部員が全員帰り、二人きりになった夜八時の部室――着替えを済ませた佐和司は、窓の戸締まりを確認すると、
「おし、じゃー帰るか」
そう言ってカバンを手に取った。
「え?! ちょっ、先輩待って! まだっ……まだあのっ」
それを見て、柏圭吾が慌ててその腕を掴んで引き止める。
「……わかったよ……」
必死な圭吾の顔を見てため息を吐くと、佐和は圭吾と向かい合い、瞳を閉じた。
「さっさとしろよっ」
「もぉー、なんでいつもそうかなぁ。先輩は」
ぶっきらぼうに言い放つ佐和の言葉に、圭吾は不満気にそう呟くが、すぐに唇が降りてきた。
ふわりと一瞬優しく重なった唇はすぐに離れ、一拍置いて再度重なる。
「ん……」
最初のキスがスイッチなのか、二度目は途端に深く重なった。
毎回食べられるのではと思うくらい、圭吾の唇が佐和の唇を覆う。
「っん……っ」
そして閉じている唇を無理矢理割らせて、舌を侵入させてくる。
「っ」
その舌が自分の舌先に触れると、佐和の心臓がドキンと跳ねた。
同時にビクッと躯が引き攣る。
何度経験しても一向に慣れない。
「ん……っ」
圭吾の舌が歯茎や舌の裏側など、口腔内の柔らかい場所に触れる度、全身に震えが走る。
――や、ば……っ
無駄な抵抗だと分かっていても、自分の舌が圭吾に触れないように、つい逃げてしまう。
「んっ、んーっ」
しかし、いつもこの辺りで抵抗を始めるからかもしれない。慌てて身を捩るが、自分より十センチも長身の圭吾が、逃さないようその躯をガッチリ抱きしめていた。
逃げ回っていた舌も吸い上げられ、圭吾の口腔内で絡められて、ゾクゾクする不穏な感覚が躯中を駆け巡る。
「っ!」
圭吾の片手が腰に回り、腰から脇のラインをすっと撫で上げると、誤魔化しようがないくらい躯がビクッと跳ねてしまった。
「せんぱい……。……いい、ですよね……?」
佐和の反応に圭吾はキスを中断すると、耳元に唇を寄せ吐息混じりに囁いた。
「~~~~っ」
その瞬間大きく躯が痺れ、全身の力が抜けそうになった。
「はぁ……。先輩……」
息を飲んですぐに返答出来なかったのをOKと取ったのか、圭吾はそのまま耳たぶを甘噛みしたり、耳裏や首筋にキスを落としていった。
肌に掛かる圭吾の息がどんどん熱く、荒くなっていく。
――やっ……ばいっ
このままでは流されてしまうと、佐和は両足にぐっと力を込め、崩れそうになる躯を必死に支えた。
そして、
「ダッ、メ……だっっ!!」
思いっきり圭吾の躯を押した。
「うっ、わぁ! わっ!」
あまりの勢いに、圭吾は数歩後ろによろけると、ガクンと尻餅をついた。
「はぁ……まだダメですかぁ? もうそろそろ、俺達先に進んでもいいと思うんですけどぉ……」
そのまま圭吾はため息を吐くと、膝を抱え恨めしい顔で佐和を見上げた。
「先って……っ。ぶ、部室でなにする気だよ?! 誰がいつ戻って来るかわかんねーだろ! 何回も言わせるな!」
「でも俺、先輩にもっと触れたいっ」
佐和が怒鳴りつけても、圭吾は唇を尖らせながら訴える。
「も、もう、俺帰るからなっ」
佐和はそんな圭吾を無視して、再びカバンを手に取り圭吾に背を向けた。
「……だって部室でしかイチャつけないじゃん……。先輩ずりぃ……」
「あ?」
独り言のような圭吾の小さな文句に、佐和が不機嫌を全面に出した表情で振り返ると、
「なんでもないです。……帰りましょうか」
圭吾は立ち上がり、取り繕ったような笑顔で佐和の後を追った。
「……おう」
圭吾の言いたいことはわかっている。
一歳年下の後輩と、恋人として「お付き合い」が始まって、約一ヶ月が経った。
しかし、付き合っているとはいっても、夏大会を一ヵ月後に控えたこの時期は、休日返上で毎日練習三昧。当然デートなんてする暇もない。
二人っきりになることなど、一週間に一度回ってくる、戸締まり当番の時くらいしかなかった。
一緒に下校はしているが、圭吾の自転車に二人乗りで、手を繋ぐ事もなければ、そこに甘い空気は含まれない。恋人らしいことは何一つしていない。だからこの時くらいはと、部室でキスをする事は許した。
しかし、その先へ進む覚悟――それはまだ出来ずにいた。
「戸締まりオッケーでーす」
かけた鍵を「野球部」と書いてある表札の裏に隠すと、圭吾は振り向いた。
ついさっきまで不貞腐れていたのに、それは人懐っこい、いつもと変わらない笑顔だった。
その優しい笑みにチクリと胸が痛む。
「……おう、じゃ、帰るぞ」
「はぁーい」
しかし、その痛みに気付かないない振りをして、佐和はいつものように圭吾と並んで歩き出した。
圭吾は初めただ自分に憧れているだけの、ちょっとウザいけれど可愛い後輩だった。
入部当初はさすがに緊張していたのか、会話もままならなかったが、チームに慣れてくるにつれ、圭吾は自分がどんなに佐和に憧れ、慕っているのかをアピールしだした。
特に用もないのに佐和のいる二年の教室に、休み時間毎にやってきたり、突然背後から抱きついてきたりと、どんどん行為がエスカレートしていく圭吾のストーカーっぷりに、辟易した事もある。
佐和はそのお返しにと、自分に従順な事を逆手に取って、わがままを言ったり、無茶苦茶な練習メニューを組んだり、圭吾を散々振り回した。
しかし、それでもいつも圭吾はめげる事無く、むしろ笑顔で佐和の側に居続けた。
佐和に振り回されている圭吾をチームメイトも心配するが、当の本人は全く気にしていなかった。
それどころか、
「先輩がわがまま言うのって俺だけだから、逆にめっちゃ嬉しいです。それに俺、いずれ先輩の女房役になるんで、このくらいの包容力がないと務まらないッス」
と、にこやかに答える始末。
そう言われてしまうと、もう何も言えない。
そもそも少々煩わしい事はあっても、心の底から迷惑だと思ったことはなかった。
当時佐和が組んでいた先輩捕手には、リトルからずっと一緒の投手がいた。その投手の手前、いつもどこか遠慮してしまい、先輩とは本当の「バッテリー」になりきれていなかった。
そこへ突然、自分とバッテリーを組みたい、とやってきた圭吾が、佐和にとってどんなに可愛く見えたことか。どんなに嬉しかった事か。
だからいつの間にか何かにつけ圭吾と組まされ、バッテリーどころか公認カップルのような状態にされてしまっていても、佐和はその状況を受け入れていた。
そんな圭吾なので、一年経ってその関係が先輩後輩を超えて恋人に変わっても、言動は今までとほとんど変わらなかった。
あまりに何も変わらない日常に、うっかりすると付き合っている事自体を忘れてしまうほどだ。
部活中も特別意識することはない。怒鳴ったり、笑い合ったり、躊躇なく足蹴にしたり。
圭吾の事は好きだ。自分のことをまっすぐに好いてくれる圭吾を、離したくない、無くしたくないと思った。
だから、圭吾の告白を受け止めた。
しかし、佐和は居心地のいい、この状況を変えたくなかった。
先に進んでしまう事によって、今のいい関係が変わってしまう――そんな気がして、自分にベタ惚れの圭吾の優しさに甘え、佐和は関係を進めるようとしてくる圭吾をかわし続けていた。
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「BT」の続編(初H編)はツンデレ先輩視点です。続きが気になる方は「ポッチョム’s」でコミティア・J庭に参加してますので、よろしくお願いします♪(現物はR18です) ※ネットで読み見やすいように改行が多くなってます。(表紙は相方;花*丸子)