No.485826

鏡の国の君と僕

一色 唯さん

【Update:2012/04/03、Remove:2012/09/18】
以前「銀八×銀時企画」へ寄稿させていただいたお話。
現パロ双子設定の銀八(兄)と銀時(弟)。
副題は「鏡の国のアリス」。
(pixivで公開していたものを移転しました)

2012-09-18 22:10:00 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:761   閲覧ユーザー数:758

01 ~Opening~

 

 

 鏡に向かってチェックメイトを仕掛けたら、向こう側のキングは獲れるだろうか――……?

 

 

 マンションの一角にある自宅へ帰ると、玄関には履き古したスニーカーと共に、見知らぬ黒い革靴が鎮座していた。

脇のポールハンガーに掛けられた黒いジャケットは上品なもので、やはりこちらにも見覚えはない。

俺が呼んだわけじゃない客人が中に居るということは、招き入れた人間がいるのも当然のこと。

ただそれだけで、この先に待ち受けている状況が察知出来てしまう。

その分だけ、既視感を体験してきているということだろう。

 

 電気の消えた廊下は静まり返り、奥の部屋から微かな鬱蒼とした気配だけが漂っている。

 途中で寄ってきたコンビニの買い物袋をガサガサと擦りながら、ゆっくりとした動作で靴を脱いだ。

しんとしたコンクリートは音を吸収せず、微かな物音でも大きく反響する。

自分が帰宅したということを、中に居る二人へアピールしたかったのかもしれない。

 シューズボックスの上へ置いた鍵が、じゃらり、と重たい音をたてて手を離れていく。

 あたたかい出迎えなど、あるはずもないのに。

自分の存在に気付いて欲しくて、わざと廊下を踏み鳴らして部屋へと向かった。

 

 俺の部屋は玄関の手前から二番目で、キッチンのすぐ横に位置している。

 そこまでたどり着くには、もう一人の家主――、双子の弟である銀時の部屋の前を通らなければならない。

 気にしなければ良い、ただそれだけのこと。

それなのに躊躇いが生じてしまうのは、その部屋の中に二人が居ると分かっているからで。

部屋の前を通るだけなのに、無意識に表情が険しくなる。

 視線が自分の意に反し、開け放たれた扉の向こう側へと誘われる。

 自分が気にしているということを、そっと裏付けるかのように。

 「う、……ぁ……」

 「……ッ、は……」

 中から聞こえたのは、苦しそうに喘ぐ銀時の掠れた声と、『もう一つの低い声』。

 薄暗い中で密やかに蠢く二人が、部屋のスタンドミラーに映り込む。

 最早日常の一部と化している――、淫靡な光景。

 (また……、か)

 俺たちは互いに成人を超えているし、秘め事の一つや二つがあっても別段おかしくはない。

だが、これ見よがしにその場面を垣間見せようとする意図が感じられるから、どうにも始末が悪かった。

他人の、ましては実兄弟の痴態を覗き見るような趣味はないし、見たくも知りたくもない。

出来ることならば、家に連れ込まれたくもないのが正直なところだ。

 ここは知らん顔をして、さっさと通り抜けてしまうに限る。

そう思っていても、足元へ何かが絡みついたように重くなり、うまく足を運べなくなってしまう。

 自室までわずか数歩の距離が、何故かもどかしいほどに遠く感じられた。

 

 後ろ手に扉を閉めると同時に、肺の中で充満した苦悩の息を深々と吐き出す。

 (……ったく、いちいち動揺してんじゃねーよ……)

 腹の底から沸き上がるのは嫌悪感なのか、それとも――……。

 

 身を滑り込ませた自室は、銀時が生活している部屋とほぼ同じ。

揃いで買った家具や配置まで同一の空間が、別室で行われているビジョンを鮮明に甦らせる。

プロジェクターで投影されているかのようなそれが錯覚だと、頭の片隅では理解しているのに。

その光景はあまりにもリアルで、自分の部屋であるにも関わらず、そこはかとなく居心地の悪さを感じてしまう。

 

 閉めた扉へもたれかかり、頭を預けて暗い天井をぼんやりと仰ぐ。

釈然としないまま上に向けた視線は、鼻筋にかかった眼鏡で視界の境界線を歪ませ、鉄紺色の空間を網膜へと滲ませた。

 耳に入ってきた『もう一つの低い声』に、聞き覚えはなかった。

というのも、知るかぎりでは同じトーンが二度訪れたことがないのだ。

 大学に通っている俺は、キャンパスや講義で大勢の人と顔を合わせる機会があるけれど、銀時は学生ではない。

定職についているわけでもなく、フリーターとしてその日暮らしをしている。

 見知らぬ相手と知り合うための、何かしらの伝があるのだろう。

そこで知り合った相手をかいつまみ、その身へ誘い入れる日々を繰り返している。

特定の相手と関係を持っている感じは全くなかった。

 銀時自身、自分はモテないと公言しているけれど、彼は元来大らかな性格をしている。

老若男女問わず人を惹きつけて常に人に囲まれる、そういう魅力を持っていた。

それは本人も自覚していて、故に己の武器としているのだろう。

 (今日の奴も、犠牲者なんだろうな……)

 先刻のような光景を目にするたび、胸の奥を強く握りつぶされそうな感覚が襲う。

我関せずと捨て置くことも出来なくて、息が詰まりそうになるのだ。

 性的な興奮とは違う、もっと別の、どろどろとした衝動が腹の底から沸き上がっていく。

身体の中枢から、得体のしれない闇に支配されていく感覚とでもいうのだろうか。

なけなしの理性は、既に根深いところまで侵食されていた。

日を重ねるごとにぷつり、ぷつりと少しずつ擦り切れていくのが、自分でもはっきりとわかるほどに。

 

 (はぁ……)

 重苦しく漏れた溜息が、空気をどんよりと淀ませる。

俺は本来、悩みを抱えてすぐに閉塞するような性格ではない。

どちらかと言えば冷淡で表情をあまり変えず、他人へ深く干渉しないように二歩も三歩も引いて斜に構える。

適性で見た場合、目指してる教職員には間違いなく不向きな性格だと判断されるだろう。

 それでも銀時を見放せずにいるのは、大切な家族という理由だけではなかった。

 

 (ダメだ……頭切り替えねぇと……)

 寄りかかっていた扉から身を離し、部屋の中を見ないように意識して机へと向かう。

仄かに濃い色を醸し出している自分の影までもが、理由もなく嫌悪を感じさせた。

こんな時、背を向けて教育実習のレポートでも作成していれば、少しは冷静さを取り戻せるかもしれない。

 

 ドサッ、とコンビニ袋を机の上へ放り出し、起動したパソコンに向かって手を伸ばした。

電源ランプの鮮やかな発色ダイオードが点灯し、ディスプレイが『ようこそ』と挨拶を示す。

現実逃避した異空間からの――、感情のない歓迎。

そんな些細なことにまで神経を逆撫でられ、チッ、と無意識に舌を打っていた。

 乱暴に転がした白いマウスが、手のひらの中でカチカチと鳴き始める。

 

 その鳴き声は、対局した駒が心の狭間で鬩ぎ合う音のようにも聞こえた。

 

02 ~Middle game~

 

 

 銀時という特別な存在に対して抱いている感情は、恋などと呼べるようなきれいな代物ではなかった。

もっと醜くて薄汚い、支配欲の塊ともいえるだろう。

この生々しい感情を素直にぶつけて、すべてを己のものにしてしまいたい。

 そう思う反面、自分の中に辛うじて残っている理性が、寸でのところで歯止めをかけていた。

いつも目の前までくると二の足を踏んでしまう、臆病な自分。

どんな顔をして手を伸ばせば良いのかわからず、思い切り飛び越えることも出来ない。

無情に過ぎ去る時間は、二人の溝を深めるだけだと知っているのに。

 

 銀時は俺が想いを寄せていることなど、容易に見抜いているはずだ。

 そしてまた銀時自身も……、俺に向けて並々ならぬ感情を抱いている。

 それを確信したのは、不本意ながらもやはりこの行為が関係していた。

 

 他人に身体の温もりを求め、満たされない欲望を吐き出す。

 その最中に呼ぶ――、俺の名。

 見知らぬ相手に俺を重ねて、擬似的な快感に浸る。

 誰かと付き合っている素振りもないし、特定の相手を持たないのも全て合点がいく。

 

 最初は俺へ悟られないよう、ひた隠しながら及んでいたことは気付いていた。

抑えきれない感情の捌け口を探し、その方法として選んだのが『気持ちを自己消化する』という手段なのかもしれない。

けれど、その奇行はエスカレートしていく一方で、今ではとてもじゃないが見て見ぬふりも出来なくなっている。

 互いを想い、互いに行き場を失くしていく、全く以て無意味な傷つけ合い。

 

 そして……、後から言い様のない虚しさに駆られるのだろう。

 他人と関係を持った日は必ずといっていいほど、苦しげに表情を歪ませながら俺のそばに寄り添ってくる。

 何も言わず、助けを求めるかのように。

 しかし、その手は伸ばしかけても宙を掻くだけで、俺へ触れる前に力なく落下していく。

 唇を噛み締め、言い淀んだ想いをこぼすまいと懸命に堪える、辛そうな顔。

 自分の選んだ方法に痛む胸を抱え、それでも止めることが出来ずに渦中を彷徨い続けている。

 

 そんな銀時の葛藤を察知していても、どうすればいいのかわからず……。

 互いに手駒を失っていく盤上の行末を、ただ眺めているだけだった。

 (こんなはずじゃなかったのに――……)

 この無駄な駆け引きは、一体いつまで続くのか。

 

 

 パタン。

 別室の扉が閉まる音がして、混沌としていた意識が現実へと引き戻された。

ひたひたと廊下を歩く二つの足音が扉の向こう側から聞こえるだけで、どこかほっと安堵している自分を身の内に感じ取る。

 玄関の扉がギィ、と金属質な響きを残し、一つの気配が家の外へと消えていった。

残ったもう一つの足音は奥のバスルームのある方へと遠のいて行く。

程なくして流れ始めたシャワーの水流が、壁伝いに自室へと伝わって残響していた。

 

 自分の思考すら上手くコントロール出来ず、自分自身が内から分裂していくような錯覚に陥る。

 『聞き耳立てるくらいなら、いっそ耳を塞いじまえば良いんじゃねーの』

 冷静な自分が天井から悠然と見下ろし、口の端を歪めて冷たく嘲笑う。

 (黙れ、そんな事は百も承知なんだよ)

 些細なことにまで反応を示す、ささくれ立った心。

冷静であるべきなのに、こうも簡単に己を見失いそうになってしまう。

裏を返せば、それだけ銀時へ強い執着を持っているということなのだろう。 

 

 カタカタと音を立てていたキーボードから指が動かなくなり、思考が停止した。

 デスクライトに照らされた自分の顔を、机の上の鏡が映し出している。

横目でちらりと覗けば、茫然自失な情けない表情の自分と目が合った。

気を紛らわそうとレポートに取り組んではいたものの、書き綴った内容は意味のない文字列を連ねているだけ。

没頭していたのではなく、完全に上の空だったのだろう。

陰湿な感情に思考を支配され、手駒を使いこなせずに自滅していく……ロス・オブ・テンポだ。

 

 「くそっ……」

 机に肘をつき、ぐしゃりと髪を掴む。

自分の手が微細に震えていて、飲みかけのまま机に放置していたマグカップのコーヒーが水面を揺らしていた。

 (どうすりゃいいんだ……)

 決してこのままの状態を続けて良いわけがない。

それは明確すぎるほどに理解している。

 あからさまに煽られて嫉妬に身を焦がす自分と、あくまでも偽善と体裁を貫こうとする自分。

相反する二つの思惑を両側に抱えて、天秤が左右に大きく揺れ動く。

 教職を目指す上で、倫理道徳に反することへ自ら手を染めるのは良策ではない。

あまつさえ実兄弟への恋慕を抱えながら、未来ある生徒を正しく導いていけるだろうか。

公表出来ない関係に背徳を感じるくらいなら、いっそこのまま劣情を断ち切るべきなのかもしれない。

 しかし、それが簡単に出来ないから、こうして頭を抱えているわけで。

まざまざと見せつけられる痴態を黙って見過ごしてはきたが、それに対して何も感じないわけじゃない。

ともすれば強引に抱いてしまいたいと思うくらいに、銀時への強い想いを感じているのは確かなことだ。

 

 いくつもの葛藤を繰り返してきたけれど、既に後には引けない所まで来ている。

 (限界……、だな)

 俺の鏡の中に迷い込んだのは銀時で、銀時の鏡の中に入ったのは俺。

 どっちがどの鏡の中にいたのかなんて考えても、結論なんて出るわけがない――……。

 

 きゅっ、と水栓を止める音が耳に届いたのを合図に、続けていた作業を完全に中断した。

 もうこれ以上、銀時に無用な傷を付けさせたくないと、心の奥で本能が告げる。

 自分自身への言い訳も、もうやめよう。

 脳裏でいくら思い描いても、心には敵わないのだから。

 

 再び足音が自室の前に近づいて来る。

 この機会を逃したら、俺はきっと後悔するだろう。

 逃げまわるだけでは核心に近づくことなんか出来ない。

 残る手駒はあとわずか、ブレイク・スルーのチャンスは一度きり。

 (獲ってやるよ、お前を――……)

 意を決して、対峙するように自分も部屋の扉を開け放った。

 

03 ~Ending~

 

 

 バスルームから出てきた銀時の身体には、ハートを象った紅い鬱血の痕がいくつも散りばめられていた。

見られているとわかっているはずなのに、隠すことなく白い上半身を晒している。

 必死で我慢して耐えていても、自分の大切なものが他人の汚い手で好き勝手に荒らされていく。

それが殊更腹立たしく感じた。

俺自身の想いを知りながら、それを厭わない銀時自身にもまた同様に。

 

 「……」

 タオルでがしがしと乱雑に髪を拭きながら物言いたげにこちらを一瞥し、目の前を悠々と通り過ぎていく銀時。

しっとりと水気を帯びた背中にまで及ぶ他人の爪痕に、ふつふつと臓腑が沸き上がる。

それでもぐっと押し堪え、黙って銀時の後を追った。

 「なに」

 喧嘩腰ではないが、どこか一線を画すように低く短く問いかけられる。

感情の整理がつかないまま目で訴えても、紅玉を模した眼が臆すことはなかった。

こちらの返事を待つこともなく、興味なさそうにキッチンへと歩いて行ってしまう。

 冷蔵庫を漁り、取り出したパックのいちご牛乳を素知らぬ顔で飲み始める。

視線だけはこちらへ向けられてはいるものの、その瞳に熱はまったく感じられなくて。

話すことはないと牽制するような眼差しが鋭く突き刺さる。

 (何が云いたいか、解ってるくせに――……)

 その態度が無性に苛立ちを煽り、留めていたものが内から一気に逆流していく。

 動き出した激情を自力で止めることは、もう出来ない。

 

 思わずぐい、と手首を掴み、傍らの冷蔵庫へと力任せに押し付けた。

突然の衝撃を受けて、銀時の手からパックがするりとスローモーションのように滑り落ちていく。

 バシャッ……。

 鈍い音を立てて着床した飲み口から、冷たいピンク色の液体がじわりと流れ出す。

フローリングを伝って素足の銀時と俺の靴下をしとどに濡らしていき、それでもなお拡がり続ける液体。

 『堰切った今の自分そのものじゃねーか』

 染みだした床を嘲笑するかのように、再び脳内で自分の声がこだます。

 けれど、そんなことなど今は心底どうでも良かった。

 

 「なんだよ」

 無言で掴み上げられた自分の手首をちらりと見やり、訝しげに眉間へ皺を寄せる。

 これしきで怯んだりするような男じゃないが、やはり確実に心の綻びがあるのは分かった。

わずかに揺らいだ瞳が、何よりの証拠だろう。

 この機をみすみす見逃したりはしない。

けれど、隙に付け入ってねじ伏せ、強引に身体へ迫るなんて卑怯な真似だけはする気になれなくて。

 「いい加減、もうやめようぜ」

 とんだ茶番だろ、と至極冷静に言い放つ。

それが傷口の脆い部分に突き刺さったのか、眉間の皺が一層深くなった。

 「うるせぇな……」

 突き放すように顔を背ける姿が痛々しい。

そんな顔をさせたいわけじゃないんだと、心が軋みを上げた。

こんなに苦しそうな顔をしているのに、またひらりと躱して自分自身を痛めつけようとする。 

 伝わってるのに、伝わらない想い。

 どうしたらお前に解ってもらえる……?

 

 ぐ、と掴み上げた手に力が篭る。

手首に爪が食い込み、圧迫されて少しずつ色を無くしていく。

壁に押さえつけることで身動きを封じているとはいえ、本気で抵抗すれば、この腕の中から抜け出すのは不可能ではないはずだ。

それをしないのは、どこかで強引に奪い去られることを期待している……、そう解釈しても良いのだろうか。

 空いてる片手でそっと銀時の頬を撫でると、自分を映した瞳が揺れ、視線が斜め下に落とされた。

 哀しげに頬が引き攣り、口唇が横一文字に固く結ばれる。

 逸らされた視線を戻すように首を傾け、顎をくいっ、と押し上げた。

 「抵抗しねェの?」

 動揺する銀時とは対照的に、次第に冷静さを取り戻していく自分が、なんだか可笑しく感じる。

 「……別に、……」

 頬に添えていた手で下口唇をなぞれば、切なげに目を細めて俄に身体の力が抜けていく。

崩れかけた体裁では戸惑いを隠しきれず、手の内で無防備な姿を曝け出す銀時。

それが愉悦を感じさせ、口角が弧を描いた。

 「俺は、お前が手に入ればそれでいい」

 「……ッ!」

 もう我慢などしない。

そう決めてからの俺は、薄情なほどに切り替えが早かった。

 今まで言えずに喉を詰まらせていた言葉がすんなりと舌に乗る。

言葉を選ぶこともなく、思うままに口をつく本音。

最初からこうしていれば良かったと今更ながら思うが、まだ間に合うはずだ。

 

 ゆっくりと近づけた顔にピクリと肩が震え、薄く口唇が開く。

 「俺……、お前を利用するかもしれないよ」

 憂いを帯びた眼差しが、弱々しく防戦のオポジションを打つ。

精一杯の虚勢を張って退路を作ろうとするけれど、取り逃がしてやる気は更々ない。

そのまま永遠に囚えて、がんじがらめに縛り付けてしまいたいとすら思う。

 「利用したいならすればいい」

 銀時が俺を利用することは絶対にない。

何故かそれだけは信じて疑わなかった。

 

 ――もう逃げるな。目を背けるな。俺を見ろ、自分の気持ちに正直になれ。

 

 そんな願いを、自分の写し鏡のような銀時へ伝えたくて。

持ち上げた顎へ吸い寄せられるかのように顔を近づけ、吐息がかかる位置でまっすぐに瞳を射抜く。

壁際に追い詰められてステイルメイトの方法を探す、銀時の余裕のない表情。

ここまで来たら、絶対手など打たせない。

 詰め寄った二人の距離は、あと数センチ。

 「お前が自分自身を傷つけながら、他人を求めるよりよっぽどマシだ」

 掛け値のない、心からの本音。

 ずっと言いたくて飲み込んできた、素直な想い。

どんなに待って望んでいてもすれ違い続けるだけならば、思いの限り手繰り寄せてしまえばいい。

たとえそれが間違いだと言われても、自分自身の気持ちはもう二度と裏切りたくないから。

 

 二人の間で刻は止まり、沈黙だけが続く。

 

 対面する鏡に触れた指先が、微かに動いた。

 ぎゅっ、と伏せた睫毛が影を落とし、儚げに震える。

 「……ごめん。俺、……」

 後悔の念と共に言葉が漏れ、銀時の胸の内から蟠りをのせて外へ流れていく。

 

 ようやく手が届いた、最後の駒。

 銀時の純粋な想いを、鏡の向こう側で見つけた瞬間だった。

 

04 ~Checkmate~

 

 

 掴んでいた手を離し、まだ湿り気を帯びている柔らかい髪をポンと叩く。

 (お前は最初から全部わかってたんだろう……?)

 そうじゃなければ、こんな風に自責の念に駆られたりはしないはずだ。

 何度も悔やんで、何度も止めようとしていたことを、鏡を見つめるように間近で目にしてきた。

真実へ向き合うことを恐れて目を逸らしても、鏡の向こう側は何も変わらない。

それを教えてくれたのは、自分の鏡のような銀時自身だった。

 

 キッチンの天井で光る蛍光灯が、少し俯いた銀時の顔に薄く影を落とす。

 「もう二度と嫉妬させようとすんな」

 下から顔を覗き込んでニッと笑いかければ、緊張の糸が切れたように目を見開いて見つめ返してくる。

ただそれだけのことなのに、心を覆い尽くしていた霧が薄らいでいくから不思議だ。

 「……気付いてたんだな」

 「当たり前だろーが。俺を何だと思ってんだ」

 伊達に長年双子やってねーよ、と冗談めかして言い返す。

 (現にお前も、俺の気持ちを見抜いてたじゃねーか)

 

 永い間張り詰めていた空気が、二人の間で穏やかに解れていく。

 惹かれ合ってしまうのも、傷つけ合ってしまったのも、それだけ互いに対する想いが強いからだ。

言葉がなくては伝えきれない感情があるように、行動がなくては伝わらない感情もある。

それを知った俺たちは、もう何も恐れることはない。

 

 「俺はお前が思ってるほど優しくねぇから。覚悟しとけ」

 漸く平静になったとはいえ、荒波立てていた自分もまた己の一面であることは確かで。

鏡には映らない部分もあるということを知って欲しかった。

 「え、そうなの?」

 少しずついつもの表情を取り戻してきた銀時が、きょとんと険のない表情で切り返す。

まだ幼さの残るその顔が自分と酷似しているのに、どうしてこんなに愛しいと感じるのだろう。

それも愛するが故に、なのかもしれないが。

 「あぁ。今すぐぶっ壊れるまで掻き抱いて、足腰立たないくらいぐっちゃぐちゃのドロドロにしてやりたいくらいだっつーの」

 冗談の中に隠したのは、本音の切れ端。

今まで散々煽られてきながら、よく今まで我慢したと自分を褒めたいくらいだ。

擦り切れた理性が決壊寸前だったのも事実で、あと一手行動が遅かったら、ゲームはまた違った展開になっていたかもしれない。

 「別人すぎるだろ。お前そういうキャラじゃなくね?」

 呆れたような口調とは裏腹に、銀時のその表情はとても穏やかに綻んでいた。

まるで憑き物が落ちたような、自然な微笑みを浮かべている。

 「それくらい我慢してきたってことだよ、馬鹿。言葉から真意を汲み取れ」

 まぁ、ろくに勉強してねーから無理だろうけどな。

そう揶揄すれば、ハイハイ、と苦笑して後頭部を掻いた。

 「どうせお前にゃ敵わねーよ」

 へらりと笑い、『チェックメイトだ』と肩を竦める。

その姿がどうしようもなく小憎たらしくて、愛しくて。

残っていた最後の自制心の箍がプツリと外れた。

 (我慢……できねぇ)

 突き動かされるように再度冷蔵庫へ押し付け――、触れるだけのキスをした。

 

 一瞬の隙を突かれ、驚いて目を見開く銀時。

 わざとゆっくり口唇を離し、してやったりと口の端を上げる。

 ずっと触れるのを躊躇っていた口唇は好物のいちご牛乳の味がして、もう一度……と再び顔を近づけた。

 だが、銀時はそんなに甘くなかったようで、途端にスパンと頭を叩かれた。

 「いてッ」

 「不意打ちとか卑怯だぞコラ」

 叩かれてズレた眼鏡を直しながら顔を見上げると、ふいっと顔を背けられ、手の甲で口元を隠している。

その悪びれない言葉とは対照的に、耳はほんのりと赤く染まっていた。

 「あっさり人の初キス、奪いやがって…………」

 ちくしょう抜かった、と呟かれたその言葉に、思わず自分の耳を疑った。

 (え、うそ)

 長い間散々あんな爛れたことをしてきておいて、キスはしたことがないとか、そんなまさか。

 「……――マジで?」

 呆気に取られて情けなく聞き返してしまった俺が、よほど滑稽に映ったらしい。

 プッ、と吹き出して小悪魔のように微笑む。

 「別にいいけど。お前としたくて守ってたんだしィ」

 悪戯っぽくニヤリと目を煌めかせる、双子の弟。

 身に覚えのあるその表情の変化に、一瞬嫌な予感が脳裏をよぎった。

 ――あぁ、ちなみに……。

 間を置いて続けられた台詞から、危険なシグナルを感知する。

 「俺は兄貴のハジメテいただく気満々だからね」

 「……は?」

 事も無げに告げられた、爆弾発言。

 そっちも覚悟しとけよー、とだけ言い残し、猫のようにするりと身を捩って腕の中から抜け出していく。

 (ハジメテって、俺は別にアレは初めてじゃないけど。でもアッチは当たり前だがハジメテで、ということはつまり俺が銀時にソレされるということか――……?)

 予想外の展開で、思わず良からぬ妄想の数々が脳内を駆け巡る。

 「ちょっ、え、嘘だろ? 冗談だよな!?」

 咄嗟に巧く躱せず動転する俺を尻目に、銀時はひどく満足気な顔をしていた。

 (あぁ、この顔好きだな……)

 鬱蒼と重苦しい霧が立ち込めていた心に、目覚めの朝のような澄んだ晴れ間が広がっていく。

 

 「あ、それと」

 急に真顔になり、ひた、と見据えて改まる銀時。

 そういえば、まだ面と向かって『好き』と言い交わしてなかったことを思い出す。

 柄にも無く緊張してしまい、ごくり、と喉が鳴った。

 いつになく真面目な顔で迫ってきた銀時が、スッと俺の耳に手を添える。

近づいた口唇が、耳元へ熱い吐息混じりに低く囁いてきて――……。

 「ソレこぼしたのお前のせいだから。ちゃんと拭いとけよ」

 ほい、と首から下げたタオルが俺の手に託された。

捨て台詞を残した銀時は、ひらひらと片手を振りながらキッチンを去っていく。

 「それ、って…………ぁ」

 足元を見下ろすと、そこには人工的なピンク色の世界が広がっていて。

点々と続く足跡を目で追いかければ、『やべ、バイト遅刻しそう』と、わざとらしく頭を掻いていた。

 

 白兎のように跳ねる乾きかけのくせっ髪が、壁に掛けた鏡の前でふと立ち止まる。

 「なぁ、」

 静かに振り返った、自分と同じ顔。

 ――夢じゃ、ないんだよな。

 これが現実なのかと確かめるように、俺に向かって手を伸ばすから。

 その手を捕まえて、耳元へ囁いた。

 「俺たちの夢はこれからだろ」

 

 

 永い間見ていたのは悪い夢で、二人がいたのは鏡の中の国。

 鏡に向かって手を伸ばしたのは、君と僕。


 
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