No.480558

【Ib小説】カラーペイント【メアリー】

つきしろさん

※メアリー視点 ※鬱展開 ※ネタバレ ※妄想まみれ *** html版 → http://shiki.lomo.jp/meari.html

2012-09-06 20:34:32 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1313   閲覧ユーザー数:1305

 

 

 

やや薄暗い、けれど空気は乾いている。吸い込んだ空気は舌先をくすぐり、ざらついた感覚は細かい砂のように感じた。それでも、呼吸を止めることはできないのだから、メアリーはいつも通り無感情にその動作を繰り返す。吸って、吐いて、吸って、吐く。頼りない灯りが点々と並ぶ壁を横目に進む。一歩、一歩、また一歩。ワタシは進んでいる。進んで、いる?

 

生の香りが一切排除された美術館の中は、ただひたすらに乾いていた。惰性のように廊下を進むメアリーの傍らを、数体の無個性達がすり抜けていく。目線だけ動かして後を追うと、色とりどりのワンピースが、空気の抵抗を受けてゆるゆるとなびいていた。ふらついているような、けれど石像らしく重々しい足取りで、無個性達は廊下を進み、そのまま角を曲がって消えていく。何度も見てきたその光景を何の感慨も抱かずに見つめて、メアリーはゆっくりと瞬きをした。

 

気がついた時にはもう、この世界にいたのだ。どうしてここにいるのか、ここはどこなのか、思い出そうとすると頭の奥が鈍く滲んで、何故かとても恐ろしかった。誰かと、そう、私は誰かと一緒に、この廊下を歩いた気がするのだけれど、あれは誰だっただろう?何かを掴んでいたような、柔らかい感触がふと右手に蘇る。温い熱を帯びた何か。けれど、嗚呼、やっぱりだめ。眠る記憶は焼け焦げたように、ざらついた灰色を伝えるだけ。

 

無個性達が消えていった先を見つめながら、ぼんやりと思う。あの作品達は、これからもあの動作を、何の疑問も抱かずに続けるのだろう。今ワタシの隣をすり抜けていったように、ワタシには一切関心を持たず、例えばワタシが息を止めてこの場に倒れ伏していても、あれらは同じようにワタシの隣をすり抜けていくのだ。頼りない灯りが視界の端で僅かに揺れて、メアリーは小さく、声をあげて笑った。

 

ワタシはどこにいるのだろうか。ワタシは、ここにいるのだろうか。残酷な整然さの中で自我を持つということは、恐ろしいほどに残酷だった。過去は思い出せない、けれど、未来を夢想することも意味がない。ワタシには「今」しかないのだ。「今」さえも失ったら、ワタシはきっと、あの作品達と同じになる。漠然とした不安は胸の奥に、透明よりも空虚な恐怖を広げていく。

 

意味もなく右手を上げ、自分の頬に指先で触れる。丸いフォルムをなぞるように指先を動かせば、頬に指先に、僅かな感覚が灯る。けれどそれはあまりにも、乾燥した実感だった。感じれば感じるだけ、虚しさが募るだけ。意味もなく、頬に爪を立てる。実感と虚しさが加速する。

 

証が欲しかった。自分が、「今」ここに存在しているという証拠が、欲しくて仕方がなかった。焦がれるように欲していた。ただひたすらに、求めていたのだ。そうしなければ、薄暗い闇に呑みこまれてしまう気がして。当てもなく溜息を吐けば、吐き出す吐息にじんわりと、透明な恐怖が絡みつく。突き刺さる爪先から滲む熱を感じながら、メアリーはまたひとつ、瞬きをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

彷徨うように伸ばした腕の先から、崩れ落ちるように焼けていく。炎が乾いた空気を奪う。息ができない、苦しい、苦しい!腹の底から吐き出される悲鳴も、熱が容赦なく掻き消していく。消えていく。私の存在が、嗚呼、消え堕ちる。

 

炎の中で、メアリーは抵抗するように醜くもがいた。そう、ずっと、ワタシはもがいていたような気がする。何かから逃れようと、何かを掴もうと。だけど思い出は曖昧で、時の流れに削られたように、ところどころ欠けてしまった。今更、そう今更だ。頬に爪を立てるよりもずっと、容赦ない実感が心を襲う。

 

伸ばした手は何も掴めない。そんなこと、とっくにわかっていたのに。だけど、それでももがいて、もがいて、ワタシはふたりを見つけたのだ。少女と青年。燃え盛るワタシを見下ろしている、息苦しいほどの生の香り。

 

かろうじて地についていた膝も崩れ、身体を床に叩きつける。悲鳴はやはり掻き消えて、悲劇のような喜劇のような、自分でもわからない役を無様に演じる。嗚呼、なのに、熱くて、痛くて、悲しくて、苦しいのに、不思議と心は凪いでいた。焼け焦げる音が鼓膜の奥まで沁み渡る、そんな中で馬鹿みたい、馬鹿みたいね。炎の向こうのふたりを見上げる、と、赤い瞳と視線が交わる。今にも零れ落ちそうに、儚く淡く揺れている。

 

(――…どうし、て、そんな顔、するの?)

 

なんて、悲しそうな色だろう。悲しいの?イヴ、ねぇ、悲しいの?ワタシ達、おんなじだね。そうね、そうよ、消えたくないの。とてもとても苦しいの。だけど「今」は、それだけじゃないのよ。

 

(そんな、顔、見たくな、いよ)

 

消えかけている自身の腕を、それでも、と大きく伸ばす。もう形を成していない、指先を先へとひたすら伸ばす。ふたりの形まで消えないように、強く強く見つめ返した。嗚呼、私は「今」、ここに在る。胸の奥を撫でるように、かつてない実感が湧き上がった。そう、そうよ、ワタシきっと、ずっとずっと、ふたりのことを待っていたのよ。

 

もがいて、探して、求め続けて、辿り着いた先がここだった。ただそれだけのことだから。だからお願い、そんな顔しないで。何かを、そう、何かを探していたわ。気が遠くなるような時の中を。ふと右手に蘇る、あの温い感触のような、名前もわからないそれを。

 

見つめ合う赤い瞳が大きく揺れて、何か囁いた、ような気がしたけれど、聞き取ることは叶わなかった。自分が焼ける音すらもう聞こえずに、ただ、ただただ見つめ返す。焼け焦げた記憶。ざらつく灰色。その呼び名は今でもわからない、けど。

 

(笑って、よ)

 

その代わり、この呼吸が止まったその時は、ほんの少しでいい。ワタシのために泣いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カ ラ ー ペ イ ン ト

 

 

( 夢を 見たのよ 色とりどりな 世界の夢 )

 

( あなた と わたし と きみ と、 )

 

 

 

 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
2
0

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択