拠点・詠と一刀、書簡整理中に駄弁るのこと
**
「文和様……。これを」
「そう、ありがと。どうだった?」
「読んで頂ければお分かりになるかと……では、自分はこれにて」
「報酬はいつも通りの場所に振り込んでおくわ」
ボクがそう言うと、黒服はすぅ、と何処かへ消えてしまった。
仕事は確実だがどうも淡泊な印象しか持てない苦手な奴だ。
なんて無駄事考えながら受け取った紙に視線を落とす。……予想通りの内容に思わずボクは唇を噛んだ。
「どうだった、詠ちゃん?」
声の主は月。思わぬ声につい顔を顰めそうになる。
あの黒服に気付かれもせず佇んでいたのだろうか。月ってばどんどん人間離れしてゆくのね……。それが寂しくもあり、ボクの不甲斐無さ、月に苦労を掛けてしまう証明の様で何となく気が重い。
「人相書きとは似ても似つかない感じだけど……これは、黒ね」
「でも三人しかいないよ?」
一緒に並んで紙の報告書類を読みながら月に答える。
細くて白い綺麗な指が書を指した。
「娘二人……売ったか、或いは別れたか。前者を個人的には押すわね」
心にもない事をボクは言う。
軍師であり右腕であるボクは常に月の為になる選択肢を、あるいは尤も理に叶い筋道だった選択を選ぶ必要があるから。
それでもあいつらの事を外道な裏切り者の様に言うと少し心が痛んだ。
自覚がある分マシだけど、どうもボクはあいつらの事を気に入ってしまっているらしい。
「うーん。でもあの人は許さないと思うし、そんな事はしないと思うな、大切な人が望まない事は」
「……まあ、そうね。だって」
アイツに言われた台詞をふと思い出す。
そんなに、ボクと月のカタチはおかしいだろうか。
「私と詠ちゃんのあり方にそっくりだもんね、あの二人」
「……っ。こほん、で、月はどうしたらいいと思う? 予想外の大物だった訳だし、禍根が残らない為にも惜しいけど売るべき、ってのをボクはおすすめするわよ」
楽しげに微笑みながらゆらゆらとそう答える月の顔が近くて思わず赤面する。
ぷるんとした唇がなんだかボクに背徳的な想いを抱かせた。
そして自分の口にした提案で直ぐに心は覚めてしまった、頭が正しいと理解してても心がそう思ってくれない、そんな体験は久し振りだ。
どきどきと五月蝿い心臓を押さえながら、ボクは月の答えを待った。
「そうだね……うん、じゃあ売らない」
その声に、思わず安堵のため息を吐きかけて、無理やり飲み込む。
そんな内心を見通したのか月は愉快そうに喉を鳴らした。凄く気恥ずかしい。
「一応聞いとくわ……どうして?」
「だって、そう言う事の玄人な訳でしょ? なら私の為にも、詠ちゃんの為にも必要な人材だと思うよ。蛇の道は蛇にしか分からないもの」
「分かったわ。じゃあそうするけど……釘の一本二本くらい刺すのは」
誤魔化す様な問いかけに、やっぱり楽しそうに答える月。
月には隠し事できないなあと半ばあきらめながらもやっぱり頬の紅潮は抑えられない。
「お願いね、詠ちゃん」
「はぁ。御意ですよ、月」
優秀な部下予定の人間を失わなくても済みそうだ。ボクはそう安堵した。
そういう安堵だと、自分に言い聞かせた。情が沸いているとは思わないことにした。
月はまだ楽しそうににこにこしていた。
**
きゅっ、と襟元を締める。
俺でも緊張の一つや二つくらいはするのだなと今更に実感する。
そう、俺は今、一文官として文和殿の部屋の前に立っていた。
喉が少し貼りつくように乾く。ややあって、唾を一つ飲み込み景気付けすると俺はドアの取っ手に手を掛けた。
「おはようございます。北郷です」
「時間通りね、朝早くから御苦労様。早速で悪いけど、帰って良いわよ」
唐突に、残酷に。
その頚を地に晒した神は死んだ。(意訳:リストラされました)
「ちょっと話はちゃんと聞きなさいよ」
「あたっ」
ぼかと小さな拳が胸を殴った。
そうあって真っ白な思考に生まれた余白から文和殿の言葉がすべりこむ。
「本当は今日諸々の事務方と顔合わせをしてもらうつもりだったのだけど半分以上都合付かなかったのよ。と言う訳で明日までアンタすること無しなの。あ、休暇から今日の
分はちゃんと引いておくから安心してね」
「なるほど。そう言う訳ですか。……といっても、帰れと言われても、むむむ」
休暇については触れないでおこう。
触るな危険藪から蛇だ福岡県で手榴弾。昨日の事もちゃっかり言及され損をする未来か浮かばない。
「何がむむむよ。立派なお屋敷にクソな……こほん。癖の強い侍女がお待ちしてるじゃない」
「……まあそうなのですが、その、ね?」
うっかり漏れたリアルな感情に俺どうしたらいいのかな。とりあえず日本人(笑い)の得意技お茶を濁すを発動する。
と、文和殿は含み笑いに何を察したのか渋面で小さくぼやいた。
「分からんでもないからアイツ嫌いなのよね……。まあいいわ、じゃあ好きなところで暇でも潰してなさいよ。あ、証明札持ってないと食堂にも入れないから気をつけるのよ
」
「と、言われましても……」
庁舎などうろうろされても誰も得しない。下限突破も甚だしい好感度をこれ以上下げたくもないしうろうろする気は起きない。
かといって厨に居ようにも大きな問題が。先だつものが手元に殆どないのだ。コーヒーのお代わり自由で五時間居座れる程俺の胃の粘膜は分厚く無かったし、寧ろそう言うモ
ラルに世知辛そうなこの場所でそれ敢行する意味も度胸もない。
ならば帰宅、はしたくないので却下。
考えて文和殿に視線を落とせば、何やら唇を曲げてやれやれと言った様相だった。
「そうね、自分で言ってなんだけどお金持ってなさそうなあんたには酷よね」
千の言葉より胸に刺さる一言ですどうも有難うございます。
心からの皮肉を隠しつつ文和殿に半笑い。愛想笑いのスキルは人間関係に置いて必須です。
「では、予行演習だと思って大体の職務を観察させて頂けると有難く思います」
「……まあ、それが一番かしらね。じゃあ今日は丁度李儒が出払ってるし、出来なくても当たり前だと思ってあんたに主簿(秘書官のこと)任せるわ」
「御意」
文和殿ってツンデレなのか唯の友達が居ない子なのか分からなくなるな。
なんて本人に聞かせたら体中の突起物を刎ね飛ばされそうなことがふと頭に浮かんだ。
と、不意に文和殿がくるりと振り返る。スカートというか腰布がふわりと柔らかく舞った。
そして、あ、やべストライプ柄見えた事悟られた? なんて思った俺の予想を斜め上に上回る一言を下さりやがった。
「参謀部ってじつはあんたが最初の従事次官なのよ。というか新設部署ね。
だから二人まで、今から行く会議のところで引き抜いていいわよ。最初は適当にそこらから軍務に理解のある人間あてがうつもりだったけど、あんたも何かするなら自分で
選別した子の方がいいでしょ。あ、でも赤い文官服のだけはやめてね、その部署の要の証だから」
**
「じゃあ、税務部の会合を始めるわね。資料は手元に揃っているかしら?」
そうして始まった午前一番の会議。今日は税関連の議題が話し合われる日らしい。
こういう部署ごとの報告会は五日に一度の感覚で行われ、俺が長になった外務部は明後日の午後、参謀部は十日から二十日に一度不定期に行う予定だそうだ。
文和殿は州のナンバー2という役職も相まって全ての会議に出席、統括しているのだとか。うわあ、人間止めてるなあ。
因みにに俺の同僚に当たる税務従事次官のお爺さんは今余所へ出払っているんだとか。
「あ、これ都への納税報告の明細が抜けてます」
「北郷」
文和殿の一声に音を立てず一歩前へ出る。
抜けている竹簡を手元に置いた予備の中から選ぶと、出来る限り優雅にを心がけ声を掛けた女性の黒服文官へと手渡す。
「こちらで宜しかったでしょうか?」
「え? あ、ありがと……」
生憎主簿の様な役目は何度か経験がある。
文和殿も予想外だったらしく少しだけ驚いているのを視界の隅で捉えると、なんだか気分が良い。
その所為かサービスとばかりに、俺はにこりと普段はしない様な素敵な営業スマイルを一つ落とした。
すると途端にしどろもどろする文官。なるほど見掛け20代越えてるが意外と初心と。
まあ貞操観念云々と言うか、夫以外と行きずりで合体とかあまり無い時代だし独身なら経験も少ないのだろうしね。
と、ふと画面端で此方を睨む視線を発見。振り向き見返し、にこりと笑うとますます額にしわが寄る。すげ、小銭くらい挟めそう。
「……文和様、この者は一体?」
「唯の見習いよ。貴方が気にすることじゃないわ。報告を始めて頂戴」
「御意」
なるほど、そこそこ偉いっぽいねこの人。そしてやっぱり黒服。
というか赤服、白ひげのご立派な老師と眼鏡かけた偉丈夫しか居ないじゃん。
と、その彼は文和殿の制止の声に一寸も私情を挟むことなく素直に従った。うーん、堅物を人間にした様な見た目と雰囲気の人だけども……もしかしなくても、恐らく彼、文
官さんを狙ってるんだろう。
しかしなんて分かりやすい奴だ。少し頬が紅潮してる。うーん、堅物でそこそこ優秀だけど素直と、これは、これ以上の出世の機会はこいつに無さそう。
教え込めば堅物な性格からして或いは……って事もあるけど。
「よろしい。では、改めて始めるわよ。まず、輸出馬関連の税金の議題だけど……」
なんて悩んでる内に聞くだけで耳が痒くなりそうな難しいオーラ全開の会議が始まった。
そして俺は文和殿の指示に従い、何を思ったかやれと言われた侍女まがいの行為を、つまりはお茶出しを始める。
あれか、これは嘗められてへこへこすることも経験してみろと言う間接的なメッセージなのか。
ところがどっこい、俺は人の3倍はヤバい奴らにヘコヘコし続けてきてるんだぜ! いやなんの自慢にもならんけどさ。
「……得体の知れない奴め」
と、階級序列が上の人間から順に白湯を配り三番目。
あの堅物文官さんに白湯を入れて渡した拍子、ぼそりと耳元で低い声を囁かれた。
なるほど意外と嫉妬深いと。これは途端に利用価値が増し増しじゃないか。
悪い意味で、だけど。
その言葉に張り付けた自然な笑顔でにこりと一礼。無言のまま横を立ち去りお次は勝手に渦中の中心に据えられたあの文官さん。
「あ、ありがとね。……あとで、良かったらお茶しない?」
「お誘いは嬉しいのですが、申し訳ありません。主が働いている傍で私が休む訳には……」
「そう、ね。ごめんね変なこと聞いちゃって」
「いえ、お気になさらないでください。麗人のお誘いを無粋な形で蹴ってしまう自分の不甲斐無さに落ち込んでしまいます故」
「そ、そう……ぽっ」
白湯を器に注ぎ始めてから手渡しし身を引くまで僅か八秒。
うむむ、この文官さん、尻軽なのか純情なのかさっぱりわからんな。
もしくはお姉ちゃん風吹かせて食べちゃってばかりだったのだろうか。情熱的な口説き文句には慣れててもさらりと相手を立てて褒める口説き文句には不慣れとか?
とりあえず好感度なんてものは何時でもへし折れるのだから適当に褒めておいたのは正解らしい。
うーむ……その内仕事柄、仕事で女を抱く羽目にとかなりそうでやだなあ。装って口説き落として意のままにするってのは得意だけども。
睦言囁いて精技と心を言葉でお手軽に満たして蕩けさせての情報を引き出して、みたいなことは俺には出来ない気がする。
セックスするならマジになっちゃった相手とじゃ無いと俺自身が本気になれないし、そんな適当な演技じゃ騙せないし落とせないと思うんだよなあ。
まあ、経験霞しかない俺がそんなこと考えるだけでも滑稽だし次官級が直接情報収集なんてあり得ないし。
「どうぞ」
「うむ」
なんて独り考えながら白ひげの立派な老師に白湯を出す。赤服文官の人だ。
当たり前だが失礼などは無かった様で、厳めしい面のまま一つ頷かれた。良し、これで白湯配りは終わり。
しかし、何だか誰も彼も一般的な優秀な文官って感じだなあ。参謀向きな黒い人とか素質ありな人っていないのかしら。
と、後ろに控えて見回していると、どうやら次はあの堅物さんの出番の様だ。
「……~と、これらの観点から見るに……」
「あー。もう良いわ。結局は塩と酒の高騰でかけられる税金の額も伴い上がってしまって特に酒が売れない、ってことでしょ」
「え、あ……はい」
「次は簡潔にまとめる事。いい、この仕事にアンタの主観も感情もいらないの、法に寄り添った客観と法に従い税を取る無情さが欲しいの。そこんとこ理解して頂戴」
「……申し訳ありません」
あーあー。あのちょっと偉そうな堅物文官さんボロっクソ言われてるし。
狙ってる娘は他の男に気を取られの、仕事では上司に直々に部下や同僚の面前で辱められての。(文和殿にそんな意図はないだろうけど)
散々な一日だろうなあ。そしてそんな散々な男が矛先をぶつける先と言えば……俺。
殴られたり集られたりの一つや二つは普通あるだろう空気だけども、まあそこはあの堅物さん、超が付く程の糞真面目だし。
そんな事をして発散する事も出来ず、唯俺をじーっと睨むだけ。おおこわいこわい。
しかしガス抜きしないとこの手のは炸裂してこっちも巻き込むからなあ。
それに、こんだけ職務に忠実で真面目ってことは逆に言えば職務を逆手に取れば言う事聞かせ放題ってことだし。
手綱が握れて、しかもさっきの報告、別段悪くはないんだよな。まどろっこしいだけで要点も完ぺきに抑えていた辺り優秀だってわかるし。
参謀に英雄はいらない。影になれる秀才が十人いて違うものを感じられればいい。
上の決定は信じることが出来そうだが、上の判断には反発できそうだし。
と、まあ講釈垂れ流しても結局は他人の受け売りな俺なんだけどね。
ふむ、こいつにするか。指示待ち人間の外れ物件だったらひたすら機械的な仕事させりゃいいだけだし。
となるとあと一人は……。
そこで丁度、狙ったかのようにあの女性文官さんの番がやって来た。何と言う
いかんな、このネタは凄い危険な香りがする。
「次。税からの収入と支出ね。簡潔に頼むわ」
「はい。まず総収入からについてですが、配布した資料をご覧になって頂けますか? ええ、それです。先月比で三分五里、先週の報告と比べても僅かですが関税や通行税で
の収入上昇が見られます。がこれは并州での政治混乱騒動に伴う商人の流入が主な要因であると思われます。同様に周辺七郡でも収入の増加が見られ、絹の道を通る商人も并
州から洛陽の道筋を捨て涼州を通過して洛陽へと出向いている様です」
なんとまあ見やすい資料な事で。週一でこれ作ってこんな解説してんなら大したプレゼン能力だな。
それに周囲の情報の探り方がここまででだけでも尋常じゃ無いことが分かる。なんつー参謀部向きな性格ですか。参謀官に向くかは微妙だけど。
それに加えてあの堅物さんへの餌にもなるんだからね。ふむ、同程度の書類を作ってる奴も何人かいるが、餌になりそうだって利益の点でこの人の圧勝かな。
よし、大体決まった。
そうして俺は、何となく明るい気分でその後の会議の行方を見守るのだった。
**
「で、誰を選んだの?」
ぴしりとそろった拝礼で締められた会議の後。いの一番に部屋から出、近くの資料室に連れ込まれた俺は、興味に表情を瞬かせた文和殿に詰め寄られていた。
あの、凄く近いです。距離的な意味で。文和殿の女の子らしい吐息が頬を撫でる程度には近いです。
「あの堅物そうな文和殿に叱られていた人と統計資料が見事だった女性ですね」
「ふーん、なるほどね……。その組み合わせは考えなかったわ」
「参謀を務める者の部下として使うなら、という点を第一に考えましたからね」
規模が違うだけで参謀はつまり組織の運営者だ。
ノウハウも何ら一般のそれと変わりはないし、俺が最初に生きた時代の軍隊も結局は何事も数の暴力に落ち着いている。
「軍務の指揮を執る、いわば軍隊の頭脳なのよ? あの二人は優秀だけど、幾千の人間を動かせる器かしら」
「言うまでもない、そんな数の人間を意のままに動かす器なんてある訳が無いですよ。俺も含めてね。軍隊を人間としてみられる天才は軍務には一人二人いれば十分です。残
りはどれだけ臆病でどれだけ堅いか、そしてどれだけ“職務”という言葉に忠実か、それが必要だと思う訳ですよ」
「ふぅん? あえて器じゃない人間を選んだのね。その心は?」
可愛らしく小首を傾げ訊ねる文和殿。
動作とは対照的に浮かべる表情は怜悧な殺人集団の頭たる残忍な含み笑いだ。
「前線指揮官は勇猛な人間が必要です、直接切り込んで敵を殺すのですからね。だけど参謀に必要なのは臆病さなのですよ、負けた時の身の危険を愁い畏れる人間が必要なの
ですよ、そんな人間は勝てる、と確信するまで戦をしませんから。策を練り補給網を形成し兵士の蓮度を上げて兵数を増やして、そうしてやっと戦争をして国を勝たせる、そ
れが参謀のお仕事だと思っていますから」
結局は負けない事が重要であって、その為の一つの手段として直接的な武力行使による戦争があるに過ぎない、という訳で。
参謀とは相手から勝利をもぎ取る様に動くことがbestに重要な訳で在って、戦闘に勝つことはbetterでしかない。
つまりは何が言いたいかといえば、戦闘で花形を務める軍師と、戦争で勝利することだけを目指す参謀とはつまり必要なものが違うと言う事だ。
「でも、それじゃあ緊急時の対応とか台本から外れた出来事が起きた場合弱いんじゃない?」
「ええ。だから必要だって言ったんじゃないですか、文和殿の様な天才が。俺の様な凡才は精々そうならないように凡才で想定出来得る限りの手段に抵抗できるよう手を整え
るだけです」
俺がそう言うと文和殿は少しだけ驚愕の色を見せた。隙を露わにするとは、数日でこれはまた大層信頼された様だ。
悪い気はしないと言うか俺自身望んでこの場所に居る訳だから別に邪な発想は一切浮かばないが。
しかしこの時代って、軍師=参謀なのかね。軍師は将であり司令官であり頭脳でありの、謂わば戦闘特化の司令塔みたいな立ち位置の人物を指す言葉で、参謀はもうちょっと
マルチに蹴落としに掛かる人種であり少なくとも表舞台で声高らかに何かする人種じゃあない。
尤も俺も最初は特に意味も考えずサポーターの代名詞として名高い花形職業の軍師目指してた訳だが、うん。
参謀ってのは常に一歩後ろに立った人間だから英雄的な名高さのある軍師よりも妙にしっくりくるって言うか、看板背負ってる気がしないから俺が生き残る為に学んだあんな
ことやこんな事をいかんなく発揮できそうで嬉しい限りだ。
……と、暫く時間を置いてようやっと文和殿が口を開いた。
「……なるほどね。その発想は新鮮だわ」
「ええ、その点で糞真面目で優秀なあの人は向いているなあ、と」
素直に驚愕を言葉にする事を選んだらしい。
真正面から賞賛されている様な言い方に何となく面映ゆいので文官♂を引き合いに出して誤魔化す。
「ふむ。……あれ、じゃあもう一人の方は?」
「あれはですね、あの事前調査能力と報告能力が必要だと思った訳ですよ。大体考えても見てください、策を練る時に事前に全員が個別で調べて考えるなんて効率悪いじゃな
いですか。彼女の様な情報処理能力とそれを纏める能力に長けた人間が居るかいないかで組織の中での理解度は断然変わりますよ」
と、触れなかった方の文官さんにも文和殿が食いついたので説明する。
というかあのプレゼン能力を戦争に生かそうという発想は生まれなかったのかな。
「……北郷、貴方はごく普通の二千年前から繰り返してきた軍隊の様式を全く無視してるのね」
「へ?」
「普通、軍隊は少人数の頭脳があーだこーだと策を捻りだしてそれに従い指揮官が兵士を動かす者なのだけれど。ふふっ、良いじゃない。質を上げるのではなくて目を増やす
って事なのね。くくっ、あはははっ! 旧来の手法を抜け出せなかったボクの発想も凝り固まってたってことなのかしら。本当に、貴方一体何者なの?」
なんとまあもう数の優位性の理論を理解して受け入れなさる。本当生まれる時代間違えてんだろこの天才。
俺も充分破天荒な型破り野郎に見える事必須だろうけどもそれは所詮未来の知識でしか無い訳だし、1500年以上かかって形にした近代軍のあり方をすぽんと理解する文和殿にうすら寒い物を感じざるを得ない。同時にこの人物に巡り合えた自分の幸運と胸いっぱいの越えられない絶望感もてんこ盛りに感じる訳だけど。
「止して下さいよ文和様、俺は俺、ぽっと沸いて生まれた平民の子です」
「ま、そうよね。この街に来るまでの足取りさえ分からないのだから。まるで安邑の草原の真ん中から沸いて出たみたいにね」
「……はて、一体何のことやら」
思わず歯噛みした。一体どこで悟られたのか知られたのか。皆目見当もつかないが、まあ生きて町や邑に何度か入ったのだから仕方ない事ではあるし俺に油断があったのは確かだろう。ばれやしないという根拠のない自信が何処かにあったのだ。どんな些細なことからでも尻尾は掴まれると知っていたのに。
それに基本顔などおっちゃん達身内にしか晒して無かったのだがまあ、その身内に裏切り者が居た訳だし何処から情報が漏れていても可笑しくはない。
「良いのよ別に。あの手ごわい馬賊が一蹴されたってのは割と噂になったことだし、生き残りの一人二人居ても不思議じゃあないわ。でも……」
「でも?」
「仲頴様はそれを知ってもなお、ボクが殺そうと提案してもなお、北郷達を使おうと言ったのよ。それ、忘れないでね」
文和殿にしては甘いとしか言えぬ判断と言い方、だけれども俺は思わず声を漏らしかけそれをかみ殺す。
とぼけようと無駄なのは分かっていたが、かといって素直に認めるのは何か怖く何か空恐ろしいものを感じざるを得なかった。
仲頴様を思う文和殿の姿が、どうにも自分の様と重なってしまったのだ。人を騙す人間として間抜けにも程がある。
「何のことかは分かりませぬが、臣として主の信を裏切らぬ様誠心誠意努める所存です」
「……ふふっ。ええ、頼むわよ」
文和殿は心底愉快そうにくすと笑った。
何もかも覗かれた様で少し座りが悪いなと思った。
実際、俺はもうこの人の手のひらの上だと思うといっそあきらめがついて清々しくさえ感じるけども。
**
「お疲れ様。今日一日勤めてみて、どうだった?」
早いものでもう夕刻、特段差し迫った問題もない今は態々油を無駄遣いして夜に会議をする事もなく、俺と文和殿は文和殿の執務室へと戻る道を歩いていた。
「いやはや、政に人と金が掛るのですね、というのが一つでしょうか」
「そうねえ。史書なんかには英雄か大悪党しか書かれないからその下に蟻みたいに働きまわっている存在が居るなんてことは感じられないわね」
「ええ。命令一つでもそれに続いて幾百の人間が動く訳ですからね。それを肌で実感できたのは貴重な体験だったと思います」
俺はどう取り繕っても動かされる人間だったからなあ。経験しておかないとお芝居にしても本気でやるにしてもボロが出るもんだ。
「そうね。それで他には?」
「意外と、皆様優秀な方がそろってらっしゃるな、と」
「あら、どうして意外だったの?」
「言ってしまえば此処は極地な訳ではありませんか、中央からはるか離れた。なのに官吏の質は一見して高く見えましたし」
「そうね、言うならばこの土地が貧しいから、かしら? 常に寒さと騎馬民族の脅威に晒され続けて強くなるしか無かったのよ」
「なるほど」
そう言えば何度か前の世界でも聞いたことがあるな、寒い国の兵ほど精強である、と。逆に熱帯の文明が発達し辛かったのは食べ物に原始の頃から比較的困らなかったからだとも。
そう考えると董卓公の地の利と人の利にもう一つずつアピールポイントが増えるな。
「まあそれでも腐ったのはいたのだけれどね。組織なんて作った瞬間腐ることが宿命づけられている様なものだし」
「それを仲頴様が大掃除したと」
「誰も触らず見ぬふりをしたしつこい油汚れをきれいさっぱりよ。お陰で仕事がやりやすいったらありゃしない」
「商家は三代で見極めろと言いますしね」
「それどういうこと? 言いたいことは分かるけど」
俺より頭二つは小さい文和殿が首を傾げながら見上げてきた。
緑のおさげがふゆと踊って軽やかな少女らしさを演出する。
が、俺としては何とも言えない気分だ。表情が知識を貪る賢人そのもので愛らしさとは似ても似つかない所為で頬を一つ緩ませる事も出来やしないぴりりとした空気を醸し出しているからだ。
こほんと一つ咳ばらいをして俺は適当な講釈を文和殿へと垂れ始める。
「商人のことわざの様なものですよ。立身出世した商家は三代目で切るか繋がるか見定めるべきと。初代が一から家を建て、息子が親の背中に習い家を大きくし、ぬくぬく育った孫が家を喰い潰す。三代目に才があればその商人は安泰だ信用できる、と」
「なるほど、それは尤もね。最初から満たされない事を知らない中で学び驕らない人間はそれだけで大器だものね」
「そう言う事です。だから次に大掃除をするのは仲頴様の孫になる訳ですね」
「まあ三代先なら五十年、家督を継ぐならもう二十年、人間が腐るのには十分すぎる時間よねぇ……」
実際のところ十年もすれば並大抵の人間の信念は消え失せるし二十年もすれば心に隙の出来る何かが生まれる。
組織も果物もどちらも鮮度に注意だ。ぶしつけに触ればそこから腐りだすこと間違いなし。
「人間誰しも歳をとれば色々弱くなりますし、まあ仕方ない事ではありますがね」
「そうねぇ……。あ、他には何か思った事無かったの? 結局二人しか選ばなかったけどその辺とか」
さり気なくかつ興味深々と言った様相で文和殿は訊ねてきた。
「余り多数選んでも機密性の観点で問題が生まれそうなのが一つと、どうせ暫くは試運転なのに人を沢山動かして目立つのは良くないと思ったのが一つ」
「ふうん、他には?」
「あとはまあ、軍部の命脈と言っても良い様な立場に就けるには役不足だったり適所では無いなと思う人材が多かったから、でしょうか」
「赤服文官も四人いたけど、彼等はどうだった?」
「全力で優秀だと実感しましたよ。もしかしたら俺より向いている人もいるのではないかと」
「ふふん、でしょうね。何せボクと仲頴様で直々に選別した精鋭達だもの」
「それは恐ろしい……味方に居るのならば頼もしい限りですが」
割と本気でそう思った。
その反応に文和殿が心底うれしそうに微笑む。
「でもまあ、アンタは心配しなくてもさらに一段上の上の本物よ。それにボク達じゃ絶対知れないことも経験して体験してる。それは立派な評価点だわ」
「……それはどうも」
手放しで褒められた、のか?
良く分からないから曖昧な返事しか俺は返せなかった。
「何よ、疑ってるの? あのねえ、幾ら内心であれこれ考えていても、それが何かに有利に働くとしても、絶対に才能の無い人間にはこんな地位を持たせはしないわよ」
「はぁ」
そんな事言われても、ねえ。
才能云々とかも含めて俺のサクセスストーリーが出来過ぎててこわい状態な訳で。
と疑いの気持ちをひと匙混ぜて文和殿をじとと見つめてみる。呆れた様なため息を吐かれてしまった。
「生返事しちゃって……。勿論北郷の事も文遠の事も、仲徳のことだって信頼して無いわよ。でもね、あんた達の才能には敬意を払うし信用してるの。だから、いいこと? もし本当に何も企んでないなら早くそれをボクに示してよ。そうすれば才能の信用に足す事の個人への信頼をあげられるからっ」
「なるほど、手厳しいのですね」
などとぼやきつつも俺や霞への警戒の程度に内心驚いた。こんな甘いセリフが出るとは思わなかったのだ。
そうして同時に必要とされている多幸感、天才に求められた絶頂が俺の背筋を走り抜けた。どうやら文和殿は董卓公にこそ及ばないにしても人心掌握の術も一流らしい。
「馬鹿言わないで。逆にアンタはどうなのよ、行き成り妙に才覚溢れる出所のいかがわしい奴が来たら直ぐに信頼できるっていうの?」
その言葉に一寸悩み、直ぐに答えを出す。
おっちゃんみたいに直ぐに人を信用する事は俺には出来ないだろう、と。
「まあこんな重用する事もないですね」
とりあえず疑って、暫く監視して、漸く近づいた頃共に過ごして寝首をかいて。そんな人間に人を信じるなんてことが簡単にできる訳が無いし、だから俺は友達が少ない。
「でしょ? 逆に言えばよ、ボクはアンタの才覚をそれだけ買ってるって事」
「ふむ、まるで熱狂的な愛の告白でも聞いている気分ですね」
俺の内心を知ってか知らずか、そこはかとないドヤ顔で視線を送る文和殿。
何だか腹が立ったので、今の距離感でギリギリ激怒させないであろう言葉を選んで投げかけてみた。
「なぁっ!? ばか言わないで! ぶんなぐるわよ!?」
「冗談ですよ。……天下の賈文和も女性という訳で」
「……失礼にも程があるわね。殺すわよ?」
あたふたと顔を真っ赤にする辺りが年相応と言った様子だろうか。
同年代というかほぼ同い年とは思えない怜悧さの隙間から発掘した気分だ。
と、少し過ぎたのか文和殿は目をすっと細め威圧してき始めたので適当に取り繕う事にする。
「まあこんな程度に親しげに会話をする位には俺は文和殿に感謝している訳ですよ」
「親しげって言うか……気さくと失礼を履き違えた程度の印象しかもてないわ」
そういう文和殿も少しくすくすと笑いを漏らしていた。あの程度の軽口は許容してくれるらしい。
それに何とも言えない嬉しさを覚えなが俺は一つ、本心をさらけ出してみる事を選んだ。
信用から信頼に。
騙されることを怖れていた俺らしくないと感じながら一言。
久方ぶりに、この人には信じられたいと感じながら、一言。
「なので、この一刀、信じろとは言いませぬ、しかしこの身この忠義、存分に見定めて頂きとう御座います」
真名の重さ、ちゃんと理解して使えたんじゃないかなあ、幼平よ。
「……ふふ。ええ、任せなさい」
一瞬面喰らって微笑んだ文和殿は、恐らく今までで一番自然な笑顔を浮かべてくれたと思う。
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