ここは喫茶店だ。神奈川にある。
名前は“喫茶ロマン”。小さな店である。
私は、そのドアの前に立っている。これから一服なのである。
私はノブを引く。空気が変わる。
コーヒーの芳醇な香りが、私の鼻をかすめる。
からころと音が鳴る。ドアをくぐる。
同時に、いらっしゃいと声がかかる。片手を挙げて応える。
私はアメリカン、と言って新聞を手に座る。
美しい女店主が淹れるコーヒーは美味い。安月給の私の、月に数度の贅沢だ。
新聞を開く。記事が載っている。
ほう、銀行強盗があったのか。けが人はなし。
私はページをめくる。
からころと音が鳴る。ドアをくぐる。
同時に、いらっしゃいと声がかかる。片手を挙げて応える。
私はアメリカン、と言って新聞を手に座る。
今日の店主は男であった。女店主の主人である。彼女は見当たらない。
新聞を開く。記事が載っている。
なに、仙台で連続婦女暴行? 物騒な世の中だ。
私はページをめくる。
からころと音が鳴る。ドアをくぐる。
同時に、いらっしゃいと声がかかる。片手を挙げて応える。
カウンターに若者が座っている。すらりとした青年だ。
店主の男と親しげに話している。どうやら常連らしい。
平日の昼間。私は休日だが、彼は学生であろうか。さぼりであろうか。
私は、自分の学生時代を思い出して過ごす。
からころと音が鳴る。ドアをくぐる。
同時に、私は傘を置く。ここ数日降りっぱなしだ。めずらしい。
私はいつものようにコーヒーを頼む。
奥に、サラリーマン風の男がいた。熱心に新聞を読んでいる。
お互い大変だな。スラックスも革靴も、濡れてしまっただろう?
私は妙な親近感を持つ。
今日は、残念ながらドアをくぐれなかった。
用事があるらしく、店終いが早い。だが仕方ない。
表に、白いセダンが停まっていた。最後の客のようだ。
そのうちに、ドライバーも締め出しを食うのだろう。
今日の店主はどちらだったのだろうか。彼か彼女か、あるいは両方か。
私は、空想しながら帰る。
からころと音が鳴る。ドアをくぐる。
今日は、店主が一人であった。しかもあのおしゃべりな男だ。
彼のコーヒーは不味い。とにかく不味い。
正否の判断がつかない雑学を披露しては、満足そうにしている。延々喋る。
この店主のもとに、どうしてあんな美人が来たのか。
かの有名ミステリより謎である。
からころと音が鳴る。ドアをくぐる。
今日は、店主が女性であった。これは幸運である。
私は彼女と会話を楽しむ。コーヒーはやはり美味い。
しばらくして、店主が帰ってきた。私はコーヒーを頼む。やはり不味い。
なぜかこの不味さが癖になってきている。不思議である。
私は、満足して店を出る。
帰り道、私はあの店の経営状態を考える。最近、喫茶店は下火だという。
常連客はいるように見える。静かで、回転率が悪い。居心地は最高である。
杞憂に終わればそれで良い。私にできることは少ない。
私は自分の経営状態を顧みる。今月は、もう一回行けそうである。
私は帰る。
安月給の私の、月に数度の幸せを噛みしめて帰る。
END
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伊坂幸太郎『陽気なギャングが地球を回す』二次創作。喫茶ロマンのあるお客の話、カップリング要素なし