どんなことでもちゃんと練習しておかないと失敗する。
だからこそ、私はなんとしてもキスされなければいけない。
したことなら何回かあるけれど、されたことは一度もないんだもの。キスされる経験は、これからの私にとって絶対欠かせない。
だから私は、早速放課後にあかりちゃんを職員用トイレに呼び出すことに決めた。あそこは全然使われていなくて、しかもかなり綺麗だから、キスするには絶好の場所なのだ。
『お願いがあるからついてきて』と、私に手を引かれるあかりちゃんは少しも嫌な顔をせず大人しく私と一緒に歩いてくれた。個室に入る時は一瞬不安そうに表情を曇らせたけど。
こっそりと二人で入った個室はとても窮屈で、もともと一人しか入れない造りになっていることを実感する。
「お願いって、どんなことかな? あかりにできることならなんでも言ってね?」
あかりちゃんが、澄んだ瞳を向けてくる。こんな所に連れ込まれているのに、その瞳は疑うことを知らず、どこにも曇りがなかった。
キスしてほしいと頼まれるなんて、あかりちゃんはちっとも考えていないらしい。そんな彼女と向き合っていると、なんだか自分が悪いことをしてるような気がして、私は少し震えた声で話を切り出した。
「あのね? 今日こそ、キス、してほしいな」
「えぇ!?」
上目づかいで迫ると、あかりちゃんはお団子が外れそうな勢いで壁に飛び退く。左右に走る視線で、安全地帯を探しているのだと知れた。
しかし扉には私が立ち塞がっている。話す場所に個室を選んだのは、逃げ道を封じるため。
「キスしてくれるまで、退いてあげないもん」
「ひ、ひどいよぉ……ちなつちゃん……」
あかりちゃんは困惑した様子で俯いた。
ああ、ひどいことしてるな、自分。
それでも、やめたりしないからね? あかりちゃん?
「やっぱり友達同士でキスなんて――」
「私とするの、イヤ?」
「そんなことない、けど……」
私を説得しようとするあかりちゃんに、ずるい言葉を被せる。
「大丈夫だよ、あかりちゃん……」
半歩踏み出し、身を守るように構えられた両手を掴む。あかりちゃんはか細い声を漏らして、私から目を背けた。
罪悪感で体がちりちりしている。今、私はあかりちゃんがいい子なことに付け込んで、思い通りに丸め込んでいるんだ。
たかが練習なのに、どうしてここまで? 私の内側で誰かが問いかけてくる。けれど私ははっきりと明白に答えることが出来ない。どうしてもあかりちゃんからキスしてもらわなければならないという強くて熱い、形にならない何かが私を急き立てているのは理解できる。けれど、その何かが、私には説明できない。
「で、でも……うまくできないと思うよ?」
「したことないの?」
「お姉ちゃんのほっぺにしたことならあるけど……」
「ほっぺを唇にかえるだけだからッ!」
ここまで来たのなら後は押すしかない。さらに顔を寄せる。それこそキスできるぐらい近く。
あかりちゃんの弱々しい視線が私の唇をなぞった。その仕草は私の何かをひどく刺激した。またあかりちゃんにキスしたい衝動が、湧き上がってくる。でも、それじゃ意味がないの。私がされなきゃいけないの。
お互い黙ったまま、静かな空気だけが流れる。外からは途切れ途切れの話し声や、幽かな足音が聞こえてくる。わたし達がここにいることは、誰も知らない。邪魔する人は現れない。
私はこれであかりちゃんが拒むようなら諦めるつもりでいた。ただ同時に、あかりちゃんは、きっと受け入れてくれるという確信めいたものも胸にあった。
「うん……いい、よ……頑張ってみるね?」
折れた。
私の勝ち。
「えへへ、お願い」
「どきどきするよぉ……」
難しいことは何もない。あと数センチ近づくだけでいい。
それなのにあかりちゃんは髪の毛と同じぐらい赤くなったきり、中々行動をおこそうとしなかった。ああもう、じれったい!
「ね、はやく」
「見られてると恥ずかしいよぉ!」
なんだそんなことか。
「しょうがないなぁ。目ぇ閉じておくね」
「ごめんね?」
私とは何度もキスしてるのに、恥ずかしがっちゃって。
キスするときのあかりちゃん、見たかったな。
軽く両目を瞑って、その時を待つ。あかりちゃんのことだから、インチキはしないだろう。
肩にぎこちなく置かれた手。触れ合う制服。口にかかる吐息。そして、唇に柔らかい感触。とても素敵だったのに、 すべて一瞬の出来事で、味わう暇もなく終わってしまった。
目を開けると、さっきよりも呼吸が荒くなったあかりちゃんがいた。数秒前の体験をリピートしながら、私は、またあかりちゃんにお願いする。
「……もう一回」
「ふぁっ!?」
「短すぎるもん! こんなんじゃキスの内にはいらないよ!」
「一生懸命やったのに……」
「こないだ私がしたようにすればいいから! 自分を信じてあかりちゃん!」
あの程度じゃちっとも足りない。練習にさえ、なりはしない。私が必要としているキスは、世界を引っくり返してしまいそうな、情熱的で爆発的なソレなのだから。
私の練習相手ということは、あかりちゃんだって上達(?)している筈。あれが限界なんかじゃない、きっと。
もう迷う時間さえあげない。腕を広げて、あかりちゃんを抱き締める。その体はお布団みたいに暖かかった。
さぁ、あかりちゃん!
「がんばれ!」
「ちなつちゃん……ッ」
また目を閉じた方がいい? と訊こうとしたら、やけっぱちな強さでキスされた。乱暴にされるだなんて、正直、予想外かも。たじろいだ私はトイレの扉に背中をぶつけた。
なんてこと! あかりちゃんに――主導権を握られている。
繰り返し唇同士をくっ付けられるせいで、自然と喘ぎ声が出てしまう。いつの間にかあかりちゃんも私を抱き締めていて、あかりちゃんの胸が激しく鼓動していることさえ感じ取れた。熱い。体中が熱い。服なんて着ていられないくらい。
空気を求めて開いた口の中を、舌で埋められた。歯列を撫ぜられ唾液を流され、わたしがあかりちゃんでいっぱいになる。私、こんな風にしていたっけ?
あかりちゃんのことを甘く見ていた。思い出してみれば、頭を打った時のあかりちゃんに、私はどうにかされそうだったじゃないか。
立っていられなくなりそうになったところで、ようやくあかりちゃんが私から離れた。
「あ……」
唾液で濡れた私の言葉は、惜しんでいるのか、安堵しているのか、自分でも分からなかった。
私を見つめるあかりちゃんは、触れたら崩れ落ちてしまいそうだった。それなのに潤んだ瞳は私をしっかりと捕まえていた。
「これで……いいの、かな……?」
溺れるような口調で、あたりちゃんは問いかけてくる。
その瞬間、世界が引っくり返った。
あかりちゃんだけを練習相手に選んだ理由が、形にならない何かが、はっきりとした。
あかりちゃんとのキスは、苦しいんだ。締めつけられるんだ。掻き乱されるんだ。
まるで――本当に好きな人とキスしている時のように。
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あかちなのような気もする