No.494483

超次元ゲイムネプテューヌXWorld 第三十話 【道理と矜持と因果と】

ME-GAさん

気付けばあっという間の三十話。
すごいですねー……。
そして終わりはいつになるやらw

燐様クリケット様藾弑様、申訳無。

2012-10-10 15:01:47 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1077   閲覧ユーザー数:940

「……」

――クァム達はちゃんと退がっただろうか。

ちらりと背後を一瞥し、紅夜は、再び正面に立つ男に視線を戻した。

双剣を握る両手に力を込めつつ、男の全身をくまなく眺める。装備は金属質のガントレットのみ。それ以外に武装らしい武装は見当たらない。

男の方からけしかけてくる様子はない。相手の力量が分からない以上、不用意に先手を打っても仕方がない、と理解しているのか。

そうだとすれば、紅夜にとってはあまりうまくない状況だった。

ユニットを展開した今の紅夜なら、目の前にいるただの人間(・・・・・)程度をのすには十分に過ぎる基礎能力を得たのだが……それ故に手を出し辛い。

紅夜は周囲に視線を走らせる。やはり、この異常に人々は気付いている様子がない。そうなると、迂闊に力を解放してしまえばここにいる人々を巻き込むことになる。加えて、離れたと言ってもせいぜい半径二キロメートル以内にはまだテラ達もいるだろう。力の解放加減によっては、最悪消滅させてしまいかねない。

(だが、ここで変身を解くのも……)

紅夜はキッと眼力を強めて、男を睨み付けた。男は、その視線に畏れ怯むことはなく、どこか満足そうな表情で、一歩も動かず紅夜に視線を投げかけている。

男の方が何を企んでいるのかは予想の範疇ではない。だが、今ここで、この状況で、紅夜が変身を解いてしまうわけにはいかない。

――あくまで、紅夜の変身は、脅しとして使わなければならない。

そのために、紅夜は男に絶え間なくプレッシャーを与え続けている。これ(・・)は、到底の力では抗えない強大なものである、ということを分からせるために。

ここで変身を解いてしまっては、紅夜がこれを使うのに相当なデメリットを生じるのだということを悟らせてしまう。

たった一寸の弱みを見せるだけで勝敗が決する可能性もなくはない。

それ故に、変身は解けない。

「へえ……」

ふと、男は興味深そうにそう声を漏らした。恐らく、紅夜の力の絶対量に気付いたのだろう。だが、男はそれに臆することも、畏怖の念を抱くわけでもなかった。

 

――ただ、純粋に、戦う者の瞳に、変化した。

 

「――ッ!?」

何か冷たいものが全身を抜けていった。……否、何か、ではない。不純のない殺気と、圧倒的な重圧。紅夜ほどではないにせよ、人間程度と計りを定めていた紅夜の心に揺さぶりをかけるにはあまりにも途方のない大きさだった。

(馬鹿な……)

紅夜に、挑もうとでもいうのか。男の反応から察するに、紅夜の器は男に伝わったはずである。それを知ってなお、紅夜に、立ち向かうというのか。

それは……それは、あまりに無謀ではないか。

もちろん、紅夜に男を殺そうなどという意志はない。せめて、しばらくは攻勢に出られないように痛めつけるつもりではいたが――と、そこで紅夜は目を見開いた。

まさか、それすらも見抜いたというか。

放ったプレッシャーに甘さを練ったつもりはなかった。

ただの一片の弱みも、見せたつもりはなかった。

だが、もし彼がそれを見抜いたのだとしたら――紅夜は歯噛みした。

(迷っている暇は、ないな……)

早いところ片を付けて、もう一人の方へ向かわなければならない。あちらの実力は分からないが、いくらテラが強いとて敵わなければ危険だ。

……とはいえ、紅夜の目の前の男も、一筋縄でいくような相手ではないだろう。これだけの殺気と強気は、並大抵の人間に備わるようなものではない。

「半殺しのつもりで丁度いい――ということか」

「言ってくれるな」

紅夜のつぶやきに、男は不快な調子を出すこともなく言った。

聞こえないようにつぶやいたつもりだったが……紅夜は双剣を握る手に力を込め、腰を低く落とし、いつでもあちらの動きに対応できるように構えた。

「いくつか訊きたいことがあるんだが……」

「答える道理はない」

「そう言うなよ」

バッサリと紅夜に切り捨てられ、男は大仰な仕草で肩をすくめた。

「お前は何者だ? 女神、じゃあないよな?」

「道理はないと言ったはずだ!」

何かを仕掛けてくるような様子はない。ここで無駄な時間を過ごしているわけにはいかない。紅夜は地面を蹴り、男に肉薄した。

すると、男はニッと嘲るように微笑み、両手のガントレットを互いに打ち付けた。まるで釣鐘のような音が街中に響く。

まずは牽制、紅夜は右手の双剣に魔力を充填し、男に向けて放つ。高密度まで圧縮された魔力は男に向かって一条の光を描きながら飛んでいく。

男はわずかに身体を横にずらし、難なくそれを避けた。

だが、そこまでは予測済みだ。紅夜は足を止めず、さらにもう一撃の光線を男に向けて放射する。次いで、もう片方に握られている剣に魔力を込めた。砲撃用のものではなく、武器自体の性能を底上げするための魔法である。

放たれた光線は、やはり男を掠めることなく霧散する。しかし、それで男の行動の牽制はできた。紅夜の武器の間合いに入った以上、これで詰みだ。

男はその場から動かない。いや、動けないのだろう。どれだけ高い運動能力を持っていようと、人間の動きそのものに限界は存在する。彼自身の状況がまさしくそうだ。

残った方の剣にも魔力を走らせ、近接用に準備を整える。

ここで逃すような真似はしない。

この一撃で意識を狩り取る。

――と、そこで。

「痛ッ……!?」

両目に走る痛みに、紅夜は思わず足を止めた。

「なんだ……!?」

一瞬、ユニットの解放による副作用のものかとも思ったが、違う。疼くような痛みではなく、極めて単純な痛覚によるものだった。

眼球に入りこんだ異物を取り除こうとする反射反応が、眼球を涙で濡らす。涙でぼやついた紅夜の視界に、何か茶色い霞のようなものが映った。

「土埃……?」

そう、先刻まではなかった視界を埋め尽くさんばかりの土埃が蔓延していたのである。それが、紅夜の目に入りこんだのだ。

だが、おかしい。肉眼では捕らえられないが、紅夜の周囲には不可視の防性結界が張られている。単なる土埃がそれを突破したとは考えられない。

しかし、そんな思考は、正面から吶喊してくる男の姿で掻き消された。

紅夜は不格好に後ろに跳ぶと、片手で目元を擦りながら、男に剣を向ける。

男は右手の手甲で紅夜の剣を弾き、左手を拳に固めた。必中の一撃が来る。紅夜はもう片方の剣を男に向かって投げつけた。

投げられた剣と男の拳がぶつかり、甲高い金属音が響く。剣はくるくると回転しながら真上に弾かれ、男の拳の軌道はそこで阻まれた。

「……ッ!」

男の顔にも動揺――まあ、若干の愉快そうな感も混じってはいたが――が走る。この絶好の機会は逃せない。紅夜は右手に剣に魔力を充填し、男に照準を定めた。

しかし、その刹那。男はぐんと身体を弾かれた勢いに合わせて一回転させ、拳を地面に向けて叩き付けた。

数瞬をおいて、男が拳を叩き付けた正面の地面から、どう見ても自然な形ではない岩の槍が幾多も紅夜に向かって伸びてきた。

「な――!」

紅夜は慌てて背部ユニットのスラスターを駆動させ、その場を飛び退く。二本の岩の槍がつい今まで紅夜がいた虚空を刺し貫く。

獲物を狩る大蛇を思わせる動きで紅夜に向かって飛び掛かってくる岩の槍は次々と地面から生えてくる。恐らく男の魔法によるものだろう。

紅夜は、臨界状態まで高めた魔法を岩の槍に向けて放つ。光線に当てられた岩の槍の数々は、まるで土塊のようにボロボロと崩落していく。

「……多いな」

ざっと見回しただけでもおよそ三十本。これらを形成するのに要した時間は――紅夜の体内時計が狂っていなければ、一分もかかっていないだろう。

単純な魔力量や才能だけの問題ではない。ただの人間程度(・・・・・・・)とは比べものにならないほどの圧倒的な精神力の成せる業。

男が何者であるのか、今は気にかけているべきではない。紅夜は今一度、両手の剣に魔力を装填し、いつでも次弾を放てるようにする。

今一度、緊張の糸を強く張り詰める。

男は、紅夜のそんな心持ちを感じたのか、にやりと笑って、

「お? もうちょい本気を出すのか?」

より一層、楽しそうな感を強めてそう言った。

男が地面から手を離すと、紅夜に狙いを定めていた岩の槍はぴたりと動きを止め、まるで男に寄り添うようにその周りを這っている。まるで、大樹の根が地上をもすら侵食しようとしている様にも錯覚できた。

紅夜はキッと威圧を高め、男を睨み付ける。

「幾つか訊きたい」

「道理はないと言ったら?」

「……」

――とりつく島もない、というわけか。まあ、紅夜もそれで彼の質問を斬り捨てているのである。当然のことでもあるだろうが。

すると、紅夜の憮然とした調子に気付いたのだろう。男はくつくつと低く笑った。

「いいぜ」

「……お前の名は?」

紅夜の質問に、男の方は予想外だったのか、「お」と小さな声を上げた。

だが、それもそうだろう。今、紅夜と彼は敵対している。敵となっている相手の名を知る意味などはない。むしろ、あまりよろしくない状態だ。名を知るというのは、相手を知る最初の段階でもある。そうしてしまえば、いずれ情が湧く。致命的だ。

相手が人間であると、生きているのだと認識してしまう。

「ライだ」

「そう、か……」

男――ライは、先程とは違う、戦いを楽しむ瞳ではなく、ただ一人のまっとうな人間として向き合う瞳に変わった。

「お前は?」

「零崎紅夜だ」

紅夜もまた、ライと同じく、ただ一つの存在として応える。

「ライ、お前達の目的は何だ?」

「さあてね」

答える気は、ないということか。だが、ライやもう一人の男の出で立ち振る舞いから見て例のエスターという少年の仲間であることは違いない。

エスターは、女神や紅夜のような所謂――神の部類を狙っている。その詳しい目的は知れないが、その現状から鑑みるに何をしようと彼らは紅夜の敵だ。

ならば。

「答える気がないのならそれでも構わない」

「……」

「だが、それでは永遠に俺達は敵のままだ」

と、そこで、今まで楽しげにしていたライが、初めて表情を暗く崩した。

「俺はお前を討たなきゃならなくなる」

「……勘違いするなよ。話す気はあっても馴れ合うつもりはさらさらない」

ほの暗く、まるで地の底から這い上がってくる悪魔のそれを思わせる沸々とした静かな怖気が、紅夜の全身に覆い被さってくる。

今まで忘れられていた肉食獣の瞳がギラリと光り、獲物に狙いを定めた。

 

 ☆ ☆ ☆

 

「……」

「……」

怖いくらいの静寂が場を包む。吹き付く風のみが音を奏でる。

二匹の獣は動かない。たった一つのわずかな動きすら見せず、ひたすらに睨み合う。

時間は、いくらくらい経っただろうか。影の形は変わっていない。微かに聞こえてくる戦闘音は恐らくここからそう遠くにいない二人のものだろう。ということは、やはり時間はそれほど経過していないということだ。

呼吸の乱れすら、相手に先手を与えてしまう気がしてならない。努めて平静を表面に浮かべ、テラは斧剣を正面に構えた。

――と。

『ティリリリリリリリリリッ』

無機的な電子音が静寂に水を差した。テラの視界の端にいたサラリーマン調の男がポケットから携帯端末を取り出す。それが鳴ったのだろう。

それが切欠だった。

黒い髪の男は、ブーメランのように大きく湾曲した武器をテラに投げつけてくる。クァムから聞いていた飛鳥剣――軌道が変わる武器のようだった。

「っ……!」

放たれた二つの飛鳥剣は、テラの左右正面から弧を描くように飛来してくる。テラはその場を飛び退き、その一撃は何とか回避した。

しかし、そこでテラの真下を通過したように思われた飛鳥剣が、勢いそのままに、まるで壁に当たったかのように向きを変えた。

そこから縦にアーチを描いて二つの飛鳥剣がテラに襲いかかる。

「ちッ!」

思わず表情を歪めて、舌打ちを漏らす。閃光のようなスピードで迫ってくる飛鳥剣をギリギリまで見極め、テラは肩に担いだ斧剣を薙いだ。

斧剣の刃面に弾かれた飛鳥剣は、地面に落下する直前で再び軌道を折り曲げる。

「いい加減に……ッ!」

斧剣に闇のオーラを纏わせ、それを肥大化させる。二倍以上まで広がった刃を繰り、テラは飛鳥剣の間を縫って真下に潜り込むとまずは片方を打ち上げる。

上空十メートルほどまで昇っただろうか。そこで飛鳥剣は、ぐんと鮮やかなコーナリングでテラに向かってくる。

対して、正面からは敢えて弾かなかった(・・・・・・・・・)飛鳥剣が迫ってくる。

「――落ちやがれぇぇぇええええええッ!!」

目の前の飛鳥剣を真上から叩き、そこから勢いを崩さないように縦にぐるりと一回転、上空から襲ってくる飛鳥剣を共に斧剣で捕らえ、男に向かって吹っ飛ばす。

テラの渾身の馬鹿力を込めて投げつけた故に、飛鳥剣はそこから軌道変更を行うことは不可能だったらしい。視認すら難しい速度で男に向かっていく。

しかしそれでも、男はぴくりとも動こうとしない。動けない――ということはなさそうだが、どういうことだろうか。

飛鳥剣が男を刺し貫く、そう思われた瞬間だった。

「は……?」

テラは素っ頓狂な声を上げ、自分の目を疑った。

だが、これを目撃してこんな反応にならないものなどそういないだろう。何しろ、テラが投げつけた飛鳥剣が、男の手前でぴたりと制止していたのだから。

だが、男はそんなテラの心境を意に介さず、制止している飛鳥剣を取り、構えた。投擲する様子はない。どうやら近接戦闘に移行するらしい。

飛鳥剣――それほど大きい武器ではない。ナイフよりは一回り大きく、剣というには逆に小さい。形状と用途から推測するに直接的なぶつかり合いではなく、あくまで遠距離用の補助武装と捉えてもいいだろう。

しかし、男が他に武装を所持している感はない。ということは、それなりに戦闘自体は行える能力があるということだ。

おまけに武器の大きさからすると小回りの利くスピード型である。……パワー型のテラからしてみれば、あまり相手にしたくないタイプだった。

そんなテラの心持ちなど知る由もないだろう。男はトンと軽く地面を蹴り、姿勢を低く屈めて一気にテラの懐まで潜り込んできた。

「な……ッ!?」

「そこだ」

男の一閃は、迷うことなくテラの首を狙って振るわれた。ぐんっと無理な体勢で背を反らして、テラは何とか首を繋げたままでいた。

「こんの……ッ!」

後ろへ倒れながら、斧剣を男に向かって振るい投げる。男はひょいと軽い挙動で斧剣を避け、再びテラの絶対領域に踏み込んでこようとする。

斧剣を投げた流れのままに身体を捻り、地面に両手を突いて、俗に言うカポエラ・キックを叩き込む。男に直接的なダメージは望めなかったが、わずかに距離が開く。

「……」

テラが体勢を立て直すと、男は無表情で飛鳥剣を胸の前でクロスし、腰を低く落として再び突撃を仕掛けてくる。

手元に武器はない。一見すれば、テラが圧倒的に不利だ。

その状態で、向かっていく。

男の無表情に、わずかながらの不純が混ざったのが分かった。

動揺のような、そしてひどく残念がるような。

だが、それがテラの狙いだった。右腕を正面に伸ばし、頭の中でそれを念じる。

テラの目線の先には向かってくる男の姿と、そしてその背後からくるくると回転しながらこちらに向かってくる、先程テラが投げたはずの斧剣があった。

背後から迫ってくる奇妙な音に気付いたのか、男はバッとそこから直上に飛び、斧剣の一撃は喰らわずに済んだ。

しゃがみ込んで避けなかったのは評価に値するが――何にせよ、これで詰みだ。

男は突然のことに力の加減を誤り、跳ばなくていい高度まで上がっている。テラにとっては十分すぎるほどの待機時間だった。

相手の滞空時間を利用し、斧剣を握る手に全身全霊の力を込める。

極限まで強化されたパワーを叩き込めば、負傷はするだろうがそれで意識を摘める。

「く……ッ!」

男の顔に苦悶が走る。だが、滞空の状態では為す術もない。

男の身体にテラの最大の一撃が叩き込まれ――

 

「勝ったと思ったのか?」

 

「――ッ!?」

男の身体が弾けた。

何の比喩でも冗談でもない。言葉通り男の身体がまるで液体のように弾けたのである。

そして背後から声がかかると同時に、テラは激しく前方に蹴り飛ばされた。

「っ痛……」

しばらく地面を転がったところで、ふらふらになって立ち上がる。テラを蹴り飛ばした張本人の方を向く。そこにはやはり、黒髪のあの男がいた。

相変わらず表情を鋭く締め、寸分違わない姿のままの男だった。

「……何なんだ、お前は」

「女神を殺す者だ」

「何故だ!」

言って地を蹴り、男に吶喊する。斧剣を上段に振りかぶり、上から叩き付ける。男はそれに合わせて飛鳥剣をXの形に交差し、斧剣を受け止めた。

ちりちりと刃面を押しつけ合うことで火花が散る。少しでも力を緩めたなら、この微妙な均衡が崩されて、一気に圧倒されそうな勢いだった。

「――何故、女神を殺す」

前のめりに斧剣を押しつけながら問う。男は、真正面からの力のぶつかり合いはテラほど得手ではないらしく、徐々に圧されている。だが、押し込めない力である。どちらが先にスタミナ切れを起こすか――その問題だった。

「……因果だ」

「因果……ッ!?」

「俺の『生きる』ということの、そのものの意味でもある」

一瞬のことだった。テラの勢いを受け流す形で、男が半身を捻る。力の支え手を失ったテラが大きく体勢を崩したところで、男の拳が顔面に吸い込まれる。

咄嗟に斧剣を地面に刺したまま手放し、叩き込まれる拳を横から受け止める。だが、男はそれすら予想済みといった顔をすると、空いたもう片方の手を強く握った。

第二波の拳を真横から叩いて軌道をずらし、叩いた手で押さえつける。再び力比べ。

「生きる、意味……!? どういう――!」

「お前は、人間が息をすることにいちいち意味を求めるのか?」

「道理が――違うッ!」

テラはそう吼え、抑え込んでいた男の両手を突き飛ばす。ぐんっと両手に身体を持って行かれるようにバランスを崩したところで、水月に蹴りを一撃ぶち込む。

「……ッ!」

だが、その一撃は届かなかった。テラの脚蹴は、足先に広がる奇妙な感覚に阻まれて、男の元には辿り着かなかったのである。

男の腹部に目を凝らすと、そこには……水、だろうか。一見すると、ゲイムギョウ界ではポピュラーなモンスター・スライヌを思わせるものがあったのだ。

極めて強い粘性を持った液体が、テラの蹴りを受け止めていたのである。

不可思議な物体に意識を向けていたことで反応が遅れていた。男はテラの襟首を掴み、ごちんと己の額をテラの額にぶつけてくる。

耽美な顔立ちでありながらきつく締められた男の表情には、激しい憎悪の影が見え隠れしていた。数瞬、痛みなどを忘れてそれに見入られる。

「道理……わけ、理由。己が己であるための理由、己という『矜持』だ」

「矜持と道理は違うッ!」

「同じことだ。故にそれも、俺の道理であり矜持……ッ!」

男はテラから顔を離し、渾身のボディブローを叩き込んでくる。今朝方に胃に収めた朝食が喉の奥からせり上がってくるが、何とか吐き出すことは押し留める。

「かは……ッ」

「お前にとって女神とは何だ? 道理か? 矜持か? あるいは――」

男の問いに、テラはぼぅっとする頭で考える。

テラにとって、女神とは、彼女たちは一体何なのだろう?

何と問われれば、家族。

だけど、それだけではないような気がする。

喉奥は胃酸のせいで酸っぱいような苦いような、けれどそれすら気に掛からない。

道理――理由。確かに彼女らのために生きる理由はある。そしてテラに理由をくれた本人達でもある。理由といえば理由になるのだろう。

矜持――誇り。女神という存在は、テラにとっての誇りだった。すべての人々の先頭に立って導いていく姿は、テラには誇らしかった。

道理、矜持、両方当てはまっていた。

テラが生きる上で絡みついてくる、離そうとしても切り離せないもの。

それは――

 

「――因果だ……ッ!」

 

「――ッ!?」

今まで無機的な怒りを露わにしていた男の表情が、初めて崩れた。

テラを中心に大きな闇の波動が渦巻く。いつもより瘴気の濃いそれは、テラの中につのりどす黒い澱りを深めていく。

「――《鬼神化》」

それを、たったそれだけを、つぶやくだけで事は足りる。

その瞬間、テラの中に蓄積できず行き場を失い浮遊していた闇が、テラの頭部へ、肩へ、背部へ、腰へ、脚へ。均等に分かれ、形を作っていく。

金属的で、滑らかなフォルムに漆黒の彩色。それは、決して破られることはない絶対の加護にして、領域であり、大空へ飛び立つための機械の翼。

閉じていた瞳をゆっくりと開く。ブラウンの色の光は潰え、代わりに底冷えするような不気味な藍色が閃光を放った。

「何だ……!?」

鮮明になった聴覚に、男の動揺の色を多分に含んだつぶやきが聞こえてくる。

常人には理解できまい。今のテラは、人の作った常識などを振り切った絶対の化身であり、唯一ゲイムギョウ界で理不尽な破壊を託された破壊の王なのだから。

人々に恨み、憎まれ、すべての負を集約する禍神。

それが、《鬼神》。

テラは新たに生成された斧剣を握り、静かに瞳を男に向ける。

「女神。それは、俺にとっての因果だ」

「……」

男は黙って、一対の飛鳥剣を構える。

「――俺が守るべき因果だ」

「……そうか」

そう言って男は目を伏せる。すると、男の背後からまるで嵐の龍を思わせる二本の水柱がアスファルトを割って噴き上がった。

漏れ出た魔力か、あるいは男自身から発せられた闘気か。ビリビリと空気を振動させ、太陽に直接あぶられているかのように肌がちりつく。

「女神を因果として持つ者同士――」

「――戦い合うのも一興か」

テラが軽やかに宙に舞い上がると、二本の水柱がテラをくいと仰視した。

左手に集めた闇色の塊を地面に落とす。落下した闇の球は、アスファルトに亀裂を入れて地面に潜り込み、水柱に対するように闇の奔流を結集した柱が二本、出来上がる。

男は変わらず無機的な表情だったが……少しだけ楽しそうに見えた。

「……俺の名はテラ。お前は?」

「レオン」

「レオン、か……」

随分と簡素な返しにテラは思わず苦笑する。

だが、すぐに眼力を強めて男――レオンを睨め付ける。何だか、周囲の空気一体が手の平を返したように一変した感じがした。

刹那の間を置いたのち、どちらからともなく二人はぶつかった。

 

 ☆ ☆ ☆

 

遠くからは二つの激しい音が聞こえてくる。とりあえずあの場は紅夜とテラに任せたが……援護に向かった方がいいだろうか。そんなことをぼぅっと考えながら、クァムはわずかに見える火花を眺めていた。

「あの二人なら大丈夫とは思うけど――って、キラ?」

ついと背後にいる少年・キラに視線を向けて、クァムはその名を呼んだ。

理由は単純、キラが顔を真っ青にし、息を荒げて地面に倒れ込んでいたのだから。

「キラ! 大丈夫か?」

「う……ぐう……ッ!」

慌てて駆け寄るが、クァムがそう呼びかけても応答がない。表情は苦悶に歪み、クァムの声などは届いていないようにも見えた。

一体、どうしたと言うのだろう。さっきまではあんなにもピンピンしていたというのに、まさか何らかの持病でも抱えていたのか?

だが、よく見るとそれは違うのだと断定できた。キラはしきりに頭を抱え、まるで何かの声を遮るように首を左右に振っていたのである。

何があったというのか――そう思う前に、クァムの思考は中断させられた。

何故なら、

『ほら……私が、あなたのお姉ちゃん(・・・・・)よ? 忘れちゃったの?』

どこからともなく、凜と澄ました少女のそんな声が聞こえてきたのである。

まさか、キラはこの声に怯えているというのか。だとしたら、どうして?

何故、始めはキラだけに聞こえていて、どうして途中からクァムに聞こえた?

悲しそうな、それでいて含みを孕んだ声は徐々に大きくなっていく。

クァムの背中に今まで感じたこともない悪寒が走る。

『お姉ちゃん……ずっと探していたのに』

少女のその不気味な声は、クァムとキラの頭上から聞こえた。

「違う……お前は、姉さんじゃない――――ッ!!」

クァムは、頭上を向けなかった。

だが、そこに『何か』がいるというのは、視認したように分かった。

『キラの絶望の力を、お姉ちゃん(・・・・・)に貸して?』

――世界が、疼いていた。

 


 
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