No.504350

〔AR〕その6

蝙蝠外套さん

twitterにて週間連載していた東方二次創作小説です。

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2012-11-04 17:16:47 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:498   閲覧ユーザー数:497

 早朝の寺子屋の職員室で、慧音は眠気覚ましのための緑茶を啜っていた。

 真面目の見本ともいえる彼女は、生徒達がやってくる一時間以上前に、寺子屋に出勤して一日の授業の準備を整えておく。その後、始業時間まではこうしてゆっくりしているのだ。今日も、生徒達が寺子屋に姿を現し始めるまで、まだ五十分はある。

 緑茶の渋みは、慧音の眠気を彼方へと吹き飛ばした後、記憶の巡りも活性化させていた。それで、昨日のことを思い出す。

「阿求は、全部読み切っているだろうか」

 昨日、慧音はバイオネットに共有されていた文学作品のいくつかを、阿求に手渡していた。

 それは結構な分量ではあったが、日頃から大量の文書に目を通している阿求であれば、一晩かかることもないはずだ。今日の寺子屋は昼過ぎで終わるので、それから稗田家に顔を出して、感想を聞くのがよいだろうか。

「いっそ阿求も、日頃から寺子屋に来ればいいものを……」

 そう、ひとりごちた矢先。

「慧音先生、おはようございますー!」

 職員室の引き戸が、勢いよくスライドした。

「え? 阿求、なんでここに」

 慧音は目を丸くして、職員室に、そして慧音に踏み込んでくる阿求を見た。普段、阿求は寺子屋に来ることはない。常々通う必要はないと公言しているので、せいぜい、授業に必要な資料を提供してくれる時くらいである。

 しかし寺子屋に来ない理由については、別にもう一つある。阿求には夜更かしの悪癖があり、朝早く起きてくることはあまりない。寺子屋の授業は午前中が主なので、早朝に起きない限りはどうあがいても遅刻だ。朝が弱いのだとは本人の弁だが、単純に睡眠をおろそかにしているのは明白だった。

 そして今日も、阿求の目の周りは腫れ、眼球は少し充血している。

「お前、昨日何時に寝た?」

「えーと、丑三つ時よりの少し前ではないかと」

「……どっちにしろ深夜じゃないか。夜はさっさと寝ろといつも言って……」

「それよりですよ慧音先生!」

 阿求は慧音の説教を遮り、勢いよく何かを差し出した。

「昨日のものを複写したので、是非読んでください」

 慧音は慌ててそれを受け取る。紙の束だ。それは慧音が昨日阿求に渡したものである。

「ああ、これか……ってお前、もしかして全部書いたのか!?」

 慧音は紙束をバラバラとめくり、驚愕する。全ての紙に、墨がのっていたからだ。ざっと見た感じ、文字も標準的な楷書であり、公文書と比べても遜色のない丁寧さだった。

「夕方頃から文字が薄れ始めたので、一度全部転写し直してから筆入れしました。いやぁ大変でしたよ」

「大変って……」

 例えば、約二百六十文字の般若心経の写経には、精神修練の意味があることを考えても、結構な時間が要する。

 阿求が持ってきた紙の束が、写経の文字数を遙かに上回る分量であることはいうまでもない。下手をすれば一綴じの本ができるくらいのものだ。ある意味、阿求は一晩で本を一冊書き下したようなものである。

「ま、そんな苦労話はおいといて……とにかくこの小説がね、すごいんですよ!」

 阿求は呆気にとられた慧音を構うことなく、先ほど差し出した紙束を手元に戻し、ある部分を引き抜いてから改めて慧音の手に渡した。

「もうなんていうか、最初読んだときは圧倒されて! 二度目に複写しながら読んでいたときは引き込まれて! 三度目に改めて読み返したときは、感動して涙が止まらなかったんです!」

「わ、わかった! わかったから落ち着け!」

 慧音はわけもわからず、手元のまだ茶が残った湯呑みを阿求につきだした。阿求はノリよくそれを受け取り、まだそれなりに熱いそれを平然と飲み下した。勿論、腰に手を当てて。

「プハァ。すいません落ち着きました」

「……それはよかった」

 慧音は阿求から湯呑みを受け取り、それをテーブルにおいてから、紙の束を改めて見る。

「とりあえず、わざわざ書いてもらったんだから、じっくり読ませてもらうとするよ」

「できれば今読んで感想を聞かせてほしいですが……まぁ確かにお仕事がありますよね」

「私は本を読むのがそれほど早くはないから、寺子屋が終わった後だな……どういう小説なんだ?」

 慧音は柱時計をチラ見しながら、阿求に訊ねる。生徒達が登校してくる時間まではまだ余裕があるので、もう少し話を聞けそうだった。

 阿求は、待ってましたと言わんばかりに、胸を張って語りだした。

「とっても仲良しな、猫と烏の妖怪、女の子二人組のお話なんですが、全体的に絵本のような語り口調で、ゆったりとした感じに綴られています。でも中盤以降、一気に空気が変わって、それはそれはもう壮絶な方向にですね……」

 どうにも要領を得なかった。おそらく阿求は内容の核心を話さないように配慮しているのだろうが、それがよけいな回りくどさを生んでいた。ちなみに慧音は、推理小説を読んでる途中に、他人から犯人を教えられても気にしない質だった。

「……というわけなんですよ」

「ああ、うん、わかった」

 まくし立てた阿求の言葉から、大まかにあらすじを導き出すことに終始していた慧音は、半分以上聞き流しており、生返事を返した。

「ところで、小説が気に入ったのはわかるが、詩歌の方はどうだった?」

「あ、寝る前のクールダウンの為に読んだのですが、そちらもよかったです。特にこちらの」

 阿求は紙束を精密にめくり、一枚を取り出す。

「これです。ペンネーム『Say,good!』さんという方が書かれた詩ですね」

「むむ……ほう、これは、美しいな」

 慧音は、一瞥しただけで、ため息をもらした。歴史、特に皇族や貴族の話に詳しい慧音は、それらを語る上で切っても切れない詩歌についても、ある程度含蓄がある。

「素人目に見ても見事なものだ。どうやら秋の紅葉を歌ったもののようだが、その情景が目に浮かぶようだ」

「でしょう? きっとこの方は、とても詩歌を愛され、造詣も深い方ではないかと」

「野には思いも寄らぬ達人がいるものだ……人里にも何人か歌人がいるが、そんなに作品を目にすることはないしなぁ」

「それをいったら、小説家とか、物語作家なんてのも、あまりいませんよねぇ」

「江戸から明治の移り変わりによる混乱、大結界による隔離によって、文化的交流も閉鎖されてしまったからね。幻想郷内部、さらに人里の中だけでは、その辺の下地はなかなか育たないのかもな」

 慧音は、紙の上に踊る詩歌を視線でなぞった。数名の作者の作品が混在しており、ペンネームを用いているものもいれば、慧音も知っている人里内外の名前も見られた。

「天狗が新聞に載せている、いわゆる漫画と呼ばれる娯楽作品も、外の世界から流入してきた本を参考にしているところが多いようです。勿論、隔離前に江戸時代の文化から継承されているところはあるでしょうが」

「幻想郷の生活が外の世界に依存している一端、といえるか」

「そう考えていくと、件のバイオネットは、今までの幻想郷に物足りなかった、文化の下地を担う側面も出てくるんじゃないかと」

「そこまでいくかは、まぁ、よくわからんな」

 ただ、と慧音は続ける。

「阿求が最初に話を持ちかけられたときに、かの妖怪が述べた言葉の意図は、少し掴めたような気がする。言葉を用いて意思を通じさせる形として、手紙があり、広告があり、創作があるわけだ」

「創作、かぁ……」

 阿求は、今一度、昨日読んだ小説の内容を頭の中でめくり返す。彼女の求聞持の力は、一度見たものを決して忘れない。ましてや三度も読み返した小説のことは、比喩表現でなく、一字一句正確に思い出せる。

 筆者名……ペンネームは『Surplus R』と書かれていた。ペンネームは匿名扱いであり、すなわち筆者の素性はわからない。共有情報にも、筆者の情報を類推できるものは一切含まれていなかった。

 阿求には、作品を公開しておいて、自分の素性は明かさないというのが、いまいち理解できなかった。彼女は、稗田という名のしれた家系であり、仕事上広く知見を求め、求められる立場故に、名前が広まることに抵抗がない。

 だから、無邪気にこう考える。

「こういう作品を書ける方は、どういうお方なんでしょうね」

 何とはなしに呟いた、本当に素朴な疑問だった。

 その呟きを受けた慧音は、何かに気付いたかのように眉を動かした後、阿求に向けてこう言った。

「さて、その追求を当たり前の好奇心として抱くか、それとも無粋ととるか。私は読んでから判断させてもらおう」

「無粋って、どういうことです?」

 阿求は、慧音の言葉が引っかかった。

「土佐日記……は例として正しいかわからんが、秘することもまた時に必要かもしれんということだ」

「??」

 明らかな疑問符を浮かべて首を傾げる阿求。

 しかし、慧音は、それ以上は何も言わなかった。

 同刻、地霊殿。

「……さて」

 さとりは、紙の束を手にして、席を立った。

 机の傍らには、書見台のような箱。もう十日近く前、お燐を経由してさる妖怪から渡された、バイオネットの端末である。

 さとりは端末の金属スイッチをオンにする。端末の傍らに紙の束を寄せてから一拍を置いて、箱はカタカタと音を立て始め、ゆらりとガラス面が光りだした。

 スイッチを入れて数秒、端末は入力可能状態となり、さとりは淀みなくパネルのボタンを片手で押していく。その間、もう片方の手で、さとりは紙の束の最初の一枚をめくり、丁寧な手つきでそれを端末のスリットに差し込む。

 紙がするりと箱の中を通り過ぎると、端末はわずかに甲高い音を立て、そのガラス面に認証成功のメッセージを返す。今さとりが通した紙には、バイオネット利用のための手続きがまとめられており、これで後には煩雑な手続きは要求されない。送りたい文章全てを機械に通して、送信を実行するボタンを押すだけだ。

 さとりは、黙々と紙の束を順番に差し込んでいった。手応えはなく、紙を通した分だけ、書斎に音が走るだけだ。

 作業が終わるのには数分を要した。最後に送信ボタンを押すと、ガラス面は全てが滞りなく終わったことを伝え、最初の状態に戻った。

「ふぅ」

 作業が終わったところで、さとりは無表情に一息ついた。この一連の手続きは、この一週間で何度か行っている。しかし、ポーカーフェイスの裏側では、常に緊張が伴った。

 不思議な心地だった。

 この行為について、さとりは現時点で何の利も害も得ていない。それは、古明地さとりがこのようなことを行っているのがばれていないことの証左といえた。そろそろ緊張がほぐれていてもよい気がする。

 しかし、それでも沸き上がってくるのは、何ともいえない、吊り橋めいた昂揚だ。落ち着くのには存外時間がかかる。そわそわと、机の周りを歩き回ってバターの気分を味わうことも、何度会ったことか。

 その心を落ち着かせるために、さとりは筆を取り、無心になって机に向かう。そして気がつけば、新たな紙の束ができている有様。そんな一週間であった。

 今のところ、このようなさとりの奇妙な行動は、ペット達には感づかれてはいない……とさとりは希望的観測気味に思いこんでいる。さとりが書斎にこもって本を読んだり書き物をするのは昔からのことなので、不審には思われていない、はずだった。

 どちらかといえば、妹のこいしの方が懸念材料だが、幸いにも二週間ほど家に帰っていない。

 また、そのこいしに向けても、さとりは対策はとっていた。実は、布石をかねて、さとりはバイオネットで、命蓮寺にこいしについての手紙を送っている。これで、さとりは妹の件で命蓮寺と話を通しておく、というアリバイのような名目が立ったことになる。……よもや、このような形で地上と連絡が取り合う程度の知り合いに巡り会うことになるとは、さとりも思いもよらなかったが。

 実際、バイオネットは、地上の命蓮寺へと連絡を取るのには最適な手段であり、さとりがシステムを利用するようになったもう一つのきっかけであった。さとりが送った手紙の返信を読む限り、命蓮寺の住職は話が分かる人物のようなので、さとりは妹を任せられるという点では安心している。

 ちなみに、こいしが二週間家に帰っていないのは、命蓮寺に軽くホームステイしているのだということが、つい先日の手紙で判明した。姉としては二つの意味で微妙な心境だが、今回ばかりは二つの意味でほっとしていた。

「それにしても……ね」

 さとりが今のところ、バイオネットに匿名公開している『作品』は数点。一週間で、バイオネット上に公開されている情報は結構な数に上っており、さとりのように、作品を公開しているものもちらほらとみられた。自分と同じような発想を持っているものがいたのか、とさとりは驚いたものだ。そして、何故か少しだけ嬉しかった。

 ただ、それらの中で、さとりが公開しているものは、分量という点で突出していた。さとりもその自覚がある。それが、プラスに働いているか、マイナスに働いているかは、今のところわからない。

 まだ、利用者は皆バイオネットに送り出す行為で手いっぱいなのでは、とさとりは漠然と思った。今はまだ、だれもがシステムを受容していく段階には早いかもしれない。

 焦ることはなかった。そもそも発端は暇つぶしだ。ゆっくり待てば良いのだ。

「みんな、どう思うかしらね……嫌われ者の妖怪が、小説を書いているなんて」


 
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