No.503103 神次元ゲイム ネプテューヌV ~WHITE WING~ (3) 美の欠片2012-11-01 18:23:23 投稿 / 全9ページ 総閲覧数:1305 閲覧ユーザー数:1179 |
第三話――美の欠片。
私達は、立派なお屋敷に住んでいた。
よくは思い出せないが、周辺の地域一帯でも特にでかい建物だったように思う。
近くに住んでいたおじさんや子供達が口々に憧れたような眼差しを向けていたのであれは豪邸といえる規模のでかさはあったのかもしれない。
それも気が遠くなるような遠い昔のことであるため定かではないが。
記憶とは時を重ねるごとに色あせていくように出来ている不思議なモノだ。
だけど、どれだけ時を積み重ねたとしても、永遠に失われないモノたちがあるのもたしかだ。
それは私達が思い出と呼ぶモノに他ならない。では、今日は私の懐かしき思い出の一つに思いをはせてみるとしよう。
まず思い出すのは、パパとママと一緒に、夕食を食べていたときのこと。
その日はご馳走だった。
私の大好きなステーキが、じゅうじゅうと美味しそうな音を立てながらテーブルの上に並べられている。香ばしい匂いに鼻をくすぐられて、ついついよだれがこぼれてしまう。ナイフとフォークで細かく肉を切り分けながら、素早く口に運んでいく。
「リリー。はしたないですよ。ナイフとフォークは音を立ててはいけませんと言ってるでしょう」
「良い事じゃないか。あはは、リリーはよく食べるなあ」
「もう、あなたったら。リリーは女の子なんですから、テーブルマナーとか、もう少し礼儀作法というものを……」
「そうだな。ご飯は落ち着いて食べなさい。喉に詰まらせたら大変だぞ」
「はーい!」
「……あなたって人は。そういうことじゃないですよ」
談笑が巻き起こる。どこにでもあるような温かな団らん。
きっとどこにでもありふれた普通の光景だろうけれど、それはすごく幸せなことなのだろうと信じさせられるものが、そこにはたくさん詰まっていた。
誰かがすぐそばにいて、一緒に話しているだけでも案外楽しいものなのだ。この穏やかな時間が永遠に続くのではないかと信じさせてしまう何かがあるくらいには。
「ねえ。パパ、ママ」
「どうしたの、リリー?」
「なんでも話してごらんなさい」
私――リリーはずっと気になっていた事を聞いてみた。
「どうして、お姉ちゃんはここにいないの?」
パパとママは困ったように微笑みながら、顔を見合わせた。
特に深い理由があったわけではない。今まで口に出しそびれていて、ずっと聞きそびれていた質問であり、興味本位からだった。だけどなかなか言い出せる機会もなくて、こうして会話が弾みやすい雰囲気になっているときだからこそ話題に出せたのだ。
「同じ部屋で、同じテーブルで、同じイスに座っていないの? 家族だったら一緒に……」
パパが口をはさんだ。私の声をさえぎるように。
「お姉ちゃんは、悪い子だからだよ」
「どうしてお姉ちゃんは悪い子なの?」
重い沈黙がパパとママの間に流れる。私はそれすらも気づかずに、
「今、お姉ちゃんはご飯をどこで食べてるの?」
ばんっと、世にも恐ろしい音が突然響きました。
すさまじい衝撃が走り、食器が激しく揺れました。
パパがいきなりテーブルを力強く叩いたからでした。
「――それを疑問に思ってはならない」
そのとき私は気づいた。
パパとママは不気味な表情をしていることに。怒っているのとは違う。仮面を被っているかのように無機的で無表情でした。私にはよく分からない表情だったのはたしかです。
「リリー。君は今、重大なルールを破ろうとしている。ルールを守れない子は悪い子なんだ。それは美しくない。醜い事だ。リリー、君は良い子だよね?」
私は背筋を震わせていた。
パパの言い分は、ルールという名の仮面を被れと強要しているような言い方だった。それを被れば家族の一員であると。ルールさえ守れば、愛も守られるとでもいうふうに。ナイフとフォークで音を立ててはいけないと言われた時とは別次元の重圧が辺りを支配していた。
二つの仮面が私の顔色を、無言でじっと覗きこんでくる。
どうすればいいか分からなくなって、心がざわざわとさざめきたって、とにかくこの怖い状況から早く逃げ出したくて――
「……う、うん。お姉ちゃんは悪い子なんだね」
私は無意識にそう頷いていた。幼い私にはそう答えることしか出来なかった。仮面をつけて彼らの中に紛れ込む以外に、生き残る術は他に残されていなかったのだから。
「そうか、良い子だ。リリーならそう答えてくれると信じていたよ。ねえ、ママ」
「ええ。リリーは本当に良い子だわ。いつまでも美しいままでいてちょうだいね」
パパとママは微笑んでいた。娘が仮面を被ってくれたことを嬉しく思うように。
私はほっとした。いつもの優しいパパとママに戻ってくれたことに。
私は恐ろしかったのだ。パパとママが別の生き物に見えて。
みんなと家族でいるためには、お姉ちゃんのことを家の中で口に出してはいけないと、私は幼いながらも理解したのだった。そのことを口にするということは、みんなを怪物へと変えてしまう魔の囁きなのだと。家族の輪から遠ざけられる行為なのだと。
そうしないためにはどうすればいいか。
答えは明瞭である。ただ、それをいないものと思えばいいのだ。目を塞いで、仮面をつけて姉のことなんて知らない顔をすればいい。難しい事ではない。親の言いつけを守るなんてことは子供にでもきる簡単なことだ。パパとママが間違ったことを言うはずなんてない。だって、私のパパとママなんだから。それ以外に理由を説明する必要があるのだろうか。
「家族の愛は、ここに守られた」
パパは満面の笑みを浮かべていた。さも偉大で素晴らしい事が成し遂げられたかのような口ぶりであった。
愛とはとても美しいモノなのだろう。それが与えられない姉はきっと醜いのだろうと思った。
バーチャフォレスト――郊外
「見つけたわよ! 今回の標的!」
ノワールの気合に満ちた叫びが森林に木霊した。片手剣を前に突き出しながら、挑発的な視線をスライヌの群れに向けている。
その声に気圧されたのか、スライヌの群れがびくりと身を震わせていた。ゼリー状のボディを持つ彼らは身体を震わせることで前進することが出来るのだが、明らかに今の震え方は格上のモノに対する純粋な畏れからであった。
重圧に耐えきれず、一匹のスライヌがノワールへと威勢よく飛びかかった。そいつに釣られるようにして別のスライヌ達も次々と飛びかかっていく。
それがいかに勇敢に映っても格上の相手の前ではただの無謀に他ならない。相手が格上だからこそ陣形を守り、相手が簡単に手だしの出来ぬように守備を固めて攻撃の機会をじっと窺う慎重さが求められる。規律を乱し、隊列を崩した獲物は自然界において格好の獲物だ。
ジャングルの中を武器も持たずに全裸で歩いていることと同義である。
ノワールは身体を傾けることでスライヌ達の突進を悠々と交わし、
「隙だらけよ!」
踊り子のように軽やかな動作で片手剣を叩きこんだ。鋭利な刃がゼリー状のボディをやすやすと切り裂いていく。
仲間が次々にスライスされていくのを見て、出遅れたスライヌ達が怯えている。足を止めて固まっている哀れな獲物めがけてプルルートの魔法がすかさず放たれる。
「ファンシーレイン~」
気の抜けた掛け声と共に、空から無数のぬいぐるみがどこからともなく出現。スライヌの群れのど真ん中に落下。成す術もなく逃げ惑うスライヌ達をことごとく下敷きにしていく。ファンシーさの欠片はどこにもない。
「うわぁ、二人共強いねー」
ネプテューヌが感心したように目を見張る。ノワールが近距離で敵を引きつけておき、後方ではプルルートが魔法を詠唱し、必殺の一撃をぶちかましていく戦法。二人の隙のない連携を目の当たりにして見惚れずにはいられなかった。
「こりゃわたし何もしなくてもいいんじゃないかな。むしろむしろー、何かすると返ってみんなの邪魔になっちゃったりしてねー!」
「こらっ、ネプテューヌ。ぼさっとしてるんじゃないわよ! 後ろ!」
ノワールの叱咤の声が上がった。
「え?」
ふり返ると――
生き残ったスライヌの群れがネプテューヌめがけてまさに突進しようとしていたところであった。
「うわわわわっ!」
この距離では避けられない。慌てて顔を手でかばったとき――
耳をつんざくような轟音が起こった。とんでもない横殴りの暴風が巻き起こり、スライヌの群れを巻き込んだ。かと思った瞬間には、ネプテューヌの目の前でゼリー状のボディが木端微塵に消し飛んだ。
「ネプテューヌ、大丈夫か」
そこにはイヴがいた。右手には巨大な大砲のように細長い筒が握られており、もくもくと煙を立ち昇らせる砲身へふっと息を吹きかけている。
否――それはよく見れば単なる銃だった。その銃は明らかに普通の銃としての規格を遥かに超えた規格外のサイズであった。
四十五口径という馬鹿げた銃を持つ少女――それは何ともおかしく不釣り合いな印象をネプテューヌに抱かせた。銃身には絡み合うバラが彫られており、まるでイバラのお城が何かを封じ込めているような、そんなよく分からない印象を見るモノに抱かせている。
銃のサイズが大きければ当然威力も増すが、身体にかかる反動もその分大きなものとなる。イヴはネプテューヌに対して“大丈夫か”と心配そうな声をかけたが、むしろ彼女の方こそ“大丈夫か”どうか不安になってくる。ましてや彼女の小枝のように細い腕を見れば誰もが思うことだろう。
ふいに、スライヌ達がイヴめがけて飛びかかった。今度ばかりはスライヌも考えていた。草木の茂みに潜むことによって目をくらませる撹乱作戦。あの小さな身体に狙いをつけるのはどんなに優れた漁師であっても困難極まることだ。
「威勢がいいな。格上の相手に対して果敢に立ち向かっていく勇気は称賛に値する。しかし、お前たちは私に触れることすら叶わない」
それでもイヴは落ち着き払った様子で銃を構える。
慌てることなく標的へと狙いを定めて撃った。銃は怪物のような唸りを上げながら、スライヌ達をことごとく吹き飛ばしていく。
ネプテューヌはとんでもない光景を目の当たりにしていた。イヴはただ銃を撃っているだけに過ぎない。彼女は一歩も動いていない――にも関わらず、スライヌ達は近づくことはおろか、触れることすら叶わずに命を散らしていく。
腕の骨が折れ曲がってしまうような反動をものともせず、それどころか自分の手足であるかのように難なく使いこなしているのだ。
それ以上にあのダメ人間丸出しのイヴがここまでの活躍を見せるとは思いもよらず、ネプテューヌは度肝を抜かれていた。ニートを公言してはばからないあのイヴが常人離れした反射神経と反応速度を見せたことに驚きを禁じずにはいられない。
薬莢が転がる音が聞こえたとき、動くモノはどこにも見当たらなかった。
そこにはスライヌの影も形も消え失せていたのだ。
「随分とあっけないが、まあこんなものか」
イヴは退屈そうに言うと、くるくると銃を振り回して背中のホルスターらしき入れ物に銃をしまった。ホルスターというよりかは剣を収納する鞘に見えないこともない。
ノワールが携帯端末を取り出した。ネットワークにアクセスしてさきほどギルドで受注したクエストのページを開く。
「最近、プラネテューヌの農家がスライヌに荒らされて農作物に深刻な被害が出ています。畑を荒らすスライヌの巣はバーチャフォレストにあるようです。どうか、やつらをニ十匹ほど退治してください、だってさ。イヴが最後にやっつけたので丁度ニ十匹目だから目標数は達成したわね」
仕事の終わりと聞いて、プルルートは小さく笑った。
「みんなお疲れ様~。帰ったらおいしいご飯が待ってるよ~」
「あれ? わたし結局何もしてない!? 見ているだけで今日の仕事が終わっちゃったよ!」
「大丈夫だよ~。ねぷちゃんはぁ~、ご飯作ってくれればいいから~」
「ちょっとプルルート。こんなやつにご飯作らせる気なの? 何が出てくるか分かったものじゃないわよ」
顔を真っ青にするノワールに、
「ああ、同感だ。とてもじゃないが、ネプテューヌが台所に立っている姿は想像もつかない」
イヴが真面目くさったように頷いた。
「ちょっとひどいよー! わたしだって料理くらいできるよ! 沸騰したお湯を入れて三分間待てばカップラーメンの出来上がり!」
「ねぷちゃんすご~い!」
「誰にでも出来るわよ。そのくらい!」
「むしろそのくらいの事が出来なかったら逆にすごいぞ」
「むー、そういうイヴこそ何が出来るのさ」
ネプテューヌは頬を膨らませて反論する。
「おや、この私に何が出来るかなどという質問をするか。まさに愚問よ」
腕を組んで自慢気に言い放った。
「――出来る訳なかろう。ニートに何を期待しているんだ。お前は」
「そこ威張るところ!?」
「まあ聞け。話はまだ終わりじゃない。」
くくっと不敵にも笑みを浮かべた。
「人は努力次第でいくらでも伸びるという。努力しようにも人は時間が足りないという。しかし、ニートの最大の武器は時間だ。無限にも等しい刻が残されているのが強みだ。毎日が鍛錬だと言わせてもらおう。血のにじむような修練を積むことで私達はいくらでも強くなれる。だが、所詮ニートとは養われている身に過ぎない。金でしか動かない傭兵と同じように蓄えが必要となる。ところが私はプラネテューヌの教会という後ろ盾によって、その難題を見事クリアしている。これが何を意味しているか、お前には分かるか?」
「はっ、まさか!?」
「ニートとは無限の可能性を秘めた生物。つまりこの世界で史上最強の生命体なのさ!」
えへんとぺったんこの胸を反らした。
「な、なんだってー!?」
「ほぇぇ、イブちゃんってぇ、すごいんだね~」
驚き慌てふためく二人の前で、ノワールはやれやれと肩をすくめた。
「大層なこと言っておきながら、いつも寝てばかりだけど、いつ本気を見せるつもりなの?」
「あ、明日があるさ」
イヴはそっぽを向きながら、ごにょごにょとバツが悪そうに答えた。
そっぽを向いた先で、視界の隅を何かがよぎったのを見逃さなかった。
草むらの奥に何かが蠢いている。
「みんな、気をつけろ。何かがいるぞ」
その場にいた全員に警戒をうながす。
一瞬、それがさっき仕留めそこなったスライヌの生き残りかと思った。
さっと身構えた四人の前に姿を現したのは、人間の――女の子だった。
「ねぷっ!? こっ、子供!?」
ネプテューヌが拍子抜けしたように言った。
バーチャフォレストに生息するモンスターは比較的おとなしく、特別危険があるような種は存在しない。そのためか駆け出しの冒険者が修行の地としてよく利用している。
だが、そうはいってもモンスターはモンスター。危険であることに変わりはない。街中ならいざ知らず、女の子がダンジョンの中を平然と歩いていること自体おかしな話である。
「ちょっと、そこのあなた。ここで何をしているの?」
ノワールの声に、女の子はびくりと肩を震わせた。
足を止めておそるおそると振り返る。
「……」
草むらから出てきた女の子は幼かった。歳は十、十一くらいだろうか。背丈も小さく、腰まで伸びた三つ編みが幼さに拍車をかけていた。
顔はところどころ泣き腫らしたような赤い跡が見える。泣いていたのだろうか。
「ここはあぶないからぁ、入っちゃいけないんだよ~」
「何があったかは知らないけどネプテューヌお姉さん達と一緒に帰ろうね。大人しく言うことを聞いてくれたら、なんとっ、アメちゃんがもれなくついてくるよ!」
優しく諭すようなプルルートとネプテューヌ。だが、女の子は耳を貸すどころかその正反対にキッと目を吊り上げて、
「イヤよっ、わたしは絶対にママのところになんか帰らないんだからね!」
一同を思いきり睨みつけてから、脱兎のごとく走り去ったのだ。
「あっ、こらっ! 待ちなさい!」
ノワールが急いで追いかける。しかし、ノワールよりも一足先に動いたのはイヴであった。
「イヴ!?」
「あっ~、待ってよみんな~!」
「あちゃー、アメちゃんじゃなくてウマイ棒の方がよかったのかなー?」
「あなたも下らないこと言ってないで早くあの二人を追いかけなさい!」
女の子の後を追いかける三人。ところが、森の奥へ行くにつれて段差があったり、木の根っこが三人の行く手を阻んだりと足場が悪くなっていく。それでも女の子とイヴの足は予想以上に素早く、あっという間にバーチャフォレストの奥地へと消えてしまった。
「うわぁ、イヴちゃんとあの女の子はやいね~」
「もう二人とも豆粒みたいになってるよー」
「まずい……このままだとバーチャフォレストの奥地に行く可能性があるわ。スライヌさえも寄り付かないという危険地帯に……!」
「ええっ!? それってまずくね!? かなりまずくね!?」
ネプテューヌが血相を変えた。
「急ぐわよ二人とも!」
ノワールが二人に喝を入れた。
バーチャフォレスト――深部
女の子は走っていた。逃げるために。
最初はママとパパだけから逃げていたはずだった。それなのに今では白い女の人から逃げるために複雑に入り組んだ森の中を駆け回るハメになっていた。
なぜこうなってしまったのだろう。思い返してもきっかけはとても些細なことだったかもしれない。
数年前、家に新たな家族が生まれた。とても可愛らしい妹だった。それは女の子にとって女の遊び友達が増えることを意味しており、ぎゅっと抱きしめてあげたいくらい喜ぶべき出来事だった。これで自分が着れなくなったお古の洋服を捨てずに済むし、遊ばなくなったおもちゃ達も再び日の目を見ることができるのだから。
しかし、妹が家に来てからというものの、女の子には不満ばかりが募ってっいった。
家族は誰もわたしのことを見てくれない。パパもママも妹の方にばかりつきっきりでわたしの方を振り向いてすらくれない。
一緒に遊ぼう――パパとママに呼びかけてみても返ってくる返事はいつも同じだった。今、お前には構ってやれないと。
妹ばかり可愛がられてわたしのことを構ってくれもしなくなった。わたしはいつも部屋の隅っこで、胸の奥に炎を感じていた。それは怒りを薪として日に日に強く燃え盛っていくのだ。
だから、やってやった。パパとママが結婚したとき記念に買ったという思い出のマグカップを、怒りにまかせて床に叩きつけて割ってやった!
パパとママはかんかんになった。三人で言い争いになっていて、わたしは気づけば外に飛び出していた。
家を出て、街を抜け、森の中にいた。
こんな幽霊みたいに気味の悪い森の中で、よく分からない生き物に追い回されたり、知らないお姉さん達に声をかけられたり怖いことだらけだ。
どうしてこんなことになってしまったんだろうという後悔の念が湧いた。わたしがあんなことをしなければ、こんな見たことも聞いたこともない場所に来る必要もなかったのかもしれない。
右も左もわからない。家がどの方角にあるかなんて見当もつかない。
まぶたの奥から熱いものが込み上げてきて、それをぬぐい去ろうと顔を覆いさったとき、足元に何かがぶつかった。とっさのことに身体のバランスを取ることが出来ず、
「きゃっ!!」
女の子は転んだ。痛む足を抱えながら傷を確認する。けがは大したことなさそうだが、ひざをすりむいたらしく生々しい血がどくどくと流れ続けている。
いつの間にか森の奥まで入り込んでいたらしく、辺りは闇夜のように深い暗闇に覆い尽くされており、鬱々と生い茂った森林が一切の陽の光を遮断していたのだ。
だが、ひざの痛みなど今はどうでもよかった。否、ひざの痛みを忘れて見入っていた。
女の子が足を取られたモノ――地面に横たわっているソレは、人間の死体だった。
「な、何よ……これ?」
女の子の目を捕らえて離さないものは、ひざのけがなど比較にならないくらいむごたらしいモノだった。
男か女か判別がつかないくらい全身がボロボロに歪んでおり、わき腹からは赤黒い腸がはみ出ていた。つい最近捨てられたばかりの新鮮な
右腕は食いちぎられたのだろうか。本来そこにあるはずのモノが綺麗さっぱり欠損している。
喉の奥から酸っぱいモノがせり上がってきて、訳も分からず盛大にぶちまけた。
初めてみる人間の死体に、それが何なのかすら女の子にはまるで理解が及ばない。元々が人間であったことすら。
あまりの気味の悪さにがくがくと背筋が震える。今まで経験したことのないような混乱で頭が沸騰しそうなほど加熱し、けたたましい警笛を上げていた。
どうすればいいのかまるで分らない。けれど、とにかくここから離れなければならないとは思った。
「そこまでだ。大人しく観念しろ、小娘よ」
自分を呼ぶ声がして意識が引き戻されていく。顔を上げてみると、白い女の人――イヴが息を吐きながら、女の子を見下ろしていた。
「おい、どうした。気分でも悪いのか? それに血が出ているじゃないか。早くプラネテューヌに帰って治療しなければ……」
そこまで言ったとき、女の子が先ほどまで目にしていたむごたらしい死体を目にして、何かを納得したようにひとしきりうなずいてから顔をしかめる。
「ほら、ここを抜けるぞ。はやく立て。これをネプテューヌ達に見つかるわけにはいかないからな」
そう言って手を差し伸べた。つかまれ、という感じに。
「え……?」
女の子は信じられないような目でイヴの手を見つめていた。まるで天使が自分を救うために空から舞い降りてきたというふうに。奇跡を目の当たりにしたような目だと言ってもいい。
「ほら、ぼけっとしてないで急いで立ちあがれ。この場所に来てから、どうもじっとりとした視線を感じて落ち着かないんだ。おそらく何かが私達を見ている」
「え……何かって何なのよ?」
「獰猛な獣のように荒れ狂った鼻息で、暗闇の向こうから目を光らせている。おそらくそいつは血の臭いをかぎつけてきたんだろう。――新鮮な死の臭いをな。そして、たまたま出向いた先で私達というおまけを見つけたというわけだ。全く、飛んで火にいる夏の虫とはこのことだな」
「で、でも」
「でもも、かかしもない。ここは危険だ。早く立ちあがってこの場から逃げ出すぞ」
「い、一生懸命立ちあがろうと頑張ってるんだけど、あ、足が、すくんで、動かないのよ!」
「なんだと!?」
イヴが困ったような声を上げたときだった。みしりと小枝の折れる音が聞こえた。女の子がひっと悲鳴を漏らす。ぐるるる、と獣のように荒い息遣いまで聞こえてくる。女の子が涙を流しながら、イヴの背後へ恐怖でこわばった表情を向けている。
「う、後ろに、何かがいるわ!」
イヴも異変を察してふり返る――
すると闇の向こう側から、巨大な図体が姿を現した。
猛禽類のように地平線の向こう側を見とおす鋭い双眸。多くの獲物を飲み込んで貯蔵するために肥大化した腹部と、肉を切り裂くことに特化した鋭利そうなかぎ爪。
しかも一頭だけではない。性質が悪い事に、そこにいるのは三頭だった。
「……ガーゴイルか。数が減ったものだと思っていたが、まさかこんな人目もつかない奥地に潜んでいたとはな」
イヴは背中のホルスターから銃を取り出した。
鬱蒼と生い茂る森の中、ガーゴイルの目だけが光り輝いている。
見たものを恐怖に陥れる悪魔のような相貌が薄闇に照らし出される。自分達の巣へと迷いこんだ哀れな子羊達をどう料理してやろうかと楽しげに思考を巡らせているようだ。
「こ、こっちに来る!」
金切り声が上がった。目を覆いたくなるような恐ろしさのあまり、イヴの足にすがりついていた。ガーゴイル達が闇の向こう側から飛びかかってきたのだ。大地を蹴り上げ、強靭な脚力から繰り出されるキックによって素早く距離を詰めてくる。
イヴは銃を構えた。
猟師のように鋭い眼差しで獲物を見据えて、引き金を引いた。
弾丸は闇と風を切り裂きながら、ガーゴイルの右脚をバラバラに引き裂いた。弾丸は急所に達することはなかったが、肉を裂き、ワインのような血を噴き出させた。
ガーゴイルは傷ついた右脚を引きずりながら憤怒の唸り声をあげている。
イヴは舌打ちした。なかなか狙いが定まらない。暗くて視界の悪い森と、相手の素早い身のこなしがこの最悪な状況を作り上げていたのだ。おまけに足には重りがくっついているのだから。
「……無理よ。わ、わたしたちここで死んじゃうんだわ」
「おい、お前。少し黙ってろ」
苛立たしげなイヴの声は、発狂寸前の女の子を黙らせるまでには至らなかった。
そんな二人を嘲笑うようにガーゴイルが遠吠えを上げていた。挑発するかのように大顎を開いては、空を仰ぎ見ている。
「た、たとえわたしの足がまともに動いたとしてもこんな恐ろしい生き物から逃げられるはずがない! あ、あのトカゲのように細長い爪で、お腹を裂かれてばりばりと食べられてしまうのよっ……!」
「黙ってろと言ったはずだ。集中力が乱れる!」
イヴはリボルバーをぶっ放した。うさ晴らしでもするようにありったけの怒りを込め、ガーゴイルめがけて引き金を引いてやったのだ。
それは見事に二匹目のガーゴイルへと命中した。風船のように伸びきったお腹を貫通し、パンっと耳をつんざくような音を響かせながら辺りに血しぶきを散らせていった。
「つ、強い。たった一発であんな化物を……」
女の子は戦慄にとらわれていた。目の前の白い少女に対して。
あんな馬鹿みたいにでかい銃を撃てば身体に走る衝撃は計り知れないはずだ。それにも関わらずケガ一つないだなんて。女の子の素人目にも分かった。それほど異様な光景だったのだ。
この白い女の人が、本当の化物なのではないかと思った。
「まずは一匹か」
ふっと銃口に息を吹きかける。その間も警戒を怠ることなくガーゴイルへと目を光らせている。
「そういえば、お前の名前を聞いてなかったな」
「え? ……な、名前? わ、わたしはリンダよ」
「そうか。私の名前はイヴだ。リンダよ、早速だが一つ約束を交わそう」
「約束?」
「あいつらには指一本触れさせやしない。お前も、私にも。どんなことがあろうともお前を守り抜いて見せよう。その代わり、リンダも私を信じてほしい。これが私との約束だ」
「……え?」
リンダは呆気にとられたような顔をしていたが、
「……うん」
すぐにうなずいた。どちらであれ、この白い少女に自分の運命を委ねる以外に、道は残されていなかった。イヴはそれを満足したように見届けてから前へと向き直る。
残るは二匹――
一匹は右脚もがれているのですぐには動けそうにない。こいつはひとまず無視してもいいだろう。
もう一匹のガーゴイルはぐるぐると唸り声を上げながら、こちらの隙を窺っている。仲間をたった一発で仕留めたことからイヴがただ者ではないと判断したのだろう。憎しみに満ちた眼を向けながらも、怒りに身を任せてすぐに飛びかかるようなことはしなかった。
けれど、この状態が長く続くのは好ましくない。
リンダは明らかに
一体どのような経緯があってこんな場所に行きついたのかは分からないが、民間人である彼女に戦闘能力は皆無だ。こんな光景を見せるのも精神状態によろしくない。一刻も早くこの状況を脱出しなければならない。
イヴも銃を手に構えながら、ただ機会が訪れるのを待った。
重々しい沈黙が森の中で満ちていく――
永遠に続くようなこの静寂を破ろうと、イヴが引き金に力を込めたそのとき、
「てりゃぁぁっ!!」
突如、高い声が響き渡った。
場に張り詰めていた緊迫を一つ残らず吹き飛ばすような声と共に、ネプテューヌが木刀片手で勇ましくもガーゴイルに殴りかかっていったのだ。
さすがのガーゴイルも横からの奇襲を想定していなかったらしく、木刀の攻撃を避けきれずに、ガラ空きの面へと手痛い一撃を叩きこまれてしまう。ネプテューヌはガーゴイルが怯んだ一瞬の隙を逃すことなく、すかさず連撃を繰り返していく。
しかし、それ以上の屈辱をガーゴイルは許さなかった。憤怒に満ちた低い呼気を漏らしながら、木刀に食らいついたのだ。
ぽかんとした表情でイヴは一連のやり取りを傍観していたが、すぐに冷静さを取り戻して、
「おいっ、お前! 早く逃げろっ! そんな木刀でいつまで持ちこたえられると思ってるんだ!」
木刀が折れ曲がり、みしみしと悲鳴を上げている。がちがちと音を立てながら、鮫にも似たガーゴイルの顎がすぐそこまで迫る。それでもネプテューヌは慌てなかった。それどころか余裕たっぷりに笑みを浮かべている。
「大丈夫だよ! わたしには奥の手があるんだから!」
「奥の手だと?」
「ふっふっーん、何を隠そう、わたしはプラネテューヌの女神なんだよ!」
「お前っ、まだそんな冗談を言って――……」
そこでイヴは気づいた。こんな危機的状況下に置かれて冗談を言う余裕など、どこにあるのだろうかと。
「イヴはそこで見てて。今こそわたしが女神だってことを証明してあげる!」
それにネプテューヌの顔は真剣そのものだ。いつものようにふざけている様子は微塵も感じられない。彼女は本気そのものだ。失敗ではなく、成功することを確信しているような笑み。
まさか、ネプテューヌは本当に女神なのだろうか。
「――プロセッサユニット装着!」
高らかに叫んだ。ネプテューヌの脳裏では、すさまじい光が全身から放出されていき、紫色の装甲が現れて、その矮躯を覆う鎧へと変わっていく姿が描かれていたことだろう。しかし――
「……」
「……」
何も起こりやしなかった。出迎えたのはイヴとリンダからの白けきった視線だけだった。
「え? あれ? あれれれれれ? ……な、なんでなんでどーしてーっ!?」
慌てふためくネプテューヌの目の前では、凶暴な唸り声を上げながら、ガーゴイルが木刀を今まさにへし折ろうとしていて――
「いやいやいやいやまってまってまって! こんなはずないから! た、多分あれだよ! 変身ポーズを間違ったんだよ! だからもう一回……――」
絶体絶命かと思われたそのとき――
ガーゴイルの顔が激しい血しぶきを上げながら吹き飛んだ。脳という命令系統を失ったガーゴイルだった身抜けがらは、ぐらりと力なく倒れていった。
ネプテューヌは安堵のあまり胸をなでおろしていた。
銃声が後ろから聞こえていたのを覚えている。
「全く……冷や冷やさせてくれる」
イヴはふうっと肩で息をつきながら、銃口から煙をくもらせていた。
「た、助かったー。ありがとう、イヴ」
「まあ、お前があいつを引き付ける的になってくれたおかげで手間が省けたがな。次からは気をつけろ、ネプテューヌ」
緊張が解けて、ぴりぴりとした場の空気が緩んでいく。だが、まだ終わってはいなかったのだ。
「イ、イヴっ! まだあそこにっ!」
リンダは震えながら指さした。
そのとき、さきほどイヴによって右脚を撃ち抜かれたガーゴイルが、今までのどくさくさに紛れて間近に迫っていたのだ。地面をはって秘かに接近し、イヴの白い喉笛に狙いをつけて飛びかかってきていた。
イヴが気づいてそちらへ銃口を向ける。しかし不幸なことに、
「弾切れだと……?」
イヴは二度目の舌打ちを決めた。
ポケットから新たな弾薬を取り出して装填する。
すぐ目の前にはガーゴイルの鋭い牙が迫っている。
ネプテューヌが慌ててガーゴイルに、折れた木刀を振りかざそうと駆けよっている。
どちらも、とても間に合わない――
「きゃあぁぁっ!!」
リンダは悲鳴を上げながら、頭を抱えてうずくまった。髪の毛にばしゃりと血が降りかかった。おそらくガーゴイルはイヴの喉笛に牙を突き立て、どくどくと血の雨を降らせているのだろう。恐ろしい惨状がそこでは繰り広げられている――はずだった。
「顔を上げろ。リンダ」
声が聞こえた。
「え……?」
「さっき約束しただろう。あいつらには指一本触れさせやしないと。お前も、私にも。どんなことがあろうともお前を守り抜いて見せるとな。もしかして、信じてくれなかったのか?」
それが亡霊の囁きであると言われた方がどれだけ説得力のあるものだっただろう。信じられないような思いでおそるおそると顔を上げてみると、
「――……イヴ!」
そこには白い女の人がいた。
ただし、手に握られているのは銃ではなく、なぜか剣であった。その刀身にはべっとりとガーゴイルの血が付着しており、その足元には真っ二つになった獣の死体が転がっていた。
いつの間に武器を持ち変えたのだろう。だとしたら、イブの手先は手品のような軽やかさがあるのだとリンダは思いこんだ。
いや、違う。イヴは武器を持ち変えていない。あの一瞬でそんな神業を繰り出せるほど時間の余裕は残されていなかったし、そんなことをすればイヴは喉笛を喰いちぎられて間違いなく絶命していたことだろう。
正しくは、銃が剣へと変形することでその姿を変えたのだ。内部に埋められた特殊な機構によって刀身と銃口を自在に現したりできる仕組みである。
その名も
ノワールが素早い身のこなしを生かし、片手剣で切り込んでいく近接型ならば、プルルートは距離を取りつつ、強力な魔法で敵を殲滅していく遠距離型だ。
この二人は正反対にあるが、お互いが協力しあうことによって、欠点を補い合っているのだ。
しかし、イヴはその二つにも当てはまらない。
銃剣という規格外な武器によって戦うことのできる限界――距離というものを失くしてしまっているのだ。近距離も遠距離も、両方こなすことによって。
それがイヴの戦い方だった。
リンダはイヴを見つめてから、次にその手に握られている剣を眺めた。
なんとも美しく、不思議な剣だった。
柄は影を落としたような漆黒に覆われてこそいるものの、刃先に近づけば近づくほど純白になっていき、それを眺めているだけでも心が洗われてゆくような透明感に満たされていくのだ。
イヴとネプテューヌが、リンダを見下ろしている。
「リンダ、お前は何でこんなところに来たんだ?」
「ここは人も寄りつかない、危ない場所なんだよー。分かってる?」
二人の問いかけで、はっと我に返った。
「……わたしね、パパとママと、ケンカしたのよ」
「親子喧嘩か」
「そう、ケンカ。わたしはね、きっと寂しかったんだと思う。妹が生まれてから、パパとママは妹にばかり付きっきりで、昔のように遊んでくれなくもなったし」
「そっかー」ネプテューヌがうなずいた。「でもでも、それって仕方ないんじゃないのかな。わたしにも妹がいたから分かるけど、妹ってまだ小さいんでしょ?」
「うん。まだ言葉を話せるようになったばかりね」
「だよねー。それだと親としてはまだまだ心配というかー、目を離したスキに危ない事になってないか不安というか、常に視界に入れてないと怖いっていうかね。まあ、そんな感じかな?」
「そんなの分かってるわよ! ……そのくらいはっ! わたしだって子供じゃないから!」
リンダは拳を握りしめ、大声で叫んでいた。
「わたしも分かっていた。妹がまだ小さいからパパとママは心配なんだってことくらい。分かっていたわよ。分かっていたはずなのに……それなのに、イライラがどうしても止まらなくて、パパとママの宝物のマグカップを割ってやったの。思いきり床に叩きつけて……それでパパとママと言い合いになって、気づけばわたしは外を飛び出していた」
「今ならまだ大丈夫だよー。謝ればきっと許してくれるって。パパとママも家で心配してるよ」
ネプテューヌの言葉に、リンダはかぶりをふった。
「もう、無理なんだよ」
ぴくり、とイヴが肩を震わせたのをリンダは見逃さなかった。しばらくイヴを見つめていたけれど、口を開こうとする素振りすらなかった。
「だって、わたしはパパとママの宝物を壊したのよ。パパが言ってた。結婚したときの思い出なんだって。カップの中に結婚指輪を隠して……それでプロポーズして、ママを驚かせたんだって。そんな大切で、美しい思い出をわたしは粉々にしたのよ。今さらどんな顔をして帰れって言うのよ……!」
リンダの口からぽつり、と感情が溢れだしていた。
こんな初めて会ったばかりの相手に何を言っているのだろうと心が告げていた。しかし、それでも一度話しだしたら止まらなくなっていた。
「……だからもう手遅れなの。パパとママにとって、本当に大切なのはわたしじゃなくて、妹の方に決まってる。粉々になってしまったカップはもう二度と元通りにはならないのだから……」
それは彼女の嘘偽りない心の声であり、リンダの不安の源泉そのものであった。
剣の不思議な魔力がそうさせたのか、自分が帰れるということへの安堵からか、それともイヴが生きていたという安心感からかは分からない。
引きはじめていた涙が再び流れ出していくのを感じた。
ずっと心の奥に溜まっていた黒い感情が――
リンダは一生懸命に涙をぬぐった。それを見られたくないあまり。
だが、一度流れ出たものは、もう止まらなかった。
「――……わたしなんて、いらない子なんだよ」
そのとき、頬に鋭い痛みが走った。
視界がぐらつき、まぶたの奥から、じんと熱いものが込み上げてくる。
そばではネプテューヌが驚いたように口をぱくぱくとさせている。
イヴが、リンダの頬をひっぱたいたからだ。
「ふざけるなよ……! なにがいらない子だ! 結婚の記念だかなんだか知らないが、床に投げつけたくらいで壊れてしまうカップがなんだ! そんな脆いものなんかより、お前がずっと大切に決まっているだろう! 家族はっ、家族の絆はその程度で壊れてしまうほど脆くはない……っ!」
イヴはリンダの胸ぐらをつかんでいた。
「お、おおお落ち着いてよ、イヴ! 相手は子供なんだよ!」
ネプテューヌは手をばたばたとさせながら止めに入るが、イブの耳には聞こえてないらしく、意味をなしてはいない。
「謝りにくいと言うなら、私が一緒に謝ってやる!」
「え……?」
リンダは呆気にとられていた。ネプテューヌでさえも。
「もし子供を捨てるような親だったら私のところにこい。私がリンダを養ってやる!」
無茶苦茶な言葉だった。
荒っぽくて言葉は男のように粗雑だけど、それでも優しく包み込むような柔らかさがあって、根拠はないのだけれど、全てが上手くいくように思えてきて、なぜか安心してしまうものがあった。
「どんなことがあろうともお前を守り抜いて見せると、約束しただろう」
「うん……ありがとう。ありがとう。わたしも……イヴを信じるわ」
リンダの瞼の奥から涙があふれ出した。今度は涙をぬぐおうとはしなかった。黒い感情が一つ残らず流れていくような、晴れ晴れとした気持ちで流す涙であった。
「あっ、いた! お~い、イヴちゃ~ん、ねぷちゃ~ん!」
「みんな無事!? 怪我はない!?」
プルルートとノワールの声が聞こえてきた。二人が闇の向こう側から手を振っているのが見える。
「あー、遅いよー、二人共ー!」
ネプテューヌが手を振りながら、二人の元へと駆けよっていく。
イヴはリンダの肩を抱きながら、ネプテューヌの背中を目で追いかける。
「何はともあれ……クエスト終了だな」
三人は、光の方へと歩いていった。
神次元界――某所/七賢人会議場
「え、ええと……ほほ、本日もお集まりいただき、えと、ありがとうございます……それで、その……」
蚊の鳴くような声だった。女の声は広いホールへと響くどころか、むしろホールの暗がりへと溶け込んでいく。
年齢は二十後半といったところだろうか。黒ぶちの眼鏡のせいで老けて見える。元々そこまで若くは見えないが、その顔は部屋の隅っこで身を縮こませている飼い猫そのものである。
彼女の名前はレイ――さきほどクロワールと話していた人物と同一人物であり、また七賢人の代表を務める――キセイ・ジョウ・レイとしての顔も持っている彼女だが、その長たる彼女は、自分の部下であるメンバーを前にして、なぜかひどく青ざめた顔でびくびくと周囲に怯えた視線をはわせていた。
ホールには七つの席が用意されており、彼女を含めた計七人が――いや、一つは空席があったが、それぞれの自席で偉そうにふんぞりかえっている。
レイのように始終ビクビクとしていれば、退屈そうだったり、早く帰りたそうにイライラしていたり、様々な顔ぶれがそこには揃っていた。
「ええい! まるで聞こえん! もっとでかい声でしゃべれんのか、貴様は!?」
怪獣の罵声がホールを揺らさんばかりに響き渡る。
突然の大声にレイは身をすくませた。
それはコピリーエースだった。
罵声を上げた本人も怪獣そのもののような姿をしており、頭脳派ぞろいの七賢人の中で、唯一の力自慢担当である。
「ひっ! ごご、ごめんなさい! ううう。すう、はあ……しょ、しょれでは! 本日の七賢人の会合を始めたいと思いまひゅ!」
「気持ち悪い声を出すな!」
女が机に肘をつきながら、心底気分を悪くしたように言った。
女の名前はマジェコンヌ。
紫色を基調とした露出度の高い服に身を包んでおり、見る者には魔女のように印象を抱かせることだろう。その顔つきは悪い魔女のようにいかにも意地が悪そうで、邪悪に歪み切っていた。
「おまけに噛みまくりっちゅ……年増がドジッ娘アピールしたって、痛々しいだけっちゅ」
辛辣な言葉をずけずけと言っているのは、ワレチューといった。
語尾の通り、その姿は灰色の体毛に身を包んだ毛むくじゃらのネズミである。
一応オスらしい。
「と、年増って……そりゃ、そんなに若くはないですけど……あうぅ……」
これみよがしに自分を罵ってくる部下たちに、レイはついに下を向いて口ごもってしまった。
七賢人とは、七人のトップがいることからその名で呼ばれている組織である。
正しい規制を敷く事で、女神の統治を必要としない国造りを提唱している、反女神の団体だ。
元々、レイの提唱した考えに集い、賛同してくれた七人のはずだが、まるで自分の言う事に耳を貸そうとはしてくれなかった。それどころか会議があって顔を突き合わせるたびに、このように口汚く罵られてばかりいる。自分を除いた他六人の忠誠はおろか、協調性は皆無だと言ってもいい。
「はいはい、そーこーまーで。あんまりレイちゃんをいじめちゃ可哀想よお」
サイボーグのような装甲に身を包んだ男が、荒れた場を静まらせるべく手を叩いた。
サイボーグ男の名前はアノネデスといい、七賢人きっての頭脳派である。声だけ聞けば男のように低いのだが、口調は乙女のそれである。
すでにお気づきの方もいるだろうが、ようするに彼はオカマなのだ。
「早う始めてくれんかのう。わしはこれでも忙しいんじゃ。立場上、頻繁に本業を抜けだすのも美味しくないしのう」
中年の男がわずらわしそうにため息をついた。
見た目は悪人面と白髪と老眼鏡が特徴的な、いい年こいたおっさんだが、最年長であるためか七賢人のまとめ役に回るのが多い。
「今日は誰の招集なんだ? この私がわざわざ足を運んでやったんだ。くだらない話だったら容赦せんぞ」
睨みを利かせるマジェコンヌに、レイがびくびくと片手を上げる。
「あ、あのぉ……今日は私が、招集をかけまして……」
「貴様が招集だとぅ!?」
ばんっ――と、コピリーエースが今にも壊れかねないくらいの力をこめて机を叩いた。
「ひいいっ!? ごご、ごめんなさい! 生意気なことしてしまって、ごめんなさいぃ……」
「やめんか。いちいち脅かしとったら話が進まん」
中年の男が疲れきったような声でそれをたしなめる。
「でも珍しいわねえ、レイちゃんがアタシ達を呼び出すなんて、よっぽどのことがあったの?」
アノネデスが言った。不平不満ばかりが充満する会議場で、彼だけが妙に落ち着いていた。
「は、はい。そうなんです。でもまだ確定情報というわけではなくて、裏を取る時間もなかったんですけど、それでも信憑性はそれなりに高いといいますか……」
「前置きが長い。さっさと言え!」
あまりにレイがしまらないものだから、マジェコンヌが貧乏ゆすりを始めてしまった。
「はははいっ! じ、実はですね。プラネテューヌに、また新たに女神が誕生しまして!」
「何だと……本当だろうな?」
「……というか、来たというか……来たかもしれない……ような……そんな気がしたりしまして……」
「はっきりしろ! はっきり!」
コピリーエースが怒鳴った。
「しました! プ、プラネテューヌに新たな女神が誕生しました!」
「ふうむ……にわかには信じられんが、事実だとしたら、たしかに一大事じゃのう」
中年の男が難しそうに唸りながら眉をしかめる。
今でこそまとまりがない連中ばかりだが、女神という存在に疑問を抱いていることは皆同じだ。
現在、プラネテューヌの女神はプルルートと呼ばれる小娘が一人。彼らの知り得る限りの情報であれば、始終ぼんやりとしていてとても隙だらけであるため、女神といえども潰すには容易い相手であるということ。北の大国ルウィーをじっくりと料理してから取りかかっても問題はないだろうという認識であったが、そこにもう一人の女神が現れたとなれば、発展途上であるプラネテューヌに急激な変化をもたらす危険性がある。
最悪、新たな国家の誕生をみすみす許す事になりかねない。
「プラネテューヌに、か……おい、どう思う?」
マジェコンヌが、コピリーエースを見やった。
「あんな吹けば飛ぶような新生国家に二人目の女神だとう! そんな与太話、信じられるか!?」
コピリーエースがレイに不満をぶつける。
「そそ、そんなこと言われましても、本当なんですぅ……多分……」
へなへなと身体を小さくするレイに、ワレチューが言った。
「でもそんな情報、どこから仕入れたっちゅか?」
「そ、それは……ええと」
「アタシのネットワークには、そんな情報引っかかってないわねえ……」アノネデスが困惑するように腕を組んだ。「言っちゃなんだけど、この手のことでアタシがレイちゃんに後れをとるとは思えないんだけど?」
彼はすご腕のハッカーであり、全世界の情報を己の手足のように手繰り寄せることに長けている。だから自分を差し置いて情報を手にする事が出来るものなどまずいないというプライドがあった。だからこそレイしか知り得ぬこの情報を信じられぬのだろう。
「そ、それはですね。ええと、色々深い事情があったりなかったりで……」
マジェコンヌがじろりとした目つきでレイを睨む。
「もう一度言うが――もしこの私を担ごうとしているなら、それなりの覚悟はしてもらうぞ?」
「めめ滅そうもない! そんな大それたこと、私にできるわけないじゃないですか!」
アノネデスが胸の中のもやもやを吐きだすような深いためいきをつく。
「ま、なんにせよ事実確認よね。……本当だったら、ショックだけど。このアタシが情報に関して誰かに出し抜かれるだなんて」
「は、はあ……すみません」
「事実確認といっても、どうやって調べるっちゅ? こんな胡散臭い話を調べるの、おいらはごめんっちゅよ」
ワレチューはめんどくさそうに言った。それはワレチューだけでなく、ここにいる誰もが同じ事を思っているようで、中年の男さえも難しそうに眉を眉間に寄せている。
「いや、こういうのは適任がおるじゃろうが……ん?」中年の男が老眼鏡の向こうにある眼を光らせる。この会議場のただ一つの空席を見つめながら。「そういや、今日は来ておらんのか? あの口やかましい小娘は」
マジェコンヌが答えた。
「いない方がせいせいするがな。あのキンキンうるさい不愉快な声は耳障りだ」
「マ、マジェコンヌさん。そ、そのことなんですけど……実は、彼女には会議の前に、このことを話してしまいまして……そうしたら、止めるのも聞かずに飛び出して行ってしまって……」
「はん! 相変わらず落ち着きのないガキだ!」
「ま、それなら話は早いわねえ。後のことは、あの子が戻ってきてから考えましょう」
アノネデスが安堵したようにうなずくのに対し、マジェコンヌは顔をしかめている。それは独断行動をとったメンバーに対するいら立ちではない。
「しばらく待機、か。時間の無駄にならなければいいがな」
「やれやれ。わしはさっさと仕事に戻りたいんじゃがなあ……」
中年の男がうんざりしたように腕時計を眺める。
「おいっ! 俺様は腹が減ったぞ! 何か出せ!」
コピリーエースがだだっ子のように机を叩きだした。
「こう言うのは呼びつけた奴が用意するものっちゅよ。さあ、早くするっちゅ」
ワレチューが同調する。七賢人の代表に対する尊厳は欠片も見当たらない。
「え? で、でも……」レイ――困り果てたようにぼそぼそと。「みなさんが招集をかけたときは何も出してくれない……」
「聞こえんなあ! まさか文句でもあるのか!?」
「ありません! す、すぐにご用意いたします!」
レイが悲鳴を上げながら逃げるように駆けていった。
プラネテューヌ――市街地
あのクエストを終えてから三日後のこと。
リンダは家族にこっぴどく怒られた。カップを壊したことではなく、家族に心配をかけたことを重点的に怒られたらしい。父と母も相変わらず言葉が喋れない妹にかかりっきりだったが、前よりもリンダのことを見てくれるようになったのだとか。そして、リンダの方も妹と一緒に遊んだりするようになったらしい。彼女にとってあの事件は最悪のモノだったが、大きな一歩を踏み出せる契機ともなったし、イヴとリンダはお互いに外で顔をつきあわせるくらい仲が良くなっていた。
イヴは決して人付き合いが上手い方ではない。どちらかと言えば下手な部類に入る。全く見ず知らずの人間には顔も合わせようとすらしないし、まず話しかけようとすら思わない。
あのときは無我夢中だったのもある。それ以上に、人が自分の目の前で死ぬところをみすみす見届けるのも胸がむかつく話だし、その後味の悪さと言えば筆舌に尽くし難いものだ。
朝焼けの空が西に昇ってからしばらく、イヴとリンダはプラネテューヌの市街地を仲良く肩を並べて歩いていた。周りには学生服に身を包んだ子供達がおしゃべりしながら歩いている。リンダも学生服を着ている一人であり、通学路を歩いている学生の一人であった。
隣にいるイヴは、さながら送り迎えに付き合う世話焼きのお姉さんといったところだろうか。なんとも中睦まじい光景である。
「ありがとう、イヴ。わたし……あなたのおかげで仲直りができたわ」
リンダが頬を染め、目を泳がせながら言った。太陽のまぶしさに目を細めているのか、それとも気恥かしさにイヴを直視できないのか定かではなかったが。
「いや、私は何もしてないよ。私がいなかったとしても、リンダなら仲直り出来たはずさ」
「ううん。そんなことない。イヴがいてくれたから勇気を出せたんだよ。それにもしイヴと出会わなかったら、わたしあそこで死んでた。今頃モンスター達に食べられて……」
そのときのことを思い出したのか、リンダの顔色が恐怖で青ざめていく。
「大丈夫か?」
イヴは心配そうにリンダの肩を支えた。
「うん……」
イヴに支えられながらも小さくうなずいてみせた。ありがとう、そうしてもらうことでわたしは何度でも立ち上がれるんだよ、というふうに微笑んでみせた。
「思い出すだけでも身体が震えちゃうけれど、悪い事ばかりじゃなかったと思う。イヴともこうして仲良くなれたし、家族に
瞬間、頭痛が襲いかかった。
――アイシテ……アイシテほしいの……。
脳裡に声が響くたびに、胸が焼けるような痛みが走る。
「……そうか」
そう答えるだけで精一杯だった。
視界がぐらつき、嘔吐感が喉の奥からせり上がってくる。
気力だけでなんとか平常心を装う。
幸いにもリンダには、イヴの異変を悟られることはなかった。ほっとする。
「あの人は――モンスターにやられたのかな?」
リンダが視線を下に落としながら聞いた。遠慮がちに。
あの人とは、森の中で見つかった死体のことを言っているのだと思った。
「ああ、そうだ。気の毒な話だが……」
「あの人にも、家族っていたのかな?」
「プラネテューヌの調査隊が身元の判明に尽力を尽くしている。その結果待ちだ」
「……そっか」
しばし沈黙が続いた。気まずい沈黙というよりかは、見ず知らずの人へささやかな黙祷をささげているような、そんな静かな空白に近い。
子供たちがはしゃぎまわっている。昨日の惨劇が――人一人の命が失われたという事件が嘘だと思ってしまうような当たり前の日常がそこでは繰り広げられていた。
おもむろにリンダが口を開いた。
「ねえ、イヴにも家族っていたの?」
「そんなことを聞いてどうする?」
「何となく知りたいなって思って」
「……父と母と、多分、姉がいた。それだけだ。それより、時間は大丈夫なのか? 何やらお前と同じ服をしたやつらが慌てて走っているが」
「ああっ、いけない! もうこんな時間だわ! イヴ、ごめんなさい。また後でね!」
「ああ、またな」
リンダの背中が完全に消えてしまうまで手を振り続けていた。
やがて、リンダが視界からいなくってから背を向けて、元来た道を引き返した。
プラネテューヌの教会への道を歩きながら、イヴは物思いにふけった。
バーチャフォレストで見つけたあの死体――死因はモンスターによるものではないと感じていた。素人目だが、あれは一度別の場所で殺されてからあそこに放置されたのだと推測していた。モンスターの餌とすることで、殺人という証拠を隠滅するために。
それを確かめるのは調査団の仕事だ。
ネプテューヌも死体には気づいてはいない。リンダがあそこで転ばない限り、イヴでさえも暗過ぎて気づかなかったほどである。ノワールとプルルートにも気づかれぬ前にあの場を離れた。
知っているのはプラネテューヌの調査団と、イヴを含めた一部の人間だけである。そうなるようにしたのもイヴの手回しによるものだった。
「何であれ情報を待つしかないか。……それにしてもあいつは出かけたっきり二日も帰ってこない……どこで道草を食っているんだか」
そのときイヴの顔が強張った。
人混みの中に、見覚えのある姿を認めたのだ。
そこには幼女がいた。金色の髪には大きなリボンがつけられていて、目を引くような派手派手しいピンクのドレスで恥ずかしげもなく、むしろ堂々と見せつけるようにして往来を歩いている。
「げっ、あいつは七賢人の……これから忙しくなるってときに面倒なやつがきたもんだ」
何となく悪い想像が浮かんで後をつけてると、そいつはプラネテューヌの教会へと入っていった。
「悪い予感的中ってか……ったく」
教会の外壁にはりつきながら、イブは重々しいため息をついた。
しばし、あごに手を当てて、うーんと唸り声を上げてから、
「非常に心苦しい事だが、私には何もしてやれなさそうだ。せめて三人の武運を外から祈らせてもらおう」
棒読みでそう言った。イヴは迷うことなく三人を生け
プラネテューヌ――教会
「七賢人とは、七人のトップがいることから、その名で呼ばれている謎の組織よ」
ノワールが言った。ネプテューヌに教え聞かせるように。
「彼らは、正しい規制を敷くことで、女神の統治を必要としない国造りを提唱しているわ。当然、そんな信条を掲げているんだから、女神の存在そのものにも否定的で、プルルートも、プラネテューヌの国を作ってから、何回も嫌がらせを受けているわ」
「ふむふむ」
「おそらく、十年ほど前から活動を開始したと思われるけど、その辺りの情報も曖昧で、とにかく秘密が多い……そもそもトップの七人からして、存在が公になっているのは一人だけだし――裏では犯罪めいたことに手を染めてるって噂もあるけど、確たる証拠は一つもなし。さっき言った、ルウィーと繋がってるかもっていうのも、イヴが言ってた人攫いの話も、あくまでそんな噂の一つね。でも、その思想に賛同する一般人はかなりの数に上るとも言われているわ。だから、簡単に100%の悪と断定することもできないのよ。……どう? 簡単にまとめてみたつもりだけど、今度こそちゃんと分かったわよね?」
ノワールが試すような視線をネプテューヌに送った。
「はー、しちけんじん……つまりそいつらが、今回の悪役ってことでいいんだね?」
「……本当に理解したの? ちゃんと人の話聞いてた?」
「あ、なにその疑いの眼差し。ちゃんと聞いていたってばー!」
「じゃあ、私が言ったこと、簡単に説明してみて」
「お、わたしを試すつもりだね? いーよ、その挑戦、受けて立った!」
ネプテューヌがふふんと得意顔を浮かべながら立ちあがった。
「えっと……そのしちけんじんってのは、女神が国を治めるのに反対で、あーだこーだ文句つけてきてるんだよね?」
「ええ、そこまでは合ってるわ」
「結論、しちけんじんは悪いやつら。証明完了!」
「はしょり過ぎよ! そんな単純な話じゃなくて……やっぱり、途中から全然聞いてなかったのね?」
ノワールの気の抜けたような声に、
「あれ~? ねぷちゃんの言ってたこと、おかしかった~?」
プルルートが小首をかしげる。
「プルルート、もしかしてあなたも分かってないの?」
ノワールが勢いよく身を乗り出した。
「ん~……しちけんじんってぇ、いっつもいじわる言ってくる女の子だよねぇ? あたし、あの子苦手~……」
「あなたまで、その程度の理解だったとはね。……ああ、こういうのを徒労っていうのね。うん、もういいわ。すっごく疲れた……」
ノワールはがっくりとうなだれた。
「ああっ、ぷるるん! ノワールが今、わたし達のこと見捨てたよ!」
「見捨てないで~、ノワールちゃん~」
「あー、うるさいうるさい。後でネプペディアでも見て、自分で復習しなさい」
「うう、ノワールが冷たい……もー、ノワールの説明って、いまいち回りくどくて、分かりづらいんだよ」
「そぉだそぉだ~」
「単純に悪いやつーって決めつけちゃえば簡単なのに……えっとー、なんだっけ? けんちんじる?」
「けんちんじるは悪いやつらだぁ~」
「七賢人でしょ! なんで名前まで忘れてるのよ!」
ノワールが疲れを通り越して怒りを感じるようになったときだった。
「――ガラッ!」
そんなふざけた声と共に、教会の扉が開かれたのは。
「……見つけたわ!」
突然の来訪者が言った。じろじろと教会内をにらみつけるようにして、塵一つ見逃すまい、というように油断のない目つきを周囲に張り巡らせている。
「ねぷっ? 誰? 誰か来たよ?」
ネプテューヌが二人を見つめながら聞いた。そこには大きなリボンと金髪の女の子がいた。ただでさえ目立つ外見なのに、派手派手しいピンクのドレスがそれに拍車をかけていた。
「げっ、噂をすれば……」
ノワールが呻くような声を漏らした。
「いじわるな人だぁ~!」
プルルートも露骨なまでに嫌そうな顔になる。
噂?
いじわるな人?
まさか、この女の子が、けんちんじる!?
ネプテューヌにはまるで何者かは分からないが、友好的ではないことは誰が見ても一目瞭然であった。
「ふうん。あなたがそうなのね」
いつの間にやら、金髪ドレスの子が、ネプテューヌの足元にまで近づいていた。
「な、なになに、この子? つま先から頭のてっぺんまで、舐めまわすように見られてるんですけど!」
「あら? 目的はネプテューヌなのかしら? それなら、ごめん。私、あんまり関わりたくないから」
ノワールが我先にと離れていく。
「わたしもぉ~……ごめんねぇ、ねぷちゃん~……」
最後の頼みの綱であったプルルートすらも抜き足忍び足で離れていく。
「ああっ! 二人がフェードアウトしていく! 待って、見捨てないでー!」
取り残されたネプテューヌに、金髪ドレスの子はねっとりとした視線を向けている。いやらしさはないが、見られていて良い気分がしないのには変わりない。何だか胸のあたりを重点的に見られているのは気のせいだろうか……。
「ふむふむ……外見的に少女と言えないこともないけど……でも、身体が未発達だわ! あなたは幼女! 幼女認定よ!」
鼻息を荒くしながらびしっとネプテューヌを指差した。
「ねぷっ!? 自分よりもちっちゃい子に幼女認定された!?」
「まったく……こんな年端もいかない幼女を女神として働かせるなんて……非道だわ! 鬼畜だわ! 無法国家だわ! 許すまじ、プラネテューヌ!!」
「今度は勝手に怒りだしたし……もー、なんなの! なんで見ず知らずの幼女から、幼女幼女連呼されなきゃいけないの!?」
「な、なんですって!? ワタシのどこが幼女なのよ! 幼女って言う方が幼女なんだからね!」
金髪の少女は、きっと目をつり上げ、わなわなと怒りに肩を震わせた。
「それならやっぱり幼女だよねー! 先に幼女って言ったのそっちだもん!」
「また幼女って言った! 一度ならず二度までも……許せない! きーっ!」
猫のように全身の毛を逆立てながら、飛びかかってきた。
「お、やる気? ケンカだったら負けないんだからね!」
ネプテューヌが身構える。
向かってくる金髪の女の子の頬をひっかいてやった!
「うあぁーん! ぶったー! 幼女がぶったー! うあぁぁーん!」
最初の威勢の良さはどこにいったのやら、顔をぐしゃぐしゃにして涙をぼろぼろとこぼしている。たったの一発でこのありさまである。
「ふっふーん。まるで相手になんないね。幼女がわたしに勝負を挑もうなんて百年早いよ!」
「うぁーん! また幼女って言ったー!」
「うわぁ~、ねぷちゃん強いね~……」
プルルートが目を丸くして、ネプテューヌを尊敬の眼差しで見つめている。
「っていうより、相手が弱かったんじゃない? でも、なるほど。小理屈に付き合わずに、物理的に攻めれるって手もあったわよね」ノワールが苦笑を浮かべる。「……まあ、私には真似できないけど」
金髪の幼女が泣き喚いた。
「ぐすっ……信じられない! 幼女に手を上げるなんて国際法違反なんだからね! 絶対許さないんだからー!」
「あ、今自分で幼女って認めたー!」
ネプテューヌが言うと、金髪の幼女はすかさずあたふたと慌てだし、
「あ……ち、ちがっ。今のは……」
「やーい! やっぱり幼女だ。ようじょようじょー!」
「う、う……うわあああああああん!!」
最早、子供のような言い争いで泣きだすこの体たらく。七賢人であるかどうかすら疑わしいものである。
「……ねぷちゃん、言い過ぎだよぉ~」
「大人気ないわね。子供相手に……」
プルルートとノワールが、咎めるように言った。
二人のネプテューヌを見る視線は、明らかにやりすぎだと告げていた。
「あれ? わたしが責められてる? そんな、わたしは二人に見捨てられたから仕方なく……」
「ねぇねぇ、いい子だから泣き止んで~」
プルルートが金髪幼女の頭を優しくなでる。
「あ、血がにじんでるわよ。ネプテューヌに引っかかれたのね。かわいそうに」
ノワールが傷薬とバンソウコウを取り出した。
「ええー……? なにこの疎外感……」
ネプテューヌとしては全て自己防衛のつもりでやった事なのだが、なぜ自分が悪者扱いされているのだろうか。
しかし、金髪の幼女は子供扱いされるのが気に障ったのか、
「うくっ、ぐす……さわんないで! 敵の施しは受けないわ!」
差し伸べられたプルルートの手を、ばしんっとはねのけた。
「あいたぁ~!」
「あ、こら。せっかく人が手当てしてあげようと……」
「うるさいうるさい! ふん、ついに本性を現したわね。プラネテューヌは! 幼女を女神として働かせるだけでもアウトなのに追い詰められたら暴力をふるうなんて最低だわ! 幼年幼女に悪影響を与えるわ!」
きっと三人に鋭い視線を向けた。泣いたり怒ったりと、忙しい幼女である。
「あたし、幼女じゃないのに~……」
プルルートが自分の胸に手を当てる。やはりそこにはネプテューヌと同じく、寂しい平地が広がっていた。この中で幼女認定を唯一受けていないのはノワールだけである。あのイヴですらもこの金髪幼女からしてみれば幼女なのだとか。やはり判断基準は胸らしい。
「まったく、毎度毎度いいがかりをつけてきて大騒ぎして……」
ノワールが呆れた声を出す。
「黙りなさい! ワタシは世界中の幼年幼女を守るために活動してるんだから! だからワタシは正義なの! ワタシに逆らうやつは、みんな異常性嗜好者なの!」
「そんな無茶苦茶な……先に手を出してきたのはそっちだよ」
ネプテューヌが疲れたような声を出した。筋の通っていない暴論をでっち上げる相手に、さすがの彼女でさえも言いように翻弄されっぱなしだ。
「それにしてもあいつの情報は正しかったみたいね。まさか、このワタシと互角に戦えるだなんて……」
「互角どころか、あなた泣かされてたじゃない」
ノワールが言った。
「ねぷちゃんの圧勝だったよねぇ?」
プルルートもうなずく。
「だからうるさいってば!」
こほん、と息をつく金髪の幼女。ここからが本題だというふうに。むしろ今まで伏せていた切り札をさらけだすように隠しきれない笑みをたたえながら。
「もう調べはついているのよ。あなたがこの国の――……プラネテューヌの新しい女神だってことはね!」
びしり、とネプテューヌを指さした。
「おお? 見ず知らずの幼女にまでわたしのことが知れ渡ってる? いやー、参ったなー。あんまり有名になり過ぎるとプライベートが……カリスマがあり過ぎるのも困りものだなー」
金髪の幼女の期待していた反応とは裏腹に、ネプテューヌは照れ臭そうにはにかんでいる。
「この子、女神じゃないわよ」
あっさりと言うノワールに、
「……え?」
金髪の幼女がぽかんとなった。
「だよね~。ねぷちゃん、変身できないし~」
プルルートが小さく笑った。
「……え? え?」
「ちょ、二人共ー。そんなぶっちゃけなくても。せっかく女神って思い込んでるのに。子供の夢を壊すようなこと言っちゃ……」
「女神じゃ、ない……? じゃあ、どうしてワタシが負けたのよ!?」
金髪の幼女の顔が信じられないとばかりに歪められた。
「弱いからじゃない?」
「弱いからかなぁ~?」
「スライヌより弱かったねー!」
口をそろえていう三人。
金髪の幼女は返せる言葉も尽きたのか、ただただ身体を震わせて、
「……――あ、ああ、あなた! 名前は!?」
「わたし? ネプテューヌだけど」
「ネプテューヌね。その名前、絶対に忘れないんだから! 今日のことはじっくり七賢人の会議にかけさせてもらうわ。アタシ達が本気になったらこんな国あっという間に規制でがんじがらめよ! 覚悟しておきなさい!」
きーっと歯をむき出しにして、一気に言いたいことをまくし立てて、身を翻していった。
「あ、待った、人の名前だけ聞いて、自分は名乗らないってのはどーかと思うよ!」
今度はネプテューヌが指をさした。
「……ふふん。いいわ。特別におしえてあげる」
金髪の幼女は、ぴたりと足を止めてふり返る。
「ワタシは七賢人の一人! 七賢人のアイドルにして広報担当――」
誇らしげに胸を張り、高らかに言い放った。
「アブネスちゃんよ!」
それで満足したように再び背を向けると、教会から出ていった。
張り詰めた雰囲気が解かれ、いつも騒がしいはずである教会に、嵐の後のような静けさがなぜか満ちていた。それだけあの金髪の幼女が、ある意味でとんでもない存在だったのだろうと思い知らされる余韻である。
「行っちゃった」ネプテューヌがふうっと息をついた。「でもさ、あんなに弱っちいロリっ子が、しちけんじんだなんて……もしかしてー、しちけんじんって、大したことない?」
「ま、あの子の戦闘力に関してはそうみたいね」ノワールが黒髪をはらった。「アイドルとか言ってたし。他の六人がどうだかは分からないけど」
「ねぷちゃんがいてくれて助かったよぉ~」プルルートが安堵したような笑みを浮かべる。「いつもはあの子、あたしにいじわるなことばっかり言ってくるからぁ~」
ノワールがうんうんとうなずく。
「まあ、バカには小難しい話は通じないし。まさに、バカとハサミは使いようってやつね」
「えへへー、それ程でもー……って、ノワール、それ褒めてる?」
「褒めてるわよ。今日の仕返しに、またうるさいこと言ってくるかもしれないけど、その時はよろしくね、ネプテューヌ」
「よろしくね~、ねぷちゃん~」
「う、うん……頼られるのは嬉しいけど、なんか体よく利用されてるような……」
ネプテューヌは喜んでいいのか、よく分からない苦し紛れの笑みを浮かべていた。
「ただいま。何か分からないが、大変だったようだな」
その後、イヴが何食わぬ顔で教会に戻ってきたのだとか。
神次元界――某所/七賢人会議場
「え……? ほほ、本当ですか? それは……」
レイが驚きに目を見張った。
「本当よ! 全然女神じゃなくって、ただのバカ幼女よ! バカ幼女! とんだムダ足だったわ!」
目の前では金髪の幼女――アブネスが怒鳴り散らしている。彼女の言っている事はまるで意味を成していないが、彼女の激しい剣幕から大体の意味を察したのだろう。
アノネデスが言った。
「やっぱり娯情報だったのねえ。まあ今回に限っては、間違いでよかったんじゃないかしら」
中年の男が、うむと頷いた。老眼鏡の向こう側にある目も安心したように緩んでいる。
「そうじゃなあ。本当に女神が増えとったら、何かと面倒だったしのう」
「しかし、だ……適当な話で俺様たちを振り回したおとしまえはどうつけるつもりだ!? ああっ!!」
コピリーエースが自慢の巨体を激しく揺らしながら、この会議場を壊さんばかりに暴れ出した。
「ひいぃっ!? あのあの、決して故意ではなく、私は良かれと思って、そ、そんなつもりじゃ……」
「そんなつもりではなくても、結果的にはそうだっただろうが!」
「ワタシなんかわざわざ出向いて、大恥かかされて……あー! 思い出してもムカつくわ!」
そのときのことを思い出したのか、いまいましそうにアブネスが顔をしかめる。
「ま、おいらは最初っから信じていなかったっちゅけどね」
事も無げに言うワレチュー。こちらは何の期待もなく冷めた様子で。
「あああの、どうかお許しを……みなさん、怒りをお静めになって……」
おたおたと慌てふためくレイ。リーダーとしてなんとか荒れている場を落ち着けようとするが、それが逆にコピリーエースの気に障ったらしく、
「いいや、絶対に許さん! 謝罪と賠償を要求する!! 訴訟も辞さない!!」
「そ、そんなあ……!」
へなへなとレイが小さく縮こまる。
「まあまあ。レイちゃんのドジは今に始まったことじゃないでしょ。それくらいにしといてあげなさいな」
肩をすくめながら、アノネデスが助け舟を出す。
「ううう、どこで間違ったんだろう……」
レイとしては七賢人として、それ以上にそのリーダーとして頑張ったつもりなのだが、逆にメンバーの気分を損ねる結果となってしまった。
女神に規制をしこうと活動してきて数十年。一向に進展しないこの状況を打開すべく、良かれと思って取った行動なのだが、結果としては空回りしてしまった。
「そ、そうだ……あの、そのバカ幼女さん? ですか? ど、どういった方だったんでしょうか……アブネスさん」
「どうって、すっごいバカで、めちゃくちゃバカで、バカやかましくて……」
「いえ、その……できれば見た目とか、名前とか……」
「注文が多いわね。レイのクセに」
まあいいわ、と一拍置いてから、
「なんかこう、紫のショートカットの幼女で、見た目はぎりぎり幼女で、名前はネプテューヌ……そう、憎き名前として胸に刻んだわよ。ネプテューヌ!!」
教会でつけられた、頬のひっかき傷の痛みがいまだに熱をもってうずくのを感じながら、ぎりりと歯ぎしりする。
「紫の髪で、ネプテューヌ……それじゃ、やっぱり合ってる……どういうことなの?」
訳が分からなさそうに腕組して、何事かをつぶやくレイ。
メンバーの誰もがそれに気づいた様子はなかった。
そこで意外な人物が興味を示したように目を見張っていたからだ。
「――ネプテューヌ……だと!?」
それはマジェコンヌだった。
「ネプテューヌ……ネプテューヌか……」
憎々しげに繰り返した。長年の宿敵の名を、ありったけの憎悪を口にするように。
彼女は他人と馴合うことを良しとせず、七賢人の活動に興味を示したというより、女神を排するという理念に共感を覚えて行動を共にしていた。彼女にとって規制などは二の次であり、女神を殲滅するという話以外にはまるで興味を示さない。
その彼女が、女神でも何でもない、ただの少女にこのような反応を見せるのだから、否が応でも周囲の視線を釘づけにしてしまう。
ワレチューが言った。眉間にしわを寄せるマジェコンヌを珍しそうに。
「どうしったっちゅ? ケバい顔をますますケバくさせて」
「誰の顔がケバいだと? ネズミは黙っていろ!」
マジェコンヌは不機嫌も露わに叫んだ。ありっけの怒りを込めて。
「ネプテューヌ……何故だ? 聞き覚えがないはずなのに、妙に腹立たしい、この響きは……」
心の底から訳が分からなそうにつぶやいた。ネプテューヌ……その名を耳にしたり、口にするだけでも不快な気分がどこからともなく湧き上がり、胸の奥がもやもやとして落ち着かなくなるのだ。まるで彼女のことをどこかで知っているような、そんな気がするのだ。
「さて、それじゃ今回はお開きじゃな」中年の男がいそいそとイスから立ち上がった。「わしもいい加減仕事に戻らんと。いいな、レイよ?」
「そ、そうですね。ええと……こ、この度はすみませんでした!」
ぺこぺこと何度も頭を下げるレイ。このまま放っておいたら一生そうしているのではないかと思ったのか、アノネデスが苦笑しながらひらひらと手をふった。
「いいわよ、気にしなくて。アタシ、レイちゃんの泣きそうな顔大好きだし。……もっとも、強気な女の子を泣かせる方が、もーっと好きだけどね」
意味深な響きだった。素顔はスーツの下に隠れているため、どんな表情であるかは読みとれないが、どこかねっとりと絡みつくような響きがある。
「は、はあ……では、しばらくはみなさん。各自のお仕事を進めるということで……」
「貴様に言われなくても分かっている!」
コピリーエースが虫でも見下ろすように睨みつけた。
「ひぃっ! ご、ごめんなさい! 差し出がましい事を申し上げました!」
レイは会議場を出ていく一人一人にびくびくと頭を下げていた。
アブネスも退出しようと席を立ったとき、
「あ、ちょっと待って。“あれの回収”はどうなってんの? 今月は誰の番よ?」
思い出したように言った。アノネデスが苦しげに頭をかいた。早く退出していけばよかったというふうに。
「あ、アタシだわ。いっけない。すっかり忘れてたわー……はあ、面倒くさいわねえ。どうせ“回収”に行ったって、ほとんど空振りなんだし……」
「ダメよ! そんなことを言ってたから、プラネテューヌの女神が生まれちゃったんでしょ! これ以上、女神なんかになっちゃう、不幸な幼女を生み出すわけにはいかないのよ!」
「はいはい、分かったわよぉ……」
重たそうに腰を持ち上げるアノネデスに、マジェコンヌが言った。
「おい、その仕事、今回は私が代わってやる」
「マジェちゃんが? それは助かるけど……珍しいわねえ。どういう風の吹きまわしかしら?」
「ただの気まぐれだ。おい、ネズミ。お前もついてこい」
ワレチューがびくっと身を震わせた。
「ぢゅっ!? なんでおいらが?」
「荷物持ちくらい出来るだろう。文句を抜かすな」
「全く……ネズミづかいが荒いオバハンっちゅね」
愚痴愚痴と不平を漏らしながらも、しぶしぶとワレチューはマジェコンヌの後につき従う。
◆◆◆
会議場を出てしばらく、二人は車に乗っていた。車内にはマジェコンヌとワレチューと、運転士以外には乗っていなかった。
「で、これからどうするつもりっちゅか? アレを先に回収しにいくっちゅ?」
「いや、アレの回収は後回しでいい。その前に寄るところがある」
「どこっちゅか?」
「黙っていろ。直に分かることだ」
ワレチューは特に口ごたえすることもなく、大人しく従った。
車内に沈黙が降りた。聞こえるのは車が走行する音である。
おそらくマジェコンヌから何か言い知れない覇気というか、言葉には形容しがたい威圧を感じたからに違いない。下手に機嫌を損ねるようなことをしても面倒なことにしかならないと感じ取ったのだろう。
車が停められた時、辺りはすっかり暗くなっており、空の彼方には満月が顔を覗かせていた。
二人の目の前には広大な森が広がっていた。濃い霧がそこら一面に立ち込めており、息を吸い込むたびにじわっとした湿気が鼻につく。ワレチューはぞっとなった。
森の奥に息を殺している魔物が、こちらへ手招きをしているかのように感じたのだ。
「ここから先は車だと通れん。徒歩で行く」
マジェコンヌが森の中へと歩き出した。ワレチューがびっくりしたように言った。
「徒歩? こんな暗い森の中をっちゅか? じ、自殺行為っちゅ」
「案ずるな。ここは私の庭のようなものだ。迷うようなことはない。おそらく私達がここに降り立った時点で、やつらにも伝わっているはずだ」
ワレチューの内心を見透かすように言った。だが、ワレチューはそんなことよりも、
「や、やつらって誰っちゅ?」
「黒の教団だ」
「なんっちゅかそれ?」
「原住民だ。私達はそいつらの集落へと赴き、即戦力として補充する」
「相手は女神っちゅよ。そんな原始人みたいなやつらに何が出来るっちゅか?」
「侮るなよ、ネズミ。やつらはルウィーが出来る遥か前からこの地に住みついていた太古の一族――その末裔。今では滅んだものとされ、歴史に存在を葬られた闇の部族だ」
「な、なんかすごそうなやつらっちゅね」
「やつらは人であることを捨てた人外だ。人を超えた存在となることで、全ての生物の頂点になることを渇望した。そのために人を切り刻み、自分の体の一部として食らう道を喜んで選んだ」
「……え?」
「ネズミ、一つ忠告しておこう。死にたくなければ私の後ろをしっかりついてこい。やつらにエサと間違われて腕を切り落とされたくなければ、な」
霧の向こうで息を潜める怪物の姿が見えたような気がしてワレチューは身を震わせた。おっかなびっくりとマジェコンヌの後をついていく。ほとんどマジェコンヌに張り付くような歩調で。
「ネプテューヌ……ネプテューヌ……」
小枝を踏みしめながら、マジェコンヌは呪詛のように囁いた。
夜空に浮かぶ満月と、濃い霧の立ち込める森といい、どことなく魔女を連想させた。暗がりから覗く彼女の顔は別の生き物へと変貌させているかのようだった。
「……――やつとは一度、顔くらい拝んでおいた方がいいかもしれん」
これから会うであろう胸のむかつきの源へ思いを馳せながら、マジェコンヌは憎しみをこめて拳を握りしめた。
神次元界――某所/無人となった七賢人会議場にて。
「成程な。ネプテューヌは“こっち”に来てから、プラネテューヌの女神達と接触したわけだ」
――ええ、そのようなんです。ど、どどどどうしましょう、クロワールさん。
「どうするって言われてもなあ。お前、仮にも七賢人のリーダーなんだから自分で何とか出来ないのかよ。なっさけねぇ」
――……ううう。
「まあ、大丈夫だろうよ。あのマジェコンヌとかいう奴がなんとかしてくれるだろう。あいつが放つ力はただものじゃない。人ならざるモノ――人外だよ、あれは」
――ええ。とても心強い私の仲間です。
「昔は今以上に目も当てられなかったが、あんなヤツを引きこむ当たり、お前にもカリスマってものが残ってるのかもな。まあ、それはひとまず置いといて、だ。このままだとプラネテューヌは地図から消えちまうかもな」
――えっ、ええ!? 何もそこまでは……。
「いや、あいつの顔はマジだった。全身から立ち上る気迫といい、鬼気迫るものがあったぜ。ネプテューヌ……だっけか? そいつにどんな恨みがあるのか知らねぇが、気の毒なこった。そのとばっちりを食らうプラネテューヌの女神も散々だがな。ところで、プラネテューヌと聞いて思い出したんだが、お前は知ってるか。あの噂を」
――え……?
「やれやれ、何も知らねえって顔だな。とは言っても、俺も噂程度しか聞いてないから人のことは言えないか。なんでも、プラネテューヌには奇妙な姿をした女が、女神と行動を共にしているらしいぜ」
――奇妙な女?
「そうそう。そいつの特徴が白い肌に、赤い口紅、銀色の髪らしいぜ」
――な、なんですって……!? いや、まさか、そんなはずが!
「なんでも名前をイヴとかっていうらしいぜ」
――イヴ……?
「初めて聞いたって顔してやがるな。俺もそんな名前の女は見たことも聞いたこともねえが」
――……。
「ま、伝えることは伝えたんで、俺はそろそろ帰らせてもらうぜ。じゃあな」
◆◆◆
クロワールは言いたいことだけを言うと、文字通り姿を消した。レイだけを残して。
無人となった会議場を、目に見えないぶ厚い沈黙が覆った。一人取り残されたレイは机に両肘をつきながら、手を顔の前で組んだ。
「この世界に救世主なんていらない……いえ、あってはならないんです……」
それはほとんど声にもならない、闇へと消え入るような囁きだった。
次いで、くくっと引きつったように頬が緩み、そこから狂ったような笑みがこぼれる。
「女神は……一人残さず排除しなければ」
沈黙を破る、高らかな哄笑が、会議場に響き渡った。
~続く~
キャラクター設定
名前: プルルート
性別: 女性
年齢:十代前半くらい?
武器: ぬいぐるみ――遠距離から魔法で敵に大打撃を与える。
職業:プラネテューヌの女神――アイリスハート。
ネプテューヌがいた次元とは異なる、別次元のプラネテューヌの女神。
愛称はぷるるん。
のんびりほわほわしていて、いつも何を考えているのか分からないバリバリの天然系。
趣味はぬいぐるみ作りとお昼寝。
マイペースな性格のため、よっぽど気が向いたときにだけ女神の仕事をする。
滅多に怒ることはないが、うっかり怒らせるとものすごく大変なことになる。
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『神次元界――
そこにはプラネテューヌとルウィーと呼ばれる二つの大国があった。二つの国には『女神』と呼ばれる希望の象徴がいて、国民に崇められていた。
物語の中心となるのはプラネテューヌ。
そこに住むニート少女イヴは、ただのニートではなかった。全身の肌が真っ白なのである。イヴはノワールとプラネテューヌの女神であるプルルートとあくびが出るほど退屈な毎日を過ごしていた。
しかし、あるとき紫色の少女が空から降ってきた。
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