「おはようございます、銀さん。おはよう、神楽ちゃん」
今日も今日とて代わり映えの無い挨拶を口にしながら万事屋に出勤してきた新八は、慣れた様子で和室と押し入れの襖を開いた。
むにゃ、と寝起きの覚束ない口取りで答える二人をそのままに、本日二度目の朝食の準備を始める。手早く味噌汁と温かい白米を用意した所で、何故か急に郷愁の念に駆られたような気がして手が止まる。
簡素ではあるがこれでも、万年金欠を常套とする万事屋では割に豪華な朝食なのだ。白米にも余裕があるし、鉄というか寧ろブラックホールが潜んでいそうな胃袋を持つ神楽も取り敢えずは納得してくれる筈だ。
よし、と内心笑みを浮かべつつ食卓に運び、てきぱきと動く新八の存在などさして気にしていなさそうな銀時と神楽にそれでも笑顔で茶碗を渡す。
「…ご飯少ないアル」
一体なんなのだ、僕の存在は。
余りに理不尽な態度に軽く目眩を覚えつつも、むしゃ、と自分が用意した朝食を躊躇無く頬張る二人をさて置いて押入れと和室を回って布団を干し、洗濯機に洗濯かごの中身とシーツを放り込み、スイッチオン。
次は、と考えながら振り向いた瞬間、視界が見慣れた薄緑に染まった。視線を上げると、やはり見慣れた顔と見慣れた天然くるくるパーマに見下ろされていた。
「お、悪ぃな新八。そこの歯ブラシとってくんねぇ? 」
「え、あ…はい」
銀時に歯ブラシを手渡す。が、妙な違和感を感じて歯ブラシを持ったままの手が止まって仕舞った。銀時が空の手を差し出したまま首を傾げる。
「おい新八、どうした?」
怒りでは無く、寧ろ心配するような銀時の声が聞こえ、違和感は更に増していく。
違う。もう少し哀しそうな、悔しいような声。
あと少しの所でどうしても思い出せない。だが、この声は間違いなく銀時の声なのだ。不意に、上から声が聞こえた。
「また、会いに来いよな…」
あ、と声が出て、上を向く。目の前の男は笑っていた。
銀時が今発した言葉が全てなのだ。いつの間にか銀時の横に立っていた神楽と、玄関に映る黒い影に全てを取り戻した新八はただ、一年前の、苦く悔しい体験を思い出していた。
「そんなっ!」
"驚愕"と"興奮"が半々で入り混じった叫びが響いたのは、丁度一年前。とある病院の中だった。真選組局長を務める近藤が口に人差し指を充てて嗜める。だが、幾ら此処が病室とは言え新八や神楽の中に渦巻く感情をも白く清潔な香りで隠す事は出来ない。
呆然と立ち竦みながらも心中の動揺を正直に表して揺れ動く瞳は宙をさ迷い、やがてそっと下げられた。
病室のベッドに横たえられ、白く清潔な白帯に全身を覆われた男の下へ。
銀時の閉じられた瞼は5人の重すぎる視線に晒されながらも、開かれることは無い。1週間前から昏昏と眠り続ける銀時の手を握り続ける2人に限界が訪れようとしているのは明らかである。
「こいつの入院費は真選組から出てる。これ以上隊の予算食い潰されちゃ堪んねーんだよ。かなりの荒療治だが、奴の過去については気になる点も多いしな、判断は手前らに任せてやる。」
土方はそれだけ言うと大きく息を吐き、やがて踵を返した。近藤と沖田も其れに倣って病室を出ていく。
真っ白な病室に残されたのは眠り続ける銀時と、未だ言えない傷を数箇所だけ残して佇む新八と、体は既に無傷にも関わらず今にも泣きそうに歯を食いしばる神楽だけであった。神楽はゆっくりと手を伸ばし、落ち着いた息遣いを続ける白い顔にかかった銀糸を梳いた。
新八はそんな神楽を眺めながら、自分たちの手当てが終わると同時に駆け出して、動揺を胸にこの部屋にたどり着いた時にも真っ先に銀時の前髪にそっと触れた神楽の手は傷だらけだったにも関わらず今よりも赤みの差した色をしていた気がするなどと意識を知らず銀時から外していた。だが、やはり決断の時は迫っていた。
「ワタシ、こんな事して銀ちゃんに嫌われるなんて嫌だけど…でもこのまま銀ちゃんが何と戦ってるのかも分かんないままなのはもっと嫌ネ。」
その先は言わずとも知れる。決意の篭った眼差しに射竦められたように新八は暫くその視線を黙って受け止めて居たが、やがて微笑み、頷いた。
「そうだね。……近藤さん、」
ゆっくりと閉じられた白い引き戸の中で、真っ白な部屋には定員以上の人間がベッドを囲むようにして立っていた。野武士としか形容できないくらいに野武士ヅラをした長身の男が厳かに口を開いた。
「えー、これより万事屋の過去に行くわけだが…此れは断じて記憶世界に飛ぶだとかいう代物じゃない。過去に遡るんだ。俺達の行動如何では今の世界が変わってしまう危険性もある。とはいっても、もしそこであまりにも大きな違いが出た場合にはこれからの一週間を俺達は永遠に失う事になる。所謂ドライもんな装置だが、安全装置が掛かっていて、確認作業の為に、この世界に帰ってきた後一年間は過去の世界での記憶は封じられるらしい。もしかしたら過去で死ぬ、なんて事あるかも知れないしなぁ、ハッハッハ…」
銀時は白夜叉の異名があるように攘夷戦争末期を戦っていた筈である。もしいきなり戦場に放り込まれたりしたら…近藤の冗談が冗談と笑い飛ばす事ができず、一同が静まり返る。土方は首を傾げる近藤に溜息をつきつつも、銀時には円環状の器具を被せ、これより潜り込むつもりの5人には腕輪のような装置を手渡した。早くもベルトを留めた沖田が銀時を覗き込む。
「旦那、すいやせん、あんたの若い頃を拝みに行ってきまさァ」
直後、視界は白に覆われ、身体ごと宙をぐるぐると回るような感覚が襲った。5人は何かを叫びながらも、ゆっくりと闇に吸い込まれていった。
「ん?…ここは、」
「ドコ?ワタシは誰とか言うんじゃねーだろなァチャイナ。何時まで寝てやがる。」
ガスッと、爽快な打撲音と共に目が覚めた神楽は、その場の光景に少なからず驚き、目を瞬かせた。目の前には先程までの白い病室では無く、簡素な和室の床の上。その上にころころと新八、土方、近藤が倒れている。寝ているのだとわかると、無意識の内に彼らを揺らし、兎に角起こそうとしていた。背後で沖田も同じような事をしているらしい。土方のうめき声が届いてきた。面白半分に振り返ろうとした時に、意外と広い部屋の全貌が映って、思わず声が出た。
「ぎっ銀ちゃ…むぐ!?」
口を塞がれた。
「静かにしろ、チャイナ。今の旦那を起こしたりしたら本気で殺されるかもしれねーだろィ」
少しもふざけてなどいない押し殺された声が響いた。否、冗談などでは無いのだ。状況を見るに、恐らく十代後半くらいの銀時が寝ているのは薄く、簡素な敷き布団に更に薄い布を掛けただけの寝床で、枕元には少々物騒な小太刀が備えられている。正真正銘、攘夷戦争末期の最も危険な時期に飛ばされてしまったのだ。
(さて、とんでもマシンでこんな所まできちまったが…これから俺達ァ、なにすりゃいいんだ?)
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眠り続ける銀時の過去に押しいった真選組と万事屋一行。一年後、封じられていた記憶が蘇り、銀時は静かに笑う。…タイムトラベル続きものです。