No.496217 真・恋姫無双~推参! 変態軍師~ 第三話マスターさん 2012-10-14 19:23:37 投稿 / 全6ページ 総閲覧数:5081 閲覧ユーザー数:4372 |
そこは水鏡学院の近くの村にある小屋の中である。
村からまるで隔離されたようなぼろぼろの掘っ立て小屋の内部は、人が暮らせるような快適な空間ではなく、何の生活感もない殺風景なものである。あまり掃除された気配もなく、清潔感の欠如したその中はむっとした熱気に包まれている。
窓には板が打ち付けられており、内部はその隙間から差し込む陽光があるのみで、昼間だというのに薄暗く、しかし、その中に複数の怪しく光るものがあった。獲物を捕獲する際の野獣のようなそれは、その村に住む男たちのものであった。
「はぁ……はぁ……」
そこに響き渡る吐息、滴り落ちる汗、そして、男たちの汗やそれと混じり合って何の匂いなのかも分からない異臭。輪のように座り込む男たちの中央には、一人の青年が不安そうな表情で立っていた。
少女のような白い肌や華奢な身体付きは、農作業などの肉体労働に従事している村人たちと比較すると、また、にやにやと嫌らしい笑みを張り付ける男たちに囲まれて、それをきょろきょろと眺める姿を見ると、猛獣の中に誤って迷い込んでしまった小動物を想起させる。
「お、俺をこんなところに連れてきて何をするつもりなんだっ!」
やや上ずった声で青年は叫んだ。
「へへへ……」
しかし、男たちはそれに応えることはなく、にやにや笑い続けるだけであった。
くそっと悪態を吐く青年の名は北郷一刀。
どうして彼はこのようなところにいるかというと、彼はつい先日まで水鏡学院にいたのだが、彼はそこの講師であるとある女性に象棋の勝負を挑んだのだった。それに勝利することが出来れば、生徒としてそこに入学することが認められたのだが、彼は無様な敗北を喫してしまったのだ。
そして、彼は村で仕事を斡旋してもらうという口実で連れて来られたのだが、彼を待っていたのは真っ当な仕事ではなかった。彼の仕事――それがこれから行われるのだが、それは正しく文字通り肉体労働であるということは、このときの彼はまだ知らなかったのだ。
「じゃあ、俺からでいいよな?」
「おい、何だよ、早いもん勝ちかよ?」
「後がつかえてるんだから、早く済ませろよ?」
「わぁってるよ」
輪の中から一人の男が一刀の方へ出てきた。見るからに屈強そうな肉体を持つ髭の男は瞳を爛々と輝かせながら、一刀の全身を舐めるように眺めると、一際嬉しそうに口を歪ませた。
「じゃあ、坊主、俺を楽しませてくれ……よっ!」
一刀が何をだと訊く間もなく、髭は一刀の身体に突っ込んできた。
「なっ!? ……がぁっ!」
腹に衝撃が走り口から空気が零れる。貧弱な身体は筋肉に包まれた髭の強烈な一撃に耐えられることはなく、床の上に崩れ落ちてしまう。げほげほと咳をしながらも、立ち上がろうとした一刀に対して、髭は素早く背後に回り込むと一刀を押し倒して馬乗りになる。
「やめろぉぉっ! 何をするんだぁぁっ!」
必死の一刀の抵抗も虚しく、髭は一刀の纏う見たこともない上着を剥ぎ取り、中に着ていた服を手で破る。まるで一刀の心が悲鳴を上げるかのように、部屋の中に服が切り裂かれる音が鳴り渡る。
そして、いつ脱いだのだろうか、上半身が剥き出しになった髭の逞しい肌が一刀の背中に触れる。一刀の倍はあるのではないかと思われるような大きな手は、片手で一刀の両手首を抑え込み、一切の抵抗を許さない。
床の上を這いつくばって逃げようとする一刀だが、腕を封じられた上に、髭が身体を完全に密着させているので、体力を消耗するだけで何の解決策にもならず、それどころか、お互いが大量の汗を流してしまうことになり、それがぬるぬると肌を滑らせるのが非常に不快であった。
「くそっ! 止めろって言って……ふぐぅぅっ!」
何とか抵抗しようと、髭の腕に噛みつこうとした一刀の口の中に切り裂かれた彼の衣服の一部が無理やり詰め込まれてしまい、上手く呼吸が出来ずについ苦しさから彼の瞳に涙が滲んでしまう。
それに気付いたからなのだろうか、一層興奮した模様の髭が更に身体を押し付け、信じられないことに一刀の頭に顔を押し付けその匂いを嗅いでいるのだ。髭の荒い息が首筋にかかり、ぞくぞくとした感覚が彼を襲う。
「はぁ……はぁ……お前、何かいい匂いすんなぁ。やべぇ、もう我慢の限界だぜ」
「ぐぅぅぅっ! むぐぐぐふぅぅぅぅぅっ!」
その言葉に異変を感じた一刀は、すぐにその正体を理解した。自分の腰の辺りに何か硬くて熱いものが当たっているのだ。それが何なのか想像しようとして、しかし、すぐに気持ち悪くなって思考を止めようとする。
「おらぁ……お前もだんだん良くなってきだろぉ?」
「うぐぅぅっ! んんんんんんんんんんっ!」
そんなことはないと首を横に振ろうとするが、身体が上手く動かない。室内の熱さにやられてしまったのか、頭がぼーっとしてしまい、徐々に抵抗の力を失いそうになるが、弱っていく一刀に逆に髭はどんどん動きを激しくしていった。
「あぁ、もう無理だ。じゃあそろそろ本番に行こうぜ?」
片手で一刀の両手首を抑えた状態で、器用に別の手を使って、髭は一刀の腰に手をかけた。すぐに自分が何をされようとしているのか理解した一刀は、抵抗を試みるも、やはり絶対的な肉体的な強さに差のある髭には何の意味もなかった。
「はぁい、脱ぎ脱ぎしましょうねぇ」
「んぐぅぅぅぅっ! むおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
止めろと何度も叫ぼうとするが、口の中に入った衣服の一部がそれを妨げる。それだけでなく、一刀が抵抗しようとすればするほど、口内の唾液を大量に含んだそれが、一刀の呼吸の邪魔をして、身体の自由を奪ってくるのだ。
そして、ついに彼の下半身は衆目の中に晒されることになった。
「いやっほぅぅぅぅっ!」
「いいぞっ! もっとやれぇぇぇぇっ!」
二人を囲む外野からも声が上がる。一刀は自分の瞳からついに一筋の涙が流れるのを許してしまうが、そんなことをしても逆に男たちを興奮させるだけであり、事態に何の解決も促すわけではない。
「よーしよし、いい子だなぁ。すぐ気持ちよくしてあげるからなぁ」
そして、ついに絶望的な場面を迎えようとしていたのだ。
髭がもぞもぞと後ろで動くのが分かった。そして、それが自分も下半身を露わにしようとしているものだと気付くまであまり時間はかからなかった。気付くや否や、最後の抵抗を試みるも、無駄であった。
「じゃあ、いくぞ?」
そして、髭は……。
「なんて展開はどうかな、雛里ちゃん?」
「さすが朱里ちゃん。あわわ……漲ってきた」
「そこの幼女、二人ぃぃぃっ! 初っ端から何をしでかしてやがんだぁぁぁぁっ!」
二人して頬に手を当てて、くねくねと腰を動かしながら、とんでもない妄想をしている朱里と雛里に対して、一刀は大声でツッコミを入れた。だが、幼女二人はそんなことは耳に入っていないようで、次々と脳内の妄想を口に出していく。
「やっぱり朱里ちゃんに凌辱ものを書かせたら右に出る者はいないね。あ、北郷さんが『ピー』される場面では、髭の『ピー』を『ピー』して、『ピー』な感じにするのはどうかな?」
「あ、それいいね。そうしたら、髭の次は三人がかりで北郷さんの『ピー』を『ピー』して、『ピー』を口の中で『ピー』させて、『ピー』しながら、『ピー』させちゃおうよ」
「いい加減にしろぉぉぉぉぉっ!」
「はわわっ!?」
「あわわっ!?」
目の前にあった象棋の駒を二人の額に見事に命中させた。
「はぁ……はぁ……、全く。腐ってやがる、早過ぎたんだってレベルじゃねーぞ。どこのどいつだ。こんな無邪気な美幼女二人にこんないかがわしい知識を植え付けた不届き物は」
「あ、いや、私もそんなつもりじゃ――」
「って、公謹さん、あなただったのかぁぁぁぁっ!」
「う、うるさいなっ! 出来心だったんだよっ! 私だって、孔明と士元がここまで夢中になるなんて夢にも思わなかったさっ!」
「くっそ! 天下に名を知らしめる名軍師がまさかこんなに腐っているなんて……っ!」
「男同士の恋愛が嫌いな女子などいるかっ!」
「いるわっ! 前回も酷かったが、今回はもっと酷いぞっ! 二千五百字に渡って悪ふざけなんかしやがって、こんなの誰得なんだよっ!」
「私たち得です」
「うるせぇっ! 黙ってろ、はわあわ幼女がっ!」
「そんなこと言われても、この溢れ出る欲望は止めようがありません。妄想力は山を抜き、欲望は世を覆う、と項羽も言っています」
「あわわ……去年の夏に出た、高祖×項羽の奴だね、朱里ちゃん」
「うん。あれは最高だったよね。特に鴻門の会での項荘と項伯の肉剣の演舞の描写も好きだけど、私はやっぱり韓信の股くぐりが一番好きだね。あの逸話をあんな風に解釈するなんて斬新過ぎて何度も読み返したよ」
「あー、あれも好きだけど、私は高祖が項羽の脅しに屈せずにお父さんを食べちゃうところが好き。家臣たちが見ている前で近親相姦をしてみせて、逆に興奮して途中参加したくてうずうずする項羽に胸がときめいたよ」
「くっそ! そんな話を聞くと、四面楚歌と良薬口に苦しとかの有名な言葉も何故か卑猥に聞こえてくる……っ!」
「はわわ……そ、その発想はありませんでしたっ!」
「あわわ……急いで部屋に戻って煮詰めよう、朱里ちゃんっ!」
「止めてくれぇぇぇぇっ! これ以上、俺の好きな物語を穢さないでくれぇぇぇぇっ!」
既に怒りを通り越して涙目になっている一刀。
「ここには普通の人間はいないのか?」
「何を言っているのですか、北郷殿」
「ほ、奉孝さん……っ!」
口を開いたのは稟こと郭奉孝であった。いかにも真面目そうな凛とした表情を浮かべ、眼鏡のつるを指で押し上げる彼女を見て、一刀は希望的な視線を彼女に送る。そうだ、この幼女二人と爆乳眼鏡だけが異常なんだ。よく見たら、同じ爆乳眼鏡の穏も二人が描いた作品を見たことがあるのだろうか、それを想像しながら涎を垂らしている。もう駄目だ、この国の爆乳眼鏡は狂っているんだ、と必死に自分に言い聞かせる。
「男性同士の恋愛なんて糞喰らえです。私のようにきっと将来的に金髪で髪を螺旋状に二つに纏めた身体から途方もない覇気を漲らせる御方に仕えることを夢見て、そして、きっと、その人に閨に誘われて、あんなことやこんなことや……ぐふふ……そんないけません人前で違います私は人前だからといって興奮なんて駄目ですそこはまだ自分でも触ったことのない……ぶはぁっ!」
「お前もやっぱり変態じゃねぇかぁぁぁぁぁっ!」
「全く、何故そんなに妄想上の人物が具体的なんですかねぇ? はいはい、稟ちゃん、トントンしましょうねー」
「はぁ、やっぱり普通なのは仲徳ちゃんだけか。君だけは俺を裏切らないよね? よし、すぐにお突き合いを前提に結婚しよう。いや、寧ろ義理の妹になって俺のことをお兄ちゃんって呼んでもいいよ。にぃにとかおにぃとかも捨て難いけど、仲徳ちゃんは普通にお兄ちゃんがいいかな」
「お兄さんも人のこと言えませんけどねー。ちなみに風がお兄さんをお兄さんと呼ぶのは別に自分のお兄さんとしてあつかっているわけじゃありませんからねー。非常に気持ち悪いので勘違いしないでくださいねー。」
「む、お兄さんか、そういえばそれもそれでありだな。よし、じゃあ、義理の兄妹になった記念に、人生相談と称して自室の秘密の
「全く人の話を聞いていませんねー。『ブチ殺しますよ?』とか言って欲しいんですか? え? いや、本当に悶絶するほど喜ばなくても……。というか、そんなことよりいいんですかー? お兄さんの性癖を披露するより大切なことがあるんじゃないですかー?」
「そうだ、忘れるところだった。それに前回から時間が経過しているのだから、読者の皆が何の話をしていたのか憶えていないぞ。きちんと説明してあげなさい」
一刀の貞操をかけて冥琳と象棋勝負をします。以上。
「くっそ、その語り口調が武蔵さんみたいでキュンとしてしまった俺はもう駄目かもしれない」
一刀が冥琳に負けることを前提に脳内の妄想を充分に膨らませた朱里と雛里も、やっと落ち着いてきたようで、何故か鼻息を荒くしながら一刀のことを見つめているのだが、とにかく冥琳との象棋を始めることが出来そうであった。
冥琳と一刀は象棋の台を前にして向かい合った。
勝負を挑んだはいいが、一刀は象棋というゲームを知らない。先ほど皆がそれを楽しんでいるのを見て、ルールも多少は教わったものの、それでも完璧とはいかない。それを説明した上で、冥琳は一刀と試し打ちをすることを提案したのだ。すっかりと忘れられていた水鏡先生こと司馬徽もそれを認めた。
冥琳はさすがに水鏡学院で臨時教諭をやっているだけあり、説明が懇切丁寧であった。一手一手指しながら、象棋の基本ルールとそれぞれの駒の友好的な使い方、布陣の構築の仕方などを説明していった。
一刀はそれを一言も漏らすことなく聞き、すぐに理解を示した。表面上だけを理解したのではない。このゲームは極めて戦略的要素が必要であり、故に軍師を目指す人間はその思考力の発育のためにこれを好んでするのだ。一刀はそこまで踏まえた上で分かったと言ったのだ。
そして、二人は試し打ちを始めた。
お互いが自陣の構築を始める。このゲームはまずここから始まるのだ。制限時間などは定められておらず、相手の布陣を確認しながらで良いが、相手の布陣に合わせれば良いというわけではない。特に熟練者は上手く自軍の構築を敵に見せ、それを操ろうとすらするのである。従って、熟練者同士の戦いになればなるほど、相手の布陣は確認程度しか行わず、自軍の構築に集中するため、この時間は短いと言われている。
自軍の構築が終了したら、お互いの本陣を目指して駒を動かす。歩兵、弓兵、騎兵などの駒を効果的に利用して、先に本陣を陥落させて大将駒を奪った方が勝利となる。実際の戦争をそのままゲームにしたようなものである。
「では、まずは布陣の構築から始めよう。有名なものは先ほど教えたから分かるな? 今回は公平性を保つために、私もそこからしか選ばん。しかし、一度しか行わなくて良いのか? それだけではルールを憶えるだけで精一杯だろう?」
「いや、一度だけでいいよ。これは俺の人生を賭けた真剣勝負だ。それにそれで公謹さんに勝てたとしても、水鏡先生は俺を認めてはくれないでしょ?」
「良い心がけじゃのう。公謹や、北郷殿がそう言うのだから、好きにさせたらよいじゃろう」
「は、はぁ……」
そのまま試し打ちは続行された。
試し打ちではあるが、臨場感を優先するために対局中はお互いに何も語らずに進めることを一刀は望んだ。冥琳が打つ手を真剣な眼差し見つめ、ぶつぶつと何かを呟きながら自分も駒を進める。その頭の中にはどのような思考が広がっているのかは、冥琳には与り知らぬものであるが、その様子を見ながら、一刀の聡明さには舌を巻いた。ルール説明を一度しかしていないのに、一応は勝負の形になっているのだ。このゲームの複雑さが並大抵のものでないのを冥琳はよく知っているのだ。
――ここまで呑み込みが良いとは思わなかったな。異国の遊戯であり、名前すら知らなかったというのに、もしかしたら、こやつは本当に優れた知の持ち主ではないのだろうか。しっかりと象棋の技術を磨けば、それなりの腕前になるやもしれぬな。
しかし、残念ながら一刀はさっきルールを知ったばかりである。将棋などのボードゲームが得意で、一度ルールを知ってしまえば、三流のプロくらいであれば容易に退けることが出来る程の頭脳を持っているが、今回は違う。相手は後に孫呉の大都督と称され、大陸でも有数の知能を持つ冥琳なのである。一流の中の一流なのだ。
すぐに勝敗は決してしまった。
勿論、一刀の大敗である。
その後、対局の解説を冥琳が一手一手説明してくれた。自分の手に対して、どのような手を返せば良かったのか、また一刀が実際の対局中に思った疑問などを、些末なことまで全て冥琳が答えてくれたのだ。やはりこのゲームは奥が深い。素人同士ならともかく、相手が相手なので、安易な手はすぐに強烈な反撃として返されてしまう。
それだけで四刻(二時間)以上経過してしまった。
一刀は一度大きく息を吐いて脳を休ませた。予想以上に頭を使うゲームであるということがよく分かった。だが、その疲労感は心地良いものであった。こんなに楽しいと思えるゲームに出会ったのは何年ぶりのことだろうか。こんなに強い相手と対局するのは何年ぶりのことだろうか。
一刀は胡坐をかいた状態のまま、ゆっくりと瞳を閉じた。
まるで座禅をしているかのように、一刀の神経は研ぎ澄まされていく。周囲の雑音が何も聞こえなくなり、頭の中でさっきの対局が何度も蘇る。冥琳の打つ手は、どれをとっても隙のないもので、まるでこちらの頭を見透かしているかのようだった。いや、実際に見透かされていたのだろう。相手があの周公謹であれば、歴史上でも類稀な頭脳を持っているのだから、自分のような人間はその足元にも及ばない。
しかし、不思議と負けるとは思わなかった。
勝てるかどうかは分からない。しかし、それでも一刀は己が無様に敗北するとは微塵も思っていないのだ。それは相手が誰であろうと同じである。殊に頭脳戦という分野において、一刀は一つの信念のようなものを持っているのだ。妹とは違い、スポーツ関係はからきしの一刀が、唯一自分に与えられた舞台において決して曲げられぬもの。
この世には絶対という言葉は存在しない。
「……北郷殿?」
目を閉じたまま微動だにしない一刀を見て、冥琳が思わず声を掛けた。もしかしたら、あまりの実力の差に打ちひしがれてしまったのではないかと思ったのだ。だが、それは仕方のない話である。冥琳と一刀では経験の差があり過ぎるのだ。
「…………」
一刀の反応はなかった。
いや、それだけではない。
――これは……。
場が引き込まれているのだ。一刀の異様なまでの集中力は周囲の音を全て遮断するだけでは飽き足らず、まるで引き込まれてしまうかのように周囲のものまでも、その思考の没入に巻き込まれてしまっているのである。
才能の片鱗。それを誰もが思った。一刀が単なる異国の青年ではないことが伝わったのだ。これだけの集中力を平凡な人間には出来はしない。集中するという誰もがする行為は、単純なだけに一定の水準を超えることが困難な行為であるのだ。
だが、それでもこの場にいる者は感心程度の感想しか持たないのも事実である。何故ならば、それは既に彼女たちが数年も前に、いやもっと以前に通過した場所だからだ。彼女たちもまた全員が天才と呼ばれる存在である。その程度のことで動揺などするわけがない。
一刀は瞳を開けた。
口元が歪む。楽しくて楽しくて仕方がないと言わんばかりに微笑んだのだ。
そして、ぼそりと呟いた。
「……さぁ、楽しい
「それでは始めよ」
水鏡先生の声と共に、一刀の命運を定める一大勝負は幕を開けた。一刀と冥琳は互いに一度礼をしてから、駒に指をかけたのだ。既にどちらも顔も見ていない。それだけこの勝負が真剣であるということだ。
無言で自陣の構築が始まった。既に一刀の手にも駒は馴染んでいるようだ。
しかし、ちらりと冥琳が一刀の布陣を確認すると、その眉を顰めたのだ。
――何故だ……?
一刀は何の反応も示すことなく、布陣を組み立て続けている。しかし、冥琳以外にも一刀の行動を不信に思う者もいた。一人や二人ではない。その場にいる全ての者がそう思っていたのだ。
その理由は簡単だった。
――布陣がバラバラではないか。
あまり時間がかかることなくどちらも布陣を完成させた。
冥琳は魚鱗の陣である。相手が素人同然の一刀という理由で、あまり奇を衒った行動をするつもりはなかった。正々堂々と戦うことが、一刀への誠意であろうと思ったのだ。しかし、その想いが打ち砕かれたような感情を抱いたのだ。
一刀が組み立てた陣形は鶴翼に似たものであった。しかし、あまりにも整合性に欠けたものだったのだ。自分が教えたことはしっかりと理解していたはずだ。実際に試し打ちでは正攻法でこちらを攻め立てたのだ。
――それで奇策を頼もうとしているのか。
冥琳はそう思った。しかし、そんなものは奇策などと呼べるものではない。ルールを知らない人間がよく配置を考えもせずに置いたものに過ぎないのだ。それで自分と戦うつもりなのか。それで真剣勝負と呼ぶつもりなのか。冥琳は怒りにも似た感情を抱いた。
「北郷殿――」
「さぁ、始めよう」
冥琳の言葉を遮るように一刀は言った。
その表情に余裕のようなものが見て取れた。本気なのだ。そう確信した。ならば話は早い。即行で片をつけて、自分がどれだけの愚考をしていたのかを身をもって分からせるだけだ。謝罪の一つでもして反省をしたら、再戦を水鏡先生にお願いしてやろう。
そう思いながら冥琳から打ち始めた。
パチン、と部屋に音が響いた。一つ一つの駒の音がまるで一刀の人生そのものを盤上に置いているかのような重い雰囲気が辺りを包んだ。誰も声を発することはない。真剣勝負なのだ。茶化すことなど許されることではなく、そんなことをするほど愚かな人間などこの場にいないのだ。
時折、挟まれる静寂。一刀が親指を唇に当てながら長考しているのだ。その瞳は盤上を一心に見つめており、目を泳がせることもあった。冥琳が次に打つ手を読んでいるのだろう。しかし、一方で冥琳は涼しい顔をしている。考える、なんてことも必要なく、一刀の思考を読み取ることが出来るのだろう。
一刀が必死に考えて打った一手に対して、冥琳は即座に返す。まるで最初からそこに打つことが分かっているかのようだ。一刀の表情が苦悶に曇ることが続いた。額から汗がたらりと垂れる。ぎりっと歯噛みする音が聞こえそうだった。
一方的な戦いだった。
冥琳は正面から騎馬隊を続々と送り、それを遮ろうとする歩兵の部隊を蹴散らしていく。陽動のためなのか、一刀も時々側面から騎馬隊で窺おうとするのだが、冥琳はそんなことは一切気にすることなく攻め込む。一直線に一刀の本陣を目指しているのだ。それを目の前にして、一刀は防戦を余儀なくされる。
それも当然のことだ。鶴翼の陣は、そもそも大軍で敵を包み込んで殲滅するための布陣である。一刀が布いた陣形はそれに似ているものであるが、突破することが出来そうな穴が多く見られる。それでは本陣に斬り込んで下さいと言っているようなものだ。
それが一刀の策略であるという可能性が皆無というわけでは勿論ない。自陣深くまで敵を誘い入れ殲滅を狙う一手。策としてそれは当然悪いわけではない。しかし、あり得ない。包囲網を布くだけの堅陣を組めていないのだ。そう動いたところで、冥琳は包囲を完成させる前に突破し、個別に撃破することが出来る。そして、そうではなく、敵の狙いがこちらの本陣にあったとしても、手が足りない。おそらく一手か二手かと思うのだが、相手が防戦をしなくてはいけないことを踏まえると、こちらを攻め落とす前に、こちらが攻め落とすことが出来るだろう。
――買いかぶり過ぎたか……。
冥琳の心に浮かんだのは失望感であった。優れた才を持っているのは確かかもしれない。だが、それを驕り奇策に走ってしまうのは致命的である――といっても、それは飽く迄も軍師としての話ではある。平凡な文官として過ごすには充分ではある。しかし、そのような者はこの世に五万といるのだ。
一刻も経たずして、一刀の陣形は大きく崩されていた。本陣を守るべき駒の尽くを蹴散らされ、冥琳の騎馬隊に大きく食い荒らされている。しかし、一刀は未だに諦めていないのだろうか、自分の駒を冥琳の陣の側面に回した。
――これで終わりだな。
それを無視して、冥琳は駒を大将駒の正面へと動かした。そこからは大将駒自体を動かして逃走するしかない。しかし、冥琳は逃走を許す程甘い手を打っていないのだ。後数手で詰みとなるようにしていた。
「終わりだな、北郷殿」
冥琳は溜息を吐いてそう言い放った。たかが象棋というゲームだが、冥琳にとっては武人でいう立合いに等しいものであった。剣と剣をぶつける勝負ではなく、頭脳と頭脳をぶつける勝負なのだ。それは真剣勝負であり、侮辱は許されない。冥琳はそうされたと思っていたのだ。興醒めを良いところだろう。
しばしの沈黙であった。必死に何か生き抜く手段を考えているのだろうか。しかし無駄である。一刀には敗北しか残されていないのだ。何をしたところで、本陣深くまで侵入した冥琳の部隊を駆逐することはもう出来ない。
が、そのときであった。
「待ったっ!」
一刀が口を開いたのだ。
「……は?」
冥琳はきょとんとした顔で一刀を見た。
「いや、だから、その一手、待ったっ!」
「え? いや、あの、待ったとは……? つまり私の手をなかったことにしてほしいのか?」
「その通りだ」
怒りを通り超えて失望へ、そして、それすらも通り超えて、冥琳は呆れてしまった。この男に誇りはないのだろうか。自分から勝負を願っておきながら、奇策を用いようとして、しかし、すぐに負けてしまったのだ。敗北を前にして、この男が願ったのは命乞いであるのだ。
「北郷殿、そんなことが――」
「頼むっ! この通りだっ!」
「なっ……!?」
一刀は象棋の盤上から少しだけ下がり、正座の状態のまま頭を地面に擦りつけた。
土下座である。
当時の中国にこの文化があるわけないので、冥琳には何故このようなことをしているのか理解出来なかった。だが、それが懇願のための行為であるということは分かったのだ。そこまでして、この男は生き残りたいのであろうか。
「ほ、北郷殿、頭を上げよ。これは真剣勝負という話だった。それに今更私が一手なかったことにしたくらいで、あなたに勝利が残されているとは思えない。潔く敗北を認めるのだ」
「…………」
無反応。
「北郷殿っ!」
少し強めに言ってみたが、同じく無反応。
仕方なく、冥琳は立ち上がって一刀の側に行き、身体を起こそうとした。
「む……?」
一刀の身体は動くことはなかった。ただ頭を地面につけているだけだというのに、一刀の身体は石になったかのようにぴくりとも動かなかったのだ。冥琳は武芸の嗜みもあるが、それでも元から力が強いというわけではないのだが、思い切り力を込めても、一刀の頭を動かすことすら出来なかったのだ。
そうすることを諦めて、冥琳は元の位置へと戻った。
「北郷殿……。私はあなたを一人の才ある人間として認めようとしていた。この場にいる人間もそうだろう。単なる異国の者という理由だけでなく、この学院で研鑽している他の者と同じように、いずれは大陸で活躍することが出来ると思っていた」
しかし。
「いらぬ誇りなど捨ててしまえ。このような遊戯で一度負けたくらいであなたの才は穢れはしない。今は入学を認められなくても、村で働きながら智を磨くことも出来る。そして、そうなったとき、改めてここを訪れれば良い。水鏡先生もそのときは真面目に考えてくださるはずだ」
冥琳は静かに語り出した。力でダメならば、説き伏せるしかない。おそらく、この男は誇りがあったのだろう。自分の国ではそこを代表するような頭脳の持ち主だったのかもしれない。こんなところで私に敗北してしまうのが信じられず、こうして無様な姿を晒しているのだろう。
「だから、北郷殿、頭を上げよ」
無反応であった。
彫像のように一刀は土下座の姿勢を続けた。一人の男がここまでしているのだ。既に哀れみすら感じられた。周囲の者も同じことを思ったようだ。こそこそと何かを話し合っているのが冥琳にも聞こえた。
「そろそろいいんじゃないかな、雛里ちゃん」
「そうだね、北郷さんもあんなに頼んでいるのに」
「公謹殿も一度くらいは……」
「ですねー。これじゃお兄さんが可愛そうに見えるのですよー」
などなど。
――おのれぇ……他人事だと思って。
「はぁ……。分かりました。分かりましたとも。いいでしょう。一度だけ待ってあげましょう」
「本当かっ!」
冥琳がいくら動かしても動かなかった一刀は、その一言を聞くとすぐに起き上がった。調子が良い奴だな、と苦々しく思う冥琳であったが、言ってしまったのだから仕方がない。冥琳の先ほどの手をなかったことにし、ついでに一刀から再び始めることで同意したのだ。
――まぁ、それくらいで流れが変わるわけではないだろう。
そう思っていた冥琳の顔色が、次の一刀の一手で俄かに変わった。
パチンと力強い音が室内に再び響いたのだ。盤上が眩い光を放ったかのようだった。その光の向こう側で一刀は不敵な微笑みを浮かべていた。さっきの無様な姿からはまるで想像出来ないような――否、先ほどまで劣勢に苦しんでいたときのものとは違う、鋭い眼差しであった。
――これは……?
一刀は冥琳が大将駒の正面へ動かした、いわゆる王手を打つ直前に動かした騎馬隊をさらに奥まで進軍させたのだ。いつの間にそんな場所を見つけていたのだろうか。非常に分かりづらい配置ではあるが、そこから冥琳の本陣に奇襲を仕掛けることが出来る。
一手分、一刀に指導権を握られているため、冥琳はそれを見逃すことが出来ない。冥琳はそれを防ぐ一手として、本陣の前に歩兵を配置した。それによって、敵は進軍出来なくなるのである。しかし、一刀は止まることはなかった。
今度は逆の方向から攻め込んできたのである。歩兵を動かしてしまったことで生じてしまった隙であった。そこを防ごうとすると、今度は別の場所が攻め込まれてしまう。冥琳は俯瞰してみて初めて分かったのだ。既にうっすらと包囲網が布かれているということに。
――いつの間に……っ!
ぐっと唇を噛み締める。気付かなかったのではない。相手が気付かせなかったのだ。一刀が気まぐれに動かしていたと思われた一手一手が緻密に計算されたものであったのだ。一つだけを見たのでは、全て無駄に思えるものが、最後の一手を軸に繋がっている。
そこからは見事なまでに立場の逆転であった。
冥琳が後一手動かせば勝利が確定するというのに、防戦を余儀なくされる。
そして……。
「公謹さん、これで終わりだ」
最後の一手は一刀に与えられた。
冥琳は一刀の待ったを許した以上、同様に冥琳にもその権利が与えられる。そうすれば冥琳は勝利することが出来るのだが、そうはしなかった。苦笑を漏らしながらも、一言だけ言ったのだ。
「参りました」
その瞬間、一刀の勝利が確定したのだった。
あとがき
第三話の投稿です。
言い訳のコーナーです。
秋アニメは厨二病枠が多いみたいですね。まぁ「中二病でも恋がしたい」が覇権を握ることは間違いないでしょう。異論は認めません(ォィ LITEのEDがツボにはまり過ぎて生きるのが辛すぎです。まだ聞いたことのない人は是非。
忘れちゃいけない。ゴットゥーザ様がご無事に復帰為されました。これからも多大なる活躍を願っております。
閑話休題。
さて、相も変わらず勢い任せの作品になりました。前回とは違って、多少のプロットは書きましたが(主に後半)、何も考えずに書いた箇所も多いです(主に前半)。というか、キャラが崩壊し過ぎてもはや原型を留めていないという、原作ファンの皆様には大変失礼なことをしてしまいましたね。
こちらの方は皆様も御承知の通りギャグ作品ですので、多少のことはご容赦下さい。百パーセントのギャグ作品は、作者はおそらく書けない、というか結末まで辿り着かないと思いますので、真面目なシーンも多少は御座います。
さてさて、一刀くんの貞操を賭けた大一番の象棋勝負は無事に勝利することが出来ました。種明かしは次回とします。ある程度は分かると思いますが、その過程を細かく説明する回となるでしょう。
象棋に関して、残念ながら作者の外付けHDDが逝去なされたので、現在原作をプレイすることが出来ない状態です。インストールし直せば出来るのですが、最初からやるのでは時間がかかり過ぎてしまうので、独自解釈のもとで行いました。
一応はwiki先生などを参考にしたのですが、現代象棋しか載っておらず、どうやら今のルールは宋代に作られたとあったので、後漢末期にはそのルールは存在しないと判断しました。よく分からない方は妄想で何とかしてください。まぁ象棋のルールが大切というわけではないので、大した意味はないと思います。
後は、指摘されるかもしれないので、先に言っておきますが、一刀くんは変態なのです。故に冥琳たちのような至極真っ当な軍師たちとは考え方自体がまるで違います。そこら辺は物語が進むにつれて明らかになるとは思いますが。
さてさてさて、こちらの方は作者の完全に自己満足であることに違いはありません。率直に言えば、現在連載している作品が終了しても、こちらの方を継続すると確約は出来ないのですが、とりあえずはリラックスになりました。
次回からは前回にも言ったように、白蓮さんと翠の戦いを書こうと思います。騎馬隊だけの戦闘なので、どう書いたものかと迷いに迷っているわけですが。江東編の反省として、多くのキャラの活躍を書きたいばかり、麗羽様編とは違って主軸になるキャラが出来なかったことが挙げられると思います。白蓮さんと翠の戦い、騎馬隊編ではそうならないようにしたいと思いますので、読者の皆様におかれましては、これまで通り生暖かい目で見守り下さると僥倖です。
では、今回もこの辺で筆を置かせて頂きたいと思います。
相も変わらず駄作ですが、楽しんでくれた方は支援、あるいはコメントをして下さると幸いです。
誰か一人でも面白いと思ってくれたら嬉しいです。
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第三話の投稿です。
多くの才ある若者が自らの腕を磨く水鏡学院。そこの学長を務める水鏡先生に、入学を賭けた冥琳との象棋を申し込む一刀であるが、相手は後に孫呉の大都督と称される本物の天才である。一刀が変態軍師として大陸に知れ渡る前の、小さな戦いが始まったのだ。
勢い任せの作品です。何も考えずに書いている部分があります。そこを充分に理解した上でご覧ください。それではどうぞ。
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