吸血巫女の復讐
吸血鬼は血を吸う悪魔である。
天乃願衣は人と吸血鬼の混血である。
ゆえに天乃願衣は吸血巫女である。
純白の袖が振り乱され、紅の袴が躍る。手に持つご幣は規則正しく軌跡を残し、長い黒髪が白色のそれを映えさせた。
悠久の時を生き続けた一子相伝の神楽。それが人々に感動を与えないはずがない。
その国が滅びても、その踊りとその舞い手達が、今にまでその存在を伝え続けている。
「練習に付き合ってくれてありがと。どう?上手く踊れてた?」
天乃願衣。不思議な響きの名前を持つその少女は、巫女と呼ばれる舞い手だ。
神に捧げるための踊りを踊り、それは悪魔を苦しめ、人間の体に芯から力を溢れさせる。
この小さな村で願衣は城に住まうお姫様のように育てられていた。
「あぁ、相変わらずおまえの踊りはすごいよなぁ。もう祈里さんと区別が付かないぐらいだ」
「お母さんみたいなんて、褒め過ぎだよ。私なんか、全然まだまだ」
口では謙遜しながらも、幼馴染であるラルフに褒められ、満更でもない顔をする。
それに実際、幼い頃から同じ踊りを食事と同じように繰り返し、その技能を高めて来た願衣には、確かな自信がある。
自分の倍ほどの時間を生きている母に匹敵するとは思えないが、人を感動させるのに値するものと信じていた。
「これなら、大丈夫だな。危険な旅だろうが、おれも一安心だ」
「もちろん。任せといてよ。どんな凶悪な悪魔が襲って来ても、私がこの神楽でばっちり弱らせるから」
今年で十八になる二人は、これから旅に出ることを決めている。
本来なら大事な巫女に悪魔の出る野を生かせる訳にはいかない。ただ、今回は本人の希望だ。
一度言い出したら、誰の意見にも耳を貸そうとしないわがままに育った巫女がごね出したのだから、行かせる他はなかった。
護衛は願衣が信頼し、都でも通用する剣の使い手と称されるラルフで、母親や他の村人にも異存はない。
その旅の目的は、父親に会うこと。
ここまでなら、これはいくつもある家族愛の物語の一つに過ぎなかった。
だが、願衣が父親に会ってしたいことと、その父親の素性が異常過ぎたがために、この物語はおかしなものになってしまう。
「ラルフ。絶対に親父に会いに行きましょうね」
「あ、ああ……」
ぼんやりとした雰囲気を持つ幼馴染が遠い目をしたくなるのも道理だ。
なぜならば、願衣の目的は……。
「絶対に親父を一発ぶん殴って、連れ帰ってやるんだから!」
これは、決して父と子の愛の物語などではない。
父に捨てられた娘の、復讐のための暗くて明るい旅の記録である。
一章 吸血巫女の存在証明
「何も、こんな朝早くにこそこそと家を出る必要、なかったんじゃないか?」
願衣の家は今では失われた建築技術で建てられた、木造の巨大な平屋だ。
この国の一般的な家が煉瓦を用いた二階建てであることを考えると、それは特異であり、平屋であることはこっそりと抜け出してしまえば、家族にも、使用人にも気付かれないことを意味する。
陽が昇りきる前に家を出た願衣は、あらかじめ決めていた井戸で茶色のぼさぼさ頭の青年、ラルフを見つけた。
「これで良いの。今日発つってことは伝えてあるし、お母さんも私のことよくわかってるんだから、心配はしないわ」
「でも……祈里さん、最後におまえの顔、見たかったんじゃないのか」
「――良いの。これで、良い」
全く申し訳ないという気持ちがない訳では、決してない。
このような騙す形で別れて、万が一願衣が生きて帰らないようなことがあれば、母は生涯悲しみ続けることになる。
それだけのことの予想は出来ている。それでも、願衣はこれが最善だと思っていた。
「外の世界は、どんなに奇麗なんでしょうね」
湿っぽくなった雰囲気を変えるため、話題を変える。
見慣れた村の風景は、一面畑と干乾煉瓦の褐色という地味なものだ。家一つ一つが自分の畑を所有し、そえだけに家と家の間隔は大きく開いている。
願衣の夢の一つは、赤い焼き煉瓦の組まれた家がいくつも連なっている都会を見ることだ。
そして、父はその煉瓦が気が遠くなるほどの数積まれた巨大な城に住んでいるという。
巫女は決まりで有事の時以外は村から出られないとはいえ、あまりに父と自分達では待遇が違う。大方、父は田舎暮らしが我慢出来なくて村を出たのだろう。願衣はそう信じ続け、十八歳まで生きて来た。父が願衣達をどう思っているのか、何一つ情報が入って来ないため、それを否定する材料もない。
「さあなぁ……おれも、絵でしか見たことないし」
「絵なんて、奇麗な風景を選んで描いてるんでしょうけど、嘘は描いていないんでしょ?なら、きっとそんな所はあるのよ。
どこまでも続いて行きそうな青々とした森林。水しぶきを飛ばしながら流れ落ちる大きな滝。それに、憧れの果ての見えない海……。親父も早くぶん殴りたいけど、そんな大自然をこの目で見てみたいわ」
小さく、決して豊かではない村だが、巫女が住むことから一種の観光名所として、この村はそれなりに名が知れている。願衣の父も、物珍しさからこの村を訪れていた。
そのため、この程度の村では訪れることはまずない画商も来ることがあり、その度に願衣やラルフは絵を見せてもらっていた。
若く、行動力もある二人が、それで村を脱出することを考えない訳がない。この旅は、願衣が大きな世界を知るためのものでもあった。
「海か……。そういや、願衣の祖先は、海を渡ってこの土地にやって来たんだよなぁ」
「そうらしいわ。まあ、この村からじゃ、本当に海があるのかもわからないけどね」
今となっては推測することしか出来ないが、願衣の祖先達は本当に命懸けでこの土地にまでやって来たのだという。
現に、願衣と同じ濡れたような黒い髪と、ミルクにオレンジのマーマレードを少しだけ落としたような色の肌を持つ者は他にはいない。同じ血を持つ人間は、既に皆、死に絶えてしまったのだろう。
名前だけに残っている不思議な形、響きを持つ言語も、願衣の一族が長くこの村で暮らす内に忘れ去られ、今彼女達に付けられている名前は、あらかじめ用意されていたものだ。
祈里、願衣、望美。それぞれに祈り、願い、望みの意味が込められたこの名前が、順繰りに付けられる決まりになっている。そのため、今は亡き願衣の祖母の名前は望美。曾祖母の名前は、願衣だった。
「――もう、村の出口ね。一旦バイバイ。皆、お母さん。私、行って来る」
まだ閉じられている門によじ登る前に、後ろを一度だけ振り返り、小さく手を振る。
ラルフはそんな願衣の様子をただ無言で見つめ、先に丸太が組まれただけの門に手をかけた。
「願衣。やっぱり、祈里さんとちゃんとお別れした方が……」
「だから、良いって。顔を見たら、泣き出しちゃうかもしれない」
「おまえが?」
「お母さんが」
見え透いた嘘。だが、それをわざわざ指摘するラルフでもない。
願衣がそう言うのなら、ラルフもそれに合わせる。そう信じているからこそ、願衣は精一杯強がってみせた。
門を登る間、決して後ろを振り返ることはなく、無事に村の外に出てからも、前だけを向き続けた。
目の前に広がるのは、小高い丘がいくつも連なったような高低差のある草の原。街道が作られてはいるが、徒歩で行くには少々厳しい道のりとなるだろう。
尤も、村の貴重な労働力である馬を借りて行くつもりはなかったし、もしそうならもっとゆっくりと旅立っていた。
路銀も豊富とは言えず、行く先々で仕事をして稼ぐのも初めから決めたいたことだ。
自分が言い出したわがままなのだから、村の皆にも、お母さんにも、迷惑はかけない。
それが願衣なりの自立であり、覚悟だった。
実はといえば、ラルフを巻き込んでしまったことも、心苦しくも感じている。
だが、ラルフはいつも通りのいまいち気の抜けた声で二つ返事を寄越した。
自分の良き相棒であろうとしてくれようとしている幼馴染のことを拒みたくはない。ラルフと共に行くことは、あっという間に決まってしまっていた。
「お、そうだ」
腰の剣を確かめ、何かに気付いたようにラルフが声を上げる。
「どうしたの?」
もしやもう悪魔が現れたのか、と願衣も身構えるが、悪魔の気配を探る能力では、人並み外れたものを持つ願衣が気付かないはずもない。すぐに別件だとわかった。
「なんとなくおれが先に一歩踏み出すのは、良くない気がするな。願衣から旅の一歩を踏み出してくれ」
「何それ?もう結構、歩いちゃったんだけど」
「それでも一応、な?この旅はおれも楽しませてもらうけど、おまえのためのもんなんだから」
こんなところで妙に細かいラルフを笑いながら、その言葉通り願衣が先に旅路を歩み出す。
すると、半歩後ろをつけて来る足音があった。
「もしかして、これからも私が先に行くの?」
「その方が良いだろうなぁ。おれは地図読めないし、色々と願衣の方が向いてるだろ。悪魔が出て来るようなら、おれが前に行くけど」
「うーん……ま、私の旅だしね」
面倒事を軒並み押し付けられた気もするが、ラルフが願衣のことを信用していればこそ、というものだろう。
それ以上は深く考えず、草の刈られた道を歩いて行く。
神楽を踊る際はそれ専用の靴があるのだが、それで旅をするのは無茶が過ぎる。
代々母親が編むことが決まりになっているその草履と呼ばれる靴はもちろん持って来ているが、願衣が今現在はいているのは、なめした革の靴だ。旅用のものだから丈夫だし、それなりの値も張った高級品である。
服装は白と紅の伝統のものなのに、そのアンバランスさが面白くて、嬉しくて、自然と願衣は早足になる。
それを苦笑しながら追うラルフにも、自然と楽しい気持ちが伝播しているみたいだ。感情の読み取りにくいぼさっとした顔でも、瞳は嬉しそうに輝いている。
最近は立派な巫女になろうと、神楽を必死に練習し、立ち居振る舞いも相応のものが可能になって来た願衣だが、単純で嬉しがりな面は昔からそのままだ。
わがままで気に入らないことがあるとすぐに怒るが、それと同じぐらいよく笑い、よく喜ぶ。その性格を母も伸ばして来て、ラルフ達幼い頃からの友人も、そんな願衣を受け入れてくれている。
その現状に満足していたからこそ、唯一の欠損を埋めようとしたのかもしれない。
ともかく、願衣の旅は始まり、故郷はもう背中に風を感じるだけだ。
村を出る時に感じていた寂しさはいつの間にかに薄れ、願衣の胸の中には未来への無限の期待と希望。ただそれだけがあった。
ちゃんと自分で購入して持って来た地図は、主要な町の大まかな位置しか記されていないが、方角の精度は随一で、太陽さえ見失わなければ確実に目的地に辿り着けると言われるものだ。
やっと東の空に見え始めた太陽は眩い光を放ち、空には雲一つない。
旅の一日目は天気にも恵まれ、それが同時に旅の成功を暗示しているようで縁起が良い。
そのまま昼過ぎ、昼食を取る時間まで快晴は続き、夕方が近くなって雲は増えたが、そのまま雨は降り出さず、夜を迎えた。
薄く空を覆っていた雲は流れ、白い月が太陽の光を失った空を照らす。
休憩を間に何回も挟んでいたとはいえ、さすがに疲れていた願衣とラルフだったが、月を見た途端、願衣はその場に崩れ落ちた。
普通なら大事件だが、ラルフも願衣の扱いに慣れている。
慌てず騒がず、自分の服の首元をはだけさせ、願衣を助け起こすとその口の傍に動脈を持って行った。
「ほんと、月を見た瞬間にこうなるんだなぁ……。前もって飲んでたら、防げたりしないのか?」
「そんなに都合良く出来てないわよ……呪いなんだから」
忌々しそうに吐き捨てる願衣の口には、つい先ほどまでなかった異様に発達した犬歯――いや、そんな生易しいものではなく、もっと獰猛な獣の牙が備わっている。
それをためらうことなくラルフの首筋に押し当て、突き刺す。鮮血が溢れ出し、それを、砂漠を歩き続けた旅人が水を飲むかのように美味そうに、そして際限なく飲み続けた。
首の動脈に噛み付かれ、血を吸われているのにも関わらずラルフに苦しそうな様子はない。
二分ほどだろうか。長い吸血が終わり、口を離した願衣にもう牙はなく、ついさっき倒れたとは思えないほど足取りはしっかりとしていた。
「ごちそう様。家なら、喜んで吸われてくれる人から吸わせてもらえるんだけど、旅先ではしょうがないものね」
「痛くはないとはいえ、血を吸われて喜ぶやつなんているのか……?」
繰り返しになるが、願衣は人であり、巫女である。だが、それだけではなく悪魔の血を持つ。母である祈里が吸血鬼の男と恋愛し、願衣を産んだためだ。
悪魔と敵対すべき巫女に悪魔の血が混ざってしまったことにより、その二つは当然のように反発し合ったが、最終的には巫女の血の方が勝ち、願衣の容姿は人間と全く変わらない。
しかし、吸血鬼としての特性も不完全ながら残り、一つが月を見ることにより目覚める吸血の欲求。もう一つは人よりずっと強靭な肉体だ。
同族である人の血を吸うことで得られる力は、人でありながら不死に近い身体を作り、容易に傷付くことも、命を落とすこともしない。体力も少女の身で既に大人の男ほどあり、力も異常なほど強い。
「なんか、吸われるのが気持ち良いって言うのよ。どうせ牙の毒で傷口は麻痺してるのに」
「気分的な問題、なのか……?しっかし、その毒も不思議だよなぁ。あれだけ強い毒なのに、噛まれた所以外は痺れないし、吸い終わったら抜けて、傷口まで治るんだから」
「それも含めて、吸血鬼の魔力なのよ。丈夫な体をくれたことだけは親父に感謝してあげるけど、こういう辺り、とことん人間らしくないわよね……」
血が体に浸透して行き、新たな活力がみなぎるが願衣の表情は晴れないどころか、どんどん曇って行く。
ただでさえ巫女という特殊な立場にいるのだから、他の部分では普通であることを望んでいる。が、現実は不都合に出来ており、「吸血巫女」の噂は村を訪れた旅人にも伝わり、すっかり稀代の変わり種扱いだ。
「でも、祈里さんもそんな親父さんが好きだったんだろ?」
だから、あまり父親を責めようとするな。と言いたいところなのだろう。
「今も、よ。あの人にも考えがあるんだろう、って。――一応、巫女が悪魔と結ばれること云々で、お母さんが色々言われちゃった時期は傍にいて守ってくれてたみたいだし、本当の最低の最悪じゃないんだろうけどね。
でも、なんで今も村にいてくれないのよ……。私が物心付く前に出て行ったのよ?手紙の一つも残さず、私もお母さんも置いて……」
この父への憎しみが、恋しく想う心の裏返しだということは誰もがわかっている。本人さえも。
だがそれを認めたくはないし、人に指摘されれば強烈に否定する。
そして、大嫌いな父親を倒し、引っ張ってでも連れ帰ることが目的だと主張するのだった。
「まあ、それは良いとして、だ。そろそろ野営の準備をしないとなぁ。さすがにこれ以上はおれの体力も限界だし、血を吸われた分しっかり栄養付けとかないと」
「それなら、私が全部するわ。村だと神楽の練習でこのあり余った体力使ってたけど、旅に出たからにはこんな風に積極的に疲れさせておかないと、まともに夜寝られないわ」
「でも、なんかそれはなぁ……」
「良いの良いの。野営の準備って言っても、火の準備をするぐらいでしょ?料理は私も得意だし、多分あんたより上手く出来るって」
言うまでもなく、吸血鬼を始め多くの悪魔は夜になると活発的に動き出す夜行性の生物だ。
特に吸血鬼や人狼といった種は月光を浴びることも生命活動に関わり、願衣は毎日月の光を浴び、それと同時に人の生き血を吸わなければ生きては行けないと言われている。
血を吸った願衣は純血の吸血鬼と同じく、一晩寝たかのように体力を回復し、かなりの疲労を溜め込まなければ眠れないほどになるのだから、これが困りものだ。
昼間に寝て、夜の間中起きている吸血鬼にとってこれほど都合の良い体質もないが、願衣は普通の人と同じように朝に起き、夜に寝て生活している。中々眠れない体は不便で、毎晩自分を疲れさせるのに悩んでいる少女は、願衣ぐらいしかいないだろう。
「ふふっ。でも、こんなことしてると、いよいよ旅に出たんだなーって実感が湧いて来るわ」
宣言通りに願衣は、拾い集めた枝に火を起こし、着々と準備を進めて行く。
その様子は、豪華なお屋敷で暮らしているお嬢様とは思えない自然さで、妙に慣れている節があった。
「おまえ、初めてじゃないのか?」
「ううん。結構こういうのやってるわよ。家を抜け出して、一人で火の傍で踊るの。元々神楽は夜に踊るものだし、一人の方が集中して出来るわ」
当たり前のように続けていたが、そう言えばラルフはこのことを知らなかった。まさかの告白に、苦笑で応える。
お淑やかでいつも朗らかに笑い、間違っても他人に心配をかけるようなことはしない母もよく知っているため、娘とのギャップに驚いているのだろう。
この辺りを見ると、願衣はその全体的に丸みを帯びた女性らしい容姿は母に、お世辞にも巫女として相応しいとは言えない性格は父に似ているのは明らかだが、当然これを肯定したくはない。
かといって、生まれついての性格は変えられないし、自分らしく奔放に生き続けることを貫いている。
そうして、少女なのに時に少年のようにやんちゃで、活発にあらゆることを楽しむ姿は、ラルフを始め同年代の少年に人気があるらしいが、どうもその辺りがわからないでいる。
あくまで等身大。巫女だからと偉ぶらず、肩肘張ることもしないところがラルフは好きだと言う。
と言っても、結婚してもおかしくない年齢とはいえ、まだまだ二人に恋愛などという言葉は似合わず、最高の親友という言葉が一番しっくりと来る。
「うーん……保存食の味なんて、こんなもんかな。すぐ飽きちゃいそう」
「味より、日持ちするかと栄養があるかだからなぁ……って、おまえも食うのか?家で食うのならまだしも、血を吸って栄養は十分なんだから、意味なく食べなくても……」
「ええ?別に良いじゃない。私は出来るだけ人と同じ生活をするんだから。どうせ明日には町に着けるんだし、食糧不足にはならないでしょ」
豪快に硬い干し肉を噛み千切る願衣には、まだ鋭い牙が生えているように見える。
「これから食糧は、二人分買わないとなぁ……」
最後にラルフが溜め息を吐き、初日の夜は更けて行く。
「うぅーー、んっ!野宿なんて初めてだったけど、特に体が痛いとかはないわね。ラルフも大丈夫?」
「あぁ……疲れは半分ぐらいしか取れてない気はするけどなぁ……」
「意外と繊細ねぇ。いくら私の体が頑丈に出来てても、あんたも男でしょ」
「一晩中腕枕させられてたからなぁ……。それに後半、ほとんどおれを下敷きにしてたし、血が止まってなかったのが不思議なくらいだ」
「むっ。そんな風に女の子に対して重かったなんて言うの?」
朝起きて、早速ラルフに突っかかって行くも、昨晩ラルフを敷布団のように扱ったのは事実だ。
初めは眠りづらいので腕を枕にさせてもらうだけだったが、いつの間にかに体を全て預けてしまっていたらしい。願衣自身に不調がないのも道理で、ラルフの体がクッションになってくれていたのだった。
「いや、別にそんなことを言うつもりはないんだけど、あんまり寝づらいならおれの毛布も使うか?どうせこれからどんどん暑くなって行くんだし、おれはいらないから」
「えっ?それは良いわよ。そんな風に油断するから病気になるの。夏だろうがなんだろうが、最低一枚は何か羽織って寝ないと」
「ほんと、こういう時はお利口だよなぁ……」
普段はガサツに見えても、人前の礼儀作法や当たり前の生活習慣などは、親の育て方が良かったのもあり非常に丁寧だ。
どうやらこの分だと、今晩もラルフは願衣の布団になってやらないといけないようだが、自分の身を気遣ってくれているのだと思えば、ラルフもそれを拒みきることは出来ない。
ラルフはこうして、ずるずると願衣に引っ張られ続けて十八年。反抗の意志が芽生えることもなく、逆に諦めの方が濃厚になって来てしまっている。
巻き込まれる相手に嫌な思いをさせないのは、勝手放題に見えて義理堅く、感謝の気持ちを決して忘れないからであり、それが願衣の美徳だろうか。
「じゃ、すぐに発ちましょ?出来るだけ早く町に着いて、色々と見て回りたいわ。きっと、村よりずっと奇麗な家が建っているのよ」
「だろうなぁ。地面も剥き出しじゃなく、石畳なんだ。で、職人通りやら商店通りやらあって、貴族のお屋敷も見れるかもなぁ」
「夢が膨らむわね。私はともかく、あんたは服装が山賊みたいって兵士に止められないかしら」
「……そんなみっともない格好してるか?おれ」
「うーんと……顔が芋臭い以外は大丈夫、かな?」
「ど、どういうことだよ、それ。そして何故疑問形」
ぺたぺたと自分の顔を触り、真面目に悩むラルフを見て願衣はけらけらと笑う。
すぐに自分がからかわれているのだと気付き、わざとらしく拳を振り被れば、それがおかしくて更に馬鹿笑いする。
笑いながら願衣が駆けて行き、それを自分も半笑いになりながら追うラルフ。
二日目の出発の時も、二人は新鮮で楽しい気持ちを失わず、元気に町に向けて走り出した。
天候にも恵まれ、爽やかな初夏の風を背に受けた二人は、予定よりずっと早く街道を駆け抜けて行く。
太陽が天の頂点まで上る頃に二人は無事、町の内側にいた。
巨大な城塞都市ではなく、村とそう変わらない高さの門と石壁が建てられているだけの小さな町だが、その様相は村のそれとは大きく違う。
まず建物は一般の住宅でも背が高く、煉瓦で組まれている。大きな商店になると、願衣達が今まで見て来た普通の人間の家のどれよりも大きかった。
地面には石畳が敷かれ、靴が汚れることも少ない。井戸も美しい外観を保たれており、温もりはあまり感じられないが清潔さがあった。
それだけで、ここは畑仕事をして暮らす農民ではなく、物を売買して暮らす商人や、剣の腕で身を立てる傭兵が住む場所なのだと思い知らされる。
独特な着物のせいでどこでも浮いている願衣はもう慣れているが、ラルフは落ち着かない様子だ。
「こういう時って、あんまり人の目を意識しない方が良いわよ?そもそも、こんなに人がいるんだから、いちいち皆が私達のことを見てる訳ないじゃない」
「そ、そうか?」
「そうなの。人の目を意識してるぐらいなら、酒場にでも行って適当な依頼を探して来てよ。最低でも今日の宿代とプラマイゼロ。あわよくば食糧を買って、更に余裕があるぐらいのお金がもらえる仕事をしないと」
願衣もラルフも、実際に村の外に出るというのは初めてだが、外の世界の仕組みぐらいはある程度知っている。
それなりの規模の町にある酒場には、傭兵や武芸に秀でた人間のための依頼が寄せられており、それをこなすことで依頼主から報酬を得ることが出来る。戦争がない間の傭兵の主な食いぶちであり、武装した旅人の重要な資金源だ。
依頼の内容というのは、悪魔の討伐か、それに準ずる危険のある仕事となる。
長剣を腰に佩き、いかにも剣士風な格好のラルフは良いが、願衣のようなとても荒事に向いていなさそうな少女では、酒場の主人もまともに取り合ってはくれないだろう。
「私はその間に、出来るだけ安くてちゃんとベッド二つで寝れる宿を探すわ。昨晩は重い思いをさせちゃってごめんね。――じゃ、お互い決まったら……そうね。広場に集合で」
ラルフの同意も得ず、一方的に決めると願衣はそのまま駆けて行く。
半日、あまり休みを取ることもなく歩き続けたのに元気なものだ……と、そこまで思ってラルフはあることに気付き、改めて自分の鈍感さを痛感した。
「自然な流れで、珍しいことを言うもんなぁ」
短いながらも謝罪の言葉と、誠意のある行動。願衣がただのわがままなお嬢様なら、こんなことはしなかっただろう。
軽く感動を覚えつつラルフは、自分に割り当てられた仕事に向かった。
初めてのことだが実際に酒場に行ってみれば、わかりやすく依頼が掲示されているので簡単なものだ。
二人でも出来そうで、なおかつ報酬も良い依頼はあまりないが、「本日中」というただし書きの付いた依頼が目に留まった。
「夜狼か……夜行性の凶暴な狼の悪魔って話だけどなぁ……」
同じように夜に強くなる半悪魔には心当たりがありまくる。
ラルフ自身も、模擬戦とはいえ旅の傭兵を相手に勝ち星を挙げることは珍しくないほどの剣士だ。
なぜ、今日中にしなければいけないことなのかは気になるが、十分成し遂げられる依頼だと思われる。
「親父さん。この依頼なんすけど」
掲示板に張られていた依頼内容のメモを取り、自身もかつては傭兵だったであろう屈強なマスターに手渡す。
歴戦の傷跡の彫られた腕で受け取ると、酒場の主人は意外そうにラルフの顔を見た。
「ほう、この依頼かい。まだ若いのに、よっぽど自信があるのかい?兄さん」
「めちゃくちゃ強い連れがいますし、おれもそれなりに戦えますんで。でも、なんで今日中にやらないといけないんすか?確かに、凶暴な悪魔なら早く倒すのに越したことはないすけど、なんでまたこんな風に書いてまで」
「ああ、それはなぁ。この悪魔が縄張りにしてるのはこの町を出て少し東に行った小さな森なんだが、そこにはある貴族の別邸があってな。明日から避暑のため、そこに移り住むって言うんだ。
このまま放っておけば、その貴族の私兵がなんとかするんだろうけどな。貴族ってのは道楽が好きだろ?ぎりぎりまでこうして酒場に依頼を出して、ちょっとしたバクチ気分なんだろうな」
「なるほど……」
ということは、ラルフはそんな貴族様の道楽に見事釣られた獲物だ。
主人の口ぶりでは、ずいぶんと前から依頼は出ていたようだが、ベテランの傭兵は依頼主の真意まで予想して無視を決め込んでいたのだろうか。
「ま、そういうことなら、ちゃっちゃっと片付けますよ。奴の毛皮でも剥いでくれば良いっすか」
「おっ、それでもやるのかい。良いねぇ、男のロマンがわかってる。依頼主の詳しい条件はないが、まあ証となるものはいるだろ。完全に太陽が沈んでからじゃないと現れないから、気を付けてくれよ」
「了解。終わったらすぐ戻って来ますから」
軽く手を挙げて、早々に酒場を出る。ラルフのような若者は珍しいのか、酒を飲んでいる客の何人かが見ていたが、積極的に関わるつもりはラルフになかった。
村という閉鎖的な社会にいたためか、他人と知人の間には明確な線引きがあったし、酒の肴になりそうな武勇伝も持ち合わせていない。お喋りは願衣が得意とする分野で、ラルフはむしろ人と話すことは苦手としている。
主人が感じの良い男だから良かったものの、もっと頑固そうな人物なら、自然に話せたかも怪しい。
今度からは、無理にでも願衣に任せた方が良いかもしれない。密かにそう思いながら、ラルフは待ち合わせの場所に向かった。
相変わらずどこから湧いて出て来たのか、何十人という人間が入り乱れているが、白と赤の配色はその中でも目立つ。すぐに願衣との合流を果たし、互いの成果の報告をする。
「夜狼を二頭倒すだけでこれだけもらえる。十分だろ?」
まずはラルフから。そのまま持って来たメモを渡し、ざっくりと説明すると、願衣は目を輝かせた。
「すごいじゃない。たったそれだけでこんなに報酬もらえるなんて。ふふっ、私のデビュー戦に相応しいわ」
「あんまり無茶はするなよ?神楽さえ踊ってもらえれば、おれ一人でも何とかなるだろうし……」
「じゃあ、神楽を踊らなかったら?」
「……おまえなぁ」
「旅に出たからには、思いっきり暴れ回りたいのよ。良いでしょ?」
ラルフが今まで見たことのある巫女は、願衣とその母だけだが、こんな巫女は異例だろう。断言出来る。
散々、神楽を踊り続けて来たというのに、その力に頼ることなく自分の力だけで悪魔と戦うという。そもそもからして、巫女自ら剣を取ろうとする時点で信じがたい。
「まあ、それは良いとして……。ちゃんと宿は取れたんだよな?」
「うん。旅芸人っぽい人に宿を訊いたら、色々と教えてくれたの。やっぱり、こういう時に頼れるのは同じ旅をしている人よね」
「はぁ。すごいなぁ」
「そう?普通じゃない?」
こんなことを全く嫌みのない顔で言うのだから、願衣の社交性は計り知れない。
名目上は一応、護衛という立場にいるラルフだが、どちらがよりよく旅に貢献しているかといえば、正直言って願衣の方だ。
護衛の方も、それが必要ないぐらい願衣の身体能力は優れているのだから、いよいよその存在意義が危うい。
「いや、願衣。おれに任せて欲しい」
「えっ?依頼のこと?どうしたのよ。急に」
「おまえはいわば、この旅の一行の頭だ。ボスだ。ただの悪魔の相手ぐらい、おれで十分だろ?」
「う、うーん……。まあ、そう言われればそうだけど、旅の一行って、二人だけじゃない」
無理矢理納得させ、必死に自分の必要性をアピールする。
その涙ぐましいほどのラルフの努力に、いまいち願衣は気付いていないが、今回はそれがむしろ好都合といったところだろう。
元々、誇りや威厳といった言葉とは無縁なラルフでも、幼馴染の前でぐらいはメンツを気にしたくもなる。
「相手は夜行性な訳だけど、どうする?地形の把握のために今から行っておくというのも……」
答えはわかりきっている質問だが、一応それをする。
「当然、ぎりぎりまで町を見て回りましょ?」
「だと思った」
返事を聞く前から、願衣はどんどん歩き出す。宿を探している間に、気になるところでも見つけたようだ。
よく知らない町なのに、なぜか自信満々の表情をして歩く姿は、楽しげであると同時に凛とした強さを感じさせる。
白い袖を揺らし、紅の袴をはためかせる吸血巫女の姿は、今度はラルフの気にし過ぎではなく、事実として目立っているようだった。
「あー。お嬢さん。急ぎの用事でもない限り、夜に町を出ることは……」
「急ぎの用事なの。詳しくはラルフ、お願い」
「あ、あぁ。すみません兵士さん、おれ達、この依頼のためにちょっと出かけて来ますんで」
のんびりと町を観光していると、もう陽の落ちる時刻になっていた。
町の出口で兵士に止められるが、依頼で町を出ることを教えればそれ以上とやかく言われることはなかった。というより、兵士が完全に状況を把握する頃、既に願衣は駆け抜けてしまっていたといえる。
いったい、どれぐらい行ったところにその悪魔の縄張りの森があるのかわからない以上、完全に陽が落ちてから探したくはなかったのだが、願衣の好奇心は底を尽きないのだから仕方がない。
それに、本来なら抑止力になるべきだったラルフも、知らないことだらけの町には興味があり、やはり一緒に楽しんでしまっていた。
「あ、あの辺りじゃない?」
カンテラを片手に爆走する願衣が、木の密集した場所を発見する。
疑問形なのは、悪魔の気配に敏感な願衣でも何も感じられなかったからだ。もっと奥地にいるのだろうか。
「そうだろうけど、ぱっと見た感じ生き物はいそうにないなぁ。願衣、慎重に奥に進んで行こう」
「了解。じゃ、私がカンテラ持っておくわね」
ちなみに、既に今夜の吸血は済ましてある。
急いではいたが、人目に付くところで吸血などという非日常的な行為をするわけにもいかず、わざわざ宿の部屋に戻った。
そのタイムロスもあるので、二人としては出来るだけ速やかに全てを終わらせたいところだ。願衣は良いがラルフは疲労と睡魔に耐えきれなくなってもおかしくない。
「悪魔、か……。村に迷い込んで来たのを何匹か斬ったきりだなぁ……」
ラルフが鈍色の剣を腰から抜き、下段に構える。
相手は四足の獣の姿をした悪魔、対人を考慮した中段に構える必要はない。
「私なんか、ほとんど見た事もないわ。だからこそ、一度本気でやり合いたいんだけどね」
村にいた頃、悪魔退治に参加するのは願衣ではなく、いつも母の祈里だった。
もちろん、願衣にも当時は神楽を完全には踊りこなせていなかったという自覚はあるし、母が、危険がないようにと想ってくれていたのはわかる。
それでも、必死に練習して来た自分の神楽を否定されているようで悲しかった。自分が純血の人間でないからでは、と血を呪ったこともある。
だから、出来れば自分自身が悪魔と戦ってみたかった。自分の力と神楽がどこまで通用するのかを試してみたかった。一度はラルフに譲ることを決めたが、今でも隙あらば自身が戦おうとしているのは、殺気の域にまで達している集中力でラルフにもよくわかっていた。
「相手は二頭だからな……挟み撃ちとかも考えられる。願衣、後ろにも注意を払ってくれよ」
「わかってるわ。巫女の気配察知の力を舐めてもらっては困るわ……って、十時の方向!多分二匹、すぐに踊るから近付かせないで!」
願衣は下がりながら、行く道で集めた落ち枝にランタンの炎を灯し、ばらまいて一時的な光源の確保と、悪魔へのささやかな嫌がらせにする。敵の目が完全にラルフに行っているらしいことを確認して、神楽を舞い始めた。
二頭の狼は人の臭いを感じて躍り出ると、そのままラルフに飛びかかろうとするが、早くも神楽が効果を及ぼし、明らかにその動きを鈍らせる。
人間の動きよりは早いものの、高速の剣撃戦を得意とするラルフにとって、その速度は十分見切れるレベルのもの。また、神楽は人間の隠された力を引き出し、その身体能力を底上げする。難なく爪の一撃を避けると、返す一振りで悪魔の胴を真っ二つに斬り落とし、続くもう一頭の飛びかかる攻撃も回避した。
生き残った一頭は、ラルフと戦うことを諦めたのか、俊敏さを失った足で神楽を踊っている願衣に向かうが、これは完全な判断ミスだ。この状況で彼が取るべき行動は逃走だった。
「私にやらせてくれるなんて、嬉しいサービスしてくれるじゃない?」
神楽を中断し、油断なく構える。
途中で踊るのをやめても、神楽はしばらくの間その効果を発揮し続ける。極めれば踊りながら戦うことも出来るそうだが、さすがに願衣はその域には達していないし、そもそも母は武器を使わないので、実際にそれを見たことはない。
「じゃあ、神妙に私にぶった斬られ……あれ?」
夜狼の胴に剣が突き刺さり、その体を地面に縫い付ける。少しの間、悪魔はもがこうとするも、そのまま息絶えた。
悪魔に刺さった剣は、もちろんラルフのもの。機転を利かせ、急所めがけて投げ付けたのが見事命中したのだった。
「ラルフー!!何よこれ、私に対するいじめ!?」
「い、いや。おれが逃した相手なんだし、きちんと対処するのは礼儀って言うか……」
「嘘でしょ!今のは絶対、私に対する嫌がらせ。いじめ、かっこ悪いんだから!」
「だから、いじめじゃなくって……」
ラルフとしては良かれと思ってしたことなのだろうが、願衣は半泣きになって猛抗議だ。
ぽかぽか、という可愛い言葉では表せないほどの大きな力で、ラルフを殴り続ける。
「い、痛っ……。ほ、ほら、次はおまえに譲るから、許し……っ、痛ぇ……」
「乙女の純心を弄んだ報いだぁ!この痛みは私の心の痛みと知れぇ!」
「ちょっ、本当におれが怪我すっ、うぉぉ……い、今のは真剣にちょっと…………」
偶然、鳩尾に拳が入り、ラルフの顔が真っ青になる。これには遊び半分でやっていた手前、願衣も同じく青くなった。
「え、えと……大丈夫?」
「……ちょっ、無理。おれの代わりに、そいつ等の毛皮剥いでおいてくれ……」
「わ、わかったわ!その間に気分治しておいてね!」
狼、しかも悪魔の毛皮を剥ぐだなんて、全く初めての経験で、正直女性がやる仕事とは思えないが、申し訳ない気持ちもあるので素直に従う。
長剣を手に取り、悪魔の死骸に押し当てるが、毛皮を傷付けるばかりで上手く刃が入って行かない。
本気で胃の中のものを戻しそうになっているラルフに助言を受けても、変に力を入れてしまっては、皮と肉をずたずたにしてしまうばかりだった。
「ふぅ……ちょっとは気分が良くなった、かな。願衣、後はおれがやるよ」
「う、うん。その、さっきは本気でごめんね?」
「悪気がなかったんだから、気にしてないって。何年おまえと一緒にいるんだって話だよ」
まだ少し弱々しいものの、剣を受け取るとラルフは、驚くほど手際よく黒い毛皮を肉から切り離して行く。願衣によって、並の人間では奇麗な毛皮にするのは難しい状況にあったものが、まるで魔法でもかけるように美しく仕上げられた。
「よしっ、と。おー、悪魔でも、良い毛皮だなぁ。臭いを飛ばせば、防寒具に出来そうだ」
「……悪魔の毛皮なんて服にするの?」
「悪魔って言っても、見た目は普通の動物だし、なぁ。ま、これは依頼主に収めることになるだろうけど」
二頭分の毛皮を手に、ラルフは立ち上がり、それに願衣も倣う。
願衣に鳩尾に拳を決められるというのは、完全にラルフにとっても予想外だったが、今回は戦いも、毛皮を剥ぐ作業も、ラルフが活躍しっ放しだった。
自分のするべきことを見つけ、こなせたことに満足と疲れを同時に感じているところに、願衣の声が響く。
「っ!また悪魔?しかも、さっきにより大きい!」
「どっちだ!?」
「そのわんこ二匹と同じ、十時の方!」
毛皮を投げ捨て、ラルフが取って返す。悪魔がその姿を現すのは同時で、瞬間的に剣を構えていなければ、腕ぐらいは切り取られていたかもしれない。
鉄の剣同志がぶつかり合う金属音が夜の森に木霊し、押し殺した願衣の悲鳴がそれに続いた。
「ほう。貴様が我が下僕を辱しめた人間か」
「あんたは、話せんだな。そいつ等の飼い主か」
ランタンは地面に置かれているので、おぼろげにしか相手の姿を見せない。
それでも、相手が人型をしているのはわかった。ラルフよりも長身の男だ。
「卑しい人間共が。私の下僕をこのような姿にしておいて、生きて帰れると思うな」
「はぁ……高慢ちきな物言いだなぁ。願衣にこいつみたいな奴の血が半分でも流れてると思うと、気の毒になって来る」
「なんだと?」
男が剣を力任せに振るい、それをラルフが受け止める。
お互い喋りながらで余裕そうに見えるが、そろそろラルフの疲労は限界な上に、まだ気分は悪い。長期戦になれば、間違いなく押し切られてしまう。
願衣も離れて神楽を踊るが、その恩恵を得ていたとしても、互角の勝負は動かない。
「……くそっ。今夜はおれが全部決めたかったんだけどなぁ」
最上段まで振り下ろされた剣をはじき返したところで、握力が限界に達した。
剣がラルフの手を離れ、落ちて行く。勝利を確信した男は再び剣を振り被った。最大威力の一撃が振り下ろされるが、間一髪ラルフは地面を転がって避け、助けを求めるように願衣のところまで退避する。
「願衣。後は頼む。デビュー戦が、想像以上の大物になったなぁ」
「そうね。ま、私にはこれこそが相応しいわ」
神楽をやめて、丸腰で願衣が前に出た。
悪魔は一瞬いぶかしむようだったが、すぐに願衣がただのか弱い少女でないことがわかったらしく、剣を構え直し、そのまま踏み込む。
「あんた、人狼ね?十分腕っ節の強い悪魔なのに剣を使うなんて、自分の力に自信がないの?」
「黙れ、吸血鬼もどきが。女の半端者の分際で私の前に立った愚行、死んで悔やめっ!」
空間を斬り裂くような剣が振るわれる。明らかに願衣の首を狙ったそれは、命中する前に動きを止めた。
既に男の腕の腱は斬られ、傷口からは大量の血が迸っていたからだ。
「なっ、何が……」
「狼って、鼻が良いのよね。だから私が吸血鬼の血を引いてるってわかったんでしょうけど、どうせ本当の吸血鬼に会ったことはないんでしょ?
だったら、覚えておきなさい。これが血を吸った吸血鬼の強さ、速さ。私はあんたが剣を振り被った一瞬に袖から短剣を抜き、あんたが剣を振るうと同時に腕を斬った。で、短剣を奇麗にしまって、今に至る、と」
敵は未だに眼前にいるというのに、願衣は落ち着き払って、満足げに腕まで組み出す。
もう悪魔の剣が届くことはなく、他の抵抗をされても回避は容易。そもそも、悪魔が再び願衣に向かって牙を剥くとも思えなかった。
「私は天乃願衣。すごく不本意気ながら、通称は吸血巫女。仲間がいるなら、そいつ等にも伝えておいてよね。
今から私は、魔王とか名乗っちゃってる痛い系のクソ親父、オズウェルをぶちのめしに行くの。邪魔をするようなら、痛い目に遭うだけじゃすまないかもしれないから、絶対私の前に現れないで、ってね」
最後にちらり、と見せた口には鋭利な牙が備わっていた。
それだけで、すっかり圧倒されてしまった人狼を逃げ帰らせるのに十分な効果がある。
「……なーんか、親父と似たことやってる気がする」
「ま、それでもこれからの旅が楽になるなら良いだろ。――しかし、効果てきめんだったなぁ」
「だって、割とためらいなくやったけど、あれって相当痛いだろうし……」
「腕をあれだけ深く斬ればなぁ……」
ともかく、毛皮を回収し、二人は町に戻り、報酬を受け取った。
今度は酒場に願衣もついて行ったので、主人には目を丸くされたが、願衣の服に自身のものではなさそうな血が付いているのを見ると、もっと驚いて数歩後ずさりするほどだった。
吸血巫女の名で悪魔にも名を知られることとなった願衣は、酒場の人間には血まみれ巫女とでも伝説を残してしまったのかもしれない。
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落選作の供養です
ふと思い付いた「吸血」と「巫女」の組み合わせから生まれた作品です
今度、正統派な吸血鬼ものを書きたいものですねぇ……