「な、なんですのコレ…………」
いや、反応遅いって。
驚くエリーを見ながら、リコはそう思った。
長い長いお風呂から上がって(ヤカとエリーの激戦は、始まって数分後、ヤカが物凄い勢いで宙に投げられて終わった)、身体を拭いて。
先に上がっていた久遠が、『こちらお召し物です』と籠に入れられた服を渡してきた。
籠の中の服を見て、考えるまでも無く、リコは密かに持ってきていた自分の服を着用した。ジャージにTシャツだ。可愛らしいパジャマやワンピースなど、父親が娘に期待を込めて買ってきたものが有るには有るのだが、どうも着る気になれないため、寝るときは大抵これである。
リコのそうした行動を久遠が見咎め、恨めしそうにこちらを見てきたが、無視した。なんというか、拗ねた時のヤカみたいな眼だったので、そういうのには慣れているのだった。
そして、一同着替えが終わって、その時に上げられたのがエリーの声。
「く、久遠、これはどういう事なの!?」
エリーが指を突きつける。
メイド服着用であるにも関わらず、その姿からは高貴なオーラが漂っている。やはり、育ちの良さは服等では決して隠せないようだ。
メイド服。
そう、メイド服だ。
エリーは現在、どういうわけかメイド服を着用している。
いや、どういうわけも何も、久遠が持ってきた服がメイド服だったからなのだが。リコが自分の持ってきた服を着用したのは、籠の中のそれがメイド服だという事が一目瞭然であるからだった。
恐るべきは、着用し終わるまで自分の着ているそれがメイド服だと気が付かなかった
エリーである。まあ恐らく、その理由は『何時もの事だから』なのであろう。エリーは久遠に着用を任せていたのだ。きっと普段から。そんなわけで、エリー自身は丁寧に髪を乾かしていたのだから、分からなくても当然…………では無いな、とリコは思った。やはり反応が遅いな、と思った。それはそれだけ久遠を信頼しているからかもしれないが。
「くぅ……こ、こんな服…………こんな…………こ………………ふああぁぁぁああ! 脱ぎ方が分からないですわ!」
「ふふふ、お嬢様の着付けは何時も私がやらせていただいております故」
「ほぅ、エリーお嬢様は一人で着替えも出来ないと申されますかぁ久遠殿」
「馬鹿にしないで下さる!? 私一人でもこのくらいの服…………ってあぁ、やっぱり無理!? なんかこう、ギチギチのふにふにに固まってる!」
それはそうだろう。特殊な製法で無くとも、メイド服というのはやはり日本人が普段着用するものとは趣を逸している。作りそのものが異なる、というわけでは無いだろうが、着脱にはそれなりのコツが要るに違いない。たぶん。
もちろん、日常生活を久遠に頼りきりなエリー。普通の服とそうで無い服の区別は付いても、特別な着用方法のものとそうで無いものとの区別が付くかどうかは疑問だったが。
「くぅ…………この様な給仕服を身に纏わなければならないなんて…………」
悔しそうに呻くエリー。その頬は屈辱に染まっている。
「うわぁ。エリーって結構アレな言い方しますなぁ久遠さん」
と、ヤカ。続いて久遠が、
「仕様がありません…………お嬢様は我々庶民とは身分を異にする御方。本来ならば同じ空気を吸う事すら許されず…………ましてや庶民の服など………………」
「そ、そんな事言って無いじゃありませんの! 私はただ…………」
そんなやりとりを続けている三人を尻目に、リコはミネラルウォーターを口に運んだ。
良い味だ。
硬水で無い所が良い。
リコ己の失態に気が付いたのは、部屋に戻った時だった。
ちなみに、リコ以外の3人はやはりメイド服である。そして、その事実が失態の全てであった。
散々弄られてうな垂れたエリー。その両肩を抱えていたヤカと久遠。だが部屋に入るなりヤカはその手を離し、こう叫んだのだ。
「え~ただいまより、第一回『お帰りさないませリコお嬢様』を開催します」
『アンタ何言ってるの?』
だとか、
『また訳の分からない事を』
だとか、
まあ言葉は色々有るが、その全ては口内へと呑み込まれた。
何故なら、現状が全てを物語っているからだ。
一人だけジャージ。
他メイド服。
詰まる所、リコは嵌められたのだ。
風呂上りに用意されたメイド服。リコはそれがエリーをイジッて楽しもうというヤカの策略だったのだ…………と思っていたが、それは違った。
考えてみれば、幼い頃からヤカの好奇心の矛先を収めるのは…………収めさせられていたのはリコだった。ヤカが何かをやらかす時は、負のベクトルはリコへと向かっていたのである。
「え? え? なんですの?」
エリーが戸惑ったようにヤカを見た。その仕草からは演技らしいものが感じられない。
そう、エリーがヤカの計画を知っていては無意味なのだ。メイド服に対して本当の抵抗をリコに見せなければ意味が無いのだ。
他人の家の風呂場へ行くのならば、着替えを持っていくのは当然。もちろんリコはそうしたし、現在着用しているのは愛用のジャージだ。
ヤカはリコがメイド服を着ない事を見越していたに違いない。メイド服着用に対して一瞬の考慮も見せないだろうと考えていたに違いない。
そしてその上で、あえてリコの分のメイド服を用意した。そうする事でリコが怪しむ隙を与えず、さらにエリーをイジる事でそちらに注意を集中させた。
「ヤカ、アンタ……………な、なんて恐ろしい…………」
「おやぁ…………聡明なリコさんは気が付いたようですねぇ」
「理解が早いようで何よりです。では始めましょうか」
久遠が手を叩くと扉が開かれ、塾で使われる様な、事務的な長方形的に長い机が二人の若いメイドによって運ばれてきた。
二人のメイドは恭しく礼をすると、ささっと部屋を出て行った。
だが。
『きゃーっ、見た見た見た見た!? お嬢様がメイド服で在らせられたわっ。なんであんなに可愛らしいのかしら!』
『信じられない! 凄いもの見ちゃいましたね先輩! それにしてもお嬢様は何を着てもお似合いであらせられて………………』
黄色い声がダダ漏れだった。
なんというか、エリーが屋敷の女中から愛されているようで何よりだった。
エリーは頬を赤く染めて、穴があったら入りたいという様子だった。というか穴を求めて大きな天蓋付きベッドの下に匍匐前身していた。
「エリー、逃げちゃ駄目よ。現実と向き合いましょう」
「リコさん…………私なんだか疲れましたの。今日はもう寝ますから後はよろしくお願いします」
「だからベッドの下にそんなスペースは無いから」
エリーを抱き起こし、背中を叩いて気を落ち着かせてやる。それから遠い目をしてリコは言った。
「エリー、世の中ままならない事で一杯ね」
「うわぁ、リコが私の事を凄い素の目で見てくるぅ」
ヤカが若干引きながら、メイド服をたなびかせた。引こうが引くまいが、イベントは
続行させるようだ。
事務机をテレビの前に設置し、イスを持ってきて、そこへリコと久遠が座る。なにやら○と×のマークが書かれた棒を持っている。
「さあ、始めて良いよぅ」
ヤカが言うと、
「は?」
リコが首を傾げた。
「え? アンタと久遠さんは?」
「いや、審査員だし」
「ですので」
「鬼かアンタ等は。じゃあ、なんで二人はメイド服着てるのよ」
「私はこれが正装ですので」
「私はちょっと着てみたかったから。乙女の嗜みってやつかなぁ?」
「アンタの脳ミソはお花畑と蟹味噌で構成されてんのか」
呆れたようにリコは言った。エリーは必死に状況を把握しようしとしているが、未だに飲み込めないようだ。
そんなエリーに対してヤカは、
「エリー。ほら、エリー・メイド・オジョウサマ」
「フ、フルネームみたいに呼ぶのは止めていただけません?」
「いいからさぁ、早く始めないと審査出来ないよぅ」
「だから、何を始めるんですの?」
ヤカはリコを指して、
「君、ご主人様」
次にエリーを指して、
「君、メイド」
そんなヤカの動作にエリーはしばし頭を抱えて、
「さっぱりわかりませんわ」
理解できなかったようだ。
「あ、あのねエリー。ヤカはね、普段エリーと久遠さんがやってる様な事を私達に求めてるのよ」
そのリコの言葉でエリーは手の甲を唇に押し当て黙考。
やがて何か重大な事に気が付いたかの様に顔を上げ、
「嫌ですわ!」
反応遅っ。
とは言わないが、胸中で思いっきり突っ込んだ。さきほどの事といい、予想外の事には対応が遅れてしまうのだろうか。
「なんで私がそんな事をしなければなりませんの!?」
「エリーが人に奉仕する所を見てみたいから」
「わ、私がそんな事をしなくても、貴方だってその服を着ているではありませんか!」
「それさっきリコが言ったよぅ?」
「くっ…………」
口では完全に負けてしまっている。舌戦ともなると普段は言い勝負なのだが、ここはすでにヤカの土俵。口で争うのは分が悪いだろう。
「リコさんも! よろしいんですの? こんな玩具の様な扱いをされて!」
「いや、良くは無いけども」
違う。違うのだエリー。こうなってしまってはもう逆らっても遅いのだ。ヤカはそう
いう人間なのだから。あの好奇心に輝いた瞳を見て御覧なさい。ブラックホールを飲み込んでもおかしくない純粋さがあるでしょう。純粋で有るが故にその有り様は泰山の如く不動なのだ。
「エリー、もう諦めようぜぃ」
肩におかれたヤカの手を払おうともせず、エリーは諦めた。というか折れた。心が。
「お、お帰りなさいませぇリコお嬢様」
「う、うん、ただいま」
そうして始められた第一回『お帰りさないませリコお嬢様』であるが(二回目は無いと断言出来る)、『ベッドに座ったリコに向かって一礼するエリー』という図はとてもシュールだった。
そして、
「どうですか、久遠さん」
「そうですねヤカさん。礼の角度がなっていません。主人に対しては常に最敬礼が当たり前。地面に額を擦り付けるつもりでやらなくてはなりません。なにより、羞恥心が先行してメイドの気持ちになり切れていない感じがします」
「ほほぅ、という事は?」
「駄目ですね。×です」
審査員は鬼だった。
「ちょっとなんでですの!?」
「×だから次ぃー」
エリーの額に青筋が浮かぶ。そこはもっと本気で怒って良いと思ったリコだったが、
敢えて言わなかった。なんというか、エリーが可愛かったからだ。これまでに見たことの無い反応で新鮮だった。エリーには悪いが、そんな事を思ってしまう。
「こ、紅茶はいかがいたしましょうかお嬢様」
「の、飲みたいわね。淹れて頂戴」
どうだ、とエリーはヤカと久遠に視線を向ける。
「え?」
だが、ヤカは首を傾げる。
「な、なんですの?」
「淹れないの?」
「は?」
「紅茶、入れないの?」
「そ、そこまでするんですの!?」
「当たり前じゃん。大事なのはリアリティだよぉ?」
「くっ…………い、良いですわよ。ご友人のためなら紅茶くらい入れて見せますわ」
「あ、『ご友人』じゃなくて『お嬢様』ね」
「お、お嬢様のためなら…………」
何かに耐えるかのように拳を握り締めて、振るわせる。
そして、部屋にセットされている(エリーの趣味で、紅茶の葉などは充実していた)電気ポット等で、実に慣れた手つきで紅茶を入れていく。部屋の中にジャスミンの良い香りが漂ってきた。
「お嬢様、紅茶です」
「ありがとう。…………あ、美味しい」
その紅茶は、紅茶の味に慣れていないリコの下にすぐ馴染んだ。エリーの入れ方が美味いのか、葉が良いのか。恐らく両方だろう。
「どうです、久遠さん」
「そうですね、まずは反応が遅いです。紅茶を淹れる時間も長いですし、なにより主人
へ紅茶を渡す手つきではありません」
「と、いう事は?」
「当然、×ですね」
その時。
リコは、何かが切れる音を聴いた。エリーの方から。エリーの身体から黒いオーラが出ている様な気がするが…………きっと気のせいでは無いだろう。
その後、おもむろにヤカと久遠に近付いたエリーが二人を指一本で投げ飛ばすのを見て、リコは思わず拍手をしてしまった。
そうして第一回『お帰りさないませリコお嬢様』は切れたエリーの手であっさりと閉幕したのだった。
Tweet |
|
|
0
|
1
|
追加するフォルダを選択
なんだか詰め込みすぎた感がありますが、一応進んでおります。
エリーは神業的合気術の使い手です。