No.495716

魔法少女ほむら☆マギカ BwC 【サンプル】

日宮理李さん

魔法少女暁美ほむら。彼女の魔法は鹿目まどかとの出会いをやり直すための魔法であるはずだった。
しかしながら、時間遡行で戻った世界は彼女の知る世界ではなかった。
記憶をなくしたほむらが出会ったのは、シャルロッテと名乗る不思議な金髪少女。
「あいつらの方が魔女だ。罰せられるのはあいつらの方――」
果たして、ほむらは元の世界に戻ることができるのか。シャルロッテの正体とは一体……?

続きを表示

2012-10-13 17:46:24 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:949   閲覧ユーザー数:949

燃え盛る家屋のすぐ側で、掠れた声を少女があげていた。身に纏う白い清楚なドレスはいたる所が破れ落ち、そのすぐ側には車椅子だったものが転がり落ちていた。車輪は砕かれ、フレームがへの字に曲がっている。

「っ……」

少女は頭から流れ出る血を気にする様子も見せずに、身体を無理やり起き上がらせる。そして正座し、目を閉じると手をあわせた。その姿は、空に輝いている満月に祈るかのようだった。少女は言葉を綴る。

「――けて」

すると先程まで家屋の燃える音が――突如として消えた。

「――えっ」

少女が目を開けると、視界に広がるのは白い空間だった。少女が大きく目を開き、困惑しながら周囲をくまなく見渡すと――一人の白いローブを纏う者が、いつの間にか目の前にいた。

ローブが目元まであるため、表情は見えなかった。その者は告げる。

『君は何を――んだい』と。

 少女が声をあげるために息を吸い込むと、

「――」

その声は音を振動させることなく、ただの無音を作り出していた。戸惑う少女に、

『そうかい。君の願いは確かに――を凌駕した。力を――とるがいい』

 ローブを纏う者は言葉を返す。

『それこそ、時の――を――するほどの願い――』

 そしてその言葉を最後にその空間は消滅し、そこには――一人の少女が立ち上がっていた。

 

 

「……はぁ」

――あぁ、どうしてこんなにも虚しい気分にさせられるのだろうか。歩けば歩くほど、身体が徐々に重っていく……そんな気分さえする。実際には重さを感じない、偽りの身体だというのに……。だからといって、私の足は止まることはなかった。止めようとも思わなかった。

ただ、真っ直ぐ進む。ただ、受動的に進む。

誰かに命じられていないから、呪縛に近いものかもしれない。それも“そこに行かなければいけない”という戒め。だから足をあげ、ただ前へ前へと動かし何度も繰り返し大地を踏みつける。

「……ぅ」

伝わってくるその感触は固い土であって、決して土でないもの。それは――かつて街を構成していた一部。いずれただの石となるだろうコンクリートの瓦礫を、破壊された遺構を、私は踏み越えていた。

「……」

何もできない。何もできなかった。いや、違うか……。

 ――目の前に広がる残酷。

あの時、ただ呆然と私は見ているだけだった。あの時の私であれば、少なくとも魔法少女の力を使えたはずなのに、その力を使うことすらできなかった。いや、そうする暇さえなかった。

暁美ほむらという魔法少女は既にあの時在ったというのに――。何もしなかったのが悪いのか、悪くないのか今の私にはわからない。ただ、あの娘は笑ってくれた。

髪が宝石みたいに光輝く――金髪の少女が。

『最後は、やっぱ笑顔でしょ?』

消えゆく存在でありながら、確かにそう言ってくれた。思い出すのは、彼女の満足そうな笑顔。とても綺麗で救われたそんな想いを感じた。

だから結果的にいえば、力を使わなかったことが正解だったのかもしれない。だからこそ――今の私がここにいる。あの出来事が原因なのか、ただ状況に流されるままの自分がここにいた。あちらへ、こちらへと進むべき未来を歩み、迷う自分がここにいる。

でも、枝分かれている未来に見えて、終着点は同じ。

 ――ワルプルギスの夜。そこへと結局、辿り着く。その間にまどかを救えるか、救えないか。それだけの違いがある未来。そこへ収束するかのように、私の未来は進んでいく。

私が行きたい、たった一つの正解への扉はまだ開けられないでいた。

 まどかと一緒に過ごせる未来――。その扉をいつか開けることができると信じ、私は歩き続けている。

「迷い……か」

その場に立ち止まり、ずっと拳を作り続けていたままの手を開き、指を一本一本開いていく。その手の中には当然何もない。温もりも癒しもない。かつて、私を包み込んでくれた温もりも当然ない。あるのは、魔女によって斬り裂かれて生まれた赤い線となった傷口だけ。

――傷口なら、おそらく全身にある。背中なんかは攻撃を回避する際に何度も受けた。それなのにこの手だけ痺れのような全身に伝わる痛みを感じる。

なぜなのかは、わからない。だけど、心に何かを与えてくるのだけはわかった。

「……」

雨が私の穢れを払うかのように降り続けていた。ただ――まっすぐ空から大地へ。雨は天からの恵みという。確かにそうかもしれない。だからなのか、私は傘をささずにそれに身を委ねていた。その癒す力で心を浄化して欲しかったのかもしれない。でも、現状は違う。

そんなことはできやしないんだから……。

「雨か……」

傷口から流れ落ちる血が雫となり、地面へと流れてゆく。

「……」

手にある傷口から紫色の光が漏れた。意識した私の力の影響だ。その光によって、少しずつ傷が塞がっていくのを目にした。血はもう流れない。痺れも心なしかなくなったように思えた。雨や血の流れが私を憂鬱にさせているのかもしれない。違う、そうじゃない。決して、誰かのせいじゃない。だから、歩こう。前に。ただ――命じるままに。

「はぁ……」

私の周りには誰もいなかった。私という魔法少女以外、誰もかもだ。いや“かつていた”というべきだろうか。この際、あれを“人として”数えるかという問題を考えないとするなら。

あれは……? ふと視界をよぎる物があった。

「花……?」

 もう何もないと思ったのに、それは咲いていた。白い花が咲いていた。瓦礫に潰されることもなく、火災によって燃えることもなく、綺麗に咲き誇っていた。あの時見た教会の花に少し似ている気がした。花を掴みとり、匂いを嗅いでみたけど、何もわからなかった。

――血生臭さ以外は。

「そう……」

 ある意味で同じなのかもしれない。あの時嗅いでいた匂いに。ゆっくりと花を地面へ戻し、前を見た。私があの時対峙していた人に向かうために。さっきまでいたあいつは人ではない、いや昔は人であったかもしれない。人であったことを私は……他の誰よりも知っている。

だから、ここには誰もいない。人も動物もいない。何も見えないはず。

「……」

 いないのも当然のことだった。まだこの世界、この時間軸では魔法少女に遭遇していないのだから。巴マミ、佐倉杏子はきっと魔法少女だろうけど、この街にはいない。彼女たちはここに魔女が現れることなんて、知っているはずもないのだから。知っているのは、過去のデータを知っている暁美ほむら――ただ私だけ。だから、まだ魔法少女には誰も遭遇していない。

強いていうなら、私という魔法少女以外には――、

「さようなら」

 この言霊は、誰に対しての別れの言葉なのか。その誰かを忘れているわけじゃない。覚えていない私がいたら、もう一度彼女に会いに行かなければならない。

 金髪の少女、いつも笑っていた少女に。

数日間のたったそれだけの出会いなのに、彼女は私を勇気づけてくれた。

――自分の想いを貫き通せ、そしてあなたもきっと笑えるようになるよ、と。

消えてしまうとわかっていたのに、私を助けてくれた。あの娘は利用していただけなのかもしれない。彼女自身の願いを叶えるために。それでも笑ってくれた。

「……」

私にとって、生命の恩人。そして私を必要としてくれた――優しい娘。全てを背負う必要なんてそれこそないはずなのに、それでもあの娘はいつでも笑顔だった。一生懸命笑っていた。

私のために――あの娘のために。私は果たしてあの娘の役に立てたのだろうか?

わからない……、けど何かしないと気がすまない気がしていた。

 だから、再びめぐり逢うことがないその人へ言葉を作る。作ることに意味がある。言葉をいくつ作っても届くことなんて決してないことはわかっている。言葉は決して過去には届かないから。届くのは未来のみで、過去へと届くことは決してないのだから。

それに私が願ったのは……そういったものではないのだから。

私は――鹿目まどかとの出会いをやり直すために、インキュベーターと契約した。

あの金髪の少女と再会するためじゃない。あの出会いはイレギュラーな遭遇で、必然のような偶然の産物なのだから、もう会えることなんてない。

「はぁ……」

わかっているのだけど、憂鬱な気持ちのせいか、何か言葉にしないと前へと進めない気がしていた。だからこそのさようならだった。口にするだけで、心を満たす何かが生まれたのがわかる。もしかすると、ただの偽善なのかもしれない。そんなことは私自身わかっている。だけど、

「……っ」

 この想いを胸に抱きながら、前を向いた。目の前に広がる世界を――。 

壊れたビルは天井がなくなり、そもそも一階以上あったのかもわからない。オフィスだったのかパソコンやらがやたらと落ちている。マンションも同じように一階以上あったかわからない。だけど、きっとコンクリートに固められているのだから、複数階あったのだろう。冷蔵庫らしくものもその瓦礫の中、五つほど見えたから。

ここにあるのはそういう瓦礫と、その崩れ落ちたものが複数周りに存在するだけ。周りといってもここら一体見渡す程度……。人によっては、この広さは一つの街といってもいいかもしれない。それくらいの膨大な土地が荒地となっていた。原因は簡単なこと。私が壊し、あれが壊したから。人は元より住んでいなかった。

その理由は、天変地異と呼ばれる大きなハリケーンが襲うと、警報が出されていたから。

となると人は簡単なことに、そこから逃げればいい。その結果が今のこれ。集団疎開、集団避難。言い方は多々あるけど、結局どこかへ逃げただけ。どうしてなのだろうか?

力もないただの少女であった私ならどうするだろうか? 何もしない、何もできないかもしれない。それでも――私は……。

「……最悪」

それは最悪なことだと思う。少なくとも他のやり方はなかったかと。確かに逃げるしか方法なんてないかもしれない。だけど、それは本当に的確な答えだったのか。本当に大事なことだったのか。本当に必要なことだったのか。私は……私にはそう思えない。

でも、彼らには私たちのような力はない。戦うことすらできない。

力があっても――魔法少女であってもこの結果を招いたのだから。この荒地が証拠。私は何も考えなしに街を破壊した。逃げた人たちのために気遣う必要なんてないから。そもそも誰もいないなら、そのことについて誰に許可を取るべきなのだろうか? 私たちが戦っていることを知る人なんていないのだから、そんなものそもそも必要ない。だから、本当は私が文句を言う資格さえないのかもしれない。

それに誰もいなかったからこそ、可能だったのだから感謝すべきことなのかもしれない。誰も死なせず、守ることができた。それで十分なはずなのだから――。

「……ぅ!」

拾い上げたクマのぬいぐるみの頭が音をたて、胴体だけが地面へと落下した。――嫌な光景だ。否応なしにあの時のことを思い出してしまう。魔法少女が油断すれば、この人形のように残虐な死になることもある。何度も何度も見てきたことだけど、見慣れるなんてことはないと思う。

「……あっちか」

これよりも残酷な世界を知っていた。血と涙もないただの暴力しかなかった世界を。

秩序なんてとうに消え失せた無人の荒地で―― たった一人で少女が戦っていた。

そこで少女は言っていた。『寝られる日が欲しい、好物が食べたい』と。

それは叶うことなく死んだ。あっけなくというのかそれぐらい簡単に少女は死んだ。救えなかった。救うことができなかった。あの時『君が救いたいと願う少女を救うのだ』と、少女は死の間際に私に呪文をかけるよう囁いていた。それが少女との別れ。

だから、本当に少女が死んだのかわからない。

「ん……」

頭を上げる。思い出してみれば簡単なこと。私は知っていた。少女がどうなったかを間接的にだが、少なくとも結果だけは明白。その答えがここにあり、私がその結果と戦っていたのだから。

「ふぅ」

頭だけとなったぬいぐるみをゆっくり地面へ下ろすと、それを振り返ることなく前へと進んだ。何度戦ったのか数えるのがわからない、かつて人だったものに会いに行くために。

私がそこまで移動させ、攻撃した際に生まれたクレーターと見間違えるほどに大きな穴。その中心点にそいつがいた。そこはここからでもよく見える。そいつは動かず、ただ横たわっている。おそらく、生きていない。いや、そもそも生命という概念があるのかさえわからない。

「……」

クレーターの中に入ると、坂道を滑りながらゆっくりとそれに近づいた。遠くから見ているよりも少し想像以上に大きい。そのせいか少し足を取られそうだった。加えて注意が必要だった。ビルの瓦礫なのか、窓ガラスやら、壊れた木材が穴から突き出して邪魔だったから。

この穴は蟻地獄の罠のように沈んでいくことはないだろうが、警戒は怠らないよう心掛けた。倒したとはいっても、違う敵がいるかもしれない。

いつでも発動できるよう心がける。時を止める私だけの魔法の力を――。

「……」

 そしてたどり着いた場所で、その姿を視界に入れ一息吸い込むと、

「久しぶりと、言ったほうがいいのかしら……」

目の前には、朽ち果てた一匹の魔女。

こいつは答えなかった。死んでいるのだから当たり前――。

「これで、眠れるかしら?」

 残念ながら、ここには好物はないけど。横たわる“お菓子の魔女”に何回目なのかわからない言葉を告げる。消滅しつつある魔女に一度頷くと、片手でグリーフシードを拾い上げ、憂鬱な気分はこれで終わりと、穢れたソウルジェムを癒した。

 あなたを殺し続けることになっても―― 前に進むわ。あなたの想いは……。

 

 

 夢を見ていた。――それも夢だとはっきりとわかるものを。

「……!」

頭の中の奥底で、何かの音が反響している。水滴が地面へと落下する静かな音、そういうのに少し似ている感じがする。その音は断続的に続いていて、私の全身に響き渡るようで刺激の一種、そうとも感じられた。

でも、手を動かしても音の原因らしきものを感じることはできなかった。どこも濡れておらず、つかむところすらしない。何もない闇の中といったほうがいいかもしれない。

歩き出せる床もなく、ただ彷徨うだけの闇。

「……?」

だから、私の視界から見えるものは当然のごとく何もなく、明かりもない夜の世界にいるようだった。不思議な気分。水の中のような場所にいるのに、呼吸ができるというのは。

「なんだろ……?」

時より視界を何本かの光線が、水音と共に走ることがあった。ほとんど何も見えない中、それだけははっきりと見える。その光線は曲線みたいにくねった光の線で、どういうわけかその光線を見るとき、言葉が聞こえる。光線が言葉に変換されて、私の頭の中へ伝わってくるようだった。

――言葉。それが言葉だと気づきはじめたのは、ついさっきのことだった。ただの水音だと思っていたものが言葉、それも聞いたことがあるものに近い。それも懐かしい、そんな印象を受けるものだった。

「――ほむらちゃん」

優しい癒しと温もりを感じる声。……誰だろうか。懐かしさを感じる。それと動き出さなければいけないという使命感を私の胸に楔として打ち込んでくる、そんな印象さえも与えてくる。

「――暁美さん」

何度も助けてもらったような気がする。それと熱い抱擁。すべてを包み込んでくれる、そんな印象もある。

「――ほむら」

何度も手を取り合った声。そして信頼。お互いを思いやるそんな印象。

「――転校生」

何だろうか……、苛立ちを感じるような? 顔も姿も何もわからないのにその声だけで怒りたくなる。どうしてだろうか? それに怒るなんて感情は久々に感じた気がする。

それらは、――映像のない夢を見ている感じだった。これが夢なのかなって思ったのは、その聞こえる声が誰のものなのかが、わからなかったから。きっと昔にあったことのある人の声なのだろうと思う。子供の時にあった人かもしれない。もしかしたら、病院で会ったことのある人なのかもしれない。

でも、誰なのかわからない。それだけははっきりとわかる。声だけで判別できないだけなのかもしれない。そんな風に考えていると――ふいに寂しさも感じた。誰かに見られているわけじゃないのに、悲しい目を誰かから向けられている錯覚さえした。

――気のせい。夢なのだから。見えるものがないなら、私を見る人もいないし、見えないはず。思考を切り替えて、夢から起きようと思った。

夢は夢だからって。

それにまた、いっぱい検査を受けないといけない。それが終わればやっと学校に戻れる。何年ぶりになるかわからない学校に。でも、私みたいな娘が学校に行っても友だちなんてできるのだろうか。不安だけど、まずは検査。それだけを考えよう。

「ぅ……」

 うっすらと目が覚め、夢から起きたのだと認識した私はなぜだか違和感があるなぁって、思った。それは簡単な理由。風の通る音が耳を支配し、強烈な閃光が目蓋を照らす気がしたから。

……それはありえないこと。病院の中、それも病室に私は寝ているのだから、風の音なんて聞こえるはずがない。隙間風が入るような穴はそもそも空いていないはず。それに私が聞こえるのは継続的な嫌な機械音。それだけが私の日常のはずだった……。

だから、きっと朝日の光が病室内に入り込んで、たまたま開いている窓から隙間風が、私へと当たっているのだと認識することにした。たまたまそういうのが重なったのだと――。だけど、

「んっ……!」

 何なのか理由はわからないけど、違和感とは別に、すごく頭に痛みを感じた。どこかを切った痛みに近い。偏頭痛にも思える痛みが頭から全身へと走り続けている。いつの間に怪我をしたのだろうか。寝ている時にでも何かにぶつけてしまったのだろうか? そう考えながら、うっすらと目を開けてみると、

「うーん……?」

眠気眼で見え始めた天井は見たことのない天井だった。それはとてもきれいな空色で。雲と黒い煙と赤い炎。天井と認識した場所から、それは見えた。――動く天井。そんなものは聞いたこともないし、ありえない。とにかく、私の知っている場所ではなかった。

「えっ……」

 頭を左右に振ってもやっぱり知らない場所が目に入ってくる。

 まだ夢を見ているんだ。だから、意識をきちんと覚醒させれば起きられる。そう信じて再び目を閉じて、また再度開いてみてもこの光景は変わらなかった。余計にこの状況が刺激となって、私の身体を包み込むだけだった。

「――あ」

私は……なぜか外にいた。病院の敷地内じゃない。それだけはすぐにわかる。わかったけど、意味がわからない。そのせいなのか、頭痛はなぜか薄れていた。不幸中の幸いというものなのかな? でも、これはきっと……、痛みよりもこの現状が私を支配しているからかもしれない。

「……?」

そのことを確認するように頭を触ってみても、どこも切れている様子はせず、痛みも感じない。でも思い出すのは包帯が巻かれていたようなことや、何かピンク色のリボンをしていたようなこと。今は、特別に何も頭には装着されていないのに……何か大切なものだった気さえした。

はっきりとした視界によって、置かれた状況がしっかりと目に入り、

「うっ、嘘……?」

 口に言葉を出しても、目の前の状況には変化なんてないし、答えてくれる親切な人もいなかった。確かに私は病院にいたはず。病院には私の病室があって、私はそこで寝泊まりする生活を続けていたし、身体検査を次の日に受けなければいけないという記憶がある。そのことは確かなはずだけど。

「……」

でもどうして、私は外にいるのだろうか? それも荒野というか硫黄の匂いがする場所に――。不思議な事はまだあった。私の服は着たことがないはずの学校の制服。正確には着るのは初めてではないけど……。でも確か寝る前はパジャマで寝ていたはず。もうすぐ学校にも行ける。少し不安だけど楽しみだとは思ったけど……。さすがに制服を着たまま寝ることなんてしない。だって服にしわがついてしまうから。よく見てみればご丁寧にリボンまでつけている。それも結び方を見れば、私がよくする結び方。だから、私は自分の意志でこの服を着たのだということになる。色々わからないことだらけだった。だから、

「ん……?」

 寝たきりでは情報がわからない。なので、身体を起こすと周りを確認できるように首を動かす。病院の近くなら歩いて帰ればいい、そう思ったから。無断外出なんてしたことないから、お母さんや先生に迷惑をかけているかもしれない。少し怖いなと考えていたら、

「えっ……? なに……こ、ここどこっ?」

 そんな私をあざ笑うかのようにして、目に入ってきたのは見たことがない建物ばかり。どれもかしこも一部壊れていたり、火が点いていたりしていた。建物にかけられている看板なんかは見たこともない文字。英語? 筆記体というのだろうか、繋がった文字が羅列している。

――どれも全てわからないものしか目につかなかった。

火に関していえば、異常に多い。この場所をまるで彩るみたいに炎が赤く照らしている。地面、建物、電柱……。この燃える匂いがもしかすると、この鼻を刺激してくる硫黄臭なのかもしれない。何かのお祭りごとなのだろうか……。その割には派手に燃えている。それに壊れ過ぎな気がする。そんなお祭りなんて知らないけど、

「……」

 でもなぜだか見たことがある気が? だからなのか落ち着いていられた。――おかしなこと。

「きゃ!?」

 耳に残る強烈な何かの破裂音と共に、私を衝撃波のような振動が襲ってきた。

「いっ……」

今までに体験したことのない痛みで、身体が少しずつ震え始めてくる。――恐怖が遅れて支配し始めようとしていた。

「うぅぅ……」

それでやっと、私は睡眠状態から完全に目が醒めた気がした。

「えっ……?」

 震えながら爆発音がした場所を振り返ると、馬車みたいな四輪車が火を吹いていた。馬車って、病室で見た洋画でしか見たことがない。馬はどこにいるのだろう……?

それとも別の何か……? それに私の知る車は――、

「うっ……! なにこれ……?」

 車の形を思い出そうとして、ひどい頭痛を感じた。先ほどよりも強く、痺れる感じだった。

「いぅ……」

 頭が割れる、そう感じて車の形を思い出すのは……やめることにした。車なんていいからここがどこなのか調べないと……。深呼吸して、少し震えが落ち着くのを待つと、

「これは英語……?」

 頭痛が治まり始めたので、近くに落ちていた破れたチラシのような紙切れを拾い上げてみた。でも、そこに何が書いているのかさっぱりわからない。破れて内容が破損されているということ関係なしに、文字を理解することができない。眼鏡を外して、付け直してもやっぱり読めない。

「うーん……?」

 裸眼だとこの英語はアリさんみたい。筆記体に見えてくるぐらい繋がっているように見えた。

そもそもこれで見えるなら……というより、どうして私は眼鏡をつけて寝ていたのだろうか。しかもこんな怖いところで。座っていてもわからない。『警察署か交番にいけば、どこだかわかるだろう』そんな軽い気持ちで私は立った。立ち上がろうとして、

「えっ……」

 何で今まで見えなかったのだろうか、起きたばっかりだったから……? 無意識に見ないようにしていたとか……? でも、今それははっきりと見える。

 ゆっくりと赤い刺激色が黒ずんだ赤へ色帯びていく姿が、視界にはっきりと目を閉じて開き直しても、確かにそこに存在していた。

――なんで気付かなかったのか。

できたら、気付きたくなかった。

――なんで見えなかったのか。

できたら、見たくもなかった。

……立ち上がった私の周りには、血だらけの人。他にも人なのかわからない生き物の死体と思われるものがたくさん転がっていた。瓦礫に潰されて死んでいる人……、その他にも……。

「い、生きているよね……?」

 その一つに近づき屈んだ。だけど、……手に触れようとしてやめた。

「っ……!」

 ――異臭。

 それは嗅いだこともない強い異臭で、頭の奥を刺激する匂いが回ってきたから。

「い、いやだぁ……、なにここ……!?」

 誰か、誰かいないの? 周りを見渡してもやっぱり、誰もいない……。生きている人間を発見することができない。どの人も赤い血を流し、こちらに見向きもしない。

「っうう……」

 気持ちが悪い。――ここから離れたい。それが私の身体を動かしていた。

「あ、あれは……?」

見たことがない建物の入り口が目に入る。そこは他の建物に比べて壊れているところが少なく、何より炎が出ていなかった。

「あ、あそこに……」

 私は元が何だったかわからないものを踏まないようにして、できるだけ急いで建物へ向かうことにした。……人だったものを――わからないものと位置づけるように。

 

 

「あ、あの誰か……! い、いませんか!?」

あまり声を出すのは得意なことじゃなかったけど、そうも言っていられる状況じゃない。誰でもいいから人に会いたい。安心したい。その気持ちから、できる限りの大きな声を出した。だけど、私の声に反応する声はなくて。ただなんともいえない虚しい気分を味わうだけだった。

本当に、だ、誰もいないのだろうか?

「うっ……き、喫茶店みたい……?」

 店内をよく見てみれば、よくテレビドラマで見たことのある喫茶店に似ている気がした。カウンター席と、いくつかのテーブル席。それに目を配っていると、

「んっ……?」

何かとても甘い匂いがした。紅茶でいうダージリンの匂いに似ているような気もするけど、

「何の――」

紅茶なのだろうか。その匂いの元も見つかるかもしれないと奥に進もうとすると、いくつかのテーブルは、倒れて壊れていたが目に入った。それに割れたカップもいくつか落ちている。匂いはひょっとすると、このこぼれた紅茶なのかな。

……ここも外と同じように何かあったのかもしれない。

 ゆっくり足を奥へと進ませていくと壁に大きな穴が空いていた。それは勝手口や非常口と違って、明らかに何かによって壊されたのか、吹き飛ばされたかわからないけど、丸く抉られていた。私よりもずっと大きくて、ちょうど私が三人くらい入れるくらいの細長い横穴。

「何だろう……?」

よく見てみれば、その抉り取られた壁は、まるで鋭利な刃物によって開けたれたように切断面がギザギザしていた。触れると手が切れてしまうかもしれない。危ないから近づかないでおこうと考えて、他に何かとカウンター席に目を向けると、

「新聞……?」

 それが目に入った。カウンター席のテーブルの上に新聞が置いてあった。何かわかるかもしれない。そう思い手に取り、

「……?」

 なんだろうこれ……? それが第一印象。

さっきまでいた外に日本語で書かれたものがなかったから、やっぱりこの紙も日本語じゃなかった。だけどこれは英語。知っている言葉だった。

 日本語がないってことは、ここはもしかすると、日本じゃない外国なのだろうか? だとすると飛行機に乗った記憶もないし、船に乗った記憶もないのに、一体どうやってきたのだろうか。それにこの言葉はこの場所……、この国の標準語なのだろうか? 仮に二言語が主体で、この内の一言語が外に書かれていた言葉で。新聞などの一般的に広まるものは英語。そういう扱いで分けているのだろうか? 

でも、それだったら街の言葉も英語にする気がする。私の勝手な解釈だけど。

「うーん……」

少なくとも私が今いるここ、――この国はそういう場所なのだろうか……? だけどやっぱりわからない。なぜ私はこんなところにいるの? 誘拐? 誘拐なら、身動き取れないように拘束するだろうし、外に逃げられるような場所に隠すことはないはず。考えても仕方ないと思い、

「うーん……」

 新聞の紙切れをもう一度よく見てみると、『When I carry out large witch hunting』。そこには大きく見出しにそう書いてあった。かろうじて、私が理解できた英語は、ウィッチ。つまり、魔女という言葉と、ハンティング――狩猟という言葉だけ。

――魔女狩り。それが私の脳内を駆け巡った。確かヨーロッパでかつてあった惨事の話。それが書かれているということは少なくとも、ここはヨーロッパのどこか?

あと馬車が燃えていたのだから……、

「つまりは……」

 ここは少なくとも、過去のヨーロッパなのかな?

「……ありえない」

 思わず口に出してしまうくらいありえない。タイムトラベルなんて、本だけの物語。現実ではありえない。少なくとも、タイムマシンができたとかテレビで見たことなんてない。仮にあったとしても、私が乗った事実はないし、乗ることも絶対ないと思う。

 でも、どうしてなのだろうか。こんなおかしな状況になっているはずなのに、心は全然驚きを感じなかった。どちらかといえば、厄介事にまた巻き込まれた。また面倒くさいことになった。そういう諦めに近い。だからこそ、恐怖心はあるものの、どこか落ち着いていられた。そして魔女。この言葉は、聞いたことがないはずなのに何度も、何度も聞いた印象がある。それに――、

「……っ!?」

 一瞬何か怪物みたいのが脳内をよぎると、頭痛が襲いかかってきた。あの夢から覚めた時と同じ痛みが……!

「はぁ……くはぁ……」

 同じ対処法でなんとか痛みをひかせることができた。カウンター席の椅子に座り、呼吸を落ち着かせる。大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせる。ここには先生もいないので倒れるわけにもおそらくいかない。少なくとも、誰かに会うまでは――。

ここが日本じゃない以上、会話ができるか不安しか無いけど、少なくとも“人間であれば”なんとかなるかもしれない。人間であれば? 何か違和感を得るけど、わからない。考えるのはよそう。呼吸が落ち着くのを待ち、新聞の次のページを開いていく。すると、

「この娘は?」

 大きな写真に写っている少女の姿に自然と目がいった。この少女は不思議な格好だった。子供が着る服装でもなく、学生たちが着る制服姿でもなく、社会人が着こなすスーツ姿でもない。どちらかといえば、アニメ作品に出てくる魔法少女という少女たちが着ている服に近かった。

端的にいえば――コスプレ。そういえば、巷ではコスプレというのが流行っているみたいだけど、ヨーロッパのしかも昔にそんな風潮が果たしてあるのか……? 一見するとドレスとかはそういう風に見えなくもないけど――わからない。でもありえない気がしたけど、何だかこの少女の姿はお店にある人形みたいにも見えてきて、それも昔見たことがあるそんな気がして、

「だ、だめっ!?」

 思い出そうとした思考を全てやめた。また頭痛がしてもたぶんよくないし、とにかく今は考えないほうが得策だと思う。それよりも現状を理解することが大事と胸に刻み、

「ふぅ……」

再び写真へと目を戻すと、その少女は短髪でマントのようなものを羽織っていた。その後ろには大きな月が背景として写っていた。位置から考えるとビルの下から撮った感じ。魔女狩りというなら、この少女が魔女なのかもしれない。なら、犯罪者だから注意しろという新聞なのかな?

「――っ!?」

 突然、何か冷たい痺れが全身を巡った。先ほどまでの頭痛や恐怖によって起きた震えとは違う形の痺れ、それと共に何かの視線を感じる。こちらを凝視するような何かの威圧感を――。

「えっ!?」

 その視線は、足から腰、背中。そして頭へと巡って来た。そして木の裂ける音ともに肩越しに振り返って見れば、

「ぎぃぃぃ!」

 斧を振りかざす何かの影が見え、

「ぃ……!?」

 条件反射なのか、私は地面を気づいた時には転がっていた。そしてすぐに起き上がるとその影を確認した。銀色の甲冑兵士、鉄の甲冑をまとった兵士が私の座っていた椅子をカウンターごと切り崩していた。

「な、な……!?」

 に、逃げなきゃ! その感情が私の身体を一瞬にして支配した。確かに人らしき者はいたけど、どう考えても話を聞いてくれそうじゃない!

「うおぉぉぉぉぉ!」

 甲冑兵士の追撃から、私の身体が自動的に動くと、

「っ!?」

 なぜ避けれたのか? そんな疑問を考える前に私の足は出口へと駆け抜け始めていた。あんなに重そうな甲冑を着ていれば、素早い動きはできないはず。それにこんなに狭い建物の中にいれば、たちまち追い詰められてしまう――そんな気がした。

「……っ」

 建物から出る前に一瞬だけ見えた甲冑兵士は、こちらを見て静止していた。それはまるで何かを考えている……ようにも見えた。

 

 

 建物から飛び出した私は周囲をすばやく確認した。逃げる道を探さなきゃいけない。だけど……どこが安全で、どこが安全じゃないかわからない! 

でも、ここにいればおそらくあの甲冑兵士が襲ってくる。だから、早く……!

だというのに、左右どちらの道に進むべき……なのか。その一歩を選べなかった。

「ううっ……!」

道がわからないのは当たり前だった。だって知らない場所だから。地図らしき看板みたいのが、もしかしたらどこかにあるかもしれないけど……それは今私の視界に入ってこない。目に入るのはどこを見ても壊れた所から煙が出ていて、火が燃え盛る建物、そして“わからないもの”だけ。

たったそれだけ。

それに『もし仮に逃げた場所が行き止まりだったら』。その考えが私の一歩をより重くさせた。

「うげげげげげげげ」

 私をあざ笑うかのように後ろから雄叫びが聞こえてきて、

「ひっ!?」

 その反動で白い煙があまり上がっていない左へ足が動き出し始め、私は走りだしていた。

「かぅっ!?」

動き出したらもう止まれない。甲冑兵士に追いつかれないように足を必死に動かすしかなかった。たとえ間違っていても、もうどちらが正しいかなんて考える時間も、戻る時間もない!

――走る。私が走れるのはほんの数秒なのかもしれない。それでも前へ逃げないと、その想いで私は前をしっかり見た。目の前に見えるのは黒い煙が多く上がっている空と、あの甲冑兵士がおそらく破壊していった場所。きっとこっちにはいない。そう思うしかなかった。

「はぁ……はぁ……はぁ……!」

 私は自分の出す声がそのまま耳に入るくらいの吐息をはき続けながら、走っていた。その時間は五分、十分になったのかわからない。でも、かなりの距離を走っている気がする。

「ふぐぅ……!」

驚きを隠せなかった。自分がどうしてこんなにも疲れないで、走っていられるのか。いつまでも走っていられる気さえする。

「……っ」

私は次々に切り替わっていく景色を横目に確認していた。もしかすると知っている場所があるかもしれない、そんな考えからだった。それと自分の速力が少し気になったから。でも、景色を見たとしても車みたいにメーターなんてものはないから、……結局わからなかった。

「はぁ……はぁ――」

 私は心臓に欠陥がある。血管が生まれつき細くて、急激な運動、極度なプレッシャーで胸が痛くなる病気のはずだった。でも、ここにいる今の私はそんな気配なんてどこにもない。恐怖でさえも昏倒する可能性があるのに、全速力。私は自分の限界速度と思われる速度を思いっきり出して走っていた。もしかすればもっと早く走れるかもしれない。そうかもしれないけれど、そうしてしまうと胸が痛くなるかもしれないという恐怖からこの速度を保っていた。

「ふぃ……ふぅ……はふぅ……」

可能性として、薬や手術で少し大丈夫になったのかもしれない。そうだとしても、そんな効果の出るものを受けた記憶も飲んだ記憶も“今の私”にはなかった。少なくとも、昨日までの私は俊敏な動きもできないし、走ることすら満足できない身体のはずだった。それにそんなすぐに効果が出るものなんてありえない。

――奇跡、もしくは魔法が起きない限り、私はこんな身体になっていない。

「ふへぇ……はぅ……」

だけど、仮に奇跡が起きたとしてもこんなにも走っていられるものだろうか? 確かにテレビでマラソンを一時間や、二時間といった長距離を走る人たちがいる。対して私は、そんな訓練を受けたこともないただの病人のはず。加え、学校生活でもまともじゃない人生だった。

よそ見と考え事にうつつを抜かしていたせいなのか、

「う、うわっ……!?」

 足元にあった“何かに”足を取られて、目の前へと飛びだすこととなった。危なく頭から転び落ちそうだったけど、幸い受け身のようなものを取れたおかげなのか、どこも怪我をしている感じはしなかった。ただお尻を少しすったせいで、若干痛みを少し感じるけどたぶん大丈夫。足元を見なきゃ転ぶのも仕方ないと、一体何に足を取られたのかと肩越しに振り返れば――、

「てぃ、手っ!? い、いやああああああああああああああああああああ」

 それが足元に転がっていた。人体模型とかじゃなく、綺麗に切り取られた『人間の手』。震える手が無意識にメガネに触れると、水の感覚が指先からした。でもそれは水みたいに透き通る感触がない。そこにあるのは、

「えっ……?」

 ベッタリと手にまとわりつくもので、その人間の手の方から流れていた。

「――うっ……っ!」

 胃の中のものが激流してくるのを感じて、息を呑んだ。

「あっ、あぁ……」

手を口へと移動させ始めた時、そのまとわりつく何かがついに目に入ってしまった。

「っぅ――」

見ないように、考えないようにしていたものが……。しっかりと黒くて赤い血が、ベッタリとまとわりついて、手を……赤く染め上げていた。

「はぁはぁ……はぁ……うぅ」

 吐き気を何とか耐え、頭から『人間の手』をまた“わからないもの”として認識するようにした。でも、私はなぜだかそのわからないものであるはずの手から、目を背けることができなかった。まだ若くてこれから成長する子供の手で、私とそんなに歳も変わらない気がした。

その“青髪の子供”は瓦礫に潰されるように――、

「んっ……! はぁはぁ……」

少し落ち着いて見てみれば、きちんと手は身体と繋がっていた。でも、それが本当に繋がっているのか判断できるのかわからない。その身体は――瓦礫の下にあったのだから。

どうして……こんなことになっているのだろう? それになぜこんなにも落ち着いていられるのだろう? って疑問が頭の中をよぎった時、

「えっ……!?」

 音が聞こえた。その音は炎が燃え盛る炎でもなく、木の軋む音でもなく、水の流れでもなく、風の音でもない――雄叫びだった。何かの生き物の叫び声が遠くから、両手で耳を塞いでも耳に入ってくる。その声は先ほど私を襲ってきた甲冑兵士の声に、似ている気がした。

その考えは考えるまでもなく当たっていた。

「嘘っ……」

 その声は至る場所から聞こえてきて、こちらへとだんだん近づいてこようとしているように聞こえてきた。三、四つ少なくとも五つの声がこの場から聞こえる。男の人が発する低くてドス黒い声が。

頭の中ではうすうす理解していた。走っても、走っても街の出入口にさえたどり着かないぐらいこの街は広い。仮にそうであるなら、この街を破壊したのが一体だけとは限らない。大群、それも一人や二人じゃなくて何十人。戦争と呼ばれるものは、一般的に確か……何百人単位で行われているはずだから。目の前にある炎や壊れた建物が、戦争の跡地なのかはどうかはわからない。だけど、だからこそ彼らに遭遇したら生き残れないことが直感的にわかる。身体がそういう風に言っている気がする。それに攻撃を受けた事実もあるから、ほとんど間違いないはず。

何より、こうしてまた大群をなして、こちらへと向かってきているからきっとそうなのだろう。生きている人間を皆殺しにする……、そんな命令を受けているのかもしれない。なんて場所で目が覚めてしまったのだろう。

「う、うぅ……」

 もしかするとあの時、びっくりした拍子に叫び声を上げてしまったことがいけなかったのかもしれない。あのまま走り続けていれば遭遇しなかったかもしれない。でもその考えは違ったのだとすぐにわかった。声は私の後ろだけでなく、走り続けていたら到達していた前面方向の奥からも聞こえてきたのだから。

 もしかして選択を間違えてしまったのか? あの時右に行けばこんなはずじゃなかったのかなと、一瞬頭に過ぎったけど頭を振って改めた。それよりもここから早く逃げ出そうと――、

「えっ……、足がっ!」

 立ち上がろうとした私は何かに足が引っ掛かり、立ち上がれなかった。

「んっ! どうして!」

 力を入れてもびくともしない。よく見れば、地面に穴が開いていた。立ち上がろうとした衝撃で崩れ落ちたのか、その穴に綺麗に足が埋まっているようだった。……気付かなかった。それに加えて何かの振動で落ちたのかビルの瓦礫が私の足を封じるように、その穴を綺麗に塞いでいた。音もなく瓦礫って、崩れ落ちるものなのかな?

「あっ……」 

その疑問はすぐに解決できた。それは甲冑兵士の声。あの声に集中するあまり聞こえなかったのだと。それ以外に考えられなかった。

子供の手は見えなくなっていた。おそらく子供を潰した瓦礫が、私へと崩れてきたのかな。すぐに立ち上がって移動していれば、こんなことにはなってなかったかもしれない。

……あ、あれはっ! そうこう私がもたついている間にそれが目に入った。銀色の影を纏う甲冑に身を包んだ者がたくさん列を作りながら、こちらへとゆっくりと近づいてくるのを。それも私を包囲するように、円上に広がりながら歩いている様子だった。

「……っ」

足をゆっくりと、音が鳴らないように動かしつつ、その動きを観察してみると、私に気付いていない様子だった。探しているのかな? たぶん、私が出しちゃった叫び声でこの位置に誰かがいるのだと踏んできた……のだと思う。

「……」

 私は完全に伏せて、彼らの視界から外れるようにした。伏せれば甲冑兵士たちがわからないものと同じと判断して、通り過ぎて行ってくれるかもしれないから。近づいてくるのを音で感じつつ、心音を落ち着かせようとし、目を閉じ楽しかったことを思い出そうとしたけど、

「……っ」

 数秒で後悔した。楽しかった思い出が思い当たらない……。

「……」

 ないならと考えることをやめて、音をたてないように足を動かす。幸いなことなのか、どうにかすれば抜けそうな気配だった。――縦はダメでも横からなら抜ける。そういう便利グッズが何かテレビで見たことあるが、そんな感じだった。押してダメなら引いてみろというのも聞いたこともある。だから、足をゆっくりと動かす。

「……っ」

足が少しずつながらも、穴の中から抜けていく感触を受け、

「……っぁ」

 なおかつ心臓の鼓動がどんどん早くなって、外に漏れ出してしまうような錯覚に襲われても、私はひたすらに急いだ。甲冑兵士が通り過ぎた瞬間に走りぬければ、追っかけっこになってしまうけど最悪の事態は避けられると思うから。

「……!」

 少しずつ……、少しずつ……!

「っ……!」

 甲冑兵士が周囲を見渡し始めるのが見え、一旦動きを止める。甲冑兵士がその動きをやめたのを確認して、また少しずつ動かす。

あとちょっと――、足をそのタイミングで動かし、

「(ぬ、抜けたっ!? これなら――)」

 顔を上げ身体を起こして走り抜こうとすれば、

「い、いや――」

私の目の前に一体の甲冑兵士が影を作っていた。

「あ、あ……あ……」

「うぁいうこあ!」

甲冑兵士が何かを喋り、手に持つ斧を私へと振り上げ始めていた。その声に反応したのか周りの甲冑兵士も近づいてくる音がする。い、いつ気付いたの? 音はたてていないのに!

「――ぁぁ……」

 ――奇跡は二度起こらない。わかっていた。

そんな半分諦めかけていた私に向かって、斧が振りかざされたその瞬間、

「え――」

赤い稲妻が甲冑兵士を真っ二つに切り裂いていた。それは凄まじい音と閃光で一瞬にして、私の視界を奪った。その光から目を守るよう目をつむり、

「何が……?」

再び目を開けた私の前にいたのは、黒く炭のように変わっていた甲冑兵士の姿だった。稲妻によって真っ二つに別れた身体が崩れ落ちて、ゆっくりと風で飛ばされていった。

 

「――大丈夫?」

 

 と声をかけられ振り返れば、フランス人形がそこに座っていた。

「えっ――」

ち、違う生きた人……!? よく見てみれば、車椅子に座る金髪碧眼の少女が私に笑いかけていた。

「だ、だ……れ……?」

明らかに日本人とは違う、黄色く綺麗な長い髪を持った人物だった。そして、その周りには青い甲冑兵士が三体立っていた。一人は少女の車椅子のハンドルに手をかけ、他の二人は少女を守るみたいに銀色に光る武器を手にしていた。――白銀の剣と、蒼い槍。正式な名前はわからない。

「なぜ、こんなところに? というのは聞くだけ無意味な気がするけど、ボクの考えだけなら、おそらくどこからか逃げてきた感じなのかな?」

 少女は私の理解できる言葉ですらすらと話しかけてきた。英語とか聞いたことのない言葉じゃなくて、日本の言葉。日本語を話していた。

「んっ? どうかしたのかい?」

 黙り込んでいた私を不審に思ったのか、金髪の少女が小首を傾げた。

「だ、だって……、なんで」

不敵に笑う少女の顔に恐怖を感じた。こんな状況でどうして笑えるんだろうか。少なくとも幸せを感じられる場所じゃないのに。少なくとも私には悲しみしか感じないし、恐怖感で一杯だった。笑う少女は右手を前に突き出すと、それを合図に少女の後ろにいた青い甲冑兵士が剣と槍に赤い稲妻を纏いながら、私に向かって駆け出し、抜けていった。

「えっ……?」

前を振り返れば、次々に青い甲冑兵士が銀の甲冑兵士を突き刺していくのが見える。圧倒的な力の差。それを感じた。銀の甲冑兵士は抵抗も虚しく、青い甲冑兵士に蹴散らされていく。

「何これ……?」

目を背けようとしたが、身体は動かずそれを見つめるままだった。甲冑兵士からは血が飛び出ず、黒い液体が溢れでている。墨汁みたいな漆黒の液体。何なのだろうか?

黒い血。その考えが頭をよぎるけど、それとはまた別物みたいに見えた。だからじゃないけど、残酷って感情が生まれなかった。――そこに“それがいないもの”とさえ感じる。もしかするとその感情が強いせいなのかもしれない。

私を襲おうとした銀の甲冑兵士の集団がいなくなると、墨汁から突如として地面に黒いもやが現れ、それが大きな人の形となり、銀の甲冑兵士が生まれていた。人間じゃない……?

「はぁ、やっぱり」

私の思考を刺激するみたいに少女はため息を一度はくと、

「――撤退」

とつぶやく。青い甲冑兵士はその声に従うよう頷くと、こちらへと駆け足で戻ってくる。

「ここから離れるしかないかな」

少女はいつのまにか私のすぐ近く、隣まで来ていた。そして、私へ手を伸ばすと、

「行くよ、立てるかな?」

 と声をかけてきた。恐怖はすべてをダメにする。心臓の病気のこともあってか人とのコンタクトは恐れ以外の何にでもなかった。だから、

「なた? てがらた」

発した言葉は、言葉ですらなかった。それに腰も引けていて自由に身体を動かせる気がしなかった。あんなにも走ったり、動じることのなかった身体であったのに。助かったという安心感もあるかもしれない。

「ふぅ……」

深呼吸をすると少しだけ心が落ち着くのを感じた。

――そういえば、後ろの方はどうなったのかと振り返ろうとした時、

「振り返らない方がいい」

そう言って、少女は振り返ろうとした私の視線を奪うようにして車椅子を動かした。車椅子のタイヤの金属音が耳に入る。錆びついた金属の歯車の軋むような音。青い甲冑兵士と少女が私を見つめ、言葉を待っているように感じた。だから、

「あっ、はい」

 自然と言葉が出た。少女は笑い、また私に手を差し伸べてくれる。少し落ち着いたこともあったのか、今度はしっかりと自分でも何を言ったのがわかる。私は少女の手を掴み取ると、導かれるままに車椅子へと動こうとした瞬間、身体が予想以上にまだ回復しきっていなかったためか、思いっきり勢いよくぶつかり大きな衝突音がなった。

「あふぃっ」

車椅子ごと転倒するかと思ったが、甲冑兵士がきちんと制御しているのかその心配は必要なかった。さらさらとした少女の金髪が私の腕を優しく撫でた気がする。変な声を出してしまい、気まずさを感じつつも私は顔を上げる。そこには先程と変わらない罪悪感がない純粋無垢な笑顔が私を見下ろしていた。笑顔……。頭の中に何かが浮かびそうだったけど――。

「ちゃんと、手すりを掴んだわね?」

私の意識を奪うように少女の声が聞こえ、

「は、はい」

条件反射で精一杯な声で答えた。誰かの顔が浮かんだ気がする。でももう思い出してもその顔は浮かばなかった。

「あ、あの――」

「ん、ちょっと待ってね」

「は、はい」

他に人間の姿はないし、またあの甲冑兵士みたいのに襲われるかもしれない。だから、この少女の言うことをひとまず聞くしかない。お金とか請求されたらどうしよう。この少女は甲冑兵士と一緒にいるのだから、襲ってきた仲間かもしれない。憂鬱な気分になりそうだった私を更なる不安が襲った。

「えっ……」

ふんわりした風を感じると私の足は土の上になかった。身体が車椅子ごと宙に浮き始めていて、

「いっくよー」

少女の声が聞こえ、聞き終わる前には私は見慣れない上空へと滑空し始めていた。足が何もない空間にゆらゆらと揺れる。昇っているのだという感覚を、全身に向けて風が襲ってくる。乗ったことがない絶叫マシンというのはこういう感じなのかもしれない、

「ひっ!」

 ただ恐怖しかない!

「ひやああああ!」

景色が次々と高速に変わっていく。そんな私を見てからか、少女から笑い声が漏れた。無邪気に笑う声が。上昇は止まることなく続いたため、

「ど、どうして飛んでいるの?」

疑問が恐怖で口に出てしまった。

「地上は危ないから――」

少女が大地を指す。

地上は私が見てきたもの以上に、全てを燃やし尽くす炎の色に染まっていた。

かなりの高さまで飛んでいることもあり、落ちないか怖くなって来た。そんな私を心配してか、

「大丈夫、掴んでいれば落ちたりしないかな」

と少女は答えてくれる。

「で、でも離せば落ちちゃうんだよね?」

少女の言葉を疑わなければ、この手が離れてしまえば身体が地面へ落下して、死んじゃうかもしれない。打ちどころが良ければ死なないかもしれない高度では決してないと思う。五階建ての建物を超えてからもまだ昇り続けているのだから。

ここから落ちたらなんて考えたくもない。手に力が入る。いつまで持つのか死活問題――腕の力なんてないに等しいから。

「……あれ?」

とはいっても、私の身体は車椅子を掴む自分の手によってしっかり固定されていた。

――疲れを感じない。いつまでもこうしていられる錯覚さえあった。走る時もそうだったけど、そういう身体になってしまったのだろうか……?

大丈夫なんだ。その考えが全身を走ると恐怖が薄れ始めて、なぜ空を飛んでいるのかその疑問が頭を支配し始めてきた。青い甲冑兵士を見れば、温かみも冷たさも感じない。鎧自体は冷たいかもしれないけど、少なくとも表情が見えない分、とてもじゃないけど生きている人間には見えない。少なくとも空飛ぶ甲冑兵士なんて、聞いたことも見たこともない。

それは車椅子にも言える。でも正確なことなんてわからない。少女が飛んでいるかもしれないし、青い甲冑兵士が持つ何か不思議な力によって浮いているのかもしれない。

もしかしたら可能性は皆無だけど、それこそ私が飛んでいるという可能性もあるけど……。

実際に視界に入る風景がどんどんと小さくなっていく。今はだいたい十三階ぐらいの高さなのかな。考えている間も上昇が続き、

「……ありえない」

 その言葉は自然と漏れることになり、

「どうかしたの? 何がありえないの?」

 と少女が私に興味を持つ結果となった。

「ひ、人は空を飛びません」

「面白いことを言うんだね。今まさに飛んでいるんだよ」

「そ、そうですけど……!」

「あはは――」

少女の笑い声をかき消す、けたましい爆発音が聞こえ、

「は、花火……?」

 と思わず声を漏らしてしまい、

「あれは……、そんなきれいなもんじゃないよ、あれはどちらかといえば汚い光だよ……」

 少女はその正体を知っているのか、悲しい顔を一瞬見せた。

「あなた見ない顔だよね? ここらへんは戦闘が活発してて危ないんだよ?」

少女は続けてそういうと何事もなかったみたいに、私にまた笑みをこぼす。

「どうして?」

あんなに綺麗なのに――。

「あれは、人を殺す光だからだよ。そんなことすらわからないのかな?」

「人を殺す……?」

 私は静かに頷く。人を殺す光……? 戦争の光ってことなのだろうか? 戦争なんて映画とかの映像でしか見たことがない。あとは核爆発の恐ろしさ――。

「あれはね、銃や大砲という武器だよ。それによってああいう光が出るんだ。とはいっても、もうそれを使う人はほとんどいないはずだから、おそらくあれは……ただの鎧の反射光さ。何体もの光が乱反射してここまで見えるんだよ。まぁ、その光は綺麗なのかもしれけどね!」

 その問いに応えるみたいに少女は指さす。そこでは白い光や赤い光といった発光色が不規則に輝いていた。きちんと確認できないけど、確かに光が動いているから。もしかするとあの時私を襲ってきた銀色の甲冑兵士たちの仲間なのかもしれない。

「あなた名前は? ボクはシャル。シャルロッテ・ブルクルン」

「シャル……さん?」

 シャルと名乗った少女。髪の毛の色からわかっていたことだけど、やっぱり日本人じゃないみたい。それに聞いたこともない名前。やっぱりここは……日本じゃないのかな?

「あ、暁美ほむらだと……思う」

 いつもと違って身体の調子が変だけど、少なくとも頭だけは私のはず。暁美ほむらという人格を与えられた何かって可能性ももちろんあるけど、そんなおかしなことありえない。

「そっか――あけみほむらか……。ここから少し離れないとまだ危ないよ」

シャルさんは首を左右に振ると、何だか悲しそうな顔を向けてきた。何か変なことを言ってしまったのだろうか……? それに、

「まだ……?」

シャルさんが指差す場所を見ていくと、シャルさんがさっき言っていた光が輝いていた。

「飛んでいたら、だ、大丈夫なの?」

 私の不安を取り除くみたいにシャルさんはゆっくり頷くと、

「行こうよ。少なくともここよりは安心なはずだよ。まぁ、本当に安心かは曖昧だけどね」

 と微笑んだ。空が安全……? 飛行機とか飛んでいないのかな。でも飛んでいたとしてもこの少女なら破壊しそうな気がした。そういった意味での……安全なのかな?

「は、はい」

でもなぜかこのおかしな状況を作り上げた原因の一つに思えた。それは……私を襲ってきた甲冑兵士を、このシャルさんという少女が使役しているから。色の違いはあるかもしれないけど、何かがあるような気がしてならなかった。

「♪~♫」

 私の考えていることなんて関係ないくらい、シャルさんは相変わらず楽しそうに笑っていた。この少女の笑顔を見ているとどうしてだろうか、左手がなぜか疼く気がする。あの頭痛みたいな痛さと痺れとかじゃなくて――シャルさんから何かを感じ取っているそんな感覚がした。

「……ふぅ」

そんな曖昧なことよりも現状を把握しなきゃ。

なぜシャルさんが甲冑兵士を使役しているのか、なぜ空を飛べるのか。

もしかするとそれらは同じ答えなのかもしれない。そうだとしても、今の私にはその答えは考えつかなかった。自分の体でさえ、わからないのだから。

「さて――、」

固い何かが砕ける音が聞こえると、

「ぐっ、うあっ。おえ――……あ、あぅ」

シャルさんの悲鳴に似た渇いた声が続くように聞こえ始め、

「えっ」

生暖かい、それが、

「何が――」

私の額に落ちてきた。温かい人の――血液だった。

「いっ――」

何が一体起きているのか理解できなかった。空の上は安全って言われたばかりで、鮮血なんて起こり得ない……はずなのに、

「な、なんでっ!?」

私の額から汗とは違う水分の流れができていた。顔から流れやがて車椅子を掴む手にそれは落ち、そして私の身体を伝って空から舞い落ちていった。――熱を持った人の身体を流れる赤い血の一部が解き放たれていた。

「――い、い……や、いやぁ……!」

「ぐぁ、ぐぅえぅぐ……」

その赤い血の流れ出る元は、うめき声をあげるシャルさんのものだった。耳にその甲高い声が反響して、目に入ってきたのはもがき苦しむシャルさんの姿――。

「いっ!? えぅ!?」

シャルさんは車椅子ごと貫かれていた。

――鋭い槍のような鋭い棒状の刃物によって。その槍先から垂れ落ちる血と、シャルさんを構成していた内蔵の肉片がこぼれ落ちていくのが私の視界に入り――驚きと恐怖から私は、

「いっ――、あっ……」

車椅子の手すりから手が離れた。安全と言われた場所を自分から離してしまった。

「あっ……い……やぁ……!」

私を重力が襲い、瞬く間に背中から真っ直ぐ地上へ落下が始まる。本来起こりうるはずの落下運動、それがゆっくりと確実に死へと近づけさせる。空気を裂く風が私の身体を締め付けてくる。苦しいよりも胸の中が何かに締め付けられるように。

「……っあ!」

思い出したかのように車椅子に手を伸ばしても掴めるはずもなく、ただ空を裂くだけだった。態勢が崩れる一方で右手も左手も届かない。――もうだめと半分諦めかけていた私を、

「……っ!?」

眩しい赤い光が視界を奪った。けれど、赤い閃光は一瞬ですぐに収まりつつあって、だから――その光が太陽のものじゃないってわかった。太陽はその光とは違って、空高くずっと奥で輝いていたから。それに赤い光はカメラをフラッシュした時に生じる光方に近かった。

「は、はは……」

でも不思議に感じても状況に何も変化なんて起こらない。私は変わらず落下し続けている。別にそんなものが見えても何も状況が変わるはずもないのだから。

「そ、そうだよね……」

その光が収縮するように収まり、視界に入ってきたのは小さくなった車椅子だった。実際には車椅子が小さくなったわけじゃなくて、私がどんどん遠くなっているのだろう。地上へ向けてただ落ちていくだけ。車椅子もさっきまで私の半分くらいの大きさに見えたものが、ミニチュアのおもちゃみたいに小さくなってしまっている。明らかに私が落下していた。

「……ぁう」

槍のようなものが刺さったシャルさんは大丈夫なのかな。そんな心配ごとが思い浮かんだけど、他人の心配している場合じゃない……。地上へ落ちれば死が待っているのだから。シャルさんが死んでいたのなら、私もその後を追うように死ぬだけ。

落下の回避は無理そうと目を閉じ半分諦め、再び開けば、

「な、なに……こ、れ……?」

不思議なものを見つけた。少なくとも飛んでいる時には見なかったもの。雲がそんなにないのにそれは降るものなのかな? でも疑問は無意味でそれは降っていた。

――淡く黄色い雪。その透き通った粒が空から舞い散る桜みたいに降っていた。

いつから降っていたのだろうか、そもそもこれって雪なのかな……。でも、

「綺麗……」

思わず口に出すくらい、それは綺麗で、太陽の光に照らされ輝く雪にも見えた。そのせいで自分が落ちていることを忘れてしまうくらいだった。

「……っ!」

私は無性にその雪に触れたくなり、手を伸ばしてみたけどうまくいかなかった。落下するスピードをいなすことができなくて、身体をうまく動かすことができなかったから。ただ余計に態勢がくずれただけ……。雪はその支配を受けていないのか、振り子のように揺らめきながら、ふんわりと落下し続けている。

――同じように空を滑空できれば、もしかすれば自由に動けるかもしれない。

「えぅ……!」

せめて死んでしまうなら、触れたいそう願って手を動かし、指を動かそうとした。でも、指先は思った以上に動かなかった。ふんわりとはいかず、ただ勢いよく落ちるだけ――。

『――だから、手を離すなって……。仕方ないなぁ』

 誰かの声がどこからか聞こえ再び赤い閃光が見えた時、私は黄色い雪を掴み取れていた。

「これって……?」

でも、それは雪じゃなかった。――黄色い鳥の羽根だった。それも動物の温度に似たものを持ったもので、さっきまで生きていた鳥の羽根なのかなと思いはじめた時、

「……えっ、浮いている……?」

 気付けば、赤い閃光がいつのまにか私を包み込んでいた。人の温もりがある光の中で、人の形をした閃光が私を抱きかかえていた。

「あ、あれ!?」

それによってなのか落下は止まって、先ほどと同じように空に浮かんでいた。だからこそ、私は雪を掴み取れていたみたいだった。

「あ、あなたは……誰?」

赤い光が収まっていくとそこから、見たことのない赤髪の少女が現れ始めて、

「シャルだよ。もっとも別人に見えるのもしょうがないかな」

 シャルさんらしき人物はそう言ってそのまま車椅子まで一緒に飛翔すると、その上に座らしてくれた。

「これなら、もう落ちないでしょう。あ、ごめん。ちょっと濡れているかもしれないから――」

確かにお尻から冷たい感触がするけど、それが何なのか見たいとは思わなかった。

「危ないから、ちょっと見てくるね」

そうシャルさんらしき人物が言うと、赤い閃光を纏い、一瞬にして雷みたいにジグザグと大地へと滑降していった。それを見て安心した影響なのか、私のまぶたはなぜだか重くなって、

「……杏子」

薄れゆく意識の中で何かを思い出しかけて――途切れていった。

 

 

また奇妙な夢を見ていた。

ただ今度の夢は暗闇の中じゃなくて、きちんと私が知っている風景の場所がメインの夢――。

仮にそれだけの内容だったら、私はこの夢が夢だってわからなかったと思う。現実の世界と誤解して、夢の世界の住人となっていたかもしれない。

奇妙なこの夢はまるでテレビでニュースみたいな中継を見るような不可思議な世界で――。

少女たちがそれぞれ異なる力を持ち、人と違う形をした敵と戦う、そんなフィクションの産物である空想話。そんな物語が私の目の前で繰り広げられていた。

「――っ」

今まさに一体、目がないバケモノが画面の中で砕け散った。血という概念はこのバケモノにはないようで断末魔だけを上げ、消滅していった。それを起点として、赤い長髪を持つ真っ赤な服の少女が迫り来るバケモノを次々に倒していく。その移動速度は人が走るには、とても制御できる速さじゃなかった。自動車やバイクみたいなスピード。その速さを利用して、手に持った赤い槍で一体、また一体と貫いていった。穴が空いたバケモノは大きな口を開けると、罵声を発して消失していく。

そんな中でもバケモノはただやられるだけじゃなく、赤い少女へと反撃すべく腕を振り下ろしていた。腕は刃物のように怪しく光って、全てを切り裂きそうだった。けれども、その一撃は当たらなくて消滅を早める結果になっていた。バケモノは動けば動くだけ、体がジグソーパズルの破片のように砕けていったのだから――。

「――っ!」

 赤い少女が怒声を上げる。減っているはずのバケモノが数を増していたからだった。黒いもやがいくつも集まり、数秒足らずで元のバケモノの体を構成していく。だから倒しても、倒してもバケモノが減ることがなかった。赤い少女がその様子を横目見て、また移動を開始する。

――産声と、断末魔が交差する街中。その少女たち以外、そこには誰もいなかった。まるで少女たちが戦うのが当然で、それ以外の人がいないのが当たり前。そんな風にさえ思えた。だからなのか、少女たちは街を破壊することを苦とせず、時に巻き込むようにして敵だと思われるバケモノを倒している。ビルが崩れ落ち、信号機が倒れ、道路に穴が空く。そんなことになっても顔色一つ変えない。街は一見すると、ゴーストタウンに変わっていく。

これって、車とか保険とかどうするんだろう……。そんな現実的な考えが浮かんだ。だけどこれはただの夢なのだから関係ない……か。夢の中の心配事はまるで意味ない――ただの虚像。

「――っ」

そのことをまるでわかっているみたいに動く夢の少女たち――、その中には私もいた。正確には私に似た誰か。私は銃を召喚するような不思議な力なんてないし、こんなバケモノと戦ったこともないし、見たこともないし、聞いたこともない。だから私に似ている別人だと思う。

私に似たその人は赤い少女が切り込むのを、巻き毛みたいな黄色い髪を持った少女とサポートするように射撃していた。黄色い少女は細長い黄色い銃を、私に似たその人は小さい銃を撃っていた。絶え間なく銃による砲撃。赤い少女がその作られた道をただ進んだ。赤い少女の道のためにバケモノをひたすら牽制する――それが役目みたいだった。

――そんなフィクションだらけの夢。夢としか思えない映像が流れ続けていた。

夢は私自身を見る形でただ進んでいく。私の意思とかそんなものなんて関係なく物語が進んでいく。だからなのかこれが夢だって私でもわかった。逆に夢じゃなかったら何なのかわからない。

洗脳……攻撃? 例えそうだとしてもこんなもので洗脳して何の意味があるのかわからない。病院の治療項目でも聞いたことがない。だから……きっと関係ない。

確か夢には……願望が現れることもあるっていうから、もしかするとこれが私の願望……なのだろうか。でもその可能性は低いと思う。私は戦いたいと思ったことなんてないし、誰かのために争いごとに首を入れてしまいたいなんて考えないはず。

「……」

何か関係があるとしたら、この夢を見る前に“赤い短髪の少女”を見たからなのかもしれない。だけど、夢の中にいる赤い少女とは明らかに違う。こんなに長い髪じゃない。どちらかと言えば、黄色い髪の少女と同じ髪方に近い気がする。

「……っ?」

赤い少女が何かを口にした。聞き取れない言語なのかさっきから何を話しているのかわからない。それに私以外の少女の顔がノイズのように隠れてうまく見ることもできない。夢なのにとても何だか中途半端。壊れたテレビってこういう風に見えるのかな?

「……」

 黄色い少女が赤い少女に答えるように頷くと辺り一帯のバケモノが死滅した。先頭を走っていた赤い髪の少女がこちらへと振り返りその顔が見え始めた時、私の意識は覚醒し始めていた。

そしてノイズが夢の世界に走る。まるで――テレビみたいに。現実と夢が重なりはじめ、空の色が見え始めてきた。

「……あっ」

――空が赤い。夕暮れ時なのだろうか……。そう思っていたら、なぜ夢の世界に入ったのかが脳裏にちらつき始めてきた。シャルさんが何者かに攻撃を受けて……。でもシャルさんは無事だった。それも無傷で私を助けだしてくれた。そこには違和感しかなかった。だって、シャルさんは金色で長髪の少女であったのに、助けてくれたその姿は別人。赤い短髪の少女へと変わっていた。そして……たぶんあの後気を失ったのだ。

意識が覚醒し出した私は、

「うぅ……」

身体が左右に揺さぶられ、極稀に上下へと動く不思議な感覚に襲われていることに気付いた。電車の揺れにすごく似ていると思う。そんな揺れが絶え間なく全身を刺激する。ゆりかごの中の子供はこんな気持ちを感じているのかも……でもよく考えてみればそういう心地よさじゃなかった。揺れは安らぎというか衝撃に近いから、子供が泣いちゃうかも。

「んっ……」

 そのせいで声が漏れた。

「……?」

 私の声に気付いた誰かの視線を感じたけど、私なんて関係ないように不思議な感覚が私を襲い続けた。叩かれる感触でも、引っ張られる感触でもない。だけど身体だけ揺れ続けている。

「ぁ……ぅ」

 うっすらと目を開けると、大地が勝手に動いていた。

「ん……?」

 そんなことはありえないし、起こらない。だからぼやけていた私の視界は徐々にはっきりしていった。最初に手すりが見え始め、うっすらとタイヤがついた――車椅子。その形が目に入ってきた。私はなぜかその上に座っていた。気を失う前に座ったような気がするけど、定かじゃない。

「にぅ……?」

金属の特徴ある軋む音が耳に入ってくる。それでやっと私を襲う身体への刺激が、車椅子が段差に乗り上げた時の振動なのだと気付いた。

「……」

この車椅子を押してくれているのは一体誰なのかな……? 甲冑兵士、シャルさんと頭に次々と浮かぶけど、私はどれくらい意識を失っていたのかな。大地は赤茶色に染まって、少し暗くなっているようだけど。そうすると、夕方ぐらいなのかもしれない。

「おはようというべきなのかしら?」

 声が後ろから聞こえ振り返ると、

「シャル……さん?」

 夕日の光を浴びた赤髪の少女がそこにいた。赤いマントを羽織っているせいもあるのか、燃えているかのようにも見えた。太陽の光がそういう錯覚、それも……蜃気楼みたい効果でもあるみたいな感じ? とにかく知らない人だった。

正面へと向き直し、その姿を思い返すと頭の片隅にあった――夢の中で見た長髪の少女と重なる気がした。でも、それは一瞬にして消えた。夢の内容を完全に覚えているわけじゃないけど、ここまで短い髪の長さじゃなかった気がするから。

「えっと、あ、あの……その……」

それになぜだか左手に何か寒気がある気がして――その恐怖から、もう一度言葉にした。

「シャルさん……ですか?」

 単純なことだった。押してくれていたのが誰かなんて迷う必要なんてどこにもなく、こうして振り返ればいい。そのことに気付くのに遅れたのは、きっと寝ぼけているのだと思い始めた頃、

「そろそろ、交代してもらってもいいかな? 疲れるってことはないんだけど、もうすぐ目的地だからね、一応さ」

 シャルさんが面倒くさそうに言うのが耳に入ってきた。

「う、うん」

 断る理由も特にないため、私は急いで立ち上がり車椅子をシャルさんへと譲ろうと砂の上に足を下ろすと、土混じりの柔らかさの中にある硬い感触がした。条件反射的に動いてしまったけれど、本当にこの少女がシャルさんなのだろうか? あの時死んでしまったのではないのか? でも、あの時助けてくれた甲冑兵士たちがこの少女と一緒にいるってことはもしかすると、もしかするのかもしれない。一度深呼吸してからゆっくりと、

「これで座れる?」

 言葉にした。並んでみてわかったことだけど、シャルさんは身長がすごく低かった。小学生……低学年くらいの身長しかない。それに不思議な衣装を着込んでいるけど、とても肉つきがなくて身体が細いって思った。病院暮らしをしている貧弱の私よりもずっと、ずっと細い。何があれば、こんな細くなるのだろう……。その思考を遮るように、

「この姿のままでいると別人に思われちゃうしね――」

「なっ……!」

 まるでこちらの考えがわかっているみたいな言葉を綴った。警戒心もない無垢な顔で。

「よっと」

シャルさんは勢い良く車椅子へと座ったものだから、しばらく車椅子が揺れていたけど、バランス感があるのか倒れなかった。何か倒れない補正でも掛かっているのだろうか……? それとも目を閉じることによる精神集中の影響なのかな……? 

でも――空飛ぶ車椅子なのだから、何があってもおかしいことなんてない。

車椅子の揺れが収まると、手すりへとシャルさんが手を載せて、

「それはダメだから……さ」

 いたずらがバレてしまうのを恐れるそんな無邪気な声を出した。

「そうなんだ……」

 何がダメなのかわからないけど、自然と相槌を打つこととなってしまった。満足の反応であったのかシャルさんが笑い声を上げると、

「そう。だから――」

 突如として、シャルさんが光始めた。

「うっ……!?」

 あの時、見た光と同じだった。私を救ってくれたあの時の眩しい閃光と。

「――ふぅ」

閃光のような光が収まると長い金髪の少女が座っていた。

「……シャルさんなの?」

本当に赤髪の少女はシャルさんだったのか? その疑問は解決するまでもなく現実にこうして、赤髪の少女は、金髪の少女へと変わっていた。髪型もショートからロングへ、着ている服なんて比べるまでもなく違った。白いドレス。それもお金持ちやら、社交場で着るきらびやかな衣装。それをシャルさんは着込んでいた。そのせいでまるで整った綺麗な人形が車椅子に座っているみたいに見えた。だからなのかあの時と違って、ひどくおかしく思えた。

あの時は余裕がなかったからなのかもしれない。だって――荒れ狂う大地にこんな洒落こんだ少女がいるのかな。それもどこも汚れている様子がない清楚なお姫様が。

「そうだよ、ボクさ」

世間には手品でこういう七変化みたいな不可思議なことを実現しちゃう人もいるけど、確実にそういうマジックとはこれは違うと思う。それは空を飛んた事実があるから。あれが何かの薬による幻覚なら話は別だけど――そんなものは飲まされた記憶も飲んだ記憶もない。

「……」

ここにいること自体が幻覚って、選択肢がないわけじゃないけど……この場所はあまりにもリアルに近い。鼻から頭の奥底へいく匂い、肌触り。私を刺激する、リアルを感じる要素がふんだんにあるから。だから――ここが現実じゃないって疑う余地がどこにもなかった。

ただ、マジックじゃないとしたらこのシャルさんの変化は一体何なのだろう? シャルさんの身体、どこを見ても回答となる答えはなさそうだった。

「不思議かな? ボクの身体が」

 目をいつの間にか開いていたシャルさんと、視線があった。そんなに顔に出ていたのかな。

確かに不思議に思う。変身という言葉を知っているけど、ここに座る金髪の少女と、空を飛んでいた赤髪の少女。どう考えても同じに見えない。顔は違うし、身長も違う。変身というよりか、変態の方が正しい気がする。形や状態が違うから。でも声質は似ていたかもしれないけど、

「うん、同じ人なの?」

 別人なのかもしれない。

「そうだよ、ほむら。君と同じ人間だよ。ただ、ちょっとだけ違うだけ――。あぁそうそう、目的地まで押してもらえるかな? 問題があればこれに頼むけど」

 シャルさんは指で私の後ろにいた甲冑兵士を選んだ。甲冑兵士が私へ、シャルさんへと続いて頷いた。特に断る理由もないから、

「わ、わかりました。まっすぐ押していけばいいの?」

 車椅子の近くについていた甲冑兵士が一度私に頷いてその場から離れた。触っていいってことだよね?

「そうだよ、きちんとまっすぐね? ちゃんと押して欲しいかな」

 シャルさんの言葉通り車椅子のハンドルを掴むとまっすぐ押した。ここがどこだかわからない以上、シャルさんが示す通りの場所へ車椅子を押すことしか、私は選択しようがない。

「うん」

 スタートは順調だったのに、すぐに車椅子を押すのが大変なことに気付いた。道がデコボコしているから。どうしてあんなに揺れていたかよくわかった。でもこの状態でもシャルさんは何もないように車椅子を押していた。コツが何かあるのかな……。

「んっ……!」

 力をかけて押す。少しずつ前へ進んでいるのだけど、距離にして、数センチ。進んでいないにと同じくらいの距離だった。

「苦戦しているみたいだね」

 苦笑に似た笑い声が聞こえた。

「う、うまくいかないの……。どうすればいいの?」

「何も考えなければいいんだよ。押そうとするから余計に力が入って進まない。自然のあるがまま受け入れて、車椅子を前に押すんだよ。もちろん力は多少入れなきゃいけないけどね」

 力を入れないように、力を入れる……? つまりどういうことなのか?

「え、えっと……その……よくわからないです」

「そうだろうね、慣れればわかるかもしれないかな?」

「……そうなの?」

 よくわからない。でもやるしかなかった。

「あれ……?」

 一度ハンドルから離して、再度触れた時感触が今までと何か違った。力を抜いて、再度力んだおかげなのか、

「動……く?」

 私の身体の一部みたいに車椅子がゆっくりと進んでいく。数センチは一瞬にして終わり、一メートル、二メートル、数メートルと進み始めた。

「ねっ? 慣れでしょ」

 私ごとなのに、シャルさんが嬉しそうな声をあげる。

「そう……だね」

 動き出したら後は簡単だった。シャルさんのナビゲーション通りに進んでいくだけ。甲冑兵士に囲まれる中、私は瓦礫と荒地の世界を歩み始めていた。

 ――この先に何があって、ここから私の居場所に戻るにはどうしたらいいのか。そんな不安は徐々に薄れていった。まず目の前にある問題を回避しない限り、戻ることもきっと叶わない。

 そう、感じたから――。

 

 だからなのか、この時紫色の光が私の左手から漏れ出していたことなんて気付くことも、視界に入ることもなかった。

 

車椅子を押し始めてから、一体何分ぐらい経ったのか。時間は黄昏がゆっくりと暗い夜になる頃合い。だというのに見える景色は特に変化なし。荒地に荒地、そして廃屋――ばっかり。

「うーん、懐かしいかな。こうして、外を車椅子で動くのは」

「そ、そうなんですか……?」

「やっぱり、人に押して貰えるってことは格別なことなんだよ。いわゆる愉悦の時だよ」

 人……? 甲冑兵士は人じゃないの? 疑問が浮かんで消えた。

「んっ……!」

いくら車椅子を押すことに慣れたとはいえ、なんともいえない気分になりそうだったから。

――疲れなど全くないことへの違和感が、頭の中で渦巻いていく。

いつのもの私であれば車椅子を押すことなんて、五分も持たないと思う。普通の人は違うのだろうけど……、病院生活の私にそんな力なんてない。一分だって持たないはず。

でも――でもできないはずなのに、既に私は走れた。避けれないと思った怖い攻撃も、避けれた。しかも疲れを全く感じない。呼吸さえ乱れない。今も走った時と同じで、いつまでも押し続けられる自信があった。

車椅子がおかしいのか? 何が変なのか、考えれば考える程、疑問は混乱していく。

「はぁ……」

「んっ? ほむら。どうかしたのかな? もうすぐ着くから頑張って」

 振り返ることもせず、車椅子にただ座り続けているシャルさん。もしかするとシャルさんの力なのだろうか? いくらでも押し続けていられることはその力で証明できるかも。空を飛び、光を放ち、姿形を変える人なんて聞いたこともないし、見たこともないから。

 ――だけど、私が走っていた時はまだシャルさんとは会っていない。会ったのは甲冑兵士だけで。だから……、シャルさんが不思議な力を使おうにも無理。シャルさんが飛んでいる時に私を発見して、その力を貸してくれた。そういう考えもできるけど、結局会った時の反応を見る限りでは、はじめて見たのと同じ反応だった。だから違う。結局、シャルさん以外の何かな気がする。

「うん。だ、大丈夫」

 空を見上げ、歩く。空だけは見たことのある風景が流れていた。雲や青い空。

一体私は――、どこに来てしまったのだろうか。

「あそこ、あそこに入って。見える? あの教会、ボロッちぃ奴!」

 私の意識を遮るようにして、シャルさんの声が耳に入る。

「あそ……こ?」

 指差す方向に目を向けると、確かにそれらしき建物があった。周囲が瓦礫となっている中、ボロボロではあるがきちんと建物として機能していそうな外観。そしてかなりの敷地の広さを持っているように見えた。でも……目の前の建物が教会と言われても、私には廃墟にしか見えなかった。教会と言われなければ、今まで見てきたボロボロの建物と同じって、気付かないと思う。だって外装は剥がれて、屋根は当然のようになくて教会らしさが何も残っていなかったから。

一体こんなところに何のようがあるのだろうか……。あの街のこともあるし、ここに話せる人は私とシャルさん以外にいない……。だから付いていくしかない。

「大丈夫? 顔色悪いけど?」

 心配そうな顔をしたシャルさんが覗きこんでいて、

「だ、大丈夫……だと思う」

「そっ。じゃぁ、とりあえずあそこまで押していって。中に入れば後はボクが自分で進むから、しっかりついてきてね?」

 教会の入り口に建っている門の近くにある二つの柱を指差した。昔はきちんとした門の扉であったのかもしれない。今は何も取り付けられておらず、ただの瓦礫の柱。

「え、う、うん、わかった」

 私が相槌を打つのを確認して、シャルさんが前を向いた。だから、

「……んっ」

 車椅子を前へ進ませた。一体何があるのだろうか……。

「もういいよ、手を離しても」

 言われて手を離す。シャルさんが両手を使い、車輪を動かし一人で前へ進んでいく。瓦礫の教会へ真っ直ぐに。だいぶ距離が離れたところで、

「ボクがいいって言ったら、この門を超えるんだよ?」

 静止を求められて、歩きをやめてその場に待機した。どういうことなのだろうか?

「う、うん」

 何だかよくわからないけど、言われる通りにするしかなかった。もしかしたら、危ないことなのかもしれない。危ないことが何かわからないけど……。

「……?」

 背中から微風が襲うと、視界に甲冑兵士が入り、歩いて行くのがわかった。彼らは私と違って例外なのだろうか……?

「あっ……」

 その思考を裏切るように柱の前で三体のうち二体が、立ち止まりこちらを振り返った。

「門番……さん?」

 頷きも、返事も何も帰って来なかった。当然だったのかもしれない。シャルさん以外と会話が今まで成立していなかったから。言葉がもしかしたら通じないのかもしれない。だけど、シャルさんでさえ、彼らと話す素振りを見せたことがない。だから話せないのかもしれない。

「ほむら……?」

 私を気にする声がして甲冑兵士から視線を外すと、シャルさんが車椅子をこちらへ向きを変え何か驚いた様子で見つめていた。私が甲冑兵士を見つめているのが不思議な事なのかな?

「甲冑兵士さんたちは入らないの……?」

「うーん、一人は入るよ。ほら、そこの――」

 柱の前に立つことができず、ハブれた甲冑兵士が目に入る。門を中心にシャルさんと対象となる位置に甲冑兵士がいた。

「そいつと一緒にその門を潜って」

「う、うん」

 甲冑兵士の横に並ぶ。鎧に覆われたその姿は無言の威圧感がある。それは私を襲ってきた甲冑兵士とは違うってわかっていても、恐怖を感じたから。この甲冑兵士は何も悪くない。私が勝手に思っているだけ……。

「……?」

 甲冑兵士の兜を覗くと一度こちらに頷いた気がした。合わせてくれるのだろうか?

「ん……」

 でも、ほんとに動いてくれるのかわからない。まだ恐怖感の方が強い。

 だから、

「えっと、その……あの……」

 その一歩がなかなか踏み出せなかった。シャルさんの配下なのかもしれないけど……、私を襲ってきた甲冑兵士には違いなくて、鉄のこすれる嫌な音が何もしなくても耳に入ってくる。

それに……やっぱり表情が見えないから――何だか無言の威圧感あって、否応なしに襲われた時のことを思い出しそうで怖い。

「ふーん……」

 首を傾げたシャルさんがこちらを見ていた。何か言いたげなのは、きっと『早く来なよ』って意味なのだろうけど……。無言の時間が少し経過すると、

「……」

 甲冑兵士が音をたてて頷く仕草を見せて、

「えっ――」

 一緒にって言っていたのに、勝手に門の中へ入ろうとするのが目に入って……。『どうして?』って疑問を考える間もなく、

「えいっ――」

 私は甲冑兵士に合わせる形で踏み出してしまった。

「……?」

 だというのに何も起こらなかった。教会がある敷地内へとその一歩を一緒に踏み入れたのに……。見当違いのことだったのだろうか? それともただからかわれただけなのだろうか?

でも、それだったらシャルさんが静止なんか絶対言わないと思う……けど。

「どうしたの?」

「な、何か起きるんじゃないかって……。空を飛んだりしたから、ま、また何か怖いのが、お、起こるんじゃないかって……、思って――」

「そうだね、もう起きていると思うよ。大丈夫。怖いことじゃないから、一度目を閉じて、もう一度開いてごらんよ」

 ほんとにそうなのだろうか?

「う、うん。わかった」

 言われた通り、目を閉じついでに深呼吸をしてゆっくりと目を開いていくと、

「えっ――、なにこれ……」

 目を開け視界に入ってきたのは、確かに教会だった。壊れている教会じゃなくて、きちんとした教会が堂々と建っていた。それもステンドグラスが上部にあって思わず見とれるぐらい。

それに鼻には優しい花の香りが入ってきた。焦げ臭い匂いや嫌な匂いなんてこれっぽっちもしない。よく見てみれば、教会の周り一面に花が咲き誇っていた。明るい赤と黄と紫そして白の花。その花の匂いのおかげなのか、さっきまで感じていた恐怖感なんて消し飛んでしまうくらい。

そして教会のすぐ前には女神像があった。両手を握りしめて天に願いをこう姿をしていた。

「ありえない……!」

 数秒前まで瓦礫の一種で、言ってしまえば泥臭い場所であったのに……。目の前にある現実は一体何なんだろうか? シャルさんが見せる幻か何か……なの?

「残念ながら、幻とかじゃないかな。これは現実だよ、ほむら――ようこそ、楽園へ」

 教会の扉が開かれると、

「シャルお姉ちゃんっ……!」

 たくさんの子供たちが列を作って走ってきた。そしてシャルさんの車椅子を囲い込んだ。混乱が膨らんでいくばかりな私を気にする様子もなく、

「ただいま、みんな何もなかった?」

「うん、何もなかったよ!」

「なら、大丈夫かな」

 シャルさんは子供たちと会話していった。子供たちはシャルさんとは違って普通の格好。でも統一間がなくて様々な服装を着ていた。ワンピース、割烹着など。それに年齢層もバラバラで、幼稚園ぐらいから小学校高学年くらいの男の子と女の子たちのようだった。

「あの人は?」

 こちらに気がついた子供が私を指さした。

「新しいここの住人だよ。でも今日は構わないであげてね。わかるよね? それとボクも今日は眠るから、あとはみんなでなんとかできるね? 何かあれば彼らに言うんだよ。彼らが君たちを絶対に守るから――」

 シャルさんの問いに、元気に『うん』、『わかった』とそれぞれ子供が返事を返していた。子供たちに目がいってしまったせいで見落としそうになっていたけど、シャルさんの言う彼ら――甲冑兵士が教会の至る所で武器を持ち立っていた。シャルさんの言葉通りなら、この子たちを守っているの……かな?

「ほむら、こっち」

 シャルさんの言葉で考えるのをやめて、再度足を動かそうとしたら隣にいた甲冑兵士が同じように足を進め始めた。

「わ、わかった」

 少し早足で歩くとその鎧の擦れる音が後ろから聞こえ、安心しながらシャルさんの元へと行こうとしたら、

「お姉ちゃん、あとで遊んでね!」

 すれ違いの言葉に思わず頷いてしまった。向日葵のように優しい笑顔に。

たった一瞬だったのに――なぜだか巻き毛の子供の嬉しそうな笑顔が脳裏に残った。

「さてっと……」

 シャルさんが教会の扉の前へと移動すると、まるで自動ドアのように両開きの扉が勝手に開いた。それも手を触れずに。そのことを不思議と思わないシャルさんが教会の中へと進んでいく。

「……?」

一体どうやって扉が開いたのかわからない。てっきり私に扉を開けるようお願いしてくるのだと思っていた。でもシャルさんは私に構うことなく教会の奥へとどんどん車椅子を進ませていく。

もしかしたらバリアフリーで扉が開く仕組みが何か入っているのかなという疑問は、扉を調べるまでもなくて何もなさそうに思えた。そもそもここにバリアフリーがあるなら、さっきまでいた壊れた街にもあったはず、だから違うと思う。

 そんな風に考えながら、後ろから子供たちの笑い声や話し声が聞こえる中、私も続くようにして教会の中に入った。

 

 

――空はもう青く星が輝きはじめる時間。

教会の中に入ると、シャルさんはまだ思った以上に進んでいなかった。真ん中の通路を対象に左右対称に置かれた椅子。結婚式だと新郎新婦が進むのをよくテレビで見たことがある。その道を真正面にあるステンドグラスに向かうようにして、シャルさんは進んでいた。

でもどうしてこの場所に来たんだろう? どこも壊れてもいないし、いるのは子供たちだけ。

「不思議……? そんな顔をしている――気がしてさ」

「えっ……」

 シャルさんを追って、通路の真ん中ぐらいに差し掛かった時、驚いた私の声が教会内に反響した。シャルさんは振り返ることなく言葉を続けた。

「ここの教会はあの街みたいに壊されることはないんだよ。ボクが守ってることもあるけど」

 車椅子の車輪が講壇へと向けて、回り続ける。

「壊れているように……見えるから?」

 教会の中は壊れている所がどこにもない。もしかするとあの門を超えないと、この場所は判別できないのかもしれない。だから、私を襲った甲冑兵士がこの教会の近くに来たとしても“何もない”と判断するのかもしれない。

「そうだね、それもあるけど……」

 教会の講壇の前で右に曲がり、そして講壇を中心に左右対処にある右の扉を開け、シャルさんがこちらを振り返った。

それ以外に一体何かあるのだろうか? 例えば、絶対的に認識できなくなる何かとか。でもそんな科学がここにあるように思えない。だって、私の知る車の形は、あの街にあった馬車と違うってなんとなくだけどわかるから。少なくとも住んでいた街には存在しなかったはず。

「ほむら、こっちだよ。ついてきて」

小走りで急ぎその後に続くと、その扉をくぐる。扉の奥は通路のようで、手前だけじゃなくて奥にもまだ扉がいくつかあった。この通路は他の部屋に移動するための廊下なのかもしれない。

「ちょっと離れて……」

 シャルさんがその廊下の途中で止まった。そこは扉と扉の境目。――つまり扉が何もない位置だった。その位置に向き直るよう車椅子を回転させていく。

「どうかしたの……?」

 何か考え事……? シャルさんの前の壁にはあるのは年季によるシミ。それぐらいだった。

「……ふぅ」

 耳元に何か集中するような深呼吸に似た声が聞こえ始め、

「……ふぅ」

 シャルさんが目の前の壁に手を伸ばした。手に赤い光を纏いつつ、そのまま壁に触れると触れた場所から水紋のように赤い光が壁を伝わっていく。そしてその赤い光の波紋がゆっくりと線を描くようにして四角を描いていた。そして赤い光が消失しだすと、

「なっ……!?」

 壁がその赤い光通りに四角く切り抜かれていった。その壁の奥は、真っ暗な吹き抜けがあった。一体何のためのものなのだろうか? 簡易的な押し入れ……とか? 

「さっ、もうすぐだよ」

シャルさんは驚いた様子もなく、その暗闇の続く空間へと車椅子を進ませていく。それが現れるのが、当然――まるでそんな感じ。戸惑いとともに、

「え、うん。えっ――」

 慌ててその闇の中へと足を踏み入れると、視界が闇に落ちた。振り返れば、入った空間が消滅していた。そのための――暗転。混乱しそうな私に、

「こっちだよ」

 というシャルさんの声の方向に一つの赤い光が見えた。この空間、そして姿形を変える不思議な光。それを天に捧げるかのようにして、シャルさんは手に宿していた。

「――あれだったら、ハンドルを握っていてもいいよ」

 なんとかシャルさんの元へと、足元の見えない恐怖と闘いながら接近した私は、その問いに答えるまでもなく、それを握った。何もないように見えて、足場は鉄のような硬い感触を私へと反発してきた。整備されている道なのか……?

「じゃぁ、握ったままついてきてね」

 シャルさんに諭されるまま、私は誘導されていく。どこに連れて行かれるのかわからない。だから自然と、

「……その力は一体何ですか?」

 恐怖を紛らわすようにずっと疑問に思ったことを聞いた。車椅子が発する車輪の金属音だけがしばらく響いた。

「魔法だよ」

 シャルさんが止まり、手に宿した光の色を変化させた。赤から、黄色。黄色から赤へと――。

「魔法……?」

 ――聞いたことがある気がした。

「便利だけど、残酷な力――」

 そうシャルさんがつぶやき、また私の歩みがシャルさんの思うままに進んだ。何もない空間。この空間には段差がなかった。代わりにあるのは坂道で。微妙な角度ではあるのだけど、確かな下がり道。もしかすると、地下へ向かっているのかな? 地下室みたいな特殊な空間があるのかも……。でもどうして、そんな隠れ家みたいな場所に行くのだろう? さっきの子供たちはここに来れるのかな、そんな疑問が浮かび始めた時、

「……?」

 ある地点でシャルさんが止まった。見渡してみれば黒い影――甲冑兵士がうっすらと見えた。

「……あっ」

 光が甲冑兵士を照らすとその色合いがわかった。漆黒に似た黒、そして長い槍を持っていた。

「何もなかった?」

「……」

 甲冑兵士が答えるように頷いた。

「そう……」

 シャルさんは車椅子を甲冑兵士の横へと動かす。そして先ほどと同じように手を前へと伸ばすと赤い線が走り、切り抜かれていく。その赤い光が消えると四角い閃光が刺激として入ってきて、

「うっ……!」

 左手でその閃光を隠し、思わず目をつぶってしまった。暗い道をずっと歩いていたためか、光への抵抗が弱くなっているのかもしれない。

「さっ、ついたよ」

 再び目を開けると、切り取られた闇に光ある部屋が生まれていた。そこは廊下とは違って、普通の部屋だった。誘導されるように、シャルさんの車椅子と共に部屋に入る。入り口にいた黒い甲冑兵士も、私たちに並んでこの部屋へと足を踏み入れていた。

 目に入った閃光の正体はすぐに発見できた。室内にあるランタンみたいなのが宙にいくつも飛んでいたから。

「手を離してもらってもいいかい?」

「う、うん」

この部屋には大きな机、大きなベッド、大きな本棚と他に何点かの家具があった。どれもこれも年季が入っており、綺麗に掃除されている感じがした。シャルさんはその大きな机へと向かい、机越しになるようこちらへと向き直していた。その位置はちょうど大きな机の真ん中――。

私とシャルさんの位置関係は、テレビで見る校長室や、社長室みたいな対面状態へなっていた。黒い甲冑兵士はその机の隣へといつの間にか移動していた。

どこか黒い甲冑兵士に見られている気もして、少し怖くなった私は気を紛らそうと、

「……シャルロッテ・ハートクロイツ ストーリー」

本棚に目がいき、思わずそのうちの一つ――その題名を自然と読んでしまっていた。

他の本と違って、綺麗に装飾されて何か懐かしい気分を感じさせたその一冊の名を――。

「!?」

 鋭い視線が一度私を襲うと、

「――どうしてその名前を……」

 すごい鬼の剣幕のような威圧感が――、

「うっ!?」

シャルさんから向けられた。

「な、何が、で、ですか!?」

今すぐ何かされるそんな印象さえ感じた。

「うぅ……」

私は読める文字を読んだだけなのに、おかしいことだろうか……?

「お前が言ったのかな? いや、そんなことはない……かな」

甲冑兵士が直ぐ様否定するように首を横に振って、静かな声で『知りません』と答えた。低い男の声のようだった。

「あはははは、面白いね。ほむら」

 私はただ本の題名を読んだだけというのに……。

「面白……いですか?」

 シャルさんは一体何なのだろうか、へんな格好の女の子になっちゃうし……。それに何か色々知っている気配すらするのは……、どうしてなのだろうか?

「神託通りだよ――」

 シャルさんが私の左手の方をなぜか一度見てから、

「そして、あなたも魔法使いだよ」

 私の顔を見てきて。

「魔法使い……?」

「うん。……なるほどね、それなら理由が全て説明をつけることができるかな」

 そしてはにかむように笑い赤い鈴を鳴らした。

「えっ――」

シャルさんが鳴らした鈴の影響なのか、フィードバックするみたいに何かのイメージが一瞬通り過ぎて、視界を暗転させた。そしてぐるぐると世界が回る感覚が身体全身に響き渡った。でも気持ち悪いって全然思わなくて、むしろ懐かしくてポケットに違和感がした。

「じゃぁ、警戒をお願いね」

鉄のこすれる音が後退さっていくのが耳に入って、やっと震えが収まろうとしていた。

「……ふぅ」

違和感の場所をスカート越しに触ると、確かな感触があった。硬い何かがポケットにある。

「あっ……」

 ポケットに手を入れて、その固形物を取り出してみれば、フィードバックしたイメージ通りのものが手の中に現れた。

「ほう……、ほむらのは変わった形をしているのね」

 私のポケットから出てきた宝石を見たシャルさんが、また鈴を鳴らす。ほむらのはということは、私のこの宝石とシャルさんの赤い鈴が同じものということなのかな。でも、私のは、紫色の光を放つ宝石で。しかも紫色の液状が脈動するみたいに宝石の中をうごめいている。あの鈴と同じものに見えない。そもそも宝石と、鈴なんてどう考えても材質が違うし、用途も違う。

「ふぅ……少し疲れた」

 そういったシャルさんは机からベッドへ移動すると身体をうまく移動させ、ベッドに寝そべ始めた。

「今部屋は空いていないから、一緒のベッドでもいいかな? 詳しい話は明日かな。急いでも得することも損することもないと思う」

「うん、わかった」

 手招きに従うように、その横に移動すると同じように寝そべる。ベッド特有の反発が身体を押し上げてきた。

「それに子どもたちと一緒だと眠れないかもしれないでしょ? 知らない人が多い。当然……、ボクも含めてと」

「そう……かもしれません」

 人と一緒に寝るのは久しぶりかもしれない。知らない人かもしれないけど、どこか懐かしいという感情が溢れた。でも――大切な何かを忘れているそんな錯覚もした。

「シャルさん!? 顔色が……」

 遠目だったせいか、今まで気付かなかった。ベッドの隣というポジションにこなければ、ずっと気づかなかったと思う。土気色、そして目元は黒く疲労困憊で倒れそうな顔をしていた。もしかすると魔法の力でずっと隠していたのかもしれない。

「大丈夫、いつものことさ。気にしないでおいてくれ。朝がくれば、また元に戻るよ」

 シャルさんが笑った。でもそれは愛想笑いで元気をどこにも感じられないし、全然説得力ない。

「――いつものボクに」

「そう……なんだ……」

シャルさんのことが心配なはずなのに、睡魔が襲ってきて、どうしようもなく眠い。気絶して眠っていたはずなのに……。まぶたが落ち始め、またへんな夢を見るのかなと――、

『求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん』 

思い浮かべたら、そんな声が聞こえた気がした。

 

 

「ほむらちゃんっ!」

そう――私を呼ぶ誰かの声がした途端、急に震えを感じた。

「ぐぁ……!」

そして続け様に血のざわめきが全身を駆け巡って、私は覚めた。

「はぁ……はぁはぁ……、なに……これ……?」

 ――嫌な目覚め方だった。

 両手を見ると、微かにまだ震えている。身体の中を血流が勢い良く駆け巡ったと思ったのに、否定するみたいに体温はどこか寒くなっていく。

「一体何なの……」

 それはまるで、何か大切なことを忘れているのを怒っているようで……。確かに前に聞いたことある声だった気もするけど……。頭を振り、考えをあらためるようと、顔を上げると光の入る隙間も、陽の差す窓もないためなのか、真っ暗な部屋だった。視界に何も入ってこない。

「あ、あれ……?」

――でも、どうしてさっきは手が見えたのだろうか……?

「……?」

暗闇に目が慣れてきたのか、うっすらとだんだん部屋の中が見えてきた。手も見える。

「ふぅ……」

 深呼吸して、目を閉じる。さっきのは勘違いなのかもしれない。寝ぼけて、そう認識していた――そんなところ。

こうして知らない場所で目覚めるのは三回目。でも他の時より不安感は大分少ない。第一に外でないから。そして少なくとも、信頼できそうな人の居住スペースにいるから。目を開けてみれば、

「シャル……さん?」

その信頼できそうな人は、私の隣に既にいなかった。先に起きていたのかもしれない。ベッドから温もりを感じない。つまりは大分前から既にここから出ていったってことかな。

「……」

ベッドから降りて、私は置かれた状況を確認することにした。

「あっ……」

 足が床へと付くと、真っ暗だった部屋に明かりが灯った。入る時に見えた空飛ぶランタンが光を放出していた。夜道にこういうものがあったら、火の玉と思ってしまうかもしれない。

「これも魔法の力……なのだろうか」

 ランタンを手にして離しても、変わらず浮いた。シャルさんは私も魔法使いだと言っていた。ポケットから紫色の宝石を取り出し手の中で転がしてみる。確かシャルさんはこれがその証拠と言って見つめていた。

「……」

 まるで生きているように、この宝石の中にある紫色の光が動いている。それこそ何かの脈動のように耐えず荒ぶっている。こんなの見たことない。

「そっか……」

私じゃわからないか。状況整理も何もまずは情報が必要。そう感じた。

「えっ――何?」

視線を感じ振り向けば、それが目に入った。赤いマントを羽織った人形。その人形の目が私をしっかりと捉えているかのように、机の上に座っていた。入ってくる時にはなかった気がする。

でもはっきりはどうだったか覚えていない。あの時は見る余裕がなかったから。でも確かになかったはず……。はっきりと思うのは不気味、それが感じたこと。それにどこかで見たことがある気がして、凝視していると、

「えっ……」

人形と目があった気がして、

「っ……!」

急いで部屋の外に出た。それが不気味に感じたのは、至るところが食いぬかれたのか穴だらけ。しかもその穴から、うっすらと赤い光が見えたから――。

 

 

 飛び出した瞬間、しまったって思った。でもその時には既に遅くて、この空間に入った時のように元いた部屋への道は閉ざされてしまった。

「……えっ」

 でも暗闇は訪れなかった。足元がはっきりと照らされていた。

「あっ……」

 黒い甲冑兵士がランタンを片手に立っていた。正確には紺色というのだろうか、錆びた銅みたいな青みを鎧は帯びていて、光はその右手にあるランタンのものだった。

「……」

 甲冑兵士は微動だにせず、こちらを見ることもなくただ停止していた。戻る道も封鎖され、行く道もわからない。だから、

「あ、あの……」

 思いきって声をかけてみることにした。何も反応がなかったらと嫌だなぁと考え始めた私に、

「ふ、ふへぇ!? えっ」

 甲冑兵士がゆっくりと動いた。何かされるのかもしれないって警戒したら、

「あ、あっちに行けばいいの?」

 甲冑兵士はランタンを持っていない左腕でその方向を指し示してくれた。右の方向を――。

「あ、ありがとうございます」

 深いお辞儀をして、

「あっ」

 甲冑兵士の示した道を歩き始めようとその一歩を踏みしめると、

「光が――」

 私の行く場所を示してくれるかのように、光の道が続いていった。

――光の道を進んでいくと、来る時に感じた下り坂だった道は、上り坂へと変わっていた。

 

 

「眩しい……」

 暗闇の道から抜け出し、視界に入ってきたのは陽の暖かい光――。

あの空間からの脱出は思った以上に簡単だった。私が来るのをまるで待っていたかのように、光る扉が開いたから。シャルさんの命令で開いたのかはわからない。だけど、無事にこうして戻ってこれた。これが魔法の力……なのかな?

「ん……? 誰かの声……?」

 耳をすましてみると何かの音が入ってきた。誰かの声のようだけど、その声の主を近くに発見できない。他の部屋にいるのだろうか……?

廊下から広間へ抜けると、声の大きさが変化した。

「……?」

 でも、声が聞こえるはずなのに、その姿見つからない。そのため少し探検をするつもりで足を進ませようって考えると、

「ねぇねぇ、お姉ちゃん約束!」

教会の真ん中ぐらいの位置で声をかけられた。しかも小さな衝撃付きで――。振り返ってみれば、小さな子供が私の服の裾を握りしめていた。それは昨日笑っていた少女だった。いつの間に後ろに歩いてきたのかな? 足音も人の存在感さえなかった気がする。――匂いも何もかもが。

「えっと――」

目に入った容姿は夢の中で見た黄色い髪の少女かと一瞬感じるものだった。でもそれはすぐに間違いだと気付いた。それは明らかに幼いから。少女は幼稚園児くらいの大きさ。そしてなによりも髪の色が違った。巻き毛の子供は茶髪。似ているのは、髪型だけだった。

髪の毛を渦巻きのようにくるくると巻く髪型。

そんな困惑の中、疑問を感じた。

別に夢の中の少女が実在するのかわからない……けど。なぜか頭痛がせず――はっきりと黄色い髪の少女が頭に思い浮かんだから。マスケット銃を使う少女。思い出しても、やっぱり顔はノイズのようなモザイクがかかっているけど。どうして、頭痛がしないのかわからない。あの時は思い出そうとすれば、激しい頭痛を伴ったのに。思い出すのはやめようと思っていたのに、――今は何も感じない。

巻き毛の子供は、熟考する時間をくれるわけもなく、

「ねぇねぇ!」

 と愛くるしい可愛い声を上げてくる。だから、

「その……」

どこかそのことがわからないのを責めてきているような感じがして、後退り背中に椅子の硬い感触がした。そのため、受け答えできる態勢でなかった私は曖昧の対応になる一方。

「えっと……」

これが知っている人物で、なおかつ人の気配――、何らかの音がすれば多少なりとも対応できたかもしれない。だけど目の前にいる子供は、音もなく近寄ってきた。もし仮にそうでなければ、多少なりとも心の準備ができたと思う。対応は何も変わらないかもしれないけれど、ここまで混乱しなかったと思う。少しだけ手を使って巻き毛の子供との壁を作って、

「うん……」

 頷いた。確かにこの教会に入る時にたくさんの子供たちを見た。この場所に入ってすぐにシャルさんを取り囲んでいた記憶がある。あの時は大丈夫だった。近くにシャルさんがいたから。でも今は――、

「お、おはよう。シャルさんを知らない?」

だからシャルさんを無性に求めた。この状況をきっと解決してくれると思うから。

「わかんない!」

巻き毛の子供は頭を左右に振り答える。

「そ、そっか。そ、それでどうかしたの?」

「ご本読んで欲しいの!」

その手に持っていた一冊の本が私の目に入った。見たこともない言語だった。

「えっ……」

 巻き毛の子供のウルウルと輝く瞳が私を責め立てる。早く読んで――と。それこそ、日本語であれば読んであげられたかもしれない。会話せず、ただ本の内容を読みあげるだけなのだから。でも、これは日本語ですらない謎の言語。

「んっ……、どうかしたのかな?」

 無邪気な明るい声が聞こえてきて、安心できた。シャルさんは私が出てきた右の扉ではなく、教会の左の扉からちょうど出てきたところだった。手には何かの本を所持していた。

その後ろに隠れるように子供たちがこちらを見てくる。

「えっと、そのこの娘が本を読んでって――」

「ほう、じゃ適役だよ」

 代わりに読んであげてと言う前にそう言葉を遮られた。数秒の沈黙のうち、巻き毛の子供とシャルさんから疑問の視線を送ってきた。だから、

「えっと、その文字が……読めない」

 頬に熱が集まってくるの感じながら、素直に答えた。

「んー、そんなことはないと思うよ」

 でも、シャルさんは私の言葉を笑いながら否定した。そんなの絶対にありえない、そのくらいの勢いで。だから、

「だって、こんな文字なんて私は見たことないよ!」

 売り言葉に買い言葉。普段出さない大声が出た。巻き毛の子供がビクッと一瞬震えたのが見えて、私は何を言っているのだろうかと後悔した。そんな私にシャルさんが、

「じゃぁ昨日の夜、あの題名を読み上げたのは誰だったのかな? ちなみにあれもその本と同じ文字で書かれているよ。まぁ、あの文字はそもそも子供たちというか、ボク以外に読めないはず……。仮に読めたとしたら――、同じ魔法使いだけさ」

 楽しそうな声をあげ、私に問うた。

「えっ……」

そんなはずはない。そんなことなんてはない。巻き毛の子供が持ってきた本の題名が昨日見た題名と同じなんてありえない。あの時、見えたのは頭の中に直接文字が……。

「あっ……」

 ――そうだ。確かに……あの時私は題名なんて読んでいない。直接頭の中にその言葉が入ってきたんだ。

「ふふ」

 シャルさんがまた笑った。何か見抜かれているようで、恥ずかしくなる。

「ほむらは魔法使いなのだから、魔法を使えばいいのさそれに――」

シャルさんが私の口元を指さす。金色の髪がゆらりと揺れ、輝いた。

「既にボクたちはこうして会話している。なら、できないわけないかな。ボクはこの子たちに勉強を教えるから、それ以外をお願いするよ。宿泊代みたいに思ってくれればいいかな」

シャルさんはそういうと笑いながら、何人かの子供を連れて、教会の奥にある左の扉に入っていった。子供は小学校に通っていたとしたら、高学年だろうと思われる容姿だった。対して私の周りには比較的幼い子供たちが残った。というより集まってきた。

見た目はまだ勉強が必要ない幼稚園児ぐらい。

助け舟のはずであったシャルさんがいなくなったこともあり、

「あの……読みたいの?」

 自分でどうにかするしかなかった。

「うん!」

子供に対してもギクシャクになりそうだった私を気にしない声が響く。若くて明るい子供の生き生きとした声。周りにいた子供も期待に満ちた目でこちらを見てくる。おそらく、ここにいる子たちは字が読めない。そう直感的した。だからこその期待の表れなのだと思う。この世界を調べるためには協力する関係が必要。だから、少女から本を借りると睨みつける。

一枚目をめくっても、暗号文のような文字の羅列がぎっしりとそこにはあった。

「えっと……」

 読もうとせずに私は題名が読めた。そしてシャルさんとも話せている。だから、日本語を読むようにできるだけ自然に本を見つめなおす。すると、

「……」

 紫色の発色光が私の周囲にきらめき始めるのが目に見えた。これが魔法なのかわからない。だけど、なぜか大丈夫なのだとどこか安心している自分がいた。

「……二人の仲の良い姉妹がいました」

その言葉が見えたと思えた時には、自然に口にしていた。今まで読めなかったはずの文字が日本語のように見える。

「お姉ちゃん!」

 巻き毛の子供に反応し、顔を見ると、

「ん……何? えっ……!」

 巻き毛の子供に手を掴まれ、そのまま手を引かれた。そして教会の四人くらい座れる長い椅子に誘導され座らせられると、

「えへへ」

本を読んでと言った巻き毛の子供が私の膝にちょこんと乗った。

「――えっ」

子供なのだなということと、子供の軽さにびっくりした。実際子供の重さがどれくらいなのかはわからない。だけど、それにしてもこんなに軽いものなのだろうか。シャルさんにしても、この子供にしても、ひどく痩せている気がした。

「えふぅ」

巻き毛の子供が上目遣いでこちらを見上げてくる。

「……あ」

そして見渡せば、同じように数名が教会の椅子に腰を下ろしこちらを見つめていた。どの子供も同じように続きを読んでと生き生きとした目を向けてくる。だから、私は本を開き、その続きを視界に入れた。気付けば、また紫色の光が舞い始めていた。

盾から空へと――私の身体から溢れだすかのように。

「……でした」

本の内容は聞いたことも読んだこともない物語だった。何度も見直しても内容が変わることもない。子供たちに読み聞かせる中、そんなことを考えても無駄なのはわかっている。だけど、ハッピーエンドに向かわない双子の物語なんて、子供に悪影響しかないと思う。

――双子の天使の物語。

一瞬、フランダースの犬が頭の中を過ぎった。天の迎えがやってきて、一匹の犬とその主人が天に帰る物語。可哀想な結末、でも本人たちはどこか幸せそうに見える話。

「……」

教会の奥を見てもシャルさんの姿は見えない。勉強を教えると言っていたから、授業でもしているのかもしれない。巻き毛の子供が私の服を掴むと、

「続きは……?」

 聞いている子供たちは無邪気な表情を向けてくるばかり。考えすぎなのかな……。

「えっと……」

催促されるがままに続きを読み続ける。悪影響とは言っても結局受け取る本人次第、そう判断した。それにここの子供たちはこの本を読んで育っていくのかもしれない。日本人における桃太郎や一休さんのように――。

「そして……」

物語はラストシーンに差し掛かる。双子の天使は互いの身体を抱きしめると眩しい光を放ち、天へと帰りました。一つの赤い光。それがいつまでも空に輝き続けるのでした。

「双子ちゃん幸せになったのかな……?」

私の膝に座っていた巻き毛の子供がそう問う。

「どうなのだろう」

口に疑問を浮かべ考えてみる。物語は抱き合う天使の挿絵で幕を閉じている。ならば、少なくとも不幸ではないはずだと思うし、信じたい。私もバッドエンドは嫌だから、

「きっと幸せになったのかな」

こういうのが正解だろう。

「うん……?」

本を閉じるとそれが目に入った。何も意味を持たない裏表紙なはずなのに、釘付けられたみたいに視線を逸らすことができなかった。黒い影が――双子の天使が作り出した光に歩いているように見えた。その影を凝視しようとした私に、

「ふふ、そうだといいね」

後ろから声が聞こえてきて、

「シャルさん……、この物語って?」

感じていた当然の疑問を口にした。

「面白い話でしょ、天使の物語って」

当たり障りない答えが帰ってきた。だから、確信を得られるように、

「これって、もしかしてシャルさんの部屋にあった……」

 作った言葉は止められた。シャルさんが口元に手を近づけ、それ以上言わないでとサインを送ってきたから。もしかすると子供たちがいる中では何も言えないのかもしれない。だから、疑問を押し殺した。きっといつか聞ける時もあると思うから。

「ほら、本聞かせてもらったのだから挨拶するんだよ。それとご飯だからみんな準備を手伝って欲しいかな」

シャルさんは一言そう話すと、外に出ていった。

「ありがとう、お姉ちゃん」

 話を聞いていた子供たちが順番に言葉にしていく。そしてシャルさんの後を追うように次々に外へ出ていく。お礼を言われると、なんだかこそばゆい感じがする。

「……ん?」

服の裾が引っ張られるのを感じ、顔を向けると。

「お姉ちゃんも行こっ?」

本を読んでと話しかけてきた巻き毛の子供が見つめていた。

「そうだね」

私は袖からその子供の手を取ると、導かれるがまま付いていった。頭の中で、どうしてこの物語がここにあるのか、そしてあの黒い影は一体何なのだろうと戸惑いを胸に秘めながら――。

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
1
1

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択