昏い夜を彩るビルの明かりと数々の電飾。遠目から見ればその街一帯だけ夜を迎えていない様でもある。
そのビル群の一角、中でも一際高い部類に含まれる一棟の屋上に、茶色のコートを翻す青年がいた。
この国の暦では冬が終わり春に入ってはいるのだが、まだ夜の空気は冷たくまた風が吹き荒ぶこのビルの屋上では一段と冷える。日本での生活経験があるとはいえ、中東出身で一生の半分以上を宇宙で過ごした彼――刹那――には流石に堪えた。
電飾の光が届かない此処では手に持った端末の画面から零れる明かりが唯一の光源となる。淡い光に顔を照らされた刹那は画面の向こうの人物と話していた。
「ではやはり、織斑一夏を誘拐事件とそれ以前のイタリアでのIS強奪事件の黒幕は同じ組織――『ファントム・タスク』で間違いないということか」
『ああ。巧妙に隠されてはいたがなんとか見つけ出すことが出来た』
刹那の問いにロングの紫髪を特徴とするティエリアが答える。それはおよそ三年前に刹那が偶然遭遇したブリュンヒルデ"織斑千冬"の実弟"織斑一夏"の誘拐事件とその際交戦した相手組織が使用していたIS、イタリア製第二世代機『テンペスタ』をイタリア本国から強奪した組織についての調査報告だった。
始めは前者の誘拐事件にイタリアが関係していた可能性が考えられていたが、テンペスタ型はイタリア本国内のみで使用されている機体であり他国でのライセンス生産等は一切されていない。
そんな簡単に身元が割れる様な愚かな真似を国がする筈がない。故に次に考えられたのが第三者によるISの強奪と不法使用だが、それが何時、イタリアの何処で、何処の組織によってされたものなのかは分からず仕舞いだった。
ISはコアからパーツの細部に亘って国家や企業に厳しく管理されている。特にコアについてはアラスカ条約に基づき各国に分配、それぞれの自己責任による管理と取引の禁止といった様々な制限を余儀なくされている。詰まる所、ISをコアと機体ごと強奪されたという事実の暴露とそれによる国際IS委員会の制裁を恐れたイタリア政府によって事実の隠蔽が行われたのだ。
元々誘拐事件の直後からドイツ軍や組織の背後関係を洗う調査は行われていたのだが、ヴェーダの使用に制限が掛っていた為遅れが生じていた。
建造から百年以上経っても尚最高レベルの性能を誇るヴェーダであるが、現時点で地球一つとELS、外宇宙航行船スメラギから送られてくる情報を捌いている状態で並行世界の情報まで処理するのは危険と判断されたのだ。年代や科学レベルに差異はあれど非常に酷似しているこの世界とでは元の世界の情報と混合してしまう可能性もあり、ヴェーダ内のデータバンクの整理とターミナルの増設による処理性能の向上が進められていた。
『その『ファントム・タスク』についてだが…少し気になる情報が手に入った』
「何だ?」
『ファントム・タスク』とは刹那が述べた様に誘拐事件と強奪事件の黒幕とされている組織だが、その実態は明らかにされていない。あらゆる国家にも帰属せず、構成員の国籍もバラバラ。噂では第二次世界大戦以前から存在しており、規模や目的、主立った構成員の素性も殆ど分かっていない。まさしく"亡霊"と呼ぶに相応しい組織であった。
『『ファントム・タスク』はその名を日本語の漢字で表記する事が可能らしい。そうした場合、『亡国機業』となるそうだ』
「亡国、機業……」
『『機業』とは"カンパニー"ではなく"織物業"を指す言葉だ。国の無い者達が織物の様に集まった組織という事だろう』
何らかの事情で母国を失った者達で構成された組織。その"母国を失った"という部分に、刹那は自分自身を重ね合わせていた。かつて紛争で両親と母国を失った自分を。
もしかしたら亡国機業は"歪み"の被害者によって生み出された新たな"歪み"ではないのか。
『目的も実態も分からない以上此方の方針も決められないが、注意しておくに越した事は無い。これについては引き続いて調査を続行する』
「……了解」
『それとだが、織斑千冬と織斑一夏、二人は亡国機業と何らかの関係があるかもしれない』
「何?」
『『織斑』とは織物の中で生地に厚薄などの不揃いが生じた事、もしくはその部分を指す言葉らしい』
「ただの偶然では……」
『僕もそう考えたが、あまりにも不自然な部分が多すぎる。両親の不在と経歴の一部偽造……』
この世界に転移して織斑千冬の存在を知ってから彼女と近親者の調査を行ったのだが、その結果はおかしなものだった。
まず両親の不在と経歴の一部偽造。織斑千冬と織斑一夏の二人の誕生から一定期間の経歴全てが偽造されていた。それもかなり高度なレベルで。両親は失踪扱いになっているが、両親の戸籍も偽造されたものだった。
学歴についても織斑千冬は中学以前、織斑一夏は小学校以前からが偽造されていた。
『それに彼女達は篠ノ之束の関係者だ。一般には知られていない何らかの秘密を抱えていてもおかしくはない』
「………………」
篠ノ之束。異世界人である刹那達から見てもこの世界に於いて最も危惧すべき存在。
彼女についても調査の結果は芳しくなかった。現在の所在地や目的などといった、公的に記録として残されていないものの何もかもが。
二人は彼女と交流のある数少ない人物であり、特に織斑千冬についてはある"疑い"が掛けられている。
『何にせよ明らかになっていない事が多過ぎる。暫くは調査の方に専念した方がいい』
「……そうだな。エージェントといった人員がいない為に情報戦や人海戦術を使えないのは痛手だ」
『現在使用されていないターミナルを総動員して"其方"用のラインと領域を構築している。来年度までには間に合うだろう。刹那、一人で申し訳ないが頼む』
「了解」
溜息を吐く。目の前の現実に対して。
溜息を吐く。目の前の書類の山に対して。
溜息を吐く。目の前の書類の束を追加していく従者に対して。
「お嬢様。幾ら溜息を吐いても現実は変わりません。さっさと終わらせる事が一番の解決策かと」
「セメントねえ……。それにしてもこの量はないんじゃないの?」
「正式に当主をお継ぎになられたのだから当然の事です」
「……組織のトップに無理をさせない為に封建制度があるのじゃないのかしら」
「この前アニメを見ながら『王がやらなくては家臣はついて来ない』と豪語していたのはどなたですか?」
確かにそうだけどさあ……、と零しながら少女は机に突っ伏す。彼女はこの数年で自由国籍を獲得しこの国ではないが国家代表となり、更には一族の当主となった。責任も負担も増すのは当たり前の事だろう。
「だからといってこれ以上無理すると育ち盛りのこの身体に発育の不具合が生じてしまうわ。はっ、まさかそれが狙いで……!!」
「……訳が分かりません」
今度は従者の方が溜息を吐いた。当主である少女の一部を見つめながら。
「あら、もしかしたら妬いてる?」
「お嬢様!!」
「冗談よ」
従者よりも発育の良いその部分を強調する様に己を抱きしめる少女に思わず声を上げてしまうのに対し飄々と返す。
それを聞いて従者の方は己を落ち着かせた。昔からそうなのだ。この当主である少女はと己に言い聞かせながら。
「それよりも、例の定期報告が来ています」
従者がそう言うと、先程まで猫の様な笑みを浮かべていた少女は口を一文字に結び姿勢を正す。ふざけた姿を一片たりとも見せない、その姿はまさしく一族の上に立つ者としての姿だった。
「結果は?」
「やはり特に進展はありません。思いつく限りの組織を洗いましたが、あれだけの技術力を有した組織はありませんでした」
従者から告げられた内容。それはあの機体に関するものだった。今から一年程前、任務の最中に遭遇しその異常性を見せつけたあの機体に。
あれから持ちうる手段全てを用いて洗いざらい調べているものの、何処の組織が建造し、誰が操縦し、何処で活動しているのかと何一つ分かっていない。
調査の結果分かったのはあの機体が使用していたのはビーム兵器という事ぐらいで、そのビーム兵器――荷電粒子砲とも言われるが――はごく一部の機体を除いては全くと言っていい程装備されておらず、開発も進んでいない。
それは何故かというと極端に燃費が悪いからと言える。ビーム兵器はその高い威力に比例して莫大量のエネルギーを消費するし、熱量の制御に難がある。同じ光学兵器ならレーザー兵器の方が圧倒的に安全で燃費が良かった。
だがあの機体を見る限りそんな事は気にしないとばかりビーム兵器を使用していた。施設の状況と実際に目の当りにした両肩の砲の威力がその証拠だ。
並のISならあのような装備では施設襲撃の後にISと交戦などすればエネルギーが枯渇するだろう。しかしあの機体はやってのけた。
操縦者の腕にしたってそうだ。自惚れではないが少女は自分の技量がそれなりにあると自負している。けれどもそんな自分が手も足も出なかった。
あれ程の腕前ならば名が知られていてもおかしくはないのだが、該当しそうなものは無かった。
「……分かったわ。下がっていいわよ」
「かしこまりました」
このまま考えても埒が明かないと従者を下がらせて少女は椅子の背もたれに身を任せる。ふと、あの時の操縦者の言葉を思い出した。
――『俺』が破壊するのは"対話"を放棄し、"歪み"を生み出すモノのみだ。
(まさか相手は"男"?……そんな、ね)
幾らなんでもそれは無いと余計な思考を片隅に置き、少女は己のなすべき事を再び始めた。
気迫を込める。勢いよく踏み込む。空気を斬る。汗が散る。それを延々と繰り返す。
あの時以来、一度として休まず続けてきた日課を行う。
「朝から精が出るな、一夏」
「千冬姉」
漸く寝床から出てきた実姉の登場に少年は手に持った竹刀を下した。
「朝って…もう昼前だぞ」
「……何だと?」
世間では容姿端麗、気骨稜稜、謹厳実直と言われる彼女だがその私生活はかなりずぼらだったりする。それを知るのは少年を含めほんの一握りであり、なにしろ彼女のトップシークレットの一つに分類される訳だが。
「どうせ部屋の時計の電池が切れていたか叩き落として壊れているんじゃないのか?だから部屋の管理はしっかりしろと……」
「……あーもう、それ以上言うな。気が滅入る。お前は私の母親か」
「千冬姉が滅多に帰ってこないから実質この家を管理しているのは俺なんだけどな」
実姉がどんな職業に就いているのかは弟である少年も知らないのだが、スーツを着用しそれなりに纏まった給料が出ているあたりまともな職業なのだと思っている。少なくとも会社で喩えるなら受付嬢や秘書というよりは部下に厳しい上司というポジションに違いないと踏んでもいるが。
しかし姉が家に帰ってくる事は殆ど無い。職場に長期滞在する為の施設があるとの事だが社員寮の様なものなのだろうか。
「それよりも、そろそろお前も試験日が近いのではなかったのか?鍛錬もいいが程々にしておけよ」
「ああ、一週間後にだけど…これはもう習慣みたいなもんだし、勉強の合間の息抜きでもあるからなあ……。取りあえず、成績は安全圏をキープしているから大丈夫だろ」
「ふん、そう言って足元すくわれるなよ。昔からお前は上手くいくと浮かれやすい所があるからな」
「ぐ……っ、わかってるよ……。それはそうと、千冬姉は次は何時帰ってくるんだ?」
「丁度お前の試験日に有給を申請してある。前日にどうしても外せない職場の飲み会があるがな……」
「仕方ないって。そういう付き合いも大事だしさ」
「……たまに思うが、お前は自分の年齢を間違えてる気がするぞ」
それは姉弟の変わりない日常の一コマ。しかし、この後本来ならあり得ぬ非日常を日常とする様な日々を送る羽目になるのを、少年は知らない。
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