し、袁術に加担するか』という主張である。

 これは華琳の覇王たる矜持に訴えかけるものである。愚物袁術に加担するか、曹孟徳とはその程度なのか、という挑戦である。

 だが、今この状況で『孫文台』にそれは言えぬ。

『甘興覇の借り』があった『だけ』ならば、或いは言ったかもしれない。

 だが、孫文台が問う前に、孫伯符が叫んでしまった。それを虚が絶対的な鬼気で叩きつけ、そのまま華琳へとへりくだった。取り乱した孫伯符は、曹孟徳の下へ押し込められた。

 ここで孫文台がとる言動は――。

「娘が取り乱しました。失礼をしましたね、曹孟徳」

 詫びる。

 孫文台の次の発言は『謝罪』の一点に束縛される。

 そこで。

「かまわないわ。血の繋がった家族のことだものね」

 華琳があっさりと許す。

 そうすることで、更に孫文台の行動は限定される。

 孫文台は孫家の王である。王として軽々しく他者にへりくだることは出来ぬ。そして、へりくだらずとも礼を尽くすことは出来るのだ。

 だが、虚は孫文台を華琳の下に置きたかったのだろう。今回の一件を好機と見たのだ。だから今の演出に走っている。

 孫文台はここに至り、孫尚香を切るという選択は出来なくなっている。

 例えば孫尚香の行方が一切不明であれば、それも考えたかもしれぬ。彼女は王である。優先すべきは孫家である。孫家の存続、孫呉の再興のため、孫尚香を切らねばならぬ場合は切るだろう。付き従っている臣下の多くは、『孫呉』の再興のために命を掛けているのだ。娘可愛さのあまり、種々を蔑ろにして、軽挙に走るなど出来ようはずもない。

 ただ全員とは言わずとも、臣下たち自身が孫尚香の救出を望んでいる、ということもあるだろう。特に重臣たちはその傾向が強いはずだ。ならば王として、彼らの前で易々と娘を切るわけにはいかぬという事情も、また生じている。

 すなわち――『孫文台』は、『王として許容できる範囲内』において、末娘『孫尚香』のために『行動しうる』のであり、また『行動せねばならない』のだ。

 そこで孫文台の取る行動、取らねばならない言動は――。

「教えてもらえないでしょうか、曹孟徳」

 頭を下げて、願うことだ。

 孫家の王が、曹孟徳に頭を下げる。

 これで、場の上下関係は完全に固定化される。主同士の間で上下関係が生じたのであるから当然である。

「いいでしょう。――一刀」

「徐州の端だ。詳しい場所は書面にして渡そう」

「……かたじけないことです」

 孫文台が再び頭を下げて、礼を言う。

 陸伯言、周公瑾などは苦い顔をしている。虚の意図に気が付いたのだろうか。

 この場で孫文台が曹孟徳に頭を下げ、娘の所在を願ったところで、本来であればどういうことはない。

 結局彼らは無償で情報を手に入れて帰るだけだ。

 しかし、虚は欲したのだ。

『嘗て一度、頭を下げたことがある』という事実を欲したのである。 

 虚は、二度目を見越している。

 心理的な問題だ。

 長らく対等であった者に、いざ、こうべを垂れるのは勇気のいることだ。躊躇いもあるだろう。

 しかし、一度頭を下げさせておくことによって、二度目に対する抵抗心を和らげる。

 しかも戦に負けて頭を下げたのではない。

 助力を願って頭を下げたのだ。そして華琳はあっさりその願いを聞き入れている。

 その心理的効果は大きい。

 

 虚は――孫家をいずれ取り込むつもりなのだ。

 

 孫文台は安くない。

 今回の虚の演出があったところで、心理的な優位は殆どとれていないだろう。

 しかし。

 風は他の孫家の面子を見渡す。

 孫尚香の所在が判明し、表情を煌めくような喜色に染めている。仕方のないことだ。立場が逆なら、こちらの陣営でも似たようなことがおこるかもしれない。

 虚の表情を見るに、孫文台への影響は諦めているようでもある。

 彼が狙っているのは、次代の孫家を担う人材に対する影響だろう。

 孫伯符、孫仲謀、周公瑾、陸伯言。

 孫文台がいずれ一線を退くだろうことを、虚は見抜いている。

 或いは、退かせるつもりなのか。

 どちらにしろ、彼は近くない将来に孫家を吸収するつもりでいる。

 その時の布石として、今、孫文台に、他の孫家の面々の目の前で頭を下げさせた。

 糖衣に包まれた毒のよう。

 初めは甘く。

 けれどもいずれ致命打となる、地味な一手。

 心理的な効果というものは、後々種が割れても拭いがたいものだ。心理的効果に抗っているように見えても、結局は他のそれらしい理由を付けて、その効果の前に屈する。

 人間心理の扱いに長けた風には、虚の策の重さが分かる。

 極端な話をすれば。

 玉砕か投降かを迫った場合、孫家の矜持結束を以てしても、投降が魅力的に思えてしまうような楔を打ち込まれたのだ。孫家の次代たちは。

「華琳」

 虚が口を開く。

「何かしら」

「情報を再分析し、書面は詳細に纏めたい。出来上がるまで、文台殿たちには陳留でゆっくりして貰ってはどうだろう」

 虚の狙いが分かっていれば白々しく聞こえるが、孫仲謀などはさもありがたそうに虚を見ている。

 それが正しい。

 孫仲謀の反応は誠実で正しいものだ。

 虚の狙いは、根性のひねくれた者にしか分からぬ。

 そして恐らく、孫仲謀にそのひねくれは必要ないのだろう。

 彼女のありようは、あれで正しいように風は思った。 

 孫仲謀は義に篤く、素直誠実で、筋を通す、好人物だ。

 姉、孫伯符も大方同じなのだろう。ただ、彼女には少々焦りが見える。

 風は思う。

 孫伯符はきっと愚か者ではない。ただ、大きすぎる母の背中を見て焦っているのではないか。

「私は構わないけれど。どうかしら、孫文台」

「ぜひ、お願いしたく思います」

「そう。では一刀。部屋の支度をなさい」

 その後さしたる会話もなく、会談は終結を見た。

 虚の策が効果を発揮するのはいつの日か――風はぼんやりとそんなことを考えていた。

 

 つづく。

 

 

 《あとがき》

 

 

 ありむらです。

 

 まずは、ここまで読んでくださっている読者の皆様、コメントを下さったかた、支援をくださった方、お気に入りにしてくださっている方、メッセージをくださった方、えっとそれから……兎に角応援して下さっている皆様、本当にありがとうございます。

 

 

 皆様のお声が、ありむらの活力となっております。

 

 

 

 風さん支店の回ですが、風さんメインには成りませんでした。すみません。

 後篇はちゃんと風さんの嫁回になります。たぶん。

 

 今回は主に虚さんの小細工回。

 そして曹孟徳と孫文台の会談回ですね。

 蓮華さんはすぐに王位が回ってこないであろう余裕からか、腰を落ち着けて自分を磨いている感がありますね。

 雪蓮さんは空回りしていますが、いずれ挽回して貰いましょう。

 蓮華さんと思春は、わたしのお気に入りでもあるので今後優遇あるかもしれません。

 ないかもしれません。

 

 次回後篇は風さんメインです。がんばります。

 洛陽篇開始は次々回くらいでしょうか。

 

 それではありむらでした。

 

 こめんとなどどしどしください。


 
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