No.496075

相良良晴の帰還17話(後編)

D5ローさん

ひと月近くかかって申し訳ありません。

つたないですが、後編をお届けします。

2012-10-14 12:15:17 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:20802   閲覧ユーザー数:18056

 なぜ、良晴さんはあんな場所に座らされているのか?

 

 良晴の身を案じながらも、半兵衛の頭は疑問符でいっぱいだった。

 

手紙の内容を上手く利用して愛する人の妻の位置を手に入れた事を否定する気は毛頭ないが、どんな形であれ許可を与えたのは信奈である。

 

 それを何故?

 

 未だ分からぬその答えを得て、良晴を援護するため、半兵衛は、目の前の信奈の挙動に神経を集中させた。

 

 一方、怒りの矛先である良晴と長秀は、それぞれ別の意味でどうしようか悩んでいた。

 

 良晴は、愛情が強く、それに比例して嫉妬深い信奈に対し、女性関係で何も言い訳をするつもりはないが、半兵衛に類が及ぶことは防ぎたいと考え、そうするにはどういった行動が最善であるか必死で考えを巡らせていた。

 

 長秀は、ちょっぴり下心があって半兵衛を推挙したという負い目はあるものの、さすがにこんな短時間に別の意味で良晴が落としてくるなんて、少しも考えてもおらず、流石にすこしは釈明させてくれと思っていた。

 

 そして、二人は同時に一つだけ同じ事を思っていた。

 

 なぜ、このタイミングで怒るのかと。

 

 よく誤解されがちだが、信奈は感情的な部分もあるものの、基本的に自身よりも国を優先させる。

 

 今川軍が迫っている今、このような時間を過ごしている暇はないのだ。

 

 それなのに、何故?

 

 悩む二人に頭上から声がかけられる。

 

「長秀、貴女に問いかけるのは一つだけよ。今回の件は、どこまで貴女の策の範囲(・・・・・・・)だったの?」

 

 長秀の思考が一瞬停止した。

 

 そして直ぐに、策を読まれていたという驚きと同時に、聡明な主君に対して余りに迂闊な行動をとった自分を恥じる心が沸き上がってきた。

 

 今考えれば、良晴に持たせた手紙を書いた時、信奈に説明した恩に着せるという簡潔な理由とは裏腹に、長秀は多くの事柄を尋ねすぎていた。

 

 たとえ尋ねた時には気づかなくとも、時間を置けば姫様が何か他に理由があるのではないかと気づいてしまうのは、半ば当然ではないかと、長秀は迂闊な己を責めた。

 

 しかし、時すでに遅し。

 

 このように問われたからには、姫様は私の浅はかな考えなど既にお見通しに違いない。

 

 若輩なれども、いくつもの修羅場をくぐり、家老の地位をいままで保ったという武士の矜持もある。

 

 ここまできて、無様な真似をするわけにはいかない。

 

 覚悟を決め、信奈に長秀の策の中身、つまり、自身と共に良晴に関連する問題の解決を担ってもらうため、長秀個人に対し半兵衛が恩を感じるように仕向けようと手紙をしたためたことを認めた。

 

 そして、話終わると、長秀はそっと目を閉じ、信奈に向かって頭を下げた。

 

 主君を欺くという罪である。長秀はもはや切腹を含めたどのような処分でも構わないとすら考えた。

 

 そして、そこまでの覚悟をもって、頭を床板に押し付ける形で平伏した。

 

 しばらくの間、ただただ沈黙が続いた。

 

 その沈黙に耐えかね、面を上げようとする己を抑え、長秀はそのまま平伏の形を保ち続けた。

 

 ……ちなみに長秀は見ていなかったが、彼女の言葉の後、良晴、犬千代、勝家の三名は、信奈が長秀を害そうとした瞬間に取り押さえようと身構えていた。

 

 長秀の行為の一因が自分達にあることは明白であるし、個人的な友誼もある。長秀を見捨てるという選択肢は彼らにはなかった。

 

 半兵衛も、聞きしに勝る信奈の威圧感に涙目になりながらも、袖に手を入れ符を放つ準備をしていた。

 

 こうして、様々な者逹の感情が渦巻く中、信奈はゆっくりと口を開いた。

 

「デアルカ」

 

 ぽつりと呟くように口にすると、彼女は相好を崩した。

 

「すまないわね。長秀」

 

 続けられた謝罪の言葉に、長秀はポカンとした。

 

「ひ、姫、なぜ姫様が謝られるのです」

 

 慌てて理由を問う長秀を逆に落ち着かせるように、押さえるように両手を上げながら、信奈は個人的な事よ……と言葉を濁し、ただ邪推したとだけ伝え、自らの行為を詫びた。

 

 そう、良晴と長秀にはあずかり知らぬことでああるが、信奈にはある一つの危惧があった。

 

 その危惧こそが、今回信奈がここまで怒気を露わにした理由である。

 

 勿論、余計な事をして側室を増やした事による嫉妬の怒りもあるのだが、それだけ(・・・・)ではなかった。

 

 長秀の行動が、半兵衛と良晴の両名に個人的な恩を売り付ける形のものであることが問題であったのだ。

 

 なぜなら、その行為は一歩間違えれば良晴と長秀による下剋上を誘発する一因となるからである。

 

 詳しく説明しよう。

 

 言うまでもなく、先日の御家騒動により、織田家はその内部関係の弱さを露呈し、同時に、その解決に尽力し、鎮圧を成功させた相良良晴は大きく株をあげた。

 

 又、その際に家老である柴田勝家が嫁いだことにより、良晴の唯一にして最大の弱点である『よそ者』という部分も改善された。

 

 地位こそ未だ大きな武勲を立てていないため低いものの、軍師竹中半兵衛を手に入れた手腕や、短い間でも分かる商才や戦術的な視点の鋭さを見るに、今回の対今川戦をでも大いに活躍する可能性が高い。

 

 相良良晴率いる相良家は、若手の中ではナンバー2と言っても過言ではなかった。

 

 それに対し、織田家は亡き先代が定めた後継者にあろうことかその妻が異議を唱え、結局良晴が仲裁するまで他国の侵略が迫っているのにも関わらず揉め続けた。

 

 さらに、正当後継者である信奈は、その革新的な考えと奇抜な服装から他家から軽んじられ、国の一大事である内乱一歩手前となっても、(内心どうであれ)信奈側についていた武家は極少数であった。有力な武家に限れば、ほとんど居ないといっていい。

 

 良くて『中立』がほとんどであり、そのせいで深刻なものは無かったものの、信澄側の町人や下級武士に対する乱暴狼藉を許す一因となった。

 

 遠回しに言わずはっきり言えば、尾張の長として任せるのには不安が残る家なのである。

 

 だが、それでも他に尾張の主に相応しい武家が他にいなければ、信奈は『失態はこれからの行動で返す』とばかりに何も考えず国主として振る舞うことが出来た。

 

 新たな尾張の主として十分な資質を持つ、前述した『相良良晴』という男と、中立派を短時間でまとめあげた『丹波長秀』という存在が無ければ。

 

 万が一、今川戦を無事に終えた時点で、長秀が良晴を旗頭に中立派を巻き込んで下克上を起こした場合、高確率で成功してしまう可能性があることを信奈は危惧したのである。

 

 無論、良晴が自身に語った愛が偽りでないことも、長秀が個人的に友人として大切に思っていることは信奈も承知している。

 

 しかし、聡明な彼女は、彼等が信奈と尾張を慮って国の存亡に関わる者達を排除してしまう可能性、というものから目を背ける事が出来なかった。

 

 『信奈を大事にする』というのは『織田家が尾張の国主である』ということとイコールでは無いのである。

 

 ただ、信奈を大事にするだけならば、織田家から国主の座を簒奪したとしても方法などいくらでもあった。

 

 具体的な方法を挙げれば、弟信澄とその母である先代の正室を追放、又は殺害し、正当性の証として信奈を妻に娶るという方法である。

 

 国の安寧を保つために、このような策を実行することは決してありえない話では無かった。

 

 ここで、多くの人は一つの疑問を持つだろう。

 

 なぜ、信奈はそこまで分かっていても、自らその解決法、つまり時勢が読めず反逆した母と弟の処分を実行しないのかと。

 

 別に表だって追放の沙汰を出さなくとも、今川戦の後で二人を僻地に軟禁してしまえば、諸問題は容易く解決出来る。

 

 信奈とてそのことは自覚していた。

 

 本当に国を思うならば、一度公然と背いた以上、最低でもそうすることが『国主』として正しい判断であると。

 

 だが、信奈は、『それ』が受け入れられない。

 

 身内を見捨てられず、ひどいことができない。これこそが信奈の抱える唯一の欠点であった。

 

 幼い頃から、聡明さ故に、周りから疎外され、寂しい思いをし続けた反動からなのか、身内を『切り捨てる』ことに常人以上のためらいをみせてしまう。

 

 そう、たとえ、自らに背いた者でさえ、『家族』だからという理由で許してしまうくらいに。

 

 それが自らが掲げる『合理的思考』とはかけ離れた行動であることを自覚していても、彼女はそれをやめることが出来なかった。 

 

 そのため、たとえ微かな可能性であっても、家族の身の危険につながる行為―――必要以上に良晴と長秀の権力が増したり、派閥が接近するような行為には強く釘をささねばならなかった。  

 

 それが、今回信奈が二人を怒った真の理由である。

 

 『まあ、そんなことしても、信澄はともかく母上が私を愛してくれる訳ではないけどね』 

 

 たとえ、自身が愛されていなくても家族のために奔走する自分を笑いながら、信奈は長秀との話を終えた。

 

 そして、座した良晴の前で片膝をつくと、そっと両手でその頬を包んだ。

 

 先ほどまでの『君主』としての顔ではなく、『女』としての顔で、良晴を見つめる。

 

 良晴もそれに応え、信奈を『上司』としてではなく、『男』としての顔で見つめた。

 

 そう、この瞳よ……と、信奈はその目を見てひどく幸せな気持ちになった。

 

 良晴が信奈のお気に入りなのは、その実力が主な理由ではない。

 

 この時代の常識が受け入れられず、常に奇異と侮蔑の目で見られていた彼女を、『それでいいんだ』と肯定し、後押ししてくれるような目が、信奈はたまらなく大好きであった。

 

 そう、叶うならば、閉じ込めて独占したい(・・・・・・・・・・)くらいに。

 

 そして、こんないびつな感情を抱えた女に、『愛している』と言った男に自らの心を吐露した。

 

「良晴」

 

「何だい?」

 

 詳しい理由も告げずに座らせたにも関わらず、優しく見つめる良晴に、信奈は最大限の愛情を込めて囁いた。

 

「……覚えておきなさい。私が貴方のモノでは無く、貴方が私のモノ(・・・・・・・)なのよ」

 

 それだけ告げると、信奈は皆に解散と明朝の集合時刻を告げ、屋敷の奥へと帰って行った。

 

 ……あの人は、危険だ。

 

 話が終わり、未だ顔色の悪い長秀を送って行った良晴が戻るのを待っている間、半兵衛の頭の中では何度も最後に良晴に見せた笑顔が再生されていた。

 

 小声で良晴に伝えていたため、話した言葉こそ不明なものの、その表情で、話した中身の見当はついていた。

 

 そして、その歪な感情の恐ろしさも、半兵衛には理解出来てしまっていた。

 

 あの方は、愛されたいという感情が、他者と比べ物にならないほど強い。

 

 しかし、同時に、自身を他人に合わせる事が絶対に出来ない(・・・・・・・)

 

 『ありのままの自分を愛して』と言えば聞こえが良いが、恐らくほとんどの人にとって、彼女に合わせることは困難を極めるだろう。

 

 もし、彼女を受け入れられるものがいるとしたら……

 

 先ほど、目の前で行われたやりとりを思い返す。

 

 そう、良晴と信奈が最後にお互いを見つめていたその時を。

 

 周りの者達が、心配そうに見守る中、良晴は、彼女の激しい嫉妬から出た言葉に、何も反論することなく、受け入れていた。

 

 まるで、信奈様のものならば、その嫉妬すら愛しいとでもいうように。

 

 これこそが、信奈様を受け入れられるただ一つの方法。

 

 その激情の炎に焼かれることを是とし、どんな目にあっても彼女を受けとめ続ける強靭な心。

 

 それは物語の中ならば美徳かもしれないが……

 

 どんなに強い精神を持っていても、良晴さんは人間。その心身が耐えきれなくなる時もあるでしょう。  

 

 そのとき、ありのままの『炎』であり続けた彼女を他の誰が止められるか。

 

 万一止められなければ、その『炎』は多くの犠牲を生み出してしまう。

 

 半兵衛には、その光景が、容易く想像できた。

 

 ……後で長秀様と相談しましょう。稀代の傑物である信奈様が、道を違えない方法を。

 

 様々な者達の、様々な思惑を抱え、半兵衛と信奈の、初めての邂逅の夜は終わった。

 

 (第十七話後編 了)

 


 
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